雨の外   作:斎原


原作:金繻子
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架空の冊子を作る為、書いた一つの掌編。ふざけた純文学。

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雨の外

二度寝を過ごし中天近くに目を覚ました。窓掛けからは、弱弱しい光が窓との隙間から溢れているだけだった。寝覚めで時間の間隔も分からない内に、まだ夜明け前かと思い込んで、再び寝に入ろうとした時分の事、階下から上がってくる木の軋る音がして、布団から顔だけを出し襖をじっと見詰めた。

そっと開いた襖から覗いた皺顔は、部屋の薄暗さと相まって妙に不気味に見えた。

「起きとったよ」

皺顔をにこにこさせたお富に向かって言うと、ええ、ええと言いながら部屋へ入って来た。

「朝は良かったですか、具合はどうですか?」

お富に言われて初めて、昼近いのだろうと分かったが、何故こんなにも外は暗いだろうか。

「求ちゃんも中々来ないから、寂しくて仕方ないわ」

意地悪く、哀れさを込めて言うと、お富は枕辺に腰を下ろし、布団の上からぽんぽんと体を擦る真似をした。

「ええ、ええ、今日は雨になるみたいですからねえ」

私は恨めしそうにお富を見上げながら言った。

「雨なら仕方ないわねえ、お昼になるまで寝てようか知らん」

「ええ、ええ、お昼に起こしに参りましょうねえ」

不満な響きを含ませ言ったつもりだったが、お富はにこにこと顔を崩さず、そそくさと部屋を出て行ってしまった。思いの外相手にされず腹立たしく、寂しくもあった。胸にもやもやした物が生え、再び眠る気も起こらなかった。

天井を見詰めていると、お富が雨だと言ったのを思い出した。通りで外は暗い筈である。私はのっそりと重い上体を起こして窓辺へ寄った。窓掛けの端をちらと捲ると、思いの外明るいらしい。実際にはまだ降りだして居らず、ただただ空が濁って居た。往来を疎らに歩く人間をちらちらと目で追って居ると、世話しないらしく行き交う人間の顔が何だか面白い様である。私は、部屋の端にある机の椅子を持ち出し、窓の前に据え置いて、窓掛けを全開にして其処を陣取った。

呆と外を眺めて居ると、幾らか屋根向こうの大きな建物が無くなっている事に気が付いた。あれは何の建物だったろうか。建物が取り壊されてしまったのを見て、何だかまた嫌な気分になってきた。私の窓から建物が無くなった。自分のでも無い、ただ窓から見える景色が変えられたせいで、自分の物を勝手に持ち出された様で、何やら悔しくなった。憎憎しげに見ている内いつしか目には涙が溜まっていた。平生から起伏の激しいと言われるが、こんな事で泣く事も無い。ただその時は、自由に外も出歩けず唯一の外である、窓の景色も勝手に変わっていく事に、他人との不自由さを見せられた様で、ただただ羨望と嫉妬の嘆きであったのだろう。

恨めしそうに眺めて居ると、建物のあった跡のそのまた向こうに、灰色の風景とは似合わない、黄色い色が隣の建物の端からちらと見えていた。椅子から落ちないかと心配しつつ、あれは何か知らんと窓枠の端まで顔をずらし必死に見ようとしていた。鼻先を窓に擦りながら見ている内、手前の建物の陰になっている街道を、西洋人らしいすらりと美しく洗練された着物を着た貴婦人が、下女を伴って颯爽と歩いて居た。周りの者は余り良い顔をしないが、一度はあの西洋服を着てみたいものだと常々考えていた。羨まし気に見て居ると、後に続く下女が篭一杯に黄色い花を抱えて居るのを認めた。

「ああ、成る程。あの建物の端から見えていたのはあの花だったか。今しがた其処で買って来たのだろう」

隠れて見えずに居たのが花だと分かると、溜飲が下がりちょこなんと椅子に座り直した。

あんなに沢山の花をどうするのだろうか。あの綺麗な花の事を考えると、胸が浮き浮きする様な幸せな心地がし、色々と考えを巡らしてみた。

「良いなあ、私にも花が欲しい。そうだ、お富に言って後で買って来て貰う事にしよう。我が儘を言ってこの部屋一杯になる位あの黄色い花を買って来させよう」

沢山の花を部屋一面に敷き詰め、その中に寝そべって居る所を想像すると、花の好きな私は、何とも贅沢で幸いな心地に、にこにこと顔を綻ばせた。だが、少し考える内、その様子が花の詰まった棺桶に寝ている様に見えて来て、再びしゅんとなった。今日は自棄に楽しい事を嫌な想像に邪魔される様だ。

