艦娘の集まる病院で働いてます   作:隣の柿

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妊娠
受精卵の着床から出産までの過程を言う。我が国では今こそ、医療福祉の充実によって、安全な出産が当たり前となっている。しかし昔は産婆と呼ばれる者と共に家庭内での出産する事が当たり前であり、母親が亡くなる事もあるため命懸けの事だった。



妊娠

 

 医療の現場に長くいると、死と言う物に慣れ過ぎてしまう。――だからこそ、感じるのだ。

 命が生まれる瞬間が、本当に尊い事だと言うのを。そして健康に生きる事が出来ると言うのが、どれだけ奇跡に近いのか。

 

 

 

 

「うーん……」

 

 僕は首を傾げる。次の患者は、鳳翔さんで提督も同伴されている。主訴は腰痛で、継続している事から受診を決意したと言う。

 鳳翔さんが建造されてからの年数は40年、ちなみに提督の年齢は50歳だそうだ。その雰囲気はまさに熟年夫婦である。

 閑話休題、腰痛が主訴と鳳翔さんの年齢から考えるに、骨折を疑ったのだがそこまで痛みは酷くないと言う。痺れも無いから、神経に異常が起きている訳でもない。

 ただ他に「倦怠感がある」と言うのが気にかかる。更年期障害と診断するには、まだ材料が足りないし……。

 

「けんさけっかがでたです」

「うん、ありがとう」

 

 用紙を見る。血液検査からも特に異常は……。

 と、僕の目線が一つの項目に止まる。

hCG――ヒト絨毛性ゴナドトロピンの値が4000を超えていた。

 さて、このhCGと言うホルモンは、男女共に検出される事がある。男性の場合は、精巣癌を発症した基質細胞から。そして女性の場合は――受精卵からである。

 もう一度言おう。女性の場合は、受精卵から検出されるのである。受精卵と言う事はまぁ、そう言う事で。

 

「えっと……診断が一応付きました」

「本当ですか?」

「その……鳳翔さんは妊娠した可能性が考えられます」

 

 僅かな沈黙の後、二人が顔を見合わせた。

 

「……その、お二人はそう言った事がここ数ヵ月でありましたか?」

「え、えぇ。その」

「……ま、まぁ」

 

 あー、間違いない。そしてhCGが4000以上だったから、多分妊娠は6週目。……だが、ここで困った事が一つ。

 僕は産婦人科に乏しいのだ。と言うよりも、大方は分かるが専門的なことは分からない。

 

「また、三週間以内に健診にこられてください。その時、改めてお話します」

 

 今は二人が妊娠したと言う事実を受け入れる時間が必要だ。

 

 

 

 

 で、僕はその後、伝手を頼りに助産師の方を病院に招いた。で、妖精さんと共に助産師の方から講義+猛勉強。医療に置いて、知らなかったなんて許されないのである。

 そして病院の上にまた新しく増築工事を実施し、周産期病棟を開設。これに加えて、周産期の知識と技術に優れた妖精さんの育成に当たった。資材がぶっ飛んだので、叢雲に資材の調達を頼んでおく。

 万が一を必ず考えておかなくてはならない。不測の事態と言うのは必ず起きるのだ。だからこそ、僕達医療従事者に求められるのはテンプレートをこなせる人間ではなく、不測の事態に対応出来る人間である事。つまり勉強し続けなければならない。

 

「……学生時代を思い出したなぁ」

 

 山のように積み上げた参考書と国家試験の過去問集、そして付箋とカラーボールペン。友人の家で毎晩、徹夜したものだ。あぁ、本当に懐かしい。

 ……今思えば、少しでも勉強しておくべきだった。

 

 

 

 

「……妊娠は確実ですね」

 

 血液検査、超音波ドップラー法によって鳳翔さんの妊娠は確実なものとなった。

 妊娠――それは新たな命が芽生えた事を意味する。子が初めて親となる人生の転換期。

 だから、僕は真実を伝えなくてはならない。例えそれが、可能性に過ぎない問題だったとしても。

 

「――失礼な発言ですが、お二人は高齢であり、高齢出産に該当します。

 高齢出産では、胎児の先天性奇形、染色体異常のリスクが増加しやすい傾向にあります。ですから、もし無事出産されたとしても、赤ちゃんが100%健康であると言う保証はどこにもありません。

