幻想郷最速、と言えばだれを思い浮かべるだろうか。
大半の人は射命丸文と答えるのではないだろうか。
では、この幻想郷において、人間最速は誰かと尋ねたら、二通りの答えが返ってくる。
一つは普通の魔法使い、霧雨魔理沙だ。
彼女の飛ぶ速さは、射命丸文程ではないにせよ、かなり速い。
弾幕勝負でも、その速さを糧に一気に攻めたててくる。
しかし、彼女を含め、幻想郷に名が通っている者達はこぞって彼の名をあげるはずだ。
一十百が、この幻想郷において最速だと。
幻想郷最速の射命丸文、人間最速の一十百。
この二人が異変解決に乗り出したら、それこそ電光石火の早業で、異変を解決してしまうのだろう。
けれど、それはあくまで二人が全力で異変解決に臨んだ場合であって、実際はそうなるとは限らなかった。
「朝早くこの辺りに来ると、空気が澄んでいますね」
一十百が大きな伸びをしながら深呼吸をする。
しんと静まった森、朝の涼しげな空気がとても美味しい。
「ええ、そうですね。この辺りを朝飛ぶときは、気持ちゆっくりと飛んでしまいますよ」
一十百のすぐ前にいる射命丸文も、同じように軽く深呼吸をする。
幻想郷最速の二人にしては、とてもゆっくりとした歩みで森の中を歩いていく。
本来なら駆け足という名の神速で、目的地まで一直線なのだが……。
射命丸文の一言で、それはなくなることとなる。
「その、せっかくですので、のんびり行きませんか? ほら、今回の異変は色々な花が咲いますし……」
「えっ、う~ん……。それもそうですね。それほど大きな影響は起きてないようにも見えますし、久しぶりにゆっくり行きましょうか」
一十百が後ろでゆっくりと歩きだす。
その前で、一十百に見えないように文が大きくガッツポーズをしたのは言うまでもない。
こんな風に一緒に歩いている二人だが、異変に臨む態勢は大きく違っていた。
一十百は、まず第一に異変解決なのだ。
異変を楽しむということもあるが、博麗の巫女(見習い未満)として、異変解決を最優先しなくてはならない。
次に協力者である射命丸文の手伝いだ。
今回の異変の首謀者に心当たりがあると言っているので、手伝わないわけにはいかない。
それ故に、射命丸文が走れば走るし、止まれば止まる。
ある意味、異変解決に対して遠回りになりそうだが、自分一人で異変の首謀者を見つけ解決できるほど幻想郷は甘くない。
だからこそ、一十百は射命丸文と共に異変解決に臨んだのである。
対して射命丸文は、スクープを最優先にする。
異変はそのままスクープになるが、それでは物足りない。
異変解決に向かう先々での出来事を、ちょっと大げさに書いてこそ、いい記事になるというものだ。
次に自己の保身である。
命あっての物種、とはよく言ったもので、危険と判断したら即撤退が主である。
まあ、こう見えて射命丸文の実力はかなり高く、即撤退に至ることはほぼない。
だからこそ、少し無理やりにでもスクープを撮りに行くようにもみえるのだ。
案外二人の考えは一致しているようにも見える。
異変解決に向かえばスクープが手に入る、という部分で行動を共にするだけのことはあった。
しかし、今回の場合、文の最優先事項が変わったのだ。
最優先事項、一十百との距離感を限りなく縮める、である。
そのためならば、首謀者の所まで一緒に行動し危険だろうが、多少スクープの鮮度が落ちようが問題ではない。
なんとかしてこの二人きりの時間を引き延ばそうと考えて行動している。
それ故に、目的地まで遠回りをし、なおかつ寄り道までしていこうという魂胆だ。
「十百さんのためならば、それだけの価値があります。彼の存在は謎に満ちています……。それこそ、一異変に匹敵するくらいに……」
「文さん、何か言いました?」
「い、いえ、何でも」
つい口に出してしまったようだが、それほど射命丸文の記者魂をくすぐる存在なのだ。
なにせ、調べども調べども、まったく情報がまとまらない。
まるで広大な湖の水を手で掬っているかのようだった。
そんなこんなにしているうちに、いつの間にか一十百という存在がとても身近に感じられるようになってしまっていた。
そこで射命丸文は考えた。
こうなったら、彼を手に入れて、本人から聞き出しましょう……と。
そして、現在に至るのだ。
まさか、ここまで異性を意識しない人だとは思っていませんでした。
私の予測なら、もう私なしには生きられないくらいになっているはずでしたのに……。
気が付けば、その立場が逆転してしまっている。
ここはなんとしてでも、この異変で結果を残さないといけません!
