俺がゴマすりを行う人間は、二階堂くんだけに限らない。基本的には俺が話しかけることによって関係を形成する場合がほとんどだが、逆の場合もわずかにあった。
「はい、この前話してた限定版」
「うわ~っ、これだよこれ! ありがとう黒川ちゃ~ん!」
前者の場合における代表的な人物として、俺と同じクラスに所属する
漫画研究部に所属する彼女は、当然ながら漫画を読んだりアニメを見たりすることを趣味としている。さらに同人誌を執筆し、即売会で頒布することもある。以前何冊か彼女の描いた同人誌をもらったが、完成度は高く、俺は気に入っていた。
俺も漫画やアニメを好む人間なので、話のネタを多く共有できる彼女はゴマすりをするのにうってつけの人物だった。
今日は彼女が買い忘れたという漫画の限定版――こういったものは、DVDなどの特典が付いている――をたまたま入手できたので、学園に持ち込んで渡したのだった。
「あっ、今お金渡すね」
「別にいいんだけどね、これくらいなら」
「いやいや、さすがにそれはまずいでしょうに。安くないんだし、そこまで施してもらったら受け取れなくなっちゃうよ」
「まあ、そこまで言うならもらっとくけど」
代金の受け取りに遠慮がちな姿勢を見せたのもゴマすりの一環だった。だが、小野寺さんの厚意を無視して意固地になるのは逆効果だと判断し、素直に代金を受け取った。むしろ素直に応じることが、彼女に対してのゴマすりになるだろう。
「前にも言ったけど、黒川ちゃん漫研に入りなよ。歓迎するよ? 図書委員の仕事優先で大丈夫だし、来たい時に来ればいいしさ」
「……俺も前に言ったけど、俺は絵が下手糞だからほとんど何もできないよ」
「私だって初めはそうだったんだし、これから上手くなると思うよ? それに、前見せてくれた模写、なかなか良かったじゃん」
「俺ができるのはあくまでも模写だけだよ。小野寺さんみたいに、オリジナリティーのある絵は無理だね」
「そんなことはないと思うけどねぇ。まあ、無理強いはしないけど、気が変わったらいつでも来なよ」
「うん、一応は考えておくよ」
小野寺さんとの会話を終え、俺は自分の机に鞄を置く。
趣味に反して(漫画やアニメが好きな人間が、コミュニケーションが苦手だと考える時代はもう過ぎ去っているとは思うが)小野寺さんは人付き合いが良く明るい性格であり、かと言って変に馴れ馴れしいわけでもないので、話しやすい人間だった。彼女のこういった性格も、ゴマすりをしやすい要素と言えた。
さて、次は――。
机に鞄を置いた俺は、そのまま席には着かず鞄を開けると、あるものを取り出し、それを持ってある人物の席へと向かった。
「有栖川さん、CD持ってきたよ」
「あっ、ありがとう~」
そして後者の場合の代表的な人物が、やはり同じクラスに所属する
彼女は1年生の時は違うクラスだったが、何度か会話を交わしたことはあった。図書室をそれなりに利用していたことも関係しているだろうか。
彼女は合唱部に所属し、歌唱力も高いと聞く。俺は聞いたことがないが、合唱でソロパートを歌ったこともあるそうなので、その評価は間違いないだろう。もちろん歌うだけではなく聴く方も好きなので、俺は彼女と好きなアーティストについて色々話すことがあった。CDを貸すのは今日が初めてだが。
俺が聴くアーティストはさほど多くないので、小野寺さんほど趣味が合うというわけではないが、彼女も人付き合いの多く、話はしやすい人物なので俺にとってのゴマすりの対象となりえた。
「でもこの歌手の歌、結構暗い歌詞だからあんまり有栖川さん好みじゃないかも。それだけは気を付けといて」
「大丈夫よ。あまり聴いたことないけど、暗い歌詞が悪いってことはないと思うし、明るい歌詞と違った視点で勉強になることも多いと思うの。それに黒川くんが好きな歌手なら、きっといい歌だと私は思うわ」
「それならいいけど……」
「それよりも……」
「?」
「今、小野寺さんとすごく仲良さそうに話してたでしょ? もしかして、付き合い始めたの?」
「……はぁ」
有栖川さんは、他人の恋愛話を好むという変わった趣味があり、恋愛相談に乗ることもかなり多く、そのおかげで付き合うことができたという報告もあったと聞く。その一方で、過剰なまでにお節介を焼こうとしたり、詮索してきたりすることも多いので、彼女の行動は賛否両論のようだ。
