志貴にとって朔は非常に不思議な存在である。
七夜黄理の子として生をうけ、健康的にすくすくと成長している志貴だったが、生まれて僅かでしかない志貴にとって疑問を受けざるを得ない存在がいた。
それが朔である。
志貴が住んでいる家の離れに住んでいる自分よりも年上の子供。母屋には入浴するときのみしか訪れず、睡眠食事は全て離れにて取っている、らしい。
幾度か目撃したのはいいものの話しかけることも出来ず、またあちらも志貴に気付いていない、もしくは気にも留めていなかったようで完全にスルーされていた。
一体誰なのかと話を家のものに聞いてみると、どうやら黄理が面倒を見ている子供らしく、志貴とは従兄弟の関係にある、らしい。
話を聞いているうちになんだか気になって仕方がなかった志貴は好奇心の赴くままに朔が生息しているらしい離れに忍び込むことにしたのだが。
――――現在離れの中で志貴と朔は正座して対面していた。
なんだこの状況、と志貴は内心どぎまぎしながら対面に座る朔を見る。
なんだが微妙に睨まれた。
それがなんだか怖くて漏らしそうになったのは志貴の秘密である。
□
そもそもなんでこのような状況になったのか。
それは志貴が思い立って離れに忍び込んだことにある。志貴の父親である黄理と朔が訓練を行っている時間を見計らって決行したのだが、離れに朔がいなきゃ意味無くね?と思いつかなかった志貴はただいま五歳児。国民的アニメのジャガイモ頭と同じ年齢である。それぐらいのうっかりは許してほしい。
ただ里には電気が通っていないので家電製品が無いので志貴はアニメの存在自体知らなかった。
とにもかくにも離れに侵入を果たした志貴だったのだが、離れには見事にも何もなかった。押入れの中にある和箪笥には藍色の着流しが数着あるだけで他には何もない。それ以外探してみてものの特に何も見当たらず、畳が敷き詰められた部屋の中には本当に何もない。これは困ったと志貴は考えてみた。朔に関して何かしらのヒントを得たいがために行動したのはいいが何も見当たらない。果たしてどうしたものか。
困り果てた志貴は畳に寝っころがってみた。
畳のいいにおいがして心地よく、目をつむる。
そして朔のことを考える。
いつも見かけるとき朔は一人でいる。それは母屋でも里内でも変わらない。ただひとつ例外があるとすれば黄理だろうか。朔の訓練のときのみ朔は誰かといる。当主の子供として生まれた志貴の周りには何かと人がいる。それは家族だったり、里にいる子供だったり、一緒に訓練を受けるものだったり、はたまた当主に用事のある一族の者だったりと、志貴は生まれてこのかた一人でいることが少なく稀だ。だからいつも一人でいる朔の存在が気になったのもその要因ではないだろうか。
そして朔はが一人でいないときがある。それが黄理と訓練しているときだ。
朔の訓練を幾度か見たことがあるが、あれは凄まじい。志貴だって七夜の通例に習って訓練を始めて一年以上経つがだいぶ力をつけてきたと思う。同年代との訓練では常に標準以上の動きを見せていて、志貴としてはそれが密かな自慢でもある。
しかし、それは朔の訓練を見て粉々に砕かれた。
なんなのだろうかあの動きは。ひたすらに速く、疾い、二人の組み手が目に焼きついて離れない。朔は黄理との戦闘訓練をこなし、あまつさえ追随しようとさえしていた。
志貴が七夜の戦闘訓練を受け始めたとき、父の話を幾度も聞かされていた。
曰く殺人機械。曰く鬼神。曰く七夜最強の男。
七夜の一族において自分の父が一番強いという話を聞いて、朔は父に尊敬の念を抱いた。
そんな父と、朔は対等に組み手をこなしていた。
そして傍観者たる志貴だったから分かったことがある。朔はあのギリギリの訓練のなかでさえ更なる動きを見せていた。
それはつまり朔が更なる飛躍を見せているに他ならない。あの訓練で朔は研磨され、鋭くなって黄理に喰らいつこうとしている。
当主に自分と年のそう変わらない子供が、である。
更に驚くべきは黄理である。
志貴は父のことが大好きであるが、同時に怖い存在と認識している。立場ある一族の当主としてなのだろうが、黄理の威厳と言うか鋭い雰囲気が志貴は苦手だった。そして常に鋭い目つきなのもその要因であろう。どうにもあの全てを射抜く視線が志貴には怖くてたまらなかった。
その父が朔との訓練で微笑んでいるのである。何度か朔の戦闘訓練を覘いていた志貴であったが、その時黄理が笑んでいるのを見たことがあった。それは朔が一撃でもって叩きのめされ気絶したときのことである。表情のあまり変わらない黄理であったが、気絶していた朔を見下ろすその顔は周りのものは分からないだろうが、志貴の目には笑みを浮かべているように見えた。
それがなんだか悔しく、朔が意識を取り戻して訓練が再開される前に志貴は黄理のもとへ駆け寄って訓練の邪魔をしようとしたが、結局訓練は行われなかった。
志貴は朔が黄理に笑みを向けられているのがなんだか面白くなかった。
自分の父が他の子供の面倒をしているのは当主だから、と許容できたのだが、そればかりは受け入れられなかった。他の子供に父が微笑んでいるのは自分の父がその子供にとられているような気がしてならないのである。
更に朔の力量を見て志貴は自分自身が情けなく思えた。自分はあのように苛烈な訓練をこなせないし、早朝から昼まで組み手を行えるような体力も無い。あんなに速く動くことも出来ないし、なにより父と組み手を行うのも叶わない。
それが悔しくて情けなくてしかたがない。同年代でも優れていると思い天狗になって、上を見ていなかった。上には上がいるのだと志貴は思い知らされた。だって志貴では朔に敵わない。
この話を聞けば黄理は喜びのあまり滂沱の涙を浮かべ更なる結界の強化に励むことになりそう(無論里の者に全力で阻止されるだろうが)だが、あいにくそのような話を志貴は出来なかった。自分がかっこ悪いようにも思えたし、そして楽しそうにしている父にこの話を聞かせるのはなんだか忍びないような気がしたのだ。志貴すげえいい子。
なので今回の調査である。
朔を知り己を知ればなんとやら、と勢い込んで行動してみたはいいが成果はまったく無い。そもそも知ってどうするのかとか考えていなかった。
だが、志貴の思い込みというかほとばしる熱いパトス溢れた脳にノンストップはない。
そうだ。そうだとも。自分がやらなければ誰がやる!!
寝っころがる志貴の身体に熱が灯り始めた。
自分がやるべきことは終わっていない。否、始まってもいない!!
自分はこの達成困難な任務を遂げることで始めて終息を得、この天井の向こうにある大空を抱いて羽ばたくのである。
ならば今こそ自分を奮起させるとき。このまま眠ってなんかいられない!!
――――少年よ、神話になれ…………!!!!
そして志貴は目を開けた。
目前に朔がいた。
「――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――ふぇ?」
志貴と朔のファーストコンタクトはそんな志貴の間抜けな声と共に幕を開けた。
この時点で志貴は殺人を忌避していません。
むしろ特になにも考えていません。
やっぱり先生の影響はすごいのです。