そしてようこそシリアスタイム。
──気づいていた。俺は、知っていたんだ。
彼は、病院内の床を蹴るように走っていた。全力疾走する少年を看護士が注意して怒ろうとしても彼は聞く耳を持たない。
松葉杖をつく男、点滴スタンドを動かしながら歩く老人、白衣の医者、車椅子の少女……それらを全力で追い抜いて行って、目的地まで止まらない。
──知っていて、今回のコトを止められなかった。止めようとしたのに、止められなかった。
息が切れている……知るか。脚の筋肉に乳酸がたまってる……痛みがうるさい黙れ。肺が痛い……いっそ止まっちまえ。
全身からくる痛みの悲鳴。痛覚とは、体の警報。必要以上に体を痛めつけているという信号だ。
しかし彼はそんなことお構いなしに、体を責め続け苛め続ける。痛みなど、いくらでも我慢できる。走りを止めたければ脚を捥いでみろ。
階を昇るときはエレベーターでは遅い。階段で三段飛ばしながら疾走の勢いは止まらない。
──結局、止められなかったら意味ないじゃないかっ!
目的の場所の病室に止まり、躊躇いなく十四は扉を勢いよく開け放った。
「……俺は、俺は言ったぞ……!」
病室には一つのベッド。その上に横たわるのは、点滴と輸血で繋がれて、酸素マスクをしており、肌のほとんどを包帯で巻かれた少女。
その姿は見るだけで痛々しく、見ただけで危篤状態だとわかる。
かつて能力を持っていたせいで人体に詳しい少年は、体のどことどこか壊れているかなど見ただけで看破できた。
──こうなることくらい、わかっていたはずなのに。
「……お前の、自業自得だ、なのは!!」
少女の名を叫び、その気になれば傷跡も残さず一瞬で治すことができる力を持つ少年は、行き場を無くした怒りを拳で固めて病室の壁に叩き付ける。
指の骨にひびが入った。内出血もした。痛みが足りない、この程度では。
少しでも、少しでも心を誤魔化したい。体の痛みで、痛くて痛くて仕方ない心の痛みを誤魔化したい。
そうでもしなければ……涙が溢れて止まらなくなってしまう。
この涙は、無力の証明。何もできなかった。何もすることができなかった、己の罪の証。
この涙、この痛み、少年は一生忘れるなと己に刻む。
あの時と、逆の立場に立たされた。
少年は己の無力感を感じ、少女は己を貫いた末だった。
────時間は、少し遡る。
少女──高町なのはの体の異変に、少年──加添十四が気付いたのはとある雨の日のこと。
テスト前、アリサが十四に持ちかけたテスト勝負。その対策として、テスタロッサ家でなのは、フェイト、はやてといった魔導師メンバーと共に勉強をしていた。
理系のなのはとフェイト、文系のはやて、どちらも得意である十四と分野がはっきりしているため、互いが互いを教えあうことに不自由はしなかった。
特に十四は気合が入っていた。負けてしまえばアリサを始めとしたいつものメンバー……この一緒に勉強をしているなのは以外の二人の女子のことも名前で呼ばなければならない。
十四にしてみれば死活問題。ただでさえ、彼女たちが身近にいるせいで、この聖祥に転校してから男友達が出来ずにいた。
彼女たち五人は、同年代の男子たちにとって近寄りがたい存在である。
飛びぬけて優れた容姿はただでさえ別世界の住人と思うほどのものであり、彼女たちの仲睦まじさは非常に『絵』になるものである。
下手に水を注すより、遠い場所から見守りたい。近づいて可愛い女子と友達になるより、そうしたい欲求の方が勝るのである。
そうでなくとも、彼女たちにはオーラのようなものがある。それは決して魔法や超常の現象によるものではない。触れてしまったら、彼女たちが壊れてしまうような。ある種の処女性と神々しさが合わせ持っており、少年たちは彼女たちを無意識的に忌避している。
そういった意味では、十四は異常で特例的な存在である。彼女たちに選ばれた男子という、絵画の住人が現実の住人を攫ったような、加筆された部分。少年もまた、絵画の住人の一人になったのだ。
十四は何とかして、彼女たちとは一線を引いて男友達を得るべく必死になっている。
