誇り高き孤高の毒蛇   作:ROCKSTAR

11 / 28
後にマドンナと呼ばれる少女

 

 

 

 

 ――ちくしょう。近いうちにこうなることは何となく予想できはしたが。

 俺は今、朝の通学路を全力疾走しているところだった。

 

 以前にも言ったことではあるが、ここ最近の俺は寝起きが芳しくない。気力で何とか重い身体を起こしたり、父親に起こされたりするというパターンがほとんどだった。

 今日は運の悪いことに、寝ぼけ眼で目覚ましを解除し再び寝てしまったことと、父親が早朝出勤であったために起こしてもらえなかったということが重なり、次に目が覚めた時には、本鈴まであと15分ほどしかない時間になっていた。

 即座に飛び起き、朝食を強引に胃へと押し込み、数十秒で歯磨きを済ませ、十秒足らずで着替えると、鞄を持って家を飛び出した。必要なものは昨日の内に入れておいたので、それに時間を取られず、なおかつ忘れ物をする心配はなかったのが救いと言えるだろう。

 

 ちなみに俺の家と聖櫻学園までの距離は、ぎりぎり自転車通学ができる範囲だった。そのため、俺は自転車通学の登録をしており、それを証明するシールも自転車に貼っていた。自転車に乗ることができれば、この時間帯に家を出ても余裕で間に合っただろう。

 しかし今日は厄日なのか、自転車の鍵がどこにも見つからず、どこに置いたかも覚えていないという失態をやらかしてしまった。そのため、こうして全力疾走で登校する羽目になっていたのだった。

 泣きっ面に蜂とは、まさにこのことだ。

 

 何とか間に合うとは思うが、結構ぎりぎりだ。

 自分の責任であるということを否定するつもりはないが、それでも何が悲しくて朝っぱらからこんなにゼーハー言いながら、汗だくになって授業を受けなければならないのだと思ってしまう。

 6月に入り、まだ真夏と言うには早い時期ではあるが、気温は確実に上がり始めている。おまけに俺は汗をかきやすい体質のため、Yシャツの下に着たインナーのシャツは、速乾性であるにもかかわらず、かなり湿り気を帯びていた。

 

 頭の中で悪態をつきながらも、思っていたよりかは早く移動できたようだ。安堵の息を吐き、走るペースを少し落とした矢先――――。

 

「ぐあっ!?」

「きゃっ!?」

 

 左手側の道から飛び出してきた人間に、俺はぶつかった。それなりに強い衝撃ではあったが、何とか倒れるのは踏みとどまる。

 

「……くそったれが……」

 

 左右の確認を怠り、加えてそこまでスピードは落とさなかった俺にも責任はあるので、こういう態度は取るべきではないことは分かっていたはずなのだが、下手をすれば遅刻するという焦りもあって、思わず舌打ちをしながら悪態をついてしまった。先ほどとは違い、今度は口に出して。

 

「ごっ、ごめんなさい! 大丈夫ですか!?」

 

 ぶつかった相手の方へ目をやると、その人間は俺と同じ聖櫻学園の1年生の女子生徒だった。俺とは違って、彼女の方は尻もちをついてしまったらしい。

 俺の悪態を耳にしたのか、痛がるよりも先に慌てて立ち上がり、謝罪の言葉を述べながら俺のもとに近づいてきた。

 

 ――しまった。

 俺がそう思ったのは、ぶつかった相手が女だったからというわけではない。自分で言うのもなんだが、俺は男か女かで態度を変える人間ではない。

 ぶつかった際は結構な衝撃だった上に、尻もちまでついてしまったので、痛みはそれなりにあっただろう。だというのに自分のことはそっちのけで俺の心配をしてきたのだ。目を潤ませながら。

 そういう態度を取られてしまえば、さすがに俺も罪悪感を抱かずにはいられなかった。

 

「いや、大丈夫です。それよりそっちの方こそ大丈夫ですか?」

 

「あ、はい……別にどこか怪我したわけではないので……。あの、本当に大丈夫ですか?」

 

