誇り高き孤高の毒蛇   作:ROCKSTAR

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先月のレイドは、多くのものを失いながらも文緒を3枚確保しました。
しかしながら、そのせいで今月のナイトプール文緒を交換するためのダイヤがなくなってしまい、かなり苦しい状況……。

ミラクルを14回も回したのに、出たのはたったの1枚。しかも1回目で出て、それ以降はずっと外すという始末。
バッジで最終進展に必要な枚数分確保することはできますが、そのためには多くの犠牲が伴ってしまう……。

やはり推しを手に入れるためには、犠牲は付き物なのだろうか……。


たくさんの『初めて』(後編)

 

 

 

 翌々日の昼過ぎ。

 電車に揺られながら、私は聖櫻学園の最寄り駅――黒川君の家の最寄り駅と言い換えるべきか――へ向かっていた。

 

 登校日以外で黒川君に会うのは、これが初めてだ。街の本屋へ望月さんと向かった際に、格闘技の雑誌を読んでいた彼を見たことはあるが、彼が私たちに気付かなかったこと、彼の様子から判断して声をかけなかったため、あれを会ったうちに数えることは出来ないだろう。

 一昨日私は、『付き合ったのがお互いに初めてだということは、中々貴重な経験なのではないか』などということを考えていたが、付き合ってから初めてこうして学外で会うのもまた、経験した人が少ないのではないだろうか。

 

 

 

 

 駅に到着し、電車を降りると熱気に体が包まれる。

 7月も近い。夏休みもあと一月もしないところまで迫っていた。夏は多くのレジャー施設で賑わう季節でもある。海、山、プールなどはその代表例だろう。

 

「…………」

 

 今年の夏休みは、黒川君とどこかへ出かけることになるだろうか。山はともかく、海やプールに行くとなると……水着が必要になる。黒川君は、どんな水着が好きなのだろう。それ以前に、そうなると彼に水着姿を見せることになるという事実に、猛烈な気恥ずかしさが襲ってきた。

 

「……きゃっ!?」

 

 そんなことを考え、気恥ずかしさに俯きながら改札を抜けて進んでいくと、突然腕を掴まれた。思わずびくりと飛び跳ね、掴まれた腕の方へ視線を移すと――――。

 

「……改札通ったと思ったら、ずっと下向いてずんずん行っちゃうんじゃ、こうでもしないと駄目だと思うんだけど……」

 

 少しだけ不満そうな表情を浮かべた、黒川君の姿があった。

 

 

 

 

 

「ご、ごめんなさい……」

 

「い、いや、別に気にしてはいないけど……」

 

 周囲に誰もいなかったのは幸運だった。私のせいで黒川君が誤解を受けてしまったら大変だ。

 

「……そんなことより顔赤くなってるけど、大丈夫? 熱中症になってないよね?」

 

「い、いえっ、大丈夫です!」

 

 失礼なことをしてしまった謝罪をすると、黒川君は不満そうな表情を一変させ、心配するような表情でそんなことを聞いてきた。

 さすがに水着姿を見られることを想像して赤くなっていたと言える勇気はない。この調子では、どんな水着が好きか尋ねることもできそうにないので、しばらく日にちが経って落ち着いてからにしよう。

 

「そう? それならいいけど、無理はしないでね? ……それじゃあ、行こうか」

 

「あっ、はい」

 

 私の返答にとりあえず納得したのか、黒川君は家への進行方向と思われる道を指差して歩を進める。私もそれに遅れる形で歩を進め、彼の横に並んで歩き出した。

 

 

 

 

 

 

「……センスない格好で、ごめん」

 

「えっ? 何がですか?」

 

 しばらく歩いていると、唐突に黒川君がそんなことを言い出す。いったい何のことか分からず、聞き返してしまう。

 

「……俺の服。センスないでしょ?」

 

「そ、そうですか?」

 

 黒川君の服装は、Tシャツの上に麻の半袖シャツを羽織り、最近CMでよく目にする速乾性を謳ったズボンの組み合わせという、夏らしい涼しげなものだった。確か本屋で見かけたときも、これに近い格好をしていた気がする。別にセンスがないとは思わないのだが。

 

「情けない話だけど、俺って自分で服買うことほとんどないからさ。ジーパンも、高校生になってからめっきり穿かなくなったしね」

 