考えるのを止め、憂鬱な顔のまま外を眺めている内、家の脇から大通りへ伸びる縦の道を、妙竹林な格好で駆けて来る者があった。羽織袴に山高帽を被り、髭を貯えた眼鏡の初老の男は、手にした薄っぺらい群青色の鞄を顔の上に掲げ、一生懸命に片腕を動かしちょこちょこと走って居た。額に皺を作り頬を吊り上げて、遠くで見ているとその表情は、何処か楽しそうにも見えた。その珍妙な素振りの見知らぬ人間を見て、ひどく可笑しくなった。あっという間にそれが見えなくなると、窓に三つ四つの雫が垂れるのに気が付いた。

「雨が来た!」

私は、活動が始まった時の様に、姿勢を正し椅子に座り直した。

雨足が強まるに連れ、時計を弄られ早回ししたように、ゆっくりと歩いていた往来の人間達は次第に足早になり駆けて行った。朝は晴れていたのだろう、傘を持たない者が多いらしく、皆急かされる様に走っている。追い迫られ、子供に悪戯をされた巣の蟻達の様に走り回る人々を見て私は、ひどく愉悦に浸って居た。私の関知しない世界、いと貴き者の庇護を承けた様に、天の上からはこんな景色を眺めているのだろう。幸いに溢れ暮らして居た者達は、冷たい雨に依って楽土を追われる。いつもは逆さまで、きっと外の者達は私を哀れな目で見ている様に、雨の中では此方が外であった。いつも羨ましく見ていた景色は、今や大惨事とばかり、右往左往と逃げ回る人々で慌ただしい。何時も部屋まで聞こえる程の声で喚いている、二つ隣の癇癪持ちの爺も禿頭を両手で押さえ、惨めな顔で通りを走る。私は、余りに可笑しな景色に、きゃっきゃっと声を立てたいのを堪え、袖で口許を押さえ気付かれてしまわぬ様に、くねくねと体を疼かせながら静かに座っていた。

ふとすると、斜め向かいの邸の猫が、窓辺から此方をじっと見ているのに気が付いた。少し気恥ずかしくなり目を逸らしたが、子供と言えど十三になる私よりも、あれ程小さな動物に気を遣わされるのが何とも癪であった。憎たらしいとばかりに伏せた視線をも一度猫に向けると、何とも体裁の悪い格好で、大きな欠伸をして見せた。窓越しに聞こえる穏やかな雨の音が、私にも眠気を伝え、伝染した様に欠伸を催した。私よりも小さな猫の見ている手前、出来る限り品を保った姿勢で欠伸をして見せてやると、猫は四つ足で立ち上がり、膠も無く窓辺から奥へと引っ込んで行ってしまった。

「猫助も濡れてしまえば良いのに」

人々は散り散りになり、空の水槽を覗く様に何も動かない景色の中、雨だけがただただ地面を打っている。私の気持ちに呼応するかの如く雨は次第に強くなり、其処には無い物が見えて来る様に感じられ、ゆらゆらと揺れる夢の入り口が現れた。

私は、何時から此処に居るのだろう。少し前までは雨に濡れて居た気がする。薮医者に掛かり肺病を告げられた時、お父とお母は真っ青になって私を家に閉じこめた。きっと肺病ではない、そんな言葉も耳に入らず、学校も行かれなくなってしまった。 朋輩達は、あんなに元気だったのにねえ、等とまるで病人に言う様に憐憫の眼差しを向けた 。上白沢の先生さんも家に来てはとぼとぼと帰って行った。求ちゃんは余りにも会いには来ない。例え本当の肺病だったとしても、こんな生活で長らえた所で後生も何も無いだろう。何とかせねばこのまま部屋の灌木として、干からびた木乃伊にされてしまう。こんなにも小さな水差しでは足りない程に水が欲しいのだ。