 そして鳳翔さんも同じです。高齢出産の場合は、分娩時間も長期化しやすいので母体には危険が伴います。

 ですから――」

 

 口が思うように動かない。喉の奥が渇いていて、言葉を紡ぐだけでも精一杯だ。

 命を預かる責任、その重みを僕は改めて実感している。

 

「――僕らは必ず最善を尽くします。だから、安心してください」

 

 この一言だけで、患者の心は楽になるのだから。

 それが責任と言う強みであり、義務である。

 

 

 

 

 鳳翔さんの入院が決まり、提督もしばらくこちらに泊まるらしい。と言うのも、艦娘の分娩は人間に比べてかなり早いのだ。三週間だと言うのに、新生児の大きさはもう、正期産のレベルまで到達している。

 恐らく出産予定日は今週のどこか。陣痛がいつ起きてもいいように、覚悟を決めておかなくてはならない。

 僕は例の如く堤防で、海を眺めながら煙草を吸っていた。

 

「――煙草、か。いいものだな、先生」

「提督」

「一本貰えるかね」

 

 どうぞ、と言って煙草を差し出す。提督がライターを探していたようなので僕のライターを貸した。

 僕のような若年の男と、提督のような壮年の男性が二人。白い衣類に身を包みながら煙草を嗜んでいる光景は、まぁ、何とも言い難い。

 

「……実は昔、妻がいたんだ。小さな町で共に店を営む。そんなささやかな幸せが私の願いだった。例えどれだけ小さかろうと、この身で守れることが出来るのなら何でもやった。静かな場所で、妻と二人で幸せに暮らす。――そんな最中、私に赤紙が届いた。海軍学校に入らなくてはならなくなった。その頃は提督の数も足りていなかったんだ」

「……」

「海軍学校を首席で卒業した私は、横須賀鎮守府に配属となった。今は落ち着いたが、昔あそこは激戦地区でね。提督が深海棲艦によって殉職すると言う話も珍しくなかったんだ。

 いつ死ぬか分からない日常。だから私は妻に形見を残したいと思った。――いや、正直に言おう。私が生きている証を、この世に刻みたかったのだ。勲章や名誉と言う物ではなく、私の血と魂を継ぐ者、それを残したかった」

「……」

「だが、妻は体が弱かった。けど彼女は、その身に鞭打って子を授かってくれた。“貴方と生きた証だから”。そう言ってくれる妻に、私は不安を抱かなかった。――それが、間違いだった」

「……流産、ですか」

「……それだけなら、まだ私は耐えれただろう」

 

 その時、僕は分かってしまった。

 この人が、提督が一体何を喪ったのかを。

 

「あの時私は、妻と子を同時に失った。妻の体が耐え切れなかった。……やがて子もすぐに亡くなった。

 ――あの時の妻の言葉が、今もずっと木霊し続けている」

 

 

“貴方の子を、無事に産んであげられなくてごめんなさい”

 

“私とこの子の事は忘れて。これからずっと一緒にいてくれる人を、想い続けてください”

 

 

「私は卑怯者だ。自暴自棄になった私を支えてくれた鳳翔に対して、私はまた同じ過ちを繰り返そうとしている」

「……僕は、貴方が卑怯者だと思いません」

「……」

「人は死んでしまえば何もかも亡くなる。影も形も見えなくなるし、声も聞こえない。

 ――けど、僕はそれが肉体の死でしかないと思っています」

 

 多くの死を見た。――生きている限り、必ず誰かの死に向き合わなくてはならない。それが自然の摂理だ。

 けど、それは全ての終わりである【死】ではない。

 

「人が本当に死んでしまうのは、誰にも思われなくなった時。自分の名前も顔も、声も知っている人が誰一人いなくなってしまった。その時始めて、人は死ぬんだと思います」

「……なら、妻はまだ私の中に生きている。私が想い続ける限り、ずっと私の傍にいてくれる。……あぁ、そうか。そう思うしか……無いのだな」

 

 そう思うしかない。

 けど、誰かの気持ちを救えるのと言うのなら、決してそれは逃げではない。

 

「鳳翔さんの出産、必ず成功させて見せます」

「……どうか、よろしく頼む」

 

 

 

 

 それから数日後、陣痛の連絡が入った。時刻は深夜一時。僕はすぐさま、術衣を羽織って分娩室に入る。

 中では妖精さん達が出産の準備をしているか、やはり人手が足りていない。

 僕は呻き声を上げる鳳翔さんの手を握った。

 

