東方和河童   作:BNKN

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最終話 水知不畔

 

 永遠亭と呼ばれる病院の様な所に運び込まれた私。フランちゃんを首にくっつけたまま幽香さんの手によって運ばれた。突然、大勢の妖怪が殺到した永遠亭から出てきた女の人は嫌な顔をするわけでもなく、一つ納得したように頷いて中へ迎え入れてくれた。今は体を白いベッドの上に横たえている。

 

 体を持ち上げて、病室にいる私の友人たちを見渡す。

 

 影狼ちゃんに背負われた姫ちゃんがいた。アリスさんだっていたし、霊夢さんや魔理沙さん、それから萃香さんまでいた。紅魔館や妖怪の山の友達、仲良くしていた妖精や数え切れない程の妖怪のみんなに私は囲まれていた。

 

「私は…」

 

 助けてもらったのだろう。

 それにどう礼をすればいいのか分からない。一度、自己帰結を試みた私の心をもう一度拾ってもらった。諦め、死ぬことを是とした私すら見放さなかったこの場の皆になんと言えばいいのか分からない。

 

「え、えっと…」

「何も言わなくていいわ」

 

 幽香さんがどもる私の頭を優しく撫でた。ふわりと香る花の香りが心地よい。

 

「お疲れ様」

 

 

 

 〇

 

「かんぱーいっ!!」

 

 誰が始めたか分からぬ馬鹿騒ぎ。割れるような騒ぎ声が迷いの竹林に響き渡った。畔が目覚めてからすぐに酒盛りを始めた辺りは幻想郷らしい所かもしれない。

 魔法使い、妖怪、人間が一同に会して、一人の河童を囲む。そこに悲しみから涙を流す者はいなかった。

 

「ほんとに畔は手がかかるわね」

「わわっ、本当にごめんなさい」

 

 畔の髪をぐしゃぐしゃと撫でるのは花妖怪。ワイルドに一升瓶をラッパ飲みしている。

 

「謝らなくていいわよ。世話焼くのは慣れたから」

「本当にありがとうございます」

 

 既に顔が赤らんでいるのは気の緩みから酒の周りが早いからだろう。

 

「それにしても、あの時は怖かったですよ?」

「あの時って何よ」

「ほら、幽香さんが『あなた誰?』って聞いた時ですよ。幽香さんって怖い妖怪なんだなって思いましたよ」

 

 はにかみながら思い出す花妖怪の姿は畔が初めて見た風見幽香だった。

 

「ええ、そうよ。私は怖い妖怪なの。畔が特別なだけよ」

「…どうして幽香さんはそんなに思ってくれるんですか?」

 

 不釣り合いな程大きく違う二人がここまで親密になった原因が何か。それはいつも畔が疑問に思っていたことであった。

 

「あら、言ってなかった?」

「言ってませんよ」

 

 人差し指を頬に当てて首を傾げる花妖怪。記憶を探る様に中空に視線を迷わし、すぐに戻した。

 

「一目惚れよ。一目惚れ。畔の事が一目で気に入っちゃったの」

「~~~っ」

 

 畔の黒髪を優しく梳きながら笑いかけた幽香。告白された当の本人は顔を真っ赤に俯いた。

 

「ふふ、やっぱり可愛いわ」

「…幽香さんはやっぱり怖い妖怪です」

「あら、こんな事畔にしか言わないわ」

「…ありがとうございます」

 

 もごもごと漏れ聞こえる声は喜色ばんでいることがよく分かる。やり場なく髪を弄る畔の小さな手を幽香が包んだ。

 

「大好きよ、畔」

 

 

 

 

 

 

 

「畔はすぐにどっか行っちゃうからなぁ」

 

 そう言ったのはメカニックな河童のにとり。畔の横に座り込んで何本目かの酒瓶を開ける。

 

「妖怪の山から出た時だって、今回にしたってそうだよ。一言くらい相談してくれてもいいじゃん」

「ごめんね?」

「まあ、いいよ。相談なんかされなくても、いなくなりゃ勝手に探すし、助けて欲しそうなら勝手に助けるから」

 

