艦娘の集まる病院で働いてます   作:隣の柿

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ALS:正式名称「筋委縮性側索硬化症」
運動神経細胞が次第に脱落する事によって、全身の筋力低下及び筋委縮を呈する神経変性疾患。進行すると四肢の完全麻痺を生じ、やがて呼吸筋が停止し死に至る。身体運動が障害されているが、身体感覚は健常であるため身体の痛みや掻痒感の訴えも見られる。しかし長時間の同一体位であったとしても褥瘡が出来にくく、何故出来にくいのかは明らかとなっていない。またALS自体に有効な治療法はまだ見つかっていない。我が国での有病率は10万人に7人程度。男性に多い。


※2013年度に「ALS」をテーマにしたドラマがありました。また余談ですが、アイスバケツチャレンジは、ALSに対するチャリティー運動として行われています。


ALS/正義の重さ

 

 疾患と言うのは厄介な物だ。生きている限り、いつ誰に降りかかってもおかしくないモノで、時には一生を左右される時すらある。そのくせ、特効薬がほとんど見つからない。

 ――なら、僕らに出来るのはただ寄り添う事だけだ。

 

 

 

「次の方、どうぞ」

「はい、失礼します」

 

 入って来たのは壮年の男性と戦艦榛名。診察時に提督が同伴すると言うケースは珍しくない―理由を聞いてみたら、「自分の娘も同然だ」と言う声が帰って来た―。

 問診票を見ると、ここ数ヵ月で体が動かしにくく痩せてきているとのこと。

 

「榛名さん、具体的にはどんな時に体を動かしづらいですか?」

「えっと……カップを持とうとしたら、つい手が滑って落としたりとか。後は扉を上手く開けられなかったり……」

「それが、近頃は秘書艦業務にも響いてきているみたいで」

 

 数ヵ月前から体がうまく動かせない……か。脳梗塞にしてはやけに症状が長いし、一部分の麻痺と言う訳でもない。

 

「その頃から時々、咳込んだりしますか?」

「はい、たまに……」

 

 うん、だとするとアレかもしれない。

 近くにいた妖精さんに声を掛ける。実施する検査は主に二つ。血液検査と筋電図検査だ。

 ひとまずこれで仮診断を付けよう。

 

「今から筋電図検査を行います。筋肉の動きがどうなっているか、調べますね」

 

 妖精さん達が、手際よく筋電図検査を実施していく。

 検査結果は……高振幅電位に、多相性電位。

 

「この後、頭と体のMRIも取ります。これで何も異常が無ければ、診断は確定するんですが、現段階では恐らくALSと考えられます」

「ALS……!」

「はい、ご存じで?」

「私の……叔父が」

「……そう、ですか」

 

 ALS、正式名称は「筋委縮性側索硬化症」。一言で言うのなら、全身の筋力が徐々に低下していく進行性の神経疾患。

 人間の筋肉は大雑把にいうと随意筋と不随意筋と呼ばれる二つに分けられる。随意筋と言うのは、自分の意思で動かせる筋肉。例えば、四肢とかだ。不随意筋とは無意識に動く筋肉。例えば心臓とか消化管……最低限の生命維持に使われる場所だ。

 ALSではその随意筋が障害される。そのため、徐々に体が動かせなくなっていく。そのため、筋力は低下し筋肉は萎縮していく。

 そしてALSで重要なのは、呼吸筋が障害されると言う点である。呼吸の際に使用される筋肉は随意筋であるため、呼吸筋が麻痺を起こし呼吸不全に陥るのだ。このため、気管切開を行い、人工呼吸器を挿入する。

 しかもALS自体に有効な治療法が一切無い。だから、僕らが出来るのはその時起きている症状の緩和――つまり気休めしかないのだ。神経疾患であるため、神経細胞自体を新しく再生できる細胞でも作られれば、もしかすると治療が出来るのかもしれないけれど……。

 

「……あの、榛名は大丈夫ですから」

「……あぁ、そうだな。今すぐどうにかなる訳じゃない」

「こちらで訪問して医療を提供することが出来る手続きをしておきます。

 後は、食事が食べづらいと感じたらまた診察にいらしてください。検査結果はそちらの鎮守府に郵送します」

「はい、分かりました……」

 

