「今日は厄日だ……」
王都の門を前にして商人の男は大量の汗をかきながら、その不快感を吐き捨てるかの如く言った。
あの馬鹿げた量の魔物の群れに追われたのだ。
恨み言の一つや二つ出てもバチは当たらないだろう。
年甲斐もなく悪態をつく初老の男の身体は、幸いな事に五体満足である。
が、対照的に新調したばかりであろう馬車は、見るも無惨な姿である。
魔物の血や臓物で汚れた幌は、その大部分が引き裂かれ穴だらけ。
幌骨は折れるわ歪むわで、ぐにゃぐにゃになっており、何とか屋根の形を保っている状態。
更に奇跡的な事は、馬車の中の商品が殆ど無事だったと言う事だろう。
馬車は無事でも商品がダメになっていたら意味がない。
商品がなければ当然商売は出来ないし、出来ないと言う事は当然売り上げはない。
たどり着く先の答えは、大赤字一択と言う訳である。
途中で乗せた貴族にある程度請求しても良いかも知れないが、どこまで保証してくれるかも分からないし、下手に貴族から変な難癖でもつけられたら堪ったもんじゃない。
とは言え、だ。
あの量の魔物に襲われて死んでない事を、只々神に感謝するばかりだ。
でなけりゃ、皆仲良くハーピーの腹の中に収まっていたのだから。
伊達に長く行商をやっている訳ではない。
魔物に食い殺された商人達をごまんと見てきたし、魔物の恐ろしさは解っているつもりだ。
だからこそ、今の状況が如何に奇跡じみた事か、"理解"はしている。
「あぁ、新調したばかりのワシの馬車がボロボロ……」
「……だが、おかげで早死にしなくて済んだ」
ぐぐもった声と共にボロボロの荷台からヌッと姿を現したタイラント。
眼前に聳え立つ王都の門を見上げるが、特に興味が無かったのか直ぐに目線を戻した。
その後、気だるそうに首を左右に捻りボキボキと骨を鳴らす。
同時に、何かを探す様に腰のポーチに手を伸ばすと注射器と言うにはデカ過ぎる物を取り出した。
その巨大な筒……いや注射器を首筋に当てると躊躇なく突き刺し、濃緑色の液体を一気に注入する。
!!!!!
濃緑色の抗体が注射器から一気に身体に流れ込み、まるで感電したかの様な痺れが全身を駆け巡る。
その感覚は控えめに言って凄く不快。
控えない表現ならば"ビチグソ"を無理矢理食わされている様な感じ。
まぁ、自身を構成する根幹を抑制する異物を体内に取り込むのだ。
少なからずダメージは受けて当然だろう。
だが、こうして定期的にウィルス抗体を摂取しないとこの身体を維持出来ないのはユグドラシルでも同じだった……筈。
もっとも、ゲームでは抗体アンプルを幾ら使おうがこんな不快な思いをする事はなかったが。
「……薬は注射より、飲むのに限る……か」
その昔、壮絶な殉職をした大佐が言っていたと映画好きの先輩から聞いた事があったが、正にその通り。
良薬口に苦しとも言うが、いくら苦くても注射より飲んだ方が断然良いに決まっている……と、俺は思う。
全く、人間に擬態するとなると色々と不便な事が多くて嫌になる。
そんな事は最初から解っていた事だが、面倒な事はやはり面倒だ。
そもそも、T-103型だって生物兵器にしては人間にかなり近い見た目ではある。
少々身体が大きい人だと思えば何とかなる、やもしれん……
決定的な欠点と言えば会話が困難な事と、人相が極めて悪いと言う事。
まぁ、目立つ事には変わりはないのだが……
上手く使い分ければ、より潜入の幅が広がるに違いない。
だが、あのガゼフ某にはT-103型は面割れしているから注意せねばいかんな。
まぁ、変装なんて俺にとってはお茶の子さいさいよ。
ロングコートとコジャレたハットでも被れば完璧だろ(確信)
当面の問題は長期間の"抗体ゲージ"管理と言った所だろう。
"ユグドラシル"のゲーム内では擬態と同時に抗体ゲージが表示され、時間経過とダメージでバーが減少していた。
人間擬態を継続したければT抗体を打ち、"抗体ゲージ"を一定の状態で維持し続けなければならない。
ダメージや時間経過等で抗体ゲージのバーが減り、0になると擬態は強制解除される。
例外は生命に関わる致命的な大ダメージを受けると、体内の"T-ウィルス"を急激に活性化させ強烈な生存本能を呼び覚ますと言う事。
所謂、暴走モードもとい"スーパー"化だ。
力こそパワー、全力全開、人類絶対滅ぼすメンに変身する。
その際、当然ながら人間的な理性などは欠片も残ってはいない。
目に付く全てを破壊し尽くす正しく"暴君"となるだろう。
人口密集地の街中で強制"スーパー"化しようものなら見境いの無い虐殺、街は阿鼻叫喚の地獄絵図になる事請け合いである。
まぁ、そうなったらそうなったで逆に面白そうではあるが。
逆にT-抗体の過剰投与は肉体を弱体化させステータスを著しく低下させてしまうので、これも要注意だ。
抗体を過剰摂取すれば当然の反応である。だって身体にとっては只の毒だもの。
兎に角、摂取の塩梅が非常に難しいのだ。
が、人間の擬態をする以上摂取する他ない。
(もう面倒くさいから、テキトーで良くね?)
