誇り高き孤高の毒蛇   作:ROCKSTAR

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嘲りの称号/死なないための希望

 

 

 

 時谷さんとの和解も終わり、俺は授業の合間の休み時間を利用してクラスの人間へ挨拶――釈明とするべきだろうか――をしていた。

 

「良かったね、時谷ちゃんと仲直り出来て」

 

「ありがとう。……その、小野寺さんには迷惑かけちゃったね、ごめん」

 

「何言ってんの。何があったかは知らないけど、黒川ちゃんが悪いことをしたわけじゃないのは明らかなんだから。変な噂をするほうがおかしいんだから、堂々としてていいんだよ」

 

 小野寺さんは俺を見限るどころか、全面的な擁護の立場を取ってくれていた。気を遣わせてしまったことに申し訳なさを覚える。

 あの日以降、俺は彼女ともまるで会話などしていなかったが、こうして俺が話しかけてきたことに、かなり安心した表情を見せていた。

 

「ずっと黒川ちゃんと話が出来なかったせいで、退屈ったらありゃしなかったからね。今期は面白いアニメがたくさんあるし、漫画だっておすすめのがいっぱいあったんだから」

 

「そうなんだ。ここ最近はアニメも漫画も見てなかったから、調べておかないとね」

 

「うん。……そういえば黒川ちゃん、夏コミに参加する予定は……」

 

 話をしていなかった反動からか、小野寺さんはまるで機関銃のように話を連発してきた。その姿に俺は少し気圧されたが、悪い気分ではなかった。俺も俺で、小野寺さんとの会話は好きだったのかもしれない。

 それならもう、彼女とのやり取りを『ゴマすり』などと形容するのはやめにしよう。彼女がそうしてくれるのなら、そんな形容など空しいものでしかないのだから。

 

 

 

 

 

 

「その、有栖川さんには何て言えばいいのか……」

 

 そしてもうひとり。次の休み時間に、俺は有栖川さんにも声をかけた。俺が声をかけたことに、初めは驚いた表情を見せたが、すぐに安堵したような表情へと変わった。

 

「ううん。何があったのかは分からないけど、私はあの時のことは全然気にしてないから心配しないでね」

 

「ああ、うん。ありがとう……。えっと……」

 

 小野寺さんと同じような言葉を口にした有栖川さんに、俺は不安が多少は解けたが、それから何を話すべきか決めあぐねてしまった。

 小野寺さんと比較すると、有栖川さんとは共通の趣味があるとは言いがたく、どうすればいいか分からない。

 

「あっ、そういえばすっかり忘れてたわ」

 

 俺のそんな姿を見て不憫に思ったのかどうかは定かではないが、有栖川さんは何かを思い出した表情になると、自分の鞄から何かを取り出す。

 

「はい、この前貸してくれたCD。なかなか返すタイミングが掴めなくて……ごめんね?」

 

「あ、ああいや、いいんだけど……」

 

 そういえば、ここ最近色々なことがあったせいで、CDを貸したことをすっかり忘れていた。さすがに有栖川さんはそんなことをする人間ではないと思うが、そのまま借りパク――借りたものを返さず、自分のものにしてしまうこと――されても気付かなかっただろう。

 

「……泣いちゃったわ、聴いてて」

 

「えっ?」

 

 一瞬有栖川さんが何を言ったのか分からなかったが、どうやらCDを聴いて泣いたらしい。そういう反応を見せたということは、嫌な気分になってしまったということだろうか。

 

「すごく歌詞が突き刺さると言うか、他の歌手じゃ絶対使わない言葉をたくさん使ってて、圧倒されちゃった。でもネガティブってわけじゃなくて、染み渡る感じだったわ」

 

「でも、結構有栖川さんが嫌いそうな言葉も歌詞にあったと思うけど……」

 

 しかしながら、彼女の意見は俺の予想とは正反対だった。

 このアーティストはラブソングを皮肉ったり、暴力的な言葉や、直接的ではなくとも性的な言葉が入ったりする歌も結構ある。念押しをしたとはいえ有栖川さんは性格上そういったものは嫌うと感じていたので、その絶賛振りには驚いた。……貸しておいてそんなことを考えるのはどうかとも思いはするが。

 

「最初に聴いた時はすごく驚いたわ。だけど聴いているうちに、ただ罵倒するためにそういう言葉を使っているわけじゃなくて、心の叫び……って言えばいいのかしら? 本音をぶつけるためにそういう言葉を使ってるのかな、って感じたわ」

 

「そう……」

 

