「……わっけわかんねぇ……」
その日の夕方、自分にあてがわれた高町家の部屋で、ベッドに寝転んで十四は悩む。
毎日の予習復習をしなければ、アリサには勝てなかった。最早習慣となっているそれも身が入らず、こうして勉強を投げ出している。
勉強と平行して行っているマルチタスクのイメージトレーニングも、今の十四はやっていない。これは非常に珍しいことである。
暇さえあれば……否、暇であろうとなかろうと、このイメージトレーニングを欠かす時はそれこそ就寝時以外ないほどに。十四は常日頃、常在戦場を心がけている。
自分がいつどこででも狙われ、殺されてもおかしくない故に。そうされるほどの恨みを買っている故に。
だから、あらゆる最悪を想定し続けている。自分のせいで、自分以外の大切が理不尽に被られないように。
しかし、今こそが加添十四の決定的な隙であった。
「どうすりゃいいってんだよ……」
十四がこうして隙を晒す原因となったのは他でもない、アリサの告白によるものであった。
アリサから、好きと伝えられた。それはいい。十四も、アリサのことは好きだ。そのことに嘘はない。
しかし、十四にとってみればその好きは友情からくる好意である。
……だが、アリサから告げられたそれは、本当に友情からくるものなのだと判断していいのか?
十四は、なのはのことが好きだ。曇りない事実で、今までも欠片の疑いを抱いてこなかった。
しかし、それは本当に親愛の情のみで占められたものであったか。何か別な感情が混じっていなかっただろうか。
迷いなく、なのはのことを家族として好いている。そう断言できる確信が、今の十四にはなかった。
「なのはの前で言うから、なんだってんだよ」
揺さぶられた自分に、畳み掛けられた最後の言葉。恐らく、今十四が頭を抱えているのはこれが決定的な原因だ。
自分に向けられたアリサの告白、それがなのはの前で再び告げられる。
後ろめたいことではない。だからなんだと言うのだ、と切り捨てられる。
切り捨てられる、はずだというのに……。
──どうしてこんなにも、胸の奥が痛い……?
「……ああ、もうクソ」
こんなに心乱れていては、勉強も鍛錬も、ましては戦闘も集中できるわけがない。
髪がクシャクシャになるほど頭を掻き毟り、こんな問題を押し付けたアリサを恨む。
負けた方が、告白する。この賭けの内容自体が、アリサが自分を優位にするために仕掛けたものなのだと、頭で納得しようとする。現に今、十四はこうして何にも身が入らない状態へと追い詰められたのだ。
なんてあくどいヤツだ、と十四は思う。全力で、手段を択ばない、掛け値なしの、切れる札全てを使ってでも十四に勝ちに来ている。
頭を切り替えよう。勝負であるなら、負けたくない。勝った負けたの後についてくるものなど、何も考えるな。
「――よしっ」
ベッドから起き上がって、十四は机の上に広げっぱなしだった勉強用具の前に座る。
シャーペンを握って、復習内容である日本史の問題集に挑もうとするが。
ペン先がノートに立ったまま、筆は走らず微動だしなくなっていた。
「――できるかぁっ!」
そして三分も経たずに、投げ出してしまう。
集中しようとすればするほど、あの屋上の場面がよみがえってくる。
十四の性格は、自分に嘘がつけず誤魔化せない。どこまでも自分に正直で、気になっていることが頭から離れにくい。自分を誤魔化そうとして勉強に打ち込もうとしても、脳裏に浮かんで集中を乱される。
そんな自分の性質を自分で理解しているからこそ、十四は困っている。己を十全に知っているから、どうしようもないことをわかってしまっているのだ。
「なんて女だよ、アイツは!悪女か!?」
ここまで。ここまで、厄介な敵は相対したことがなかった。
妖精事件で相対した彼ら……なのはたちや師であるクロノ、最後まで勝つことができなかった自らの兄とはまた違った意味での強敵。
アリサ・バニングスという少女に、十四はかつてないほど慄く。
「……やってくれる。とんでもねぇ女だ」
体を殺すのではなく、心を蝕む。それがはまるとどれだけ厄介な代物か。
アリサ・バニングス……自分が敵に回している相手が、どれほど手強いかを実感させられる。
「……負けねぇからな。ぜってー」
必至に、頭から離れない光景から目を逸らそうとして、机にかじりついて勉強する。
油汗を滲み出しながら悪戦苦闘する。
……いつもなら数十分で終わる内容が、その三倍の時間を要することになり。
