本日曇天午後より雨天、傘を忘れることのないように。ラジオのニュースがそう告げる。現在時刻は午前十一時。天気予報とは裏腹に、しとしと雨は降り始め、執務室の書類が湿気にぬれる。けれども人はそんなことさえ気づかない。大慌ての大わらわ、大忙しでてんやわんや。
それも仕方のないことだろう。現れたのだ。今まで鎮守府から確認できなかった彼らが。白い肌、赤い瞳、深く暗い海の底から突如として現れる人類の敵。沈んだ船の終の姿たる、彼ら深海棲艦が。かつての戦艦が、空母が、駆逐艦が、冷たさに沈み異形となってやってきた。鎮守府目指して西航し、辺りかまわず喰らい尽くし。
船の化身たる人型船こと艦娘は彼らを迎え撃つ。提督は艦娘に指揮をする。数百万もの提督が、数千万もの艦娘が、深海棲艦を破壊し尽くす。激化する戦いの中、何百人もの提督が散り、その十倍の艦娘が沈み、その百倍もの深海棲艦が砕かれる。
誰も誰もがてんてこ舞いの忙しさ。装備の妖精たちは疲れ果て、入渠施設は満員御礼、空のバケツは床一面に広がって、資源はあっという間に減っていく。羅針盤妖精すらも目を回し、応急修理女神すらも身体を壊し。多忙でないといったなら、家具職人くらいしかいなかった。
そう、それは彼女ですらも例外ではない。どころか、もっとも忙しいと言っても過言ではないだろう。
チュートリアル娘。あるいはエラー娘とも呼ばれる彼女は、今現在においてとてもとても忙しい。それこそ猫の手も借りたいぐらいで、しかし実際借りられないからこそ忙しくてたまらない。
彼女の目的は抜猫を捕まえること。あまりにも提督が多すぎて鎮守府が耐えられず、するとどこからともなく出てくるその抜猫が、その体のどこかで提督に触れると、何故かその提督が指揮している艦娘たちを海上から鎮守府へ強制的に帰還させてしまう。たとえどれほど善戦していても、たとえ後一歩で勝利だとしても、不利有利関係なしに、物理法則等を完全に無視して、気がつけば艦娘は帰還してしまっている。
骨折り損の体現者、くたびれ儲けの権化。それこそが抜猫である。ゆえに多くの提督から恐怖の象徴として畏れられ、出会わないように祈られる。エラー娘はそんな提督の思いを汲んで、抜猫を捕まえる役目を担っているのである。
抜猫が発生しやすいのは新たな深海棲艦が発生したとき。新たな深海棲艦が発生すると、当然ながらその対処のために鎮守府に提督の数が多くなる。新たな鎮守府の建設時と並び、もっとも抜猫が出やすい時期が、今まさにその時であった。たった一匹、されど一匹。この抜猫一匹の有無が戦いの優劣に差をつける。たった一匹いるだけで、資源と時間が泡と化す。
ゆえに捕まえなくてはならない。抜猫はあまりに害悪すぎる。下手をすると深海棲艦よりもなおたちが悪い。立ち上がるエラー娘。彼女と抜猫との、長い一日が始まった。
午後十二時。未だ雨天。食堂から様々な料理の匂いが充満し始めたころ、エラー娘はあちこちを見回っていた。抜猫は突如としてどこからともなく現れる、というどこか深海棲艦めいたところがある。よって主な探す方法は二つ。動いて探し回るか、動かずに出てくるのを待つか。エラー娘がとったのは前者だった。
そうして探している彼女は、ふとある提督の前で足を止めた。未だ抜猫を見かけたという報告はない。しかし、今彼女の目前にいるその提督。いらいらとした様子で、いかにも怒っていますというような表情で無線に向かって怒鳴りつけている。
「がああああっ! ふざけんなっ! あと少しでお終いだっただろうが! なんで帰還してんだよ!」
どうやら既に抜猫の被害が出ているらしい。提督の言葉からそう判断したエラー娘は腕まくりを一つする。そして、気合充分、気力満点さあ行くぞ、と彼女が一歩踏み出したところで、提督が彼女に気がついた。
二人はしばらく見つめあい、少しして提督が口を開く。
「……おい、お前エラー娘ならさっさとネコ捕まえろよ」
その言い分に少しムッとした様子のエラー娘だったが、しかしそこは広い心で受け止めて、任せろとでも言うように彼女は提督に向けて親指を立てた。にやりと不敵に笑うのも忘れない。
そんなエラー娘を見て盛大に舌打ちした後、提督は彼女に背を向けて去っていった。その態度にエラー娘は眉をひそめる。しかしそれも抜猫を捕まえるまでだろう、捕まえればきっと提督の機嫌も良くなるだろうとエラー娘は抜猫探しを再開した。
