七つ夜に朔は来る【未改訂ver】   作:六六

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 そして、遂に彼は一人になった。

 だが、彼はそれを寂しいと覚えることは終ぞありえなかった。

 何故なら、彼は孤独を知らず、寂しさが何たるかを理解できなかったのである。



第八話 人殺の鬼 Ⅰ

 響く、鉄を打つ音。

 煉獄の如くに燃えさかる火柱。

 混じる悲嘆と憎悪の怨嗟。怒号が割れんばかりに劈き、幾重にも阿鼻の叫びは木魂する。

 やがて劫火は闇色と化し、それは狂笑に歯肉を晒した。

 

 □□□

 

「七夜朔とは、一概に言えば退魔に類する暗殺者です」

 

 どこか言葉を吟味するかのように、男は慎重に口を開く。

 

 店内は既に昼食時を過ぎたからか、客もまばらに成り始めている。しかし、そうであってもシエルと男が周囲に着目される事はない。テーブル席に展開された認識阻害の結界は少なくとも通常の人間には、この場所は制服の少女とサラリーマン風の男が一緒に食事を取っていると思われるだけで、その話している内容や、二人の組み合わせに対し違和感を抱かせない。

 

「暗殺者、ですか」

「はい、そう聞き及んでいます」

 

 暗殺者。それが意味する事は、七夜朔は純粋な戦闘者ではないという事だった。

 

「けど、退魔の者が暗殺なんて」

 

 シエルは瞬時に疑問を呈する。それは暗殺で、魔に挑む無謀を指摘している事に他ならない。

 魔とは、人間の理が通用しないからこそ魔である。その呼ばれる所以をそのままに一切の常識が通用しない相手である。

 

 埋葬機関に所属するシエルでさえ、対魔専門の純粋殲滅主義である埋葬機関のシエルでさえ勝利の掴めぬ存在は数多といる。そのようなモノに対して暗殺など、結果は見え透いている。

 

「そうです。確かに、魔に対し暗殺を仕掛けるなど、愚劣の極みでしょう」

「でしたら、なぜ」

「シエルさん。物事には、役割というものが在るのです」

「……役割、ですか」

 

 その役割ゆえに、七夜朔は暗殺者なのだと。男は言う。

 

「貴方がこうやって私の目の前に座り、私が捨て駒とされたのと同じように、人にはそれぞれ役割があります。元々、七夜一族とは殺し屋の一族でした。長い間、その業と血統を秘匿させ続け、そして暗殺を成功させ続けることでその地位を確立させてきたのですが、七夜朔はその生き残りです。七夜は混血に対する抑止です。外れた混血を処理するための退魔でした。

 

 朔が確認されたのは、約五年前。その頃から七夜朔の噂が飛び交い始めました。嘘か真か、真贋も確かめられないものばかりですがね。

 

 曰く、殺し屋。曰く、暗殺者。曰く、殺人鬼。曰く、亡霊。曰く、虐殺の輩。曰く、殺戮人形。曰く、最後の七夜。曰く、七夜の体現。

 

 あまりに呼び名が多すぎる。それこそ作為的なまでに。だから七夜朔に対しては判断が難しいのです。噂ばかりが飛び交って、報告書にも名が記されていない。正式には確認がされていない状態です。しかし、七夜朔の存在は私たちの中では既に周知のものとなっています」

 

「……物騒な呼び名ばかりですね」

 

 長の時を経て、己の価値を示し続ける事でその保全を獲得し続けた一族。

 そうなるために、一体どれ程の淘汰を行ってきたのだろう。

 

「依頼されて動くから殺し屋。姿を見せないから暗殺者。対象を選ばないから殺人鬼。実像が掴めないから亡霊。標的以外の全ても殺してしまうから虐殺の輩。一端動いたら止める事が出来ないから殺戮人形。滅びを免れた最後の一人だから最後の七夜。七夜の集約だから七夜の体現。謂れは多く存在しています。しかし、それを確認する事も困難なのです。情報が錯綜していて、どれが真実なのか、どれが真実ではないのか」

「確認できないと言うのは?」

「誰も七夜朔を見た事が無いのです」

 

