ゆっくり……ゆっくり、静かに体を廃墟の影の裏に隠しながら、そこから先を伺う。視線の先に存在するのは―――鹿だ。その姿がゆっくりと足を止め、そして周りへと伺う様に視線を巡らせ、コンクリートの合間から生えた草へと首を降ろし、食べ始める様子を見る。焦ることなく右手のバゼラードを抜き、それを投擲できる姿勢で構え、そして静観する。数秒間、動く事もなく、そのまま鹿の様子を眺め、
『―――今です!』
ジャンヌの声に合わせてバゼラードを投擲する。真っ直ぐ飛翔した分厚い刃は一直線に鹿へと向かって進み、そしてその頭に突き刺さった。そのまま、音もなく鹿が横に倒れ、動かなくなる。ふぅ、と息を吐きながら隠れていた物陰から姿を出し、そして狩猟した鹿へと視線を向ける。なんとか狩る事に成功した鹿へと近づき、その頭からバゼラードを引き抜きながらスカベンジに成功して入手した布で血を拭い、鞘に戻す。これから鹿の解体作業に入らなくてはいけないが、流石にこんな開けた場所でやるつもりはない。鹿の角を握り、それを持ち上げる。
「うへぇ、重い」
『だったら私に変身すればいいんじゃないですか? 大丈夫、私は色々と寛容ですから。多少ムラっときても、レイプに獣姦されまくった経験と比べれば粗末な事ですし、マスターが大変なのは良く理解していますから! だからこう、ちょっとジャンヌちゃんのイケイケボディにムラッときちゃっても大丈夫ですよ!』
「うるせぇよ! なんでそんなにイケイケなんだよお前! もうちょっと体を大事にしようよぉ!」
『と言っても記憶ではなく”記録”の出来事ですしね。所詮今、ここにマスターに寄生しているジャンヌちゃんとは関係のない事なんですよ、マスター』
それでもレイプの話とかは空気が重くなるので勘弁してほしい。それにあれだ、
「変身がクッソ痛いんだよ、気絶したいのに気絶できないってレベルで。ホイホイ変身してたらなんか、こう、人間として大事なものを削ってく? そんな感じがするからあんまし手を出したくないんだよ。だから、まぁ、変身なしでもある程度フィードバック? されているみたいだし? それでいいんだよ」
少なくとも武器を投げて頭を貫通する、なんて力が前までの自分にあったとは思えない。それができるだけでも十分なのだ。だからヨイショ、と声を漏らしながらもっと安全な場所、今拠点にしている場所へと向かって移動する。鹿の解体や料理の仕方はジャンヌが知っている為、その声に従って捌くだけでいいので、そこまで難しいものではない。そんな事を思いながらゆっくりと、周りにアンリ・マユの落とし子がいない事を確認しつつ、進む。
退屈な時間も、ジャンヌが話しかけてくれるから飽きる事はないし、心が折れる事もない。
史実ではどうだったのかは解らないが、それでも今だけは、彼女は自分にとっての聖女だった。
◆
聖杯戦争という戦いが存在したらしい。
七つの英霊が聖杯という万能の願望機を求めて戦うのが聖杯戦争であり、その聖杯戦争にはそれぞれセイバー、ランサー、アーチャー、キャスター、アサシン、ライダー、そしてバーサーカーという七つの基本クラスが存在している。あくまでもそれが基本のクラスであり、ジャンヌの様にルーラー等というクラスが存在するのだとか。ジャンヌのクラス、ルーラーというクラスの役割は調停、天秤として律する事。聖杯戦争というゲームが公平に行われることを目的とした存在らしい。故に【真名看破】と【神明裁決】を保有する。真名を知られたサーヴァントはその弱点を知られる事に等しいし、ルーラーの権限であれば【神明裁決】でサーヴァントの行動自体を制限する事もできる。その権限が与えられている、特殊なサーヴァントとなっている。
ともあれ、そんな聖杯戦争に関する基本的な情報をジャンヌから教わり、魔力と魔術回路に関してもジャンヌに教わった。この世界には魔術サイドが存在し、そしてその世界にはその世界だけの存在があったらしい。ジャンヌが教えてくれるそれらの話は非常に面白い事であり、そして聞き応えががあった。そんなジャンヌの話を聞きながら鹿の解体などを終了させ、その肉を干し肉として使えるように準備する。
