艦娘の集まる病院で働いてます 作:隣の柿
さて、いきなりではあるが僕の鎮守府は鎮守府では無い。はっきり言うならば、病院である。それも人間ではなく、艦娘の方だ。
と言うのも、僕は前世では医療従事者の学生であった。気が付けば、提督と言う立場になっており、艦隊運営を行っていたのである。
……どうして病院運営に変わりつつあるのだろうか。ちなみにスタッフはほとんど妖精さんであり、医療器具の作成、検査、薬剤配合、挙句の果てにはオペまでこなしてくれるのである。――ちなみにこんな事をしてくれるのは僕の鎮守府の妖精さんだけだ。
だから僕の鎮守府には、ひっきりなしに患者が来る。入渠で体調がすぐれず、念のため診察に来た者、或いは救急搬送されて来た者――まぁ、方法は色々だ。けれども患者は皆、艦娘である。
「失礼します。一航戦赤城です」
「おかけになってください。最近、体調がすぐれないとの事ですけど」
「えっと、その……実は提督からここの受診を勧められまして……。
近頃、お腹がよくすいたりするんです」
空腹感か……。凡そ診断は絞れてきた。
「喉とか乾きやすくないですか?」
「は、はい! 秘書艦業務の時も、よく喉が渇いてしまって……」
強い空腹感と口渇……。
うん、目星は立った。問診票では、今日はまだ飲食をしていない……。うん、なら大丈夫。
近くにいた妖精さんに声を掛ける。
「ごめん、血糖測定の準備をお願い」
「あいあいさー」
傍に控えていた妖精さんが散らばり、すぐさま準備に掛かる。
「赤城さん、ちょっと今から血糖を測らせてください」
「血糖……ですか」
「はい、血液の中にある糖分の値を測ります。
……まだ明確な診断は難しいんですが、多分赤城さんの疾患は糖尿病です」
「……えっ?」
尿に糖が混ざるから糖尿病――これにはちょっと誤解がある。
人間の臓器にある膵臓。そこの細胞から分泌されるインスリンの分泌が低下し、身体異常を引き起こす。つまり糖尿病は、インスリンの分泌が低下する事によって、血糖のコントロールが困難になってしまう事を示す。決して、尿に糖が混ざった段階から言うのではない。
おまけに性質が悪いのが、糖尿病は現在の医療技術では治らないのだ。だから罹患した者は、一生糖尿病と向き合わなくてはならない。
人体構造で不思議なのが、血糖値を上げる仕組みは多種多様にあるのだ。まぁ、血糖が十分に無ければ脳が活動する事が出来ない分、当たり前かもしれない。
だが、血糖値を下げる仕組みはインスリンしか存在しない。だから、自己コントロールが必要なのだ。
「ていとくさん、じゅんびかんりょうです」
「うん、ありがとう。それじゃあ少し失礼します」
指先をアルコールで拭き、軽く針を刺す。その血液を血糖測定器に吸い取らせ――結果が出た。
「血糖値300……。まだ血液検査がありますが、糖尿病です」
「……そう、ですか」
糖尿病による三大合併症と言う物がある。それが、視神経障害、腎機能障害、末梢神経障害の三つだ。視神経は、要するに失明である。目が見えなくなってしまう。腎機能障害は、腎臓の機能が低下するため透析が必要になる。そして末梢神経障害は足が壊死を起こす。要するに腐るのだ。そのまま放置すると、壊死した部位から菌が全身に回り、敗血症と呼ばれる致命的な疾患に繋がるリスクが増大する事から、切断しなくてはならない。
だから、血糖コントロールが必要なのだ。放置すればやがて命に関わるのだから。
「糖尿病は血糖コントロールすれば、普通と変わらない生活が出来ますよ。
赤城さんは運動とかされてますか?」
「え……その、実はあまり……」
「じゃあ、1日1時間、ちょっときつい程度の運動を毎日行ってください。日々の運動でも充分、血糖コントロールに繋がります」
「分かりました。時間はいつ頃がよろしいのですか?」
「大体、食後ですね。食前だと、血糖が下がってしまうので失神する可能性があります。