 なおも俺にそう言ってくる彼女に対し、俺の罪悪感は増大するばかりだった。俺が一方的に抱いたものではあるが、こういった態度を取ってきたこと、さらには見た目からして礼儀正しそうな印象が彼女からは感じられた。

 

「はい。……あの、悪いのはろくに確認しないで走った自分の方なんで。それなのに悪態なんかついちゃってすいません。今の言葉は撤回します」

 

「いえ! 確認しなかったのは私の方ですから!」

 

「いやいや、そんなことは……」

 

 自分が悪いと言って譲らない、キリのない押し問答を続けていると、校舎から予鈴のチャイムが鳴り響く。

 ここから校舎まではもう100メートルもないが、もたもたしているわけにはいかない。

 

「……とりあえず今は急ぎましょう。こんなところで油売ってたら、ふたりとも遅刻します」

 

「……あっ、はい!」

 

 彼女の返事を確認し、校門へ向かって俺は走り出す。意外なことに、彼女はすぐに俺の横に並んできた。あまりそのようには見えなかったが、運動神経がいいのだろうか。

 

 ――いや、それだけじゃない。

 またそれだけではなく、俺の運動神経が鈍いというのもあるのだろう。柔術をやってはいるものの、体育の成績は大して良くはなく、特に球技全般はかなり苦手なせいで、球技の授業は憂鬱な気分になることがかなり多かった。

 息を切らせかけている俺とは違い、彼女の方はさほど疲れた様子ではない。1年だけではあるが、下級生かつ女子生徒よりも運動神経が鈍いという現実を突きつけられた俺は、わずかながら複雑な気分だった。

 

 

 

 

 

 

 校門をくぐった俺たちは、移動のペースを走りから歩きに変えた。ただ、立ち止まっていては確実に遅刻するので、俺は1年生に何も言わずに2年の教室の棟へと向かう。

 

「あ、あのっ! 先輩のお名前は?」

 

 大方予想はしていたが、背後からその1年生が俺を呼び止める。だが俺は立ち止まることはしない。そんな余裕すら今の俺にはない。

 

「図書委員!」

 

 代わりにそう告げて、振り返ることなく棟へと入っていった。

 彼女なら俺の言葉の意味は、『知りたきゃ図書室に来るように』ということは自ずと理解できるだろう。さすがに名前が『図書 委員』だなんて解釈はしないはずだ。

 

 

 

 

 

 

 今日は父親が早朝出勤のため、当然ながら弁当は用意されていなかった。昼休みを告げるチャイムが鳴り響くと、俺はすぐに購買へ向かった。

 

「おっ、将ちゃんも今日は購買?」

 

 廊下を歩いていると、背後から声をかけられる。声の主は、高桑くんだった。

 

「ああ、うん。親父が朝早くて、弁当作れなかったんだよ」

 

「そういや、将ちゃんのお母ちゃんって単身赴任してるんだっけ。いいよな~、料理の作れる父親って。俺の親父は料理なんててんで駄目だから、羨ましいよ」

 

「そういうもんかな?」

 

「そうだよ。……そういえば話が変わるけど、将ちゃん今朝椎名(しいな)さんと登校してたよな。やたら息切らせて」

 

 俺の問いに高桑くんはしみじみと答えた後、何かを思い出したような表情に変わり、そう尋ねてきた。

 

「その椎名さんって……あの1年生のこと?」

 

 校門をくぐった際、俺の周囲に1年生は他にもいたが、『息切らせて』という高桑くんの言葉から、ぶつかったあの1年生であることは確かだった。もっとも息の切らせ方は、俺と彼女では明らかな差があったが。

 

「そうそう。何、もしかして付き合ってんの? 羨ましいじゃねえかこんちくしょうめ~」

 

「……んなわけないでしょ。知り合ったのは今朝だし」

 

