東方美影伝   作:苦楽

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悩みに悩んでこうなりました。
この話は多分、かなり手を入れると思います。

誤字脱字、文章、構成、内容についてご意見をお願いします。

2013/02/16 タイトル変更、表現一部修正しました。


レミリア・スカーレット溜息をつき、伊吹萃香心地よく目覚めること

「鬼は、人を騙したりなんかしないのにっ!」

 

 痺れる身体を叱咤してそれだけをなんとか言葉にして、想いと共に叩き付けた。

 

「勅命故、許しは請わん」

 

 錆びた声が、鋼の意志を伝えて寄越す。目が霞んで逆光になった男の顔が見えない。振り上げられた刀が光を反射する。

 

「御首級、頂戴致す」

 

 

「薄いけど、良い酒だ」

 

 伊吹萃香は一つだけ空けられていた席に着き、フランドール・スカーレットと名乗った金髪の少女から受け取った玻璃の酒杯を一気に干した。葡萄の風味、甘み、酸味、渋みが口から鼻に抜けると共に、酒精が喉を滑り降りていく。

 

「名乗り遅れたね。私は伊吹萃香。鬼さ」

 

 自分の名乗りにも、蒼髪の少女と金髪の少女は驚いたような顔を見せない。その事に萃香は少しだけ気を良くした。中々どうして新参の妖怪にしては肝が据わっている。なにやら大きな異変を起こしたというのも頷ける話だ。これなら久しぶりに楽しめるかも知れない、その思いが萃香の笑みを大きくした。

 

「それで、その鬼の伊吹萃香殿は我が紅魔館に如何なる用件で滞留しておられたのか?」

 

 霧になった自分を見抜き、鬼の名乗りを受けてなお微塵の畏怖も恐怖も、緊張すら見せることなく、レミリア・スカーレットと名乗った蒼髪の少女は口にした。

 

「んー、こっちに出てくるのは久しぶりでねえ。彼方此方見て回ってたんだけど、お陰であんたらみたいな面白いのに出会えた」

 

 鬼には及ばないが、中々の「格」だろう。萃香はそう評価し、賞賛した。地下の力が全てという世界も悪くなかった。だが、あそこではもう真剣勝負に応じてくれる相手が居ない。萃香が態々見限ったはずの地上に出てきたのは、新しい出会いと勝負を求めての事だった。この新顔達なら。

 

「どう? 私といっちょ本気で勝負してみない?」

 

 

「いいよ。それでカードは何枚にする?」

 

 フランドール・スカーレットはポケットのスペルカードを取り出して見せた。「鬼」の萃香は強者だろう。あの巫女の時のように楽しめるかも知れない、という期待を込めながら。

 

「何だよ、それ。私は本気の勝負って言ったのに」

 

 だが、返ってきたのは失望を滲ませた言葉と、嫌な感じの視線だった。何か自分はいけないことをしてしまったのだろうか。助けを求めて姉の方に視線を向け、フランドールは姉が悲しげな視線を伊吹萃香の腰に付いた瓢箪に向けて小さく頷いたのを目にした。

 

 

 ──やはりこうなったか。

 

 レミリア・スカーレットは内心で溜息をついた。「視えていた」とはいえ、実際にその場面になるとどうしても気が重い。だが、これもこの幻想郷にスペルカード・ルールを普及させるのに必要なことなのだろう。レミリアはそう「運命」と折り合いを付けて口を開いた。

 

「貴殿は誤解しているようだが、我々にとって『本気の勝負』というのはスペルカード・ルールに基づいた『決闘』なのだ。能力を使ってしまっては」

 

 レミリア・スカーレットは叶わないと知りつつ願った。自分達の気持ちが目の前の剛力で、頑健で、汎用性の高い能力を持った「鬼」という妖怪に通じるように、と。

 

「勝負にならない」

 

 

「はっ! とんだ臆病者の嘘つきだね!」

 

 伊吹萃香は激昂して立ち上がった。今度こそ真剣勝負を楽しめると期待が膨らんだ分、裏切られた失望と憤りは大きかった。博麗の巫女が考案し、八雲紫が勧めているというスペルカード・ルールと「弾幕ごっこ」など、萃香にしてみれば弱者保護のための題目、遊戯としか思えなかった。

 

 ──全身全霊を賭して、全ての能力を最大限に引き出して相見えるのが鬼にとっての真剣勝負。その申し込みに児戯で答えるばかりか、その言い訳に嘘をつくとは! 

