―――私はまた、一匹の獣が海から昇って来るのを見た。
―――それには角が十本、頭が七つあり、
―――それらの角には十の冠があって、
―――頭には神を汚す名がついていた。
ヨハネ黙示録第13章より。
◆
それは七つの首を持った赤い獣だった。黙示録に描かれた通り、角を持ち、冠を被り、そして四足大地を歩く冒涜の獣だった。その背には服装を一切着る事はなく、そして黄金のアクセサリーを身に纏う、金髪の女がいた。その姿は男女関係なく劣情を抱くものであり、人間であればそれを見て、問答無用で武器を投げ捨て、そして抱かれるために体を差し出すだろう。たとえその前に赤い獣に喰われるという現実があったとしても、それを気にさせる事なく、人は自殺の道を選ぶ。億が一、那由他が一、その女へとたどり着け、抱かれる事が出来るのであれば、それだけでいい。それ以外のものは何ももういらない。名誉も、家族も、友も、全ていらない。抱かれる事さえできればいい。
そう思わせる女―――大淫婦マザーハーロットが黙示録の獣に騎乗している
その黙示録の獣と大淫婦が支配する精神汚染の空間、それに真っ向に相対するように立つ、二つの姿がある。一つは奇抜だが情熱的な赤い服装の少女であり、もう片方が学生が着る様な制服に身を包んだ青年だった。明らかに場違いと評価できる組み合わせだった。神話に紛れ込んだ生贄、被害者、それが今、二人を象徴する言葉だった。どんな人間であろうとも振り払う事の出来ない大淫婦の気配を二人は最大限の状態で受ける場所にある。故にこれが普通の者であれば、間違いなくその気配に心を溶かされてしまうのだろう。
が、
「ふむ……クラスはライダーって所か」
「ハイサーヴァントとなってくるとクラスとか怪しい事になってくるからぶっちゃけ括るだけ意味がないと思うがな! 主にリップやリリスの事だが! しっかし姿かたちはまるっきり違うが、感じる力の質は割と似ているものがするぞ奏者」
「あぁ、それは解ってる……けど、さて、どうするかなー。月とルールが違うからマトリックスもないし図書館で検索する事も出来ないしなぁ……」
「奏者よ、最後は余との愛とご都合主義のコンビネーションでどうにかするとはいえ、あまり不安になる様な言葉を言うべきではないのだと思うが」
「そうだな、セイバーの言う通りだな」
そう答え、”奏者”と呼ばれた青年は鋭い視線を黙示録の獣と、大淫婦へと向けた。不思議な事に、男装の少女”セイバー”と”奏者”は誰もが溶かされるであろう大淫婦の領域において正気を保つどころか、まるで何時も通りの様に活動をしていた。サーヴァントと呼ばれる英霊であれば、まだ分かる。彼らにはスキルや宝具、逸話や伝承が存在し、そのおかげで精神汚染を無効化する程度の事はやってのける。何よりも脅威的であり、そしてマザーハーロットの気を向かせたのは青年の存在だった。
―――その青年に特別な事は何もなかったからだ。
肉体を構成しているのは普通の人間と同じ血肉である。その体の内にある魔術回路は多い方ではあるが、全身が魔術回路なんてデタラメな事はない。伝承保持者ではないし、血脈を以って神秘を後世へと伝える一族でもない。混血でもないし、なんら、特別な肉体を保有した青年ではない。故にマザーハーロットの気配に当てられる被害者側の筈である青年は、まるで意に返す事もなく、マザーハーロットと黙示録の獣を正面から見ていた。ありえない。そう表現できる様子だった。だが現実として発生している。青年は淫気に溺れない。
そのトリックは簡単な話、
”対峙し、そして退治した”という経歴を持っているだけの話だ。
「様子を見るか……GABBGA」
「と言いつつノリノリではないか!」
傍目、意味の解らない言葉を放ったように見える奏者の言葉をセイバーは受け取り、相手が動き出すのと全く同じタイミングで踏み出した。黙示録の獣の上に騎乗するマザーハーロットは騎乗する獣を操り、素早くセイバーに接近し、そして七つの首で噛みついてくる。それをセイバーは的確にガードしながら、瞬間的にカウンターを叩き込み、素早く攻撃と攻撃をぶつけ合いながら大ぶりの攻撃を黙示録の獣へと叩き込み、流れるようにガードへと移行、守ってから素早い斬撃を叩き込み、後ろへと跳ねた。その距離に合わせる様に奏者が後ろへと下がった。
「ふむ、ABBは完全に外れであったな! ……なんか今の言い方は月の方を思い出してイラっと来るぞ」
セイバーの方には短い接近戦の間で喰らった斬撃のダメージが赤い痕となって刻まれていた。片手を前に突き出した奏者はその傷をあっさりと治療するが―――黙示録の獣に至っては傷痕すら存在していなかった。カウンターや素早い斬撃の類、それらは全て黙示録の獣に命中したが、そうであっても彼我のサーヴァントの格が違いすぎる。生物としてのスペック、領域が違うのだ。
