誇り高き孤高の毒蛇   作:ROCKSTAR

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変わらない考えと改めた考え

 

 

 

 

 今日に至るまで、俺は多くの人間にゴマすりを行ってきた。しかし、そんなことをしようとも思わない人間――つまりは、嫌悪感を抱いている人間――も、少なからずいた。

 

 

 

 

 

 

 親が作る弁当を持って行くのが、俺の学校生活における昼食の基本だったが、今日は父親が朝早くに出勤したために用意することができず、かなり久しぶりに購買を利用することになった。

 

 ちなみに母親がいないわけではない。他県に単身赴任中だ。俺の両親は聖櫻学園(せいおうがくえん)――通っている高校の名だ――に俺が入学してから、交代で単身赴任するというスタンスを取るようになった。今は父親が家にいるが、夏になると母親と入れ替わる形で他県へ単身赴任する。父親の赴任期間は冬の始めまでということになってはいるが、その後母親がまた交代で単身赴任するのかは分からない。このスタンスが長期的に続くのか、それとも今年度限りなのかも俺は知らないし、別に興味があるわけでもないので親にも特に聞いていない。

 

 購買は結構混んでいたので、買えるかどうか不安だったが、それでも何とか焼きそばパン、クリームパンといった好みのパンを手に入れることができ、今は教室へと戻るところだった。

 隣のC組の扉を横切ろうとした矢先、俺はとある女子生徒とぶつかった。

 

「いてっ」

「いたっ」

 

 ぶつかった衝撃で、手に持っていたパンや飲み物が落ちる。開封はしていなかったので、中身がぶちまけられるということはなかったのが幸いと言うべきか。

 

「ちょっと、何のつもりなのかしら…………っ!?」

 

 ぶつかった女子生徒は、かなり不満そうな声を発しながら、威圧するような目つきで俺の方を向く。しかし俺の顔を見た途端、青ざめたような表情に変わった。

 

「……ご、ごめんなさい。すぐ拾うわ」

 

 それからすぐ謝罪の言葉を口にし、慌てた様子で下に落ちた俺のパンや飲み物を拾おうとする。

 

「……別に拾わなくていいよ」

 

 しかし俺はそう言いながら、手を伸ばす彼女よりも先に全て拾い上げ、自分の教室へと入って行った。冷や汗の流れる彼女の表情を、少しも視線に収めることなく。

 

 

 

 

 

 

 神楽坂(かぐらざか)砂夜(さや)

 隣のクラスであるC組に所属し、新聞部の部員でもある。だからと言うべきか――彼女の場合は、新聞部員であること以上の理由があると思うが――校内の情報にはかなり詳しく、校内新聞の記事もかなり力を入れて執筆すると聞く。次期部長は彼女で間違いないという噂は、耳にタコができるほど聞いた。

 

 ところで彼女は、かなりサディストの気が強い――いわば、『女王』と形容されるような性格の持ち主であり、取材対象に威圧的な態度を取り、半ば強引に取材を受けさせるということが非常に多い。他の新聞部員に対しても、取材が滞ったり、そうでなくとも彼女の意にそぐわないことがあったりすると、同じような態度を取るようだった。

 そんな彼女に対する生徒間の評判は、『逆らえないし、逆らってはいけない』『まさに女王と呼ぶにふさわしい』といったものがほとんどだった。

 

 

 

 

 

 

「ごめんごめん。思ったより人が多くて時間かかっちゃったよ」

 

「「「どわっ!」」」

 

 教室に入り詫びの言葉を入れると、二階堂くんを除く3人が一斉に飛び上がった。その中でも、芹澤くんはかなり焦った表情だった。

 

 今日は、二階堂くんが芹澤くんたち3人とよりを戻したことを記念して、祝賀会――ただ一緒に昼を食べるだけだが――を行うことになっていた。

 全く関係のない俺がなぜその輪に加わる必要があるのか疑問は絶えなかったが、芹澤くんから『むしろ主役は将ちゃんだろ』と言い張られ、仕方なく参加することにした。

 

「……ど、どうしたの?」

 

「い、いや、ちょっとな……昨日こいつが神楽坂に拉致されて、根掘り葉掘り聞かれたらしいから、慰めてたんだ」

 

 その様子に呆気に取られながらも、何があったのかを尋ねると、芹澤くんは冷や汗を垂らしながらそんなことを言った。

 先ほど神楽坂さんと一悶着あったということもあり、芹澤くんの口から彼女の話題が出たことに、俺は複雑な感情になった。詳しい事情を聞こうとは思わなかったが、よい話題でないことはほぼ間違いないだろう。

 