 俺はあの1年生――椎名さん――とは大して会話もしなかったどころか、名前すら教え合わずに別れたので、そもそもあれが『知り合った』と形容できるかはかなり怪しい。

 ゲームや漫画の世界において、『出会い頭にぶつかる』というシチュエーションはそれなりにあるのだが(もっとも、とうの昔に使い古されている気はするが)、そのようなものと違って俺と椎名さんの出会いは、良いことが起きる前触れとは考えにくかった。

 

「というか、何で高桑くんがあの人の名前知ってるの?」

 

 口ぶりから察するに、高桑くんが彼女と知り合いであるというよりは、彼女自体が知名度が高い人間であるという感じであった。

 まだ入学から2か月ほどしか経っていないのに、そこまで有名になる要素があったのだろうか。

 

「そりゃ1年の中じゃトップクラスの美少女とありゃ、野郎どもの間で噂にならないわけがないよ。最有力のマドンナ候補とも言われてるからな」

 

「……そうなんだ」

 

「おまけに礼儀正しく性格も優しいとくりゃあ、なおのことだね」

 

 確かに高桑くんの言う通り、彼女は可愛かったとは俺も思う。礼儀正しいという性格に関しても、ぶつかった際に自分より俺の心配をしていたことから、間違いないと言える。まあ、あれは俺が悪態をついたせいでもあるのかもしれないが。

 

「さらには新体操部期待の新人とも聞いたな。……あ~っ、レオタード姿見てみてぇ~」

 

「……それはいくら何でもどうなのよ」

 

「そんなこと言ってるけど、本当は将ちゃんも新体操部のレオタード姿を堪能したいんじゃないの~?」

 

 本音を隠そうともしない高桑くんのその言葉に俺は半ば呆れた返事をするが、高桑くんはにやつきながらそんなことを尋ねてくる。

 

「……ぶっちゃけるとイエスだけどね」

 

「でしょ? ありゃ見たくないって言う方がおかしいって」

 

 とは言ったものの、俺は聖人君子でもなければ禁欲主義者でもない。はっきり言ってしまうと、彼の言葉には全面的に賛成だった。

 レオタードというのは、新体操やバレエなどで着用する衣服のことだが、下手をすれば水着と同じ――いや、それ以上に露出が大きくなるタイプのものも多く存在し、男の下心を強く煽る衣装と言っても過言ではないと思う。

 現に俺もレオタードは好きな人間だった。新体操で用いられるタイプは特に。

 

 新入生向けの部活紹介や、校内のイベントで新体操部の演技が行われることがあるが、俺は何度か見たことがある。演技そっちのけというわけではないが、実のところ意識は8割方レオタード姿に向けられていた。

 

 そんな俺のような下心丸出しの男の視線を阻止するため、新体操部は余程の理由がない限りは、男子生徒が練習を見学することは基本的に禁止されていると聞いた。

 まあ、仮に禁止されていなかったとしても、わざわざ見学しようとは思わない。下心がないわけではないと言っても、そこまで下卑た人間に堕落したくはなかったからだ。

 

「ま、期待の新人って言うくらいだから、そう遠くないうちに演技は見れるだろうな。そしたらガン見しちゃろ」

 

「出過ぎた真似はしないようにね……」

 

 にやつきながら、まるで望月さんのようなことをのたまう高桑くんに、一応俺は忠告の言葉を送っておいた。

 

 

 

 

 

 

 放課後になり、俺は村上さんと共に図書委員の仕事をしていた。もっとも、本の整理などは前日辺りでほとんど済んでいることに加え、利用者もほとんどいないせいで暇だった。村上さんはカウンターで本を読んで過ごし、俺は整理する振りをしながら本の物色をして過ごしていた。

 

 ここ最近の俺は、村上さんや二階堂くんの影響で、小説に手を出すことが多くなっていた。しかしながら、二階堂くんが以前借りていたような分厚い小説は、本人に対しても言ったように、相当な時間をかけないと読み終われない。迂闊に手を出すと時間を無駄にしそうな気もしていたので、基本的には村上さんが読んでいるような、小さめのものを中心に読んでいた。

