正義を目指す竜殺し《完結》   作:山中 一

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第十二話

 背中を打たれた。

 その衝撃と痛みは懐かしいとすら思え、身体の芯から崩れていきそうな苦痛を伴うものだった。

 あらゆる攻撃を無効化する鉄壁の肉体が有する唯一の弱所。

 伝説と同じくこの身体はただ一箇所だけ、背中のみ『悪竜の血鎧』が働かないのだ。

 落ちたジークフリートは身体中を駆ける電流に麻痺し、思考すらもままならない状況に置かれてしまった。咄嗟にこの世界の魔法――――肉体強化によって身体そのものを強化したために致命を免れたが、それでもラカンのように肉体強化のみで大魔法を受け止められるほどの錬度があるわけではない。莫大な魔力を無理矢理強化に回したことも災いして、内側から締め上げられるような痛みが襲ってくる。

 すぐに戦線に復帰するには、治癒魔法が必要だ。

 このダメージを全快とまではいかずとも、身体が動く程度には治癒を施さなければならない。だが、周囲には治癒魔法を使える者はおらず、ジークフリート自身にもその力はない。

 ならば、諦める他ないのだろうか。

 このまま大人しく瓦礫の山に埋もれ、救出を待つというのか。

 そんなことは許されない。

 意識があるのかないのかも分からず、指一本動かないこの状況ではあるが、ジークフリートの肉体はまだ存在している。力の源たる竜の心臓は確かな鼓動を刻み、全身に竜血を送り出している。

 ジークフリートのいた世界の竜は呼吸するだけで魔力を生み、食事の必要性すらない完成された生物だった。

 その力を受け継いだジークフリートは自分の身体の性質が竜に近付いていることを知っている。ならば、この程度の逆境に屈することなどありえない。

 鼓動を早め、血液の循環を加速度的に上昇させる。まだ、足りない。肉体の再生だけでは届かない。限界を超えなければ意味がない。魔力を掻き集め、循環を促進し、肉体に反映させる。やるべきことは簡単だ。この心臓の力を全力で引き出してやればいいだけなのだから。

 

 

 

 迸る雷光に目がつぶれそうになる。

 ホワイトアウトする視界を網膜に魔力を通すことで無理矢理維持し、視力を失わないようにする。

 戦いの場で視力を失うのは、それが極短時間であったとしても不利となる。まして、格上の敵が目の前にいる今、撤退するにせよ抗戦するにせよ目が見えなければ話にならない。

 何があったのか、アレクシアには皆目見当が付かなかった。

 ただ、唐突にジークフリートが雷の暴風に飲み込まれたということが後から分かっただけだった。

「そんな……!」

 アレクシアは絶望にも似た色を宿した声を漏らす。

 雷の暴風によって床は大きく抉り取られ、崩落していた。落下した瓦礫がさらに下の階の床を突き崩し、玉突き事故のようにホテルの内側は崩れ落ちた。ざっと三階分は下まで瓦礫は落ちただろう。

 だが、それだけでアレクシアは絶望などしない。

 『紅き翼』との戦いすらもジークフリートは軽症で乗り越えた。艦載砲ですら、彼の防御力を前にすれば水鉄砲にも等しいだろう。それほどの防御力を遺憾なく発揮してきたジークフリートが、今更上位魔法の一発で倒れるなどありえない――――彼が規格外の戦闘能力を有するが故に、ジークフリートの勝利を無条件で信じていた。だからこそ、瓦礫の中に倒れるジークフリートの姿が視界に入ってきたとき、アレクシアは咄嗟に取るべき行動を見失った。

 身体は半ばまで瓦礫に埋もれていて、動く様子はない。

 ――――まさか、背中から攻撃を受けたから?

 脳裏を過ぎった冗談のような事実をアレクシアはすぐに放棄した。

 『ニーベルンゲンの歌』にて大いに称えられる大英雄の物語は、アレクシアも小耳に挟んだことはあるが、まさか伝説に謳われる英雄と弱点まで同じというのは有り得まい。名のある英雄や天使に肖って名を付けるのは極めて一般的なことで、『ジークフリート』という名前自体、別に珍しい名前ではないのだ。だから、ジークフリートの防御力も宝剣の名もただ同名の大英雄に肖ってのものだと思っていたし、それ以外に考えられはしないし、いくらなんでも、弱点まで揃えることはないだろう。

