東方美影伝   作:苦楽

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2013/02/17 0:30 ご指摘を受けて誤字を訂正しました。


百聞より一見を望んで稗田阿求足を運び、博麗霊夢他人に主役を譲ること

「よくやるねえ」

 

 河城にとりは呆れたように呟いた。今日も天狗の領域にほど近い妖怪の山の渓谷で、弾幕が交差する。

 

 それまでと異なるのは──

 

「山窩『エクスペリーズカナン』!」

 

 上を取った白狼天狗を中心にした弾幕の渦が広がりながら周囲に放たれ、一拍遅れて放射状に弾が射出される。

 それに対するは半身たる人魂を引き連れた剣士。

 

「符の弐『心眼迷想斬』」

 

 脇構えに構えた長刀から青白い光が吹き上がり、弾幕の渦を切り裂いていく。弾幕を切り裂いたところで光の刃は力尽きたように消え、

 

「両者スペルカードブレイクで引き分けだな」

 

 決着を告げたのは、エプロンドレスと鍔広帽を身につけた普通の魔法使い。

 

「風見幽香にぎゃふんと言わせ、パチュリー・ノーレッジにむきゅーと言わせる会」は参加者が増えたのだ。

 

「世の中には物好きがいるもんだ」

 

 河城にとりは首を振りながら、滝の方へと向かった。三人分の水を汲むために。

 

 

「魔理沙、彼女は本当に弾幕勝負の初心者なのか?」

 

 犬走椛は信じられないと言ったように尋ねた。

 

「ああ、この前が初陣と聞いたぜ?」

 

 霧雨魔理沙は答えながら視線を椛に続いて舞い降りてきた魂魄妖夢に向ける。

 

「はい。人を相手にしたのはついこの前の異変が初めてです。それも、風見幽香と魔理沙を相手に二戦しただけで」

 

 生真面目に答えた魂魄妖夢に椛は笑顔を向けた。

 

「それにしては大した物だ。私もうかうかしては居られないな」

 

 近寄って右手を差し出す。

 

「白狼天狗の犬走椛だ。妖怪の山の哨戒役を務めている。よろしく頼む」

 

「魂魄妖夢です。冥界の白玉楼の庭師兼剣術指南役を務めております。よろしくお願いします」

 

 妖夢は紅葉の手を握り、お互いに手の剣だこに気付いて笑みを大きくする。

 

「やれやれ、二人とも剣術使い同士の上に風見幽香が相手だから、私だけ除け者だぜ」

 

 魔理沙がそのやりとりを見ながらおどけてみせると、妖夢は慌てて口を開く。

 

「いや、そんなつもりは」

 

「からかわれてるだけだよ。私は河童の河城にとり、よろしくね」

 

 にとりは声をかけてから、三人に湯飲みを手渡して、竹筒から水を注ぐ。

 

「私から言わせると、三人とも同類だよ。朝から弾幕ごっこに夢中になるなんてさ」

 

 にとりは礼を言って水を流し込む三人に呆れたような視線を向けた。

 

「まあ、そう言うなよ。私はこれで異変を解決してるんだからな。回り回って幻想郷やにとりの為になってるんだぜ」

 

「あー、確かにねえ。天狗の新聞で読んだけど、この前の春雪異変を解決したんだって? 流石に冬が続くと困るからねえ」

 

 にとりは魔理沙の言葉に頷いて見せた。

 

「申し訳ありません」

 

 頭を下げる妖夢に、にとりは慌てて手を振って見せた。

 

「ああ、もう終わったことだしね。気にしなくていいよ。大体、食事や酒をたかっていくそこの魔法使いの方がよっぽど困りものなんだから」

 

「それはさておき、妖夢、お前なんか修行でもしたのか? 私と対決した時より強くなってるように思えたんだが」

 

「それは私も聞きたいな。正直に言えば、最近、どうも伸び悩んでいる気がするんだ」

 

 魔理沙の言葉に、椛が食いつく。

 

「いえ、修行という程のことはありませんが」

 

 妖夢は二人に向かって口を開いた。「相手を活かすために斬る」あの時以来、ずっと剣を振る際に心がけていることを伝える。

 

「成る程ねえ。パチュリーが『弾幕に自分を込めろ』と言ってるのと似たようなものかもなあ」

 