 すんなりと、男は言う。

 

「見た事が無い?」

「ええ。誰も彼もが七夜朔の存在を知っているのに、誰もその姿を見た事が無いのです。しかしです、確かに七夜朔は存在している。それは間違いありません。事実、彼の所業と思われる惨状は幾つも見つかっているらしいです。ですが、中央がそれを隠している」

「それは、何故です」

「さあ。下っ端の私にはさっぱり。詳細も聞きません。そうせざるを得ない理由が中央にはあるのかもしれません……。ただ、退魔はかつて遠野が七夜を攻め込んだ際、静観したと聞きます。その七夜が復活し、退魔に復権したとなれば中央も何か起こすかもしれません」

 

 シエルの耳に、聞き捨てならない名が入り込んだ。

 

「遠野が、ですか?」

「はい。遠野は七夜を滅ぼした過去があります。その際に七夜は全滅したと、報告があったのですが――――」

「……七夜朔だけが生き残った」

「七夜朔が本当に七夜一族の生き残りかどうか分かりません。ただ、その手腕は本物です。騒がれるほどの腕は確実です。そうでなければ、殺害が不可能とまで言われていた蟲翁の討伐なぞ出来るはずがないのです」

 

 客の入りが減り始めた店内。気付けば店員も近くにはいない。メシアンは喧騒も遠く、二人の座るテーブルはどこか隔絶されたかのように、固い静けさが覆い尽くしていた。

 

「先ほど」

 

 それを気にするでもなく、シエルは懸念を告げる。

 

「七夜朔は混血専門の暗殺者だと貴方は言っていました。でも、それだったら何故混血ですらない吸血種と化した間桐臓硯を相手に動いたのです?相手は二百年以上生きた魔術師で、魔でもある存在と報告書にはありました。しかも、その一族は七夜朔の手によって全員殺されたともあります。貴方が言う役割を考えれば、これは明らかにおかしな事ではないですか」

「……」

 

 七夜の役割が混血に対する抑止、討伐要員であるのならば魔術師であり純粋な魔ですらある間桐臓硯を相手に動く。報告書と男の話を聞いた限り、シエルはその不可解さに首を傾げざるを得ない。

 

 指摘を受け入れ、男は黙考した後。

 

「シエルさん。煙草の煙は平気ですか」

「え、ええ」

 

 突然の申し出に、シエルは反射的に男の言葉を受ける。それを遠慮するでもなく男は無造作に煙草を口元へと運び、着火させた。吸い、そして紫煙が吐かれる。

 

 シエルの視線の先で、ゆらゆらと煙が揺れる。

 

「……憶測、ですが。七夜朔にはある目的があるのだと、私は思っています」

「目的、ですか?」

 

「これは、私だけの考え、というわけではありません。退魔の人間は恐らく似たような考えを持っているのかもしれません。七夜朔は恐らく己の有用性を証明し、自身の立場を確保し、強固にしようとしています。その結果のひとつが蟲翁です。彼が蟲翁を討伐した事により、七夜朔の立場は以前よりも更に磐石なものと化しています」

 

「……何故、そのような事を」

 

「一つは、七夜の復権。退魔組織に七夜を復活させて、その恩恵を確保しようとしている」

 

 かつて滅ぼされた一族の復活を願い動く。それは、長の時を経過させた一族の者という立場を考えるならば、安易に考え出される事だった。そのために、七夜の名を再び知らしめる。滅ぼされた一族、しかも七夜を名乗る存在ならば、僅かなりとも注目を集める。それがどの様な感情であれ。そして、現在裏では七夜の名は公言こそされないが、その存在は周知のものと化している。

 

 ただ、七夜朔の狙いは、それだけではない。

 復権は途上に過ぎないと、男は睨んでいた。

 

「そして、恐らく七夜朔は七夜を復権させ、ある事を行おうとしています」

 

 七夜の復権。

 

 混血の討伐。

 

 蟲翁の殺害。

 

 全てが、たったひとつの目的のために起こされたと言うのであれば、それは――――。

 

 

「それは、遠野への復讐です」

 

 □□□

 