 重要なのはジークフリートがなぜ倒されたかではなく、ジークフリートが倒されたということだ。

 動けるのはアレクシアのみで、目の前にいる三人の魔法使いに勝ち目はない。

「じ、ジーク!!」

 放心していたテオドラがジークフリートに向かって叫ぶ。

 そのテオドラの腕を雷を従える青年が掴んだ。

 アレクシアは再び愕然とする。

 青年の動きがまったく見えなかったからだ。転移魔法ではない。空間跳躍の類ではなく、移動魔法の類のはずだがあまりに速すぎて対処どころか捉えることすらもできなかった。

「ぶ、無礼であろう。その手をはな――――きゃん!?」

 テオドラは全身を駆け抜ける電流に目を回した。

 ヘラスの皇族とはいえ、戦闘能力は低い。未だ子どもの域を出ていない彼女が、至近からの電撃を防げるはずもなく、テオドラは気絶してしまった。

「貴様、姫様を離せ!」

 アレクシアは槍の穂先を青年に向けて、弾かれたように跳んだ。

 瞬動を駆使すれば、テオドラのいる場所まで一息で駆けつけられる。

 先端が青年に触れようかというまさにそのとき、右側面から襲い掛かってきた石球の直撃を受けてアレクシアは無残にも弾き飛ばされた。

「あ、が……!」

 もとより三対二の不利な状況だ。アレクシアとベティだけで、テオドラのみならずアリカまで守らねばならないのは大きな負担であった。

 だが、数の差など意味はないだろう。

 例え警備隊が全員揃っていたとしても、あの白髪の青年一人すらも止めることはできなかっただろうから。

 あまりにも無慈悲で圧倒的に過ぎる実力差は情け容赦なくアレクシアを叩き伏せた。

 残されたベティは、アリカの傍に佇みながら動くことができない。

 ベティにとって守るべきはテオドラだ。 

 そのテオドラが敵の手に落ちたのだから、即座に彼女を救うために動くべきなのだが、アリカを見捨てるわけにもいかない。また、テオドラを救うにしても、どのようにすれば救い出せるのか皆目検討がつかないのだった。

 これがチェスならば、チェックメイトが確定してしまったようなものだろう。

 手も足も出ない。

「さて、ここまでだよ帝国の諸君――――確か『黒の翼』だったかな。どの程度かと思っていたけれど、彼を除けば大した脅威ではないね」

 白髪の青年――――プリームムが軽薄な笑みを浮かべてベティとアリカに歩み寄ってくる。

「ッ」

 ベティが両腕に魔力を回す。

 雷と炎の渦が大気を撹拌し引き裂いていく。

 なるほど、確かにまだ子どもという年頃に見えるが、見た目通りの年齢だとして、この歳でここまで魔力を練り上げることができる者は少ないだろう。最前線で活躍できる程度には、戦闘能力があると言ってもいい。

 しかし、それもプリームムにしてみればまだまだ足りない。到底脅威と呼ぶべき威力には至らないだろう。

「ただでは負けないということかな? 無駄なことを……君では僕に傷一つつけることはできないよ」

「やってみなければ、分からない」

「そう」

 プリームムはため息をつき、ベティに手の平を向ける。

 あえて撃たせるような遊び心は持たない。邪魔ならば、即座に排除するまでだ。

 一触即発の空気の中で、動いたのはベティでもなくプリームムでもなく、これまで静かに成り行きを見守っていたアリカだった。

 アリカはベティの肩に手を置くと、プリームムを見て言った。

「そこまでにせよ。子どもを相手に大人気なかろう」

 凛とした涼やかな声でプリームムを牽制しつつ、ベティの魔法を中断させる。アリカが前に出ようとしたことで、魔力の練り上げに支障を来したのだ。アリカを巻き込まないようにベティは魔法の渦を消し去る。敵対行動が消えたので、プリームムも手を下した。

「そなたは完全なる世界の手の者じゃな?」

 問いにプリームムは答えない。肩を竦めるだけだったが、その露骨な態度はアリカの問いに答えたようなものだった。

「テオドラ姫とわたしの拉致が目的ならば、他の者に手を出す必要もないじゃろう」

「君は大人しくついてくる気かい? 僕としては、抵抗してもらっても構わないのだけど。ここは帝国領内だ。誰が死のうとウェスペルタティアのお姫様には関わりないんじゃないのかな?」