 

「霧になった私を見抜いたからには少しは骨が有るかと思ったけど、嘘をついて真剣勝負を逃げるようじゃ!?」

 

 そこまで口にして伊吹萃香は席を擦り抜けて飛び退った。一瞬で酔いが醒め、慄然として席に着いたままの吸血鬼の姉妹に視線を送る。存在を散らして警戒していた自分に、予兆も、気配も感じさせることなく伊吹瓢を消して見せた相手。霧化して腰に付けていた鬼の力にも耐える自慢の瓢は跡形もなく消滅していた。

 

「こんなものが貴女にとっての真剣勝負なの?」

 

 漸く山の端から姿を現した細い月の光に照らされて、悲しげにフランドール・スカーレットと名乗った少女はそう口にした。軽く握りしめた右手をテーブルの上に乗せたままで。

 

「フランの能力は『ありとあらゆるものを破壊する程度の能力』なのだ。その気になれば霧になったお前はもちろん、あの月や、この大地──星そのものだって破壊出来るだろう。お前が身に付けていた瓢箪のようにな」

 

 静かに、レミリアが告げた。そのまま萃香に視線を合わせる。

 

「だが、我々はそんなものを勝負だとは思わん。一方的に相手を壊せば勝ちなのか? 星ごと相手を壊せば勝ちなのか? そんな真剣勝負とやらに何の意味がある? 行き着く先は破滅でしかないのに」

 

 内に滾る激情を秘めた真紅の瞳と、対照的に淡々と紡がれた言葉は萃香を貫いた。能力まで用いた真剣勝負を望んだ自分に「弾幕ごっこなら」と姉妹が答えた理由を萃香は理解した。

 

「立ち去るがいい、鬼よ。此処にお前の望むような真剣勝負は存在しないのだから」

 

 レミリア・スカーレットの厳かな言葉に圧されるように、伊吹萃香は自分を散らした。

 

「太陽の畑にいる幽香なら貴女の相手をしてくれると思うよ」

 

 途方も無く危険で、優しい存在の声を聞きながら。

 

 

「あれで、良かったのかな」

 

 霧と化した鬼が去って行くのを見送りながら、フランドール・スカーレットはそう呟いた。あのひとの大切な物を壊してしまった。その思いがフランドールに重くのし掛かる。あの瓢箪を「壊した」時に感じたものは、あの桜の「力」を「壊した」時のものとは全く違っていた。

 

「それはこれから成り行き次第ね。でも」

 

 答えは姉からではなく、予想もしない空中から降ってきた。

 

「紫……」

 

 フランドールが見上げた空中に開いた隙間から、「妖怪の賢者」が音も立てずにテーブルの脇に降り立った。

 

「有り難う」

 

 そのまま、フランドールに向かって頭を下げる。

 

「鬼はとても誇り高くて頑固な種族。言葉だけで納得させることは誰にも出来ないでしょう」

 

 八雲紫は頭を上げて痛ましげに伊吹萃香の去った太陽の畑の方角を見つめた。そう、幾度となく騙されて、失望して幻想郷を去った鬼を言葉だけで説得するなど、萃香の友人である紫をもってしても不可能だろう。

 しかし、だからこそ紫は信じている。今の幻想郷とその住人達が、伊吹萃香──鬼を動かすことを。

 そして、その最初の切っ掛けが、「世界と共に持ち主を焼いた神器」を表すスペルカードを持つ、誰よりもスペルカード・ルールを必要としている存在によってもたらされたのだ、ということも。

 

「フランドール・スカーレット、貴女の行動は必要なことだった。私はそう思うわ」

 

 ──そう、萃香のためにも、幻想郷のためにも、きっと。

 

 