 魔理沙が顎に手を当てて考え込むと、椛も唸った。

 

「何のために剣を振る、か。確かにそんなことは考えても見なかったな」

 

 得心がいったように大きく頷く。

 

「……今までは、任務だからと当然のように剣を振るってきたが、それでは風見幽香程の相手には届かないのかも知れない」

 

「非科学的な話だねえ」

 

 にとりは大きく肩をすくめて見せた。

 

「さて、それじゃ今度から妖夢も入れて三人で訓練と言うことでいいか?」

 

 魔理沙の言葉に、椛は頷いた。

 

「願ってもない。お陰で次回まで色々と考えることが出来た。ところで、これから二人はどうするんだ?」

 

 椛の言葉に、箒に跨がりながら魔理沙が答える。

 

「ああ、これから宴会なんだ。私が幹事だから色々手配しなけりゃならない」

 

「またかい? この前も宴会だとか言ってなかった?」

 

 怪訝そうなにとりに、魔理沙は頭を掻いた。

 

「いや、何となく宴会気分になってなあ。じゃ、妖夢、行こうか?」

 

「はい、それではお二人とも、今日は有り難うございました」

 

「またねー」

 

 にとりは飛び去っていく二人に手を振ってから、眉を寄せた椛に視線を向けた。

 

「どうしたのさ、椛? 何か気になることでもあった?」

 

「ああ」

 

 椛は訝しげに頷いた。

 

「宴会の話を口にした時、妖気を感じたと思ったが」

 

 

「大丈夫か、阿求」

 

 上白沢慧音はそっと稗田阿求に手を貸して、空飛ぶ絨毯から降りるのを手伝った。博麗神社に続く石段を背にして、阿求の顔を覗き込む。

 

「大丈夫です。空を飛ぶというのはこんな感じなんですね」

 

 稗田阿求は興奮に紅潮した顔で物珍しそうに博麗神社周囲の森を見渡しながら口を開いた。

 

「『百聞は一見にしかず』の言葉通り、やはり自分で体験してみないと何事もわからないことを思い知りました」

 

「それは同感だけど、無理をしては駄目よ。『命あっての物種』とも言うでしょう」

 

「はい」

 

 阿求の移動手段として空飛ぶ絨毯を提供し、自らも護衛として同行したパチュリー・ノーレッジが静かに諫める。阿求が頷くのを確認して、石段の上に視線を向ける。

 

「今日も盛り上がっているようね」

 

 パチュリーの言葉通り、まだ日が落ちきっていないというのに石段の上から陽気な声が漏れてくる。

 

「ここまで来ておいて言うのもなんだが、酒を飲めない阿求では妖怪達の集まった宴会など楽しめないぞ」

 

 慧音の言葉に、紫色の袱紗を背中に背負った稗田阿求は、強く頭を振った。

 

「いえ、やはりこの額に恥じない作品を書くためには、自分で体験しないと駄目です。かの司馬公も自ら諸国を旅して『史記』を書いたと聞き及びます。司馬公に及ばぬ非才の私が、どうして伝聞だけで書物を記すことが出来るでしょうか」

 

 熱の籠もった阿求の言葉に、慧音は僅かに視線を動かしてパチュリーと目を合わせた。パチュリーが軽く頷いたのを確認して、口を開く。

 

「わかった。ただし、連中は宴会を楽しんでいるのだから邪魔にならぬようにな。それから、勧められても酒は断るように」

 

「はい」

 

 真剣な表情で頷いた御阿礼の子に、慧音は心の中で溜息をついた。

 

(何事もなければ良いが)

 

 そう思いながら、先導するパチュリー、それに続く阿求の後から苔むした石段を登る。このような状況に至った経緯を思い起こしながら。

 

 事の起こりは、あの額が届いた翌々日の朝早く、稗田の家人が慌てた様子で慧音の寺子屋を訪れたことだった。兎に角一度屋敷に来て相談に乗って欲しいということで、寺子屋の授業が終わった昼過ぎに稗田の屋敷に足を運んだ慧音を待っていたのは、覚悟を決めた面持ちで袱紗に包まれた額を背負った阿求と、困ったような表情の家人達。