一応、この事はそちらの提督に書類でお伝えしておきますね」
「はい、お願いします」
一応、インスリン投与と言う手段もあるが、タイミングや量を間違えれば、低血糖状態を招いてしまうから最終手段である。低血糖と言うのは、血液中の糖分が低下するため、脳が十分な活動を行えなくなる事から生じる意識障害を示す。治療としては、ブドウ糖液の投与だが、これもまたややこしい。
それにインスリンも注射で入れるため、痛みが生じるのだ。僕としても、治療は出来れば痛みを少なくしたい。
「お大事にー」
そうして出ていく赤城さんを見送る。
糖尿病は、国民病とも言われる程だ。食生活の乱れが直結する。人で言えば、炭酸飲料の過剰飲水、暴飲暴食なども糖尿病を招く要因になり得る。
一応食事のメニューも変えると言う治療手段はあるのだけれど、こちらはもっぱら僕の病院でやっている。だから、運動による血糖改善が認められなければ、入院してもらいコントロール方法を身に付けてもらう必要があるのだ。
「んー……」
背中を伸ばすと、心地よい音が鳴る。
午前中の診察は充分。後は、病院の回診だ。
外科・内科混合フロア
「ていとくさん、おつかれさまですー」
病棟内は、妖精さんがあちこち走り回っており、入院している艦娘の看護に当たっている。
多分、妖精さんがいなかったら、僕は凡才の提督で埋もれていただろう。正直助かってます。
「容態に変化のあった人は?」
「えーちーむです。さんまるよんのしまかぜさんが、けいかいです。じゅつごもりょうこうで、がっぺいしょうのちょうこうはみられないです。てんとうりすくにちゅういします」
「びーちーむはかわりないです」
「しーちーむもおなじくです。あと、さんいちきゅうのこんごうさんがこうちゃのもちこみきょかをもとめてます」
「紅茶……か。後で確認してみるよ」
艦娘達は当たり前だが、同名が非常に多い。だから、誤認に気を付けなくてはならない。
薬を配る相手を間違えたりなんてのは、いつ起きてもおかしくないのだ。だから、安全管理は徹底的にやらなくてはならない。
それに入院している艦娘は、当たり前だが他の提督の艦隊に所属している。だから退院する時は、艦娘として充分動く事の出来る状態にして退院させてやらなくてはならない。このリハビリは、妖精さんと僕の艦隊に任せている。
次の回診に行こう。
精神科フロア 開放病棟
足を踏み入れると入院している艦娘達が楽しそうに談笑をしている。
僕が通りかかると、彼女達は笑顔で挨拶してくれた。
詰め所に入ると、妖精さんの目線が僕に集中する。
「何か変化のあった人はいる?」
「えーちーむは、よんまるいちのじんつうさんがあしたたいいんよていです」
「びーちーむは、よんまるごのあさしおさんがちょっと、げんちょうがでてます」
「しーちーむは、みなさんおかわりなくです」
「うん、了解」
精神疾患は、僕が病院を作る事を決意したきっかけでもある。
艦娘達は前世の記憶があるのだ。多くの人達と共に戦い、そして多くの人達と共に亡くなった。それが、突然人の形となって今や深海棲艦との戦いの日々である。
――どうして彼らは亡くなったままなのに、私達は人として生きているのか。
それを考えすぎてしまい自分を追い込んでしまった者。そしてブラック鎮守府と呼ばれる過酷な環境の中で自身を壊された者。――そんな艦娘を見て、僕は思ったんだ。
――彼女達には居場所が必要だ。自分を取り戻せる時間が得られる。そんな場所が。
「……」
未だに精神疾患の偏見は根強い。精神論で彼女達を罵倒する者もいるが、そもそも精神がやられているから、入院していると言うのに。
「あ、先生。お元気そうで」
「神通さん」
詰め所を出たところで、入院している艦娘の一人である神通さんと出会う。