 風見幽香は太陽の畑の北の外れに立ち、花が咲くように顔をほころばせた。花達を怯えさせる風に乗って流れてくる戦いの気配、伝わってくる怒りと破壊の衝動が彼女を楽しませる。

 

 彼女はゆっくりと口を開き、今夜の相手に相応しい挨拶を紡いだ。

 

 

 伊吹萃香は煮え滾っていた。霧と化し、太陽の畑へと風を巻いて奔る間にも。激情が萃香の身体を中から押し破ろうとする。

 

 ──格下だと思っていた。臆病者の嘘つきだと思っていた。その相手に自分は気圧され、言葉を返すことも出来ず、あまつさえ──畏れを感じたのだ。今も彼女達の言葉に従っている。この、鬼の伊吹萃香が。

 

 やり場のない怒りと破壊衝動が、萃香の中で出口を求めて暴れ回る。

 

 荒れ狂う激情を抱えたまま、萃香は嵐のように空を駆け、果てしない苦行の果てに辿り着いた太陽の畑で、

 

「風見幽香よ。名乗りなさい、臆病者。相手をしてあげるわ」

 

 伊吹萃香は噴火した。

 

「伊吹萃香っ!」

 

 もはや名乗りではなく、咆哮と共に萃香は丈の伸びてきた向日葵を背後に従える、楽しげな笑みを浮かべた長身の影に躍りかかった。

 

 

「っ!」

 

 射命丸文は身体を強張らせた。風が運んできた、南へ向かう怒りと激情の塊の気配を感じ取って。それは、天狗にとって可能ならば記憶の彼方にのみ仕舞っておきたい存在。

 

「帰って来たというんですか、鬼が」

 

 ──しかも怒り狂って

 

 文は一つ身体を大きく震わせて、風に乗って気配を追った。遠くに見える田中神社を後にして、身体の震えが恐怖なのか武者震いなのか自分でもわからないままに。

 昼間から追い続けていた謎の外来人の存在は文の脳裏から消えていた。

 

 

「このっ、妖怪風情がっ!」

 

 萃香は吠えた。風見幽香と名乗った獲物を、萃めて引き寄せ、渾身の力を込めた両腕を叩き付ける。萃香の能力故に、躱すことも威力を殺すことも出来ないはずの一撃は、笑顔のままの幽香の手によって、軽々と逸らされて空を切った。

 

「ぐっ!」

 

 返礼とばかりに無造作に突き出された幽香の掌底は、霧と化した萃香を打ち据えた。身体でも精神でもなく、萃香自身を。

 

「なんで、私の拳は当たらなくて、お前の拳ばかりが当たるんだよ!」

 

「何でも何も、相手とまともに向き合ってないのに勝負になるわけがないでしょう」

 

 空中で距離を取って思わず口から漏れた萃香の言葉に、呆れたように風見幽香は応じて見せた。

 

「相手を相手として認めて、同じ土俵に立って、相手をきちんと見ないと勝負にならないのよ」

 

 その言葉は、先程の一撃よりも鋭く萃香を撃った。それは、鬼を頂点とする自分の価値観──格付けの否定。

 

「この私に、鬼に、戦う前から相手を同格の相手として認めろと?」

 

 萃香の言葉に、幽香は微笑して見せた。

 

「鬼がどれほどのものか知らないけれど、スペルカード・ルールから逃げた貴女は」

 

 残酷なまでに優しく。

 

「同じ土俵にすら立てていないでしょうに」

 

「うわぁぁぁあああああ!」

 

 頭が真っ白になる感覚と共に、伊吹萃香は突進した。

 

 

 射命丸文は息を飲んだ。文の視線の先で起きていることは、酷く滑稽に見えて、その実恐ろしいことだった。

 青々とした向日葵の畑を背景に、空中に佇む風見幽香を殴り、引き裂き、咬み千切る双角の鬼──かつての妖怪の山の四天王──伊吹萃香。

 笑顔のまま、萃香のなすがままに殴られ、引き裂かれ、咬み千切られながら瞬時にその身体を元に戻し、無造作に萃香に一撃を加えて萃香の存在自体を揺るがす風見幽香。残酷な妖怪の戯れのような光景はいつ果てるともなく続き、次第に「鬼」の存在が薄くなって行く。

 

 

(昔、鬼と人間は人攫いと鬼退治という信頼関係で結ばれていた。それを裏切ったのは人間だ!)

