第1部 "ビリケツ"ちゃん
景色が赤く揺れている。
パチパチと何かが燃える音は途絶えることなく、それと共に豚の鼻息を100万倍酷くしたような音があちこちから聞こえてくる。
オークだ。何匹かわからないが、少なくない数が外をうろついている。
蒸せ返るような熱気に呼吸が乱れ、心の音は跳び跳ねて鼓動を加速させる。
とある民家の中、僕は台所にある壁のへこんだ部分で身を縮ませていた。こうしていると落ち着く…わけではないけど、壁に守られているような気がして、まだ安心感があった。
「痛っつぅ…!」
右腕を少し動かしただけで鈍痛が走り顔をしかめる。だらんと垂れた腕は力が入らず、多分折れている。せっかく装備している盾もこれでは役に立たない。
さらに最悪なことに、武器として持っていた片手剣を逃げ回るうちに落としてしまっていた。
ここは公国ヴェイグランドから100km以上も離れた農村地帯、現在はオークの集団が村を絶賛蹂躙中だ。
一体何故僕ことククル・アーチボルトがこんな場所で民家の隅っこに隠れているのか。それを説明するには、少し時間を遡る。
◆
公国ヴェイグランドは6つの区に分けられている。それぞれの区には特色があり、南区はギルドが固まって置かれていて、ギルド団地とも呼ばれている。
僕の所属する傭兵ギルドもこの区内に事務所を構えている。
「おい、ククル。またゴブリンでも狩ってたのか?」
事務所の中、小馬鹿にするようにして、男性は薄ら笑いを浮かべ僕に問うてくる。
別にこの男性だけではない。傭兵ギルドに所属する先輩や同期、後輩達からも僕は同じような扱いを受けている。
「アシュリー、さん…。う、うん…。」
「そうかそうか。まあ"ビリケツ"ちゃんにはお似合いの仕事だぜ。」
ふんと鼻で笑う彼。ボウズ頭に褐色の肌、細身なのに筋肉質な体。アシュリー・グラーケンとは同期だけど、彼は今や先輩達にも一目置かれる程の傭兵に成長していた。
そんな彼が僕をビリケツちゃんと呼ぶのは、傭兵としての成績が一番悪いから。
傭兵の評価は依頼達成数とその内容で決まる。通常は複数人で依頼を受けるため達成数での差はつきにくいが、その内容、つまり武勲をあげたかどうかで傭兵としての評価が決まる。
評価が一定を越えると、階級が上がり、それに準じた階級章が与えられる。
階級は下から初級兵、下級兵、中級兵、上級兵、特上級兵とあり、さらに初級兵を除いてその中でも、評価によって階級章の星が増える。
星の数は最高で3つまで増え、俗に星一つでシングル、二つでダブル、三つでトリプルと呼んでいる。
アシュリーさんは既に上級兵のトリプルにまで昇進していて、数人しかいない特上級兵に時期にランクアップするだろうと目されている。
それに比べて僕は未だに下級兵のまま。
僕は、弱い。
ゴブリンと言えば最弱のモンスターで、初等兵でも難なく倒せる。それどころか訓練を受けていない村人でも、ある程度腕に自身のある成人男性なら自力で退けられる程だ。
それなのに僕は、それさえも苦労する。
今回の依頼、村周辺に出没するゴブリンの討伐依頼でもやっと一、二匹倒せたぐらいだった。メンバーは新人ばかりだが、彼らの方がよっぽど活躍しただろう。
原因ははっきりしている。
「しかし、魔力も神力じんりょくすらもまるっきりゼロじゃ苦労するだろ?うん?」
「は、ははは。そうだね、新人さんにもすぐ追い抜かれちゃうし…。」
「…んだよ、先に言うなよ。」
チッ、と舌打ちが聞こえた。
お決まりの嫌味に僕が出来る最大限の意趣返しはこの程度。なぜなら彼の言った通りだからだ。
魔力とは魔法を使うための源で、すべてのものに存在する。生まれたての赤子でも保有しているし、なんなら大気中にも存在する。その保持量が多いと、魔道士としての才覚があると言われている。
神力とは魔力とは異なるエネルギーで、光術こうじゅつを使う源となるものだ。保有量は違えど、これまた誰でも持っているもので、光術の一つである身体強化は傭兵を含む戦士の嗜みだ。