 インターネットで以前見た、このアーティストへの評論に近い感想を有栖川さんは述べた。その意見に便乗するようではあるが、俺も同じ意見ではある。

 最初に聴いた時は、他のアーティストがまず使わないような言葉をこれでもかと詰め込んだ歌詞に、衝撃を覚えたものだった。ただ、それは敵愾心(てきがいしん)や復讐心などから来るものだけでは決してないことが、何度も曲を聴いたり、アーティストへのインタビューを見たりするうちによく分かった気がする。

 

「近いうちに、ライブにも行ってみたいって思っちゃったもの」

 

「そこまで気に入ったの……?」

 

「ええ」

 

 有栖川さんの評価は少なからず社交辞令のようなものが混じっていると思ったが、『ライブにも行ってみたい』とまで言い出すということは、社交辞令のない純粋な評価であることが窺える。ここまで評価する社交辞令など、回りくどいだけでしかない。

 

「俺もライブは行ったことないから、そのうち行ってみたいとは思うけどね」

 

「好きな娘と一緒に行ってみるのもいいんじゃないかしら?」

 

「……どうだかね。気になる人なんて今はいないし、仮にいたとしてもその人がそもそも気に入ってくれるかどうかも分からないよ。それならひとりで行く方が気が楽だね」

 

「うーん……」

 

 俺の返答が自分の望むようなものにならなかったためか、残念そうな表情を浮かべる有栖川さんだった。それに多少申し訳ない気持ちになる一方で、俺は嬉しさを感じていた。共通の趣味があるとは言いがたかった彼女との間に、ひとつだけではあるが話のネタに出来るものが見つかったからだ。話せることは小野寺さんなどの場合と比べるとはるかに少ないが、それでもないよりかはずっといい。

 CDを貸したことはゴマすりの一環でしかなかったが、もうそんな形容をする必要もないだろう。ここまで気に入ってくれた彼女に対してそんな形容をするのは、野暮というものなのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ごめんなさい。『そんな呼び方しないで』って、しつこく言ったつもりだったんですけど……」

 

「……別にいいって。そう言いたいなら言わせておくよ。客観的に見て、あの時のことはどう考えてもそういう噂されても仕方ないことだったしね」

 

 

 

 

 『黒川大魔王(くろかわだいまおう)』。

 多くの1年生から、俺はそんな異名を付けられていた。その異名に畏怖の念など込められていないことは明白だ。さも異常者を(あざけ)る目的で付けたのだろう。

 

 

 

 

 昼休み。

 俺はこれまでに話をしたことのある1年生数人に釈明をするため、1年の教室がある棟へ向かった。到着するや否や、「やべえ、大魔王だ……」「誰か黒川大魔王に何かしたのかよ……」といったひそひそ話をする者に数多く出くわす。

 予想はしていたのでそこまで気にはせず、見知った顔がいないか探していると、ちょうど教室から出てきた春宮さんを見つけたので、声をかけた。俺が声をかけてきたことに、春宮さんは一瞬ではあるもののかなり驚いた表情を見せたが、すぐに安堵の表情に変わると、「ここじゃあれですから、食堂で話しましょう」と言ってきた。

 

 その言葉に従って食堂へ向かい、定食を購入して席へ着く。今日は父親が弁当を作れなかったため、話の場が食堂になるのは都合がよかった。

 ……席へ着いた途端、何人かの生徒が即座に席を立ったのは気のせいではないだろう。そこから、先ほどの俺の異名に対する春宮さんの謝罪へと戻ることになる。

 

 

 

 

「それよりも、春宮さんは何で俺をかばうの? あの時かなりえぐいこと言ったはずなのに」

 

 自分から会いに行っておきながらこんなことを聞くのは矛盾しているが、具体的な表現や、それに至った経緯は避けたとはいえ、春宮さんには猟奇的な行為の話をした。普通の人間ならまず間違いなくドン引きし、関わり合いにもなりたくないと思うのが普通なはずだ。

 しかしながら、会った時に浮かべた安堵の表情や、『黒川大魔王』呼ばわりされることを防げなかったことに対する謝罪などを見るに、そういった感情を持っていないことが分かる。

 怒り狂う俺の姿を見ていない同学年の人間はともかく、怒り狂った俺の姿を目の当たりにした1年生であり、かつ俺の口からとんでもないことを聞かされた春宮さんが俺をかばう理由が分からなかった。

 

「……私は、先輩のことを信じてますから」

 

「…………」

 

「あの時の話を聞いたときは、確かに固まっちゃいましたけど、それをせざるを得ない理由があってやったことなんだって思います。先輩が何の意味もなくそんなことをする人に、私は思えないんです」

 

「…………」

 

「あの時私は、何も聞かなかったことにします。だから先輩も、私を信じてください」

 

「……そう」

 

 あそこまで言ったにも関わらず自分の考えを曲げないのなら、俺も春宮さんの意思を汲むべきだろう。

 