 双方の話を聞くと、阿求が幻想郷縁起とは別の幻想郷に関する書物の執筆のために自ら幻想郷の各地に足を運ぶことを決意し、それを家人が丸一日がかりで必死に止めようとしていたのだという。

 当然、慧音も阿求を止める側に回ったのだが、阿求の決意は固かった。「より良い著述のために」と言われてしまうと、慧音としても正面から反対し辛いところがある。押し問答の末、護衛と移動手段を確保出来たら、ということで双方が妥協した。

 そして、何の因果かその双方が阿求と共に訪れた田中神社で一度に揃ってしまったのである。

 

 

「結論から言えば、可能ね」

 

 話を一通り聞き終わって、パチュリー・ノーレッジはそう口にした。

 

「本当ですか?!」

 

 寄り合い所の机を挟んで向かいに座った花の髪飾りを付けた小柄な少女の顔が明るくなり、その隣の人里の守護者の顔が難し気な表情を浮かべるのを見ながら、「七曜の魔女」は言葉を続けた。

 

「移動の手段の方は私が昔作った『空飛ぶ絨毯』が有るわ。あれなら貴女でも乗れるでしょう。護衛の方もこちらで手配出来る」

 

「で、では?!」

 

「少し落ち着きなさい。いくつか条件があるのよ」

 

 興奮のあまり、どもりながら身を乗り出した少女を軽く押しとどめる。

 

「まず、当然ながら料金を頂くわ。一回につきこの程度ね」

 

 パチュリーはそれなりの金額を提示する。遊び目的の遊山ではないのだと思わせる程度の金額を。

 

「次に、このことは人里には内聞にね。私達については許可した事を除いて外に出す文書には残さないように」

 

「それは!」

 

 異議の声を上げかけた少女を、パチュリーは軽く手を挙げて制した。

 

「貴女や人里の守護者が読む個人的な日記などに残す分には構わないわ。……意味はわかるでしょう?」

 

 口を噤んで頷いたのを確認して次に移る。

 

「最後に、行き先に関しては事前に希望をそちらが提案して、こちらの了承を得ること。これは言うまでもなく安全確保のためよ」

 

 視線を上白沢慧音に移して、彼女が小さく頷くのにパチュリーも頷いた。

 

 

「随分と入れ込んだのね」

 

 条件を受け入れた来客二人が帰った後、隙間から姿を現した八雲紫はそう口にした。

 

「魔女として『らしくない』のはわかっているわ」

 

パチュリーは即座に言葉を返した。それは彼女も紫が気付いていることに気付いているという証。

 

「あの子に同情した気持ちは私にもわかるような気がするけれど」

 

 八雲紫は目の前の魔女に視線を向けた。「先生」と出会うまでは持病のために紅魔館から外に出ることが希だったという事実が信じられない程健康そうな姿を。

 

「けれど、私的な文書とは言え、記録を残すことを許可したのは何故かしら? 外に漏れれば困ることはわかりきってるでしょうに」

 

「……残して貰いたかったのよ」

 

 「大図書館の主」の返事はややあって聞こえてきた。

 

「今の幻想郷と、私達のことを。公に出来なくても」

 

 八雲紫も僅かに口を噤み、それからそっと言葉を返した。

 

「そうね。それも良いかもしれないわね」

 

 

「あら、珍しいお客ね」

 

「こんにちは」

 

 稗田阿求は挨拶を返した。自分達を目敏く見つけて、盛り上がっている宴会の場から離れて出迎えた博麗の巫女に。時折人里で見かける巫女も、博麗神社で見ると何か違って見えるのは、阿求の高揚した気分がそう見せたのか。

 傾いた太陽の仕業か酒精の仕業なのか、顔を赤らめた巫女がパチュリーと慧音に素っ気ないとさえ思える挨拶を交わす間、阿求は博麗神社の境内を見渡しながらそんなことを考えた。