都心でスカベンジしたおかげでテントなどの道具をそろえる事は出来たが、食料に関してはほとんど腐っているか、強奪された後だった。手に入れたのも僅かな缶詰のみで、これから先旅を続けるというのには不足する量だった。だから食料を確保しなくてはいけない。そういう事もあり、従軍経験のみならずそれからくる狩猟や調理経験を生かし、ジャンヌが生活のサポートを行ってくれている。そんな訳で干し肉の製造作業を完了させると、漸く一息がつける。
「―――こんな生活を始めてからもう一週間か」
『襲われない限りは一切変身しませんし、終わったらすぐに戻ってしまうのでちょっと詰まんないかなぁ、と私は思うんですけど』
「うるせぇ」
『まぁ、自慰云々は別として―――戦う場合は私の体を使うんです。【啓示】とシンクロを使用した戦闘にも限界はあるんですよ、マスター。それに私の主武装は【
「む……」
『それに、解決しなくてはいけない謎だってありますしね?』
そう、それだ。色々とジャンヌから話を聞いて、そして理解した事があるが、それでも残る謎は大きい。その謎を追おうのが今の自分とジャンヌの目的だ―――というかそれを片付けない限りは他の行動が怖くて実行できないというのが事実だ。まず第一に何故俺とジャンヌがデミサーヴァントという形であの廃墟に放置されていたのか。第二になぜこんなにも世界は荒廃してしまったのか。第三に何故ジャンヌが召喚されているのか。この三点が最大の謎になっている。これのどれかを解決すれば、連鎖的に他の問題も解決できるのではないかと思っているのだが、
「ただ、解る事もあるんだよな?」
えぇ、とジャンヌが言う。
『聖杯戦争は聖杯という制御機構を保有して初めて可能になる奇跡です。ですのでマスターが単体でサーヴァントを維持しているというのは非常に考え難い事です。ですが事実として、マスターが一人で”かなりの余裕をもって”私を維持しています。それに―――』
そこでジャンヌは一旦言葉を置き、
『―――他のサーヴァントがまだ召喚されていません。いえ、召喚していません。ルーラーの権限に六騎の召喚権限が存在しています。マスターが希望するのであれば、サーヴァントを追加で召喚し、使役する権利が存在します。【神明裁決】の効果でその分の令呪も補充できますし、十分に現実的な案です。ですが―――』
「……聖杯が目に見えてないのにそれが出来る事がおかしい上に、俺みたいに魔術の”ま”の字さえも知らなかった人間がそんな事出来るのもおかしいって話だよなぁ……」
『えぇ、ですから、そこにマスターが肉体ごと変態してしまう理由を見つけました。相性が良いのと、”マスターが聖杯”なんですよ。私と、そしてそのほかの六騎を使役する為だけの聖杯。おそらくそれがマスターの正体です』
聖杯。万能の願望機。魔力さえ溜まればどんな願いでもかなえる事ができる魔法の器。それが、俺の今の体だとジャンヌは言っている。ぶっちゃけ、信じられたものではない。ファンタジーが、ファンタジーの中でのファンタジーを語っているのだ。到底信じられるものではないが―――もう既にジャンヌの事は心の底から信じると決めている。恋心さえ芽生えているものだってある。まぁ、それは置いておき、自分の体の問題だ、その、ちょっと不安になる。
『だから負担を軽くする為にもサーヴァントを召喚しませんか? コストパフォーマンスが高くて継続的に戦闘の行えるランサー、魔力消費が少なくて諜報能力の高いアサシン、単独行動と偵察に警戒が得意なアーチャー辺りを召喚しておけば今の活動も遥かに楽になりますよ』
「ライダーとセイバーとバーサーカーは?」
『セイバーは大体ビームぶっぱする生き物なので。あとライダーとバーサーカーは宝具ぶっぱするのがお仕事なので、戦闘力が足りない場合にのみに召喚したい所です。ランサーは偵察兵としての能力も持っていますので、この脳筋ズよりは遥かに扱いやすいですよ。えぇ、偶にロンギヌス握っていたりして扱いにくいですが』
「ジャンヌゥ!」
『で、どうしますかマスター? 戦力の増強は割と必要だと思いますけど』
「また今度で。早急に召喚しなきゃいけないって感じはしない……まぁ、必要ができてからでいいんじゃないかなぁ」
『マスターはその認識、非常に甘いですよ。相手はアンリ・マユの落とし子、つまりはどこかにアンリ・マユが存在し、無限に子を産んでいるという事です。悪意という概念を扱う以上、相手は”無限に等しい”存在な上に単一の概念なのでどうしようもない存在です。物量で来られた場合、マスターだと一瞬で詰みますよ? そうじゃなきゃ私に変身してから剣を鍛えるべきです。【紅蓮の聖女】の重さ、振り方、使い方を徹底的に叩き込むだけで生存率が変わってきますから』