彼女たちは大切な友人だ。それは変わらない、変えたくない。しかしそれとこれとは別問題であり、十四も学校での同性の友人は欲しいのだ。
名前呼びが定着してしまえば、ますます男友達が作ることに難航する。それは避けなければならない。
「……なのに何で、お前ん家で勉強会やってんだろうな俺は」
心の中で考えていることと、現実で起きてしまっていることで明らかな食い違いが起きている。
ハラオウン家のマンションの一室。さらに言えば、フェイトの私室。ここでなのはとはやてと、この部屋の主であるフェイトと共に勉強会をしている自分が、十四自身がとても頭悪いヤツなんじゃないかと頭を抱えている。
浮かんだ言葉は本末転倒。男友達を得るために彼女たちと線引きをしなければならないのに、こうやってハーレム状態の勉強会をやっていては意味がないだろう。
「わがまま言わないの。私たちが今の十四を一人にしておけないの、わかってるでしょ」
「そうや、むしろ役得やろ。美少女三人に囲まれて勉強会なんて普通ないよ」
この勉強会の企画者、八神はやて。そしてこの場所の提供者、フェイト・T・ハラオウン。二人の言葉は尤もであったが、十四は受け入れることができない。
広げたノートと教科書から目を離さずに、シャープペンを走らせながらせめてもの文句を吐く。
「十年早いぞ。なんかこう、色々足りてない」
「宣戦布告と受け取ったわ。ええか、絶対に覚えておくんやで。私ら必ずナイスバディになるよ」
「期待しないで待ってるよ」
なのはもフェイトもはやても。あと五年もすれば女性らしさにあふれる体になっているだろう。そうでなくとも、普通に過ごしてさえいればとびっきりの美人になる。そんなことはわかりきっていることだ。
だが世間は、彼女たちを普通に過ごすことを許さない。むしろ、彼女たちが普通から逸脱していくことを望んでいる。
そして十四は、かつては何ものよりも人から逸脱していた。それ故に、普通であることの重要性が何よりも理解している。
本来、十四はこのように日常を享受することは許されない立場にある。魔法に触れてから僅かな期間であるものの、加添十四の名を知らしめる肩書きは複数存在する。
一つ目は、『マーダーキラー』。悪名を広く轟かせた十四の肉親を殺めた殺人鬼を、正当防衛として仇を討って殺した小さな英雄に贈られた名前である。殺人鬼殺し、という名称は十四本人を含めて彼に関わる者は快く思っていない。十四自身、事件が起きた当時のことは余りよく覚えていない上、触れたくも触れられたくもない、思い出したくない事柄である。
二つ目は『妖精事件の主犯』。先の渾名よりは知名度はやや低いが、加添十四という存在の危うさを決定付けた事件であり、彼が有している能力の危険性を証明した名前である。被害はほぼゼロ、結果としては万々歳で事が終わった事件であるが、管理局の上層部では加添十四の永久凍結をすべきだと過激な発言する者すらいる始末である。
加添十四は、力を持つ全ての者から狙われている存在である。
財力から。武力から。権力から。政力から。少年を囲い、手元に置こうとする勢力・組織・人物は後を絶たない。
そうなってしまえば、二十四時間、一切の自由を封じられ、監禁される生活だ。能力を利用され続ける毎日……簡単に予想できる。
故に、彼は提案した。自分が平穏に過ごすために。殺伐とした大人の戦争に巻き込まれないために。
──欲しけりゃ、やるよ。いるか?こんなクソッタレな力。
こともあろうに、能力の譲渡を声明に出した。管理局を始め、財界、政界、裏社会など見境なく。十四の能力の
能力が稀少だから、欲しがるのだ。だったらその価値を下げてしまえばいい。子供の考えであるが、これは予想以上の効力を発揮した。
それをやられて一番困るのは秩序を司る管理局。十四の力は巨万の冨を、強大な武力を、揺るがない権力を一度に手に入れることができる。そんなことがあらゆる場所で起きてしまえば、次元世界は混迷の極みに陥ってしまう。そして果てに起きるのは、古代ベルカの時代と同じ滅びの結末だ。