 提督の目尻に光る物が見えたのは、決して僕の見間違いではないだろう。

 今は深海棲艦との戦争中である。国の方は医療に十分な資源を注ぐことが出来ないのだ。

 ……僕のような医療者は、一体何のために、治療をしているのだろうか。

 

 

 

 

 病院で最期を迎える――そんな艦娘も少なくない。艤装を外された彼女達は僕ら人間と何も変わらない存在となる。だから、僕らと変わらないように生きて、僕らと変わらないように死ぬ。

 そして、僕の病院もそれは例外では無い。そもそも世界中では毎日のように誰かが亡くなっている。僕は仕事柄、人の死を見る事が多い。呼吸は気が付けば止まっていて、心電図はただ一直線のラインを描く。苛烈に生きた艦娘でそんな最期を迎えるのは珍しくない。彼女達は二度目の死を体験しなくてはならないのだ。提督達はそんな艦娘にただ声を掛ける事しか出来ない。僕の手では、死を生に変える事なんて出来はしない。

 せめてもの救いは、その声が彼女達に届いている事だろう。人間の聴覚は五感の中で、最期まで残ると言われている。それに、守りたいモノを守って死ねると言うのならそれが本望だろう。ただ、そう思うしかない。そう区切りを付けるしかない。――そう思いしかない。

 人が死ぬ瞬間は思っていたよりも呆気ない物だ。男性も女性も、子供も大人も、老人も若者も、皆死に方はそれぞれだが、結局死ぬ。死なない存在なんて決していない。形ある以上、消え去らなくてはならない。それが自然の摂理だ。

 ――なら、僕達医療者は何の為に存在している?

 

「……」

 

 煙草に火を付ける。自称医師である僕が、健康を害する煙草に手を出しているのは中々に滑稽だろう。だが、そう珍しい話では無い。命の最前線である医療の現場では、当たり前のように誰かが死ぬ。例え、どんなに医療者が知恵を絞り手を尽くそうとも、決して救い出せぬ命は存在する。そんな時、僕らに掛けられる声は労いなどではない。何故救ってくれなかったのか、もっといい方法はあったはず、と言う罵声である。その罵声はいつしか自分自身の声にすり替わり、自責へと形を変える。

 気が付けば、人の死に慣れてしまい生きると言う事がどういう事か分からなくなってしまう。綺麗事だけで人は生きる事が出来ないと言う現実を、まざまざと見せつけられる。

 そんな泥沼の闇の中で、自身を保つにはどうしても嗜好品に縋るしかないのだ。僕とて、煙草は苦手だ。マズいし、金が掛かる。けれどもコイツが無ければ、僕はまず正気を保っていられない。

見上げれば、そこはただ青い空が広がっているだけ。海はただ静かに、波打つ音だけを響かせている。

 午前中は診察、昼間は回診、夜間は急変の対応。命の時計は二十四時間、動き続けている。だから、もしかすると僕がこうして煙草で一服している間にも、病棟では急変を起こした患者がいて、僕のPHSに連絡が入るなんて事も有り得る。この間なんて、寝ている時に連絡が入ったのだ。

 はっきり言って、荷が重すぎる。得られるモノなんてほとんど無い。ただ自分自身を追い詰め続けるだけ。

 ――そんなものは止めればいい、ただ提督業に専念していればいい。ただ裏側から目を背け、表側だけを見ていればいい。

 

「……それじゃあ駄目なんだ」

 

 医師と看護師と言った医療従事者は災害や有事の時、患者を見捨てて自身の安全のために避難する事が法律上で許されている。それは医療従事者が一人いればその分、誰かを救うことが出来る。そんな単純な理由だ。僕の知る医師は、それを拒み患者と共に避難を行って――患者と共に全滅した。災害に巻き込まれたのである。もし患者を置いて避難していればまず間違いなく、助かっていた。自身の命を取るか、それとも自身の正義を取るか――。その答えはまだ出ない。

