ゆっくり、ゆっくりと、進んで行く。
前へと向かって速度を出さないように、音を殺して、しかし着実に前へと向かって進んで行く。見られる心配はない。【ハデスの隠れ兜】がその仕事を成しているから、光学的、魔術的に察知される事はありえない。ならば匂いは? それもあり得ない。体臭よりも濃い匂いが今は全てを塗りつぶしている。なら後は音と気配だ。だが今いる場所に対して気配を察知させる事は難しいし、エルキドゥの気配の感知能力にしたって、範囲外の場所に今はいる。エルキドゥは大地を通して相手の存在を感知する事が出来るらしい。つまりはその範囲外から侵入すれば警戒網を抜ける事が出来るという訳だ。
―――即ち海路。
冬木市には港が存在し、そして海に隣している都市だ。アーチャーのシャドウサーヴァントが海へと視線を向けているのは事実だが、それでも【ハデスの隠れ兜】を被れば、波に隠れて気配を紛らわせる事が出来るし、潮の臭いで体臭を誤魔化す事もできる。ジャンヌの姿になればサーヴァントの身体能力と体力でまるで疲れ知らずかのように泳ぎ続ける事が出来る。そんな事もあり、地に足をつける事無く、【ハデスの隠れ兜】で隠密状態を維持しながら海側から接近する。かれこれ数キロはこの状態で泳ぎ続けている。警戒網に引っかからない様に一旦後退し、日本海側に大きく出る様に泳ぎ、そのまま沖の方から冬木の奥、旧都の北西にある森の方を目指す。
海の中は海の中で幻獣等が存在するが、それらに関しては【ハデスの隠れ兜】だけで十分なため、襲われることはない。だから後は泳げるだけ泳ぐのみ。隠密状態で何時間か時間をかけながらゆっくりと泳ぎ、そしてやがて、上がれそうな大地を見つける。山と海に囲まれている冬木市、その西側には山が広がっている。海から上がった森を横断すれば、大聖杯が存在する”大空洞”へとあっさり近づく事が出来る。サーヴァントが多いのは市街地の部分である為、森を突破してしまえば此方のもんだ。あとは見つからない様に気配を殺しながら進むだけでいい。
―――数時間という時間をかけ、冬木市の北西の海岸に到着する。
素早く海岸の上に上がってから身を低くし、体を乾かす前にそのまま素早く走って前方の森の中へとロールしながら入りこむ。そのまま木の裏へと背を当て、しゃがむ様に体勢を屈め、ルーラーとしての特権、サーヴァントの位置把握能力を活用する。自分の聖杯とは関係のないサーヴァントである場合は少々難しくなってくるが、それでも捉えられはする。それで森の中に、及び近くにサーヴァントがいない事を再度確認して息を吐く。
「うへぇ、びしょびしょ」
びしょ濡れのジャンヌの体を見る。彼女の軍服が体に張り付いて気持ちが悪いが、それを脱いで乾かす様な余裕が今あるわけでもないから、このまま我慢する。だけどそれでも胸の間とかがちょっと感触的に気持ち悪い。どこか余裕があれば一回変態を解除し、そして再変態して乾いた状態になるのだが、あんまりそういう事をやりたくはない―――変態は今でも痛いし。
『しかし、上手く行きましたね。海を泳ぐって言った時は正気を疑いましたが』
『悪い手ではなかろう。実際、海に関しては幻獣や海魔等が警戒を行っている。それが現在の世界だ。だから警戒する必要がないのだ、泳ぐ者はおらんだろうし、船なんか存在もしないだろう』
『とはいえ、流石に焦ったがな』
『で、これからどうします?』
「どうする……って大空洞を目指すしかないさ」
息を吐きながら立ち上がり、そして事前に確認した冬木の地図を脳内で思い浮かべつつ、森の中を歩き始める。時間帯はまだ昼前で、晴天が見える程の良い天気なのだが―――冬木は常に薄暗い。まるでここだけが災害の時から前進していないかのように時が停止しており、空は常に夜の闇に包まれている。この森は幸い、燃えていない為、夜と影の闇が利用できる。それに身を隠しながらこっそりと闇の中を縫う様に進んで行く。視界が悪い為、足元に気をつけなくては転びそうになる事がある。だからそれに注意しながら木の根や枝を回避し、ドンドン森の中へと踏み込んで行く。
『慣れた動きだな』
それはアルトリアが放った言葉だった。そうか? と首を傾げながら歩みを止める事なく森の中を進んで行く。
『あぁ、森の中の歩き方を知っている者の動きだ。どこかで習ったのか? 前々から思っていたが、探索の手順などに関しては妙に手際がいい』