彼女の詮索対象は俺も例外ではなく、少しでも女子生徒と会話しているところを見られれば、『好きなの?』とか、『付き合ってるの?』といったことをひっきりなしに聞いてくる。
そもそも俺が有栖川さんと知り合ったのは、図書委員の仕事をしている際、彼女から『村上さんと付き合ってるの?』と尋ねられたのが始まりだった。どうやら、俺が村上さんと会話している光景が彼女には恋人同士の会話に見えたらしい。どうやったらそこまで飛躍した考えに至れるのかと、内心突っ込みを入れたくなったのは言うまでもない。
それ以外の時にも色恋沙汰に関して詮索してくることが多かったため、失礼ながらうっとうしさを感じていた俺は、話題逸らしのために音楽の話題を持ち出した。それが功を奏し、それ以降は色恋沙汰の話を持ち出したら、すかさず他の話題で彼女の意識を逸らすようにしている。
「付き合ってないって。俺のことよりも、有栖川さんはどうなの? 好きな人とかいないの?」
「……私? う~ん……?」
だと言うのに、有栖川さんは自分の色恋沙汰にはまるで関心を示さない。いやむしろ、『自覚がない』と言うべきかもしれない。男子生徒からの人気は高いのだが、彼女はまるで理解しておらず、言ってしまっては悪いが『鈍感』なのだ。ある意味『高嶺の花』と形容できよう。
「まあいいや。じゃあ、暇な時にでも聴いてみて。返すのはいつでも大丈夫だから」
「うん、ありがとう。もし好きな人のことで相談したいことがあったら、いつでも言いに来てね」
「まあ、機会があればね」
そんな機会など訪れないだろうと思いながら、俺は有栖川さんの席をあとにし、自分の席へと戻った。同時に、ホームルームの開始を告げるチャイムが鳴り響いた。
二階堂くん、小野寺さん、有栖川さんと、ここまでは俺と同じクラスの人間だが、他クラスにも俺がゴマすりを行う人間はもちろんいる。
隣のクラスに所属する、
しかしながら、高桑くんは冗談を言って人を笑わせるのがうまく、さらに家が不動産屋を経営しているため、建築などの知識は非常に多い。
鴨田くんはクラス内での討論では積極的に意見を出し、同級生からの信頼が厚い。そして高桑くんと同じように、冗談好きな性格だ。
芹澤くんは他のふたりに比べて落ち着いた性格だが、実は行事のいたずらは彼がもっともたちの悪いことをするらしく、高桑くんも鴨田くんも手を焼かされることがあるようだった。ただ、彼は成績が学年10位以内の常連であり、運動神経もかなり良いので、女子生徒からの人気は結構高いと以前小耳に挟んだ。
「はい、前言ってたゲーム。笑えるとは言ったけど、クソゲーだから期待はあまりしないでね」
「サンキュー将ちゃん。いや、今まで将ちゃんの貸してくれたゲームが期待はずれだったことなんてないから、今回も期待するよ。仮にそうじゃなかったとしても別に文句は言わないしね」
昼休み。
いつもは二階堂くんととることの多い昼食だが、鴨田くんにゲームを貸すために、今日は3人ととっている。
俺が彼らと交流するきっかけは、1年生の時に行われた球技大会だった。
テニスを俺は選択したのだが、その際の対戦相手の3年生がろくでなしで、終始暴言を俺に吐き続けていた。憤りを感じながらも、俺は無視していたが。
試合には僅差ながら俺が勝ったものの、『負け惜しみ』という表現が可愛く思えるほどの暴言を相手は懲りずに吐き続け、さすがに俺も我慢の限界となった。
『ごちゃごちゃうるせえんだよ、クソが』
俺の言葉に相手は逆上し、タックルを仕掛けて俺を倒し、殴りかかろうとしたが、俺はその腕を掴んで三角絞めを極め、絞め落とした。先生の制止の声は聞こえていたが、そんなものは無視した。
失神したことを確認した俺は技を解除し、白目をむいて失神している相手の顔面に唾を吐きかけ、ラケットを先生に返却し、そのまま教室へ戻って鞄を取り、帰宅した。当然、次の試合は棄権した。
『そのままそこで這いつくばって死んどけ、カスが』
意外なことに、俺の行為は校内でほとんど噂にならなかった。恐らく、先生たちが変に広まらないように取り計らったのかもしれない。しかしながら、その話をどこで聞きつけたのか、俺にコンタクトを取ってきた人物がいた。
