第二十六話・神速
俺はぼやけた意識をゆっくりと覚醒させる。
確か…修行をしていた筈だ…のんびりはしていられない。
順々に記憶を手繰り寄せ…
「っ!?」
兄さんに負けた事を思い出した。
確か、負けたら御神の剣で悲劇を起こさないために俺の戦闘能力を奪うはず…
「ってあれ?なんともない…って!」
全身を動かしつつ確認していくと、右腕で軽く痛みが走る。
…そーいや骨で刀逸らしたんだっけ。よく腕使えてるな俺。
自分でやっておいて呆れつつ、俺はテントを出る。
「気が付いたか。」
「二日も眠ってるなんて、やっぱり疲れが溜まってたんだよ。」
淡々とした兄さんに、少し呆れぎみの姉さんが、手近な岩に腰掛けて魚を頬張っていた。
と、兄さんは火にかけてあった魚を手に取ると、俺に向かって投げる。
「っと。」
手に取った俺は、今更かなり空腹な事に気が付いた。
そりゃ寝てる人間に何か食わせるわけにも行かないし当然か。
「あ!マスター起きたんだ!」
「お、レヴィ!心配かけたな。」
「してないよ。マスターなら大丈夫だし!」
森から現れたレヴィが、中々に嬉しい事を言ってくれる。
だがそれよりも気になったのは…
「一人でさっさと行かないでくださいレヴィ。これだけの質量に拘束魔法ならまだしも浮遊魔法をかけるのはそれなりに大変なんですから。」
レヴィに続くようにして現れた、全然大変そうじゃないシュテルが浮かせている熊だった。
…食用か?でかすぎるだろう。
「貴様が食いきれなければ我らで食すから心配するな。」
一緒に居たのか、続けて現れるディアーチェとフレイア。
右腕自体は回復魔法で回復したんだろうが、血も肉も足りないからこのタイミングで貰えれば丁度いいのはいい。
それに、基本的に俺の魔力量じゃ全開まで行かない宵の騎士の皆は基本的に人体と同じように食事から魔力を生成する機構を持っている。
此処のところゴーレムの生成やらシューターの生成やら回復魔法やらで結構無茶させた皆には丁度いい栄養源か。
「すみません主、骨や体表面は回復魔法で治せましたが、神経系まではさすがに」
「あー気にすんなフレイア。むしろ悪かったな、無茶して。」
「まったくだ、腕の骨で刀を受け流すなんて真似をする馬鹿はお前位だぞ。」
手間をかけたフレイアに謝ったのに便乗する兄さん。
あー言いたい事は分かる。今、無茶して墜ちたばっかの妹とか居る訳だし。だが…
「あれが無茶なら兄さんとやりあう事自体が無茶だっての。」
「ホントだよね、恭ちゃん自分が人外って自覚がないから。」
「お前ら人を何だと思ってる…」
心底呆れて言ってやった嫌味に同意する姉さん。
兄さんはそんな俺達の反応に顔を顰めた。
こんな感じで談笑しつつ、俺達はフレイアが作ってくれた熊鍋を食べた。
総出で熊鍋を空にした後、俺は兄さんと姉さんと共に宵の騎士の皆の元から離れていた。
足を止めたところで向かい合うと、腰に挿した刀を鞘ごと手にする兄さん。
「御神不破…決して砕けぬ護り神。俺達はこの剣を、護るべき誰かの前に立ってそうあるべくこの二刀を振るっている。」
刀を見ながら告げた兄さんは、手にしていた刀を腰に戻した後、俺を見据えてきた。
「全てを護るのは不可能事。理解はしていると思うが…それでもお前は、一欠けらの幸福まで諦めずに守り抜くと言ったな。」
「ああ。」
「俺達が教えた御神の業を以って、その生き方を最後まで貫き通すと…今此処で誓えるか?」
言うだけなら、簡単な話。『は』と『い』を連続で発音するだけの話。誰でも出来る。
そのはずだが、今は口を開く事すら躊躇われた。
決して砕けぬ護り神。
宣言と同時に失敗しているに等しい『全てを護る』と言う行為に嘆く事も引く事もせず、ただひたすらに自らの剣を護る為に振るい続ける誓い。
当然、簡単に返事を出来るものではないが…
躊躇ったところで変わる答えじゃない!!