「そうなんだ。……神楽坂さんか……俺はあの人、苦手かな……」

 

「将ちゃん、まさかあいつに何かされたのか!?」

 

 俺がそう自嘲気味に呟くと、芹澤くんが過剰なまでに心配そうな表情をしながら俺に尋ねる。

 

「い、いや……神楽坂さんとはほとんど話したことはないけど、色々噂を聞くから標的にされないかなって、ちょっとびくついてるから。俺の自意識過剰なだけだとは思うんだけどね」

 

「将ちゃん、もし何かあったら俺に言えよ? 遠慮することなんてないからな?」

 

 俺の返答を聞くや否や、芹澤くんはいきなり立ち上がったかと思うと、俺の両肩に手を置いて言う。

 

「う、うん……ありがとう……何かあったら泣きつかせてもらうよ。でも、最近はそんな気配もしないから、気にする必要もないんじゃないかなって思うけどね」

 

 芹澤くんの行動は、かつて俺が二階堂くんにとっていた行動に似ている気がした。もちろん、俺と違ってゴマすりの意図など微塵もないのだろうが。彼の言葉からは、本気の信頼とでも言える感情が読み取れた。

 

 

 

 

 俺は神楽坂さんのことを『苦手』と言ったが、実際には極めて強い嫌悪感を抱いている。

 逆らえないという評判が大半を占めるとは言ったものの、彼女を嫌う声が少なくないというのもまた事実だ。当然と言えば当然の話なのだろうが。

 彼女のせいで新聞部を辞めてしまった人もいるらしく、そういった人からは、憎しみに等しい感情を持たれているようだった。1年生の頃、『神楽坂の奴、許されるなら何回もぶっ叩いてやりたい』と、声を震わせて泣きながら同級生に話していた女子生徒がいたことを思い出す。恐らくその人が、神楽坂さんのせいで辞めてしまった元新聞部員だったのだろう。

 

 俺はその元新聞部員に同情の念を持つつもりは別にないが、神楽坂さんに対して悪い印象を持つには十分な理由だった。

 加えて、俺は彼女に標的にされそうになったことが実際に何度かあった。芹澤くんたちには『自意識過剰かもしれない』と言いはしたが、これだけに関してはそうではないと断言できる。

 しかしながら、その兆候が見られたのは1年の時の9月の上旬頃までで、それ以降は全く感じなくなった。その理由は、何となく察しは付くのだが――――多分、先ほど青ざめた表情を見せたのもそれが原因なのだろう。

 

 だが、そうと言っても彼女の性格は変わったわけではないようで、好ましくない話題は相変わらず耳に入ってきていた。二階堂くんが彼女に拉致されたという話も、そのひとつと言えるだろうか。

 きっとこれからも、俺が彼女に抱く嫌悪感は続いていくだろうし、恐らくそれがなくなるのは、卒業などで彼女との関係性が完全に断たれた時だろう。それまで、俺の考えは変わることはない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 運動部に所属する女子生徒の多くが、俺は嫌いだった。

 中でも陸上部、ソフトボール部、ハンドボール部などに所属する人間は、やたら大きな声で騒ぐ連中が多く、さらに『体育会系のノリ』とでも言うべきなのだろうか、妙になれなれしい態度で接してくる奴も少なくなかった。俺はそういう行動にいらいらさせられる日も頻繁にあった。

 汚い言葉を使うが、分別のない馬鹿な人間で占められていたのだ。

 男子生徒にもそういう人間はいたが、1年の時に俺が見てきた限りでは、女子生徒の割合が圧倒的に多かった。

 

 そういった人間を、俺は『脳筋(のうきん)』――『脳味噌まで筋肉』という言葉の略語で、主に体力がある代わりに単純な思考の人間を揶揄する意味で使う――と内心では呼んでいた。

 

 

 

 

 

 

 ある日の昼休み。

 昼も食べ終わり、教室を出てトイレへ向かおうとすると、いきなり正面から声をかけられた。

 

「あの、すいません」

 

 下に向いていた視線を正面に戻すと、声の主は知らない女子生徒だった。胸のリボンやスカートの色から判断して、1年生ということが分かる。

 ただ、俺がそれよりも気になったのは、彼女の外見だった。顔や短い髪型から判断して、どう見ても運動部に所属しているようなタイプだった。良く言えばボーイッシュ、悪く言えば、散々嫌な思いをさせられてきた『脳筋』のテンプレートそのままの外見だった。

 1年生の頃の嫌な記憶を思い出し、俺は顔をしかめる。

 

「ひえっ、ごめんなさい!」

 