 先日訪れた田中神社より一回り広い境内は、思い思いに陣取った人外達で賑わっていた。阿求の近く真紅の天鵞絨らしき敷物付きで陣取って給仕服の女性に傅かれているのは、人里でも噂に上ることが多い紅魔館の吸血鬼姉妹か。吸血鬼姉妹の向こう側で向かい合って杯を傾けているのは、人里でも目にする人形遣いのアリス・マーガトロイドと花の大妖怪風見幽香。それから少し左側の木の陰で二人、なにやら話し込んでいるのは鴉天狗の新聞記者達だろう。境内の近くで話し込んでいるのは「妖怪の賢者」八雲紫と誰だろうか、見覚えのない水色の着物の女性と人魂を従えた二本の剣が目立つ少女。その右側で賑やかに酒杯を手にしながら傍らに楽器を置いているのは騒霊達だろう、その他神社の拝殿近くではしゃいでいる水色の氷精と緑色の妖精など、目立つ参加者達を一人一人見渡しながら、稗田阿求は感動に震えていた。

 

 ──自分は今、話に聞くだけだった宴会の場に立って、自分の五感でそれを感じているのだ。

 

 それは、おそらくこの場の参加者達にはわからない感動。そして、感動に震えていたからこそ、阿求は悪戯っぽく笑った博麗の巫女と、普通の魔法使いに気が付かなかった。

 

「よーっし、全員注目!」

 

 耳元で魔理沙の叫ぶ声を聞いて跳び上がりそうになった阿求の身体を、肩に置かれた博麗の巫女の手が押さえた。

 

「はいはい、この子は人里の──『幻想郷縁起』を書いてる稗田阿求ね。宴会慣れしてないから無理に酒を勧めたり絡んだりしない。……守れないとぶっ飛ばすから覚悟するように」

 

 それに返ってくる様々な反応に、呆然とする阿求の肩を軽く博麗霊夢が叩いた。

 

「ほら、貴女のお披露目よ。何か言いなさい」

 

 逆の肩を、霧雨魔理沙が軽く押す。

 

「何、そんなに緊張しなくていいぜ? 思いついたことを何でも言えば良いんだ」

 

「え、え、え?」

 

 阿求は狼狽えた。屋敷から出ることすら滅多になく、知り合い以外に話した経験など皆無と言っても良い阿求にとって、書物や伝聞で知っている人外達相手に何かを話すというのはあまりにも予想外で、難易度が高すぎた。

 

「あ、あ……」

 

 言葉に詰まって近くに居る筈の慧音に助けを求めようと、顔を動かす。と、動いた首筋に感じる額の感触。それだけで、混乱していた阿求の頭が冷静さを取り戻した。「蓋文章經國之大業 不朽之盛事」求聞持の能力など無くても決して忘れることの出来ない額の一節が心に浮かぶ。

 

 ──そうだ、自分は、此処に居る方々を知るために此処に来たのではなかったか。

 

 臆する自分を叱咤して、稗田阿求は前に進み出た。意外そうな顔をした魔理沙と、軽く頷いた霊夢、止めようと進み出ようとしたところをパチュリーに押さえられた慧音に気付かないまま。

 

「皆さん、私は、皆さんのことを書物に残したくて伺いました。稗田阿求と申します。お酒は飲めませんが、よろしくお願いします」

 

 精一杯振り絞った声は、耳を聾するような人外達の歓迎の声に迎えられた。

 

 

「何よ文、全然飲んでいないじゃない」

 

「ちゃんと飲んでますよ、はたて」

 

 射命丸文はそう言って姫海棠はたてをあしらった。日が高いうちに始まった今日の宴会も、そろそろ日が山に近づき、春の日が終わろうとしている時間。しかし、妖怪の時間はむしろこれからなのだ。文の時間も。

 

「それにしても初々しくて可愛かったわねえ。御阿礼の子は」

 

 西行寺幽々子と魂魄妖夢の主従に挨拶をしている稗田阿求、酒杯を片手にそちらを見つめているはたてに文は内心で溜息をつく。

 

(よくもまあ脳天気に酒を飲んで好き放題言えるものです)

 

「人里から出ること自体が初めてに近いそうですから、無理もないでしょう」

 

 文ははたてに話を合わせながら周囲の気配を伺った。居る、確かに。文の目にも捕らえられないが、文の感覚は、この場に漂う感じたことのある妖気──山の四天王、伊吹萃香──の存在を感じ取っていた。

 

(他に気付いていそうなのは、八雲紫は確実として……風見幽香に西行寺幽々子ですか。紅魔館の姉妹はわかりませんねえ。それに、博麗の巫女や七曜の魔女も)