そんな事を思っていた時期が、僕にもありました。
過去に一度、面倒だからといい加減なタイミングでの抗体投与や過剰摂取を繰り返していたら、ウィルスが不安定な状態で活性化して突然変異を起こした事案がある。
見るも堪えない変異の果てに、不完全態の"プロト・タイラント"になってしまったのだ。
この形態、数ある"タイラント"の派生の中でも特に最悪の形態だ。
著しい知能の劣化と人工皮膚の急激な腐敗、弱点である心臓の体外露出など。
見た目もスペックも酷く中途半端な只の化け物。
特に強くもなく、別に弱くもない。
だが、見た目はどう見ても人類の敵です。
本当にありがとうございました。
それと、非常に厄介な事がもう一点。
ユグドラシルと違って抗体ゲージなんて物は"どこにも"ありゃしない。
ちきしょう!ぶっ殺してやるっ!
要するに、抗体の摂取タイミングは自分の体調の変化で判断するしかないって事か。
全く、"フーバー"な事この上ないな!
「……洒落にもならん」
「ん?何か言いやしたか、旦那?」
「……気にするな、何でもない」
手に持った注射器を握り潰し、乱雑に残骸を投げ捨てる。
門付近の人混みを見てるや大きなため息をつき、その気だるさを隠す事なく馬車から飛び降りた。
「へ、へい。そりゃどうも……」
妙な筒を投げ捨て、馬車から降りた黒服の冒険者。
何かを呟いていた様だが言い知れぬ恐怖を感じ、それ以上男に追及する事を止めた。
この男、本当に冒険者なのだろうか?
恐らく傭兵崩れか、いや何処かの国の暗部の者……なのかもしれない。
兎に角、怪しすぎる。
思えば、最初に出会った時からかなり怪しかった。
恐ろしい赤目の仮面と黒一色の不気味な装い。
普通、仮面なんて被って生活していたら色々不便の筈だ。
まして冒険者ともなれば、尚更に。
しかし、この男が只の"見栄っぱり"ではないと言う事は良く分かっている。
今まで見てきた冒険者の中でも、別格に強いと言う事も。
それこそ、其処らの冒険者達が皆ボンクラに思えてしまう程に。
そこはミスリル級冒険者の実力、と言えばその通りだが……
時折男から感じる、身震いする程の殺気や、全身に染み付いているかの様な濃い血の臭い。
それは、明らかに普通の冒険者が醸し出す雰囲気ではない。
(こんな血生臭い男が冒険者?本当に悪い冗談だ)
しかし、そんな警戒心以上に気になるのは男の腰に付いている見慣れない武器だか魔具だかわからない"二本の筒"が重なった妙な物。
ソレが、一体どういった物かは皆目見当がつかない。
だが、その筒を相手に向けると稲妻が地面に落ちた様な音を出すのだ。
そして、その音が鳴り響くと同時に空高く飛ぶハーピーが一瞬でボロ雑巾の様になって地面に墜ちる。
その威力たるや驚愕と言う言葉では到底足りない。
雷を落とす道具か何かなのかもしれないし、そうでないかもしれない。
詳細など、見ただけで解る筈もない。
もし出来る事なら、手にとってじっくり近くで見てみたい。
雷を好きな場所に落として人間を、いや魔物すら容易く殺せる道具……
そんな物を独占して生産し、かつ売る事が出来たら一体どんな利益をもたらすのだろうか。
想像しただけでも、年甲斐もなく舞い上がりそうになる。
この男、頭のてっぺんから爪先まで何から何まで怪しいし、それでいて恐ろしい。
だが、それを差し引いても魅力的な事もまた事実。
知的欲求、いや単純に商売人にとしての本能なのかも知れない。
この男の秘密を一つでも知れば、手に入れる事が出来れば……
間違いなく、大儲けが出来る。
"それを、見せて欲しい"
だが、その一言を言わなかった。いや、言えなかった。
それは何故か?