「誓う。ナギハなら覚えててくれるし嘘はつけない。」
俺の答えに、兄さんは頷きだけ返す。
「ならばもう一つ…力を手に入れる為に命を賭けられるか?」
「ああ。」
二つ目の問いに即答すると、姉さんが僅かに顔を顰める。
「…即答だな。お前が死ぬ事で不幸になる者もいる事を分かっているのか?」
「分かってるさ。」
それが、死ぬわけには行かない理由なのだから。
俺は、死そのものを怖がるだけのまともな心を持ってない。そんな事を思うのにはあまりに殺しすぎた。
にも拘らず、心の底から死ぬわけには行かないと思えたのは、泣かせる人がでてしまうから。
けど…
「関係ないさ、命を賭けるだけで死ぬ訳じゃない。」
「何?」
「賭けって、勝った場合は賭けたものは戦利品と一緒に戻ってくるもんだろ?賭けるだけならいくらでも賭けてやるさ。その上で、賭けに負けるつもりはない。」
自信満々に言い切ってやると、兄さんはしばらく固まって…
「ふ…ははははは…」
唐突に腹を抑えながら笑い出した。
「何だよ、笑うような事言ったか?」
「ああ、大した馬鹿野郎だなお前は。」
「恭ちゃん…別に可笑しい話じゃないと思うよ?」
俺がむくれて姉さんが不安そうにする中、一人楽しそうな兄さん。
しばらくして笑いをおさめると、兄さんは腰の刀に手をかける。
試験の続きのつもりかは分からないが、さっき誓ったばかりでいきなり『勝てません』なんてさじを投げる訳にはいかない。
俺もナギハに手をかけて…
兄さんの姿が消えた。
勘だけで抜刀するが、いつの間にか俺の首に兄さんの刀が突きつけられていた。
「瞑想による精神統一に肉体限界下での基礎鍛錬と、精神力に注目して鍛えていたのはいい傾向だ。だが、実際の戦闘者との訓練無しの独力で『この領域』にたどり着くのはいくらお前でも厳しいだろう。」
兄さんは刀を納めつつそう告げた。
この領域、何度か見た…そして今使った常人が辿り付けない速度領域の事だろう。
「普通にやっていたのでは二十歳で修得しても早い領域だ、一撃でも受け損なったり一瞬でも気が緩んだらただじゃすまない可能性もある。それでも力が要るというのなら…」
言葉を止めた兄さんは、姉さんを指す。
「美由希と交替で見せてやる、お前が辿り付くまでいくらでもな。」
姉さんが頷いたのを確認した所で、兄さんは俺の目を見据えてくる。
―どうする?