 

 それとなく周囲に目を配りつつ、最大のお目当てを探す。来ていないことがわかってはいても。

 

(やはり田中田吾作は来ていませんね。まあ、秋姉妹や厄神を始め、来てない面々もいますから、来てなくても不思議ではないんですが)

 

「文、あんた何か芸をやりなさいよ、芸を。あの子に見せる奴。今こっちに呼ぶから」

 

 文は無言で目の前の大徳利を掴むと、滑らかにはたての口の中に押し込んだ。

 

 

「どう? 一通り話してみて」

 

「はい、やはり話を聞くだけとは大違いでした」

 

 一通りの挨拶周りを終えた稗田阿求は、席を立って自分を迎えた八雲紫の問いかけにそう答えた。からかわれたり、感心されたりと反応は様々だったが、阿求が事前に思い描いていたより随分と好意的だったように思う。わざわざ、お付きの十六夜咲夜に命じて絞った葡萄の果汁を阿求のために用意してくれたレミリア・スカーレット、自分も本が好きだと微笑んだフランドール・スカーレットには、悪魔と悪魔の妹などという印象は欠片もなかった。

 妙に自分の頭を撫でたがった鴉天狗と、それに冷めた視線を送っていたもう一人。人形遣いとフラワーマスターは礼義正しく挨拶を返し、冥界の管理者は包みこむような雰囲気で隣にいた従者をからかっていた。握手した氷精の手は冷たかったが、一緒にいた大妖精共々阿求の仕事に関心を寄せてくれた。「あたいの大活躍をちゃんと書くのよ」という言葉が餞だったにせよ。騒霊三姉妹の「手慰み程度の演奏」も、阿求の心を激しく揺さぶった。

 

 

「でも、そのまま書くわけにはいかないんですよね……」

 

 阿求は顔を曇らせた。そう、目の前の「妖怪の賢者」からの依頼で、人間と人外の間の緊張感を保つため、『幻想郷縁起』には誇張された話を収録することになっているのだ。

 

「それに関してだけど」

 

 八雲紫は居住まいを正した。

 

「改めて、幻想郷の管理者としてお願いするわ。貴女が出来る限り正確に幻想郷を著述した書物を」

 

「いいんですか?!」

 

 信じられないような朗報に、阿求の顔が輝いた。

 

「閲覧者は秘密を守れる者に限られるでしょうけど」

 

 八雲紫は頷いて、阿求の背負っている袱紗に視線を向けた。

 

「その額を背負ってるのに、今の『幻想郷縁起』を書くだけで満足しろ、とは言えないでしょう?」

 

「有り難うございます」

 

 阿求は深々と頭を下げた。

 

「紫、あんた大人気なく阿求に頭を下げさせてるんじゃないわよ」

 

 割って入った声に顔を上げると、いつの間にか博麗霊夢が阿求の側まで近寄ってきていた。

 

「失礼ねえ、一通り挨拶回りが終わったから、これからの著作について話していたのよ。阿求ちゃんが頭を下げたのは純粋な感謝の念からよ」

 

 紫は眉をひそめて見せた。大仰に口元に扇子を当ててみせる

 

「人気者は辛いわ」

 

「あんたのその自画自賛はどうでもいいけど、まだ挨拶回りは終わっていないわよ」

 

「えっ?」

 

 息の合ったやりとりを見つめていた阿求は我に返った。今この場にいる面々で、挨拶をしていなかった相手がいただろうか。もう一度確認してみるが、やはり見落としはない。

 

「まあ、阿求が気付かないのは仕方がないけど、あんたは最初から気付いていたんでしょ」

 

 霊夢は正面から紫の顔を見つめ、張り詰め始めた空気に阿求は息を飲んだ。

 

 自分に気付かれずにこの場にいる誰か、という存在に背筋が寒くなる。

 

 ──黄昏時、「誰そ彼」と書いた言葉に相応しく、忍び寄る夕闇の帷が、少しずつ全員を覆い隠していく。その中に、自分が知らない何かが隠れているのだろうか。

 

 阿求は周囲を見回した。

 

「私はこれ以上只酒を飲ませるつもりはないし、阿求が挨拶回りに来てるのに、答えないのは失礼じゃない?」

 