「少々めんどくさいからちょっくら余が持っている事にしよう! 皇! 帝! 特! 権! である!」
「……GGAGGA?」
笑いながらセイバーが突撃する―――その刃には先程までは存在しなかった【神殺し】のスキルが乗っている。【皇帝特権】を通して自由にスキルを獲得したセイバーはそのまま青年の指示に従い、故にその刃は神話の登場人物である黙示録の獣に良く突き刺さる。一瞬の接近に反応した獣の連続の噛みつきを連続でガードしながらそれを弾くように飛ばし、踏み込み、一撃、斬撃を通してから再び防御に入る。すかさず入りこんでくる連撃のガードに成功してから受け流し、カウンターを叩き込み、
「余は楽しい!」
大きく一回転しながら速度の乗った剣を頭上から叩きつけた。美術品の様なまともな造形が成されていない焔の様な剣を振るっているくせに、その一撃は強く、素早く、そして響く。その衝撃にあわせて後ろへと跳び、再びセイバーは距離を取るが。
「ぐぬぬぬ、全く通っておらんぞ奏者よ! 敵はどうやら”神話強度”が余よりも遥かに高い様ではあるな」
「ムーンセル内とは違って地上では歴史の深さで神秘量が変わるから、神話の時代になると神話強度等が出てきてまともにダメージが通らないんだっけ? 困ったなぁ、読みは通るんだけどな……ならやり方を変えるか」
呟く青年に合わせてセイバーが剣を構える。それを見ていたマザーハーロットが面白そうに微笑む。攻撃する機会なら何時でもあった。だがそれを彼女が実行しないのは、明確に彼女がこの二人組を舐めているからに違いない。いや、確かに本気を出せばおそらく、セイバーも、そして奏者も、一瞬で滅ぼせるのだろう。それが”神霊”というカテゴリーに入る存在の理不尽さなのだから。故に低次元の攻撃を受け付けない黙示録の獣の上で、初めて見る、自分の領域でも正常に活動する青年の姿に彼女はときめいてすらいた。どうやって自分という毒で甘く溶かそうと、それしか考えていない。
それを理解している故に、青筋をセイバーが浮かべる。
「勝手に奏者を誘惑するでないわ!」
踏み込んだセイバーに対応するように黙示録の獣が動き出す。だが更にセイバーが加速する。
「―――天幕よ、落ちよ!
「……見切った、BGAAA」
背後へと高速で切り抜けたセイバーが相手が振り向く時間を利用し、大ぶりの斬撃を叩き込む。その直後に反応する獣の薙ぎ払いをガードで受け流し、素早くカウンターを成立させながら一瞬で獣の上へと踏み乗ったセイバーがマザーハーロット、そして獣の頭を二つ、切り裂くように抜け、奏者の横へと戻ってくる。それに合わせ、指揮の最短距離を維持する為に奏者が下がる。
「見事だ奏者よ! だけど通じてない! 余、泣きそうだ!」
「よしよし……神話強度じゃなくてこれは”伝承保護”の類―――”私は神話を達成しなければ死にません”という類のアレだな」
「ぐぬぬ、結局神秘の強度差で殴れないのが原因ではないか!」
「まぁ、確かに神秘が強ければ殴りとおせる訳だけど―――」
そこで奏者が黙る。セイバーの神秘はそこまで悪くはないが、とても濃いというレベルでもない。奏者がセイバーと共に相手をした太陽の騎士であれば、その宝具で強引に傷をつける事もできただろう。生憎と、そこまでの神秘がセイバーには存在しない。故に不可能な選択だった。そればかりは月とは違う、無情な”システム”とも言えるかもしれない。月とは全く違う法則、全く違う世界。それは逆風となって奏者とセイバーに襲い掛かっていた。今迄戦っていた環境と、そしてここでの違いというものもあるかもしれない。
「まぁ、それでも―――」
と、口を開き、
「―――そんな事よりも、私と遊んでくださらないのかしら?」
マザーハーロットがついに言葉を放った。その一言一言が呪詛だ、口を開くだけで多くの人間をそうした様に、音で魅了し、そして直接脳髄に理性を飛ばすように誘惑する。ただその声を受けて、奏者は溜息を吐きながら頭を横に振る。
「露骨なエロはセイバーで見慣れているしなぁ……」
「奏者よ、余の一帯どこがエロいのだ。これはただの男装だぞ」
「そのセンスからして終わってるのに何で気付けないんだろうなぁ……というわけで、残念ながらノーサンキュー。あまり、露骨なエロってのは好きじゃないんだ。健全な格好に隠されたチラリズムの方が個人的には趣味でね。だから俺を誘惑したいなら最低限現代のファッション誌に目を通してから着エロについて学ぶんだな!」
「奏者よ。結局話がエロに戻っているぞ」
「流石大淫婦……!」
「ふふ、愉快な方ですわね」
「まぁ、月で一番愉快な男かもな―――月の男ってもう俺一人だけどさ」