 どこまでも男前なにとりに畔は少し申し訳なさそうに、けれども目を逸らすこと無く返事を返した。

 

「ありがと」

「それにっ」

 

 にとりは酒瓶を置いて身を乗り出し、畔の顔の前で指を立てた。

 

「畔にはメカの良さを理解してもらわないと行けないからねっ! 逃げるなんて許さないよ。これからしっかり勉強してもらわないとっ」

「……うん」

 

 畔は小さな声で返した。

 

 

 

 

 

「畔ちゃん、早く早く!」

「待って待って」

 

 次に畔の腕を引いたのはフランだった。

 畔が座るやいなや、その顔を畔の腹に埋めた。

 

「フランちゃん?」

「畔ちゃんはすぐどっかに行っちゃうから不安なの」

「…ごめんね」

「ううん。別にいい、これからずっと一緒にいるんだから」

 

 腹に埋もれた顔を持ち上げ、上目遣いに笑いかけるフラン。向日葵もかくやという程に咲き誇った笑顔だった。

 

「……」

 

 無垢な笑顔を向けられた畔は、口を一文字にして何かに耐えるように黙りこくった。

 

「畔ちゃん?」

「ううん。何でもない」

「そっか!」

 

 畔はパタパタと犬の尾の様に翼を揺らすフランの髪を撫でた。

 

「フランちゃんが最後助けてくれたんだよね?」

「…うん。うん、そうなの。私があの妖怪を殺したんだ…」

 

 顔を曇らせ俯くフラン。

 

「一つだけお願いがあるの」

「何?」

「白忌さんのことを忘れないであげて欲しいの」

「…忘れたくても忘れられないよ。あの泣き声が今でも耳に残ってる」

「うん、うん。白忌さんは最後まで泣いてた。ずっと泣いてたの。だからどうか彼女をずっと覚えてあげて」

「…うん、分かった!」

 

 

 

 

 

 

 

「魔理沙さん大丈夫ですか?」

 

 畔の前には騒ぎの中心から離れてベッドで横になるモノクロ魔法使い。

 

「あー、気にすんな。滅茶苦茶体調不良なだけだ。永琳が言うには暫く安静らしいけど」

「大丈夫じゃないですね」

 

 布団から出した右手で覆った顔の端からイタズラっぽく笑いかける魔理沙。

 

「すいません」

「止めてくれ。謝るのは私の方なんだから」

 

 何時もより青ざめた顔を申し訳なさそうに歪めて、布団を持ち上げる。後ろに手をついて体を起こそうとする魔理沙の背中を畔が持ち上げた。

 

「謝って許してもらえる事じゃないことは分かってるが、言わせてくれ」

 

 改まった魔理沙に、前の畔も姿勢を正す。

 

「本当にごめん。私がいなきゃ、こんな事にはなって無かった筈だ。本当にごめん」

「…いいえ、謝らないで下さい。私がこんな沢山の人妖に囲まれたのは魔理沙さんのお陰でもあるんですよ? 私が私のままだったら、と思うとゾッとするんです。成長も、経験も何もしないまま、変わらないまま、一人で誰にも見向きもされずに終わりを迎えるなんて最悪です。魔理沙さんはそれを回避する切っ掛けを私に与えてくれたんです」

 

詭弁だ。それは後付けでしかない。そう言おうとした魔理沙は口を噤む。畔が心から言っているということが分かったから。妙に自信に満ちた畔の表情に魔理沙は頷いて言葉を噛み殺した。

 

「…ありがとう。そう言ってくれると助かる。これからも困ったことがあれば何でも言ってくれ。せめてもの罪滅ぼしだ」

「…そう、そうですね。お願いします」

「今度はちゃんと相談してくれよ?」

「ええ、勿論です」

 

 少し静まる病室。外から聞こえる酔っ払いどもの声が中にまで響いてきた。

 