「国で人の命の軽重が変わるわけではなかろう。そなたらがどう考えているのかは知らぬがな」

「なるほど、清廉潔白なことだね。」

 プリームムは、表情を特に変えることなく壱に命じてアリカを確保させる。

 筋肉の塊のような男に細身のアリカが敵うはずもない。抵抗するだけ無駄と、アリカは大人しく従った。

「君も動かないほうがいい。お姫様方に危害を加えるつもりはないが、手が滑るということもあるからね」

 ベティは薄い反応の中に悔しさを滲ませる。

 アリカとテオドラが敵の手中にある以上、確かに迂闊な行動はできない。

 この場にいる戦闘要員の中で完全なる世界の魔法使いに対抗できるのはジークフリートだけだ。

 そのジークフリートが沈黙した今、事態を打開する手段は皆無だった。

「まちな、さい……」

 アレクシアは足を引き摺るようにして立ち上がった。槍は拉げて使い物にならず、右腕は折れているようでただ熱いという感覚しかなかった。

 そこそこ血を流したのだろう。目の前がくらくらとして揺れている。

「動かないほうがいいと思うけど。脆弱な人間の身体では、その傷は耐え難いだろう」

 せめて魔族か亜人間ならば、それぞれの固有能力や生来の頑強さで耐えられたかもしれない。が、アレクシアは純正の人間である。生まれついての特殊能力を持つわけでも種族特有の何かがあるわけでもない。肉体面の脆弱さは、人間が抱える永遠の課題でもあった。

 それを補うのが魔法である。

 アレクシアが動けるのも、肉体強化と治癒の魔法を重ね合わせているおかげだ。

「姫様を、返せ」

「やれやれ、もう勝敗は決しただろう。死に急ぐ必要はないんじゃないか?」

「だまれ」

 護衛として警備隊の隊長として、この蛮行は許せない。

 テオドラとアリカに危害を加えないという言葉も、信用ならない。テロリストの言葉を軽々に鵜呑みにするわけにはいかない。テオドラを守ろうとするのなら、身命を賭してでも救出しなければならないのだ。無理を承知で、目の前の敵に挑みかかる以外に選択の余地などない。

 その意気を感じ取ったのか、プリームムは言葉を控えた。

 別にアレクシアの覚悟に思うところがあったとかいうわけではなく、ただ言葉で止めることができないのならば実力行使で排除するだけだと認識を改めただけだ。

 人間を殺害することは禁じられているプリームムであったが、それは殺さなければいいという程度の縛りでしかなく、例えば石化のような人として終わってしまうような魔法をかけることも抵触しない。

「面倒だ。ここで、退場してもらおうか」

 プリームムがアレクシアを指差す。指先に光が灯り、情け容赦なく石化の魔法が放たれる。弱りきったアレクシアでは、避けることもレジストすることもできない。いや、五体満足でも対処できたかどうか。いずれにしてもアレクシアはここで終わりだ。瞬きをする間もなく、精巧な石人形に成り果てるだろう。だが、それでもせめてもの抵抗をと、目を見開いた。気持ちだけは負けるまいと、最後まで敵を睨みつけるのだ。

 そのおかげだろう。

 アレクシアは自分の身に何が起こったのかすぐに理解することができた。

 石化の光線の前に臆することなく身体を投げ出し、アレクシアを庇うジークフリートの大きな背中が視界一杯に広がったのだ。

「じ、ジークフリート……」

 よろよろとバランスを崩したアレクシアは、尻餅をついた。

「俺がついていながら……すまない」

 ジークフリート本人は気付いているのだろうか。

 アレクシアが目を疑ったのはジークフリートが戦線に復帰したことだけではない。彼の頭の右側に、禍々しい山羊を思わせる角が生えているではないか。

 彼もまた亜人間だったのだろうか。

 これまで、そのような素振りはまったく見えなかったのだが。

 剣を握るジークフリートは、アレクシアを視界の片隅に置きつつ三人の敵を見据える。状況は最悪だった。特に怪我をしていないのはベティだけだ。アレクシアの怪我の具合も悪い。すぐに病院に担ぎ込まねばならないが、そのためにも目の前の敵を退ける必要がある。何よりも、テオドラとアリカを救出しなければならない。

「厄介なのが戻ってきたね」

 プリームムが表情を曇らせる。ジークフリートの力は先刻の戦いで実感したところである。単独で戦うのは危険な相手だ。が、ジークフリートも本調子ではないのもまた事実だ。

「ノーヌム、お姫様たちを連れていってくれ。僕らはここを抑えよう」

「はいよ、了解」

 この中でも最も速度に秀でているのがノーヌムだ。目的はテオドラとアリカの確保なのだから、後は撤退して構わないのだ。とはいえ、雷速での移動は、人を抱えてできるものではない。僅かでいいから時間を稼ぐ必要がある。

 ノーヌムが壱からアリカを受け取ろうとしたとき、すでにそこにジークフリートが踏み込んでいた。

「な……!」

 間一髪のところでノーヌムは回避した。まさしく旋風のような踏み込みだった。テオドラに手を伸ばすジークフリートに、プリームムが石の柱を召喚して叩き付ける。大質量の石柱は、ジークフリートごと床を崩して落下させる。彼に攻撃が通らずとも、足場を崩せば瞬時の移動はできないだろう。