言葉にするまでもなく、眼がそう問いかけてきていた。
今まで、御神の剣を部外に近い俺が本格的に教わるのは気が引けていた。
先の誓いように矛盾した護り手として戦った挙句、取り返しのつかない失敗をして御る剣を凶剣にしたくなかったから。
でも、矛盾も悲劇の可能性も考慮したうえで、俺に此処までお膳立てをしてくれた以上、御神の名を理由に断るのは違う。
後は…俺が必要としている力かどうか、ただそれだけ。
「お願いします。」
だからこそ、断ると言う選択肢はもうなかった。
なのは達魔導師と『勝負』して勝てない人かもしれない。
それでも、この人達は俺が知る中で誰よりも護り手として『強い』人だ。
そんな人の力の一端を受け取れるのなら、命懸けになったって十二分にお釣りが来る。
兄さんは俺の答えに笑みを返してくれた。
「俺と美由希は二人で交替になるが、通常戦闘と違いこれを使うと桁外れに体力を消耗するから悪く思うなよ。」
「ああ!」
辿り付く場所が見えた俺は、迷う事無く力強く答えを返した。
訓練は熾烈を極めた。
まず、絶対条件として戦闘中は『貫』を主とすると言う条件があった。
貫は、相手の防御や見切りを此方が見切り、防御をすり抜ける様に攻撃する技法。
通常時ならまだしも、問題となる速度領域に至っては見切るどころか身体の動きが霞んで、剣閃に至っては真面目に見えない。
しかも魔導師ならまだしもそんなものを扱う最強クラスの戦闘者相手に貫なんてまともに使えるわけがないのだが…
例の速度域に辿り付くにあたっては、元々貫を主として扱っていると見えてくるものなのだと言う。
今出来ないのは当たり前だが、完全に貫が決まるという事は同じ…少なくとも近い域に辿り付いた事を意味する。
初めの内は、何が起こっているかすらろくにわからなかったため何度も昏倒させられた。
辛うじて致命傷だけは避けた怪我を負って回復魔法の世話になる事も度々あった。
何度も倒れながらそんな事を3ヶ月ほど繰り返し…
「はぁ…はぁ…」
「ふ―」
閃光のような剣閃を凌ぎ、それより遅い剣閃を繰り出す。こっちがやっとの思いで捌いているのに対して当たり前のように俺の斬撃は届かない。
生死の境を歩くような殺気に満ちた戦闘訓練を通して、掴みかけていたものが形になってきていた。
と、空気が変わる。兄さんの動きがいつもの超高速移動に…
ならなかった変わりに、世界がモノクロになっていた。
緩やかに流れる世界。いや、世界はほぼ止まって見えて、その中ではかなりの速さで…それでもゆっくりと兄さんが動くのが見える。俺自身の動きも緩やかになっていたが…
掴んだ。
俺は確信を持ってモノクロの世界の中で峰撃ちの居合いを放つ。世界に色が戻ったとき…
「が…っ!!」
脇腹を強い衝撃が襲った。何が起こったのかわからないまま膝をつく。
「…その様子だと『神速』に辿り着いたようだな。」
「…し…く?」
息が詰まって殆ど喋れないが、いつの間にか俺の脇に立っていた兄さんに目を向けると頷いていた。
「世界が緩やかに見えた筈だ。その状態になる事を神速に入ると言っている。」
兄さんはそこで言葉を区切り、息を吐く。
「極めれば今俺がやったように神速の二段掛け等も使えるようになる。ようやく辿り着いただけのお前が俺に峰撃ちなど…十年早い。」
「は…はは…」
人間が生身で魔法も無しに攻撃も自由自在なブリッツアクションかますような化物ステータスになって『入り口』扱いですか…
「兄さん…やっぱ化物だわ。」
「真人間止めてファンタジーの住人になった奴に言われたくないな。」
目の前にいる筈の兄さんが遥かかなたにいるように感じ、俺は呆れ混じりに笑みを浮かべた。
辿りついて思った事は、『こんな物よく使ってやがるなこの化物共』と言う感想に他ならなかった。
息切れは強打を受けたせいかと思っていたら、全身が1、2時間走った後のように疲れていた。
一回使っただけでそれも実際の秒数にして2、3秒の話だ。
道理で便利なのに普段の訓練で使わないわけだと納得した。
こんな物普段から使っていたら基本の型の訓練なんてろくに出来やしない。
だと言うのに、そこからは…『自分の意思で自由に発動の可否を決められる事』が主題となった。
戦闘中に極限まで集中すると『勝手になっている』では困る。何しろ常時維持できるものでもないのだから。
兄さん達と調整できずにやっていると神速の終わりを狙って神速に入られて倒される事になっていた。
半端じゃない疲労の中、神経をすり減らす毎日。
だからと言って投げるつもりもなく…
「あ…」
「っしっ!!」
神速使用による全力の仕合で初めて姉さんから一本とった所で、二人からの修行は終了となった。