「…………」

 

 服の買い方というものは人それぞれだと思う。私は別に彼のスタイルにとやかく口出しをするつもりはないし、そもそもする権利もないと思う。

 私の持っている服だって、お母さんが買ったものが何着かあるのだから。

 

「それに引き換え、村上さんはちゃんとしてるね。いいと思うよ、その服」

 

「……そ、そうですか?」

 

 先ほどと同じようなことを尋ね返す私に、黒川君は無言で親指を立てる。

 今の私の服装は、黒のキャミソールに青のスカートという組み合わせだった。スカートはともかく、上はキャミソールだけなのは少しまずかったような気もする。黒川君はいいと言ってくれてはいるが、一枚何か羽織っておくべきだったかもしれない。

 

 

 

 

「……着いたよ。ここが俺の家」

 

 それからはお互いに話もなく、気付けば黒川君の家に着いていたようだった。彼のその言葉で、下に向いていた視線を上げる。

 

「……大きいですね」

 

「……そうかな? まあ、それなりに金は持ってるみたいだからね。いくら持ってるのかなんて聞いたことはないけど」

 

 『豪邸』と称するにはさすがに語弊がありそうだが、彼の家は結構大きな一戸建てだった。周囲の家と比較しても、なかなかに差がある。

 そんなことよりも、私は彼や彼のご両親などを除く、初めて彼の家に入る人間になるということを改めて実感し、緊張感が高まっていた。

 

「親父は仕事でまだ帰ってこないし、母ちゃんも単身赴任でいないからあんまり硬くならなくていいよ。自分の家みたいにくつろいでくれればいいからさ」

 

「で、でも……」

 

「さあ、入って入って」

 

 ポケットから鍵を取り出し、開錠してドアを開けた黒川君は、私の躊躇いなど意に介さず手招きしてくる。

 

「で、では……お邪魔します……」

 

 しかし、ここで佇んでいてもしょうがない。私は手招きする彼のもとへ向かった。足取りは、まるで侵入するかのようだった。

 

 

 

 

 

 

 中に入り、靴を脱いだ私は2階にある黒川君の部屋に案内された。先ほどの尻込みはどこへやら、いつの間にか期待に胸が高鳴っていた。

 

「大して綺麗な部屋じゃないけど……」

 

 そうぼやきながら、黒川君はドアを開ける。そこはまったく想像していなかった、驚きの光景が待っていた。

 

 壁に貼られたたくさんのポスター。アニメや漫画のキャラクターが描かれたものはもちろん、格闘技のものと思われるポスターも多かった。

 机の上に置かれた多くの人形。本当の名称は『フィギュア』だっただろうか。

 そして本棚には、様々な本が並べられていた。漫画やライトノベルを初めとして、アニメの情報誌、格闘技の雑誌や教本、植物や動物の図鑑などがあり、まさに『ごった煮』だった。もちろんいい意味でだ。

 

「すごい……」

 

 私の部屋とは全く異なる空間を目の当たりにして、思わず言葉が漏れる。今までは彼だけの領域だったこの部屋に入ることが出来ているということに、興奮が収まらなかった。

 

「すごい……のかな? かなりごちゃごちゃしてるし、机なんてフィギュアだらけで宿題とかするスペースもあんまりないんだけどね……」

 

「そ、そんなことないと思います。これなんて可愛いじゃないです……か……」

 

 あまり考えずに指を差した先にあったのは、水着姿の大きな――20cm以上はあるだろうか――フィギュアだった。胸、お腹、太ももなどが強調されたデザインを見て、顔が熱くなった。そんな私とは対照的に、赤い髪をしたフィギュアの女の子は、白い歯を見せて笑顔を振りまいていた。

 

「ああ、いいチョイスだね。1週間前に買ったやつだけど、俺も一番気に入ってるかな? 1万円越えだったけど、損したとは全く思わないね」

 

「い、いちまん……って、そんなにするんですか!?」

 

 黒川君はさらっと口にしたが、その値段に私は驚きを隠せない。彼の部屋にあるフィギュアはこのひとつだけではない。大きさの差異こそあれど、適当に数えても数十は確認できる。そう考えると、かなりお金がかかっていることは間違いなかった。

 