「こう言ってるけど。どうするの、萃香?」

 

「そこまで言われて出ないのは鬼の名折れだねえ」

 

 声は、阿求の背後からした。

 

 

「……汚いですね」

 

 射命丸文は自分の顔に吹きかけられた清酒を手巾で拭った。やはり、田中神社の家捜しは失敗だったと改めて思う。そもそも、厄神の滞在していた神社を捜索したのが間違いだったのだ。今度、あの神社で売られている厄除け人形を複数購入しようと心に決めて、文は目の前の鴉天狗の姿を取った厄の塊に視線を向けた。

 

「だ、だって、鬼よ、鬼」

 

「静かにしなさい、はたて。萃香さんに失礼でしょう」

 

 文は素早くはたての背後に回って押さえ込んだ。山の四天王、伊吹萃香に目を付けられては敵わないし、それ以上に天狗だから鬼に与するなどと、風見幽香に思われるわけにはいかなかった。先日の悪夢は未だ文の脳裏に焼き付いている。

 見たところ萃香は元気そうだが、文はあの場面を最初から最後まで見ているのだ。あれと同じ目に遭わされては堪らない。鬼なら耐えられるかも知れないが、文ではそのまま赤毛の死神から説教好きの閻魔の所に直行する羽目になるだろう。

 兎に角ここは忍の一字と心に決めて、射命丸文は息を殺した。

 

 

「それで、あんたがこの異変を引き起こしてた張本人ね」

 

「ああ、確かに宴会を萃めて起こしてたのはこの私、伊吹の萃香さ!」

 

 萃香は大声で名乗りを上げた。

 

 ──中々どうして目の前の巫女も、人里の記録者も肝が据わっている。「先生」も含めて、鬼でも攫えない人間に続けざまに会えるとは、今の幻想郷も悪くない。やはり、霧になって彷徨くだけでは見えない物が沢山ある。紫や幽香の言う通りだ。

 ここらでもう一つ、弾幕ごっこ──「勝負」──が言われたように楽しいのか、試してみるのも良いだろう。

 

「私とやり合おうって奴はいるかい?」

 

 高々とスペルカードを差し上げる。

 

 

 稗田阿求は声もなく目の前の光景を見つめた。

 

 残照を西の空に残して星が輝き始めた濃紺の空を背景に、色取り取りの弾幕が交錯する。それは地上に現れた幻想そのもののように阿求には思われた。

 対峙する幻想の体現者達。特に、伊吹萃香と名乗った鬼は、圧倒的な強さで次々と挑戦者を退けていた。真っ先に挑んだ氷精のチルノ、次いで異変解決と意気込んだ霧雨魔理沙を鎧袖一触で退け、アリス・マーガトロイドの無数の人形が繰り出す流星雨のような弾幕を、豪快な岩投げで凌いで見せた。

 

 そして今──

 

「禁忌『レーヴァテイン』!」

 

 夜空を焦がすような巨大な剣が闇を裂き、無数の炎を撒き散らす。

 

「符の参『追儺返しブラックホール』!」

 

 鬼が生み出した漆黒の球体が炎を喰らいながら、紅と金の少女を引き寄せていく。やがて、フランドール・スカーレットが闇の球体に捕らえられ、勝負は終わった。

 

「私の負け。参りました」

 

「有り難う。良い勝負だったよ」

 

 負けた吸血鬼も、勝った鬼も笑っていた。勝負出来ることが楽しくて堪らないように。いや、吸血鬼だけではない。氷精も、魔法使いも、人形遣いも、悔しがったり、相手を賞賛したり、さばさばしていたりと反応こそ異なっていたが、皆どこか清々しい表情をしていた。

 そして今も、負けた者も未だ挑んでいない者も、勝負を食い入るように見つめて声援や賞賛、慰めの声を上げている。

 それが、稗田阿求が初めて目にする「弾幕ごっこ」だった。

 

 

「そろそろ霊夢の出番じゃないかしら?」

 

 八雲紫は目の前の博麗の巫女に声をかけた。鬼の手強さは伝わり、萃香にも今の幻想郷の良さ、スペルカード・ルールを用いた「勝負」の楽しさが伝わっただろう。後は、博麗の巫女が弾幕ごっこで勝負して、異変の幕を降ろすだけ。そう紫は読んでいた。

