七つ夜に朔は来る【未改訂ver】   作:六六

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第五話 対面

空を翔けてはならない。

 

 それが黄理の言だった。

 

 即ち空中に足場は無い。そして人間には空を羽ばたく羽が無い。だから空中で攻撃されたとき、身じろぎもしくは防御姿勢をとることでしか攻撃を回避できない。しかしそれは選んではならない方法だった。七夜は人間である。もし身じろぎして回避できないほどの範囲、防御して凌ぐことが出来ないほどの火力で攻撃された場合、七夜はあっけなく死ぬだろう。

 近親相姦を重ね人知を超えた能力を保有し、いくら人間の限界を超えた身体能力を得てしても、あくまで七夜は人間だった。ゆえに空中で移動するという手段を持つことが出来なかった。

 だから空中を翔けるな。空中では格好の的だ、と黄理は言う。

 しかし、選択肢として空を封じられたとき、空中しか回避できない攻撃を受けたときどうやって回避すればいいのか。

 

 黄理は言う。空間を移動しろ。

 

 常に足場から足場へ移動することで七夜は高速機動を可能とする。足場は地だけではない。壁、天井、足場として利用できるものは全て利用しろ。

 全ての遮蔽物は七夜の足場だ。

 それが黄理の言葉だった。

 

 閃鞘。

 閃走。

 

 七夜の空中利用術である。

 

                       □

 

 

 

 生い茂る森の中、木々の合間を縫って朔は移動していた。

 それはどう見えるだろうか。朔がいるのは地上二十メートル以上もある木々の間である。それを朔は脚で木を蹴っては他の木に移動し、腕で身体を突き飛ばしては他の木に移動するという芸当をこなしている。この動作を延々と繰り返している。無論それは通常の人間ならば目が追いつくことの出来ない速度である。

 空中を縦横無尽に移動する様は果たして人間に見えない。人間以外の何かのよう。

 

 それはまるで獲物を追いつめる虫のような――――。

 

 朔が違う動きを見せる。延々と繰り返された動きの中で。始めて動きを止めた。

 木の幹に足をつけ。地面と直角のままに。地面へと身体を向けて

 そしてそこからゆっくりと。

 

 朔は堕ちていった。

 

 最初はゆっくりと。だが次第に速く落下していく。

 景色は視界から後方へと流れていく。身体を突き上げる風が頬を撫でる。

 迫りくる地上。叩きつけられれば死は免れない。

 人は一メートルの高さから落下し、着地を誤れば死ぬ。

 人は簡単に死ぬ。それは抗えない。

 死が近づく。

 だが。

 

 地面。朔の視線の先。

 そこに七夜黄理がいた。

 

 地面との距離はもう僅かばかりも無い。だが地に叩きつけられるようなまねはしない。

 視線の先の黄理は泰然と落下する朔を睨んでいる。

 接触まであとコンマ何秒か。

 だがそれを、朔は選択しなかった。

 

 木が爆ぜる音。

 

 朔の足が足元の木を叩く。爆発的な速度で朔の身体が移動する。

 落下速度も相まり、朔は風のように空間を凪いだ。

 その軌道は斬撃に似ていたのかもしれない。

 直線的な飛翔はそう呼ぶに相応しい。

 そして先程よりも対面五メートル以上あった木へ着地。

 先程よりも下方の位置だった。

 黄理の背が見える。そこに向かって真っ直ぐに往く―――!

 

 地面を滑空するように黄理へと進む。

 彼我の距離は僅か。

 そのまま斬りかかることも出来る距離。

 

 だが、朔はその選択をしない。

 

 急制動。足元に負担をかける事で生まれる急停止。

 そのまま真横へ直角に駆け曲がる。

 背後は黄理の死角ではない。いや、暗殺術を極めた七夜最強の男に死角など存在しない。ゆえにあのまま斬りかかるのはナンセンスな選択。

 朔は加速的に考える。黄理に届く算段を、必勝の戦術を。

 だが考えれば考えるほどに黄理は雄々しく圧倒的な姿で、朔を容易に下す。

 しかし、それが分かっていたとしても朔は黄理に届いてみせたかった。

 いつもそうだ。いつだって朔は全力で黄理に挑む。それは訓練段階の子供からすればあまりに困難なことだ。

 だが、それでも自分は――――。

 

