「…………」
適当に本の整理をしながら、図書委員の仕事をしているふりをする。
もう少しで図書室を閉める時間ということもあって、利用者は誰もおらず、今いるのは俺と村上さんのふたりだけだった。
「…………ふぅ」
――つまらなくなってきた。
俺は作業の手を止めて、カウンターに戻る。戻ってきた俺の気配を感じたのか、村上さんは本を読む手を止める。そしてなぜか勢いよく顔を上げた。
「あ、あのっ、黒川君! このあと、すっ、少しだけ、時間、いいでしょうか?」
そして顔を赤くし、やたらと上擦った声で俺にそう尋ねる。そういえば今日の村上さんは、作業が始まる前から様子がおかしかった。俺に何度もちらちらと視線をよこしたり、大きく息を吐く動作をしつこいくらいに繰り返したりしていたのだ。
「……? まあ、帰るだけだし、少しくらいなら大丈夫だけど」
何か俺に用事でもあるのだろうか。委員の仕事が他にあるわけでもないので、それの報告とは考えにくい。彼女に貸した本の返却にしても、ここ最近は彼女に本を貸していない上に、仮に貸していたとしてもいちいち時間があるかどうかを確認するようなものではない。
だが、変に詮索するのも好ましくはない。俺は彼女の意図は尋ねず、了承の意思を示した。
図書室の戸締りを済ませ、鍵を職員室に返却してから、俺は村上さんに中庭のある場所まで連れてこられた。そこは俺がよく利用していた、さらに黒川さんと初めて出会った、人目に付きにくいあの場所だった。
「……それで、どうしたの?」
正直早く帰りたかったので、俺は催促するように村上さんに告げる。
村上さんはわずかな間俯いていたが、やがて意を決したような表情に変わった。
「私は、黒川君のことが好きです」
そして間を空けずに彼女は言葉を発した。
それは、毛ほども予想していなかった、生涯無縁と思っていた、告白の言葉だった。
「――――はっ?」
彼女の告白に対して、まず俺から出た言葉がそれだった。
俺は彼女の言葉を理解するまでに、数分の時間を要した。予想外の出来事に、しばらくは口を半開きにして呆気にとられるままだった。
「……意外だね。村上さんは、二階堂くんのことが好きなんだと思っていたけど……」
肺に溜まった空気を大きく吐き、後頭部をかきながら、次にそんな言葉を俺は口にした。村上さんの告白に大きな疑問を感じたからだ。初めは冗談を言っているのかとも思ったが、村上さんはこんな冗談を言うような人間ではない上に、その真剣な表情からとてもそうとは判断できなかった。
「……えっ? ど、どうしてですか?」
しかし村上さんは俺の言葉に対してかなり不思議そうな表情をして、その理由を尋ねる。
「二階堂くんが図書室に来る度に、よく話していたと思うんだけどね。この前なんか、笑いながらすごく仲良さそうにしてたじゃない。体調が悪そうな二階堂くんに真っ先に声かけてたのも村上さんじゃないの」
『そのうち結ばれるのだろう』と考えてしまうほど、あの時の二階堂くんと村上さんは親しげに見えた。さらに人付き合いが苦手な村上さんが体調悪そうにしていた二階堂くんに真っ先に話しかけるなど、好きだからそうしたのだと考えるには十分な理由だった。
「そ、そんなに仲良さそうでしたか? 確かにあの時はそうですけど、凄く辛そうだったからですし……。二階堂君には申し訳ないですけど、そう思ったことはないですよ?」
何気に二階堂くんに対して
「俺の勘違いだったってわけか…………でも、何で俺なの? 二階堂くんはもちろんだけど、俺なんかよりいい人はたくさんいるよ?」
突っ込む代わりに、俺は至極まっとうな疑問を口にする。正直、俺なんかのどこに惚れたのか、全くと言っていいほど理解できなかった。
例に出した二階堂くんもそうだが、高桑くん、鴨田くん、芹澤くんなどの、俺には足元にも及ばない、しっかりした人間性の男子はたくさんいる。そういった人ではなく、なぜ俺なのだろうか。
「黒川君は、私にないものをたくさん持っているからです。友達も多いですし、自分の言いたいことをしっかり言えますし、人を気遣える優しさもあります」
「…………」
「私は、そんな黒川君のとても強くて、綺麗な心が好きになったんです。一緒にいられたら、私も少しだけ近づけるような気がするんです。言いたいことをしっかり言えて、人を気遣えるように……」
「…………」
――――言いたいことをしっかり言えて、人を気遣える、だって? 冗談も休み休み言ってくれ。
村上さんが口にした俺に対する印象は、まるで見当違いのものだった。視線を下にやり、軽く首を横に振って、呆れに似た感情が混じった息を鼻から吐き出す。
おまけに『強くて、綺麗な心』ときたものだ。こんな歪みまくって、どす黒く濁った心のどこがどう綺麗に見えるのか、理解に苦しむ。言葉の主が村上さんでなければ、きっと俺はげらげらと、薄汚く笑っていたことだろう。
「…………村上さん。俺のことなんか、好きになるべきじゃない」
薄汚く笑う代わりに、俺はやんわりと拒絶の言葉を口にした。しかしそれは拒絶と言うよりも、曖昧でどっちつかずではっきりとしない、くそったれなものだった。
「……ど、どうしてですか?」
「村上さんは、俺のことを『いい人』だとか、『優しい』なんて思っているみたいだけど、それは大きな間違いだよ。俺は断じてそんな人間じゃない」