目の光こそ消えているが、表情は柔らかい。彼女の診断名は、統合失調症。発症の引鉄となったのは、深海棲艦の奇襲によって、彼女の艦隊が全滅。かろうじて生き延びた神通は、一命こそ取り留めたものの、その後轟沈した艦娘の幻聴と幻覚に悩まされるようになり、新しく着任した提督が診察を決意したとの事だ。
「体調はどう?」
「はい、この間提督がお見舞いに来てくれたんです。……退院も決まりましたし、そろそろ前に進まなきゃいけないって」
「あまり自分を追い込まないようにね。辛い時は辛いと言っていいんだよ。誰も神通さんを責めはしない」
「……はい、先生。ありがとうございます」
精神疾患の発症原因はまだ明らかになっていない。つまりは、この世にいる誰にでも発症するリスクがあるのだ。
彼らへの治療は内服による精神症状のコントロール。そして、傍に寄り添う事。
特に神通さんは新しく着任した提督が、彼女を気にかけておりよくお見舞いに来るのだ。そのおかげで、神通さんも退院をかなり早い段階で行う事が出来た。
さぁ、次の回診だ。
精神科フロア 閉鎖病棟
精神疾患による精神症状は、決して抗うのが難しい。と言うのも、精神疾患の多くは正確に言えば脳疾患に分類されると僕は考えている。
脳内の伝達物質のコントロール異常――それが精神疾患の症状を招いていると言う説もあるからだ。
その症状が著しく、他の艦娘に危害を加えるリスクが高い。そう判断された艦娘が入院するフロアがこの閉鎖病棟だ。
「容態はどう?」
「えーちーむ、かわりなしです」
「びーちーむ、かわりなしです」
「しーちーむ、よんによんのはるなさんがちょっとあっかしてます」
「了解。ちょっと薬を調節しようか」
この病棟に入院している艦娘の多くはブラック鎮守府と呼ばれる所に所属していた。
そのブラック鎮守府も、大本営の鎮守府再編による消滅しつつある。――だが、ある意味それが仇になっているのかもしれない。
彼女達には病院以外に居場所が無いのだ。精神が壊れつつある以上、決して深海棲艦と戦う事は出来ない。だが、戦う事の出来ない艦娘を受け入れる鎮守府は少ない。
「あら、先生。お元気そうで」
「加賀さんもお変わりなくて何よりです」
通りかかったのは、加賀さん。彼女ははっきり言って、退院しても良い程にまで回復している。けれど、自身の意志でこの病棟に入院しているのだ。
彼女に退院を勧めた時の一言を、僕は決して忘れはしない。
『……もう、私にはここ以外居場所がありませんから』
彼女の艦娘としての人生は壮絶だ。ブラック鎮守府の秘書艦で、多くの仲間が沈む光景を目の前で見せつけられた。そして提督による虐待。
――鎮守府を逃げ出した彼女は別の艦隊によって発見され、余りの憔悴状態から救急搬送。彼女に入院を勧めた所、受け入れたため、入院となった。
彼女の提督は既に左遷され、その鎮守府には別の提督と艦娘が務めている。だから、彼女の帰る場所は、もうどこにも無いのだ。
「加賀さんには外出許可出してあるから、したくなったらいつでも声をかけてください」
「えぇ、ありがとう。……そうね、今日はいい天気だわ」
僕一人で精神疾患の価値観を変えるなど不可能だ。
だからせめて、彼女達の帰る場所であろう。
一日分の回診を終えて、僕は大きく息を吐く。
来ていた白衣のままで、執務室にまで足を運んでいて、秘書艦である叢雲から今日一日の動きを聞いていた。
「以上よ。何か気になる事は?」
「ないよ、いつもありがとう」
「ふん、当然よ。……アンタもちょっとは休みなさいよね。目の下、クマ出来てるわよ」
「……明日も診察があるからね。ここは全国の艦娘が診察に来るわけだし」
「だから、そのアンタが倒れちゃ話にならないでしょうが! ほら、早く寝る! ……私が傍にいて上げるわよ」
叢雲との言葉に、僕は小さく笑って頷いた。
もしかしたら続くかもしれません。
追記1
何故、症状が安定している加賀を入院させた状態なのかと言う事でご質問を頂きました。感想欄に返信と共に理由を載せていますので、気になる方はそちらもご参照されるようお願いします。