「ほら、畔が主役なんだからいつまでも一人に構ってちゃ不味いぜ。早く行ってやれ。私も嫉妬が怖いからな。幽香とか幽香とかの」

 

 ウインクして背中を押す魔理沙。

 畔は病室を出る前に立ち止まって振り返った。

 

「それじゃ、さようなら」

「ああ、またな」

 

 

 

 

 

 永遠亭を出ると集まっていた全員が畔を出迎えた。

 

「ほら、畔! 写真とるからそこに座って」

 

 烏天狗二人が各々カメラを構えつつ、畔を手招きしていた。大勢に見られる事のちょっとした気恥ずかしさに少し顔を赤らめた畔が小走りで寄っていく。

 右には花妖怪。左にはフラン。後ろに沢山の妖怪を背負った畔が座ると、烏天狗の号令がかかった。

 

「はーいっ! じゃあ撮りますよーっ!! 」

 

 

 

「「はいっ、ちーず!!」」

 

 

 

 

 

 全員が全員花が咲いた様に笑う永遠亭。昼過ぎから始まった大宴会は真ん丸お月様が真上に登っても静まることは無かった。騒ぎを聞きつけた妖怪兎や蓬莱人が集まって出来上がった百鬼夜行は太陽が顔を覗かせようとし始めた時にようやく終息の陰りを見せ始めた。

 

 

 

 〇

 

「…さて」

 

 酒に溺れて妖怪たちが眠りについた中、畔は立ち上がり、永遠亭の門に背を預けて猪口を傾けていた一人の人間の元へ歩み寄る。

 

「霊夢さん」

「……」

 

 霊夢は畔を見ようとしない。何かを飲み下す様に猪口の中身を呷った。

 

「霊夢さん、ありがとうございました。私を助けて頂いて」

「別に…ついでよ。幻想郷の風紀を乱す妖怪を退治したついで」

「ついででもいいんです」

「……本当に大したことじゃないわよ」

 

 ぼんやり呟く霊夢の言葉には力が無かった。

 

「聞いたんです。私の魂を封印してくれたんですよね」

「…そうね」

 

 畔の今の体は元の河童ではない。

 精巧に作られたアリス謹製の人形である。元の体から魂を分霊し、その器に移したのが他ならぬ霊夢であった。

 

「きっと霊夢さんなら分かっていると思うんです」

「………」

 

 霊夢は何も答えない。肘をついて永遠亭の地面を虚ろに見続けていた。

 

 

「私はもう消えますよね」

 

 

 誰のいびきも耳に入らない。朝ぼらけに起き出した鳥達の羽音すら響かなかった。

 

「…そうね」

「きっと今いるのも奇跡みたいなものだと思うんですよ。私の魂なんてもう少しも残ってない筈なのに」

「…そうね」

「どうしてでしょうね。皆の起こした奇跡でしょうか」

「…私にはわからないわ」

 

 霊夢は手を顔にやって目元を隠した。

 

「私たちは間に合わなかった…」

 

 絞り出した様な弱い声。何時もの彼女からは考えられないものだった。

 

「いいえ、間に合いましたよ。だから私は今ここにいるんです」

「……そう、そうね」

「ええ、そうですよ」

 

 会話が途切れる。

 霊夢の持つ猪口には水しか入っていなかった。

 

「それじゃあ、私はそろそろ行きますね」

「…あいつらとは話さなくていいの?」

 

 顎で指した先は幸せそうに二人で眠る妹吸血鬼と花妖怪や、大きないびきをかく天狗や河童のいるはずの永遠亭の奥。

 

 視線を辿った畔は小さく笑うと首を横に振った。

 

「皆と話しちゃうと…悲しくなっちゃうので」

「そう。何か伝えておくことはある?」

 

 畔は一瞬考え、納得した表情で応えた。

 

「沢山たくさんあるんですけど、多過ぎても覚えきれないでしょうから。少しだけ」

 

 霊夢は猪口を置いて畔へ向き直る。

 