やっとの思いで終わらせてすぐに、十四はそのまま疲れ果てて眠ってしまい。
──目を覚ました時には、朝日が窓から差していた。
「その結果がこれかよド畜生」
告白から数日後。集中を乱され数倍の労力を費やしながら、いつもと同じように勉学や鍛練をし続け、最後は泥のように眠る毎日を送り続けた結果……案の定、彼は倒れた。
原因はストレスの蓄積。その結果、身体が弱り続けて免疫が低下し、少し早い夏風邪になった。
高熱、だるい、気持ち悪い、喉の炎症、咳が止まらない。典型的な風邪の症状。人の肉体ではない、ティターニアの魔力体ではある十四の体だが、人のソレとは寸分違わぬ代物であるため、病気なども普通に発症する。滅多に病気にかからないくらいには丈夫であったと自負していた十四であったが、人である以上は病気にもかかるのである。
ブラウニーが使うことができるなら、こんな風邪は数秒で完治可能。そもそも風邪を引くこともなかった。常に最高最調の体を保つことができるから、疲労や病気、怪我すらも無縁なのである。
しかし、強力過ぎるレアスキルであるため、封印されている今は使うことは出来ない。
……使うことは可能ではあるが、封印されているという体裁を保つためには使わないことが最良。何より、十四自身が能力に頼りっぱなしというのが許したくないのである。
「あー、暇だ」
自分の部屋で横になり、勉強もマルチタスクのイメージトレーニングもできないまま、時間が浪費されていく。
額に熱冷ましのシートを貼り、枕元には水分補給用にスポーツ飲料が入ったペットボトルがある。
病気、そして怪我を負って寝たきりになるのは、十四にとってここ一年で慣れ親しんだものだ。しかし、暇なものはどうしようもなく、病人が最もすべき最良の選択はなにもしないということが頭でわかっているから困っている。
退屈で人は死ぬ。誰かがそんな言葉を言ったような覚えがあり、実際その通りと十四は同意する。
現時刻17時40分。そろそろ、もうなのはは塾に向かっている頃だろう。
暇であることは苦痛であるものの、彼女たちを巻き込みたくない気持ちの方が勝る。
いつだって彼は、
……部屋のドアノブが動く。ガチャリという開閉音が鳴るのを耳に届いて、出入口の方に視線を向けた。
「こんにちは、十四くん」
部屋に入ってきた意外な来客を見た瞬間、十四は驚きの表情に変わった。
「……見舞いはいらないって、なのはから聞いてなかったか。すずか」
「知ってるけど、知らない」
悪戯っぽく微笑みを見せる彼女――月村すずかに、十四はやれやれといった顔を浮かべる。
アリサとの勝負に勝ってからは、他の親しい女子にも名前呼びが常になった。区別する必要はないので、この際に統一することにした。
彼女は決して暇ではない。塾通いと習い事がある彼女は、ここへ見舞いに来る余裕はないはずである。
それに見舞いに来るというのなら、彼女一人で来たりしないだろう。フェイトやはやて、そしてアリサにも声を掛けるに違いなかった。
「話をしに来たんだろ?」
それも、なのはたちには聞かせる事ができない話題。すずかがここへ来る理由はそれくらいしか思い当たらず。
そしてその内容も、十四は予想がついていた。
すずかは頷いて、話を切り出す。
「アリサちゃんの告白、どうするの?」
「聞いてたか……」
アリサからの告白。すずかが一人で来た理由として、一番思い当たるのがソレだった。
この話は、十四とアリサの間でしか知らない事柄。すずかが知っているということは盗み聞きをしていたか、アリサ本人が話したのか。
だがこうして十四と二人きりで話をしに来たということは、すずかはこのことを誰にも話していないことを示していた。
「どうするもなにも、わかんねぇよ」
対抗できる手段がわかっているのなら、とっくに実行しているしこうして寝込んでいない。
自分のことすらわからないのだ。答えが出せるわけがない。
「俺だって、勝手にしろって思ってる。誰が誰を好き、なんざ勝手だ。俺もアリサのことは好きだし、嘘じゃないって誓える。けどよ、なんか違うんだ」
「違う?」
「……アリサが、次のテストで負けたらなのはの前で俺に告白するって言って……そっからなんだよ」
──自分の……なのはへ、アリサへ向ける情を疑うようになったのは。
なのはも、アリサも、十四は好きだ。変わらぬ親愛の情を貫く、そのことに一片の迷いも疑いもなかった。
しかし、なのはの前で改めて告白すると伝えられた時……十四自身にもわからない動揺が走った。