 地面まで一気に貫いた石柱が砕け散る。

 ジークフリートは、身体の限界を超えて酷使して敵に迫った。

「しつこい!」

「さっさと連れて行け、ノーヌム!」

 プリームムと壱が苛立ちながらジークフリートの前に立ちはだかる。

 炎と石の魔法が咲き乱れ、ジークフリートの身体を打ち据えていく。進路を妨害する邪魔者をとにかく無視して、直進するだけだ。生半可な攻撃では、ジークフリートの肉体に傷は付けられない。一陣の風と化したジークフリートの遮二無二な突撃は、それ自体が城壁の突進と言っても差し支えないものであろう。

 ノーヌムはすでに戦線を離脱するべく、逃走を開始した。

 飛行魔法の使えないジークフリートでは走って追いかけるしかないが、それは如何に音速に匹敵する速度を出すことのできるジークフリートであっても追いつけるかどうか分からない。逃がすわけには行かない。が、焦燥するジークフリートの前に立ち上がったのは何層にも重なる黒曜石の壁だった。

「邪魔を……!」

 斬撃にて壁を粉砕する。

 幻想大剣とこの膂力があれば、この程度の石壁など藁屑も同然である。

 それでも、勢いは殺される。

 動きの鈍ったジークフリートに、あえてプリームムは語りかける。

「お姫様を追いかけるのは自由だけど、街の人を無視していけるのかな?」

「何?」

 プリームムは後方に跳躍し、天に右手を挙げる。

おお 地の底に眠る(オー・タルタローイ・ケイメノン)死者の宮殿(・バシレイオン・ネクローン)――――冥府の石柱(ホ・モノリートス・キオーン・トゥハイドゥ)

 プリームムの魔法は空に十を越える巨大な石柱を出現させた。

 一本が高層ビルに匹敵する巨大な石柱で、それがジークフリートのみならず街中を標的にして落下してくるのだ。

 これほど的確な足止めはないだろう。

 ジークフリートがノーヌムを追いかけるには、街の人間を無視しなければならない。かといって、街の人間を救おうとすれば、ノーヌムを逃すことになるだろう。

 迷っている場合ではなかった。

 この二律背反の状況の中でもジークフリートは目前の不幸を見過ごせない。心の中で深くテオドラに謝罪しつつ、幻想大剣を振りぬく他ないのだ。

幻想大剣・天魔失墜(バルムンク)!」

 青き宝石が輝き、黄昏の剣気を解き放つ。

 対軍宝具の大魔力が、今まさに街に降りかかろうとしていた災厄を跡形もなく消し飛ばす。前方を一撃で処理し、後方をさらに一撃で対処する。

 すべての冥府の石柱を消し飛ばすのに三回の真名解放を必要とし、所要時間は五秒もなかっただろう。

 それは冥府の石柱という大魔法を打ち消したという点では驚異的な速度ではあったが、敵が逃亡するには十分な時間であった。

 敵の姿はすでにない。

 逃げることに全力を尽くされると、魔法の使えないジークフリートでは追いつけない。転移魔法や高速移動など、逃亡手段は多岐に渡り、それらに対抗する方法が地上を走ることだというのだから当然だろう。

 残されたのは傷ついた仲間と吹き抜けとなった建物だけだ。

 守れたものは一つとしてなく、無為に民草を巻き込み恐怖を与えただけだった。

 悔しさに唇を噛み、苛立ちが募る。

「ぐ……ッ」

 ぞくり、と全身に鳥肌が立ち、胸が激しく痛んだ。

 思わず膝をつき、苦悶に呻く。背中の痛みとはまた異なる異質なもの。

 心臓が異様は速さで鼓動を打ち鳴らし、全身の骨や筋肉がキリキリと締め上げられているかのようであった。

 魔力は充溢しているのに、身体がついてきていない――――そんな感覚がする。

「ぐ、お、ぉおおおおおお」

 身体を支えきれずにジークフリートは倒れた。

 身体が内側から変わっていくような、そんな不快感を覚えながらジークフリートの意識は闇の中に消えた。




すまない……ベースガチャSPでナナリーが出てしまって本当にすまない。今度消えるらしいし二体目だけど大事にします(自慢)
fateでもこれくらいの引きが欲しいんですけどねぇ。無課金だから仕方ない。地道にやっていくさ。
それはそうとして、五次キャスターが有能で怖い。あっという間に宝具が使えるし、ランサーの兄貴みたいな面倒な相手に有用すぎる。
ディルも実装されたら、防御スキル無効とか回復不能とか女性サバのみスタンとか有用そうな宝具とかスキル持ってきそうだ。

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