「ありがとう。皆に会えて本当に楽しかった。こんな私に構ってくれて、っ構ってくれてありがとうって」

 

 詰まりながらも何とか紡いだ最後のメッセージ。頬を伝い、顎から落ちた涙は生き生きと地面を濡らす。

 

「…分かった。必ず伝えるわ」

「あ、ありがっありがとうございますっ。本当にっ…」

 

 畔はぐしぐしと目を擦って、しきりに頭を下げる。

 シャクリを上げながら、畔はしっかりと霊夢を見据えた。

 

「そっそれじゃあ。さようならっ」

「ええ、さようなら。あんたの事は忘れないわ」

 

 霊夢は竹林の中を消えていく畔の背中を黙って眺め続けた。

 

「はぁ…伝言役なんて何で受けちゃうかな」

 

 やがて、その小さな背中が見えなくなると、水を捨てて、腕を組んだ。

 

「って、なんだアンタ聞いてたの? …言いたいことがあるなら行きなさい。追いつけなくなっても知らないわよ」

 

 一つの背中が霊夢の前を通り過ぎ、畔を追いかけんと飛び出した。

 

 

 

 〇

 

 ここは迷いの竹林。一度迷えば抜け出すのは難しいと言われる幻想郷でも危険な地域だ。普段の私ならここを一人で歩くなんて考えられないが、今の私は何故だか迷う気がしない。

 何故だが、どう歩けばそこにたどり着けるか手に取るように分かる。きっとそこには距離や道のりは関係がない。ただ、そこへ行かねばならないという漠然とした思いのままに歩くだけで辿り着く。そんな気がする。

 霧深い竹林の中、まだまだ先は見えないけれど目を瞑ればすぐそこに行ける気がした。

 

「……」

「来ましたか」

 

 目下には無数の彼岸花。霧の深いそこでは先に見えるのは薄らと赤い地面だけだ。

 

「水知不畔、貴方には話さねばならない事があります」

「ええ…そうでしょうね。私も貴方に話があるんです」

 

 振り返ると見えるそのお姿。

 私よりも高い背丈に仰々しい制服で刺すような威圧感を醸し出している。以前の私なら気圧されて、その御前に立つこともできなかっただろう。

 

「閻魔様」

 

 

 

 

 

 〇

 

「水知不畔、貴方は……」

 

 楽園の閻魔に普段のような勢いはない。たいそう有難い話は一息挟んで続けられた。

 

「貴方は進歩という言葉の意味を知っていますか?」

「…」

「進歩とは歩みを進めると書きますが、命あるものにとっては足を前後に動かし、それに合わせて手を振る事でただ前へ進むことを進歩とは言いません。進歩とは自らの歩む場所を意識し、自らが何処へ向かっているのかを分かった上で、そこを目指して己を磨き高める行為全般を指すのです」

 

 悔悟棒を両手で立てるその慎ましい口からすらすらと並べられる言葉にはどこか刺が見える。

 

「その意味で言えば貴方は、貴方の妖怪としての生は黒でしょう。貴方は己の置かれた境遇を憂うことしかしなかった。力が無いことを最大限考慮しても、それにしても貴方は前へ進むことを完全に諦め過ぎた」

「…」

「意思無き者に救いはないのです」

 

 風がそよぎ、力に負けた赤い花弁が肌を叩いた。

 

「加えて、一度自殺を図ったことも紛れもなく黒です。たとえそれが苦しみ抜いた果の決断だとしてもです。私は貴方の過去をすべて見ましたが、全て把握した上で貴方に黒だと言いましょう」

「…」

「生き物ならば生まれた時に既に差があります。貴方はそれが他の命よりも大きかった事は認めましょう。他の命よりも不遇だったことも認めましょう。

 ですが、それは死ぬ事を是とする理由にはなりません。『死ねてよかった』等、言語道断。逃げることは素晴らしいことではないのです」

 

 それは畔が声にも出していなかった、漏れ出た感情の一部。

 