僕にはこれらが存在しない。1ミリも、微塵も、まったくなし。ゼロである。ダブルパンチである。
それが判明したのが、魔道士を目指すためにヴェイグランドへ上京し、ワクワクしながら魔導学院の門を叩いた時だった。
―"残念ながら、あなたにはまったく素質がありません。"―
ショックだった。何がショックって、入学出来なかったことよりも魔力ゼロの事実を突きつけられたことだ。
普通は才能のない人でも魔力は微量に存在し、なんとなく魔力を扱う感覚を理解している。それを魔感覚という。
だから訓練して慣れていけばある程度は成長できるんだけど…その取っ掛かりとなる魔感覚もない僕は成長しようがないということだ。
大見得を切って上京してきた手前、このまま帰郷することなんて考えられず、ならばと二つ目の夢を追いかけることにした。
聖騎士である。僕は聖騎士学校の門を叩いた。
―"残念ながら、そなたにはまったく素質がない。"―
ちょっと言葉遣いが違うだけの同じ台詞を聞くこととなった。
神力がゼロなんて聞いたことがない、とも言われた。
そのあとに続く言葉も同じ。
項垂れてとぼとぼと歩く僕の横を屈強な男達が颯爽と歩いていく。
目線で追った先には傭兵ギルドの門。
なぜ僕は魔道士や聖騎士に憧れたのか。格好良いから。それもあるが、それだけじゃないはずだ。
弱い存在を守れる力を持っているから。正義を貫けるから。
なら傭兵でもいいじゃないか。
僕は傭兵ギルドの門を叩いた。
僕が傭兵になることが出来たのは、僕自身が何か認められたわけではない。
来るもの拒まず、去る者偲ばず。傭兵ギルドは人を選ばず、とにかく安価で雇う。死んでしまったらまた雇えばいいのだ。幸いこの町にはあぶれ者がたくさんいる。
「あの~、そろそろククルくんから報告を受けたいんですけど…」
「…了解了解!」
ねちねちと絡まれているところに助け舟を出してくれたのは、ギルド受付嬢のミアモ・ルーンセルトさんだった。
ミアモさんに横槍を入れられ、興を削がれたようにそそくさとアシュリーさんは去っていった。
「ミアモさん、ありがとうございます。」
「大丈夫~。…あんまり気にしたらダメだよ?ククルくんはこれからなんだから!」
「…はい、ありがとうございます。じゃあ報告しますね。」
「うん、お願いするね!」
綺麗に並んだ歯を見せながら笑う彼女。白の猫耳をピクピクさせている時はご機嫌な時だ。少しカールした栗色の髪は首辺りまで伸ばしたショートボブスタイル。弓形の目元には黒子があって、それがまたなんとも言えずセクシーだ。その温和な性格と美しい外見で傭兵達から人気がある。
僕がギルドに入る前から受付嬢をしている人で、何故か懇意にしてもらっている。
「…と、こんな感じです。」
「うん、じゃあ報告書纏めておくね~。ククルくんの報告はいつも分かりやすくて助かるよ~。」
「ははっ、イレギュラーが発生するほど大した依頼じゃないですから…」
「あ、ごめんね。そういう意味じゃないんだよ?」
自嘲気味に呟くと、手を振りながら慌ててフォローを入れてくれるミアモさんだったが、次にちょっと怒った表情になって続けた。
「でも大した・・・依頼じゃないってのはいただけないかな?確かに難易度に違いはあるけど、どれも人を助ける大切なお仕事でしょ?そんなこと言うなんて、ククルくんらしくないなぁ。」
その言葉にはっとなって思い出す。何の取り柄もない僕でも、少しでも役に立てたらと頑張っていた自分の姿を。
この人にはいつも何か大切なものに気付かされる。いつか恩返しができるように立派にならないと。
「す、すみません…」
「いいよ、分かってくれたら。それに君にそんな風に考えさせた環境も悪いんだし。」
ミアモさんのジト目が周囲に振り撒かれ、それから逃れるように傭兵達の視線が宙を漂う。
その時、乱暴に入り口の扉が開かれる音がした。