「で、でも、みんな黒川君のことをそう思っていますよ? 望月さんですら、そう言っていますから」
「望月さん、ね……」
他の人間はともかく、普段から『女の子、女の子』と連発している彼女がそう言っているのなら、極めてその言葉の信憑性は高いと言えるだろう。だがそれは俺以外の男子なら当てはまるが、俺だけには決して当てはまらなかった。望月さんは、なかなかに鋭い感覚を持った人だと思うが、俺の本質を見抜くまでには至っていないらしい。
「……みんな、俺のことを分かっていない。いなさすぎるよ……。都合のいいところにしか、目が向いてない……。盲信だよ……そんなもん、盲信でしかないよ……。俺みたいな奴のどこに、そう思える要素があるってんだ……」
「……?」
空を仰ぎながら、自虐気味に俺は笑った。
今日の夕陽は、やたらまぶしく感じる。目が少し
「……俺は村上さんと付き合う資質なんてこれっぽっちもない。仮に付き合っても村上さんが後悔するだけだよ。悪いことは言わないから、俺のことは諦めたほうがいい。これから先、俺なんかよりずっといい人に会えるから」
視線を村上さんの元へ戻し、そう告げる。
だが俺の予想に反して、村上さんは引き下がろうとはしなかった。
「納得、できません……」
「……えっ?」
「……他に好きな人がいるとか、私のことが嫌いだってことなら、私は諦めます。でも、そんな言葉じゃ、私は諦めたくありません」
そう言う村上さんの表情は、先ほど以上に真剣なもので、今までに見たことのない『覚悟』とでも言うべきものが表れていた。
「二階堂君が言っていました。『黒川くんは、突き放すなんて馬鹿な真似して、何度拒絶しても逃げずに正面から向き合ってくれたし、何より俺のことを友達って言ってくれた』って」
「…………」
「だから私も逃げません。どんなことがあっても、後悔するつもりなんてありません。私が知らない黒川君を、知ってみたいんです。悩みがあったら支えになりたいんです」
「…………」
「それが、こ、恋……人……の、役目だって、思いますから……」
『恋人』という単語にはっとなって顔を赤くし、しどろもどろになりながらも村上さんははっきりと言い切った。
その言葉は村上さんのような人が言ったからということも関係しているが、嘘偽りのない強い意志があった。普通の男がこんなことを言われたなら、間違いなく狂喜乱舞するだろう。
だが、そんな意志も俺の本性を知ってしまえばあっさり崩壊してしまう。たとえ村上さんでも怒りをあらわにして、『消えちまえ、顔も見たくない』と罵倒するだろう。
そして何より、二階堂くんも俺に対してそんな感情を抱いていたことに、俺は『何でだよ』と思わずにはいられなかった。
あんな安っぽい言葉で俺を盲信なんかしてどうする。俺みたいな人間は一番裏があって危ない奴だと、何で少しも思わないんだ。
とは言え、村上さんに曖昧な返事をするわけにはいかなかった。彼女の決意には、俺も真摯な態度で応えなければならないのだ。
「……分かったよ。それなら、一週間でいいから考える時間を俺にくれないかな? 正直、今頭が混乱してるから、ちゃんとした答えを出せそうにないんだよ。必ず返事はするから、少しだけ待ってて欲しいんだ」
「……分かりました。それじゃあ、待っていますね」
「……ありがとう。じゃあ、今日は帰るから」
ただ、今すぐにそんな返答はできそうになかった。その場しのぎと時間稼ぎを兼ねた返事に対し、村上さんが了承したことに安堵しながら、俺は踵を返して家路へと歩を進めた。
「ちくしょう……どうすりゃいいんだよ……」
家路をしばらく歩いていると、先ほどまでの安堵は焦燥へと変わりつつあった。『必ず返事はする』と村上さんに言いはしたが、どのような返事をすればいいのか考えようにも、最善のものが思い浮かばなかったからだ。
『イエス』とは、もちろん答えられない。仮に俺が村上さんと付き合ったところで、どうせ馬脚を現して村上さんに嫌な思いをさせるだけの結果にしかならないことは目に見えている。
となれば『ノー』と答える選択肢しかなくなるが、その理由をどうすればいいか分からなかった。俺は村上さんのことが嫌いではない。むしろ、彼女の人間性を高く評価している。そんな彼女に『嫌い』と嘘を付いてまで拒絶したくはない。
――なら、俺の本性を話す? 駄目だ、もっと駄目だ。
そうなると残された方法はもはやこれひとつしか残っていないが、これは最も悪手だった。嫌な人間ならともかく、村上さんに、しかも能動的に俺の本性を明かすなんて、くたばりに行くようなものだ。
これは時谷さんに反抗した時とは違う。あれは受動的なものだった上、周囲からの反応が悪いものに変わる覚悟は出来ていた(もっとも、あの時は予想に反して影響は少なかったのだが)。
だが、今はそう覚悟できるような状況などではない。自分を『好き』と言ってくれた人に対して、自分のどす黒く濁った本性を余さず語り、嫌な思いをさせて罵倒される。一体何の拷問だ。
そうなれば対象が村上さんに限らず、誰であろうと俺のクズっぷりは他人に伝わり、俺は罵倒の波状攻撃に晒されるのだ。
俺の頭の中は混乱どころではない。台風でも発生したかのようにぐちゃぐちゃにこんがらがり、まともなことを考える余裕が瓦解していた。
あんな生き地獄はもう嫌だ。オモチャニサレタクナイ。
四方八方、敵は嫌だ。ダレカ、タスケテクレ。
――――俺は、どうすりゃいいんだよ!