「…そんな事までご存知なんですね」

「当然です。私を前に隠し事は出来ないと思った方が賢明でしょう」

 

 やがて花弁が舞い上がる。

 

「話が逸れましたね。戻しましょう」

 

 片側だけ少し伸びた閻魔の緑髪が風にあおられて目にかかった。

 

「ここまでなら貴方は間違いなく地獄行きです。しかし、貴方はこれまでに二人の妖怪を救いました。

 一人は貴方と真逆。その強過ぎる力が故に他者と関係を築けなかった幼い吸血鬼。壊れかけたその心を拾い上げたのは紛れもなく貴方です。

 もう一人はわざわざ言わなくてもよくご存知でしょう」

 

 リコリスの底抜けた赤色が目に染みる。

 

「…その一人は元は人間でした。何の力もない平凡な人間。少し他の人間と違ったという理由で迫害されたという過去を持つ彼女はやがて妖怪となりました。人間に対して膨れ上がった憎しみを持ちながら」

 

 白く染まった空には雲一つない。

 

「彼女は人間を大勢殺しました。ええ、それはもう勘定するのが大変な数です。…別に私は妖怪が人間を殺すことが黒だと言いたいのではありませんよ。それはある意味で自然な光景ですから。しかし、それは飽く迄も根っから妖怪ならの話です。

 彼女はその心は人間のままでした。口では妖怪を語れど、心の中で泣いているのは何時までも人間でした。信念を持って命を奪うのと、自らを慰めるために徒(いたづら)に力を振りまくのでは天と地ほど差があります。

 人間が信念を持って人を殺すことが出来る時、…私はあまり好きな呼び方ではありませんが、人はそれを英雄と呼ぶのです。大体の人間は信念ではなく、薄っぺらな自分の為の大義名分を掲げるに終わりますがね」

 

 閻魔の目は少し悲しげに揺れる。それでも自嘲する笑みを見せないのは己を律する力があるが故だろう。

 

「真の英雄とは、そう簡単になれるものではないのです。彼女もまたそうでした。人間のままの彼女では、英雄にはなれなかった様ですね。

 …封印され、生き残った彼女は貴方に拾われました。死に損なった罪多き妖怪に最後のチャンスを与えたのが、他ならぬ貴方です」

「…」

 

 じっと見据える閻魔に、畔も身動き一つせず答えとする。

 

「貴方が意図して救った訳ではないでしょうが、事実は変わりません。死にかけた命に手を差しのべる行為の、なんと慈悲に溢れたことか。

 彼女のしようとしたことは褒められたものではありませんが、貴方が彼女という一つの命を救ったことは大いに評価すべき点です」

 

 風が止まる。葉のこすれる音も、風が切る音も無くなり、閻魔の声だけが赤色に染み渡る。

 

「以上の事を踏まえて貴方は白と私は決定しました。灰色がかったと、付けたいところでは有りますが、貴方の善行を加味すれば白と言えるでしょう。

 貴方は決して無駄な命ではありませんでした」

「…そうですか。それなら良かったです」

 

「最後に貴方からの話を聞きましょう」

 

 私の話は終わり。そう言うかの様に閻魔は悔悟棒を下ろした。

 

「一つ、お願いがあるのです」

「言ってみなさい」

「私を地獄へ落として貰えませんか」

「……理由を聞きましょうか」

 

 初めて映姫は目を見開き表情を崩した。だがそれも一瞬のことで、直ぐに表情を戻して険しく畔を見据える。

 

「閻魔様は先ほど仰られました。私が白忌さんを救ったと」

「ええ」

「私は聞きました。彼女が泣く声を。きっと閻魔様にも届いていないであろう悲しげな嗚咽を聞いてしまいました。私は彼女を救ってなんかいないんです。彼女は今もきっと自己完結した一人で泣いています。私の罪を消すには善行が足りないのです」

「…」

「それと、もう一つ」

「言ってみなさい」

 

