ここ最近の俺は、ひとりで昼食をとることが多くなっていた。今日は中庭のベンチに座って昼食をとっている。
食べ終わってペットボトルのお茶に口を付けた際、対角線のベンチで興味深いことをしている1年生の女子生徒を発見した。
「よっ、ほっ、ほいっと……」
その1年生は、3つのボールを投げたり取ったりする、いわゆるジャグリングをしていた。傍らにはクラブと呼ばれる、ボウリングのピンのような形をした棒も置いてあり、どうやら本格的なジャグラーのようだった。
いつの間にか俺は、『ありゃいいな』と思いながら彼女の芸を凝視していた。
以前インターネットの動画サイトでジャグリングの動画をいくつか見て、思わず唸ったことを思い出す。彼女の技術は、動画のジャグラーと比較しても遜色ないものであると個人的には感じた。
しかしながら中庭には意外に人が少なく、いる人間はいる人間で、食事や会話に夢中になっている者しかおらず、彼女の芸に目を向けている者は皆無だった。
「ほいっ、ほいっと……」
そんな状況を把握しているのかどうかは知らないが、彼女は一心不乱にジャグリングを行っていた。ただ取っては上に投げを繰り返すのではなく、腕を交差させて投げたり、横に投げたり、高さを変えて投げたりと、様々なテクニックを披露していた。
「…………」
だと言うのに、俺以外に誰も見ている人間がいない。変わらない状況に勝手に憤った俺は、ベンチから立って購買へと向かった。
購買で菓子とお茶を買った俺は、先ほどの1年生のいるベンチへと向かった。いなかったらまずいと思ったものの、まだジャグリングを続けている彼女の姿を見て、それが杞憂に終わったことに安堵する。
相変わらず何をやっているのだろうとは思う。スナック菓子の類は全て売り切れ、売っていた菓子がゴマ団子だけだったのは、ゴマすりばかりしている俺に対する皮肉だろうか。
ただ、今回ばかりはゴマすりと言うよりも、良いものを見させてもらったという感情から来たものだった。言ってしまえば芸を見せてくれたこと(もっとも、俺に見せるつもりでやっているわけではないことは明らかなのだが)への対価――つまりはチップのようなものだ。今まで見ず知らずの人間に対してそういうことをするのは、馴れ馴れしいにも程がある行為であることは承知しているが、『ゴマすりよりはましだろう』と開き直ることにした。
さすがに現金を渡すのはまずいので、代わりにこれを渡そうと思ったのだった。彼女がゴマ団子を好きかどうかは分からないが、嫌いと言われたら俺が食べればいいだろう。
「よっ、ほいっ……わっとと!」
取るタイミングがずれたのか、彼女はボールを落とした。『ちょうどいい』と言うには若干語弊があるかもしれないが、話しかけるタイミングとしては、ジャグリングを行っている最中よりは好ましいだろう。
「あの、よかったらこれどうぞ。チップと言ったらあれですけど、いいもの見せてもらったんで」
「……へっ? もしかして、ずっと見てたんですか?」
見られていたとは思っていなかったのか、俺に話しかけられた1年生はかなり驚いた表情をした。
「……まあ、そうです。ゴマ団子しか売ってなかったんで申し訳ないですけど、良かったら食べてください。押しつけがましいってことは分かってますけど」
「ゴ、ゴマ団子!? ……って、そうじゃなくて。いやいや、そんなことまでしていただかなくていいですよ!」
『ゴマ団子』というワードを耳にした彼女は、一瞬目を強く輝かせるも、すぐ我に帰り、両手をぶんぶんと振りながら俺の差し入れを断る。
「それに、差し入れを期待してやってたわけじゃ……あっ……」
なおも断りの言葉を言い続ける彼女の腹が、グーと盛大な音を立てる。たまらず顔を真っ赤にして、腹を押さえながら俯いてしまった。