そんな思いを胸に秘め、射命丸文は一十百を案内していく。
「さて、十百さん。ここが、今回の異変の首謀者がいる可能性、その一の場所です」
「えっ、でもここって、霧の湖……ですよね。霧は出ていませんけど」
一十百の眼前に広がる湖は、間違いなく霧の湖だ。
この湖、なぜか昼ごろから霧が出て視界が少し悪くなる。
こんな風に朝早くに来ないと、この辺りは一望できない。
「十百さんの言うとおり、ここは霧の湖。氷精や大妖精の遊び場になりつつある湖ですね」
「えと、文さん。まさかチルノが異変の首謀者なんてことは……さすがに」
「もちろん、あの氷精がこの異変を起こしたとは思っていません。私が疑っているのは、大妖精の方です」
ピンと指を立てて、射命丸文が話し始める。
「妖精とは自然と一体の存在です。今回のように四季の花が一斉に咲くような事は、彼女らにとってはお祭りのようなもののはず」
「確かに、他の妖精達も、なんだか楽しそうにしているみたいでしたけど……。大妖精にこんな大がかりな異変を起こせるでしょうか?」
「まあ、彼女一人じゃ無理でしょうけれど、他の妖精たち全員が協力すれば不可能ではないはずです。仮にも大妖精です、妖精たちは彼女の言葉に逆らうことは出来ないでしょう」
そんな話をしていると、ふわふわと何かが近づいてくる。
「あ~! 十百と、文々!」
「あ、おはようチルノ」
ふわふわ近づいてきたのは氷精のチルノ。
寝起きなのか、髪の毛がところどころ跳ねてしまっている。
それを見て、一十百はビシッとチルノに指をさし一言。
「チルノ、ダメだよちゃんと髪くらい整えてこないと。ほら、まわれ右」
「ん~」
くるりとチルノが後ろ向きになる。
一十百はポケットからスッと何かを取り出す。
藍色に染められた小箱のようなものだ。
その小箱をそっと開き、中から色鮮やかな何かが取り出された。
全体は橙色、中心に太陽の紋様が描かれている、かなり値が張りそうな櫛だ。
その櫛で、そっとチルノの髪を梳いていく。
すると、かなり跳ねていたはずの髪が、次々と真っ直ぐになっていく。
「なかなか素直な髪質のようですね。てっきり氷精の髪だから氷に近い成分で、相当な癖っ毛かと思っていましたよ」
「まあ、間違ってはいませんね。チルノは氷でできていますから、普通の櫛じゃこんな風に上手く梳かせません。あ、終わったよ、チルノ」
トンと軽くチルノの肩を叩く。
「ありがと、十百」
くるりと振り返ったチルノの髪が、綺麗になびく。
氷の妖精ゆえか、なびいた髪がシャランとガラスのような音色を上げた。
「普通の櫛では……、ということは、その手に持たれている櫛は普通の櫛ではないのですか?」
「ええ、ちょっとした加工がしてある櫛です。文さん、ちょっと持ってみてください」
そっと一十百が櫛を文に渡す。
それを受け取った文は驚く。
櫛そのものが暖かいのだ。
一十百の手に持たれていたからとかではなく、櫛自体が熱を発しているようだ。
「十百さん、これはいったい……」
「特別な木と、その橙色の染料で太陽の光を閉じ込めた櫛です。日差しの櫛、とでも言えばいいのでしょうか。自然の光を櫛の歯に集め、梳いた髪へと送る、ちょっと特別な櫛ですね」
何だか、あっさりと説明されましたが、これってかなり価値のある物なのではないでしょうか……。
少なくとも、私の知っている櫛とは、かけ離れた存在のような気がしてなりません。
そっと、文は一十百に櫛をかえす。
「チルノの髪は氷に近いですから、こんな風に軽く熱を与えつつ梳かすことができれば、真っ直ぐにすることができます」
「なるほど……」
一十百は櫛をそっと手に持っていた小箱に戻す。
「そう言えば、十百と文々はなんでこんな朝早くからここに来たの?」
「そうだった。チルノ、実は……」
一十百が今回の異変のことをチルノに伝える。
大妖精が異変を起こしたのでは、という話を聞いて、チルノは首を横に振った。
「その異変を起こしたのは大ちゃんじゃないと思うよ」
「なんでそんなことがわかるんですか?」
あっさりと否定したチルノに射命丸文が尋ねる。
寄り道をしているとはいえ、異変の首謀者がいる可能性の場所を回っているのだ。