「以前はもっと安かったんだけどね。このくらいの大きさでも7千円前後だったんだけど……。まあ、その分クオリティもかなり上がってるから、そんなに文句を付けようとは思わないけど」

 

「……そうなんですね」

 

「うん。……そんなことより何かつまめる物と飲み物用意しないとね。麦茶とドライフルーツって、村上さんは大丈夫?」

 

「あっ、はい。好きですよ」

 

「それならよかった。それじゃあ、少し待ってて。その辺りにあるクッション、適当に使って座ってていいから」

 

 そう言って黒川君は部屋をあとにし、私だけが残る。『お構いなく』と言っておくべきだっただろうか。

 

 

 

 

「…………」

 

 気付けば私は、先ほどのフィギュアを凝視していた。

 私はフィギュアがどのようにして作られているのかは全く知らないが、色塗りのはみ出しやムラが見受けられないことや、爪にまで綺麗に色が塗られているところを見るに、完成度が高いことは容易に理解できた。

 

「……そのフィギュア、気に入った?」

「……きゃっ!?」

 

 ずっと見ていたせいで、黒川君が戻ってきたことに全く気が付かなかったらしい。彼の言葉を耳にして、思わず飛び上がってしまった。――今日は、驚いてばかりだ。

 

「いっそのこと村上さんもフィギュア買ってみたら? おすすめのやつを教えることならできるけど……」

 

「え、えっと……考えておきます……」

 

 正直に告白すると、私はフィギュアに興味を持ってしまっていた。とはいえ、1体でもかなりの高額であることから、気軽に手が出せるものではない。なので、今は曖昧な返答をすることしかできなかった。

 

「このタイプなら4~5千円だから、比較的買いやすいんじゃないかな? 店にもよるけど、値崩れして安くなってるのもあるからね」

 

 そう言って黒川君は、机の上に置いてある小さなフィギュアを手に取る。2頭身ほどのデフォルメされたもので、小さいとは言っても普通のフィギュアに比べてであり、大きさはそれなりにあった。

 

「まあ、今すぐ買えって強要するつもりはないし、本当に欲しいと思ったら買えばいいと思うよ。安くはないからね」

 

「……そうですね」

 

「そんなことより、これ食べれる?」

 

 黒川君は、テーブルに置かれたトレーを指差す。そこには大きなピッチャーに入った麦茶と、氷の入ったガラスコップがふたつ、そしてお皿には2種類のドライフルーツがあった。

 

「これは……イチジク、ですよね? でも、この茶色いのは分からないです……」

 

「村上さんは、デーツ……ナツメヤシって言った方がいいのかな? ……その名前、聞いたことある?」

 

「……あっ、そういえば」

 

 以前世界史の授業の際、その名前を聞いたことを思い出す。中東や北アフリカなどでよく食べられていて、『神が与えた食べ物』とも言われていると聞いたことも思い出した。

 全く興味がなかったわけではないが、『多分手に入らないだろう』と思っていたためにさほど強く記憶に残っていたわけではなかった。まさか、黒川君の家でお目にかかることができるとは。

 

「かなり甘いから、好みが分かれるかもしれないけど……口に合わなかったら吐き出してもいいからさ」

 

 黒川君はピッチャーの麦茶をコップに注ぎ、私に差し出す。それを私が受け取ると同時に、デーツをひと粒つまんで口に入れた。

 初めて口にするものではあるが、甘いものが好きな私なら恐らく大丈夫だとは思う。当たり前の話だが、仮に口に合わなかったとしても吐き出すようなことをするつもりはない。

 

「じゃあ、いただきます……」

 

 意を決してひと粒を手に取り、口に入れて咀嚼する。

 

「……!」

 

 初めに感じたのは、濃い甘さ。しかしながら、砂糖菓子のようにぎとついた甘さではなく、口の中がべたつかない。加えて、『旨み』とでも形容できる味わい深さも感じられる。

 気が付けば私は、中に入った種を口から出すと、無意識にもうひと粒を取って咀嚼していた。

 

「……気に入ってくれてよかった」

 

「……あっ、ご、ごめんなさい。すごく美味しかったので……」

 

 ふたつ目を飲み込んだと同時に、黒川君は満足そうに呟く。

 まずい。意地の張った食べ方をしてしまった。

 