アルトリアの言葉に首を傾げる。そんな事を言われてもそういう覚えはあんまりない。何度かサバイバルゲームを遊んだ程度のインドア派の人間だ。そういう特別な設定とかを期待されても困る。いや、今、現在進行形でジャンヌに変態しているという特殊な設定が存在しているし、聖杯が体にはあるし、サーヴァントを連れているという面白状況なのだが、それを抜きにすればそういう特別が自分にはあったような―――そんな事はない気がする。自分はあくまでも普通の青年だ。魔術回路があったのは驚きだが。そんなものだろう。
『ふむ、そうか。いや、少し気になっただけだから問題がないのであればそれでいい』
『煮え切りませんね』
『特に疑問を抱いている訳ではないからな。それにあまり無駄話をして気を散らしたい訳でもないからな。疑問があったら終わった後で解く事にする』
どこか男らしいアルトリアの言葉に内心で苦笑し、そのまま前方へと向かって進む。迷わない様に時折、木にマーキングを施しつつ、完全な暗闇の中を月光と遠くに見える火災を光源に、進んで行く。やがて、遠巻きながら闇の中に、何か建造物があるのが見えてくる。完全に朽ちている様にも見えるその建造物は城の様に見える。大空洞へと向かう道中にある場所になっているが、サーヴァントの反応はないし、そのまま直進する。そのまま数分後、見ていた空間へと出る。
やはりそこにあったのは朽ちた城だった。激しい戦闘があったのか、破壊されている様に朽ちている。城の裏手から到着してしまったので、一応の確認の為、前へと回ろうとすると、
『アインツベルン城だな』
「アインツ、ベルン……」
『聖杯戦争等という馬鹿げた夢を追い掛けた者共の夢の痕よ』
『……聖杯の知識によりますと、アインツベルンが歴代の聖杯戦争の主催者的立場にあり、開始の際に関しては主導してきた一族らしいですね。現在の大聖杯戦争の元凶ともされ、”一族全てが殺されている”らしいです』
アンリ・サンソンの言葉を聞き、この大災害の元凶ともなるのであれば、それもそうなるよなぁ、とは思う。アインツベルン―――聖杯戦争を通して”魔法”を成し遂げようとした一族であり、そして聖杯戦争において”小聖杯”を提供した一族でもある。ホムンクルスに小聖杯を組み込む事によって自衛させるという手段を生み出した。そう、まさに自分と同じ状態を。今、自分の体の状態はアインツベルン製小聖杯搭載型のホムンクルスと同じ様な存在だと思えばいい。ただ一つ違うのは彼方が聖杯戦争の完成用の部品であり、此方は大聖杯破壊用の切り札、という点だ。それはそれとして、相当狂気の込められた一族であり、一族が皆殺しにされたことに関してはもはや当然のだとしか言う言葉がない。
『これは―――』
アインツベルン城の表側へと回ると、アインツベルン城の入り口、城門前の大地に突き刺さる様に見た事のある石で出来た剣の様な斧の様な武器が存在している。色はもっと黒かったが、一回だけ、秋葉原で見た事がある―――そう、バーサーカー・ヘラクレスの武器だ。それがまるで守護するかのようにアインツベルン城の前に突き刺さっている。何故こんなものが、なんて思ってしまう。ヘラクレスも、そのマスターであるアインツベルンの少女も、第五次聖杯戦争で死亡が確認されている。だからこんなものがここにあるのはおかしいのだ。
『―――贋作だな。ふん、忌々しい。贋作者め、ここに来ていたな』
「え?」
城門の前へと進み、ギルガメッシュに贋作だと評価されたヘラクレスの武器へと触れる。質感も、そして神秘の籠り具合も完全に本物だ。振れて、そして超重量のそれを持ち上げて、両手や片手で振り回してみるが、何処から見ても偽物、或いは贋作である様には思えない。再びこれを大地に突き刺し直し、衛宮士郎という魔術師の魔術、その能力に関して感嘆を零す。宝具を再現できるという事だったらしいが、確かにこんな風に生み出す事が出来るのであれば、凄まじい。
『所詮は贋作よ、真に迫る事はない』
『貴様の贋作嫌いはどうでもいいから』
アルトリアも割とズカズカ言うよなぁ、なんて事を思っていると、目の前でヘラクレスの武器がガラスの様に砕け散って、そして姿を消して行く。その事にちょっと驚きつつ、アインツベルン城から離れようと思い―――足を動かすのを止める。再び視線をアインツベルン城へと向ける。
『どうかしましたかマスター?』