「もしかして、昼食べてないんですか?」
「あ、あはは……夢中になってすっかり忘れてました……」
冷や汗をかき、苦笑しながら後頭部をぽりぽりとかく。
「それなら食べてください。今から学食で食べるには遅いですし、その反応からしてゴマ団子好きそうですしね」
「ほ、本当に、いいんですか……?」
「……いらないのなら、自分が食べます」
「じゃ、じゃあ、いただきます……」
おずおずと手を差し出して、ゴマ団子とお茶が入った袋を受け取る。
「わぁ……」
袋から取り出したゴマ団子を見た瞬間、彼女の目は先ほど以上に輝きだした。好物な上、空腹であることも手伝っているのだろうか。
「はむっ……ん~っ、おいひ~♪」
容器の蓋を開けて、それを頬張った瞬間、まるで天にも昇るような至福の表情を浮かべた。その後もひとつ頬張るごとにそんな表情を見せ、10個入りのゴマ団子はあっという間に彼女の胃袋へと収まっていった。
「ごちそうさまでした~っ♪ ……あっ、お金払いますね」
お茶の方も飲み干した彼女は笑顔で両手を合わせると、上着のポケットから財布を取り出そうとした。
「……いりませんよ。そういうつもりで渡したわけじゃないんですから」
金を受け取ったら、俺の行為はただの押し売りになってしまう。そもそも名前も知らない1年生に対してそんな真似をすれば、
「ほ、本当にいいんですか?」
「……同じことを何回も言わせないでください」
「そ、そうですか……ありがとうございます……。そういえば、自己紹介がまだでしたね。1年B 組、大道芸研究会の
「……ん?」
「大道芸研究会って……そんなものありましたっけ?」
前年度はもちろん、今年度の部活紹介のパンフレットにもその名前は見かけなかった。最近誰かが作ったのだろうか。
「あはは……知らないのも無理はないと思います。入学して少ししてから、わたしが作ったんです。まだできてから1か月しか経ってないですからね」
何とこの1年生――相楽さんが、当の設立者だった。部活紹介のパンフレットは新1年生の入学前から製作の準備に取り掛かるので、載っていないのも無理はなかった。
「ちっちゃい頃に大道芸見て、自分もやってみたいなって思ったんです。……って、今でもちっちゃいですけどね、あはは……」
「……」
「ここに大道芸の部活があったら入ろうと思ってたんですけど……まあ当然と言えば当然なんですけど、なかったので作っちゃいました」
「そうですか……」
自分で部活を立ち上げるなど、余程の気力がなければできる芸当ではない。先ほどのジャグリングにしても、たくさんの練習を重ねたことによる賜物だろう。彼女の強い気力は、お世辞抜きで称賛できるものだと思う。
「……俺とは大違いだ」
かたや俺はどうだろう? 柔術は惰性で練習を続け、何ひとつとして誇れるものを持っていない俺は。
彼女と同じように、柔術の選手の技や言葉に惹かれて始めたはずなのに、このざまだ。
彼女と俺の気力の差には、天と地の差があると言っても何らおかしくはなかった。
「えっ? 今何か言いましたか?」
「……いや、特に何も。ただ、相楽さんはすごいって思っただけです」
「い、いやいやっ! わたしなんてまだまだですよ! 不器用だし、ずっとうまい人はたくさんいますから!」
俺の言葉に、オーバーなくらいに手と首をぶんぶんと振って否定する相楽さんだったが、先ほども思ったように彼女のジャグリングは、動画サイトで見たジャグラーの芸と比較しても遜色ないと思う。彼女の言葉は完全に謙遜にしか聞こえなかった。
ところで、なおも首を振り続ける彼女の髪型を見て思ったが、ツーサイドアップのそれは、さながらリスの尻尾のようだった。ふとベンチに目をやると、先ほど見たクラブ以外に、リスのぬいぐるみも置いてあった。リスが好きなのだろうか。恐らくこの髪型も自分でセットしたものなのだろう。