「うーん……こ、今度で」
『へたれないでくださいよー! 恥ずかしがらなくたっていいんですよ? ぶっちゃけちょっと自分がどんな風に悶えるのとか客観的に見るのは楽しそうというか気持ちよさそうというか若干倒錯的な性癖に目覚めそうというか―――』
「お前聖女じゃなくて性女じゃねーのか!?」
『死んで我執から解放されたので少々ハッチャケているだけです。一回死ぬと見えてくる世界が変わってきますよ』
助けて、この聖女壊れてるの。
そんな事を思いつつ、ジャンヌの言葉は正しかった。というよりジャンヌの方が自分よりも経験豊富で、知恵もあるのだ。相手に関する知識はないが、それもより強い相手、そして数が増える様であれば、未熟な自分では対応しきれない可能性が高くなってくる。そうなった場合、最低限戦えるレベルの動きか、或いは戦える人間が必要になってくる。前者は特訓、そして後者は召喚。
だが真面目に考えると、どっちも不安になってくるのだ。変身はすればするほど自分自身から遠ざかっているような気がするし、後者は自分の体の聖杯? そんなものを使って召喚するとなるのだ。不安にならない訳がない。それでもどっちか、となると……やはり軍配はジャンヌの力を十全に扱えるようになることが一番大事だと思う。この一週間、何度もアンリ・マユの落とし子と戦ってきた。つまりこの先も十分そんな可能性があり得るという事だ。この先、生き残るのであれば絶対に力は必要なのだ。絶対に。
何をそんなに深刻に考えているの? と言われると、
この、科学の時代で、
こうも荒廃してしまった街の風景を見てしまうと、一体何がここまで人を追い込んだのか、何が原因でここまで荒廃してしまたのか。
”それ”とこの先、出会うのではないかと思っている。
テント道具を探している間に見てしまった。
まるで急速に腐ったかのような白骨の死体に、壁に染みついて剥がれない血の跡が、壁をひたすら引っ掻いたような跡が、そして絶望と怨嗟の声を書き綴ったメモが。一体何が起きたのか、決定的な”ソレ”を証明するメモや映像は何一つとして残されていない。だが、それにまで出会っていないのは確かだ。もし落とし子程度だったら銃で何とかなっているからだ。落とし子はその程度には弱い。訓練された軍人であれば対処できるレベルだ。
ジャンヌ曰く、今は”銃神話時代”である為、銃撃で十分に神秘にダメージを通す事の出来る環境だと聖杯からの情報で知っている。だからきっと、落とし子以上の怪物が存在しているのだ。そんな怪物と接触した場合、自分は生き残る自信がない。いや、ジャンヌの力を持っていて何を贅沢を言っているのか、って事だがやっぱり、足りないと思う。
「……んじゃあ明日から【紅蓮の聖女】振り回すか」
『お、ついにやる気になりましたか。指導はお任せください―――と言ってもその前に私の体に慣れる事が先決です。明日からは少しだけ大変になりますから、今日は早めに眠りましょう。ではそれまで魔術に関して勉強をしましょうか。初心者の状態を何とか脱却しませんと……』
「世話をかけるな」
軽く謝るといえいえ、とジャンヌが苦笑する。
『求めるのであれば、それに応えるのがジャンヌ・ダルクという少女なんですよ。遠慮なくこき使ってください。その方が幸せですから』
「このワーカホリックのメサイアコンプレックスめ」
『酷っ!』
ジャンヌとの会話を楽しみながらまた、一日が何の成果もなく過ぎて行く―――。
◆
そして翌日、全てを鞄の中に収めてから魔術回路と魔力を使用し、ジャンヌの肉体へと変わる。完全な性別と存在の変換の激痛に耐えつつも、ジャンヌの姿へと変わって自分の姿を再び確認する。バゼラードの刀身を鏡代わりに、確認するのは可愛らしい、少女の面影の残った女の顔だ。表情を作っているのが自分なせいか、ちょっとだけ険しい様に見える。笑みを浮かべてみると可愛い。うん、可愛い。何をやっているんだろうか。バゼラードを鞘に戻し、鞄を背負おうとしたところで、ジャンヌからストップが入る。
『私達英霊は基本的に肉体を魔力で構成されているものです。ですので服装も魔力を通して自由に切り替える事ができます。今、私と一体化しているマスターであれば同じ事ができる筈です。イメージは此方から送りますので、それに合わせて想像してください』