 

 幽香の腹を抉って訴える萃香に、幽香は冷徹に胸への突きで返す。言葉に依らない、残酷な対話。

 

(それは本当に信頼関係だったのかしらね。鬼の一方的な思い込みでなかったと言える?)

 

(人を掠う時だって、鬼はちゃんと勝負してた。勝負に負けた人間を掠ったんだ!)

 

(きちんと説明して、同意を得てから勝負したの? 脅しではなくて)

 

(それは、鬼を恐れた人間が仕方なく受けたこともあったさ。でも、それは鬼が強すぎるからやむを得ないことなんだ)

 

(その強い鬼が何故嘘をつかれ、裏切られたくらいで人間から逃げたのか聞きたいわね。鬼の「強さ」というのは腕っ節と身体の頑丈さだけなの?) 

 

 萃香の動きが止まった。言い返したくて、伝えたくて、でも、その言葉は萃香の奥底に留まっていた。

 

 ──嫌なんだ、信じていた相手に裏切られるのは。辛いんだ、好きな相手に嘘をつかれるのは。だって、自分達は、人間が好きだから──

 

「もう一つ、貴女の好きな真剣勝負とやらを続けたらね」

 

 風見幽香は静かに言葉を口にした。

 

「続ければ続けただけ相手が減るのよ」

 

 ──それは、鬼達が密かに抱いてきた恐怖。「真剣勝負」がお互いの全てを出し尽くした命のやりとりであれば、勝てば勝つ程相手が減っていく。鬼と真剣勝負するような勇者や強者はそう簡単に現れるものではないのだから。

 だからこそ、逆に「真剣勝負」に重きを置いた。徐々に忍び寄る破滅から目を背けて、「真剣勝負」の価値を高めて、何時か自分が体験出来るようにと。

 スペルカード・ルールに反発したのも、それがますます「真剣勝負」を駆逐すると思ったから。

 

 しかし、その「真剣勝負」の先に在るものを、あの悲しい目をした少女が、否応もない形で自分に突きつけたのだ。

 

(「こんなものが貴女にとっての真剣勝負なの?」)

 

 フランドール・スカーレットの言葉が、伊吹萃香の心の奥で谺していた。そして、萃香は何故自分が反論もせずにあの場を去ったのか、畏怖を感じたのかを理解した。

 

 自分は、あの少女に象徴される、スペルカード・ルールが統べる「幻想郷」が、自分達がそれを受け入れて変化することが、──恐ろしかったのだ。

 

「そんな当たり前のことから目を背けてる姿が」

 

 風見幽香は、ゆっくりと右手を伸ばして掌を萃香に向けた。

 

「まるで、昔の私を見ているようで目障りなのよ」

 

 最後の一撃と共に、伊吹萃香は闇に沈んだ。

 

 

 射命丸文は呆然と目の前の光景を見つめていた。風見幽香が翳した掌から放った光の柱が伊吹萃香を飲み込み、光が収まった時には鬼の四天王は力なく大地に倒れていた。

 

「殺した……の?」

 

 文は、恐る恐るそう呟いた。自分達天狗の畏怖の的であった鬼が地に伏せている。それは有り得べからざる光景であり、文は自慢のカメラを構えるのも忘れて静止していた。

 

「随分と手荒くやったものね」

 

 その、文の硬直を解いたのは、新たな声だった。風見幽香の傍らに現れた、隙間から身を乗り出して見覚えのある壺を抱え上げた「妖怪の賢者」は、呆れたような口調でそう言った。

 

「昔の自分を見ているようで、少し力が入ったのよ」

 

 風見幽香は、まるで翌日の天気の話をするように平然と返し、射命丸文はそんな二人の大妖の態度に恐怖した。

 

 ──この二人にとって、「この状況」はその程度の意味しか持たないのか。

 

「さ、早く萃香を入れて。……貴女も診て貰った方が良いわよ」

 

「お言葉に甘えるとしましょうか」

 

