東方美影伝   作:苦楽

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フランドール・スカーレット田中田吾作と出会い、己を知ること

 

 十六夜咲夜は地下室へ続く階段を下りながら、「能力」を使って背後の人影を振り返った。止まった時間の中で静かに佇む黒い影とその胸の前に浮かぶ白い板は、咲夜が出会った時そのままの姿だった。自分の「能力」──「時間を操る程度の能力」で停止させた時間の中で動けるはずがないのに、それでも咲夜は身構えてしまう。気圧されつつ、それでもあの衣を剥いでみたい、という欲求が捨てられない己を咲夜は自嘲した。これでは小悪魔のことをとやかく言えないではないか。「蘭陵王を見ましたね」と隔意無く笑っていた美鈴に比べて、何と我が身の卑小なことか。しかし、今は主の命を果たさねばならない。能力を解除して声をかける。

 

「こちらです。お気を付けて」

 

 相変わらず、自分の声にもかかわらず何と不快な響きなのだろう。

 

 

 あの後直ぐ、全員集合したあの部屋で自己紹介と謝罪を受けた。スカーレットさんを始め、全員が非礼を謝罪してくれた。なんていい人達なんだろう。その上で、スカーレットさんから、地下に居るというスカーレットさんの妹、フランドール・スカーレット嬢の診察を頼まれた。もうそろそろ深夜なのに、これから直ぐに診て欲しいというのは流石吸血鬼。こちらとしても、異界では何が起こるかわからないことを熟知しているので用は早めに済ませたい。二つ返事で引き受けさせて頂いた。色々と聞いてみたいことはあるが、まずは施術が最優先だ。

 しかし、吸血鬼の館だから仕方が無いと言え、暗い。躓いたりして転んだら大変なことになるので、十六夜さんの言葉に従って足下に気をつけてそろそろ進むことにする。

 

 

 急角度の不快階段を下り、迷路のような地下通路を抜けた先にその扉はあった。頑丈で無骨な金属の扉。装飾の代わりにパチュリー・ノーレッジ謹製の魔法陣が彫り込まれたその扉の向こう側に棲む者を十六夜咲夜は識っており、かつ、知らなかった。

 識っているのは、彼女──フランドール・スカーレット──が咲夜の主であるレミリア・スカーレットの妹であり、「ありとあらゆるものを破壊する程度の能力」の持ち主であり、紅魔館で最も危険な人物である、ということ。彼女が眠っている時に能力を使って世話をしている咲夜も、それ以上のことを知らない。何故に危険なのか、何故にこの部屋に495年も棲んでいるのか。

 足を止め、振り返って客人に扉のことを説明する。

 

「この扉の向こうにもう一つの扉があります。外側の扉が完全に閉まっていないと内側の扉は開きません。そして、内側の扉が完全に閉まっていないと外側の扉は開かないのです。……その内側の扉の向こうに妹様がおられます」

 

『わかりました。よろしければ、後ろを向いていて下さい』

 

 淡々と綴られる文章に、咲夜は息を飲んで黒い影の背後に踏み出した。自分は小悪魔とは違う、と言い聞かせながら。

 

 扉が開く重々しい金属音。やはり足音は聞こえず、再び扉が閉じる金属音。振り向いた咲夜の目の前には、先程と変わらぬ佇まいの閉じられた扉が残された。

 

 

 ──私はずっとこの部屋でアイツを閉じ込めている。アイツが部屋から出たら、皆が壊れてしまうから。お姉様も、パチュリーも、他の皆も。壊れてしまったお母様のように。だからアイツを閉じ込めないと。お母様を壊したアイツを。家庭教師の先生を、お付きのメイドを、色んな人たちを壊したアイツ。私はフランドール、フランドール・スカーレット。アイツは……

 

 静寂を破った金属音に、フランドール・スカーレットは読みかけの書物から顔を上げた。あの音は外側の扉が開く音だ。何万回も聞いたお陰で覚えてしまった。続いて外側の扉が閉まる音がする。きっと食事を持って来たのだろう。もうしばらく待ってから差し入れられた食事を取りに行けば良い。食器を返す時に今度はどの本を頼もうか。と考えかけて、フランドールは現実に引き戻された。

 また、扉の開く音がする。ここしばらくは開くところを見たことがなかった内側の扉が。扉の隙間から光が漏れる。

 いけない。アイツが出てきてしまう。アイツが出て行ってしまう。アイツが壊し……。

 

  そこまで考えた時、「それ」は闇の中から現れた。何度か見たことのある紅魔館のランタンと共に。揺れるランタンの光に照らされて。フランドールが認識できたのは、光が背後に映し出した影だった。重く、古く、輝きを失ったドアを覆い、揺らめく影の美しさよ。そこまで認識し、その影を生み出した光を遮る「もの」に焦点を合わせようし……フランドール・スカーレットの思考はそこで停止した。

