高町なのはが撃墜されてからの、加添十四の心の内は……陸に打ち上げられた魚であった。
息ができない。苦しい。呼吸ができないまま、陸でのたうちまわって苦しんで死を待つ魚。
生きるために必要なものを取り上げられた十四は、空気を取り込もうと躍起になる。
十四にとってのなのはとは、生きる理由そのもの。彼女がいたからこそ、彼は死を諦めるきっかけになり、これからを見たいと願った。
彼女に惚れているものの、恋慕の気持ちはない。
彼女に心奪われているものの、異性として意識はしたことはない。
信仰の対象。跪き、手を合わせて祈る。一番近い例えで言うならば、それであった。
敬遠な信者が十字架に祈り、聖書を読み上げるように。少年も少女へ心よりの親愛を込め、それを信仰となっていた。
なのはは妹(十四にとっては)みたいなものだった。大切で、自分にとっての支えで、彼女の近くにいるだけで何もかもが満たされていた。
──その、はずであった。
「……はぁ」
深い、ため息。低い気温であったなら、白い息が出ていたに違いない。
加添十四は、学校の自分の属している教室で悩んでいた。
「どうしたいんだろうな、俺は……」
悩む。悩む。彼は、悩み続ける。
午前中の授業が終わり、昼休みとなった今。生徒が各々自分が持参してきた弁当を食べている。グループを作って、会話をしながら食べたり。教室ではないどこかへ移動をしようとしている生徒もいる。
十四の場合は、そのいずれにも当てはまらず。今朝、桃子と自分で作った弁当を机上に置きながら、箸にも手を付けずにいる。
授業の内容も、頭に入らなかった。ノートこそ取っていたものの、頭に記憶しているかどうかは微妙である。
……何をそんなに悩んでいるのか。それは、少年自身もわからずにいた。
悩んでいる。悩むべきことがある。朝から、昨晩から、ずっと悩み続けている。
確かに、あるのだ。十四の頭を捻らせるものが。
しかし、具体的に何を悩んでいるのか、十四にもわからない。説明がつかないのだ。ゆえに、誰かに相談することもできない。
気になって気になって、食も進まない。どうしたらいいのか、わからなくなってしまう。
「……はぁ」
そして、またため息。繰り返し、ため息。
もう、朝から何度目かすらわからない。
このどうしようもない不安を、誰でもいい……取り除く方法を教えてほしいと願う。
「十四、いい加減に朝から陰気をまき散らさないの」
「……アリサ」
沈んでいた十四へ声をかけたのは、アリサ・バニングス。その隣には、すずかとはやてもいる。
十四は参っていた。事実、彼女たちへの名前呼びの羞恥心より、会話に使う労力の方が惜しいとさえ思うほどである。
「ため息ばっかりしていると、幸せが逃げてしまうで」
「そんなに何で悩んでいるの?力になれるといいんだけど……」
はやても、すずかも力になろうとしていた。何よりも、十四をここまで悩ませるものが、彼女たちの好奇心をくすぐらせた。
力になってくれる彼女たちには、非常にありがたい。心の底からありがとうと言いたい。
手を差し伸べてくれる彼女たちの手を取りたい。今すぐにでも、その力を借りたいと思っている。
「……ありがたいんだけどさ、正直俺もわかんねぇんだよなー」
「わかんない?悩んでるなら、何に対してってわかってるでしょ」
「説明がつかないんだ。悩んでいることは確かにある。けど、どう伝えたらいいのかわかんない。俺がどう表現していいものかわかんないんだよ」
身振り手振りで、どうしようもないことだと表現する。何に悩んでいるのか、その具体性がわからずにいる。
この言いようもない不安に、十四は悩まされている。伝える手段がないのであれば、相談はできない。
「悩み、というより……不安、なの?」
「どうだろうな……。不安からくる悩みなのか、悩みからくる不安なのか……それすらわかんね」
「面倒くさいわね……。頭悪いくせに複雑なこと考えるからそうなるのよ」
「アリサちゃん、それは言い過ぎや。事実でも」
「ほっとけよそこの二人。俺が頭悪いのは俺も知ってる」
さっそく手詰まりになる。こうなることがわかってたからこそ、十四は自分からは相談を持ちかけなかった。
悩む、悩む、悩む……。どんどんとドツボにはまっていく。
このスパイラルに、苛立ちが立ってくる。
「……ああっ!もう、昼休みになにやってるの本当に!ご飯よご飯!おなか減ってるからいけないのよ!」
アリサの言うとおり、自分たちはまだ一口も食にありつけていない。
昼食を食べれば、気分的に変わるだろう。そうとわかれば、全員弁当を持って集まることにする。
「フェイトも誘うわよ。いいわね?」
「賛成!」
「もちろん」
「了解」
反対者はなし。アリサ主導で、男女四名がフェイトのいるクラスへと誘いをかけに行く。
……こんなことだからこそ、十四は男の友達が出来ずにいる。それは自分がよくわかっている。
それでも、彼女たちと一緒にいることは苦痛に感じない。むしろ、安らぎなのだと思える。
自分は稀にみる幸せ者、そう自覚できるほど──加添十四は笑みを湛えたのだった。
「何に悩んでいるのか、自分でもわからないか……」
本日、晴天なり。風、弱し。外で食べるにはうってつけの天候であった。
フェイトも交えて彼ら五人は校舎屋上で昼食を摂っていた。
「……うん、少しわかるかもしれない。その気持ち」