それを"言ったら"最後、得体の知れない闇に飲み込まれる……
いや、引きずり込まれると言った方が正しいかもしれない。
喉まで出かけた言葉を寸での所で飲みこみ、代わりにブハァと大きなため息を出す。
(コイツは人間ではない、人の皮を被った"バジリスク"だ。下手にちょっかいを出せば、たちまち食い殺されちまう……)
死んだ妻もあの世できっと「止めな、アンタ!」と言っている……かもしれん。
もう余計な事を考えるのは止めだ。
店の為、何より自分の為にも……
ワシはまだ、死にたくない。
「……世話になったな」
鼻息が荒くし、かつ呆けている商人のオヤジに向け親指でピンっとコインを弾く。
「うおっとと……!ま、まいど!」
弾かれたコインを何とか受け取り、慌てた様子で返事をした商人のオヤジ。
渡されたコインは、少し大きめの金貨だった。
大きさから見て、この辺りで流通している物では無いと直ぐに分かった。
金貨たったの一枚?正直に言ってかなり不満である。
命懸けで此処まで運んだにしては少な過ぎる報酬だ。これでは馬車の修理代の足しにもならない。
(こりゃ赤字だな……)
もらった金貨を憎々しげに見ていると、何やら変わった意匠が施された不思議な金貨だった。
「なんじゃあ……こりゃ?」
それが混じり物ではない純金の金貨だと知り、オヤジが驚愕するのはもう少し経ってからである。
「ま、まって下さい!」
用事は済んだと見るや、足早に王都に入ろうとするタイラント。
だが、馬車の荷台から慌ただしく降りてきた侍女に呼び止められた。
しかし、振り返りはしない。
これ以上、此処に長居をするつもりはないからだ。
「……何だ」
「あ、あのまだお礼を……」
「……礼など要らん」
「あ、あと恥知らずな事は十分承知しています……ほ、報酬の事でお話が……」
「……安心しろ、最初から"アテ"になどしていない」
実は"報酬"なんて貰えると最初から思っていなかった。
そこいらの盗賊ごときに襲われて、拐かされそうになる貴族(笑)だ。
組合での護衛料の相場が幾らかなど分からないし、正直興味もない。
平たく言うと、この侍女の私達は"助けて貰って当然"だと言う態度が気に入らなかったのだ。
傲慢な態度の侍女に対する"意趣返し"に金を吹っ掛けた、と言った所だ。
報酬なんて貰えればラッキー程度で考えていたし、金に困っている訳でもないので貰えなくても別に問題は無い。
(つい、カッとなって言った。別にどうでも良かった)
「……話は終わりか?じゃあな」
大変素っ気ない返事をし、再びさっさと歩き出すタイラント。
有無を言わせない覇気を纏わせながら、足早に王都へと向かった。
「また、また……逢えますか!」
健気に、去り行くタイラントに向けて精一杯叫ぶ貴族の娘。
だが、その問いに答える事はなく後ろ手を軽く上げて反応するだけだった。
(子供ってのは、やはり苦手だ)
貧乏貴族とは言え貴族は貴族。なまじ権力者に深く関わると大体録な事がない。
故に俺は名を名乗らなかったし、聞きもしなかったのだ。
見知らぬ只の冒険者と間抜けな貴族で完結して欲しい。
「……もう会う事など、無い」
誰にも聞こえる事のない呟きとタイラントの姿は、都の喧騒と人混みに瞬く間に飲まれて消えた。
王都の門を抜けると、エ・ランテルのメインストリート以上の人混みが目の前に広がった。
流石は一国の主たる都と言った所か。
これだけ人が多ければ、此方としても仕事は大変やり易いだろう。
"街のゴミ掃除"も"情報収集"も含め色々と、な。
「……全く、戦争ってのは地獄だぜ」
珍しく上機嫌な様子でタイラントは冒険者組合に向けて歩き出す。
相変わらずその風変わりな身なりは、王都でも異状なく目立っている。
目立っているが、今の所は只それだけだ。
特に何かちょっかいをされる訳でもなく、道行く人に遠巻きでジロジロ見られているだけ。
不快ではあるが、でもそれだけで排除するなんて浅はかな真似はしない。
この格好で目立たない方が無理な話だと言う事は、本人が一番理解しているから。
まぁ、ケンカを売られたら言い値で買うつもりではあるが。
「……しかし、こう人が多いと流石に"息が詰まる"な」
その息苦しさの原因は人混みでは無く、ガスマスクのせいである。
そもそもお前、呼吸が必要な身体ではないだろう。
タイラント今日一番の渾身のギャグ。
それに突っ込む者は、誰も居なかった。
相変わらずの亀更新ですみません。
これに懲りずに今後もよろしくお願いします。
誤字脱字の修正報告ありがとうございます。