博麗大結界を隔てた外の世界。
そのどこかにある学校の職員室で、紫色のジャンパーを羽織った学生が一人、教員と話し合っている。
言わずとも、その学生は一十百だ。
「一十百君。確かに、このまま行くと出席日数が足りなくなる」
「やっぱり……」
「しかし、我が校としては、出席日数が足りない程度のことで君を失うのは、正直言って、とても痛い」
そう言って、その教員はクリップで止められた資料のようなものを一十百に渡す。
「この“虚数次元空間-関数座標・物質量nの次元係数-”……。この論文を書いたのは君だろう」
「はい。ちょっと、前にまとめた実験値と、計算理論値、あと……」
「あ、いや、私に言っても理解できないから、その辺にしておいてくれ」
コホンと教員は一度咳払いをする。
「夏休みの自由研究で、これを提出された時は、正直言って困った。なにせ、私にはまったく理解できなかったのだからな。かといって、でたらめが書かれているわけでないのは、なんとなくわかった」
そこで、と教員は続ける。
「大学の教授に見てもらうことにしたのだ。それなりに名の知れた教授達なら、正当な評価を下せると思ってね」
「えと、それで……」
「これがその答えだよ」
ドサッと、一十百に封筒の束が渡される。
一般的に知られている大学の名前や、研究室の名前が書かれた封筒。
他にも、Dr.と宛名のついた封筒や、大学の資料に張り付けられた封筒など、ざっと数えて二十数通……。
「えと、これは?」
「推薦書だよ、大学の」
「ふえぇっ! えっ、あれ? 僕って中学生ですよね……」
「まあ、飛び級制度、だと思えばいいんじゃないのかい?」
一十百はいったん職員室を後にする。
とにかく封筒の中身を確かめないことには何とも言えないのだ。
夏休みの自由研究がここまで評価されると思っていなかった一十百は、少し戸惑いを覚えつつも、一つ一つ封筒の中身を確認していく。
教員が言った、推薦書というのは正しいようで、どの封筒の中身も、是非一度うちの大学に……、と言った内容だった。
「……飛び級して、高校生活が丸々なくなりました、ってことになるのかなぁ」
そんなことを考えながら、一十百は封筒を開けていく。
どこの大学も、一度行ってみないとわからないようなものばかりだ。
そんな中、変わった封筒が目に留まる。
普通の茶封筒等ではなく、赤みがかった封筒だ。
後ろの封の所は十字のシールで止めてある。
「これだけ、なんだかちょっと変わってますね。えと、差出人は……岡崎夢美教授ですか」
ポケットからペーパーナイフを取り出し封を切る。
中には一通の手紙が入っているだけだった。
一十百は、それを読み広げる。
そこには一文こう書かれていた。
『いろいろ聞きたいことがありますので、ぜひお越しください』
裏面を見ると、その大学の所在地であろう場所がメモ書き程度に記されていた。
「えっ、これだけ? ……変わった方なんでしょうか」
一十百は疑問に思うも、何か惹かれるところがあったのか、足を運んでみることにしたようだ。
教員に事情を告げ、早退した一十百は、手紙に書かれた大学まで走っていった。
かなり距離があったはずだが、十数分で目的の大学へと到着したようだ。
「こっちでしょうか?」
一十百は手紙の差出人を探して学内を歩く。
途中、すれちがった警備員に止められるも、事情を話すと親切に研究室まで案内してもらえた。
「ここですか……」
一度深呼吸をして、一十百はノックをする。
少しすると、中から声が聞こえてきた。
「今あけるぜ」
ドアが開くと、水兵のような服装をした、金髪の少女が立っていた。
セーラー服とは違い、本物の水兵の服に近い。
「何か用かい?」
「えと、この手紙を見てきました、一十百です」
一十百は、そう言って手紙と封筒を見せる。
それを見て、金髪の少女は、少し驚いた表情をする。
「それは、確か、教授が訳の分からない論文を読んで、テンションが上がってた時に書いた手紙。 ……ってことは、アレを書いたのは」
「僕ですけど……」
「へえ、見た目とは裏腹に、なかなかの切れ者なのか。まあいいや、教授を呼んでくるから、ちょっと待ってて」
そう言って、金髪の少女は部屋の中に戻っていった。
少しすると、先ほどの少女と共に一人の女性が歩いてくる。
赤色の髪に赤色の洋服と、赤づくしの女性だ。
「前みたいに変な対応をしたわけじゃないでしょうね」