「信じるかどうかはともかく、そこまで言うならこれ以上春宮さんに対して自虐するような真似はしないよ。だけど俺はプライドがやたら高いし、かなり偏屈な人間だってことは理解しといて」

 

「……別に私は、先輩が偏屈だなんて思いませんけどね。プライドが高いことにしても、それで人に迷惑かけるようなことはしてないじゃないですか」

 

「……そこまで春宮さんとは話をしたわけでもないのに、よくそんな好意的なことが言えるね?」

 

 1年生の中では話した回数が恐らく最も多いとはいえ、それでも両手で数えられるほどの頻度でしかない。そんな少ない頻度でなぜそこまで分析が出来るのだろうか。彼女に対して自虐する真似をしないという考えになりはしたものの、さすがにその言葉には首を傾げてしまった。

 

「だったら先輩は、何であの時私にアニメのこととかを教えてくれたんですか? 『知らん』って言って逃げちゃってもよかったはずなのに」

 

「……あれは、媚を売ってただけだよ」

 

「それにしては先輩、楽しそうな顔してましたけどね。媚売るのにあんな顔ってできないと思いますよ?」

 

「…………」

 

 確かに、あの時は楽しさがあったのは事実だ。それまで皆無だった下級生とのつながりが出来たことに一種の高揚があったのも否定はできない(すぐネガティブな感情に染まってしまってはいたが)。

 

 

 

 

「春宮さん、何でお兄さんと?」

 

 俺が春宮さんの言葉に対して沈黙を続けていると、背後から聞き覚えのある声が耳に入る。振り向くと、驚いたような表情を浮かべた(あかのたにん)の姿があった。

 

「…………」

「あっ、黒川さん」

 

 正直、彼女とはもう少し時間を置いてから話しかけようと思っていた。しかしながら、こうして鉢合わせしたのなら早めに話しておいた方がいいだろう。幸いなことに、彼女の方から話しかけてきたことと、俺をまだ『お兄さん』と呼んでいること(こっちは『幸い』と言えるのかは微妙だが)から、彼女の俺に対する印象は特に変わっていないようだった。

 

「陽歌たちと教室で食べようかと思ってたけど、やめた」

 

 黒川さんは購買で買ったであろうパンをテーブルに放ると、俺の隣の椅子へと躊躇う様子も見せずに座った。

 

「その様子を見る限りじゃ、もう心配する必要はないみたいだね、お兄さん」

 

「……俺なんかより、自分の心配をするべきなんじゃないの? 大魔王の妹なんて言われたら完全なとばっちりなんだからさ。あの時に、誤解を解いとけって言ったってのに……」

 

 俺が最も懸念していたのは、黒川さんのことだった。1年生の大多数が、俺と黒川さんを兄妹だと勘違いしていることと、彼女が未だに俺を『お兄さん』と呼ぶことをやめていないことから考えると、彼女がとばっちりを受ける――――つまりは、やばい人間の妹呼ばわりされてしまうのではないかという懸念があった。あるいは、もう言われているのかもしれない。

 以前、お兄さん呼ばわりするのはやめるように言ったが、聞き入れられなかったらしい。その際口にした『やめないよ』という言葉を、彼女は曲げなかったようだ。

 

 早めに解決すべき懸念があるにもかかわらず、俺が黒川さんと話すのを先延ばしにしようとしたのは、彼女に対する苦手意識があるからに他ならない。前にも話したが、彼女と話しているとドロドロとした得体の知れないものがまとわり付いてくる錯覚を覚える。

 ただ、俺は彼女に嫌悪感を持っているわけではない。ふざけているのか真面目なのかよく分からない態度ではあるが、威張りくさったような高圧的な態度は取らないために、変に振り払うのも憚られることが大きな要因だった。

 本当は、そんなことを考えている場合ではないのであるが。

 

「知ったこっちゃないよ。大魔王の妹だなんて、むしろかっこいいじゃない」

 

 ふん、と鼻で息を鳴らしながら黒川さんは口角を吊り上げて淀みなく答える。

 何がかっこいいというのか。そして妹じゃない。

 

「…………」

 

「そんなことより私が許せないのは、お兄さんに対して訳分からない噂する奴だよ。私のクラス、そんなのばっかでさ。今朝、頭に来たから怒鳴っちゃったよ。黙れ、ってね」

 

「……そこまでするの」

 

「今朝の怒鳴り声、やっぱり黒川さんだったんだ……」

 

「ああ、春宮さんとかには迷惑かけちゃったね、ごめん。後で陽歌たちにもまた謝っておかないと」

 

