誇り高き孤高の毒蛇   作:ROCKSTAR

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湧き水汲み

 

 

 

 

「…………」

 

 昨日もそうだが、今日はすっきりとした目覚めだった。まるで今までの寝起きの悪さなど、初めからなかったかのように感じられるほどに。

 

 村上さんと約束した時間まで、まだかなりあるが、余裕を持っておくに越したことはない。俺は身体をベッドから起こし、ダイニングへと向かった。

 

 

 

 

 

 

「珍しいな、こんな早い時間に」

 

 ダイニングでは、すでに起きていた父親がニュース番組を見ながら朝食をとっていた。昨日は『ぐうたらしたい』と言っていた割に規則正しい生活リズムを維持していることは、俺も見習わないといけないだろう。

 

「今日はちょっと予定があるからね。時間まではまだあるけど、早く起きれたならそれに越したことはないし」

 

「もしかして、昨日の()……村上さんだったか? その娘とデートか。羨ましいな、まったく」

 

「……母ちゃんに言っちまうぞ、今の言葉」

 

「冗談だ。それで、どこに行くつもりなんだ?」

 

「……湧き水のところだけど」

 

「…………それ、本気で言ってるのか?」

 

 こういう反応をされることは察しが付いていた。目をぱちくりさせながら、半ば呆れた表情の反応は、多分父親以外の人間もしたに違いない。母親はまだ分かってくれそうな気もするが。

 

「しょうがないだろ……俺の性格考えたら、映画館とか服屋とは無縁だってことぐらい分かるだろうが……」

 

「まあ、それがお前のいいところでもあると思うけどな、俺は」

 

 ため息をつきながらぼやいた俺に対し、父親は表情を嬉しそうなものに一変させる。

 

「俺は女じゃないから知ったような口は利けないけど、俺が女だったら映画館とかのようなありきたりな場所より、そういうところの方がずっと行ってみたいと思うけどな」

 

「…………」

 

「それに村上さんも、嫌な顔をしたわけじゃないんだろう?」

 

「……まあね。『行ってみたい』とは言ってくれたけど」

 

「それなら何も問題はないな。悪かったな、変なこと言って」

 

「いや、別に謝る必要はないと思うけど……」

 

 変なところで気が利くというか、しっかりしているというか。俺の考えを妙に立ててくれるのはありがたいと言えばありがたいが、客観的に見れば出かける場所にはふさわしいものとは言いがたいのは間違いないので、謝られる義理まではない。

 

「それに将平。お前のここまで生き生きとした表情を久しぶりに見れて、俺は本当に嬉しいよ」

 

「…………」

 

「村上さんは、本当にすごい娘なんだな。俺や母さんがそれをできなかったのは歯がゆいと言えば歯がゆいけど、それでも本当に良かった。何も話を聞けなかったから、お前が高校でどんな生活をしてるのか心配だったけど、杞憂だってことが分かったからな」

 

「……別に、親父や母ちゃんを信用してないわけじゃないよ。正直俺も、変に溜め込みすぎてたなとは思ってたし」

 

 俺が両親に高校生活の現状を相談できなかったのは、学内の人間のように信用していなかったからと言うよりは、これ以上俺の尻拭いをさせたくなかったからというのが大きかった。

 学費などはともかく、柔術の会費や嗜好費などで、俺は両親からかなり恵んでもらっている。それらに加え、進学予定の高校入学が取り消された際、聖櫻の方へ入学することができたのは間違いなく両親が奔走してくれたからだろう。

 それで信用しないという考えに至るほど、俺は薄情者にはなりたくなかった。

 だが、それで厭世観(えんせいかん)に浸り続けるというのは正直もうごめんだ。やばいと思ったら、多少は相談する方が息苦しくない。

 

「……前も言ったけど、何かあったら遠慮しないで言え。子供の悩みも分かってやれないようじゃ、親の資格なんてないからな」

 

「……ありがとうね」

 

 昨日はあんなことを言ってしまったが、父親に村上さんを会わせても問題はないだろうか。それなら単身赴任に行く前に、一度くらいは――――。

 

「……そんなことより、いつになったらまた家に連れて来るんだ? 早く話がしてみたいんだよ」

 

 ……前言撤回。やはり父親は父親だった。

 子供のように目を輝かせながらそんなことをのたまってきた。

 

「……少なくとも単身赴任から帰ってくるまでは、親父には会わせない」

 

「な、何でだ!?」

 

「昨日も言っただろ。何しでかすか分からない。親父よりはまだ母ちゃんの方がまともな対応してくれるよ」

 

「くそっ……くそっ……そんなに信用されていないのか、俺は……」

 

