七花が清洲城に戻ったとき、部屋に案内された。
その部屋には左右に重臣と思われる人物達がずらりと居並び、上座には信奈が不機嫌そうに手羽先を食べている。犬千代は白装束を着て控えていた。
「七花君、こっちよ」
そんな重苦しい雰囲気の中、否定姫は空気を読まずに七花に向かって手を振る。
「重苦しいから、疲れちゃった。何か甘いものない?」
七花が近づくと否定姫は楽しそうにそう言った。
「さっき、買ったういろうと羊羹、饅頭がある」
七花はそう言って、服の袖から、ういろう二本と羊羹一本、饅頭五個を取り出した。
「いいわねえ。悪いんだけど、器とお茶を持ってきてくれない?」
否定姫は女中にそう言って、お茶二つとお菓子をのせるための皿を二つ、菓子を食べるための楊枝二本を持ってきて貰っていた。
七花と否定姫が饅頭の最後の一つをどちらが食べるか話し合っていたとき、勝家が白装束を着て、信勝を連れてきた。
そこから先は信勝の命乞いから始まり、勝家の一命を賭しての助命の嘆願、犬千代もそこに加わった。信勝の勝家と犬千代を殺さないで、そして自分を殺さないで、しかし信奈は勝家を自分付きの家老にし、犬千代は小生のまま、親衛隊は追放、勝家は切腹を言い渡す。しかし、信勝は切腹を拒否、切腹がいやなら私が切るわと信奈が太刀を持つ。
そんな手に汗握るやり取りの中で饅頭を否定姫に食べられた七花はういろう一本を丸齧りしながらお茶を啜って芝居を見るように見ている。否定姫はういろうを一口の大きさに切って優雅に食べて、お茶を静かに飲んでいる。
「…………ちょっと、七花!! 何、暢気にういろうを食べてるのよ!! しかも、饅頭のときはジャンケンしてるし、途中で『おお』とか『へえ』とか呟いて、私達は芝居をしてるわけじゃないのよ!!」
七花の行動に信奈が信勝を斬る事を忘れてキレた。
「え? 芝居じゃなかったのか?」
信奈の言葉に七花は首を傾げている。信奈達が芝居をやっているのだと本当に思っていたらしい七花の様子に信奈達は脱力しそうになる。
「なんで芝居と勘違いしたのよ」
「だって、俺の目的はお前達姉弟を仲直りさせるためだからな」
「はあ? 信勝達の妨害を受けて、手加減無用で叩きのめし、『お前の今後について話がある』とか言伝を伝えた先の目的が私と信勝の仲直り? どういう理屈でそうなるのよ!?」
信奈の言葉にこの場にいるほとんどの者達が「はあ?」と言葉に出したのは言うまでもない。
「その説明は私がするわ。その子は死ぬ一歩手前までいかないと反省しないでしょう、その場で反省してまた謀反を繰り返させるよりも、心から反省させて謀反をもうしないと誓わせないといけないからね」
否定姫は信勝に向かってういろうが刺さった楊枝でさす。
「じゃあ、信勝の屋敷に行って暴れた理由は何よ?」
「その子が改心しても、その周囲が腐っていたら、また周りに流されて謀反を起こす可能性があるから、その周囲にも痛い目にあって貰わないとね」
否定姫は楽しそうに言う。
「実際、戦ってみたが、あいつらくず鉄並みに弱かったぞ。勝家は心が迷って全力を出せなかったから評価はできないけど、あいつらよりは圧倒的に強いだろうな」
「あら? くず鉄? 鈍や錆より酷いのね」
「あれは鈍や錆に失礼だ」
「あんなにいて、謀反を繰り返しているくせに親衛隊ってそんなに弱いの? 今川と戦ったら即木っ端じゃない」
「そこの二人、勝手に話続けるな!!」
否定姫と七花が話し込んでいるところを信奈は割り込んで無理やり軌道修正した。
「で、仲直りさせようとしていたなら、何であんたは止めに入らないのよ」
信奈の言葉に七花が恥ずかしそうに語る。
「いやあ、甘いものを食って、お茶を飲んだら忘れてた。饅頭恐いな」
後ろ頭を掻きながら暢気に言う七花に否定姫以外の全員が脱力して、重い空気は完全に霧散して、信勝を斬る事が難しい状況になった。
「さて、仕切りなおすか。信奈、お前はさっき身内だからと許していたら、戦で命を落とす兵や民達に対して不公平だ。人の命はみんな平等、信勝を殺せば民達の命を守れる、誰にとっても得だと言ったな」
「え、ええ、そうよ」
陽気なかぶき者としての様子から一転、真面目に話しかける七花に信奈は少し戸惑ってから答える。