 そんな俺の表情に、やたらと慌てた様子で頭を下げる1年生。

 まずい。この1年生に俺は何かされたというわけでもない上に、勝手に『脳筋』のイメージを植え付けて憤慨するのは完全にお門違いだ。

 

「いや、謝らないでください。意味もなくしかめ面した自分が悪いんで。それよりも、誰かに用ですか?」

 

 詫びの言葉を入れ、すぐに俺は自分の教室を指差して話題を逸らせようとした。そもそも、彼女が俺に声をかけたのも、誰かに用があるためと考えるのが自然だろう。

 

「あっ、そういえばそうでした。二階堂先輩がいるクラスって、この教室で合ってますか?」

 

「それなら、向こうにいますよ」

 

 教室の窓から、読書をしている二階堂くんを指差しながら彼女の質問に答える。同時に二階堂くんも俺たちのやり取りに気付き、訝しそうな表情を浮かべていた。

 

「教室入っても問題ないと思います」

 

 用のある人間を見付けたはいいものの、教室に入っていいか決めあぐねているように見えたので、俺はそう付け加えた。

 

「あっ、本当ですか? ……おっと、すっかり忘れてた」

 

 俺の言葉に1年生は教室に入ろうとしたが、すんでのところでそれを中断すると、俺に向き直り、こうべを垂れた。

 

「ありがとうございました!」

 

 俺に礼の言葉を述べ、教室へと入っていった。

 俺は彼女が二階堂くんのもとへ行くところまでを見届けてから、今度こそトイレへと向かった。

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

「…………」

 

 なぜ、こんなことになっているのだろうか。

 

 昨日トイレから教室に戻った俺は、二階堂くんに『明日学食で飯を食わないか』と誘われた。初めて学食を利用するので、俺に案内させることも兼ねて誘ったらしい。俺を誘うぐらいなら芹澤くんたち3人を誘えばいいのにと思い、正直乗り気ではなかったが、渋々了承した。

 

 そして翌日の昼休み。学食に到着し、席取りをしようと椅子へ向かおうとしたところで、二階堂くんから『紹介したい人間がいる』と言われて別の席に誘導された。

 そこで待っていたのは、昨日会った1年生だった。

 戸惑ったような表情の彼女と、一体何が起こっているのか理解できていない俺を、二階堂くんは向かい合うように椅子に座らせた。

 

「さ、自己紹介」

 

 しかし、椅子に座ってもいつまでも口を開かない俺たちに痺れを切らしたのか、二階堂くんが自己紹介を促した。

 そんなことを言われたって、何でこういう流れになっているのかを説明してくれなければ、自己紹介もへったくれもあったものではない。

 

「く、黒川将平です。どうも……」

 

「は、春宮(はるみや)つぐみっていいます。よろしくお願いします……」

 

 とはいえ、このまま無言でいても埒が明かないと思った俺は、状況を理解できていないながらもとりあえず自己紹介を彼女にした。俺に釣られて、彼女も続く。

 彼女の名前から、俺は同名の鳥を思い浮かべた。彼女の外見からは、あまり鳥のような印象は持てなかったが。

 

 そう思っていたのも束の間、俺と1年生――今ので名前も分かったので、『春宮さん』とするべきか――が自己紹介を済ませたのを確認した二階堂くんは、満足そうな表情を浮かべながらその場を去ろうとした。

 

「ちょ、ちょっと待ってよ二階堂くん! 俺、どうすればいいの?」

「ま、待ってくださいよ先輩! どこ行こうとしてるんですか?」

 

 絶妙なタイミングで俺と春宮さんの声が重なる。

 説明もなしにこんな状況にした張本人にいなくなられては、混乱するどころの問題ではない。春宮さんの方も、かなり慌てた様子だった。

 

「いや、俺がいたって邪魔なだけでしょうに。何でもいいから、何か話せばいいじゃない」

 

「いやいや、むしろいなきゃ駄目だって! 何か話せって言ったって、二階堂くんがいないと何も話せないよ!」

「そうですよ! 先輩がいてくれないと、何話したらいいか分かりませんよ!」

 

 昨日の今日で会ったばかりの人間と話せと言われても、俺にはどうすればいいのか全く分からない。せめて、何でこういうことになっているのか二階堂くんから説明があれば少しはましになると思うのだが――――。

 

「そんだけシンクロしてれば問題ないでしょ。んじゃ、さいなら~」

 

「だ~っ! 待ってくれ~っ!」

「待って下さいよ~っ!」

 

 しかしそんな俺たちの懇願を完全に無視し、二階堂くんは凄まじい速さで駆け抜け、食道を去っていってしまった。俺たちの呼びとめる声は、空しく響き渡るだけだった。

 