勝手にすればいい、そうあしらえる。あしらえた、はずだった。
「俺は、俺自身がわかんねぇ」
どんな心で、どんな感情で、どんな気持ちで。加添十四があの二人をどう思っているのか……わからなくなってしまった。
十全に知っていたはずなのに。自分がどんな男で、どんな体で、どんな性格で、何が出来て何が出来ないのか……事件を通して、やっとわかったはずだというのに。その自負が、自信が、打ち砕かれている。
変わり始めている。十四は、改めて自分をそう評する。少年から、大人へと姿を変えていこうとしている。
変わり始めている自分が……気味が悪い。自分が、自分でなくなってしまうのが、怖い。
いつかクロノが言っていた。『いつだって子供でいられない。時間は止められはしないんだ』と。時間が経つにつれて、今の自分でなくなっていく。
大切なものを大切と思えなくなっていく自分に、心から恐怖する。そんなモノは加添十四などではない。なりたくもない大人などに、なってたまるかと必死で抗う。
変えたくない。変わりたくない。時よ止まれと叫びたい。
「俺は、ずっとなのはとアリサを、好きでいたい。だけど、そう思えなくなってしまうのが、怖い」
そんな男に、なりたくない。そんな下郎に、なりたくない。そんな恥知らずに、なりたくない。そんな生きている価値を見いだせない奴になりたくない。
――そんな屍に、なりたくない。
心から恐れる、自分の変化。唯一絶対と信じていた感情を揺さぶられている。
今までにはなかった、自分でも理解できない情。それが、今の自分をゆっくりと壊していくのがわかってしまう。
「教えてくれよ、すずか。俺はどうなっちまう?もし、そんな風になっちまうなら、今度こそ……!」
――今度こそ、自分は自分を殺したくなってしまう。あの妖精事件を繰り返してしまう。
「……」
すずかは、十四の吐く心情の吐露を黙って聞き届ける。
事件が起きる前までの十四ではあり得なかった。強くあろうと、ガラクタの鎧で身を包んだ十四はここにはいない。
誰よりも
自分がもう、大切な誰かを壊そうとするのは死んでも許さない。自分だからこそ、何よりも厳しく糺していく。
そんな少年の弱音を聞いたのをすずかは驚き、同時に大きく喜んだ。
彼は事件以後、変わったのではなく戻った。家族を喪うその前に。そしてまた今、変わろうとしている。
それを極端に恐れているのは、また事件を繰り返してしまうのではないのかという強迫観念。変わってしまうことで、また大切な誰かを傷つけることを恐れている。
大好きだから、こんなにも思い悩む。心から好きと言えるから、身を病んでしまうほど自分を追い込んでしまう。
繊細で、弱くて、無垢で、こんなにも綺麗な心。一途に誰かのために悩む十四を、とても美しく思う。
そして彼にこんなに思われている彼女たち二人に、少なからず嫉妬を覚える。
「十四くん」
すずかには、十四を納得させられるだけの答えを教えられない。これは、自分で気づかなければいけない類いのものであるから。
それでも、十四にならたどり着けると信じている。
だから、すずかが伝えられることはひとつだけ。
「答えを、焦っても仕方ないよ」
「……!」
「少しでも早く答えを見つけたいのはわかる。苦しいのも知ってる。けど、それで焦っちゃだめだよ」
すずかの言ったことは、十四自身が一番知っているべき言葉であった。
決して焦らない。生き急がない。ゆっくりと考えていけばいい。事件後、悩み続けると決めた十四は、そう誓ったはずなのだ。
悩み続けろ。頭を抱え続けろ。思考を止めるな、考えろ。
あの事件で、本当に得たものは自分自身を知ることだけではないはずだ。
立ち止まること。悩み続けることだったはずだ。
それが加添十四に、確と刻まれたはずだろう。
どうしようもない馬鹿野郎を、命懸けで自分を助けてくれて教えてくれたことを、忘れたというのか。
「……そう、だよな。そうだった」
危うく同じことを繰り返すかもしれなかった。
忘れかけていたことを思い出してくれたすずかには、いくら感謝しても足りないだろう。
「ありがとよ。病気になったのも良い機会だから、じっくり悩んでみるよ」
焦らずに、急がずに。時間はまだまだ存在する。
即断即決を尊ばれることもあるが、悩める時は悩んどこう。
「私、塾があるから。お大事にね」
「おう」
良い、これ以上ないくらいの友達を持った。そんな自分は、とても幸せ者であると実感する。
