七つ夜に朔は来る【未改訂ver】   作:六六

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―――私には、好きな人がいます。


第二話 反転衝動Ⅰ 裏

 夕暮れの空に黒が混じる頃合に、一人の女子高生が学生鞄を片手にトボトボと歩いていく。少し丸顔に愛嬌のある顔つき。左右で縛った栗色のツインテールが歩調に揺れ、町の中を歩いていく。

 

「酷いよせんせえぇ、結局こんな時間まで先生の手伝いだったし」

 

 落ち込み気味に肩を落とし、暗い表情、というか滂沱の涙さえ見える気がする。

 

 しょんぼり弓塚さつきである。

 

 本日弓塚さつきは密かな恋心のままに、勇気を出して憧れの遠野志貴という少年に声をかけ、彼が引越しをすることを知った。始め志貴がいなくなると勘違いし、いろいろ想像してしまったりもしたが、結局引越しはするが学校は変わらず、引越し先は丘の上の豪邸。しかも帰りの方向は途中まで同じだという。それを聞いてさつきは思った。

 

 これチャンスじゃね?

 

 昔、中学の頃に起こったある事が切っ掛けで、自然と目で追うようになった彼。しかし、志貴は周りにいる人たちとはどこか違い、そこにいるのにどこか遠い場所にいて、違う場所を見ている。唯一彼と親しげな乾有彦といてもである。それが余計に気になった。一体今志貴は何をしているのか、どんな事を考えているのか。

 

 中高とクラスも同じになり、触れ合う機会はあったはずなのだが、何せさつきはいざと言う時に運がないというか、怖気づくというか、そんなものが混ざり合って悉く失敗を重ねている。そもそも話しかけることだけで大事件。仲良くなるなんて天変地異だと思っていた。

 

 でも、神様はそんなさっちんを見捨てはしなかった。

 

 夢は、願いは、いつか叶う、と誰かが言っていた気もする。

 

 引越し先の方向はとちゅうまでさつきの帰宅方面と重なる。即ち帰る道行も同じに他ならない。これは一緒に帰るなんてイベントが発動可能だという事である。

 

 動揺と安心のせめぎ合いに、さつきは志貴を帰宅時に一緒に帰ろうと声をかける。ぎゅんぎゅん漲る乙女心。恋の情熱はさつきを突き動かした。

 

 しかし、である。

 

「もう、先生もタイミング悪いなあ。なんであのタイミングなんだろう」

 

 誘う正にその瞬間、先生の呼び出しに心砕かれたのである。さすが乙女心、直線は強いのに横からの衝撃には脆い脆い。

 

「すぐに終わるとか言って、全然終わらないし。もう夜だよお」

 

 なんだかんだで、人のいいさつきは誰かの頼みを断る事ができない。根っからの善人である。頼まれれば嫌とは言い辛い。その人の良さがあるからこそクラスでも人気がある。それを承知の上でさつきに用事を頼む先生もなかなか良い性格をしているが、さつきは気付きもしない。

 

 すでに夕闇が街並みを染めようとしている。夜の訪れ。昼と夜の間の時間である。街には影が差し込み、闇色をした空が夕暮れを追い立てる。冬も近くなってきたので、夜が早くなってきた。早く帰らないといけない。

 

 確かに、志貴と帰れないのは残念だ。折角そんな機会が巡り回ってきたのだ。これを活用しない手はない。今日は、駄目だった。

 

 でも、明日からはどうだろう。

 

「よしっ、明日は絶対遠野君と帰るんだからっ」

 

 チャンスはきっと今日だけではない。明日も、その次の日もやってくる。

 

 憧れのままに進んでいく弓塚さつきに不可能はない。今年の目標は遠野君と気軽に話し合える仲になる事。前途多難な目標だったが、それももう終わった。今年も既に後半に入り、ようやく目標が実現可能になりそうだった。随分と遅いスタートダッシュである。

 

 さて、さつきが決意を新たに燃やした時だった。

 

「あれ、遠野君……?」

 

 視界の端、街角の曲がり角、そこにちらりと見知ったような影が見えた、ような気がする。閑静な道並、舗装された道を挟み込むように家々が乱立している。そこの影を曲がるように、ちらりと、さつきの想い人が見えた。辺りは暗い。影は見え辛かった。でも、さつきはそれが何となく志貴の姿に見えて仕方がなかった。

 