十四は己を次元規模の危険要素として管理局に認識させて、魔法と能力の封印を施された。
求められていたのは、あくまで能力。加添十四という少年一人には、何にも求められていない。中身を失った抜け殻に、何の価値も存在しない。
そして常に高ランク魔導師一人を半径五キロ以内に居させて監視兼護衛をさせる。この条件を満たして初めて、十四は日常を享受できる自由を得ることができた。
「……なのは、漢字間違ってる」
「えっ、どこ?」
「こことここ、あと文章の抜粋の部分も丸々違うからな」
国語の問題集プリントに悪戦苦闘しているなのはに、十四は厳しく指摘を入れる。解答は教えない。あくまで、自分で考えて導き出させる。
「しっかりしろよ。下手したらテスタロッサにも抜かれるぞ国語の成績」
日本人であるなのはが、異世界出身のフェイトに国語の成績で抜かれるのは正直どうかと思うところ。
小学三年生時にフェイトが転校してからかなりの勢いで日本語を習得していっているフェイトは、なのはとどっこいどっこいといったところである。
お互い似たような理系特化な成績であり、文系の問題となればボロボロになってしまう。
「数学なら十四くんにも負けないんだけどなー……」
「残念ながら、小学生までは算数だ。理系教科は俺らは全員、満点は決まってるみたいなものだろうが」
点数の上限が100点と決まって、さらには小学生レベルの算数と難易度も固定されているとなれば、彼らが満点を取れることはほぼ決定事項だ。
この場にいる全員が魔法というものに関わっていることから、理数系の分野に非常に強くなっている。魔法の構築、制御の術式は計算によって成り立っている。いくら多量に魔力を持っていても、術式を走らせる処理能力を持っていなければ宝の持ち腐れである。
「私はちょっと満点は難しいんやけど……」
「はやては元々文系だし、読書家じゃない」
「国語も社会も得意だからねー。アリサちゃんと同じくらいでしょ」
「総合得点じゃこの二人よりは高い。お前ら魔法も勉強も
「「えー」」
魔法も勉強も
十四の魔法の才は非常に恵まれていた。それこそ、天賦の才を持つ彼女たちと比べても謙遜のないくらいに。
魔力出力と容量で勝負する現代の魔導師に合致したニーズの才覚を持ちながら、技巧と技術でも一流の域に達しようとしていた。魔導師の杖であるデバイスを必要としないほどの処理能力を持ち合わせ、あらゆる特化型の得意技能と渡り合えるほどの技量、あらゆる状況に対応可能とする全局面対応型魔導師。後数年も経過していれば、その完成を見ていたはずであった。
魔法に関わる職に就く者であれば、何にでもなれる。武官、医官、技官、職を選ばない。誰もが羨む、理想的過ぎた魔導師だ。
その有り余る才能を、十四は躊躇いもなく投げ捨てた。
十四にとって、魔法は道具。妖精事件を経ても、この認識は変わらない。道具以上の価値を見出せない以上、足を引っ張る枷となるなら容赦なく捨てることができた。
己の人生に
「勉強頑張ってるかい、前途ある少年少女たち」
部屋に入ってきたのは、エイミィ・リミエッタ。手には人数分のジュースが入ったグラスが乗せられた盆を持っていた。
ハラオウン家とはもはや家族同然ような括りに入っている彼女は、本格的に家族になる秒読みまで迫っている。
「ありがと、エイミィ」
「どういたしまして」
礼を言って、それを返す。
勉強の邪魔にならないように彼女はさっさと部屋を出ていくが、その前に十四に呼び止められた。
「クロノから、連絡とか受け取ってない?」
「?ないよ。どうしたの」
「うんにゃ、なければいい」
引き留めて悪かったと手を振って返す。
クロノ・ハラオウンは十四の魔法の師。十四の使うことのできた魔法の大半はクロノから教え込まれた物であり、技能に重きを置いた戦闘スタイルもその影響にある。
オペレーターであるエイミィは相棒──というのは本人の弁であり、周りからはほとんど婚約者扱いをされている。彼の元へ嫁入りするのは時間の問題とされている。
「十四、クロノに用があるの?」