 そこは、所謂病室のような室内だった。わずかばかりに香る薬品の匂いと、周囲を医療器具に囲まれた場所であるが、その医療器具が使用されることは稀である。それはこの場所を訪れる人間が極僅かであり、暫く客が来ない事も珍しくない事もあるが、それ以上に医者役が所謂闇医者と呼ばれる人間である事が最大の要因であった。彼の気まぐれと、意地の悪い性格に客足は遠のくばかりで、果たして医療としてやっていっているかどうかは甚だ疑問である。

 

 そんな場所にその老人はいた。時刻は昼を過ぎた頃だろうか。外は明るいがカーテンを締め切り、電灯の光が室内を照らす。窓も扉も閉め切ったそこで老人はうつらうつらと転寝気分に寝台へ寝転がり、目を瞑りながら半ば夢心地に待ち人が来る瞬間を待ち侘びていた。いかにも安楽な老人である。

 

 そして。

 

「―――――」

 

 風もないはずなのに、閉め切った部屋のカーテンが、僅かに揺れた。

 

「いつ以来じゃろうな。おぬしがここに来たのは」

 

 目蓋を閉じたまま、老人は低く呟いた。

 

 老人が寝そべる寝台から離れた位置、そこに一人の男が音もなく忍び込んでいた。

 

 如何なる怪奇か、男は完全に密室であるこの場所に、入室を果たしたのであった。

 

 藍色の和装の男だった。下は白の七分丈。右手に納刀された日本刀を握り、中身の無い左の袖に、長身痩躯は暴力的に引き締められ、長すぎる黒髪の隙間から、削げた頬と温かみも冷たさもない無感動な蒼の瞳が見える。

 

 ――――男、七夜朔はいつの間にやら、そこにいた。

 

「退魔の者からおぬしの話を聞いてまさかとは思っておったが、本当にこの街に来ていたとは、な。声をかけておいた甲斐があった。――――懐かしいものじゃ。……確か、アレは七年以上前か。刀崎の三女がおぬしをここに連れてきたのじゃったな。最終調整のために」

 

 起き上がり、胡坐を掻いて老人、時南宗玄は朔をまじまじと見やった。

 

「ほう……」

 

 その出で立ちは異様な程である。大よそ常人の領域ではない総身の鍛えられよう。蒙昧な気配。あまりに無機質な瞳など、注目する点は多々とある。しかし。

 

「あの時も思ったが。……おぬしはアイツ以上に黄理に似ておる」

 

 風貌が、出で立ちが、立ち振る舞いが。それはそのような分かりやすいものではない。

 

 かつて退魔業を営み、今となっては遠野の監視役として専属医にもなっているが、以前には七夜一族の主治医を担当していた宗玄だからわかる。

 

 七夜朔は、先代当主――七夜黄理に良く似ている。

 

 七夜とはかつて魔への抑止力として、それも混血という限定された相手を対象に動く退魔の一族だった。魔でありながら人である混血と言う、世界の修正を脱した存在を殺すために動く一族。そのために永の近親相姦を重ね、一代限りだった超能力を――魔術師でもない人間が――持つ能力を次がせる事に成功した者たち。他の血を混ぜないために他の人種を超えた身体能力を得るに到り、人体の可能性を開墾した人間。そして特筆すべきなのは、七夜が異常の存在に対する手段とはただひとつ。暗殺である事だった。

 

 彼らは暗殺を生業とする生粋の殺し屋だった。

 

 暗殺の技巧をひたすらに研磨し、鍛錬を重ねる。永の時を暗殺のためだけに費やす事で、彼らは確固たる結果を残してきた。そうする事が必然的に彼らを守る事と知っていた。それ故に彼らは結果を収め、存在価値を示し続けた。暗殺者の頂点として。

 

 そして、かつて七夜を率いていた男がいた。

 

 その男とは、混血から恐れられ蔑まされた七夜にいて尚、禁忌として口にすることすら憚れた存在であり、退魔組織では七夜の最高傑作とまで称された男。鬼神、殺人機械と多々呼び名はあれど、どれもが畏怖を象徴させ、その存在の異常さを際立たせていた。