「でも、そう言ってもらえるのは嬉しいですけどね……えへへ……」
ひとしきり手と首を振った後、顔を赤らめ、頬を軽くかきながらはにかんだような表情を見せる相楽さんだった。
――そうだ。もっと嬉しがっていいんだよ。それは間違いなく、誰かに誇れるものなのだから。そして、称賛されるべきものなのだから。
「あっ、そういえば先輩の名前って、なんて言うんですか? ごめんなさい、自分のことばっかり話しちゃってて」
話していてすっかりと忘れていたが、確かにまだ名乗っていなかった。黒川さんの時とは別の意味で気乗りはしなかったが、ここは素直に名乗っておく。
「黒川。2年B組の黒川将平です」
「……あれ? もしかして妹さんっていますか? わたしの学年にも黒川さんって……」
「断じて違う」
「わっ!」
1年生のほとんどが、俺と黒川さんが兄妹であると思い込んでいることをすっかり忘れていた。相楽さんもその例に漏れていなかったらしく、言い終わる前に俺は全力で否定した。顔をずいと近づけてそう言ったために、彼女は思わずベンチから立ち上がって飛び退く。
「……ごめん。でも、誰に何を吹き込まれたのか知らないけど、あの人は俺の妹じゃないどころか、血縁関係すらないから。それだけはしっかり頭に焼き付けておいて」
「は、はい。分かりました」
「はぁ……面倒くさい真似をしてくれたんもんだよ……」
念を押した俺の言葉に若干うろたえながらも了承の言葉を確認できたので、俺は安堵の息を吐くと同時に、黒川さんに対する恨み節を呟く。
それと、ついため口になってしまったが、もう敬語に直す必要もないだろう。呼び方は相変わらず『相楽さん』のまま変えるつもりはないが。
「さて、そろそろ戻らないと……」
ふと校舎の時計を見ると、あと1分で予鈴が鳴る時間だった。別に走らずとも十分教室には間に合うが、すぐ戻るに越したことはないだろう。
「……いいものを見せてくれてありがとう。それじゃあ」
「……あ、あのっ!」
踵を返して校舎に戻ろうとすると、相楽さんが俺を呼び止めた。振り向くと、彼女は俯きながらおずおずとした様子でこう言った。
「ま、またわたしの芸、見てくれますか……?」
「…………」
「ここに入学してから感想言ってくれたの、先輩が初めてだったので……」
「…………」
――駄目だよ、俺なんかにそんなことを言っちゃ。そんなこと言わなくたって、君の芸を見てくれる人は、称賛してくれる人は必ず出てくる。他人を喜ばせるために努力ができるなら、尚更だ。その言葉は、その人に対して言うべきなんだよ。
ろくに努力もせず、自分のために誰かを利用する奴なんかに、そんなことを言っちゃいけないんだよ。
「まあ、気が向いたらね……」
しかし、口から出た言葉は思ったこととは正反対のものだった。それは、思ったことをそのまま口に出したら彼女を傷つけることになると考えたからだろうか。それとも、新たなゴマすりの対象を逃がすわけにはいかないと思ったからなのだろうか。
前者であろうが後者であろうが、どちらにせよ俺はクソ野郎だ。彼女の純粋な気持ちに、まともな意図で応えようとしてなどいないのだから。
名乗ることに気乗りしなかったのも、俺の本性が彼女にばれた時、彼女はどんな顔をするのかが怖かったことが大きな理由だった。
純粋な称賛の意味でゴマ団子を差し入れしたはずなのに、何で俺はいつの間にこんな気持ちを抱いてしまっているのだろう。
何で春宮さんの時と同じような、虚無感から来る自己嫌悪に苛まれないといけないのだろう。
「はい! それで十分です! ありがとうございます!」
背後でとても嬉しそうに礼を言う彼女のその言葉は、俺の心にぐさりと、強烈に突き刺さった。