 ため息をつかずにはいられない。さすがに春宮さんの方も、黒川さんが行ったことに苦笑いを浮かべずにはいられなかったようだ。

 俺の擁護をしてくれるのはありがたいと言えばありがたいが、あまり事を大きくしてほしくはない。先ほども思ったように、俺の勝手な思い込みから始まった騒動の巻き添えを食う事態にはしたくなかった。

 

 

 

 

「……言っておくけど、お兄さんは私の心配なんかする必要ないんだからね?」

 

「……えっ?」

 

 黒川さんの言葉を聞いて、俺は心が見透かされたような錯覚を覚えた。

 「まったく……余計なところで気を遣うんだから……」と呆れ気味に彼女はぼやく。

 

「とばっちりを受けるんじゃないかって思ってるのかもしれないけど、私はどうでもいい奴からバカと言われようがアホと言われようが、知ったことじゃないね。そもそも、とばっちりだなんて思っちゃいないし」

 

「…………」

 

「でも、お兄さんがバカとかアホって言われるのは絶対に許さない。だから私は、これからもお兄さんをバカにする奴に『ふざけんな』って言い続けるよ」

 

「…………」

 

「……本当に先輩って、黒川さんのお兄さんじゃないんですか?」

 

「春宮さん、何言ってんのさ。私とお兄さんは紛うことなき兄妹だよ?」

 

「……はぁ」

 

 初めは沈黙を通していたが、春宮さんの問いに対する黒川さんの『当然でしょ』とでも言わんばかりのドヤ顔で放たれた答え――根拠も何もない、完全な嘘っぱち――を聞き、彼女へ気遣いをしてももう無意味だと察した。

 

「……もういいよ。黒川さんがそうしたいなら好きにしな」

 

「おっ、ようやく兄妹って認めてくれたね。変なところで意固地になっちゃって~」

 

「……そっちの方じゃない。俺を擁護したいなら好きにすればいいってことだよ」

 

「もちろんそのつもりだよ。兄を大切に出来ないようじゃ、妹失格だからね~」

 

「……ちっ」

 

 つくづく、手のかかる(あかのたにん)だった。

 春宮さんに視線を向け、『何とかしてくれ』と訴えるが、苦笑いを浮かべて『私にはどうしようもないですよ』とでも言いたげな視線を返された。

 俺の舌打ちなどどこ吹く風と言わんばかりに、けらけら笑いながら俺の肩をポンポンと馴れ馴れしく叩く黒川さんを見て、何があろうとも彼女を『黒川さん』としか呼ばないことを誓ったのだった。

 

 

 

 

「……さて、お兄さんも大丈夫ってことが分かったし、ひとつお兄さんに言っておきたいことがあるんだけど、いい?」

 

「……何?」

 

 正直、いらない疲労感がのしかかり続けていたので、『早く用件を済ませろ』と言わんばかりの生返事を黒川さんに対して俺はしたのだが、直後、黒川さんは憤っているような表情に変わり、先ほどまでのふざけた話題ではないことをすぐに俺は察した。

 

「あの二階堂ってデカブツとは、もう関わらない方がいいと思うよ。正直かなりむかついてるんだよ、私はあの男に」

 

「……へっ?」

「……えっ?」

 

 黒川さんの口から放たれたのは、予想の範疇にも入っていない、二階堂くんの名前だった。それは春宮さんも同じだったらしく、ふたり同時に素っ頓狂な声が漏れてしまった。

 

「黒川さん、それは一体どういうこと? 二階堂先輩に何かされたの?」

 

 俺が尋ねるよりも先に、春宮さんは疑問を黒川さんに投げかけた。

 春宮さんは俺と知り合う前、二階堂くんへ積極的に陸上部への勧誘を行っていたこともあり、交流がそれなりに多かった。当然の疑問と言っても差し支えないだろう。

 俺としても、二階堂くんと黒川さんとの間に接点があるとは思えなかったので、彼女の憤りがなぜなのか分からなかった。

 

「……私は別にあの男に何かされたわけじゃないよ。あの男のお兄さんに対する態度に腹立ってるだけ」

 

「「……?」」

 

 ますます分からない。怒り狂ったあの日以降、二階堂くんとは片手で数えるほどの交流しかしていない。それには理由があるのだが、今は省く。ただ、客観的に見れば俺が褒められる理由でないのは間違いない。そのため、俺に対して腹が立つのなら分かるのだが。

 

「あいつはお兄さんにいっつもベタベタくっ付いてたのに、お兄さんが辛い思いしてたことに全く気づいてなかったんだよ? そのくせに、私たちに『とっとと散れ』なんてほざいてさ。あーっ、昨日ぶん殴ってやればよかった……」

 

「もしかして、昨日二階堂くんに会ったの?」

 