「それなら、イチジクも大丈夫かな? よかったらそれも食べてみて」

 

 勧められるままに、イチジクのほうも口にする。

 これも非常に美味しかった。スーパーの果物売り場などで売っている生のものとは大きく印象が異なり、独特の香りもなく食べやすい。さらに種――後から聞いた話だが、実際には種ではなく実らしい――のぷちぷちとした食感も癖になる。

 

 気付けば私は、このふたつのドライフルーツの虜になっていた。

 ただ、さすがに食べ続けると口の中がべたついてくるので、麦茶で口の中を潤わせ、糖分を洗い流す。

 

「……あら?」

 

 飲んでみて分かったが、今まで飲んだ麦茶とは大分違う。渋みは全くなく、風味と香りが引き立っている。加えてのど越しもいい。

 

「その様子なら、味の違いに気付いたかな? 村上さんも敏感みたいだね」

 

 私の反応に、黒川君はにやりと笑みを浮かべた。

 

「何か、特別な麦茶なんですか?」

 

 この麦茶といい、ドライフルーツといい、いいものばかりご馳走になってしまっている。近いうちに何かお礼をしないといけない。

 

「いや、麦茶自体はどこにでも売ってる普通のやつ。でも、水は天然水を使ってる」

 

「まあ……」

 

 さすがのこだわりようだ。お茶に限った話ではなく、料理を作る際にも水は大事だ。少し前に見たテレビ番組でも、出汁を取るのには天然水がいい、といったことが放送されていた。

 

「それも店で買ったものじゃなくて、汲んできた」

 

「えっ……えっ!?」

 

 黒川君の口から飛び出した全く持って予想外の言葉に、思わず私は2度聞き返してしまった。

 『汲んできた』とは。まさかこの辺りに湧き水が出る場所があるということだろうか。そんな場所は山奥にでも行かないとないと思っていたので、驚きは非常に大きかった。

 聞けば、最寄り駅からいくつか電車を乗り継いだ先の駅のすぐ近くに山があり、その麓に湧き水が出ている場所があるとのことだった。無料で汲むことができるため、汲みに来る人が後を絶たず、大きなポリタンクを持って汲みに来る人もいるそうだ。

 黒川君もそのひとりで、週に2回くらいのペースで汲みに行くそうだ。一度に10リットル前後は汲むが、2~3日でなくなってしまうらしい。

 

「でもそれだと、交通費がすごくかかりませんか?」

 

「それが嫌だから自転車こいで行ってるよ。片道で1時間近くかかるし疲れるけど、好きでやってることだから面倒には感じないかな。運動する名目にもなるしね」

 

「……すごいですね。……黒川君は、本当に何でも知ってるんですね」

 

「……前にも言ったけど、ただ物好きなだけだよ。水を汲む人が多いとは言っても、俺くらいの年の人なんてひとりもいないからね」

 

「…………」

 

 私はただ、驚嘆するばかりで言葉が出なかった。

 黒川君の家に来て、彼は多くのことに対して造詣が深いことを改めて私は実感した。1時間近く自転車をこいで水を汲むということをここまで定期的に行えるというのは、本当に好きだからこそ成せることだろう。以前も同じことを考えたが、物好きなことはいいことだと私は思う。

 

 

 

 

「……村上さんはさ、つまらなくない?」

 

 だがそんな私に向けて黒川君は意外な言葉を口にする。少しだけ困ったような、悲しんでいるような、どちらとも取れる表情で。

 

「……えっ? どういうことですか?」

 

「水にしても、ドライフルーツにしても、フィギュアにしてもそうだけど、どれも村上さんは興味がそこまでなかったものでしょ? そんなことをぺらぺら得意げに話されても、ちんぷんかんぷんでつまらないだけなんじゃないか、ってね……」

 

「…………」

 

「俺ってさ、自分の趣味を他の人にひけらかすって言えばいいのかな……とにかく、話したがる癖があってさ……。高校からはほとんどしてないけど、中学まではそういうことばかりして、空回りすることも多かったから」

 

「…………」

 

「『俺は何もしてねえよ』って思いたいけど、いじめの原因はこれでうざがられたことなんじゃないかなって、たまに思うからさ……」

 

 

 

 

「そんなこと、ありませんよ」

 