「深呼吸されてください。楽に、楽に。力を抜いてリラックスしてください」

 

 ラマーズ法による呼吸。気休め程度にしかならないけど、しないよりはよっぽどいい。

 血圧は問題ない。けれど、呻き声は今も変わらない。

 

「ていおうせっかいにきりかえますか?」

「……一応準備をしておいて! オペの方に連絡を。酸素マスクと酸素ボンベをお願い! 吸引器と鉗子の準備も!」

 

 帝王切開はリスクが非常に高い。特に鳳翔さんは高齢もあるし、妊娠で体力を消耗しているため、出来れば避けたい。

 子宮口からはまだ、新生児の頭部すら見えない。

 

「……」

 

 時間との戦い。出産に用いる時間は凡そ15時間程。

 だからと言って、悠長に見ている時間なんてない。一番つらいのは母親なのだ。

 

 

 

 凡そそこから16時間。僕らは一時も気が抜けなかった。

 呻く彼女に必死に声を掛け、手を握り、汗を拭く。たったそれだけの事しか出来ない自分に、強く嫌気が差した。

 

 

 

 

「……! 頭が見えて来た」

 

 そっと手を置き、慎重に固定する。これから新生児を、ゆっくりと引き出していくのだ。

 これ以上、母親任せにしてしまえば最悪命の危機になりかねない。

 ゆっくりと、慎重に。赤ん坊の頭部は柔らかいから、少しでも強い力を与えれば、後遺症になりかねない。

 ゆっくりと、ゆっくりと。指先に全身神経を集中させる。額に汗が滲んだ。

 まるで永遠のような時間――それは多分時間にすれば10分もかからない。

 

「! タオルを!」

 

 けたたましい泣き声。命の誕生の瞬間。

 すぐにタオルで付着していた血液をふき取る。そうして鳳翔さんの下へそっと手渡した。

 

「……私の子。私と、あの人の……」

 

 彼女の目尻から涙が零れ落ちていく。

 その姿は艦娘ではなく、母親そのものだった。

 

 

 

 

 出産から数日後、提督と鳳翔さんの子の検査も終了し、晴れて二人とも退院する日を迎えた。

 で、今から二人に伝えるのは、先天性疾患が無いかどうかの検査結果。ダウン症、ターナー症候群などの遺伝子異常ではなくとも、ファロー四徴症だったり脳動脈奇形と言った先天性奇形のリスクだってある。

 

「検査結果は――全て陰性です。健康ですよ」

 

 鳳翔さんが提督と強く抱きしめ合った。その瞳に涙をためて、ただありがとうと言葉を漏らしている。

 出産――言葉にすればただそれだけの事。その背景には各個人の人生が確かにある。

 僕はこの一件を決して忘れはしないだろう。

 ――今日は煙草を吸わなくてよさそうだ。

 

 

 

 

「なぁ、鳳翔」

「はい」

 

 提督は自身の鎮守府を前にして、我が子を抱える鳳翔を見る。

 鎮守府に着任してから、数十年。様々な出会いがあり、様々な喪失があった。

 けれど、もう何も失わせはしない。

 

「私は今度こそ守り抜くよ。この幸せを」

「――はい」

 

 鳳翔のその姿が、どこか彼女と重なって見えた。

 

 




ダウン症
21トリソミーの異常により、肉体成長の遅延、軽中度の知的障害、筋力低下を示す。合併症にかかるリスクが非常に高く、妊娠でダウン症が判明した場合中絶するかどうかを両親は迫られる事となる。

ターナー症候群
X染色体の異常によって、低身長、二次性徴の欠如を特徴とする遺伝子疾患。、心奇形を合併する場合もある。

ファロー四徴症
先天性心奇形で、心室が欠損するため静脈血が動脈血と混ざるため、チアノーゼなどを呈する。自然治癒はしないため治療として、外科手術が行われる。

脳動静脈奇形(AVMと呼ばれる)
脳血管の毛細血管が何らかの異常によって、未熟な血管の固まり―これはナイダスと呼ばれる―を起こす。特に異常はないが、脳血管疾患の発症リスクが高く、年単位で脳血管疾患の発症リスクが1~2%ずつ上昇する。どこの部位に出来るかは不明で、大脳基底核などで形成された場合の治療法は確立していない。

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