「……会ったって言うよりは、私の方から探しに行ったって言う方が正しいかな。『あんたはお兄さんの支えになんてなれやしない』ってね。そう言わなきゃ気が済まなかったんだよ」

 

 

 

 

「「…………」」

 

 正直、黒川さんの二階堂くんに対する意見や、やったことは的外れと思わざるを得ない。ベタベタくっ付いていたのはむしろ俺の方な上に、二階堂くんはあのとき怒り狂っていた俺を止めてくれたのだ。彼に羽交い絞めされなければ、俺は関係ない人間に殴りかかっていた可能性もある。

 そもそも俺は自身の心中を二階堂くんどころか誰にも話していない。俺の腹の中が分からないのは当たり前の話だ。

 俺が二階堂くんに関わろうとしない理由を抜きにしても、彼女の行動には同意できなかった。春宮さんの方も困ったような表情を浮かべており、おそらくは俺と似たようなことを思っているのだろう。

 

「……二階堂くんは、悪い人間じゃないよ。だから、あんまり責めないでやってほしいかな」

 

「……そうですね。黒川さんの気持ちは分かるけど、私も二階堂先輩にはお世話になったことがあるから、できれば怒らないであげて」

 

「…………」

 

 俺と春宮さんの言葉を、黒川さんは肯定も否定もせずにただ沈黙していた。それは俺たちの言葉に反論する術を見つけられなかったからか、それとも自分の意見を否定されたことへの苛立ちを沈黙で表しているのかは分からない。

 

 

 

 

「……あーそうだ。あいつのことばっかり考えてたから、危うく忘れるところだったよ」

 

「……?」

 

 しかし、長く続くかと思われた沈黙も黒川さんによってすぐに破られた。変に長引かせて軋轢(あつれき)を生むのもよくないと判断したのだろうか。

 

「陽歌と菫には私の方から言っておくし、椎名さんとかもそこまで強く心配してる感じじゃなかったから後回しでもいいけど、相楽さんのことは早めに安心させてあげなね?」

 

「……相楽さん?」

 

 あの時俺に何があったのか訪ねた1年生のうち、彼女だけはここにいない。

 

「相楽さん、悔しいけど私なんかよりもずっとお兄さんの心配してたよ。ここのところずっと落ち込んだ顔してるし、昼休みにやってるジャグリングの練習にも身が入ってないみたいだからね。お兄さんが大丈夫って分かれば、きっと元気になると思うから」

 

「…………」

 

「……私も相楽さんには、『先輩は大丈夫』って言ったんですけど、あんまり効果がなかったので……。ですから、先輩が直接相楽さんのところに行って話をした方がいいと思います」

 

「…………」

 

 

 

 

『先輩ともう関わらないなんて、わたしは絶対にいやだよっ!』

『他の人に言われたって、全然嬉しくなんかないもんっ! 誰が何か言ったって、あの時の先輩が本当の先輩じゃなくたって、先輩は絶対いい人なんだからぁぁぁぁぁぁっ!』

 

 

 

 

 俺の要求を拒否した言葉と、何の根拠もない全面的な擁護の言葉。

 相楽さんが声を張り上げて口にしたふたつの言葉は、今でも妙なくらいに頭に残っていた。

 

「…………」

 

 黒川さんと春宮さんの言葉を聞いて、相楽さんへの罪悪感のようなものが顔を出しつつあった。

 春宮さんも黒川さんも比較的ながら落ち着いた様子だったので、相楽さんも同じような状態だと思い込んでしまっていた。

 つくづく馬鹿なことをしたと思う。それが分かっていたなら、真っ先に相楽さんに会いに行ったというのに。

 

「……それなら、近いうちに声をかけてみるよ」

 

 話を聞いて気まずさが増してしまったというのはある。しかし、まだ死にはしないと決め、こうして春宮さんや黒川さんと話をしたなら、相楽さんだけ放っておくというわけにはいかない。

 俺は相楽さんの言うような『いい人』では断じてないが、心配をかけたことへの謝罪はするべきだろう。

 

 

 

 

「あそこまで心配するってことは、相楽さんはお兄さんにほの字かもね」

 

「……はっ?」

 

 相楽さんに声をかけるとして、どんな言葉をかけるべきだろうかと考えていた俺の耳に、何の前触れもなくその言葉は入ってきた。素っ頓狂な声を漏らして顔を上げ、隣に目を見やると、相変わらずのにやけ顔を声の主は浮かべていた。

 

「好きでもない人間をあそこまで心配できるわけないし、あれは間違いなく好きってことだね。『付き合ってくれ』って言えば、コロッと落ちちゃうんじゃないの?」

 

「……寝言は寝て言ってよ」

「あ、あはは……」

 