周りがざわざわと騒ぎ出し、視線がそちらへと集中する。
「バーンウッドだ」「死神が通るぞ」「今度は何人死んだんだ?」
"死"とか"死神"とかいう不吉な言葉を、傭兵達は口々に言い合っている。件の彼が周囲を一睨みするとしんと静まり返った。
バーンウッド・リトリバー特上等兵。魔法とも光術とも違う力、特異性イデオを持つ人だ。
特異性イデオはその詳細が語られず、謎が多い。
「…ルルクか。」
「…ククルです。いつも惜しいですね。」
「すまない、二文字以上続くと混乱してしまうんだ。」
「もう一年になるんですから覚えてくださいよ。」
僕が苦笑しながら言うと、彼もつられて笑う。
バーンウッドさんは二期上の先輩だけど、周りから敬遠されている者同士で共感するところがあるのか、気に掛けてもらってる。
燃えるように真っ赤な髪とつり目が特徴的で、恐らくその見た目も相俟って近付き難い雰囲気が出てしまっているが、話せばまったく印象が変わる。
彼が死神と呼ばれている理由。
その一つは特異性イデオ保持者であることに所以するもので、その保有者は死を振り撒くと信じられている。
それを証明するかのように彼と依頼を共にした傭兵が続々と亡くなっているが、僕は彼が死神だとは思わない。
大体死を振りまくなんて何一つ根拠もないし、彼が受ける依頼の難易度を考えれば、死者が出てもおかしくないからだ。
「バーンウッドさん、こんにちは!」
「ああ。これから報告がしたいんだが。」
「わかりました!ククルくんへの支払いを先に済ませますね~。」
ミアモさんから銅貨10枚の報酬をもらい、バーンウッドさんと交代して、掲示板で新しく貼り出された依頼を確認する。低難易度の依頼の報酬は少ないため、数をこなす必要があるのだ。
ちなみに共同で依頼を受けた場合、完了報告を代表して一人がすれば、後は個々人が自由なタイミングで報酬を受け取れるシステムになっている。
みんな面倒臭がって僕に任せるけど、僕は損していると思ったことはない。ミアモさんとも話せるし…。視線を感じたのかミアモさんは僕にウィンクをし、バーンウッドさんから報告を受ける。
「…そうですか。」
「済まない、守り切ることができなかった。」
「いえいえ!バーンウッドさんの責任じゃありませんし、ミノタウロスロード相手では致し方ないです。」
「…最近、通常種モンスターが亜種や上位種を連れてくるケースが増えている。注意をお願いしたい。」
「わかりました!依頼に当たるチームの編成にも気を配っておきますね。」
今回も死者が出たらしい。
モンスターは通常種の他に環境に適応した亜種や、個体の中でも強化された上位種というのが存在する。例えばミノタウロスが通常種であれば、ミノタウロスロードが上位種だ。
報告を終えて報酬を受け取ると、バーンウッドさんが声を掛けてきた。
「お前も聞いていたと思うが、気を付けろよ。」
「僕は近郊の依頼しか受けないんで大丈夫だとは思いますけど…気を付けます。」
「…いつか一緒に依頼を受けられるといいな。」
ぽそりとそう呟いて、彼は事務所を後にした。
それはいつになるんだろうと苦笑しながらも、そう言って貰えたことに胸が弾んだ。
「随分とバーンと仲が良いみたいじゃねぇか、おお?」
「ま、まぁ、気に掛けてもらってる感じですかね。」
暇を持て余しているのか、アシュリーさんがまた絡んできた。大方、成績争いで敵対心を(一方的に)燃やす
バーンウッドさんと仲良くしているのが気に食わないのだろう。
「"いつか一緒に"、か。いいねぇ!!お前も早く追いつかねぇとなぁ。」
「そうですね…。いつになることやら、はは。」
「…だったら、そろそろゴブリン卒業して、オークでも行っとくか?」
ニヤニヤしながらアシュリーさんが掲示板から剥がしたのは、オーク討伐依頼だ。場所はヴェイグランドから少し離れた村。
息を飲み込んで依頼書を見る。