「あー。どうやら条件次第だが封印が甘くなるらしい。まだ曖昧だが、魔法がCランク程度までは緩和されるらしいぞ」
いつそうなるかは未定であるが、制限付きではあるものまた魔法を手にする可能性があると十四は話した。
十四の魔法ランクは妖精事件以前のデータで暫定AAランク。もちろんこの評価は、彼の持つ能力を除外されれて考慮されたものである。
三段階ランクが下がるとしても、魔法を使える。Cランクでも、基礎的な魔法であれば十分に運用ができる。十四の技量を含めれば、一部のAランクの魔法すら扱える可能性を持っていた。
少年の口から発せられた、再び魔法を使えるかもしれないという一報に、彼女たちの表情が明るくなる。
「そ、それ本当!?」
一番、喜びを露にしたのはなのはだった。魔法が使えなくなることに十四以上に残念に思っていたことから、この報はなによりの朗報であった。
一緒に、空を飛びたい。十四と一緒にあの青空を共に駆け抜けたい。空を飛ぶことに喜びを見いだしているなのはには、嬉しすぎる報せであった。
十四にとっては、魔法が使えようが使えなかろうが大して重要ではない。選択肢がほんの少し、枝分かれするだけのことなのだから。
今、魔法を一生涯の物にするのかというのは決めない。選択を、即決で決めたりしない。
悩んで悩んで、散々悩んだ末に決めると決めたのだ。急ぎ過ぎたりしない。焦っても、何も良いことなんてありはしないのだ。
幸い、充分なほど時間はある。その時間に悩み抜けば良いのだ。
「つっても、予定だぞ。そうと決まった訳じゃない」
とは言うものの、十四の顔には若干の笑みが浮かばれていた。
十四は、なのはが好きだ。無論、恋愛感情はない。恋というものを理解できるほど心が成熟していない。
なのはの見せる表情が、何よりも好きなのだ。喜んだ顔、怒った顔、哀しんだ顔、楽しそうな顔……どの表情も、十四の心を揺り動かす。
なのはという少女のために、十四は生きている。そう断言しても過言ではない。
一度、全てを失った十四にとっては、彼女は少年にとって生きる理由そのものである。それほど、十四はなのはにべた惚れしていた。
そのなのはが、一番いい顔をするのが空を飛んでいる時だった。
少女の一番そばで、青空を背景に最高の顔を見る。そうするのもありかな、と十四は思うのだ。
「フェイトちゃん、問3と問7が違うよ」
「えっ、そうなの。えっと……」
フェイトは自分の消しゴムがなのはの傍に転がっているのを見つけた。
なのはがフェイトの消しゴムに手を伸ばしたが、同時にフェイトの手がなのはの手に触れた。
あはは、と笑い合う少女たちの姿はとても微笑ましい。
──その一瞬。その一瞬を、十四は見てしまった。
フェイトの手がなのはに触れた時、ほんの僅かな間であったが……なのはの顔が強張ったように見えた。
……何に、強張った?
「……」
ほんの少し。ほんの少しの疑念。本来ならば気にせず流してしまうような、心の中の小さな疑い。
しかし、その疑念が確信に繋がる要素を、十四は知っている。
気づかれないように、自分のジュースの中に入っている氷を二つ取り出して手に握る。
少しずつ、氷を手の温度で溶かしていく。右手でシャープペンを走らせて、左手で握りこんで氷を隠し通す。
手頃な大きさになったときに、一旦ペンを置いて、両手に氷を隠し持つ。
──狙いは、頬。発射は同時に。
両手の親指で弾かれた二つの氷は、速くも遅くもない速度で思った以上の精度で目標の場所に吸い込まれていく。
簡単な氷の礫。当たっても大して痛くない上に、
本来、であれば。
「ひゃっ」
「っ!」
悪戯の標的にされた、なのはとフェイト。その反応は対照的だった。
不意に氷が当たって冷たい思いをしたなのはと、反射的に氷を掴んだフェイト。
弾いた氷の速度はほぼ同速度。距離の差はない。間違いなく、二人の不意をついた。
その上で、この結果。なら──。
……これで、十四の中の疑念が確信となった。
「コラ、十四。いきなり何?」
「二人とも、そのページの最後の問題がやってねーんだが。わかんねーからって、飛ばすのはないぞ」
「「うっ」」