「今回はしてないぜ。またボカッ!ってやられるのは、嫌だからなぁ」
何やら二人で話しているようだが、何のことか一十百には分からない。
前に何かあったのかもしれないが、深く追求するのはやめておこうと一十百は思った。
「あ、お待たせしてしまったようね。私がその手紙の差出人の岡崎夢美よ。こっちは助手のちゆり」
「北白河ちゆりだぜ。よろしく」
「一十百です。えと、この手紙に書いてあった聞きたいことというのは?」
「まあ、立ち話もなんだから、お茶でも飲みながら話しましょう」
研究室内にある席に一十百と岡崎夢美は向かい合って座る。
北白河ちゆりは岡崎夢美の隣に腰かけている。
「一十百君だったわね。この“虚数次元空間-関数座標・物質量nの次元係数-”の論文を書いたのは、あなたで間違いないかしら?」
そう言って、十字のクリップで止められた資料を一十百に渡す。
一十百は一通り内容を確認し、岡崎夢美に渡す。
「はい。僕が書いたものに間違いないです」
「これだけの物を、ただの中学生が書いたなんて……」
パラパラと資料を確認するように捲っていく。
そして一通り見終わると、一十百の方に視線を向けた。
「それで……、聞きたいことというのは、魔法についてよ」
「えっ!? ま、魔法ですか……」
あれ……、さっきまでの流れで、なんで魔法の話になるんでしょうか。
どちらかというと、科学とか、物理学とか、そういう現実的な話になると思っていたんですけれど……。
と、とにかく、話を聞いてみないことには分かりませんね。
「そう、魔法よ。一十百君、この論文を書いたというなら、並行世界というものにかかわったはず。その中で魔法というものを会得したりしなかった?」
「会得は……しなかったですね。かなり魔法というものに深くは関わってきましたけど……」
一十百の親友や一十百の主、他にも主の館にいる者多数……、その大半が魔法使いなのだ。
さらに、幻想郷で数人、魔法に関わる人にも会ってきている。
そういう意味では、確かに魔法に深くかかわっていると言っても間違っていはいない。
「でも、どうして急に魔法のことを?」
「一十百君は統一原理については知っているかしら?」
「えと、たしか……、あらゆる力は一つに統一できるって言う理論でしたっけ。どこかで読んだことがあります」
「そう、それが統一原理よ。私はその統一原理に当てはまらない力が存在するとして『非統一魔法世界論』を発表したの」
そこまで話して、岡崎夢美はグッと拳を握る。
表情も少し悔しそうなものに変わる。
「けれど、思いっきり笑われるだけで、誰からも相手にされなかったのよ」
「なるほど。その統一原理に当てはまらない力が魔法ですか」
「ええ。いろいろ私も試したのだけれど、これと言って成果は上げられなかったのよ」
そこで、と岡崎夢美はグッと体を乗り出す。
「虚数次元空間を理解し、並行世界を渡り歩いてきたあなたなら、魔法とかに詳しいはずと思って手紙を送ったのよ」
一十百は、そこまで話を聞いて少し考える。
えと、幻想郷では、魔法は一般的でしたね。
でも、外の世界だと、魔法は秘匿にしないといけないんでしたっけ。
そんな話を前にクロラージュさんから聞いたような……。
本来なら、そこで一十百の考えは決まり、魔法のことについて一切口にしない事になるはずだった。
しかし、今回は少し事情が違う。
相手は教授、それも自分の拙い論文をしっかり読んでくれた方なのだ。
その相手が困っているのを見過ごすわけにはいきません。
主に迷惑をかけずに、魔法のことを話すには……。
ゆっくりと、一十百は思考をめぐらす。
「う~ん、確かに僕自身、魔法は使えません。でも、魔法が使えるようになる方法なら、幾つか知っています」
「本当! 是非、教えてほしいわ!」
岡崎夢美の瞳が子どものように輝く。
一十百の考え付いた方法は、この世界ではない世界の方法で、魔法を使えるようにしてしまえばいいと言ったところだ。
最悪の場合、“別世界からの干渉です”と言いきれば、相手は何も言えなくなる。
「それじゃ、ちょっと、準備してきますね」
一十百は立ち上がると、タンと床を蹴りいったん外に走っていった。
数分して、一十百が戻ってくる。
片手に、なにか……耳の長い白い動物を持っている。
「やっと捕まえました。この宇宙生物と契約すると、魔法少女になって魔法が使えるようになれるらしいです」