その言葉にマザーハーロットが首を傾げる。だが、奏者が面白い事を言っている事だけは理解している。その為、面白そうに彼女は笑った。その笑みや笑い声には一切の邪気や悪意が存在しない。当たり前だ、彼女は殺そうと思って人間を殺そうとしていないし、殺そうとも思っていないからだ。ただ、彼女と関わった結果、勝手に人が堕落して自滅してしまうのだ。或いは彼女が騎乗している黙示録の獣、それが勝手に食い殺すのだ。ならば”仕方がない”と割り切るしかない。”そういうものだ”と納得するほかはない。
大淫婦に悪意はなくても、その存在自体が純粋な悪なのだ。
―――これが人類史上二番目に多く人を殺した処刑人であれば、問答無用で即死させた相手だろうし、それは確実に成功するだろう。
それだけにこの存在の悪の純度は高い。無意識や意識的にという言葉は意味をなさい。
純然たる悪のみで構成されているのだから。ただ、それも、奏者から言わせれば、
「―――最強最悪の宝具よりはマシだな」
「うむ、それは間違いないな」
それでも過去を想いだし、前よりは良かったと言う。”ルールが違う”から比べられるものではないが、それでも規模的には大分マシになっていると、そう断言し、そして奏者は、改めてマザーハーロットを睨む。今までの様な様子見に徹する様な視線ではなく、明確に敵を倒すべきだと判断し、そして倒す為に向ける、戦意ある、戦士の目だ。
「詰めるぞ”ネロ”。出し惜しみはなしだ宝具も神話礼装も解放する」
奏者の言葉にセイバーが笑みを浮かべる。
「然り! 浪費してこその財である! 我が名はネロ・クラディウス! 我が才を見よ! 万雷の喝采を聞け―――」
セイバー―――暴君ネロが剣を掲げる。それに合わせる様に世界がネロに飲まれて行く。マスターである奏者を、サーヴァントであるネロを、黙示録の獣を、そしてマザーハーロットを黄金で出来る広大な世界の中へと閉じ込める。美しくも輝くそれは、
「しかして讃えよ! ―――【
黄金の劇場だった。ネロを中心に展開された黄金の劇場、展開されるのと同時にネロを称える様に光り輝き、そして辺りに漂う淫婦の気を洗い流す。その中央で踊るようにポーズを決めるネロの服装は光と共に変化して行く。赤い、情熱的な服装からもっと原始的で、きらびやかで、しかし火山の情熱を感じさせるような服装―――礼装へ。
「再び告げよう! 我が名はネロ・クラウディウス! マスター・岸波白野のサーヴァントであり、月の聖杯の覇者であると! 讃えよ、奏でよ、そして踊るが良い! そうやって迎えるが良い―――余と奏者の勝利を!」
煌びやかな劇場と服装に包まれたネロを見て、漸く、黙示録の獣が警戒をする様な意識をネロ、そして白野へと向ける。
【
それを展開する事により、神話を殺すに至る次元へと至ったのだ。
「ネロ!」
「―――奏者よ、この剣、其方に捧げよう―――
瞬間、踏み込み、黙示録の獣の背後へと回り込みように切り込んだネロの動きは一撃で黙示録の獣の七つ首の内、その一つを問答無用に切り飛ばした。瞬間的に反応した他の首が四足獣にはありえない反転速度を見せながらネロの横へと回り込み、その逃げ場を殺すように六つの首で追い込み始める。それに反応し、白野が指示を出しながらネロが刃を振るう。迫ってくる獣の首を一つ一つ確認し、指示を受け取りながら明確に見切る。
「余が持っている!」
【心眼(偽)】を取得し、回避する。
「踏み込む故に持っていることにした!」
【魔力放出(炎)】を取得し、踏み込みと火力を増強する。
【皇帝特権】という化け物染みたスキルを最大限利用し、ネロ、そして白野が黙示録の獣とマザーハーロットへと正面から挑む。人類が”知性と理性と性欲”を保有する限りは覚者でもない限りは打倒できないと言われている大淫婦を相手に、おそらくは唯一、何のペナルティを受ける事もなく正面から戦える男。
―――既に月で淫婦には勝利している。
故に的確に、そして確実に見切って指示を出すのみ。
”情報は出揃っている”のだから。
岸波白野は諦めない。
ネロ・クラウディウスは愛する奏者を裏切らない。
―――アメリカ黙示録の大淫婦討伐の幕はこうして上がった。
―――これは既に終了した物語。
―――神話の赤き竜はここにはいない。
―――人々を導く救世主は”絶対に来ない”。
しかし、それでも、聖杯によって生み出された偽物の黙示録、神話。
―――これは既に終了した物語。
月から降りてきた二つの存在によって大淫婦を滅ぼした、という物語の一幕。
人類は、まだ、戦える―――。
お月様からやって来た最後の助っ人。
ご都合主義はない。
ゲームのリセットボタンはない。
それでも前に進む事だけは諦めない。
覚者も波旬も大淫婦も月もぶっ飛ばしてやるからかかって来い。
ザ・主人公の短い活躍のお話であった。