月村すずかに、感謝を。心からの礼を。
「すずか!」
ドアノブに手を掛けた時、声をかけると彼女は振り替える。
十四は、最大限の友情の証として、この言葉を贈る。
「大好きだぜ、すずか」
彼女もまた、十四にとって大切な一人だから。こぼれ落としたくない宝石なのだ。
何の他意もない、最大の感謝の言葉のはずなのだが。
不意にそんな気恥ずかしいことを言われ、すずかは顔を真っ赤にする。
どうしてこの男の子は、何の恥ずかしげもなくそんなことを堂々はっきり言えてしまうのだろう。
「十四くん、女の子にそう簡単に大好きなんて言わないの!」
「……ダメか?」
「ダメ」
悪戯な弟をたしなめる姉のように、すずかは諭す。
十四にとって、女子に大好きと言うことに何の抵抗はない。異性というものを意識したことがないからである。
ならば、これくらいの助言はしてもいいだろう。
「十四くん」
「……ん」
「十四くんは、将来どんな人と――」
――どんな
「そう思える人だけに、そういうことは言った方がいいよ」
そう最後に残して、すずかは去っていった。
ガチャリ、とドアが閉じる音の後、沈黙が世界を支配する。
そしてまた、一人になった十四は彼女の言った言葉を反芻した。
――結婚したいと思える最愛だけに、大好きと言うべきだ。
「いや、結婚とか。小学生がわかるわけないだろ」
アハハと、乾いた笑いが続く。苦笑いから表情を変えられない。
口調が震えている。動悸が止まらない。心なしか、胸の奥が熱い。
結婚。けっこん。ケッコン。意味は知っている。大人の男女が夫婦の契りを結ぶことだ。常識である。
それをしたいだろう
ダメだ。目を逸らすな。すずかの伝えたいことはそうじゃない。
結婚とは何だ。理想の、相思相愛の男女が一緒にいると誓う儀式。幼い十四が考える結婚像はそういうものだ。
「……俺の、結婚したい相手……」
今の自分にそんなのいるわけがない。確かに身の回りの男女比は狂っていて、素敵な女の子や女性は数多くいる。そして誰もが、十四にとっての大切だ。
だが、結婚したいというのは別の話になってくる。
結婚をするということは、相手の人生を背負うということだ。誰よりも、共にありたいとすることだ。
そうしたいと、思う最愛がいるはずが――。
「……あ」
ふと、思い出す。
ずっと隣にいたい。ずっと一緒にいたいと、誓った人がいなかっただろうか。
――――これからの俺の人生全部くれてやる。その、責任くらい、取りやがれ。
――――行くか、なのは?婚前旅行。
「あ、あはは……」
じわり、と目元が熱くなる。頬が、灼熱の赤色に帯びていく。
落ちる涙が、ぽろぽろと滴になって布団を濡らしていく。自嘲と歓喜が入り混じった笑みと笑声が止まらない。
何だ。最初から知っていたじゃないか。
いつもいつも。簡単なことを……一番近くにあることを、わからなくなる。
あの時から、まったくというほど自分は成長していない。
だからこそ気づかせてくれた彼女たちに深く感謝する。かけがえのない宝なのだと、大きく喜ぶ。
「好き、だからかな」
好きだから、何も考えられなくなる。好きだから、夢中になる。
――好きだから、狂わされる。
愛とは、壊すこと。恋に落ちることは、壊されること。
加添十四は、高町なのはに壊された。粉々にされて、奪われて、蹂躙された。
惚れてしまった弱みに、とことんまでつけこまれた。
「どんだけ、俺を壊せば気が済む?」
考えてみれば初めて出逢った直後から、なのはに踊らされっぱなしだった。
なにもかもをなくした加添十四を、新しく生まれ変わらせ。
生まれ変わった十四を、狂気に奔らせ。
狂気に陥った十四を、正気に戻させ。
正気を取り戻した十四に、生きる理由を与えた。
「ホント、責任取ってもらわねーとな」
嬉々とした顔で涙を流しながら笑い。狂喜に包まれ、新に変わる自分を受け入れる。
ありがとう、すずか。ありがとう、アリサ。友であることを、誇らせてくれ。
――加添十四は、今この時をもって転生を果たした。
……いけない。Dies Irae聞きながら書いたら獣殿っぽくなっちった。
やっちまったぜw
今回はすずかに「めっ」って言わせたいがために書きました。
可愛いよね、すずか。Innocentでさらにかわいくなった。
すずかに注意されたい。しょうがないなぁ、って感じで甘えたい。
つか、なのはの五人娘って誰でもヒロインとして映えるから、困る。まるでハーレム物じゃね、これ。