 俯きながら言葉を漏らす彼の手を取り、私ははっきりと言い切った。

 

「つまらないなんて、少しも思っていませんよ。むしろ、すごく興味が湧いてるんです」

 

「……そうなの?」

 

「はい。私は読書くらいしか趣味って言えるものがないですから、他にも何か趣味ができたらいいな、って思ってたんです」

 

「…………」

 

「黒川君の趣味を、私も好きになりたいです。色々なことで黒川君と話せるようになりたいんです。だから、心配しなくても大丈夫ですからね」

 

 私が興味を持てたのは、黒川君の説明の上手さも関係していると思う。フィギュアの場合は値段や完成度の変遷、ドライフルーツの場合は歴史的背景、湧き水の場合はどうやって汲みに行っているのかといった、引き込ませるエピソードを話に組み込んでいる。

 黒川君の言うように、いずれも興味がなかったものなのは間違いないが、彼の話はそれを興味深いものへと変えてくれた。

 

「そう言ってくれるなら、ありがたいんだけど…………」

 

 私の言葉に、黒川君は頬をかき、視線を逸らしながら呟いた。何か気まずそうなものが感じられるその表情に、何かまずいことでも言ってしまったのだろうかと少し不安になる。

 

「……まあいいや。ありがとう、村上さん」

 

 しかしすぐ表情は元に戻り、感謝の言葉を私に述べた。

 何であんな表情になっていたのか気になるが、変に尋ねるのも野暮というものだろう。

 

 

 

 

「おーい将平。帰ってるか? 入るぞ」

 

 そんな中、別の人の声が部屋の外から聞こえた。黒川君の名前を呼んでいたことから、恐らく彼のお父さんだろうか。

 

「なっ!? おい、ちょっと待ってくれ!」

 

 それに黒川君はかなり驚き、慌てた様子で制止の言葉をかけるが、それは届くことなく、ドアはガチャリと音を立てて開かれた。

 

「石鹸ってどこにしまってた…………っけ?」

 

「…………」

 

「あ、お、お邪魔してます……」

 

 三者三様の反応だった。ぽかんとした表情の黒川君のお父さん、がっくりと項垂れる黒川君、お父さんに会釈する私。

 それからしばらくは、沈黙が続いた。

 

「……将平、ちょっと来い」

 

 最初に沈黙を破ったのは、黒川君のお父さんだった。黒川君に手招きし、自分のところへ来るように促す。

 

「……はぁ。村上さん、ちょっと待ってて」

 

 大きくため息をついて腰を上げた黒川君は、私にそう告げると部屋を出て行った。ドアが閉まり、再び静寂が訪れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「な、ななな、何がどうなってるんだ!? あのめちゃくちゃ可愛い子は誰なんだ将平!?」

 

「彼女だよ! 文句あるか!?」

 

「か、彼女!? 『一生独身で過ごす』って言ってたのにか?」

 

「それ幼稚園の時に言ってた言葉じゃねえか! そもそも、何でこんな早く帰ってきてるんだよ……」

 

「思ってた以上に早く終わってな。明日は休みだし、少しはぐうたらしたいから早く帰ってきたんだ」

 

「まあ、早く帰ってくるのはいいけど、いいとも言ってないのに部屋のドア開けんなよ……」

 

 最悪という言葉は、まさにこういった状況に対して使うべきだろう。いずれ親に顔を合わせることになるのだろうと考えてはいたが、まさか初日にこんな巡り会わせをしてしまうとは全く予想していなかった。

 

「それにしたって、好きな女がいるなんて素振り全く見せてなかったじゃないか」

 

「……向こうから告白してきたんだよ」

 

「……本当か? そりゃすごいな……」

 

 からかわれるかと思ったが、父親は素直に感心しているようだった。まあ、そこまで空気の読めないことをする人間ではないので、そこまで驚きはしないが。

 

「それで、どんな子なんだ? 見た感じおしとやかそうだけど……」

 

「分かった。飯の時に好きなだけ話してやるから、今はそっとしてくれ……。あと、石鹸は洗面所の一番上の棚にあるから」

 

 村上さんを部屋に残したまま、父親といつまでも話してるわけにはいかない。部屋に入る際に言っていた石鹸のありかを教えると、俺は父親を押し出して部屋から遠ざけた。

 