 

「そうね、そろそろ幕引きの頃合いだわ」

 

 博麗霊夢は八雲紫の言葉に頷いて、

 

「妖夢、貴女が私の代わりに勝負して」

 

 西行寺幽々子と共に鬼の勝負を見守っていた魂魄妖夢に無造作に巫女の責務を投げて見せた。

 

「わ、私が、ですか?」

 

「あら、妖夢、大役ね」

 

「霊夢、貴女は何を考えているのかしら」

 

 突然のことに驚いた妖夢、そんな妖夢を見て微笑む幽々子を余所に、紫は霊夢に詰め寄った。

 

「この異変を手っ取り早く解決することに決まってるじゃない」

 

 霊夢は平然と答えた。

 

「妖夢は今から勝負が終わるまで、博麗の巫女の代理ってことで」

 

 視線を、未だ宙に浮いたままの伊吹萃香に向ける。

 

「そっちもそれで異存は無いわね?」

 

 

「一応聞くけど、本気?」

 

 伊吹萃香は愉快そうに問い返した。実際、萃香の気分は最高だった。「弾幕ごっこ」は自分が思っていたよりずっと楽しかった。同じ土俵に上がっての「勝負」は相手が伸び伸びと自分を出しているのがはっきりと見て取れた。

 チルノの純粋さ、魔理沙の素直さ、アリスの慎重さ、そしてフランドールの喜びが萃香を満たした。おそらく、自分がスペルカードに乗せた思いも、伊吹萃香が如何なる存在であるかも、対戦した相手に、いや、そればかりではなく、勝負を見ている観衆にも伝わっていただろう。

 勝負を終えた萃香には、自分に向かって小さく感謝の念を込めて頷く、レミリア・スカーレットの姿が見えていた。研ぎ澄まされた感性のお陰で、飯も酒もかつて無い程美味い。これで今日の勝負に勝てば、まだしばらく宴会を続けて只酒を浴びる程飲むことが出来るだろう。伊吹瓢を失っておつりが来る成果だった。

 さらに、慌てる八雲紫が見れたのだ。酒の肴としても申し分はない。そう思いながらも、萃香は油断していなかった。

 博麗霊夢の目は、魂魄妖夢という剣士の勝利を確信していた。

 

「もちろんよ」

 

 霊夢はきっぱりと頷いた。辛うじて山の際に残る最後の残照に視線を送る。

 

「もう夜だし、妖夢が負けたら今日の勝負はお終いで良いわ。好きなだけ酒を飲んで行きなさい」

 

「その勝負、乗った」

 

 ──さあ、魂魄妖夢──半人半霊の剣士──はどんな勝負を見せてくれるだろうか?

 

 

 魂魄妖夢は静かに跳び上がって、伊吹萃香──幻想郷から失われた鬼──と対峙した。八雲紫の話では、鬼は途方も無く強い種族ということだったが、妖夢の心は落ち着いていた。

 

(「何も考えずに、一番大事なことだけ念じて剣を振りなさい」)

 

 それが、自分を代わりにと推薦した博麗の巫女の言葉であり、妖夢の主人もそれに大きく頷いた。

 

(「流石は博麗の巫女ね」)

 

 で、あるならば、魂魄妖夢は迷う事などない。これまでの全ての出会いに感謝して、妖夢は腰構えに構えた楼観剣を振るった。

 

「活かすために斬る! 奥義『西行春風斬』」

 

 

 伊吹萃香は感心した。舞い散る桜の花片を思わせる剣筋で斬撃が迫る。魂魄妖夢の人柄を表すような、不器用で無骨で真っ直ぐな剣。

 だが、それと同時に萃香にはその斬撃の間隙もはっきりと見えていた。

 

(この勝負、貰ったよ!)