 

 

 

 

 

 瞬間。

 悪寒が朔の危機を救った。

 

 

 

 

 

 

 

 そしてただ一歩。ただ一歩踏み込んで朔は再び駆ける。

 

 

 

 

 

 甲高く木霊す金属音。

 

 

 

 

 目の前に、黄理がいた。

 音の正体は黄理が斬りつけた小太刀を朔が握る小太刀が防いだ音。

 刃が狙ったのは首。すんでのとこで防いだ。

 

 だが接近戦には近づきすぎる。

 しかし、それは同時に。

「――――っ!!」

 超接近戦の距離。

 小太刀を抑えたまま体を捻ることで生んだ加速が右足を俊敏に振るわせ黄理の左鼠径を強かに打つ。鋼鉄めいた硬さが足を痺れさす。肉の感触ではない。

 それを同じくして、黄理の小太刀を握らぬ手が朔に向けて打ち込まれた。拳の形は貫き手。そのままそれは目前の小太刀を無視して朔の喉笛を貫かんとする。

 右足は不安定。

 だが、かわせないわけではない。

 

 

 縦に回転。朔は飛んだ。

 

 

 軸を真横に朔は回転蹴りを放った。

 跳ね上がった右足が唸りをあげ貫き手を打ち落とす。

 乾いた、鞭を打つような音がした。

 そのまましなる右足は黄理の小太刀を打ち払おうとするが、それは黄理が小太刀の向きを変えることでかわされた。

 

 

 

 そしてそのまま、どうやったのか。

 黄理が握る小太刀に先程打ち落とした手が添えられて

 

 

 

 

 

 

 朔をそのまま吹き飛ばした。

 

 

 

 

 ――――――――――――。

 

 

 

 

 空に吹き飛ばされ朔は地面に叩きつけられる衝撃を最小限に抑えながら、先程の衝撃

の正体を看破する。

 

 おそらく、あれは発勁の応用。自身が生み出した力を導くことで放たれた不可視の衝撃。だが、それは七夜の体術には存在しないもののはず。しかも物質を伝って、朔に襲い掛かった。

 しかしそれを黄理は放った。おそらく自ら調べ、鍛え、研鑽したものだろう。

 どれだけ巧く人体を停止できるかのみ追求してきた過程の産物か。

 

 

 

 

 ―――――努力を惜しまない殺人鬼は正に化け物だ。

 

 

 

 

 起き上がる朔は新たに加わった戦力をどう攻略すればいいかと考えるが、更に黄理との距離が延びたことを痛感する。

 

 立てた対策は接触を避ける他ないと結論付けた朔は、再びどうすれば黄理に届くのかと考え出したところで。

 

 

「時間だ」

 

 

 粛々とした黄理の声が訓練の終わりを告げた。

 

                   □

 

「移動は今の段階では上出来だ。だが今だ甘い」

「はい」

「七夜が蜘蛛と呼ばれる由縁を知れ」

「もうしわけありません」

 訓練後の反省もそこそこに二人は別れた。訓練の後は黄理が朔の悪い部分を指摘するのみで他の会話は交わされない。あくまで事務的なスタンスは崩されないままだった。ある程度話しが終わったところで、黄理が微妙な空気を滲ませたのが気になりはしたが、話しかけも来なかったので大したことではないだろうと判断し、先に戻ることにした。一体なんだったのだろう。

 

 訓練場として使われた場所から朔の生活する離れはわりかし近い場所にあった。朔は訓練を済ますと真っ直ぐに離れに向かう。

 離れに向かう途中、朔は何人か里の者とすれ違った。里の者は何やらもの言いたげな表情をしていたが朔はそのことごとくを何なのだろうと思いながら、結局何も話しかけてこないのでそのまますれ違っていた。

 朔は訓練以外の全てに受動的だった。

 特殊な生活をしているからだろうか。里の者と触れ合うことも無かった朔はひどく我の無い人格を形成してきている。

 

 

 何をするのも受動的なのはそれ以外の受け答えを知らないから。

 我の無い人格なのはそれ以外の生き方を知らなかったから。

 

 