「とりあえず将平、また連れてこい」

 

 最後に父親はそんなことをのたまった。

 

「言われなくてもそのつもりだよ。でもしばらくは親父に会わせることはしないからな。何しでかすか分からねえんだから……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日も沈みかけてきたので、私は帰る旨を黒川君に伝えた。すると駅まで送ってくれるとのことだったので、お言葉に甘えることにした。

 

「ありがとうございます。送ってもらっちゃって」

 

「まあ、このくらいはしておかないとね」

 

 他の人が聞けば、義務感からそうしたように聞こえる言葉ではあるが、私にはそうは思えない。黒川君は、自分から進んで送ってくれると言っていたのだから。

 

「……すごく、楽しかったです。黒川君のことを、たくさん知ることもできて」

 

「……俺も、すごく楽しかったよ」

 

「えっ?」

 

「今まで俺は、誰かを家に連れてく――いや、それどころか、家の場所だって絶対教えない、って決めてた。だけど、今日村上さんに来てもらって、色々と考えも変わった気がするからさ」

 

「……友達も呼べたらいいですね」

 

「……そうだね。今はまだ、村上さんしか呼びたい人はいないし、友達って呼べる人間もいないけど」

 

 今は、彼の色々なことを知っているのは私だけという独占欲に浸っているが、それがいつまでも続くのは好ましいことではない。彼にはもっと多くの信頼できる人ができて然るべきだ。

 ただ、それでもふたりだけの時は――――。

 

「あのっ、黒川君」

 

「……ん?」

 

「明日は、何か予定ってありますか?」

 

「いや、何もないけど……?」

 

「そ、それなら、また明日、来てもいいですか?」

 

「……えっ?」

 

 ふたりだけの時は、独占したっていいだろう。多少強引な気もするが、尻込みしてばかりの自分の性格を少しでも変えるためでもあると言い訳することにした。

 

「……俺は大歓迎なんだけど、明日は親父も休みだからな……」

 

「そうですか……」

 

 仲が悪いということではないと思うが、扉越しに黒川君と彼のお父さんとの会話を聞いた限りでは、私をお父さんに会わせたくないようだった。

 私は何も問題はないし、気恥ずかしさが黒川君にあるだけなのかもしれないが、変に詮索するのもよくないだろう。

 

「それなら、湧き水のところに行ってみない?」

 

「湧き水って……あの麦茶の?」

 

 しばらく考えるような仕草をしていた黒川君は、私にそう提案してきた。

 

「……出かける場所としてはあまりにも場違いなのは承知してるけど、映画は何がやってるのか知らないし、ゲームセンターってのもなんか違う気がするから、どうせならありきたりじゃない場所がいいかなって思ったんだけど……」

 

「……はい、行ってみたいです」

 

「もし嫌だったら忘れて……って、いいの?」

 

 私の返答に、黒川君はかなり驚いた表情を見せた。彼は断られると思っていたのかもしれないが、そんなことはない。彼と趣味を共有できるようになりたいと思う私にとって、その誘いは願ってもないことだった。そういった場所にはほとんど行ったこともないため、期待値も高かった。

 

「……そっか。じゃあ今日と同じくらいの時間に駅集合でいいかな? 改札通ると余計に金かかっちゃうから、着いたら連絡してくれればいいから」

 

「はい、分かりました。気を遣ってくれて、ありがとうございます」

 

「いや、いずれにしても電車降りないといけないから、面倒なことをさせちゃってるんだけどね……でも、行き違いになるのは何か嫌だからさ……」

 

「いえ、気にしないでくださいね」

 

「…………」

 

 私がそう答えると、黒川君は空を仰ぎ見て、しばらくの間無言で佇んでいた。

 

「……村上さん。俺は他の男と違ってかなり変わり者だけど、これからもよろしくね」

 

 そして、私の方に視線を戻し、大きく息を吐いた後にそう言った。今日一番の、満足した笑みを見せながら。

 

「……はい!」

 

 今日は本当に素晴らしい一日だったと、心から思うことができた。こんな日が、ずっと続いてほしい。

 

 

 

 




プロットを考えるのはそれほど難しくなくても、それを説得力のある文章に表現するのは難しい。

自分の文章に説得力があるかは分からないが、それでも書き終わったときの達成感は何物にも代え難い。
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