 

 間隙に身体を滑り込ましながら、自らのスペルカードを発動させようとして、伊吹萃香は動きを止めた。萃香には、滑り込むべき間隙に自分を斬ろうとする太刀が見えたのだ。一度として忘れたことのない、あの男の最後の一太刀。

 

 反射的にそれを躱そうとして妖夢の弾幕に身を晒しながら、伊吹萃香は理解した。男の最後の一撃の意味を。

 

 ──男も、萃香を活かすために斬ったのだ。

 

(参ったなあ)

 

 萃香の鼻の奥がつんと痛んだ。

 

 

 八雲紫は呆然と見つめた。自分でも信じられないという顔をした魂魄妖夢と、自分から妖夢の弾幕に引き寄せられたように動いて動きを止めた伊吹萃香を。

 

「ご苦労様、妖夢。降りてきて一杯やりなさいよ。あ、この宴会と次の宴会は全部そこの鬼持ちだから」

 

 自分の席に向けて足を運んでいた博麗霊夢はそこでぴたりと足を止めて振り返った。

 

「それと、代理だったのは『勝負が終わるまで』だったから、異変解決宴会での権利は私の物ね。まあ、お情けで妖夢にも権利があることにしてあげるけど」

 

 そして、今度こそ脇目も振らずに自分の席に着いて、酒碗を呷って見せた。

 

「試合に勝って、勝負に負けたわね。妖夢はまだまだ精進が足りないわ」

 

 紫は、手酌で酒を呷る博麗の巫女と。妖夢を手招きする冥界の管理者に交互に視線を向ける。

 

「……幽々子には何が起こったかわかってるの?」

 

 紫の問いに、紫の親友は楽しげに笑いながら答えた。

 

「紫にもわからないことがあるのねえ」

 

 そして、まだ要領を得ない顔の自らの従者に声をかけた。

 

「妖夢、疲れてるところを悪いけど、酒器をあと二つ用意して頂戴」

 

「幽々子様、二つですか?」

 

 怪訝そうに問い返した妖夢に、空中から声が降ってきた。

 

「ああ、私からも頼むよ。私の分と、あともう一人分をね」




と、いうわけで萃夢想本編が終わりました。


それでは、次回は四日後程度を目処に。
更新時間は基本24:00前までを考えております。









以下は蛇足となりますので、余計な情報が必要ない方はここで閉じて頂ければ幸いです。









萃夢想自体は後始末で後一話必要だと思います。その後に閑話が続くか、永夜異変に飛ぶかは考慮中です。








今回のお話。

・霊夢さんマジ最強

そろそろ美影伝で何故に霊夢さんが最強なのか、わかってこられた方もおられるかと思います。
儚月抄を読んで、私は彼女を勝利と実利のためには手段を選ばないお方だ思っております。

・主人公ェ

相手が鬼で、弾幕ごっこの話となるとどうしても影が薄くなります。
活躍を期待された方、誠に申し訳ありません。
次話ではちゃんと出番があるはずです、きっと。メイビー。
また、永夜異変では出番が増えると思います。

・僕のあっきゅんがこんなに活動的なわけがない

……申し訳ございません。
色々考えてもう少しアグレッシブに頑張って頂くことになりました。
と、言いますか、あの内容の『幻想郷縁起』の為に短い寿命と百年の強制労働を強いるのはちょっとどうかと思いまして。
タイトルを『東方美影伝』にする前は、『幻想郷年代記』にしようかとも考えておりましたが、ここまでタイトルの理由付けを引っ張るのも如何なものかと思いまして、現行のタイトルになりました。

・妖夢さんが人斬りじゃない!

色々悩んでこうなりました。ご意見、ご感想をお待ちしております。







※永夜異変では萃夢想とはがらっと話の色合いが変わると思われます。
割りと無茶なノリが戻るというか……。







以下、ちょっとしたお願いを申し上げます。

苦楽の手の内など作品を楽しむ際には不要、と思われる方は以下をお読みにならない方がよろしいかと思われます。









よろしいでしょうか?









一応、この話を書く時には、

・異変を起こす側の事情+捏造設定
・田吾作の引き起こす災厄
・その異変における自機組の活躍
・変化した幻想郷の風景


を四本柱に、その異変ごとのお題に即して話を考えて、プロットから必要と思われるシーンを抜き出して書き起こしております。
ですから、この柱が好きだ、読みたい、とか、これはもう少し減らせ、とか言って頂けると、読者の皆様が何を楽しみに読んで居られるのかわかりますので、もしお気が向かれたら、感想を書く際に教えて頂ければ幸いです。

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