私は、椅子の上でうとうと船を漕いで居ると、何かの拍子に意識が帰ってきた。寝惚け眼を外へやったが、相変わらず雨は地面を叩き続けている。逃げ惑う者はもう居ない。衣を濡らす者も、傘を持つものも、皆一様に影を潜める程、空は苛立っている様だった。

眠りの様な何かに呼び掛けられ、再び櫂を手にした瞬間だった。町へと続く軒通りの真中を悠々と歩く姿を見た。日頃、羨望を込めて見ていたきらびやかで映える貴人の様相が毳毳しく思われてくるほど、雨と共に流れる様な微かな薄い水色をした、肌が透けて写るのではないかと思えるほど、優雅で妖艶な、其れで居て朴訥な雰囲気を帯びて、見ているだけで穏やかな心持ちになる様な、息を吐く音すら聞こえて来そうなその姿を夢の胡蝶を眺める様に、目線を掴まれていた。呆とするのは眠いからだろうか、其れとも既にこれは夢なのか。傘の面を飛び回る兎は、画だろうか。その妖しい者の顔が何とか見たくて、邪魔な蛇の目と睨み合い、思い通りに退かないのに悶々と気を揉む様は、宛ら夢の心地であった。雨が障る様子も無く、然も悠然と歩くその影は、憎らしくもあり恋しくもあり、宛ら実の母の様な優しさに溢れていた。その者が家の塀に近付くに連れ、何やら段々と恐ろしい様な心持ちになってきた。若しくは此方へとやって来るのではないか、私を拐いに来たのではないかと、お伽噺に見た醜悪な魔女を思い出し、脈略もない妄想に取り付かれる思いだった。そんな中でも、何かを期待する様な気持ちもあり、うずうずと体が疼くのを感じながら、ただ向こうから歩んで来るのを注意深く見詰めていた。

「もしかすると、あれは天子様かも知らん。私を迎えに来たのだろうか。」

その天子様だか悪魔だかは、塀の手前まで来ると不意に立ち止まった。顔を上げ、何やら此方を見詰めて居る様だったが、蛇の目が邪魔をして此方からは認められない。短い間だったのか、長い間だったのか、間隔も分からないほど、気味が悪くなり、私は強ばる体を震わせて居た。

何故、私が見ている事に気が付いたのだろう。突然現実味を帯びたそれに恐怖を感じながら、そっと身を縮めて息を殺した。

「もしかすると、私には気が付いて居ないのかも知らん。道が分からず、迷子になって困って居るだけなのかも知らん。」

町が発展し、造り上げられるその以前より其処にあった自然の様に、それはただ静かに其処に立っていた。私しか存在しないこの場所で、私に気が付いて居ない筈はなかった。

一枚の蛇の目の向こうで、目が合っている様な気がしてならない。何故、私を執拗に怖がらせるのか、何の意味を持って現れたのであるか。焦らす様なそれに、恐ぞ気を介して、次第に苛立ちが込み上げていた。

窓を開けて、物を当ててやりたい気持ちになった時、女は口許をちらりと見せた。灰色の景色の中一つの色が映えていた。綺麗な白い肌の女の口であったが、紅も差さず薄い桃色の唇は優しく微笑み、先程まで抱いていた悪意や不気味さを微塵も感じさせないほど、端正で謹厳な、朗らかな微笑であった。

「なあんだ、あれは雨の精だ。あんなに優しく笑って居る。きっと雨の精だったんだ。」

何処からとも無く、そんな突拍子も無い思いが湧き出てきて、私も、然も馴染みの深い友人に見せる様に、にこりと笑みを返した。

朧気な記憶を見ていた様にのそりと起き出し、霞んだ目を擦りながら窓の外を覗いた。外はまだ雨で、傘を差しながら街道を歩く人間が幾らか目に付いた。先程の無人の景色とは違い、息をする町を見て、やはりあれは不自然な夢であった事を改めて感じた。軒通りの突き当たりに住む小僧が、道の向こうから奇声を上げつつ、二人の子分を引き連れて走って居る。大降りの中、傘も差さずに着物を濡らし、矢鱈に楽しそうであった。家へ帰り、おっ母さんに叱られている所を想像すると、可笑しくなってくすくすと笑い出した。

私は雨に濡れる事も出来ず、夢の中でさえ部屋の窓からの景色しか見れなくなってしまったのだろう。私は、雨が好きである。

15.9.9


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