 時間も時間。既に志貴はあの豪邸に帰宅しているはずである。彼は部活動には所属していないし、アルバイトも行っていないと何となく聞いた。だからこんな時間に外にいるのは少し不自然。

 

「(友達と遊んでいた、とか?)」

 

 自分で考えながらそれは随分と稚拙な予想だと思った。志貴の友人である有彦と遊んでいる、というのはいくらなんでもありえないと思った。他に友人がいないとは限らないが、さつきの思う志貴はそんな人間ではない気がする。何となくではあるが、彼が友人と遊ぶ姿が想像できなかったのである。

 

「(じゃあ、元の家に行くのかな?)」

 

 そちらのほうが大分マシだろう。豪邸が馴染めず、元の家に戻る。もしくは何か忘れ物をして元の家に忘れ物を取りに行く。うん、こちらの方がしっくりする。でもこんな時間に?違和感を覚える。

 

 そして、さつきはハッとした。

 

「(も、ももももしかして)」

 

 夕暮れも過ぎていく。夜は間近に迫り、少しだけ寒い。太陽が見えなくなり始めたから。

 

「(ここここ恋人に会いに行くとかっ!?)」

 

 その想像にさつきは愕然とした。有り得る、有り得るぞそんな未来が!

 

 何せ志貴はカッコいいし優しい。幾分かさつきの主観が混じっているが、少なくとも志貴の恋人がいても可笑しくない。健全な高校生だ。恋人付き合いに眉を潜める事もない。思春期を経験して女性への幻想を打ち砕くには頃合な年頃だ。

 

「す、少しだけ、少しだけ見に行くだけだし……」

 

 そんな結末は嫌だ。ずっと志貴を追っていたのである。自分の好きな人が、誰か他の人と付き合っているのは絶望以外の何物ではない。でも考えれば考えるほどさつきのビジョンは埋まっていく。誰も見ていないのはその人をずっと見ているから。側にいないのは、心がその人に向けられているからだ。そして、志貴の笑顔も。

 

「いやだ……」

 

 ぽつり、とさつきの口元から零れた。

 

「いやだよ、遠野君……」

 

 だから少しだけ。確認にために。この予想がただの空想だと信じて。

 

 さつきは志貴の影が見えた後を追った。

 

 空には星の輝きが見え始めていた。

 

 道路を進んでいくと、決して確認できない距離ではないはずなのに、影の姿が曖昧にさつきの視界の端にいた。それが何だか追いかけっこみたいで少しドキドキした。幼心にさつきは志貴との追いかけっこを自身が恋人という設定で妄想。

 

 うむ、実に好い。

 

 □□□

 

 閑静な住宅街とは打って変わった明るい街並み。途切れる事のない人工(ネオン)の輝きは、無秩序な様相を見せて人に夜を忘れさせようとする。道行く人たちは慌しそうに先を行き、すれ違う人々は何が楽しいのだろう、馬鹿みたいな笑い声を響かせる。

 

「うー。こんな所まで来ちゃったよお」

 

 あまり遅い時間に、ここには来たくなかった。昼とは違う顔を見せる、この街の二面性はさつきには辛かった。まるで今まで信じたものが偽者であるような気がするのだ。派手な服装に身を包んだ若者が多い。酒気を放つ大人の姿。ティッシュを配るアルバイト。ティッシュはもういらない。もうここに来るまでに六つも貰ってしまった。

 

「○○です。どうぞ」

「はあ、どうも」

 

 七個目。

 

 志貴の影を追い、こんな所まで来てしまった。ちょっと帰り道を外れただけで、さつきには馴染まない場所にたどり着いてしまったのである。

 

 いやだな、早く帰りたい。でも、あと少しだけ、と。自身の不安のままにさつきは歩いた。視線は先を見ている。でも、今この時になってさつきは、今自身が追いかける影が志貴ではないのではないか、と思考の隙間に入り込んでくる。志貴を疑っているのではない。ただ、今さつきが志貴と思い込んでいる存在が志貴ではない違う人だったら。どうだろう。凄い恥ずかしい。

 

 でも、そんな考えを払いのけるさつきの不安。それがさつきを突き動かしている。確認するだけ、確認するだけ、と自分に言い聞かせる。志貴が何処に行くのか、果たして目的は恋人に逢う為なのか。それともあれは志貴なのか。

 