その人物が、3人――もっぱら彼らは『3バカ』と呼ばれているらしいが、そんな表現は使いたくないので『3人』とする――の内のひとり、芹澤一二三であった。
芹澤くんによると、俺と対戦した3年は体格の小さい人間やおとなしそうな人間にばかり因縁をつけていた奴だったらしく、彼はいつかぶっ飛ばしてやろうと思っていたそうだ。
しかし俺のやったことを聞きつけ、ざまあみろと思う気持ちと、ぜひとも倒した人間と交流してみたいという気持ちが高まり、いてもたってもいられなくなったという。
加えて彼は、俺と同じテニスを選択しており、俺が棄権していなければ対戦するはずの相手でもあった。
『もしよかったら、色々教えてくれないか! 黒川くん……いや、将ちゃん!』
『は、はぁ……』
『おい一二三、お前何やってんだよ! 明らかに困惑してるじゃねえか!』
『ごめん、黒川くん……だったっけ? こいつちょっと頭おかしいんだよ』
凄まじい勢いで話しかけてきたことや、いきなり『将ちゃん』と呼ぶという馴れ馴れしさに、かなりの不信感を抱いていた俺だった。高桑くんと鴨田くんのふたりも、慌てた様子で止めに入っていた。だが、見た感じ3人ともクラスの人気者という印象を俺は感じ、コネクションの形成にうってつけと判断した。
そして、今は昼を一緒に食べたり、ゲームや漫画を貸したりするなどの関係を形成するにまで至ったというわけだ。
結局高桑くんも鴨田くんも、芹澤くんに流される形で俺のことを『将ちゃん』と呼ぶようになっている。この呼ばれ方は個人的に嫌いではないので、特に訂正を求めることはしていない。俺の方は出会った頃と変わらず、3人とも名字に『くん』付けで呼んでいるが。
「そういえば将ちゃん、ひとつ聞きたいことがあるんだけど」
俺が3人と出会った経緯を思い返していると、芹澤くんが俺に質問をしてきた。
「将ちゃんのクラスに、二階堂って奴いるよな? そいつと将ちゃん、仲がいいって聞いたんだけど、本当か?」
「……えっ? まあ、仲がいいって言えるかどうかはちょっと分からないけど、クラスでは一番話すかな。昼もよく一緒に食べるしね」
芹澤くんと二階堂くんが、仲がいいという話は聞いたことがなく、ましてや会話をしている場面すら俺は目にしたことがない。それは他のふたりにも言えることだった。接点など少しもないと思っていたので、芹澤くんの質問に俺は驚いた。
「そっか……」
「……」
「……ふぅ」
俺の答えに生返事をする芹澤くん、俯く高桑くん、重々しく息を吐く鴨田くん。三者三様の反応だったが、物悲しい表情であることは全員が共通していた。
「実はあいつと俺たち、中学同じなんだ。ただ同じってだけじゃなくて、ダチだったんだよ……」
「だった、ってことはつまり……」
彼らの表情とその言葉から、決して好ましくない状況であることは容易に想像が付いた。
「まあ、俺たちはそうだとは思ってないけど、きっとあいつはそう思ってるだろうな……。全部、俺たちの責任だからな……」
「……」
「だから、あいつと仲良くできてる将ちゃんが羨ましくてさ……」
「……」
その後も昼休みの時間が終わるまで、3人とも『謝りたい』『どうしたもんかな』といった言葉を何度も繰り返していた。
一体何があったのかと尋ねれば、恐らく教えてくれたかもしれないが、あえて俺は何も聞かなかった。
これはいいことを聞いたかもしれない。
むしろ俺は経緯よりも、3人と二階堂くんの間に接点があり、現在はぎくしゃくしてしまっているという状況そのものに着目していた。
――うまくいけば、より大きなコネを作れるかもしれない。すぐに実行するのはさすがに白々しいから、しばらくしてからだ。
そんな考えを俺は頭の中で
俺は彼らにとって切実な問題でさえも、ゴマすりのための道具として利用しようとしていた。
この問題が俺にとって利用価値がないと判断していたなら、きっと俺は何かをしようとも思わなかっただろう。『どうなろうが知ったことか』と考えていただろう。
だって、俺は打算的に行動しているのだから。
この学園で誰かと交流するのは、全て打算的な目的意識を持って行っていることなのだから。