まあ、射命丸文も、大妖精が異変の首謀者であるとそこまで疑っているわけではないのだが、一応聞いておかないと、と言ったところだろう。
「だって、この異変って今日の朝から起きたんでしょ」
「そうだね。昨日の夜までは、何ともなかった気がする」
毎晩、一十百は井戸の水を汲みに行っている。
そのときは、まだあの向日葵は咲いていなかった。
「じゃあ、やっぱり大ちゃんじゃないよ」
「何か根拠があるんですか? 友達だから、とかでは信じられませんよ」
「だって、大ちゃん、まだ寝てるもん」
「はい?」
何かスクープになるのではと、ペンを構えた文の動きが止まる。
「あ~、そう言えば、大妖精ってロングスリーパーだったっけ」
「大ちゃんは朝に弱いからね」
「えっ、ちょっと意外ですね。私は大妖精にあまり詳しくないのですけれど、彼女は几帳面な性格かと思っていました」
呆れたようにそう言いつつも、しっかりメモを取るところ、さすが記者と言ったところだろう。
「たしか、いつも遊ぶメンバーだと、チルノとリグルは早起きだよね」
「ルーミアとみすちーと大ちゃんは、お昼頃までは自分の家とかにいるよ」
「なるほど。しかしですね、仮にまだ寝ているとしても、昨日のうちに妖精たちに異変のことを頼んでおいたんじゃ……」
「それは……無理ですね」
一十百は少し悩んだような表情をしながらそう言った。
「無理、とは?」
「妖精って、そこまで賢くないんですよ。異変を起こすなんて事、昨日に頼まれたら昨日のうちにしないと、みんな忘れちゃいますから」
「え……、いや、いくらなんでもそこまででは……」
「チルノ~、昨日は何をしていたか覚えてる?」
一十百が話をチルノに振る。
チルノは一度腕組みをして、ポンと手を打った。
「大ちゃんと遊んだ!」
「何して遊んだの?」
「…………えっと、さいきょーであるあたいは、過去を振り返らないのさ」
「そうだね」
にっこりと一十百はチルノに微笑む。
そして、文の方に振り返った。
「どうですか?」
「ええ、とても分かりやすく信用できる実演でした」
ふぅ、と軽く文はため息を吐いた。
まあ、ほとんど疑ってませんでしたし、仮にこれでもし本当に大妖精が異変の首謀者だったら、私の作戦が無に帰すところでした。
一安心ですね。
「それじゃ、異変の首謀者がいる可能性のある別の場所に向かいましょう」
「はい! それじゃね、チルノ」
一十百は手を振って歩き出す。
文も、案内をするために、一歩踏み出す。
そのとき、そっとチルノが文の服の裾を掴む。
「あや? どうしました」
「文々、あたいには分かる。今、文々は何かを頑張ろうとしているでしょ」
「えっ……、まあ、ほら、異変解決をこの目で見て、記事にしないと……」
「いや、それじゃない。たぶん、十百が関係してる何かだと思う」
うっ……、何でしょう、この氷精。
意外と鋭いところをついてきますね。
文が驚くなか、チルノは十百に聞こえないように小さな声でそっと話す。
「頑張った分だけ、その人はいい結果を残せるんだよ。十百と魔理沙がそんなことを言っていた気がする」
そっと、文の両手をチルノが握る。
本来冷たいはずのその両手は、どこか暖かい気がした。
「あたいは文々を応援してるよ。がんばってね」
「……応援、痛み入ります」
ぺこりと軽くお辞儀をして、射命丸文は一十百の方に走っていった。
チルノは二人を見送るように大きく手を振るのだった。
今回の出来事・一十百メモ帳より抜粋
異変の首謀者の可能性その一:自然と一体の存在である妖精が今回の異変を引き起こしたのではないかという可能性です。なので、大妖精が異変の首謀者ではないかと霧の湖に向かいました。by文 大妖精はまだ寝ていたみたいで、チルノにいろいろと話を聞くことになりました。by一十百
日差しの櫛:太陽の光を少しだけ閉じ込めた櫛です。自然本来の暖かみを櫛の歯に宿らせて、髪を梳かせるものですね。チルノの髪は少し温めてから梳かすと真っ直ぐになりやすいので、よく使っています。by一十百 髪を梳かすのに手馴れていましたね、どこかで練習していたのでしょうか?by文 少なくとも、私は一人でやるわよ。by霊夢