「俺はな、誰かのために何かをするなんて事を人間には無理なんじゃないかって今まで生きてきて思っているんだ」
「何よ。私が自分のために信勝を殺そうとしていると思っているの?」
「少し話を逸らすぞ、もし今川と戦って勝ったとする。さて、その後に信奈は天下を取るために行動するよな」
「ええ」
「その天下を取るために今川との戦いで守った兵や民達を使うんだろ? じゃあ、結局は自分のためじゃないか」
「!?」
七花の言葉に信奈は絶句する。
「別にそれが悪いとは言ってない。じゃないと何もできなくなる。それにお前の従っている奴等も自分のために戦っている。給金や出世のために戦う奴、それ以外にもお前に惚れたから戦う奴もいる。犬千代、お前は給金や出世のためだけに戦っているのか?」
「違う」
七花の質問に顔を横に振って即答する犬千代、それに笑顔を見せる七花。
「犬千代は信奈に惚れているから、だから、犬千代はその思いを嘘にしないために自分を斬ってくれと頼んだ。つまり、自分のためだ。道三だって、自分の夢を信奈に託して美濃を譲った。自分の夢を託したんだからな、道三も自分のために行動している」
七花の言葉にその場にいる全員は静かに聞き入っている。
「そして、自分のための行動とは別に一つだけじゃない。信奈、お前は本当に信勝を斬りたいのか?」
「……殺したくないに決まっているじゃない!! 自分の弟よ、私に残された唯一の家族なのよ!!」
家臣達の前で涙を流して叫ぶ信奈に戸惑う家臣達。
「なら、お前が言うべき言葉は他にあったはずだ。つぎに信勝」
姉である信奈の話からいきなり自分に話を変えられて、信勝はびくりと震えた。
「お前は取り巻き連中に担ぎ上げられて何度も謀反を起こし、ついに切腹寸前まできた。お前なら自分のために動く連中はよくわかったよな。取り巻き連中は自分達のためにお前を担ぎ上げて、お前が殺されそうになっても自分達のために誰もお前を助けず、助命の嘆願は勝家しかしなかった。でも、勝家はどっちかというと自分が背負っている家老のためにやっていた事だから結局は勝家も自分のために動いたのであって、お前のためには動いていない、わかるよな」
七花の言葉に怯えながらも、こくんと頷く信勝。
「取り巻き達に色々言われて、その通りに動いてきたお前の行動のほとんどは人形と変わらない。次は自分で本当に何がしたいのか考えて動け。その時、また道を間違えそうになった時はまた頭に拳骨を落としてでも止めてやるよ」
七花が右の握り拳を信勝に見せると、殴られた時の痛みを思い出したのか、信勝を殴られた箇所を両手で押さえた。
「で、どうするんだ、信奈?」
七花はニヤニヤしながら信奈に尋ねる。
「ここまでやられたら言うしかないわよ。信勝を許すわ」
信奈は太刀を納めて、涙を拭いて否定姫のところまで歩いていく。
「一、ういろうを一つ貰えるかしら?」
「どうぞ」
信奈の言葉に否定姫は七花のために持ってこられたが七花が使わなかった皿に楊枝を挿したういろうを載せて信奈に渡す。
信奈はういろうの乗った皿を持って信勝のところへ歩いていき、ういろうを差し出す。
「勘十郎(信勝のこと)……刀の代わりに、ういろうをあげる」
「……いいのですか、姉上」
「仲直りの印よ」
「……い、いただきます……」
涙を流しながらういろうを食べている信勝とそれを優しげな表情で見ている信奈を見て、七花は数度頷いて、それからこの場にいる家臣達の方を向く。
「信奈と信勝の仲直りをしている時に悪いけど、今川が尾張に攻めてくる事は知っているな。俺は先ほど人間は自分のためしか動かないと言った、今は織田とか地位とか金とか法度とか、その他諸々の難しい事は考えず、今川と戦って、勝って、みんなで生き残りたい。そのためには今、全員で力を合わせて足掻くしかないんだ」
「私からもお願い、私はここで終わりたくない。あなた達の力を貸して欲しいの」
信勝との仲直りが終わったのか、七花の言葉の後に信奈が続けて言葉に出して頭を下げる。【尾張のうつけ者】と呼ばれた姫が自分達に頭を下げている。その事に重臣達のほとんどが驚いていた。
「信奈様がここまでやったのだ、重臣たる我々がただ指を咥えて今川なんぞにむざむざやられてたまるか」
「そうだ。今こそ我らが力を合わせて起ちあがるべき時、最後の最後まで足掻いて散ってやろう」
