土日、病院で簡単な検査を行い、『後は自然
月曜日。それでも顔のあちこちに
そもそもあんなことがあったというのに、律儀に登校している俺はプライドが高いのか、もしくはただの馬鹿なのか。
学園に到着してからも、教室に入ってからも俺に対する奇異の眼差しは途絶えることがなかった。もっとも、教室に関しては俺が怒鳴り散らしたことも関係しているのか、噂話めいたことをする人間はひとりとしていなかった。
昼休みに入り、俺は教室を出る。すると背後から、待ち構えていたかのように俺を呼び止める声がした。
「将ちゃん!」
「…………」
声の主が二階堂くんなら、俺は振り向くことなく去っていたかもしれない。しかし、その声の主は意外なことに芹澤くんだった。振り向いて辺りを見渡すが、高桑くんの姿も鴨田くんの姿もない。珍しくひとりのようだった。
「……二階堂くんからもう聞いてると思うけど、俺のことは放っといていいよ……」
だが俺は、そんな珍しい状況であっても態度を変えるつもりはなかった。芹澤くんにまで、こんな醜態を見せたくはなかった。
「分かってる。だけどひとつだけ、どうしても将ちゃんに聞いておきたいことがあるんだ」
しかし俺の言葉に芹澤くんは説得するような言葉を使わなかった。何かを知りたがっている、そんな印象だった。
「…………何?」
「将ちゃんを襲った奴って、どんな顔してた?」
「……えっ?」
彼のその質問は、俺も予想していなかった。『誰に襲われたか』ではなく、『襲った奴はどんな顔をしていたか』という質問は。
「……他はあまり覚えてないけど、リーダー格っていうか、一番いきがってた奴はニンニクみたいな鼻で、キツネみたいな目してたけど」
「……!」
そんなことを聞いて何になるんだ、と思いながらも一応答えておく。さっさと答えて、この場を去りたかったからだ。
だが俺の返答に芹澤くんは驚いたように目を見開き、納得がいったような表情をして『やっぱりそうだったか……』と呟いた。
「……将ちゃん。そいつら、
「……えっ?」
「何かおかしいと思ったけど、将ちゃんの今の話を聞いて全部分かった。そいつら、ここの制服なんて着てなかったんじゃないか?」
「あ、うん……私服、だったけど……」
確かに俺が奴らを聖櫻の生徒だと判断したのは、ニンニク鼻の放った言葉だけだった。それ以外には、何も証明するものはない。
「あのくそったれ共……俺にやられた腹いせに将ちゃん襲ったばかりか、ここの1年坊に罪擦りつけるような真似しやがって……」
「…………!」
眉間にしわを寄せ、歯を食いしばりながら彼は怒りをあらわにしていた。
だが、そんなことはどうでもいい。
――――それじゃあ、それじゃあ、俺は。勝手にここの1年が犯人だと決め付けて、無意味に醜態を晒しただけ。
「…………」
俺は踵を返し、芹澤くんに別れの言葉を言うこともせずに、ふらつきながらその場を後にする。
「将ちゃん! 何があっても、俺は将ちゃんの味方だ! だから、諦めないでくれ!」
「…………」
必死に叫ぶ芹澤くんの言葉は、俺の耳に届きはしなかった。
「…………」
中庭の外れにある芝生に腰掛けながら、俺は項垂れていた。購買でパンを買いはしたが、封を開ける気にもならない。
今の俺にある感情は、猛烈な自己嫌悪だけだった。
「……やっぱり、ここにいたんだね。お兄さん」
ここにいれば、誰かから声をかけられることなんてないと思っていたのに。しかも声の主は、ここで初めて会った、俺と同じ名字の人間だった。
「金曜、何があったのさ? 教えてよ、力になるから」
あの時と同じように、俺の隣にどっかりと座りながら尋ねてくる。
――何で、まだ会ってから大して日が経っていない俺なんかに、大して話をしてない俺なんかに、名字が同じなだけで血縁関係が全くない俺なんかに、『力になる』なんて言えるんだ。
「他校の生徒に袋叩きにされて、それをここの生徒の仕業と勘違いして、勝手に切れて喚き散らして、醜態を晒しただけの話だよ……」
半ば独り言じみた感じで俺はぼやく。
そういえば彼女には、もうひとつ言っておくべきことがある。今度は彼女の方に視線を向けて言う。
「……もう、俺のことを『お兄さん』と呼ぶのはやめるんだ。それと他の1年にも、俺は全くの赤の他人だって言ってくれ。こんなろくでなしの妹だなんて噂が流れたら、とばっちりを食うのは黒川さんの方なんだから」
俺の懸念はまさにそれだった。彼女の単なるおふざけで広まった、俺と黒川さんとの関係を誤解している1年生は非常に多い。さほど多くはないかもしれないが、上級生にもその誤解をしている人間はいるだろう。