 

 

 

 

「……春宮さん、でしたっけ? 二階堂くんから、何言われたんですか?」

 

「……えっ? あ、えっと、実はですね……」

 

 このまま黙って立ち去るのも春宮さんに悪いと感じた俺は、彼女にこんな状況になった理由を尋ねた。あらかじめ食堂で待っていたことなども考えると、俺と違って春宮さんの方は何か知っているのではないかと思ったからだった。二階堂くんがすぐ立ち去ってしまったことは、さすがに彼女の想定外だったようだが。

 

 俺の質問に春宮さんは経緯を話し始めた。それによると、彼女は自分が所属する陸上部に、二階堂くんを入部させるための勧誘係として上級生から送り込まれたらしい。彼女自身も二階堂くんの運動能力の高さに興味を示していたため、快諾したそうだ。

 しかし、二階堂くんは全く無関心で興味を示さず、最終的には彼が直接陸上部の部長の所へ赴き、断りを入れようという話になったとのことだった。昨日話していたことはそのことらしい。

 さらにそこから二階堂くんは、『コミュニケーションを取れる人間と話す方がいい』と言い出し、白羽の矢が立ったのがなぜか俺だった。

 

「黒川先輩は漫画やアニメが好きって、二階堂先輩が言ってました。だから話も合うんじゃないかって……」

 

 俯きながら春宮さんは俺にそう言った。彼女も俺と同様、昨日の今日でわずかに会話しただけの人間と、どういう話をすればいいか混乱しているのだろうか。二階堂くんは俺の趣味を彼女に教えたらしいが、それでもどのように話を切り出せばいいのか決めあぐねているように見える。

 

「どんなのが好きなんですか?」

 

「少女漫画は、よく読みます。でも、黒川先輩は少女漫画なんて読みませんよね……?」

 

「う~ん……」

 

 春宮さんの言う通り、俺は少女漫画というものをほとんど読んだことがない。無論、興味がないというわけではないのだが、普段読んでいる漫画とは毛色が違うというイメージを抱いてしまっており、どの作品を読めばいいのか分からなかったからであった。

 

 今まで見たアニメで、少女漫画が原作のものはあっただろうか。

 俺が見たアニメ作品は、原作の漫画や小説を読んでいない作品も結構ある。あれでもない、これでもないと思い返してみると――――。

 

「……あっ」

 

 そういえば、あった。しかもその作品は、俺がアニメを見る頻度を高めるきっかけにもなった作品だった。何ですぐに思い浮かばなかったのだろうか。

 

「春宮さん、この作品って知ってますか?」

 

 ポケットからスマートフォンを取り出し、インターネットの検索エンジンに例の作品のタイトルを入力して検索にかける。検索結果が出たのを確認してから、俺は春宮さんに画面を見せた。

 

「あっ、この作品、私大好きです! 全巻持ってますから! 黒川先輩も好きなんですか?」

 

 画面を見た瞬間、先ほどの困ったような表情は一瞬で鳴りを潜め、輝いたような表情をしながら俺に尋ねてくる。これが彼女の本来の性格なのだろうか。

 

「原作は持ってないですけど、アニメは全話見ました。登場人物がみんな感情移入できる作品だったと思います」

 

 とは言っても、俺がそのアニメを見たのは全くの偶然だった。夜遅くまで起きていた際、たまたまつけたテレビから放送されていたというのが最初に知るきっかけだった。それに、継続して見るようになった理由も、それ以前に見たアニメで知った、好きな声優が出ていたからというものだった。

 付け加えると、俺は幼いころからアニメや漫画は結構好んでいた。当時は話の内容より、声優の名前を覚えることが好きだったことを思い出す。

 どちらかと言えば、俺の今の趣味は新しく追加されたものではなく、昔からの嗜好が増大したものということだ。

 

「そうなんですよ! メインのキャラがみんな恋心抱いてるんですけど、結局どれも実らないんですよね~。切ないですけど、むしろそれがいいんですよ。アニメ見たことないから、今度見てみようかな……?」

 

「やってたのが去年なんで、借りるにしてもそこまで料金は高くないと思います」

 

「本当ですか? それじゃあ、絶対借りよう……」

 

 それから俺と春宮さんは、昼を食べることも忘れて互いの趣味を語り合っていた。さほど興味のあることではなかったかもしれないのに、春宮さんは俺の話を非常に興味深そうに聞いてくれていた。

 俺は俺で、彼女からおすすめの少女漫画を教えてもらった。原作を買うかはともかく、調べてみるとアニメ化もされてるようなので、近いうちに借りて見てみるのもいいだろう。

 ふと時計に目をやると、授業が始まるまで残り10分に迫っていた。話をしていた時間は精々20分程度ではあったが、それより長い時間話していたような錯覚があった。

 