「私が彼女をほっとけないんです。何だか自分自身を見ているようで。きっと彼女を助けられるのは私だけです」

 

「…彼女は貴方を利用したんですよ」

「承知の上です」

 

 即答だった。これまでの畔には見られない確固たる意志がその瞳には燃えていた。

 黙り込む閻魔。その間に音を立てる物は何も無い。真っ直ぐに空へ手をのばすリコリスは震えもしない。

 

「………いいでしょう。貴方の申し出を受け入れます。晴れて貴方は地獄行き。己の罪を精算仕切るまでそこで罰を受けなさい」

「有難うございます。…では、私はこれで」

 

 閻魔に一礼してその横を抜ける畔。

 足元で掠れた音が立った。

 

「待ちなさい」

「何でしょう」

 

 お互いに視線を交わすことなく、言葉を交わす。

 

「どうやら地獄に行く前に此処で精算しなければならない事があるようですよ」

「…?」

 

 そう言ったきり、閻魔は霧の向こうへと消えてしまった。

 

 

 

 

 

「畔」

 

 空を仰ぎ見ていた畔の背後。べしゃりと何かが落ちた音がした後、困惑の色を見せる声が聞こえた。

 振り返る。

 

「…姫ちゃん」

 

 そこには額から大粒の汗を垂らした畔の友人がいた。

 

 

 

 

 

 〇

 

「…よく、一人で来れたね」

 

 何を言うべきか迷った。

 何も用意してなかったから。

 

「この異変から調子が良いの。頑張ったら空だって飛べるわ」

「…そっか」

 

 人魚が空を泳ぐなんてロマンチックだね。そう言おうとしたけどやめた。

 

「…」

「…」

 

 今までこんな事なったことない。姫ちゃんと会話が痛々しく感じた事なんてなかったのに、今は張り裂けてしまいそうだ。

 

「…霊夢さんには言ったんだけどね――」

「聞いてたわ。だから追いかけてきたの」

 

 聞いていたなら追いかけてなんて来て欲しくなかった。こうして話しかけるだけで弛んでしまう。

 

「畔は…ううん。私は畔に会えて良かったわ。心配させられた事は沢山だったけど、それでも楽しかったわ。楽しい時間を、、いっ、一杯貰ったわっ。だからっ、だから『構ってくれてありがとう』なんて言わないでよ…、お互い様よ」

 

 詰まりづまりの言葉。涙の見える声色に私の心はボロボロだ。

 

「ごめんね…ごめん。私…私は」

 

 なんて言えばいいんだろう。

 何を伝えればいいのだろう。

 遺言でも考えておけば良かったな、そしたらきっと恰好良くお別れできたのに。

 

「畔、」

 

 何時までも、見えない先を探し回る私に見かねた姫ちゃんが続ける。

 

「閻魔様と話してたのは…かっこつけよね? 畔はそんな博愛主義じゃないもの」

 

 冗談だと言うように、苦しそうにはにかみながら首を傾げる。それに私は首を横に振った。

 

「…ううん。本気だよ」

「…何でっ! 何でよ! どうして自分でそんな事言うのよっ!!」

 

 泣いていた。姫ちゃんが怒っているのを見るのも久しぶりだ。

 怒らせてしまった。

 

「それは…」

「畔はっいつもそうよっ!! 自分なんてどうでもいいと思って! 周りがどれだけっ、どれだけ畔のことを思ってるかなんて考えもしてないっ!!」

「……」

「畔は、畔はっ天国でいるんだって…そう思えたら私だって、納得なんて出来ないけどっ我慢なんてしたくないけどっ我慢するわよ! するしかないんだからっ!!」

 

 私はこんなに愛されていた。

 こんなの見せられたら私はどうしたらいいのかな。

 

「でもっ、でもっ、でも私がここで、ご飯を食べて、友達とお話して、眠っている時でも畔が苦しんでると思ったらっ…そんなの耐えられないっ」

 

 貰い泣きして…ううん。貰い泣きじゃない。私が泣いているのだ。

 