 頭を抱えてテーブルに突っ伏し、嘆く父親だった。

 ……まあ、とりあえず会わせるか否かは、少し考えることにしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 電車を何本か乗り継ぎ、湧き水が出る場所の最寄り駅に私と黒川君は降り立った。改札を抜けて少し歩くと、果樹のものと思わしき畑が数多くある。都内らしからぬのどかな光景を目の当たりにして、爽やかな気分になる。

 

「この辺りは梨が有名な地域なんだよ。ここで作られた品種もあるしね」

 

「そうなんですね」

 

 梨は好きな果物だ。そのまま食べるのはもちろんだが、何年か前に食べた梨のケーキがとても美味しかったことを思い出す。

 たくさんの品種があり、品種ごとの味の違いを楽しめることも魅力のひとつだと思う。私が知っているのは、幸水(こうすい)豊水(ほうすい)二十世紀(にじっせいき)などの一般的な品種くらいだが。

 

「もうすぐで着くよ」

 

 しばらく歩いていくと、黒川君がそう言うと同時に川が見えてきた。川を挟んで右側には、今日の山においてよく見かける針葉樹が植えられた林ではなく、多種多様な広葉樹が見られる、文字通り『雑木林』があった。見渡した感じでは、どうやら山になっているらしい。

 

「いいところですね……」

 

 川の方も視界に入れたところで、私は思わずそう呟いた。住宅街を流れる川は、基本的にコンクリートで固められて川岸と呼べるものがない場合が多いが、この川は砂利の川岸があり、アシなどの水辺に生える植物もたくさんあった。

 

「カワセミもよく飛んでくるから、水質もいいんだろうね」

 

 さらに上流側に目をやると、腰を下ろせるコンクリートのスペースもあった。これからの時期は暑くなるのでさすがに難しそうだが、涼しい時期に読書をするには最適の場所かもしれない。穏やかな川の流れを視界に時々入れながら読書をすることを想像したら、気持ちが高揚してきた。

 湧き水の有無に関係なく、私はここが気に入った。

 

「ほら、ここがそう。他に汲みに来てる人もいないみたいだし、ちょうどよかった」

 

 黒川君の言葉に視線を川の方から移すと、そこにはテレビでしか見たことのなかった光景が広がっていた。

 岩に刺さったパイプから、勢いは強くないが透明な水が流れ続けている。初めからこんな状態ではなかっただろうから、水源を整備しているのだろう。水のおかげか、それとも太陽を遮る雑木林のおかげか、かなり涼しい。暑い時に涼むには絶好の場所と言える、まさに自然のクーラーが効いていた。腰を下ろせるベンチでもあれば読書が捗るのに、と考えてしまうのはさすがに贅沢だろうか。

 

「あ~、くそ暑い」

 

 そうぼやきながら、黒川君は背負っていたリュックサックを下ろし、ファスナーを開けてタオルを取り出し首にかけると、湧き水の方まで歩を進める。流れる水を手に取り、勢いよく顔を洗った。続けざまに、手に取った水をごくごくと飲み始める。

 

「あ~、生き返る」

 

 タオルで顔を拭いて呟く黒川君の表情は、学園内では見たことのない、非常に生き生きとしたものだった。

 

「……普段はこんな独り言を言うことはないんだけど、他の人と一緒に来たのは初めてだから、ついテンション上がっちゃってさ……」

 

 その様子がずっと見られていたことに気まずさを感じたのか、黒川君は弁明するように言葉を発した。

 『弁明』と言いはしたが、私は今の行動が気まずくなるようなものとは全く思わないし、むしろ黒川君の生き生きとした表情が見られて嬉しかった。

 

「その水って、そのまま飲めるんですか?」

 

 なので私は、話を逸らす意味も込めてそう尋ねた。見た感じでは湧き出たばかりの水であること、黒川君は躊躇うことなく飲んでいたことから全く問題はなさそうだが。

 

「……ああ、立て看板には『煮沸しろ』って書かれてるけど、俺は完全無視してるね。1年以上そのまま飲んでるけど、死んでないし、腹を下したことも1度もないからね。あくまでも、そのまま飲んで腹下しても責任は持てないってことなんだと思う」

 

「そうなんですね。それじゃあ……」

 

 私も黒川君に倣い、湧き水の方まで歩を進め、手にとって口に含む。その時点で、水単体で飲むことがあまりない私でも、水道水との違いがはっきりと分かった。

 消毒に使う塩素の臭いがしないことはもちろんだが、まろやかさというか、『甘さ』とでも表現できそうな『味』があった。お茶や料理に適しているであろうことはもちろんながら、そのまま飲んでも美味しいと言える。

 

「こんな素敵なところがあったんですね……」

 

 私は改めて周囲を見渡しながら、しみじみと呟く。自分の行動に対して『しみじみ』という表現を使うのは、少しおかしな気もするが。

 

「……気に入ってもらえたってことで、いいのかな?」

 