 

 十六夜咲夜が戻った客間は、一人を除いて咲夜が客人と共に後にした時のままだった。長方形のテーブルの短辺──客を迎える主人の席に座したレミリア、そのレミリアの右側の長辺の端に並んで座った小悪魔とパチュリー。テーブルを挟んでパチュリーの反対側に座っていたはずの美鈴は咲夜が案内に立つのと前後して門に戻っているはずだ。

 

「それで?」

 

「あの衣装のままでお部屋に入られました」

 

 咲夜の返答にレミリアは軽く頷いて見せた。

 

「これで、後は結果を待つだけね」

 

 そのレミリアの言葉に、小悪魔が反応した。

 

「レミリア様の能力を疑うわけじゃありませんけど、本当に先生が何とか出来るんですか? というか、そもそも私、妹様がどういう状況か知らないんですけど」

 

 小悪魔の言葉に、レミリアはちらりと右後ろに控えた忠実なメイド長に視線を奔らせた。

 

「そうね、貴女と咲夜は知らなかったわね。フランは、あの子は、私の罪の象徴なの。……無謀で、傲慢で、『能力』さえあれば何でも出来ると思っていた頃の私の」

 

 

 ノックしたんだけど聞こえたかなあ? この扉分厚すぎて普通にノックしたんじゃ聞こえないと思うんだけど。呼び鈴とかもないようだし。十六夜さんが入室の注意とか教えてくれなかったんだけど、大丈夫だろうか。

 あ、やっぱりフランドール・スカーレットさんらしき人が机の前で椅子に座ったまま固まってるよ。驚かせちゃったかな? それにしても真っ暗闇でも本が読めるというのは羨ましい限り。

 え、いきなり表情が変わりましたよ? なんだか目が充血して目つきが険しくなって手を開いて……。ああ、あれで物を壊すのか。フランドール・スカーレットさんも僕と似た「物」が見えるんだ。

 

 

 ’フランドール・スカーレット’は自らの手の中の「目」を凝視し、そして、それを認識することを拒絶してその意識を失った。それは、彼女が認識するには、あまりにも美しすぎた。

 

 

 フランドール・スカーレットさんが一度目を閉じて、目を開いたら今度は無表情になった。防衛反応? わからない。けれど、一つだけわかることがある。彼女たちはとても傷ついた状態のまま固まってしまってるんだ、ずっと。だから物を壊してしまうんだ。いいだろう、凝りを解すのは指圧の十八番だ。全力で行く。

 

 

”フランドール・スカーレット”はもう一度「目」を手にしようとして、「それ」の言葉を聞いた。永劫の空虚を満たした星々の誕生の谺だったのか。それとも、万物皆消え果てて冷え切った宇宙の最後の吐息なのか。

 

「限りあれば吹かねど花は散るものを 心みじかき春の山風」

 

 

 気がつくと、フランドール・スカーレットは不可思議な空間に漂っていた。刻一刻と淡く色を変える果ての見えない奇妙な空間は、不思議と落ち着けた。落ち着けたのは、全身に感じる不思議な心地よさによるのかもしれない。ふと気付くと、向こうから何かが漂ってくる。無表情な顔、金色の髪、枯れ木に宝石を鏤めたような翼、間違いない、アイツだ。お母様を壊したアイツだ。

 何かの気配に振り向くと、そちらからも何かがやって来る。血走った目、殺意に歪んだ口元から見える牙、白鑞のような肌、やっぱりアイツだ。家庭教師の先生や妖精メイドを壊したアイツ。

 

 アイツの名前は……

 

(フランドール、フランドール・スカーレットよ)

 

 気がつくと、目の前にアイツが居て、今まで見たこともないような穏やかな表情でそう告げた。そうか、そうなのか。アイツの名前はフランドール・スカーレットなのか。初めて知った……違う、知って……忘れて……いた。

 

(そうよ、貴女はずっと彼女──私の名前を忘れていたの)

 

 そういってアイツは少し寂しそうに微笑った。そして穏やかに尋ねてきた。

 

(貴女の名前は?)

 

 私? 私の名前は、フランドール・スカーレット! えっ? ……なん……で……

 

 封じていた、切り離していた、目を逸らしていた、無かったことにしていた記憶が蘇る。

 

 ──母親を壊してしまったこと。父親の恐怖を受けて閉じ込められたこと。それを認められずに、そんな自分を許せずに、許せない自分を「アイツ」と呼んで自分ではないと否定した。

 しかし、現実の自分は閉じ込められたまま。現実と認識のギャップを埋めるために、彼女は更なる自分を生み出した。手当たり次第他人を襲う「アイツ」、「アイツ」を封じるために自分は地下室に引きこもっているのだと。それは自分を守るための彼女の鎧。

 

(嘘、嘘、嘘! あんたなんか、アイツなんか私じゃない。私とは違う!)