"村近辺で通常種オークと思われる姿を発見。数は4頭程。現在被害はないものの、速やかに排除願う。"
依頼毎に決められた人員枠は、まだ一人分空いているようだ。他の参加希望者を見ると中級兵のトリプルも1人含まれている。
気持ちとしては、少しでも早くバーンウッドさんに追いつきたい…というのは烏滸おこがましいけど、せめて迷惑を掛けない程度にまで成長したい。
オークは今の僕では荷が重いけど、参加メンバーを見る限りリスクも少ないし、経験するには丁度いい条件かもしれない。報酬は返納すれば他も納得するかな。
「ミアモさん、これ受けていいですか?」
「…う~ん。ククルくん、なんか焦ってる?」
心配そうに問いかけてくるミアモさんに、さっき考えていたことを伝える。彼女はそれでも心配なのか悩んでいたが、最終的にはOKを出してくれた。リスクを負わないと成長しないことを知っているからだろう。
「おう、がんばれよ!ちょっとでもオークに傷を付ければ、お前の勝ちだぜ?」
「はい、頑張ってきます。それでは。」
一体何が"勝ち"なのかはあえて聞かずに事務所を後にした。
依頼の決行は明日だ。
◆
翌日の早朝、公国の門前に僕はいた。
村行きの馬車がここから出発するため、参加メンバーがここに集合することになっている。メンバーは僕を含めて5人。どの人もそれなりに良い装備を持っている。
中には魔道士用のロッドをサブとして腰からぶら下げている人もいた。初級の魔法、例えばファイアーボール程度なら独学で習得できると聞いたことがある。
僕はと言えば、未だに入団したときに支給された片手剣と鞘が収められた盾、そしてライトアーマーのままだ。
「はい、じゃあメンバーが揃ったみたいなんで行きますか。」
そう告げるのは、今回皆を取り纏めるリーダー役のポーターさんだ。上等な鎧と銀色に光る剣を提げて、まさに上位グループの傭兵然としている。
メンバーはぞろぞろと馬車に乗り込み、馬車が音を立てて走り始めた。
公国から離れるに連れて、社外の景色は郊外の街並みから段々と田園が広がる長閑のどかな風景へと変わっていった。
走る馬車の中では、オークがいると思われる位置や村の情報、フォーメーションなどが話し合われている。僕は最後尾で後方支援となっているが明確な役割はなく、要はただの見学者としての扱いらしい。
随分な距離を走り、あともう少しで村へと辿り着くという時に、僕らは周辺の異常に気が付いた。村方面から火の手が上がっていて、泣き叫ぶ人々の声が聞こえ、その中には獣の咆哮も混じっている。
――オークに襲撃されている!
何も言わずとも同じ結論に至ったメンバーは瞬時に戦闘態勢に入る。
馬車を少し離れた場所に止めさせて、徒歩で村へ向かうと、一人の少女が泣きながら走って来るのが見える。
少女は僕らを見つけると、縋りつきながら泣きじゃくった。
「おねがい、たすけて!パパとママがっ!うぅ…ぐすっ」
「怪我はないかい?僕らが来たからにはもう大丈夫だよ。ククルさん、僕らは村に急ぐから、彼女を馬車へ連れて行ってくれ!」
「は、はい!わかりました!」
4人が村へ向かうのを見送ると、僕は少女を馬車へと連れて行った。
「おにいちゃん、ヨウヘイさんなんでしょ?ミルはここでおルスバンしてるから、はやくみんなのとこにいってあげて?」
「えっと、僕は多分必要ないかな…」
ポーターさんが僕に彼女を託したのは、彼女を避難させるという他に厄介払いの意味も含んでいるはずだ。
別に彼が意地が悪いのではなく、明らかな戦力外の僕を、この不測の事態で守りながら戦うのは困難で非効率だからだが――
「そんなことないよ!おにいちゃん、けんもっててつよそうだよ?おねがい、みんなをたすけて!」
少女は必死に懇願する。少女にとって僕は頼るべき大人であり、守ってくれる存在なのだ。
その想いに胸打たれて、武器を手に取る。
「いい?ここを絶対に動かないでね。」
「うんっ!」