言い知れぬ悩みは、フェイトにも共感があるものであった。
何に悩んでいるのか己自身もわからなくなる。そんな気持ちにたまになったりする。
「私の場合は、悩みというより不安……からかな」
「不安?……ああ」
「今はもうほとんどないんだけどね。ここに来たばかりの頃はずっとそうだった」
フェイトの言いたいことに、彼らは納得した。
十四と、彼女の境遇は似通っているところがある。
天涯孤独になり、新しい家族に迎え入れられ、新天地で新しい人生を過ごしている。
そして同じように、高町なのはに救われたという事実。ある意味では、この二人は似たもの同士ではあるのだ。
「……フェイトの言いたいことはわかるが……。やっぱ違うな」
「そっか」
十四もフェイトの気持ちも理解できるところがあるが、そうではなかった。
確かに、ここに来たばかりの頃は同じような心持ちであった。それは否定しない。
そういったものがあの事件を引き起こした要因の一つにもなっている。不安が増幅すれば、暴走に繋がってしまうこともある。
──そんなに複雑ではない。複雑ではないはずなのだ。ただ、十四自身が難しく考えてしまっている。
「もっと、もっと単純なんだよな……」
口にしてみれば、もっと単純で陳腐なことなはずなのだ。
ありふれて、王道で、難しく考えないものであるはずなのに……。
悩みながら弁当のおかずを口に運ぶ。自分で作った卵焼きの味がまったくわからない。結構な力作のはずだというのに。
食欲が出たくらいには肩の荷が軽くなった。それでも、微妙なところである。
「……こうなったら、最終手段やな」
「最終手段?」
「今、十四くんを最もわかっとる人に聞く」
加添十四を誰よりもわかっている人物。そう思い浮かべば、思いつくのはたった一人。
十四以外の彼女たちが、『あ~』と納得する。彼女ならば、十四の抱えている悩みの一つや二つ、簡単に解決してしまうだろう。
「……なのはのことならダメだぞ」
「あら」
「どうしてよ。あんたのことを一番知ってると言ったらなのはじゃない」
加添十四を誰よりも知っているというのなら、高町なのはとクロノ・ハラオウンの二人に限られる。
生きる目的そのものであるなのは。師匠であり、十四の本質を誰よりも早く気付いたクロノ。この二人であるならば、十四のことを理解しているだろう。
クロノは管理局員として多忙な身。ハラオウン家に帰宅する機会は滅多にない。
ならば病院にいて、容態も安定してきているなのはに聞いた方が手っ取り早い。ならばこそ、彼女に聞くという案が出たのだ。
「もしかしてなのはちゃんとケンカしたの?」
「してない。してねぇけど……」
「けど?」
「どういうわけか俺が来るとふて寝すんだよアイツ。無理やり布団を剥がしたらすっげぇ睨んでくるしよ」
毎日の病院への訪問は欠かしていないが、十四が来る目的であるなのはの機嫌がここ最近悪い。
十四が来たとわかるとすぐに、なのはは布団にくるまって一切顔を見せようとしない。
十四にしてみれば、たまったものではない。拷問と同じである。彼女の顔を見に病室へとやってきているというのに、顔を見ることなく一日を終えてしまうなど、十四にとっては血を吐きかねない。
「……十四」
「あん?」
「アンタの悩みってさ、もしかしなくてもなのはのことじゃないの?」
アリサの言ったことは、この場の女性陣全員の心の内にあった意見であった。
十四が悩んでいる。なら、当然なのは絡みのことだろう。そう直結できるくらい単純な問題だった。
しかし彼女たちは『そこまで十四は単純バカではないだろう』と共通して考えていた。目の前に見えていた答えに尻尾を振らず、もっと別な内容なのだと裏をかいていた。
まさか。まさかとは思うが――。
「……ああ、うん!そうだよ!俺なのはのことで悩んでたんだ!」
得心したと言わんばかりにすとんとおさまった。はまらなかったパズルのピースを埋めたように、空白が埋めることが出来た。
十四の喜びようを見て、彼女たちは一気に脱力する。
「……やっぱりというか、なんというか……」
「ここまで……心配させて……」
「らしいと言えばらしいんだけど……」
「私ら見事にアホやん……」
まだ午後の授業を控えているというのに、彼女たちはずしりと重いものを背負った気分になるくらい、どっと疲れる。
……自分たちは、見事に道化であった。
普通なら、ここでやりきれない怒りがこみあげてくる。事実、彼女たちは絶叫の一つでも上げてやろうとすら思っていた。
「ありがとよ、気分が晴れた」
──だというのに、十四の見せた無邪気な笑みで礼を言われてしまえば……途端にそんな気が起きなくなってくる。
ずるい、と彼女たちは思う。そんな心からの言葉を送られたら、許したくなってしまう。
──加添十四という少年は、二面性がある不思議な子だ。
一見利己的で、辛辣な言葉を平気で言うようなところもあるが、その根底にあるのは必ず誰かのためにある。同年代の少年たちより大人っぽい、厳しくも優しい少年だ。
一方で負けず嫌いで、頑固で、純真で、単純なところもある、年頃の子供らしい所も見せている。
クロノは、かつて十四をこう称した。どうしようもないほどに、根っからの善である、と。
「十四」
「おう」
「今度一緒に行くわよ、なのはのお見舞い」
──少年は、笑顔で応える。