 

 フランドールは絶叫した。

 

(いいえ、貴女は私よ、フランドール)

 

 目の前のアイツは静かにそう告げた。

 

(その証拠に、感じるでしょう? 私も感じているあの人の指を。優しく身体を解きほぐしてくれるあの人の指の感触を、貴女も感じているでしょう?)

 

 ──確かに感じる、ぬくもりに満ちた指が優しく指を、腕を、足を、背中を刺激するのを。

 

(それに、起こった出来事も貴女の記憶とは違うわ)

 

 えっ?

 

(身体の感覚に集中しなさい。潜るわ)

 

 潜る?

 

(ええ、集合的意識の彼方。宇宙の記憶、「識」の海へ)

 

 ──潜っていく。潜っていく。身体を優しく押さえる指のリズムと合わせるように。気が付くと、フランドールは知らないはずの懐かしい景色の中に居た。

 

 

 ……お父様!

 

 記憶に残る父親の威厳に満ちた姿。豪奢な内装の一室はフランドールが知らない彼の居室だろうか。

 いきなり扉を蹴破るような勢いで飛び込んできたのは、最後に見た時より随分か弱く見える彼女の姉。

 

 お姉様?

 

 血相を変えて飛び込んできた娘に笑顔を見せる父。

 

「どうしたね、レミリア」

 

「フランとお父様の運命が見えたの!」未だかつて自分が見たことのない、恐怖と不安に震える姉の姿。

 

「フランが、フランがお父様を壊しちゃうの!」父の顔が強張る。

 

 ──景色が変わる。

 

「やめて下さい、貴方!」「フランを殺さないで!」

 

 お母様、お姉様?!

 

 見覚えのある地下室。ベッドに眠る自分に近寄る無表情な父親。取りすがるのは母親と姉。

 

「私が運命を変えるから! 変えてみせるから!」血を吐くような姉の叫び。

 

 ──景色が変わる。

 

 吹き飛ぶ地下室。混乱する邸内。その隙を突いて侵入してくる吸血鬼ハンター達。

 

(ハンターの襲撃とそれと私の暴走が重なった。お姉様は咄嗟に私がお父様を壊す運命を変えたけど、それによってお母様の運命が変わってしまった)

 

 お母様! 嫌ぁあああああ!

 

 ハンターの銀の剣で心臓を貫かれ、灰と化す母親。

 

 ──景色が変わる。

 

「もはや二度とフランドールが自分から地下室から出ないように、あれの記憶を書き換える」

 

「お父様、それは!」

 

 あの当主の部屋らしき場所で向かい合う父と姉。

 

「レミリア、お前の改変した運命が何をもたらしたか、何を奪い去ったか忘れたわけではあるまい」

 

 血が出る程唇を噛みしめる姉。

 

「全てが上手く行く程お前の能力は万能では無いのだ。人間の力がいや増すこの時代に、私が滅びる訳にはいかん。この条件が飲めぬなら、あれを処分せざるをえん」

 

 そんな……

 

(お父様も苦しかったのでしょうね。父親と当主の最大の妥協点として、自分の「記憶を操作する程度の能力」で私の記憶を書き換えることにした。二度と自分から部屋を抜け出さぬように)

 

 ──景色が変わる。

 

 ベッドで眠る自分に手を翳す父親。

 

 ──景色が変わる。

 

 血を吐き、目から血を吹きながら見えぬ何かを改変しようとする姉。垣間見えた、妹がが家庭教師を吹き飛ばす運命、それを変えようとして苦闘する。妹に罪を負わせないように。

 

 ──景色が変わる。

 

 再びベッドで眠る自分に手を翳す父親。

 

 ──景色が消え、再び揺蕩う不可思議な空間で、フランドールは自分と向き合っていた。

 

(これで理解できたでしょう? 貴女の記憶は書き換えられた。お姉様は私が他人を壊さぬように必死で運命を操作し、お父様が改変前の運命を記憶として私に植え付けた。でも、私はその記憶を自分の物として受け入れられず、その記憶を持った自分を分離してしまった)

 

 わかったわ。

 

 フランドールは溢れる涙のまま頷いた。

 

 私、お姉様にずっと助けられていたのね。知らなかった、何も。

 

(これで、自分のことを受け入れられる?)