 突き詰めて言えば、僕の立てた病院なんてただの御節介でしかない。それはそうだ。診察費なんて取れる訳が無いから、こちらの資材で全て賄うか或いは身銭を切って何とか都合を付けるしかない。ある意味、ギリギリのラインなのだ。

 けれども、止める訳には行かない。始めたのは僕だ。そして、多くの艦娘達と提督を見て来た。その関係は様々だ。まるで身内のように接する者もいれば、上下関係をはっきり保つ者もいる。

 ――その関係を崩すのは、僕の診察なのだ。だから、僕にはその関係を修復出来るよう立ち回る義務がある。

 だが、助ける事が出来ないのでは何も意味が無い。不治の病と言うのは存在する。だがそれに集中していては他の患者を助けることが出来ない。一人の治療困難な患者を助けるか、十人の治療可能な患者を助けるか。医療者はそのどちらかを迫られる。十一人の患者を救うなんて言うのは、無責任極まりない匙無げだ。一人の医療者が救う事の出来る命の時間は決まっている。死神は、僕らの都合など構いはしない。

 結局、僕のしている事は単なる自己満足でしかないのだ。ただの延命処置に過ぎない。

 

「畜生……!」

 

 さっき見た榛名だってそうだ。戦艦の時は、燃料が無く動くも出来ないまま最期を迎えた。艦娘の最期もきっと似たような形で終えるだろう。ALSは最期、呼吸筋が停止して死に至る。気管切開を行えば、喋る事は出来ない。だから、目の動きと文字盤を使用してコミュニケーションを取らなくてはならない。――自身の好きな日常で死ぬのではなく、好きなモノを全て奪われた日常の中で死ぬ。

 こんな胸糞悪い結末など、一体誰が望むと言うのだ。

 

「提督、珍しいですね。休憩中ですか?」

「入ったばかりだからね。午後の回診に備えて一服してる」

 

 声を掛けて来たのは、僕の艦隊の赤城。見た所、鍛錬を終えた後のようだ。

 他所の鎮守府では、食っちゃ寝と呼ばれているらしいが生憎僕の所は違う。健康管理はしっかりさせている。遠征から帰って来た子達には手洗いを徹底させているし、朝と夜の掃除もさせている。健康な体は健康な環境から。それが、僕のモットーである。

 

「隣よろしいですか? 提督」

「うん、全然。僕もちょっと寂しかったし」

 

 煙草を携帯灰皿にいれる。その様子を見た赤城は思わず吹き出していた。その様子に思わず首を傾げる。

 もしかすると健康管理を徹底させているはずの僕が、煙草に手を出していると言う事実を見て笑っているのかもしれない。

 

「?」

「あ、いえ……。私の艦長もそんな方だったなって」

「……?」

「相手に合わせて、煙草とお酒を我慢する事の出来る人でしたから」

「しっかりされた方だったんだね」

「はい。……私のような空母では無く、他の艦だったらまた歴史は変わっていた。そう思わせる方でした」

 

 暫しの沈黙が続く。

 そういえば、僕の艦隊と近頃コミュニケーションが取れていない。一時は『提督は実は存在していない』なんて噂まで流れたほどだ。……その時は叢雲が一喝したみたいだけど。

 たまには休診日でも設けてみるかな。その分、艦娘と触れ合ってみるのも良い気分転換になるかもしれない。

 

「提督、近頃眠れていないようですね。クマが出来てます」

「……まぁ、仕事柄ね。気を張り続けるようなものだし」

 

 溜息を吐いて、だらりとベンチに背中を預けた。見れば、ふと赤城が膝を叩く。

 ……え?

 

「どうぞ。固い椅子よりは心地が良いと思いますよ、提督」

「……えっと」

「大丈夫です。私が起こして差し上げますから」

「……うん、ありがとう」

 

 ゴロリと寝転がると、仄かな人肌が心地よい。

 今日は天気が良いから、余計に眠たくなる。

 

「ゆっくり、休まれてくださいね」

「……」

 

 赤城が僕の目元を手で伏せる。

 目を閉じれば、程よい暗さですぐに眠気が襲ってきた。

 次診る患者は必ず助ける――その想いと共に、僕は意識を微睡に委ねた。

 

 


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