 

 ――――名を、七夜黄理といった。

 

「まあ良いわ。診るからここ座れ」

 

 七夜黄理を時南宗玄は主治医として幾程か診察を行った事がある。それにより分かった事は七夜黄理の体とは人間の理想像を希求し、そして完成させた肉体骨子であった。七夜黄理の肉体は七夜黄理が望む結果を取得するため、その欲求に悉く応えたものであり、猫科を思わすしなやかさと柔らかさに、十全の膂力を秘めていた。そしてその後継である、朔もまた――――。

 

「どうした、座らんか。診る以外には何もせんよ」

 

 反応も示さない朔に、宗玄はため息を吐く。

 

 そして、今。

 

 時南宗玄の目前、茫洋に佇む青年こそ、七夜一族最後の七夜。

 

 七夜朔だった。

 

『朔。こコはこのジジイの言う事を聞いトけ』

 

 金属の軋む音が室内を侵す。

 

「相変わらずじゃな妖怪」

『ソう言うな。ひひひ、久しいなヤブ』 

 

 ぎぬり、と宗玄は朔の握る日本刀、骨喰をねめる。

 

「貴様にヤブと呼ばれる筋合いなどないわ。生き汚いやつめ」

『何言ッてやがる。あの時アレは滅んだ。俺はアレじゃねえンだよ』

 

 刀はそう言ってまた笑う。悪辣に嘲う。

 

 骨喰は、正確に言えば日本刀ではない。

 遠野分家、刀崎が作刀した骨刀である。

 かつて刀崎には稀代の異端が存在した。

 

 刀崎棟梁、刀崎梟である。

 

 骨師と呼ばれる刀鍛冶の一族である刀崎の技術を二代先にまで進歩させた男、とまで称された男であるが、その男が最期に作刀した逸品こそが、現在朔の所持する刀、骨喰だった。

 

 華美な装飾も施されていない鞘に幾枚もの呪札が貼られ更に白色の数珠が巻かれている。何かを抑え封じ込める働きを期待したかのような装飾である。そして鞘に負けず劣らず、刀崎の棟梁にまでなった男が鍛えた刀身が常識に囚われるもののはずがない。

 

 出来上がった骨喰には魂が宿り、擬似的な人格まで表出するに到ったのだった。

 

「……」

 

 それから暫く経ち、朔はゆっくりと宗玄の腰掛ける寝台へと近寄り、すとんと無造作に座った。一見乱雑な座りであるが、その実いつでも宗玄に殺人行為を成せる体勢なのだから怖ろしい。

 

 自らの判断によるものだろう。人の話を言うことを聞かないところも、宗玄の覚えている黄理に良く似ていた。

 

 順次、朔は着流しを肌蹴る。まず目に付くのは、その体を覆い尽くす傷跡であった。何かに切られた痕、何かに打たれた痕、何かに食まれた痕、何かに焼かれた痕、何かに貫かれた痕、何かに突き立てられた痕。それが、朔の暴力的に引き締まれた肉体に這っている。

 

「ん?なんじゃこれは。朔、おぬし最近傷を負ったか。いたるところが珍妙な事になっておるぞ。治りかけか、傷口がやたらと不安定じゃ」

「――――」

「反応ぐらいせい」

 

 寝台に座る朔を宗玄は文句を口走りながら、しかし確実に触診していく。張りと柔らかさを保つ筋肉。関節の挙動範囲の広がり具合。瞬発力。筋持久力。長年の経験と人体に精通する者としての勘により、指先から様々な情報が宗玄へ伝わっていく。その合間、宗玄の記憶の中、驚愕を覚えた子供の姿が脳裏に現れる。

 

 七年以上前の事だ。

 両手足の関節を外され、口には固定具が嵌められた朔が刀崎の三女によって運びこまれた時は眉を顰めたものだった。更に無理矢理薬によって意識を朦朧とさせていた事も印象深かった。

 

 そして、それが処置として実に適切であった事も、その時理解した。

 

 大よそ子供とは呼べぬ肉体の適応力、破滅的なまでに鍛えられ、苛め抜かれた肉体。蒙昧な意識であっても、瞳は全てを映し出し――――。

 