「…ごめんね」

「謝ってなんて欲しくないっ!! 畔にはっ、いなくならないで欲しいっ!! 私には畔が必要なのっ!!」

 

 もう、耐えられない。滝のように涙が溢れてくる。

 みっともなくなっちゃったな。

 

「私も…」

 

 言ってしまえば別れが辛くなるのは分かりきってる。決意が緩むのははっきりしてる。けれど、言わなくちゃいけない気がした。

 

「私も死にたくっ…消えたくないよ! まだまだ一杯皆とお話したい、遊びたい! 生き足りないっ」

 

 露の様に滴る。心が湿気る。

 

「私だって、私だって、皆と同じ所に生きたいっ」

 

 もう立ってられない。

 地面が凄く近い。

 

「…嫌だな」

 

 舞い上がった赤い花弁が前髪にかかった。

 気付けば姫ちゃんが目の前にいて、私を力一杯に抱きしめていた。

 

「…ふふ。ほんとに飛べるんだね」

「…ええ、そうよ。畔も飛べたらいいのに」

 

 私たちは抱き合ったまま、さめざめと泣いた。何時まで私という奇跡が続くか分からないけれど、二人で横になってお喋りした。

 出会った時のこと、一緒に綺麗な石を探したりしたこと、日が暮れるまで喋ったこと、喧嘩したこと、仲直りしたこと、姫ちゃんの髪を切ったこと、姫ちゃんの知らない私の生活、私の知らない姫ちゃんのこと、笑える話もあるし、寂しくなる話もあった。

 

 私はあの時、走馬灯なんていらない。思い出したい記憶なんて無いって言ったけれど、こうして振り返ると大切な思い出ばかりだった。

 この会話こそが私の走馬灯なのだ。

 

 

 

 過ぎ去っていった時間に戻れるのなら、やり直せるのならどうしたい? と聞かれたら、以前の私ならもっと強い力とか、恵まれた環境とかそういうのを求めただろうけど、今そうは思わない。

 私は私だったからこそ、何も出来ない体に生まれたからこそこうして皆に愛された。きっとそれはどんな恵まれた物よりも価値ある事なのだ。私は、私を誇りに思う。こんなに愛されていいのかと不安になるくらいだ。

 

 

 

 その生き物の一生を一つの物語と見る、なんてありきたりな表現しか思いつかないけれど、私のお話を見る人がいるのならきっとその人は驚くだろうと思う。

 私と関わったその多くの名前。私には勿体ないくらい大勢の人が壇上に上がるのだ。皆が両手を上げて拍手喝采。歌を歌って、笑って、手を振った。

 

 何か一つでも違えばこのエンディングには辿り着かなかったと断言できる。

 

 

 

 私は間違いなく、最高に幸せ者だった。

 

 

 

 ありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「畔? …そっか。お休み」

 

 

 

 

 

□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■

 

「四季様、何してるんですか?」

 

「色々手続きが残っているのです」

 

「手続き?」

 

「地獄から移さなくてはならない魂が二つ出来てしまったので、その手続きです」

 

「あー、あの二人。移すってそんな事して平気なんですか?」

 

「私が彼女に言ったのは己の罪を精算するまで地獄行きだという事だけです。もう一人を救った時点で彼女のすべき事は終わりですよ」

 

「ふうん、じゃあそのもう一人の方は?」

 

「彼女もまた己の罪を精算し終えましたよ」

 

「随分と早いですね」

 

「水知不畔が往生出来たのは彼女のお陰でもありますからね。そこを考慮すれば白と言えるでしょう。二人合わせて白ですよ」

 

「随分とお優しいですね」

 

「…五月蝿いですよ、小町。仕事に戻りなさい」

 

「はーい」

 

 





これにて『東方和河童』完結となります。
ご愛読頂いた皆さん、有難う御座いました。

総括や今後の予定などは活動報告の方に上げておきますので、気になる方はそちらへどうぞ。
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