 「四季のフラワーマスター」が伊吹萃香の身体を抱え上げると、「妖怪の賢者」が壺を翳し、

 

「えっ?!」

 

 伊吹萃香と風見幽香の身体は文の視界から消え失せた。

 

「ま、待って!」

 

 八雲紫は射命丸文を一顧だにすることなく隙間の中に姿を消し、その隙間も閉じて後には、風に揺れる向日葵と、山の端に姿を消そうとする月と、呆然とする射命丸文だけが残された。

 

 

 ──伊吹萃香は夢を見ていた。ある人間の男の夢を。その人間に取り憑いたように。

 

 男は平安の都に、武家貴族の長男として生まれた。男の父親は武家としては高位の鎮守府将軍にまで上り詰め、諸国の受領を歴任したやり手であったが、それだけに灰汁も強く、出世のためなら手段を選ばないところがあった。

 

 男が二十歳を過ぎた頃、男の父親は己の立身出世のために、己の政敵を陥れ、上司を裏切って密告した。父親の上司は太宰府へ左遷され、父親はその功で昇進したが、男は密かに心に期した。

 

「俺は父親のようにはなるまい」

 

 萃香も男に共感した。そういう卑劣な行為はしてはならない。男が二十五歳になる頃、男の父親はあまりにも恨みを買いすぎて、邸宅を武装した集団に襲撃され、白昼堂々と焼き討ちまで受けたが、男と萃香はそれを醒めた目で見ていた。

 

「あれ程のことをしていれば、我が父ながら自業自得であろう」

 

 男の言葉に萃香も頷いた。男も武家貴族の一員として出仕し、父親の縁から藤原氏に仕える形で年を重ねていた。下げたくもない頭も下げ、貴族の我が儘に振り回されたが、「父親のようにはなるまい」という意志だけは持ち続け、後ろ暗いことだけは断り続けた。

 萃香も、そんな男と初めて間近で見る宮仕えというものを興味深く観察した。

 

 やがて、男も妻を迎え、子供が生まれた。萃香にとっても自分が家族の長になり、子供を持つというのは初めての経験だけに、男の子供達に夢中になった。子供が笑うのを楽しみ、泣くのに困り、病になると狼狽えた。男は子沢山だったから、萃香もその分、幸せな気分になった。

 

 男は沈着冷静で剛胆な気質が認められて昇進し、四十を過ぎた頃から権力者の藤原道長に気に入られ、道長の庇護の下で昇進を重ねた。父親と同じように受領を歴任して財を蓄え、それを惜しげも無く道長に還元して信用を勝ち得た。赴任先からも妻や子供達に手紙を書き送り、それに和歌を付ける程の子煩悩の教養人でもあった。

 萃香には和歌は合わなかったが、家族を思う男の気持ちは良く理解出来た。男の子供達が元服し、あるいは髪を結って巣立つ時には、萃香も喜び、別れに涙した。

 

 男は武家らしく武勇にも長け、藤原氏の命により土蜘蛛を始めとする様々な妖怪を正面から挑んで退治した。安倍晴明らと共に道長の命を救ったこともある。萃香は、男の武勇を好ましく思った。

 

 やがて、男も老いた。若い時から鍛え上げた身体は病を寄せ付けなかったが、朝夕射る矢は昔程飛ばなくなり、闇夜で盗賊を見つけた目は書見に苦労するようになり、馬に乗るのも、刀を振るうのも少しずつ辛くなっていった。

 萃香は、初めて人の老いというものを理解した。息子達も妻を迎え、娘達は嫁ぎ、このまま静かに穏やかに別れの日を待つばかり、そう思っていた萃香は驚愕した。

 

「私に、大江山の鬼を討てと?」

 

 自宅に勅使を迎えた男は、久しぶりに衣冠束帯して平伏した。慎んで詔勅を承った後、男は勅使にそう問いかけた。

 

「左様、関白殿への献上品が奪われるようではもはや捨て置けぬとの御上の仰せであり、この任を任せられるのは、左馬権頭殿以外に居られぬと」

 