 ただ、今日はあまり小説を読む気にならず、本棚からもこれと言ってよさそうな本を見つけられなかったので、仕方なく俺はカウンターに戻り、脇に置いてあった自分の鞄から魚の図鑑を取り出して、閲覧テーブルへと向かい、椅子に座って読み始めた。

 

「村上先輩、すみません」

 

「あっ、椎名さん。今日はどうされましたか?」

 

「あの、実は今朝、失礼なことをしてしまった先輩に謝ろうと思って来たんです。その方、図書委員だっておっしゃっていたので」

 

「お名前とかは、聞いてますか?」

 

「いえ……図書委員としか聞けなかったので……いつ図書室にいらっしゃるのか分からなかったので、駄目もとで来てみたんですけど……」

 

 しばらくすると、カウンターの方からそんなやりとりが聞こえた。俺のいる場所はカウンターからは死角になっており、姿は見えなかったが、聞こえた声と村上さんの発した『椎名さん』という言葉からすぐに合点が行く。

 俺は図鑑を閉じてカウンターの方へと向かった。

 

「わざわざ律儀に来なくてもいいのに……」

 

「……えっ? あっ、先輩! えっと、今朝は本当にごめんなさい!」

 

 ああ言いはしたものの、その実本当に図書室を尋ねてくるとは思っていなかった。半ば呆れながら椎名さんに声をかけると、彼女は不意を突かれたような表情になり、間髪入れずに深々と俺に頭を下げる。

 

「……」

 

「ふふふ……」

 

 ふと村上さんの方へ視線をやると、彼女は困ったような笑みを浮かべるばかりだった。当事者でも何でもない彼女に助けを求めても仕方がないことは分かっていたが、『どうにかしてくれ』と思わずにはいられなかった。

 

「はぁ……もう気にしてなんかいないから、頭上げて」

 

「で、でも……何かお詫びをしないと……」

 

「そう思うんだったら、本でも借りてって。誰もいなくて暇なんだよ」

 

 俺は親指で後ろの本棚を指差してそう告げた。ひとり利用者が来たところで暇な状況が変わるわけではないが、誰も来なかった場合と違って少しは仕事をした気になる。

 

「それじゃあ、何かおすすめはありますか?」

 

「図鑑とかだったらそれなりにあるけど、小説とかが借りたいなら村上さんに聞いて。そっちは俺の管轄外だから」

 

 図鑑の類を借りる人間は、基本的に俺のような物好きがほとんどだ。彼女がそのようなタイプには思えなかったので、村上さんに押し付ける意味合いも兼ねて俺はそう言った。

 

「あっ、そうですか……」

 

 少しばかり残念そうな表情をし、椎名さんは村上さんの方へ向かおうとする。その時、俺はすっかり忘れていたことを思い出した。

 

「そういえば、まだ名前言ってなかったよね。黒川、黒川将平」

 

 さらに、1年生なら確実に言っておく必要があることを補足する。

 

「……それと同じ学年に黒川さんって人がいるかもしれないけど、あの人は妹じゃないから」

 

 とりあえず、今後知り合った1年生に自己紹介する時は、いかなる場合でもこの言葉を付け足しておくとしよう。

 

「あっ……! は、はい! 椎名(しいな)心実(ここみ)です! よろしくお願いします、黒川先輩!」

 

 椎名さんは俺の自己紹介にやたら目を輝かせ、深く頭を下げながら大きな声で自己紹介をした。もしかすると彼女は、俺の名前を聞きたかったのかもしれない。

 黒川さんとの関係も、彼女は多分理解してくれただろう。

 

 しかし、俺は彼女の自己紹介に『よろしく』とは返さず、今取った行動を指摘した。

 

「図書室では静かにね、椎名さん」

 

「あっ! す、すみません……」

 

 俺の指摘に顔を赤らめ、先ほどよりも大分角度が小さく遠慮がちな会釈をする椎名さん。そんな様子に、村上さんはくすくすと笑っていた。

 

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。