「はい、とても。私だけだったら、こういう場所があるってことにも気付かなかったでしょうから」

 

 少しばかり不安そうに尋ねる黒川君だったが、その心配は無用なものであるということの証明のため、私は間を空けずに言葉を返した。

 

「それならよかった。さて……」

 

 安堵の表情を浮かべた黒川君は、下ろしたリュックサックの口を開けると、中から空のペットボトルを4本取り出し、湧き水をそれに注ぎ始めた。全てに水が満ちると、リュックサックの中へしまって背負う。

 

「……重くないですか、それ?」

 

 4本とは言っても、2リットルのペットボトルなので、全てに水が満ちれば重さはかなりのものとなる。黒川君はあまり大変そうな表情をしていないが、それでも少し心配になる。

 

「正直言って重いよ。いつもは自転車のかごに入れて帰るから大した苦労はしないけど、今回は電車だからね。でも普段は6本分持ち帰るわけだし、そこまで気にしなくても大丈夫だから」

 

「……それでしたら、1本は持たせてください」

 

 力のない私では、持てても1本が限度だろう。しかし、彼にだけ重いものを背負わせておくというのはいい気分ではない。1本でも持てば負担はそれなりに軽くすることができるはずだ。

 黒川君の性格上断ってきそうにも思えるが、そうなったとしても食い下がろうと思う。

 

「……それなら、お願いしようかな」

 

 しかし私の予想とは裏腹に、黒川君はあっさり私の申し出を受け入れてくれた。

 

「じゃあこれは、村上さんにあげるよ」

 

 リュックサックから1本取り出し、そう言いながら私に差し出す。

 

「これなら村上さんに持ってもらう理由にはなりそうだからね。それにせっかく来たのに何も収穫なしってのも寂しいし。これがお土産って言えるかはかなり微妙だけど」

 

「いえ、そんなことはありません。大切に使いますね」

 

「……まあ、俺より村上さんの方が上手く使いそうだね。俺はそのまま飲むか、お茶用にしか使わないから」

 

 黒川君はそんなことを言うが、料理をほとんどしない私にとってこの水の使い道は、彼と同じようにそのまま飲むかお茶に使うかの二択になってしまうだろう。使い方が上手いのは、お母さんの方だと思う。

 

「……あっ」

 

 お母さんのことを考えていて思い出すことになったが、私はまだ両親に黒川君と付き合ったことを話していない。彼のことを何度か話したことはあるが、それでも名前を出しはせず、『同じ委員の男子』という感じで濁して話していた。

 話を聞いていた両親からは、黒川君の評価はいいものだったので(以前お母さんは『付き合ってみたら?』と言ってきたことがある)、付き合ったことを報告しても変なことは言われないと思う。

 

 とは言え、気恥ずかしさは非常に強かった。何とか受動的に気付く形になってくれないだろうかとも思うが、この水を持ち帰ったら、そこから話が展開されて(いや)(おう)でも話さなければいけなくなってしまうに違いない。ただ、それを避けるためにこの水を『やっぱりいらない』と言って返してしまうのは、黒川君にも失礼だ。

 ここは往生際の悪い真似をするべきではない。恥ずかしさに負けてばかりいるようでは、黒川君の支えになるという思いに嘘をつくことになってしまうのだから。

 

「……どうしたの、顔赤くして?」

 

「い、いえっ! 何でもありません!」

 

 ひとりで勝手に恥ずかしがっている私に当然の疑問を投げかけてきた黒川君へ、私は大きく首を振って誤魔化した。

 

 

 

 

 

 

 その後私は黒川君に連れられ、川沿いの道を進んだ先にあるショッピングモールへと赴き、本屋で本を買ったり、喫茶店でお茶を飲んだりして時間を過ごした。

 帰りの電車で別れる際も、彼は私の姿が見えなくなるまで駅のホームに立って見送ってくれていた。

 

 

 

 

 余談だが、水の入ったペットボトルは私の小さい鞄に入らないため、ずっと抱きかかえることになったせいで周囲からの視線に晒されたり、案の定水を見つけた両親に黒川君のことを話すことになり、しつこいくらいに『連れてきなさい』と言われたりして、私は予想以上の恥ずかしさに襲われることになった。

 それでも、今日は昨日とはまた違う方向性でいい日だった。知らないことを知ることが出来たという意味では共通するが、気分が高揚し続けた昨日とは対照的に、今日は心が穏やかになった日だった。

 二日連続でこんな経験ができるのは、贅沢だとも感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もちろん、俺は忘れてなどいない。彼女と共にたくさんのことを経験できたからといって、あいつに対する復讐心を忘れられるような聖人君子ではないのだ。

 

 死んでもあいつは叩き潰す。

 俺の報復攻撃(ホウフクコウゲキ)が、これから始まる。

 

 

 

 

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