 もしかしたら。朔はものすごく愚直な性格なのかもしれない。

 ただ黄理の姿だけを見てきた朔にとって、それ以外はどうでもいいことなのかもしれない。少なくとも、同じ里に生きている者だというのに、朔は里たちが自分とは全く違う生き物で、遠くに生きているように思えてならなかった。

 

 里の者たちを見る。現在朔は里の開けた場所を横切ろうとしている。そこは一族の広場みたいなもので、よく人が集まる場所だった。

 そこで里の者たちは楽しそうにしている。

 女は会話を楽しみ。子供は遊びに笑顔をこぼしてはしゃぎ。男は仕事に励み。年老いたものはそれらを眺めて安らいでいる。

 

 

 それを見て。朔はなにも思わなかった。

 何も、感じなかった。

 

 

 ただそれが彼らが楽しそうなのは、感情が豊かだからなのかと考えたが、それはきっと何か違うのだろうと瞬時に打ち消した。そのような安直な理由からではないと思う。

 ただ、それらに何の感慨も抱かない自分が壊れているからなのだろう。

 

 彼らの笑顔は尊いものなのだろうか。彼らの感情は素晴らしいものなのだろうか。

 朔の間断無い自問自答には答えが無い。ただ疑問に思うことはとても大事だと理解してのこと。それ以外のことはない。

 そうして導いた結論はどうでもいいことだ、という思考放棄だった。

 

 広場から朔は離れていく。

 どこか空気が寒かった。

 

                     □

 

 離れにたどり着くと朔は違和感を感じた。何者もいないはずの離れに何者かの気配がある。

 離れに朔以外の人間がいることは一人を除いたら稀で、その一人とは使用人である。だが、室内から感じる気配は使用人のものではない。

 幼く、まるで子供のような――――。

 そこまで考え、朔はふと気付いた。

 

 ―――この気配は知っている。

 

 朔は息を潜め、気配を絶つことで離れの中に入ろうと、開かれたままの襖から中を覗いてみた。

 

 

 

 

 志貴がそこにいる。

 

 

 

 

 やはりか。

 

 呟くことも無く、朔は一人思った。そして疑問を解決したものの今だ志貴がなぜこの離れにいるのかがまだ解決できていない。志貴はこの離れには今まで近づいたことも無かったはず。

 

 

 七夜志貴。

 朔が見続ける黄理の実子。

 自分とは違う、温度のある子供。

 

 

 志貴の存在は朔にとって黄理に次いで気になる存在だった。

 現当主の息子として生れ落ちた志貴の存在は黄理を変えた存在だと認識している。事実彼が生まれることで七夜は生業だった退魔組織を抜け、今は森の奥で暮らすただの村人だ。

 その原因は間違いなく志貴に違いない。志貴が生まれたことで当主は何かしら影響を受け、今のような一族へ変えたのであろう。

 

 だが、それは一体なぜ?

 

 朔は何度か志貴の姿を目撃している。それは母屋でのことであったり、訓練を行っている際のことだったりで、その度に志貴が自分に視線を投げかけていた。ただ、話しかけてきたりはしなかったので朔は気にしていなかったのだが、今回をしてその志貴が離れにいる。これはなぜだろう。

 気になった朔はとりあえず、何やら寝転んで目をつむる志貴の側にすり足で近寄る。無論気配は断っている。当主仕込の気配遮断だ。黄理にはやはり劣るものの、式神並みの隠密行動に届こうとしている気配断ちは、ただの人間には視覚さえ出来ない。それが朔とさして年の変わらない幼子ならなおさらだろう。

 

 事実、すぐ側で見ているのに志貴は気付いていない。

 

 二人の距離は近い。志貴と朔の額がくっついてしまいそうなほどだ。

 視線を落とせば幼少期特有の突き立った唇があったが、なにやらぶつぶつと呟いている。

 なんだこれは、ととりあえず何を言っているのかと聴力に意識をまわし音を拾おうとすると。

 

 

 

 

 

 

 

 志貴と目が合った。

 

 

 

 

 

 

 

 それを無感動に感慨なく見つめる朔。志貴が目を開き、見詰め合うことに問題は無い。

 

 

 

 

 

 

 

「――――――――――――――――――――――――――――っふぇ?」

 

 

 

 

 

 

 

 ただ、志貴の気の抜けた言葉は少しだけ面白かった。

 


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