 

 受け入れてみせるわ。今度は私がお姉様を助けてみせる。

 

(そう、では、私は安心して私になれる)

 

 最後に一つだけ教えて?

 

(何?)

 

 貴女はだあれ? 「アイツ」は私だけど、貴女はだあれ?

 

 フランドールの前で、フランドール・スカーレットの姿をした「何か」は楽しそうに笑った。

 

(よくわかったわね、賢い娘)

 

 同時にフランドールは自分が拡大していくのを感じた。その瞬間、フランドールは、、それぞれの自室で禁足処置に不満を言う妖精メイド達であり、客間で給仕する十六夜咲夜であり、自分の過去の所業を語るレミリア・スカーレットであり、興味深く耳を傾ける小悪魔であり、小悪魔をたしなめるパチュリー・ノーレッジであり、一人門番を務める紅美鈴であり、……幻想郷そのものであり、太陽系であり、フランドール・スカーレットを構成する素粒子の一つでありながら、互いに関連し、相互依存し、縁起によって成り立つこの世界全てでもあった。たった一つの要素、田中田吾作のみを除いた。

 

(貴女たちは「私」を様々な名前で呼ぶわ。行を志す者は大日如来、苦行に勤める者はブラフマン、道を究めんとする者は元始天尊。「私」はいずれでもあって、いずれでもない)

 

 フランドール・スカーレットでもあるその存在は告げた。

 

(この時、この場所では、U.N.オーエンとでも名乗っておきましょうか)

 

 優しく身体を刺激するリズムと共に、拡大した「自分」が縮小し、単なるフランドール・スカーレットという個の存在に戻っていくのをフランドールは感じていた。

 

(また何時か会いましょう、フランドール・スカーレット。もし戻った時に覚えていたら、あの人によろしくね)

 

 

 レミリアの長い独白が終わると、客間には沈黙が訪れた。小悪魔と咲夜は今し方聞かされたフランドールに関する事実を自分の中で咀嚼していた。

 

「喉が渇いたわ。咲夜、全員に紅茶を。その後、貴女も相伴しなさい」

 

「畏まりました」

 

 言葉と同時に、テーブルの上に人数分の紅茶のカップが並ぶ。

 

 優雅にカップを口元に運んでから、レミリアは物問いたげな小悪魔に視線を向けた。

 

「何か聞きたいことがあるようね?」

 

「それでは、お言葉に甘えて。先代の死後、妹様を何とかしようとされなかったのですか? レミリア様なら何とか……」

 

「ええ、レミィがその気になれば、フランは何とか出来たでしょうね。代わりにどうにかなっていたのは、貴女かもしれないけれど」

 

 小悪魔の言葉に被せるように口を開いたのは小悪魔の主である七曜の魔女。親友に感謝の視線を送りつつ、レミリアが口を開こうとした時、地下から鈍い衝撃と振動が二回伝わってきた。

 

「咲夜!」

 

「お嬢様、妹様がこちらに向かっておられます」

 

 レミリアの言葉に、間髪入れずレミリアの右後ろという定位置で返事を返す忠実な従者。

 

「片っ端から屋敷のドアを吹き飛ばしながらこちらに」

 

 そのままの位置から続報が寄せられる。

 

 その場の全員が期待と不安を交錯させる中、何かが壊される音が連鎖して近づいてきて、客間の扉が大きく開かれた。フランドールとレミリアの視線が刹那の間交錯する。そこに込められたのは如何なる想いなのか。

 

「お姉様、ごめんなさい!」

 

 レミリア・スカーレットは、弾丸のような勢いで弾丸のような勢いで扉、椅子、テーブル、最後に自分を吹き飛ばしながら組み付いてきた妹を、まだ何も知らずに済んだ時のように優しく抱きしめ返した。

 

「謝るのは私の方よ、フラン。辛い目に遭わせて、ごめんなさい」

 

 

 やり過ぎたかなあ。見事に拉げてるというより吹き飛んでるよね。あの分厚いドアが、二枚とも、紙切れみたいに。フランドール・スカーレットさんが読んでた本が気になって机の前に行ったのが幸いだった。クリスティの『そして誰もいなくなった』とはなかなか渋いチョイス。それはともかく、今更ながらベッドとドアの直線上に居たら即死だったね、多分。

 部屋の中もえらいことになってるし。これで多分能力使ってないんだからなあ。凝りは取れてたし、施術が終わった時には落ち着いてたように見えたけど、目を覚ましたとたんロケットみたいにすっ飛んでいったよ。素でこれってことはないよね? 上の方でも何か音がしてたし、弁償しろとか言われる前に逃げた方が良いような気がしてきた。




寝て起きて夜書いたラブレターは朝見直せ理論でちょこちょこ修正。

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