 真面目な話をしたかと思いきや、またふざけたことを言う。彼女への苦手意識は、日に日にどころか数分で大きく増してしまっていた。春宮さんも苦笑いを浮かべるしか、彼女の戯言に対応する術を見つけられなかったらしい。

 

 そもそも、相楽さんが俺に惚れているなどまずありえないだろう。他の1年生に関しても同じことが言えるが、まだ片手で数えるほどしか彼女には会っていない。ジャグリング技術を褒めたり、ゴマ団子を差し入れしたくらいで惚れられる要因になるとは到底思えない。

 100歩譲って仮にそうだとしても、俺はどういう言葉を返せばいいのか。

 

「まあ、恋愛感情は抜きにしても、相楽さんはお兄さんに好意的なのは事実だと思うよ。私も陽歌も菫もそうだしね。春宮さんだってそうでしょ?」

 

「……えっ? ああ、うん。そうかな? 先輩の中だと一番話しやすいしね」

 

「でしょ? ……これだけ味方がいるんだし、もう変に孤立しようとしなくていいんだよ、お兄さん」

 

 再び真剣な表情に戻って、黒川さんは言葉を紡ぐ。

 

「…………」

 

 俺は無言で冷めてしまった定食を全て胃へと流し込み、空のトレーを持って席を立つ。

 

 

 

 

「……ありがとうね」

 

 去り際ふたりに呟いたその返答は、今までの俺ならまず口にしないであろう言葉だった。

 

 

 

 

 ――味方。

 その存在のありがたみを、俺は今更ながら強く実感することとなった。時谷さんの勇気は、俺の考えをこういったところでも改める要因となっていた。

 ただそんなことを口にしたら、『私のおかげじゃないの?』と、黒川さんには嫌な顔をされてしまうだろうか。

 

 

 

 

 

 

 翌日の昼休み。

 昼食をすぐに済ませた俺は、中庭へと向かった。

 

「……いた」

 

 目当ての人間はすぐに見つかった。最初に会った時と同じように、ジャグリングの道具を横に置いてベンチに座っていたが、俯いてため息をつくばかりで、道具を手に取ろうともしなかった。

 

「…………」

 

 俺はすぐ彼女のところへは向かわず、購買の方へと足を運ぶ。

 ゴマ団子は、今日売っているだろうか。

 

 

 

 

 

 

「…………はぁ」

 

 これで何度目のため息を、今日だけでついたのだろう。そばに置いてあるジャグリングの道具を、ここ数日は手に取ることさえしていない。

 

「…………」

 

 ――みんな、いくら何でもひどすぎる。

 

 先日黒川先輩が、1年生の教室のある棟の廊下でものすごく怒っていた姿を見せて以降、教室では黒川先輩に対する否定的な噂がひっきりなしにされていた。

 ただ『怖かった』と言うだけならまだしも、『頭がおかしい』『狂ってる』といったひどい言葉を、わたしは何度も聞かされた。

 

「…………」

 

 『先輩は大丈夫』と言ってくれた春宮さんや、今朝ものすごい怒鳴り声が聞こえた黒川さんなど、先輩の味方になってくれている人がまだいることは救いがあったが、わたしにとっては安心材料になどなっていなかった(もっとも、黒川さんとは違うクラスなので姿自体は見ておらず、声で判断しただけだ。それに先輩への噂話に対して怒ったのかどうかもはっきりはしていない。それでも、黒川さんは先輩と仲がいいようなので、わたしは間違いなくそうだと思っている。本当に、兄妹じゃないのかな?)。

 『先輩はいい人なんだから』とわたしは説得したが、効果はなかった。それ以降、わたしは先輩の姿を見ていない。

 

「……うっ」

 

 ――もしこのまま、先輩が学校に来なくなってしまったら。

 最悪の事態を想像し、わたしの目はうるみだす。

 

 

 

 

「……そろそろ練習再開したら? これ食べれば、少しはやる気も出るでしょ?」

 

 目の前にスッと差し出されたゴマ団子とお茶。そして、声。

 がばっと顔を上げたわたしの視界には、困ったような、もしくは気まずそうな、どちらとも取れる表情を浮かべた――――。

 

「黒川、先輩……」

 

 

 

 

 

 

「みんな、ひどすぎるよ……」

 

 彼女が口にしたのは、相変わらずの俺への擁護の言葉だった。肩を震わせながら、絞り出すように。

 

「先輩と全然話したこともないのに、勝手な憶測でひどいことばっかり言って……。先輩は、いい人なのに……おかしくなんか、ないのに……!」

 

「…………」

 

「わかんないよ……平気な顔でひどいこと言うなんて……わたしにはわかんないよ……!」

 

「……言いたい奴には、言わせておけばいいんだよ」

 