「馬鹿が、さっきの話を聞いていたのか、今川に勝って、みんなで生き残ると言っていただろうが、勝手に散るな」
重臣達が声を上げて、賛同していく。今まさに織田は今川と戦って生き残るという事のために一つになろうとしている。
「はは、誰も斬らなくてもいい状況になったな」
「ええ、でも誰も罰しないんじゃ家来達に示しがつかないわ。ここにいるのは重臣達であって、尾張の兵全員じゃないもの」
七花は楽しそうに言うが信奈は少し悲しげに否定する。
「姉上。お許しいただけるのでしたら、僕は取り巻き連中に担がれないよう、織田姓を捨て、分家の津田姓を名乗ります。今回の事はこれで始末をつけるのはいかがでしょう」
信勝が信奈の足元にひれ伏して自分の意見を述べた。
「そうね。それでいきましょう」
「あら、姓を変えるなら、名も変えた方がいいかもしれないわ。分家を名乗るなら、名前に勝と言う文字が入るのは少し不味いと思うの」
信奈が信勝の意見に賛同した食後に否定姫はそう言った。
「では、一。貴女は改名させるとしたら、どんな名前に改名させるの?」
「そうねえ。その子は取り巻き連中に担ぎ上げられて、ほとんど操られるままに色々やってきた。自分の色を持たずに周りから真っ黒にされたんだから、【信墨】はどうかしら?」
「それは名前として問題がある気がするけど?」
確かに自業自得とは言え、織田姓を捨てて津田姓を名乗った信勝に対して、更に名前を汚すという事に信奈は承認するには拒まれた。
「でしょうね。だから私は次に【信澄】を提案するわ。これは名前による戒めよ。自分の体に付いた墨を落とす事ができるか、できなければ信澄は皮肉として呼ばれ続ける。つまり、その子の頑張りと行動しだいね」
「デアルカ、どうする、勘十郎?」
「わかりました。今から僕は津田信澄と名乗らせていただきます」
織田信勝が津田信澄になった瞬間だった。
「次にあんたよ、七花。あんたは大事な会議の最中に色々と引っ掻き回した。それが良い結果として終わったとしても、やってはいけない事よ」
「俺を斬るか?」
信奈の真剣な言葉に七花は尋ねる。その場の空気が静かになった。家臣達は信奈がどのような行動を起こすか心配な様子で見ている。
「いいえ。あんたを斬らないわ。そんな事をしたら織田は本当に終わってしまうもの。あんたは、人は自分のためにしか行動しないと言ったわね」
「ああ」
「なら、聞かせて頂戴。あんたは自分のために私と勘十郎を仲直りさせようとした。なんで自分のためになるのか教えて欲しいの。一は私に人生を賭けると言った。でも七花、あんたはそうは言っていない。地図を描くためならば、勘十郎との仲直りはそれこそ関係ない話よ。教えて、あんたが何でこんな行動を起こしたのか」
信奈の言葉にその場にいた否定姫以外の全員が七花のなぜ、こんな行動を起こしたのか知りたかった。斬られるかもしれない状況の中、自分勝手に行動し、信奈と信勝を和解させ、織田家の思いを一つにした、傷だらけのかぶき者の答えを聞きたかった。
「信奈様」
静かな雰囲気の中、否定姫が信奈に声をかける。
「なによ、一?」
「その答えは七花君にとっては言いにくい事、私が彼の代わりに答えてもよろしいでしょうか?」
「わたしは七花の口から聞きたいんだけど。いいわ、答えなさい」
信奈は七花を見るが七花は顔を掻くだけで口を開こうとはしなかったため、信奈は否定姫に答えさせることにした。
「信奈様、あなた方二人の母親の土田御前、彼女は徹尾家ゆかりの女性、名前は【みぎり】。合っているでしょうか?」
「ええ、確かに母の本当の名前はみぎりよ。そして徹尾家ゆかりで合っているわ」
信奈の言葉に信澄も静かに頷く。母親の事を思い出したのか、信奈の表情は少し落ち込んで見えた。殺された土田御前の事を思い出したのか、少し湿っぽく重い空気に変わる。
「何故、ここで死んだ母の名前がでるのかしら?」
信奈は顔を少し横に振り、気分を入れ替えた後、否定姫に尋ねる。
「土田御前……ここではみぎり様でいきましょうか」
否定姫はそう言って言葉を続ける。
「みぎり様はあなた方二人の母親であり、そこにいる七花君の母親でもあるのです」
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