「春宮さん、そろそろ終わりにしないと授業に遅れます」

 

「えっ? あっ、もうこんな時間ですか。危ない危ない……」

 

 俺たちは会話を打ち切って席を立ち、学食をあとにする。

 

 

 

 

 

 

「いやぁ、楽しかった~。二階堂先輩なんかと話してる時より、ずっと充実してましたよ。もっと早く知り合っておくべきでした」

 

「そうですか……」

 

 終始笑顔を絶やさずに、春宮さんはそんなことを言った。その言葉が二階堂くんの耳に入れば、彼は泣きわめくか、それとも喜ぶか。

 経緯から考えると、二階堂くんは誰かに春宮さんを押しつけたがっていたような意図すら感じたので、前者は多分ないような気がするが。

 

「……別に、敬語使わなくたっていいですよ? 呼び方も、呼び捨てにしてくれて構いませんし」

 

 昨日出会ってからずっと、俺は彼女に敬語で話している。呼び方も『さん』付けだ。それに不満を感じたのか、少しばかりむくれたような表情をした。

 

「あまり堅苦しいのはなしにしましょう? 私、これからたくさん先輩と話したいですから」

 

「そう……」

 

「そうですよ。だから、これからよろしくお願いします、先輩」

 

 再び笑顔に戻った春宮さんは、そう言いながら軽くお辞儀をした。

 

 実のところ俺は、上級生や下級生との交流がほとんどない。小学校の時も、中学校の時もそうだった。

 今所属している図書委員にしても、1年生の時は2年や3年とはほとんど事務的な会話しかこなさなかったし、今年度にしても最近入った1年生とはやはり事務的な会話を二言三言交わした程度であった。現在の委員長とはそれなりに話したことはあるが、同学年の人間と比べると圧倒的に比率は少なかった。

 

 しかしながら、極めて奇妙な経緯があったとはいえ、春宮さんとの会話は悪い気分ではなかった。いやむしろ、春宮さんとの会話を間違いなく俺は楽しんでいた。さらに、陸上部所属の人間は『脳筋』ばかりではないと、考えを改めた。

 これが、先輩後輩関係の楽しさとでも言うものなのだろうか。まだ良く分からない気分に包まれていたが、初めて知る感覚に理解が追い付いていないのかもしれない。

 

「それじゃあ、よろしく。春宮さん」

 

「……あれっ?」

 

 俺が変わらず春宮さんを『さん』付けで呼んだことに、彼女はずっこけそうになった。

 

「先輩……呼び捨てでいいって言ったじゃないですか……」

 

「悪いけど、どう呼ぶかは俺が決めることだから。生憎これは俺のポリシーみたいなものだし、何を言われたって変えるつもりはないよ」

 

「う~っ、何か釈然としないけど、敬語じゃなくなったからまあいいかな……」

 

 そんなやりとりを交わしているうちに、行き先が分かれる。1年生の教室と、2年生の教室とに。

 

「それじゃあ先輩、これで失礼しますね。何か面白いのがあったら教えてください。私も、先輩が好きそうな作品探しておきますから」

 

「ああ、うん……ありがとう……」

 

「はい、また明日!」

 

 春宮さんは今日一番の笑顔を俺に向けると、自分の教室を目指して駆けていった。さすがは陸上部というべきか、あっという間に彼女の姿は見えなくなった。

 

 

 

 

 

 ――――何をやってるんだよ、俺は。

 

 

 

 

 充実した感情は、春宮さんの姿が見えなくなると同時に鬱屈した感情へと変貌する。綺麗な花が、ドロドロと腐って溶けていくかのように。

 

 春宮さんは、俺の本性など知らない。だからこそ、あんなにいい笑顔を見せることができたのだ。

 俺の本性を知ってしまえば、さっきの不満げな態度が可愛く思えるほどに、不快な態度を見せるだろう。それを隠そうともしないだろう。

 もちろんこれは、春宮さんに限った話じゃない。俺の本性を知らない人全てに言えることなのだ。

 

 俺は人との交流を楽しんでいいような人間ではない。断じてない。

 だというのに、俺は――――。

 

 ――――何をやってるんだよ、俺は。

 

 心の中で、俺は先ほどと同じことをもう一度呟く。

 俺は一体、何がしたいのだろうか? 何のために、ここにいるのだろうか?

 

 

 

 

 何のために、生きているのだろうか?

 

 

 

 




今年最後の投稿。
来年はもう少し多く投稿できるようにしたい……
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