 悲痛な様子の彼女とは対象的に、俺は下を向いて軽く呟くように言った。

 俺なんかのためにここまで神経を磨り減らして苦しむ姿を見るのは、正直もうたくさんだ。

 

「……えっ?」

 

「弁明なんかしたって、罵倒する奴はするんだよ。そんな連中にかまけても、疲れるだけなんだからさ」

 

 中学時代、そんな連中を嫌というほど見てきた。そんな奴らに何かを訴えたところで、さらなる罵倒が返ってくるだけだ。だったら、最初からそんなところに目を向けないで、諦めてしまう方がいい。

 

「そんな……それじゃあ、先輩が……」

 

「だけどさ……」

 

 そんな俺の返答に愕然とした表情を浮かべる相楽さんだったが、俺は一方である考えにも至っていた。中学時代までは気づかなかった……いや、そんなものは存在しないと否定していたと言うべきか。

 視線を正面に戻し、相楽さんの言葉をかき消すようにその考えを言葉にして口に出す。

 

「相楽さんみたいに、かばってくれる人って言うのかな……まあ、そういう人がいるって分かったから、俺はもう大丈夫だよ。春宮さんとか、黒川さんもそうみたいだし」

 

「…………」

 

 とは言え、いざ口に出すと曖昧な表現になってしまった。本当は『味方』のありがたみも伝えたかったのだが。それでもある程度意図は伝わったと思いたい。俺は諦観などではなく、少ないながらも希望を持てていることを。

 

「……でも」

 

「……そんならこれ、あげないけど?」

 

「……え、ええっ? どういうこと……って、あっ!」

 

 なおも愚図つく相楽さんに苛立った俺は、最終手段に移行した。

 ぶら下げた袋からゴマ団子のパックを取り出し、これ見よがしに彼女に見せつけつつ言い放つ。

 

「全部食ってやろ。せっかくあげようと思ってたのに……」

 

「わ~っ! 待って待って! ごめんなさい! もう何も言いませんから~っ!」

 

 限定品というわけでもない購買のゴマ団子でここまで慌てふためき、あっさり態度を改める姿には、キャッチセールスやネズミ講に騙されてしまわないだろうかという心配が少なからず募る。しかし、今はその態度が純粋にありがたいとも思うのだった。

 

 

 

 

 

 

「……うん、おいしい……」

 

 声のトーンはやや暗いが、表情は対照的にやたら嬉しそうだ。

 今しがたありがたいと思いはしたものの、さすがにこうもあっさり態度が変わるのはどうなのだろうか。そのせいで、彼女へ罪悪感など抱くべきではなかったのかもしれないと感じてしまう。

 

「……まあいいや。その分なら復活したってことだろうし、またやりなよ、ジャグリング」

 

 最後のひとつを食べ終えたところを見計らい、俺はベンチに無造作に転がったジャグリングの道具を指差す。なんとなくではあるが、俺にはその道具から物悲しさのようなものを感じた。道具に表情があるわけではないが、『落ち込んでないで早く使ってくれよ』とでも言いたげな雰囲気が。

 

「……あっ……はっ、はい! ちょっと待っててくださいね!」

 

 俺の言葉に彼女ははっとしたような表情になったかと思うと、目を輝かせて空になったゴマ団子のパックを脇に置き、道具を手に取る。ボールとクラブをふたつずつ。どうやら、別の道具を交えたジャグリングを行うらしい。同じ道具を使うものと違って、明らかに難易度が高そうだ。

 

「あんまりこれはうまく行ったことないんですけど……でも、今日は特別な日ですから、やってみます!」

 

 最初に会った時よりもはるかに真剣な表情を浮かべた彼女は、一度だけ深く深呼吸をしてボールとクラブをひとつずつ空中へ放る。そこからほんのわずかな間を置いて、残りのひとつずつも放り投げた。

 

「ほいっ……」

 

 最初に投げたボールとクラブをキャッチ。しかし、手にとどまる時間はごくわずかだ。間髪入れずにもう一度放られたそれらは再び放物線を描く。

 

「よっ……ほいっ……」

 

「…………」

 

 初めて会った時に見たボールのみを使ったものとは違い、動き自体は至ってスタンダードなものだった。何か変わった動きを取り入れているわけではなく、ひたすら投げては取り、投げては取りを繰り返すだけ。

 それでも俺は、それに純粋な感動を覚えていた。何か名画でも見た時のような、絶景を眺めた時のような、そんな感動を。

 

 

 

 

「……ほいっと。……で、できた……今までこんなにうまく行ったことなかったのに……」

 