時間が経てば経つほど、誤解を解くことは難しくなり、黒川さんに対する風評被害は広まってしまう。俺の馬鹿な行為のせいで、何の関係もない彼女が巻き添えを食うことは絶対にお断りだった。
「……やめないよ、私は」
だが俺の言葉を聞いた黒川さんはそんな言葉を返した。いつものへらへらとした雰囲気を、まるで感じさせない真剣な表情で。
「醜態でも何でもないじゃないのさ。むしろろくでなしなのは、お兄さんを襲った奴と、勝手な噂話をする奴だよ」
「…………」
「お兄さんと私は赤の他人かもしれないけど、無関係なんてことはないんだよ。私はお兄さんのこと気に入ってるし、まともな人間ならそんな勝手な憶測なんてしないのが普通なんじゃない?」
「…………」
「それに陽歌も菫もすごく心配してたよ、お兄さんのこと。春宮さんとか相楽さんもね。それにひふみん先輩だって。私と同じ考えの人は、お兄さんが思っている以上にたくさんいるんだよ?」
「…………」
『ひふみん先輩』というのは、芹澤くんのことだろうか。どちらにせよ、俺はそんなことを言われても何も響くものはなかった。
未開封のパンが入った袋を持ち、腰を上げて歩き出す。
「お兄さん、これだけは言わせて!」
背後から、黒川さんは叫ぶ。彼女の印象からは、信じられないくらいに大きな声だった。
「少なくとも3人は、お兄さんのことを軽蔑なんてしてないから! 誰が何て言おうと、これは絶対に変わらないから!」
「…………」
――――何だってんだよ、ちくしょう。
放課後になり、あの時と同じように無言で教室を去っていく。多くの人間からの視線を感じたが、もはや俺は気になどしていなかった。
「先輩!」
校門まで差し掛かったところで、背後から俺を呼び止める声が聞こえる。珍しく周囲には他の生徒の姿はおらず、俺に向かって放たれた声であることは明白だった。
「…………」
振り向くと、そこに立っていたのは相楽さんだった。息を切らせた様子から、走って俺を追いかけてきたのだろうか。
「はぁ……金曜日……はぁ……何が、あったんですか?」
昼休みの黒川さんと同じことを相楽さんは尋ねてくる。黒川さんは『相楽さんも心配していた』と言っていたが、その様子を見ると、黒川さんは昼休みに俺が言ったことを相楽さんに話してはいないようだった。
「……他校の生徒に袋叩きにされて、それをここの生徒の仕業と勘違いして、勝手に切れて喚き散らして、醜態を晒しただけの話だよ。これでいいでしょ?」
黒川さんに話したものと全く同じ言葉を、俺は相楽さんに対して呟く。
「もう俺と関わるのはやめときな……。ろくな目に遭わないよ……」
黒川さんとは違い、相楽さんは名字が同じことによって、変な噂話をされるリスクはない。だが、何度も話をしているようではどちらにせよ同じ結果になる。
そもそも俺は、自分のために誰かを利用する人間だ。噂話の有無に関係なく、このままでは相楽さんに不快な思いをさせるだけでしかない。
だが、相楽さんにも俺の言葉は通じなかった。
「いやだよ……」
「…………」
「どうして……どうしてそんなこと、言うんですか……」
「…………」
「あの時、わたしに『すごい』って言ってくれた先輩が、ゴマ団子までくれた先輩が、嫌な人なわけ、ないじゃないですか……」
声を震わせながら、相楽さんは搾り出すように言葉を発する。
「先輩ともう関わらないなんて、わたしは絶対にいやだよっ!」
そして間髪いれずに彼女は叫ぶ。目を潤ませて、前かがみになりながら、校舎にまで響き渡りそうな大きさの声で。
「……あの時の俺は本当の俺なんかじゃない。本当の意味で相楽さんに『すごい』って言ってくれる人は他にたくさんいるんだ。そういう人を、大切にするべきだよ……」
それだけ俺は彼女に告げると、返答も待つことなく校門を抜けていった。
「他の人に言われたって、全然嬉しくなんかないもんっ! 誰が何か言ったって、あの時の先輩が本当の先輩じゃなくたって、先輩は絶対いい人なんだからぁぁぁぁぁぁっ!」
――――ふざけるなよ。ふざけるなよ。何の根拠もないことを、さも当然のように言ってるんじゃねえよ。
背後から響き渡る声は、いつまでも俺の鼓膜を揺らし続けているような気がした。
そして俺はその言葉に、困惑と苛立ちがない交ぜになった感情を抱いていた。
翌日の昼休み。昨日と同じ場所に俺は腰掛けていた。
幾分食欲のあった俺は昨日とは異なり、購買で買ったパンを頬張っていた。
「先輩……」
そんな俺の元に、またも別の刺客が現れた。初めてできた後輩――そう言っていいのかはかなり微妙だが――でもある、春宮さんだった。