「僕と契約し……」
「いや、そいつはまずい気がするぜ」
何か嫌な予感を感じたのか、北白河ちゆりが止める。
どことなく、嫌な予感がするのだ。
なにか、よからぬことが起きそうなので、一旦、話の腰を折る。
しかし、そこで止まる岡崎夢美ではなかった。
「契約すると魔法少女になれるのね」
「そうだよ。それと、君の願いを何でも一つ叶えて……」
「だー! 教授、コイツあからさまに胡散臭いぜ!」
一十百の持っている白い動物を指差して、北白河ちゆりが警告するように言う。
しかし、岡崎夢美は頷くと、軽く微笑んだ。
「あら、そんなことわかってるわよ。だから、ちゆり。あなたが契約してくれればいいわ。その後で、私の研究に付き合ってもらうから」
「ちょっ……」
さっと、北白河ちゆりが身を引く。
まさか、いきなり私に振ってくるとは思っていなかった。
いや、ほんの少し、もしかしたら私に振ってくるんじゃないかとは思ってたけど……。
一十百の手に持っていた白い動物は、じっとちゆりの方を見る。
「北白河ちゆり。君は魔法少女としての才能を持っている。だから、僕と契約を」
「あ、そう言えば、並行世界のちゆりは魔法を使ってたわね。それなら、こっちのちゆりにも才能があって当然ね」
思い出したかのように、夢美はポンと手を打つ。
「いや、話がうますぎる! 絶対、なにか裏があるぜ!」
「大丈夫よ、ちゆり。大方、魔法を使いすぎると異形の生物になったりするとか、そんなのよ。それはそれで研究が捗るから、私としては大歓迎なんだけど」
「私は大反対だー!!」
北白河ちゆりは、転がるようにして研究室から出て行ってしまった。
やれやれと、岡崎夢美は軽く手を振る。
「ちゆりがあの様子じゃ無理っぽいわね。魔法少女になれるなんて素敵なのに」
「ま、まあ、無理強いするのもどうかと思いますので……。それじゃ、この子はいったん返してきますね」
「君が魔法少女になってくれてもいいんだよ? 君には魔法少女としての素質はないけれど、僕との契約で少しなら魔法を使えるようになるよ」
一十百を見ながら、白い動物はあっさりとそう言った。
ぴくっ、と岡崎夢美が反応する。
「……一十百君。この白い子がそう言ってるけど」
「え、えと、魔法少女になるっていうのは、まあいいんですけど……。とある重大な問題があるんですよ」
少しうつむきながら、一十百は研究室の窓を開ける。
雲一つない青空と、朗らかな太陽の日差し、とてもいい景色だ。
ヒョイと、手に持っていた白い動物を一十百がつまみ上げる。
そして、大きくその手を振りあげた。
「僕は……、僕は、男ですよっ!」
ダンと、一歩踏み込み、一十百がその手を振り下ろす。
一十百に投げられた白い動物は、まるで雲を引くように、真っ直ぐ青い空へと吸い込まれていった。
そして、キランと昼間なのに、遠くで一つ星が瞬いた。
どこかずっと遠くで“わけがわからないよ”と聞こえた気がした。
「……夢美さん。別の方法にしましょう」
「そ、そうね。ちゆり、別の方法を考えるから、戻ってきなさい」
「あ、ああ。 ……いま、ものすごい勢いで、何かが空を飛んでいった気がしたけど」
「気のせいよ」
その後、別の方法を検討する、三人の姿があったそうだ。
今回の出来事・一十百メモ帳より抜粋
岡崎夢美:僕の書いた論文を読んで興味を示してくれた方です。『非統一魔法世界論』の証明の為に、並行世界にまで足を運んだそうです。色々な方法を使って、魔法のようなものを発生させているらしいのですが、本物には勝てないと言っていました。う~ん、そんなことをしなくても、十分すごい人だと思うのですけど……。by一十百 彼の知り合いには、たくさん魔法使いがいるらしいわ、素敵ね。by夢美
北白河ちゆり:夢美さんの助手をしている方です。夢美さんの実験データとかを、編集してまとめているらしいです。金髪と少し変わった話し方で、どことなく魔理沙さんを思い出します。並行世界のちゆりさんは、魔法が使えたそうです。by一十百 あの時は、いろいろと苦労したんだぜ。byちゆり
並行世界と平衡世界:一十百君の論文には、平衡世界という文字が書かれていることが多いわ。私たちの知っている並行世界と何かが少し違うみたいね。だから、この平衡って字を使ってるみたい。なにがどうちがうのかは、まだわからないわ。by夢美