 萃香は呆然とした。初めて男が何者であるかを理解して。男は詔勅を受けた。元より他に選択肢などはなかった。息子、娘、孫達一族や、一族と主従関係にある全ての人々のため、男は別れの水杯を酌み交わし、老いた弟や同じく老いた郎党を従えて鬼を退治するために屋敷を後にした。

 

 男の武勇と人柄を惜しんだ石清水八幡宮・住吉大社・熊野大社の三柱の神から神便鬼毒酒と兜を授かった後、男は静かに口を開いた。

 

「朝恩に報いるため、儂はこれより畜生以下の所業に手を染めねばならぬ。山伏の姿を借り、酒食を共にした相手に毒を盛り、その寝込みを討つなど天地に許されざる行いよ」

 

 そこで、男は一座を見渡した。

 

「故に、ここからは儂一人で行く。皆はここに留まれ」

 

 その言葉に、老いた郎党達と男の弟は泣いた。全員が、男が今まで如何に卑劣な所業を嫌ったのか知っていた。そして、全員が自分も共に罪を犯すと言って聞かなかった。

 

 伊吹萃香は声を上げて泣いた。男の事を知ってしまった今、どうして以前のように男を嫌うことが出来るだろう。憎むことが出来るだろう。

 

 嘘は嫌いだ。偽りも、騙し討ちも許せないことに変わりはない。

 

 しかし、人間の側にもそうせざるを得ない事情があることを、伊吹萃香は実感した。身を切られるような切なさと共に。

 

 

 あの瞬間、最後の太刀が急所を逸れたのか、それとも逸らしたのか。男を見続けた萃香にも終にそれはわからなかった。男は鬼を退治して都に戻り、それから三年程して亡くなった。最後の刻まで、息子にすら鬼退治の詳細については語ることなく。

 

 

 伊吹萃香は大きく伸びをして目を覚ました。見覚えのない和室に敷かれた布団の中で。何か長い夢を見ていたような気がしたが、その中身は思い出せそうになかった。 ふと気付くと頬が涙で濡れていたが、気分はかつて無いほど爽快だった。

 開け放たれた障子からは朝の光が差し込み、どこからか味噌汁と米が炊ける匂いが漂ってくるのを感じて、萃香は微笑した。

 

 ──今日は良い一日になりそうだ。




伊吹萃香さんのお話でした。
東方で一番よくわからないキャラクターなんですよね、この人、鬼ですけど。
出てくる作品、台詞を読めば読む程わからない。
萃夢想の台詞と儚月抄と茨歌仙読んでどうしようかと思いました。

そして、わからないなりに考えて、こういう話になりました。
個人的には、勇儀姉さんの方がわかりやすいです。

割りと笑ってスペルカード・ルールに乗りそうな気もしたんですが、それだと不満を抱えたままのような気もします。うん、わからんです。萃香さんファンの方のご意見をお待ちしております。

こういう内容ですので、批判酷評ウェルカムです。何か心に引っかかる点などありましたら、存分にお寄せ下さい。

個人的に、妹様が最もスペルカード・ルールから恩恵を受けるキャラクターだと思っております。あのルールが存在しない幻想郷では最優先抹殺対象でしょう。次点は幽々様ですかねえ。

おぜう様は妹様の安全装置かなあと。二人はドラキュラ、ということで、基本的に活躍は二人セットです。

源頼光さんについてはウィキペディアとか見て頂くとわかりますが、大江山の鬼退治の元になった匪賊退治は死ぬ三年前の1018年の出来事です。生年は説が分かれてますが、若い方を取っても年金支給年齢を過ぎてます。

こんな爺さんに鬼とガチ勝負しろってどう考えても無理なので、金時神社の伝説とかは大幅に前倒しにして990年の出来事にしてますが、この年は藤原定子が入内したり(慶事は死穢を嫌います)、藤原兼家(道長の父ちゃん)が死んだりしてるので、多分鬼退治どころじゃなかったような気がします。

東方視点だと割を食う人なんですが、教養人であったり政界遊泳も親父さん程阿漕じゃなくて上手くやってたりと、結構個人的には魅力的な人物じゃなかったかと思います。

それでは、次回は萃夢想本編に入るかと思います。

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