「どうじゃ。あれから喋れるようになったか」

「――――」

 

 朔の口内を見つめながら、宗玄は気がかりを口にする。

 

 七夜朔は言葉を話せない。

 

 かつて、朔は出血多量により瀕死状態に陥った事があった。左肩をもがれ、左上半身は破壊された。一命は取り留めたものの、出血は夥しい量であり、後遺症が残った。朔の舌は重度の麻痺状態と化し、喋る事も食物を嚥下する事も儘ならぬ身となった。

 

 朔が以前時南医院を訪れた際、七夜朔はまともに言葉も発する事ができなかった。それを憐れと宗玄は思いもしないが、なるべくして多少の治療を施した。しかし、宗玄の治療も虚しく、朔の舌は治癒出来なかった。

 

「――――」

『ひひ、ひ……相も変わらず舌は殆ど動かンよ。が、別に問題ねえダろ。契約は出来テんだ、俺が朔の代わりに話すコとも出来んだしよオ』

「貴様には聞いとらん。だいたい、貴様がおるから治るもんも治らないんじゃ」

『はっ!それを治すノが手前の仕事だろうがァ』

「治療するのには原因の根絶が基本だろうが」

 

 宗玄は半眼のままに、今も尚朔が握る骨喰を見やる。

 

 鞘に収められてもなお、宗玄の眼には視える。

 魔眼も持ち合わせていない宗玄にも、ハッキリと。

 

 ――――刀身から瘴気の如くに滲み出る、邪悪の限りが。

 

「しかし、何と禍々しい……。いかにも体に悪そうな刀だ。朔、悪い事は言わんぞ。それは即刻破壊すべきじゃろう。そのままではお前さんのためにならん。舌も回復には向かん。それは毒だ。おぬしの体を蝕んでいる」

 

「――――」

 

「のう、朔。……わしも黄理を知らんわけじゃない。だからこそ忠告をしとくぞ。あやつは既に手遅れじゃった。どうしようもなく手遅れじゃった。それはあやつも理解して追った。機械として生きながら、最後には人間になりかけ、そのまま死におった」

 

「――――」

 

「しかし、おぬしはどうだ。未だそのようにもなっとらん。おぬしは何の変化もない。それではあまりに詰まらんぞ。確かに黄理の跡を継いだ事も一つの結果じゃ。おぬしが絶滅したとされる七夜を復権させてから良く聞くぞ。七夜朔は七夜黄理の後継であると。それも悪くない。悪くはないが、果たしてそれは『おイ手前』っ、なんじゃ原因」

 

 朗々と紡がれる宗玄の言葉を止めたのは骨喰の無遠慮な軋み声であった。

 

『手前が朔と何の関係ガある』

「なに?」

『確か、手前は七年近く朔と会ってねエ。そこまで言われル筋合いなんぞこれッぽっちもねえだろウ』

「……」

 

 拒絶。骨喰の嫌らしい金属音が室内を軋ませる。それは精神を掻き乱し、脳内に侵食する不快であった。なるほど、さきほど宗玄は骨喰を毒と表したが、なかなかどうしてそれは正鵠を得ていたようであった。

 

 そして宗玄は暫し骨喰の言葉を反芻したのち、感慨深げに口を開いた。

 

「黄理だ」

 

『あ?』

 

「わしはな、黄理からもしもの時には頼まれたのよ。朔を頼む、とな。四時間近くもおぬしらの自慢を聞かされた後にの」

 

 そして、沈黙が舞い降りた。宗玄は何も言わずに朔を見る。しかし、その瞳には何かしらの色が見える。それは憐れみか、それとも情けか。淡々と朔の肉体に針を打ち込みながら、宗玄は自分がどのような顔をしているのか想像する。

 

 だが、その思考は昔に赴いていた。かつての記憶。そこはいつもの病室だった。そして黄理との最後の会合だった。そこで黄理は言葉少なに朔の心配を口にするのだ。

 

 どうしようもなく七夜黄理は手遅れであったが、アレは人間に成りかけていて、親としての自己を育んでいたのだった。その終わりがどうであれ、それがどうなるか見てみたいと、あの時は思ったものだが、それは叶わなかった。