 道具全てを手のひらに収めた相楽さんは、自身でも驚いたような表情を浮かべてそんなことを呟いた。俺にはとてもそうとは思えないほどにしっかりとした動きだったが、どうやら彼女が先程口にした言葉は本当のことだったらしい。

 

「……よかったよ、すごく。そんじゃあね」

 

 軽く拍手をして俺は相楽さんに告げると、踵を返して立ち去ろうとした。

 

「……あ、あのっ! 黒川先輩……じゃなくて、将平先輩!」

 

 しかしそれは、彼女の呼び止める声によって妨げられた。

 ただ呼び止めるだけならともかく、予想していなかった言葉が混じっていたことで、思わず目をぱちくりさせながら振り向いた。

 

「……今、俺のこと名前で呼んだの?」

 

「はい、将平先輩!」

 

「……何で?」

 

「さっきも言いましたけど、今日は特別な日ですから。先輩が大丈夫だって、分かった日ですから! それを祝ってです!」

 

「……?」

 

 全く意味が分からなかった。まだぎりぎり片手で数えられる程度の回数しか会ったことのない俺を、なぜ名前で呼ぶのか。

 それならまだ、会っていきなり俺を名前で呼んだ芹澤くんの方が理解できる気がする(『将ちゃん』というあだ名ではあるが、俺の名前をもじっているので名前呼びと同列に考えても問題はないだろう)。

 

「ですから先輩も、わたしのこと『エミ』って呼んでください!」

 

「……はい?」

 

「いつまでも『相楽さん』のままじゃ他人行儀じゃないですか。わたしは先輩に名前で呼んでほしいです」

 

「…………」

 

 名前で呼べ、か。それじゃあ俺は――――

 

「分かったよ、()()()()

 

「はい! ……って、あれ?」

 

 ――――相楽さんの要望を拒否した。春宮さんの時と同様に。

 

「悪いけど俺は、誰かを名前で呼ぶってことはしないんだ。俺のことは好きに呼べばいいけど、俺は『相楽さん』って呼び続けるから」

 

「そ、そんなぁ…………うう~っ、エミ!」

「相楽さん」

「エミっ!」

「相楽さん」

「エ~ミ~っ!」

「さ・が・ら・さ・ん」

 

 むきになって自分の名前を言い続ける相楽さんと、淡々とした口ぶりで彼女の名字を言い続ける俺という、わけの分からない押し問答が続く。最終的には、俺の態度に相楽さんが諦める形となった。

 

「むうう~っ、どうしたら名前で呼んでくれるんですか……?」

 

「……さあね。俺にも分からないよ」

 

「な、何でですか……じゃ、じゃあせめて、『相楽』って呼んでくださいよ……」

 

「……もっとないね。俺が呼び捨てにする人間は憎悪の極みに達した奴だけだから。相楽さんはまずそうなることはないから、呼び捨てにするってこともないよ」

 

 そうだ。

 相楽さんを、()()()()()()()()()()()()()()()

 

「ぞ、憎悪の極みって……で、でもそれって、言い換えればわたしのこと、後輩って思ってくれてるってことですよね?」

 

「……まあ、そう考えてくれても俺は否定しないよ」

 

 はっきり『そうだよ』とは言わずに言葉を濁したのには、気恥ずかしさのようなものがあったからだろうか。『どっち付かずな奴だな』と言われてしまいそうだが。

 

「まあ、それならいいか……うん!」

 

 先程までのがっかりした表情はどこへやら、今日一番の明るい笑顔を浮かべて彼女は俺に宣言した。

 

「ならわたし、絶対先輩に『エミ』って呼んでもらえるようにしますから! このまま引き下がるなんてしませんよ!」

 

「……何億年後だろうね」

 

「ふっふっふ~、もしかしたら明日かもしれませんよ~?」

 

「……じゃあ、頑張りなね」

 

 俺の皮肉も軽く受け流せるようになった相楽さんを見て、もう心配する必要はないと判断した俺は、彼女に向けて右手を軽く挙げ、中庭をあとにする。

 

 

 

 

「将平先輩! わたしは何があっても先輩の味方ですからね!」

 

 俺の背に向けて放たれた相楽さんのその言葉は、しばらくの間俺の鼓膜を震わせ続けた。

 

 

 

 

 

 

 自分が撒いた種とはいえ、この学園で今後も俺は糾弾されたり、嘲笑されたりするだろう。それに対して『気にしない』や『どうでもいい』という感情を持って臨めるだけのメンタルの強さは、生憎俺は持ち合わせてなどいない。間違いなく『ふざけんな』という考えに至ってしまうだろう。

 だが、『味方』と言える人間は確実にいることを、この目で、耳で、心で……確かめることができた。それだけで十二分に希望はある。

 

 何とか生きていこう。死なないために。

 

 

 

 

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