 パチンコ店の無節操な音があちらこちらから放たれている。本格的にさつきは帰りたくなり始めた。さつきが不安と共に抱いているのは若干の恐怖であった。それらが突然さつきに牙を剥くのではないか。そんな馬鹿らしいが実にリアルな恐怖がさつきを包む。ニュースでも、学校でも、こんなところに近づいてはならない、と言われてきている。それをさつきは真っ直ぐに受け取ってきていた。

 

 でも、それでも、である。

 

 さつきの中にある仄かに淡い想い。それを今、脅かす影がある。それをどうにかしなくては、さつきはさつきでいられなくなるような気さえした。

 

「あれ……?」

 

 気付けば、影は又もや角を曲がっていく。

あそこは確か路地裏だったはず。そんな所になにがあるのだろう。

 

「うぅぅ」

 

 気後れして歩調は少し遅くなる。暗い場所は苦手だった。昔話でも、童話でも暗がりには良くないものがいて、そこに入り込めば二度と出られないと言った様な、とても不吉な場所。世上でもそんな所に入り込めば何か起きるか分からない。不良の巣窟、あるいは悪い人たちの溜まり場だ。

 

「遠野、君……」

 

 不安だ。あれが本当に自分の想い人なのか。今この時になり、さつきのなかにある恐怖はその姿を現し始めた。

 

 誰だって我が身が可愛い。恐怖とは本能が正常に働いて本人が生き延びる為に鳴り響く警告音である。警告音は静かに、囁き告げた。もう帰るべきだと。あそこに行ってはならないと。行ってしまえば、もう戻れないと。

 

 この時点で、さつきは少し帰りたくなっていた。さつきは一般家庭に生を受け、育ってきた普通の女の子だった。本能を克服する術は、志貴を想う気持ちだけであった。

 

 暗がりを進むには恐怖が足を遅くさせる。でも志貴は―――。

 

 さつきはかつて、死に掛けた事がある。

でもそこを助けてくれた志貴に、さつきは恋を知った。それは稚拙で、何とも幼い、でもそれ故純真で素直な恋だった。それを憧れと呼ぶ事もできる。それを気のせいだと、言われることもある。

 

 しかし、さつきは知っていた。それが憧れならば、こんなにも胸は苦しくない。それが気のせいならば、これ以外の想いは全てまやかしだ。

 

 記憶を巡らせる。その中にいる志貴の姿に、さつきは勇気を振り絞った。うん、大丈夫。

 

 その時であった。

 

 人ごみの中を洗われるさつきは。

 

 ――――ぞわり。

 

 と、何かを感じた。

 

「え?」

 

 ――――さつきの横を、何かが、通り過ぎた。

 

 黒っぽい、何か。

 

 背筋を逆撫でする寒気。良くない気配だった。今まで感じたこともないようなそれを感じ、咄嗟に今しがた横を通り過ぎた存在を確認した。

 

 後ろを振り向く。

 

「あれ?」

 

 何も、いなかった。

 

 黒っぽいものは何処にもいない。黒い服装をした人は何人かいた。

 

 でも、あの存在が黒いような人間はいなかった。

 

 いや、アレは。

 

 ――――本当に、人間だろうか?

「ひうぅっ!!」

 

 不器用な悲鳴を、さつきは飲み込んだ。

 

 何か、見てはいけないようなものを見てしまったような、気がする。

 

 ぞわりと不安は活性化し、さつきを追い立てた。

 

 体を反転させた。縺れるように、走る。

 

 一刻も早く家に帰りたかった。なけなしの勇気は散り散りに消え、その場所を恐怖が支配した。今まで感じたともないようなモノがさつきの中をぐちゃぐちゃにさせる。混乱に心は志貴の姿さえも曖昧にさせた。

 

 本能は既に志貴の影を一片たりとも脳裏から吹き飛ばした。

 

 さつきは走る。影にではなく、家に。

 

 空には星が瞬いて、月も見えていた。月の形は半月を少し過ぎた頃。

 

 その空は、黒と橙が交じり合って、見事な藍色を成す。

 

 □□□

 

 一瞬、視えた。

 

 しかし、それは消えてしまう。立ち止まり、辺りを探るが何も感じない。視えない。

 

 だが、あれは――――。

 

『どうした?』

 

 声が響く。金属を擦り合わせたような声。

 

 再び歩く。すれ違う人間たちは、存在に気付いてすらいない。

 

 気配は、覚えた。

 

 ならば、見つけるだけ。

 

 人ごみに紛れて、それは消えた。

 




さっちん成分が足りません。
さっちんが襲われなくてもいいじゃない。

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