 

「それに気にもなる。果たして正統の七夜が人間に成りえるかどうか。黄理は駄目だった。シキは結局アレだったが、おぬしはどうなるのか」

 

 ――――シキ。

 

 その名を、宗玄は口にした。

 

 朔は、その名を、知っている。

 知って、いる。

 記憶は駆け巡る。

 

 だが――――。

 

『ヒヒヒヒヒヒ』

 

 あまりに不気味な邪笑。神経を逆撫でる骨喰の声音が朔の思考を切り裂く。

 

 侮蔑と嫌悪を嘲笑に含有させて、骨喰は侵食するように言葉を紡ぐ。

 

「何がおかしい、化け物」

『なアに。あんな成り損なイ如き何ぞある』

 

 室内の空気がざらつく。

 

「何じゃと?」

 

『アレの本質は七夜じゃネエ。ひひ、アレを七夜と呼ぶニはあまりに滑稽が過ぎるッてもんだ。俺は知っテるぞ。会ったこトも興味も関心もないが、風の噂に聞いタことガある。アの餓鬼を。あの成り損ナいの出来損なイを』

 

「ほう、出来損ないか」

 

『それ以外に何ヲ言う。殺サぬ七夜なんぞ笑い話にもならネエ。馬鹿馬鹿しサが捗々しいというンだろうがァ。七夜ハ殺して何ボの一族だ。暗殺を極メてその存在意義を証明し続けタ者たちだァ。だったラよお、殺す事こそあいツらの存在証明に他ならねエ。だが、七夜は既に滅ンで、残すハ朔一人だ』

 

「……」

 

『そウだ。七夜はスでに朔ただ一人。だッたらヨう、基準は朔だ。七夜朔コそ七夜の体現。朔こソが七夜だ。それ以外は七夜ですらネエ。半端な存在ガ七夜を名乗る事すらおこがマしい」

 

「――――。――」

 

「……まあ、そいつも既におっちんジまったらしイがな。こレでもう、そレが証明されたっツう事だろ。七夜朔は七夜最後ノ一人なンだとよ』

 

 宗玄は骨喰の言に顔を顰めさせる。

 

『事実、裏じャ七夜は朔の一人しかいなイのだと認識もサれている。マあ、俺がソういう風な噂ガ立つよう仕向けたワけだがな』

 

「……全く、貴様頭おかしいのではないか?」

 

『頭すら俺にハねえんだ、そんなの関係ないサね』

 

「よく言うわ、化け物」

 

『ひひ、ひ……』

 

 退魔、あるいは混血に流れる噂の発生源は今朔の手に握られる刀であると知れば、両者はどのような反応をするのだろうかと、宗玄は考える。嘘か真かも分からぬ情報が流れ、それに右往左往する憐れな者共が溢れんばかりにいるのだろう、と組織の情けなさが浮かんでは消える。

 

 そして。

 

「ふむ。だいたいこんなものか。どうだ、朔。少しは良くなったじゃろ」

 

 触診と処置の同時進行に一定の成果が現われ、診断は取り合えず終了した。

 朔は暫し時を置いたが、肉体がどのような状態なのか確認を行わなかった。

 

「しかし、あまりに体を酷使し過ぎる。関節と幾つかの腱、それに骨自体に疲労がたまっておる。それに、傷を受けた箇所が多すぎる。おぬしの体なかなか危ういぞ。いかにおぬしがとんでもないとはいえ人体に変わりはない。おぬし、体が悲鳴をあげている事を理解しておるのか?自覚があればよい。しかし自覚すらもないのならば、もう少しいたわるべきじゃと思うぞ。無理な可動も軌道も、肉体にはつけが溜まっていく。もしもの場合が来ないためにも、こまめに体を慰めるべきだ」

 

「…………」

 

『なあに、問題ねエさ。俺がいるからよ』

 

「貴様には聞いとらんわ」

 

『朔がそう言ったんだヨ』

 

「本当か?朔」

 

「――――」

 

「何じゃ、その様な事全く言っとらんではないかっ」

 