そうしてしばらく探していると、きゅるきゅると切なげな音がエラー娘のお腹から響く。現在時刻は午後十三時。ちょうどお昼時である。少し考えてエラー娘は食堂に向かう。彼女の指定席である妖精専用の席の一番端っこに立ち、おにぎりを頼んで腹ごしらえしながらまた歩く。腹が減っては戦は出来ないし、動かないとなにも見つからない。高楊枝など腹の足しにもなりはしないのだ。
そうしてお腹も膨れ、元気いっぱいになったエラー娘が次に向かうのは工房であった。行き先は適当で構わないのだ。抜猫の位置情報がない限り、しらみつぶしに探すしかないのだから。
そうして工房へと向かう途中、エラー娘の視界に白色が映った。エラー娘が向ける視線の先、白地の毛並みに包まれ、憎たらしい可愛さをかもす顔をし、薄い朱色のふわふわのお腹をした生物は、彼女に向けてにゃあと鳴く。あれこそがエラー娘の倒す敵、不調の根源、抜猫である。
じり。エラー娘と抜猫が対峙する。お互いに一歩も動かず、互いに一歩も動けない。片方が力を抜けばもう片方は力を込め、片方が意思を見せれば片方がそれを目で制す。互いに機がなく、ゆえに互いが動けない。互いが互いを制す均衡、最初に破れば敗北率の高くなるだろうそれを、それでもなお先に破ったのは――エラー娘であった。
大きく、強く、そして高く。抜猫に向けて飛びかかり――そして、戦いが始まった。
★
戦いは終わった。エラー娘の両の手には、がっちりと抜猫の前足が握られている。これでもう抜猫は逃げられない。激闘の末、征したのはエラー娘であった。
激しい戦いであった。けれど、エラー娘は勝利したのだ!
彼女の顔が自然とほころぶ。これでもう深海棲艦との戦いの邪魔立ては無いと艦娘も喜ぶだろう。提督も、もしかしたら褒めてくれるかもしれない。エラー娘は手の内の抜猫をぎゅうとだきしめる。どうやら朝に比べ提督たちも少しは落ち着いたようで、鎮守府にはどこか気の抜けた雰囲気が漂っていた。
そこに先ほどエラー娘に怒鳴った提督がいるのを見つけ、彼女は歩を進めていった。提督はエラー娘が近づいてきたのをみると顔をしかめ、彼女を睨みつける。しかし、エラー娘は得意気な顔をしてその手に握られた抜猫を見せびらかした。提督が目を見開く。元凶を捕まえたエラー娘の顔はこれ以上ないほどにドヤっている。
そして。しばらく彼女を見つめていた提督はおもむろに口を開き――
「ふっざけんなくそが! んだよいまさらネコとっ捕まえたところでせっかくのイベント初日はもう終わってんだよ! お前のせいでスタートダッシュできなかったじゃねえか! ほんっとつかえねーくそが! きちんと対応しろやボケ!」
怒りの表情とともに、口からつばを飛ばしてエラー娘に怒鳴り、足音を響かせながら去っていった。エラー娘に謝るでもなく、感謝するでもなく、まるで八つ当たりのように彼女を怒鳴りつける。そんな提督のあまりにも予想外な反応に、エラー娘は目をまん丸にして呆然としている。
本来、抜猫は提督側が発生させないよう最大限気をつけて、万が一発生させた場合多くの人員を駆り出して捕まえるものだ。けれど、エラー娘は、否、チュートリアル娘はそんな提督たちのひよっこ時代を、それからの努力を、その間の苦労を知っているからこそ、彼らを支えたいと、深海棲艦との戦いに専念して欲しいと、善意で抜猫の捕獲をしているのである。ボランティアであって仕事ではないのだ。
それでも彼女一人だけだと厳しいので、積極的に探し回るのはエラー娘、他は見かけたら捕まえるという役割に自然となっているが、それでも提督や艦娘たちの負担はかなり減っている。それをみんな知っているからこそ、エラー娘に向けられるのは謝罪や感謝ばかりで、罵倒というものはなかったのだ。
けれど、人類全員に好かれる存在がないように、提督たちの中にもそれを理解できない者はいる。気に食わないとする者はいる。今回の提督は、そんな一人だった。それだけのこと。
けれど、それを受け流せるほど妖精は複雑ではなかった。
少しして。ようやく提督の言葉をのみこめたエラー娘は、頬をぷっくりと膨らませ、顔を真っ赤に怒らせながら、両手に抱えた抜猫を、そっと地面に逃がす。
不思議と、抜猫が向かったのはエラー娘を怒鳴った提督の方向だった。