「妹さんが言ってました。昼休み、先輩はここにいることが多いって……」
「……ちっ」
春宮さんが俺の前に現れても、俺は我関せずでパンを口に運び続けていたが、春宮さんの放った『妹』というフレーズには、舌打ちをせざるを得なかった。
春宮さんと知り合ったのは、黒川さんと知り合うより前だ。当然俺と黒川さんが兄妹であるという誤解も存在していなかったので、他の知り合った1年生には必ずしていた事実の説明を、春宮さんにだけはしていなかった。黒川さんと知り合って以降は春宮さんと話す機会がなかったため、説明するにもできなかったということも関係していた。
「……俺は黒川さんの兄貴なんかじゃない。あの人は俺とは血縁関係もない、名字が同じだけの全くの赤の他人だよ。まだ『お兄さん』って呼んでるのかよ……」
黒川さんがさっさと俺を切り捨てていれば感じることのなかった、不必要な苛立ちを俺は感じていた。
「えっ、そうなんですか? てっきり兄妹だと思ってました……」
「…………そうだよ。それで春宮さんは、俺に何の用があってここに来たわけ?」
昨日の芹澤くんと黒川さん、相楽さんを見て大体の予想はできていたが、それでも俺はわざわざここに来た目的を尋ねていた。何でそんな面倒になるだけのことをしたのかは、俺にもよく分からなかった。
「先輩、心配しないでください。先輩に対する根拠のない噂なんて、絶対誰にもさせませんから」
「…………」
俺の予想していたものとは違ったが、大して驚きもしなかった。俺を擁護する言葉であることに変わりはなかったからだ。
「黒川さんから聞きました。他校の生徒に襲われて、それをここの生徒と勘違いしちゃったって。別に先輩は悪いことなんかしてないじゃないですか。ここの生徒の誰かを殴ったわけじゃないんですから」
「…………」
「私や黒川さんだけじゃなくて、相楽さんや椎名さんも同じ考えです。それ以外にもたくさん先輩の力になりたいって人はいるんです」
「…………」
「黒川さんが妹じゃないって知った時は驚きましたけど、でも黒川さん、本当の妹みたいに先輩のことを心配してました。だから……」
「この学園には、馬鹿か
ひとりでまくし立てる春宮さんだったが、俺はその流れを断ち切るように言葉を紡ぐ。
「こんな奴ひとりのために、何そこまで必死になってるんだ……」
春宮さんの言葉で、昨日から溜まっていた苛立ちが爆発――とまでは行かなくとも、口に出して発散させたいレベルにまでは達していた。
「そんなことしてる暇があるんだったら、自分のために時間を使った方がよっぽど有意義だろうが……。馬鹿じゃねえの……」
俺はパンを全て食べ終え、ゴミをポケットに突っ込んで立ち上がり、この場を去ろうとした。
「……だったら、私は馬鹿でいいです」
「…………」
「誰かを助けるのが馬鹿なことなら、私は喜んで馬鹿になります」
「……俺の本性が分からないから、春宮さんはそんなことが言えるんだよ」
その言葉は、俺以外の人間が聞けば心を動かされたかもしれない。実際俺も春宮さんから、彼女の決意とでも形容できる、強い意思が感じられた。
でも、それは俺の本性を知らないから。自分のために他人を利用することよりも、もっとどす黒く狂気に満ちた俺の本性。
だから俺は、薄ら笑いを浮かべてそう言葉を返した。
「鼻や腕をへし折ったり、顔の肉を食いちぎったり、金玉蹴り潰したりすることに快感覚えるような奴にも、そんなことが言えるの?」
「……えっ?」
俺の言葉に春宮さんは、呆気に取られたように目をぱちくりさせていた。無理もない。こんな猟奇的な言葉が俺の口から飛び出すなど、まるで予想していなかっただろうから。
「こんないかれた奴に構ってたら、春宮さんまで確実におかしくなる。馬鹿っていうのは訂正するよ。むしろ狂っちまうよ」
「…………」
「黒川さんとかにも言っといて。俺はシリアルキラーじみた、頭のおかしい奴だって。憎い人間をぶちのめすことに、快感を覚えているって」
「…………」
「ばいばい、春宮さん……。友達とか他の先輩との関係を、大切にね……」
「…………」
先ほどとは逆に俺がまくし立て、春宮さんが沈黙する状態になっていた。しかしながら、俺と違って春宮さんは何も言い返さなかった。別れの言葉を告げて横を通り過ぎても、相楽さんの時のように背後から叫ぶ声は聞こえてこなかった。
そう、俺はシリアルキラーだ。憎い奴は、男女の区別なく徹底的に叩き潰す。『生まれてくるんじゃなかった』という思考に至るまで。
それが、俺の快楽の究極系なのだから。