「えーと……」
こういう感じのやり取りも若干慣れた様な、そんな気がする。だからジャンヌに言われたまま、目を閉じ、そしてジャンヌが送ってくるイメージを受け取り、その姿を取る自分を―――ジャンヌを想像する。数瞬後、体に僅かな重みが増え、目を開くと自分の恰好が大きく変わっている。両手はガントレットに包まれており、体は紺色をベースとした服装に所々でメイルを、肩からはマントを被り、何よりも下半身は大きなスリットの入ったスカートという恰好だ。軽く体を振るい、マントが邪魔だ。そう思うとマントだけが消え去る。
「お、便利だな」
『でしょ? いえ、私経験皆無なんですけど』
「ふむ……」
なんとなくだが自分の何時もの格好よりも、ジャンヌのこの正装? 戦闘服? 当時の軍服? の方が”体に馴染む”という感覚がある。何時もは自分の服だとインナーのせいか胸が窮屈に感じたが、今回はその窮屈さはない。なんというか、ジャンヌの体にフィットする様に服装が設計されているような、そんな気がする。いや、実際にジャンヌの当時の活躍を考えたら、彼女専用に服を用意したとかあってもおかしくはない。先頭に立って戦う聖女なのだ、その姿は美しい程良いに決まっている。
『正直見ていてこっちの方が胸が苦しかったし、やっぱり着慣れた服の方がいいですよね』
「着てるの俺だけどな」
『私もマスターも同じ様なものじゃないですか』
まぁ、その言葉は正しい。自分もジャンヌも割とお互いの境界線が怪しい部分はある。それでも精神衛生上の都合として俺は俺、お前はお前、と分けておかないと駄目な所があるに決まっている。とりあえずジャンヌの姿、服装でカバンを持ち上げ、肩に駆けるように運ぶ。色々詰まっている上に割と大きいから肩に食い込む様で重く感じていた筈なのだが、
「全く重さを感じないな」
『そりゃあ私は筋力Bの耐久Bですからね。英霊のEランクでさえ良く鍛えられた軍人というレベルですからね』
「成程、怪力女か」
『マスターって私に対して若干酷くないですか……?』
「そんなことないよー。可愛がっているだけだよー」
『うっそだー―――という軽いノリは置いて、真面目な話をするとまずマスターには体自体になれて貰う必要があります。こう、意識改革的に。そう、そんな風に胸を見て恥ずかしがらなくなるぐらいには。ぶっちゃけ戦闘中そうやって意識されると反応が落ちて命まで落としてしまうので。あ、今のは冗談のようでそうじゃありませんからね? マスターが死ぬと私まで連鎖的に死にますからね?』
「お、おう」
『というわけでまず初めに今日は一日中このままで過ごして貰います。移動も勿論このまま。生活も探索もこのままで』
「ちょまって! トイレとかどうするんですか!」
『やり方は教えます』
「そのマジ声止めろよ!」
そのまま抗議に発展しようとした瞬間、
『背筋を伸ばせ! 前を向け! 黙って立てぇっ!』
ジャンヌの声に背筋を伸ばし、真っ直ぐ立つ。ほとんど反射的な行動ではあったが、体が反応した動きだった。それに今の声は普段のジャンヌとは違い、かなり力強いものがあった。なんというべきか、ジャンヌ・ダルクの聖女としての側面ではなく、
『軍人でしたからね。兵を率いる真似事なんかもしていましたし、ぐだぐだ言うならちょっと厳しい手段をジャンヌちゃん、取っちゃおうかなぁ、と思います。うだうだするのは男らしくないですし。あ、そういえば今のマスターはジャンヌちゃん2号なので男じゃありませんね、すいません。ちょっとだけうだうだしてもいいですよ』
「なんだよそのちょっとだけ譲歩しますよって感じのスタンスは! ったく……やれるところまではやるよ……」
何だかんだで自分が毎回折れている様な気がする。やだなぁ、この聖女に調教され始めてるわ。そんなくだらない事を考えながら歩きだす。履いているのは靴というよりは鋼鉄の軍靴、グリーヴだ。歩いて得る足の裏の感触が、何時ものブーツとは全然違う。普段はそんな事を気にする事さえなく一気に切り払って終わらせてしまう為、ある意味では新鮮でもあった。
そんな些細な違いを感じつつも、
歩きだす―――。
じゃんぬ と いっしょっ!
TSモノは肉体への戸惑いを書くのがお約束です。fateベースだから若干TSの趣旨から離れるかもだけど、性差に関してはちょくちょく描写したい感。折角運営に女体描写のR18ガイドラインを聞いて来たし。