「いや―――ちょっとだけ探索していくか」
ジャンヌにそう返答しつつ、ちょっとだけアインツベルン城に興味が湧き、そのまま崩れた扉を抜けながらアインツベルン城の中へと進んで行く。空いた天井から月光の光が差し込み、アインツベルン城にはわずかながら光源が存在しており、完全な闇に包まれることはなかった。それでも異様に暗いのは事実だった。この暗闇には中々慣れないよな、なんて事を思いながら扉の先、ホールへと入る。崩れている所は多いが、それでも元々は美しい場所であったのが見れば解る。広いホールに赤いカーペット、そして中央奥には巨大な階段が存在し、二階へと続いている。床……それに壁等はおそらく大理石で出来ているのだろう、崩れているのが残念だが、おそらく損傷がなければこの城そのものが一つの芸術品として楽しめたのかもしれない。
「まぁ、もう何も残ってないとは思うけどあ、アインツベルンって事は聖杯戦争に関連する何かがあるかもしれないだろ? 聖晶石でも落ちていれば御の字って事で、軽く探索しよう」
『貧乏臭いぞ雑種! 我と共に戦うというのであればハサンな姿を見せるではない、我の品格まで疑われるわ!』
『ハサンとはなんだ』
『憐れで貧乏で貧相な者を指し示す言葉だと我は聞いているぞ』
「こいつ……!」
ギルガメッシュには一切悪気がなく、心の底から、本気でそう思って行っている辺りが実にギルガメッシュらしい。ナチュラルに人を見下してディスる事をどうにかできないのだろうか。いや、出来ないからこそ英雄王なんて存在なのだろうが。溜息を吐きながらどうしようもないな、こいつら。そんな事を想いながら二階へと上がろうと思った瞬間、
―――閃光が視界を埋め尽くした。
「くっ」
『マスター!』
ジャンヌの焦ったような声に対して、アルトリアとアンリ・サンソン、ギルガメッシュの反応はない。瞬間的に目を瞑りながら、手で目を覆い隠し、警戒する様に聖旗を取り出そうとし、
出現しない事に気付く。
「ッ!?」
いや、それよりも体に違和感を感じる。体が妙に重い。まるで元の自分に戻ってしまったような、そんな感覚だった。回復して来る視界に目を開き、確認する自分の姿は何時もの、男の己の姿だった。
「マスター! 無事ですか!」
「……ジャンヌ?」
声に引かれる様に視線を横へと向ければ、何故かそこには実体を保有したジャンヌの姿があった。それはありえない事だ。ジャンヌはデミサーヴァントとしてその存在を組み込まれている為に、体を得る事が出来ない。ジャンヌへの変態能力も聖杯の生んだ奇跡の様なものなのだ。だからここにジャンヌの姿があるのはおかしい。だがそれ以上に、周りの変貌も凄まじい。
崩れ果てていたアインツベルン城はその荒れ果てた姿を見せずに、完全に在りし日の美しき姿を見せている。大理石に床、窓から差し込む光が中央階段の手摺を輝かせ、豪華な装飾が施された、美しい芸術品の美を晒している。
「いったい何だってんだこりゃあ……」
「状況が把握でいませんが、【対魔力】を突破されて干渉されたのは間違いありません。それに他の三人がいないのもおかしいです―――マスター、警戒を」
何時の間にか聖旗を手にしていたジャンヌが守る様に前に立っていた。そうやって第三者視点から彼女の姿を見るのは実に新鮮だったが、それを堪能するだけの時間と余裕は残念ながらなかった。警戒の為にバゼラードを鞘から抜いて構えつつ、視線を周りへと廻らせ、
「―――ようこそアインツベルン城へ、貴方達を歓迎するわ」
少女の声がした。視線を中央階段の上へと向ければ、その上でスカートを軽く持ち上げて礼を取る白髪の少女の姿が見えた。確か、アインツベルン製のホムンクルスは白髪に目が赤い特徴があるなんて話を聞いていたが、
「私が現在の城主、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンよ」
第五次聖杯戦争で小聖杯の役割を果たした少女。
「それじゃあ……お茶にしようかしら」
軽い調子で彼女はそう言った。
礼装がドロしない今日この頃。まぁ、種火とモニュメント狙いだからいいけど……。
これを終わらせたらなんかfateで書こうかと計画中。それにしても話が進めば進むほど真面目にTSがいらなかったな! って感じになってくる。まぁ、何時もの事ですが必要のない馬鹿要素はどっかで消えて行く運命。