『おいコら、何で手前がソんな事わかんダよ木瓜がっ』

 

「そのようなものきまっとる。勘じゃよ勘!」

 

『言い切りやガったな手前っ、勘ナんぞ信じるとか莫迦のスることだロうが!!』

 

「わしはそうやって生きてきたっ!!」

 

『ひひッ! やべエ、こいつ莫迦だっ!!』

 

 それから暫く老人と金属の罵りあいに発展するが、その光景を一切の興味もなく眺める朔の平らな瞳に映る両者はどうにも滑稽である。

 

 しかし、この両者どうにも噛み合う。

 

「んでだ」

 

 罵りあいがようやく終わり、宗玄の関心は朔自身に向かった。

 

「おぬし、一体何ゆえにこの街に来た」

 

 それまでの雰囲気が、不意に一変する。

 

「――――」

 

「噂に聞くぞ。おぬしが混血を問答無用に襲い掛かっているのを。その被害も尋常ではないと。生者悉く滅ぼして、屍ばかり積み重ねておぬしは一体何がしたいのか」

 

 退魔が混血に対し攻勢を仕掛けるのは幾つかの条件がある。人間社会に溶け込んだ混血はそのままならば害はない。しかし、魔としての比重が傾き、人間ではなく魔として覚醒した時、その猛威を揮い始めた時、始めて討伐対象となる。

 

 だが七夜朔はそれを破り、先祖返り、あるいは反転した混血のみではなく、人魔のままである混血すらも襲いかかり、その腕を血に染めてきた。

 

「――――……」

 

「それに、おぬし。混血のみを対象に動いておらんな。七夜の領分を越えて、色々と殺っているらしいではないか。……のお、朔。ものには限度ってものもある。退魔かあるいは混血か、はたまた他の存在から討伐隊が組まれるやもしれん。事実遠野グループはおぬしに対し睨みを効かせておる。それなのにだ、その遠野がおる三咲町におぬしが来ておる」

 

「―――、――」

 

「最近起こっている吸血鬼事件のため、ではないな?おぬしがそのような事に首を突っ込むとは思えん。故に、おぬしに聞く。何のためにここに来たのじゃ?」

 

 

 

 

「そんなの私と会うためにきまってるじゃないですかー」

 

 

 

 その声は、場違いなほど陽気に、そしてどこか空虚に聞こえた。

 

 宗玄は、扉を見やる。

 

 朔は、まるで反応しない。

 

 白い、リボン。和装の少女。

 ――――琥珀が、いつの間にやらそこにいた。  

 

 □□□

 

 全てを話し終わり、男は咥え煙草に暫し煙をふかしていた。

 銀縁眼鏡の奥、眉間に寄る皺は消えず、その視線も危うい。

 

 ゆらゆら。ゆらゆらと。紫煙が揺れる。

 

 自分の憶測は恐らく正しいと、男は思っている。シエルには言っていないがそれを実証させるものが、昨日男の下に報告書が届いていた。

 

 ――――七夜朔が三咲町に出現した。

 

 実は、七夜朔に対して退魔は特別な処置を施している。

 

 不可視な移動を展開させる朔の行方にプロファイリングを常と行う事で、それがどこにいてこれからどこに向かうのか、他の退魔の担当地区へ報告をするのである。そうする事で七夜朔にどう対処を行うかの決定が下されるのであった。

 

 そして、男は今日になってその事実を知った。組織の末端である故に情報取得の遅さが際立っていると言えよう。

 だが、その七夜朔がこの三咲町に来たのであるならば、男の考えも当て嵌まるのではないだろうか。

 遠野に対する、復讐を。

 一族という集合体は、なかなかに業が深い。

 永の歴史を積み重ねた純潔の一族。

 その血が受けた屈辱を、果たして払わずにいれるはずがない。

 

「実はですね」

 

 思考を巡らす男が吐く煙の先に、シエルの顔が見えた。

 その言葉は唐突に、男の顔を驚愕に変貌させ、思考は途切れる。

 

「私は七夜に一度会っているのです」

 

 唇に咥えられた煙草の先から、灰が落ちた。

 


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