正義を目指す竜殺し《完結》   作:山中 一

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第十三話

 テオドラの警備隊はほぼ壊滅状態にあり、まともに動ける者はほとんどいなかった。不幸中の幸いだったのは、命を奪われた者が一人もいなかったということで、被害の多くは意識を刈り取られただけだった。

 しかし、それでもテオドラを拉致されたという衝撃は大きく、目覚めた後で茫然自失する者は後を絶たなかった。

 テオドラは幼いながらもカリスマ性のある皇女だった。

 守れなかったということは、護衛を専門に担当してきた警備隊の面々にとって大きな精神的打撃を与えたのだ。

 それだけではない。

 テオドラとアリカの交渉は外部にも内部にも秘密の極秘会談だった。そのため、突然テオドラが消えたことで、ヘラス帝国の上層部は混乱してしまったのだ。

 外遊先で敵に拉致された――――それはいい。では、拉致したのは誰か。連合しかいないだろう。すでに、連合によるだまし討ちでテオドラが拉致されたという体でニュースは流れており、一般市民の間で人気のあったテオドラの悲劇は瞬く間に怒りと悲しみを呼び起こし、それは連合への怒りに転じた。浸透しつつあった厭戦気分は、その反動もあって一気に戦争の継続に流れ始めた。

「嫌な流れだねぇ、これは」

 コリンは輸送船の操縦席に座って新聞に目を通していた。いくつか買ってみたのだが、どの新聞社も連合憎しで記事を書き、戦争の継続を煽っている。

 操縦士ということもあって、実際の戦闘に参加していなかったコリンは怪我をすることもなく難を逃れた。そのおかげで、こうして夜の流れを探ることができている。未だ病床を出ることのできないジークフリートや治癒魔法がやっと効いて歩けるようになったアレクシアでは、外の情報は集められない。当事者として今動けるのはベティとブレンダくらいだが、あの二人も精神的にショックを受けていて当面は安静にしていたほうがいい。まだ経験不足でコテンパンにされる機会が少なかったということだがこれを機に成長していけばいい。問題は、この世の中の流れである。戦争が継続する以上は、帝国側も軍備を整えて連合と対決せざるを得ない。それは分かりきっていることだが、それにしても負け戦で士気を維持するのは困難なのだ。特に民草は戦場を知らない代わりにその重圧を実生活の中で受けている。物価の上昇や迫る戦火への不安は社会不安となり、厭戦気分を上昇させていた。それが、このテオドラの一件で一気に連合と決戦すべしという論調が台頭するようになってきた。

 この戦争の裏に世界を股にかける秘密結社がいると知っている身としては、この流れがどうにも気になって仕方がない。

「ちっと隊長に相談だな」

 テオドラがいない以上は、彼の上官はアレクシアのみとなる。帝国兵の中でも上司と部下の関係が近いのがテオドラを守る警備隊の特徴であった。数が少ないことから来る構造上のものであり、時に問題視される構成ではあるが、こういう場面ですばやく顔見知りに指示を仰ぐことができるのは利点でもあった。

 いずれにしても、テオドラという最上位に位置する意思決定者がいなくとも隊は機能する。悲しいことではあるが、部隊とはそういうものであり、彼に関して言えば『黒の翼』と自然と呼び習わされるようになった派遣先でアレクシアの部下としてやってきたのだ。テオドラよりもアレクシアを上官と呼ぶのが自然に思える。

 腰を上げて、コリンは操縦席を出ようとする。その時に、不意にモニターが視界に入った。それは、確かに偶然の産物でしかなく、気付けたのは運がよかったというべきものであった。

 モニターは外の様子を映し出している監視カメラである。三百六十度、全方位を映し出すことができるもので、戦場を飛ぶ輸送船には必須装備であった。ゴテゴテした装備で、旧世界から手に入れたカメラを利用した非魔法的手段による映像技術の産物である。正規軍の装備を積み込めるほどの余裕がなかったからこそ、このような前時代的な装備を詰め込んだのだが、結果的には正しかったと言えるだろう。少なくとも、こうして襲撃を事前に察知することができたのだから。

「魔法戦闘しか知らないってのも、難有りだね」

 ヘラス帝国はその成り立ちから魔法を用いない科学技術には疎い。存在を知らぬ者も多いだろう。旧世界の存在自体が百年ほど前まで御伽噺と同等の扱いだったのだから当然であろう。また、科学技術に比べれば魔法ははるかに効率がいい。あえて導入する理由もないのだ。わざわざ旧世界の科学技術を持ち込むような者は、コリンのような技術畑の中のごく一部のマニアくらいのものであろう。

  魔法による監視がないと思い油断したのか、襲撃者と思しい黒ローブの三人組は輸送船の鍵の開錠に取り掛かった。

 この輸送船の鍵はちょっとやそっとでは開錠できない特別製――――魔法障壁の鬼才ブレンダが独自に考案した防御魔法を実験的に仕掛けたものだ。教科書的な方法での開錠は弾かれる。

「……つーかコイツら、ヘラス帝国(うち)の秘密警察じゃないか! んで、そんなんがここに来てんだよ!?」

 冷や汗が出る。

 ヘラス帝国が有する警察組織に裏切り者の捕縛や抹殺を担当する秘密警察がいるのは周知の事実だ。直接戦闘よりも、搦め手による奇襲を得意とする暗殺集団のようなもので恐れられている。

 それが、正規の軍装でここに来たとなれば、穏当な要件ではないだろう。

「待ってくれ、勘弁してくれよマジで」

 今、この場にはコリンしかいないのだ。戦えない輸送船パイロット兼技術者では、到底戦闘のプロの相手はできない。例えここが自陣の真っ只中であったとしてもだ。何せこれは輸送船を改造しただけのもの。避難者を搭乗させるために余計な装備はほとんどしていないほどの紙装甲であり、対人用の武装は皆無だったりする。

 できることと言えば、魔法障壁で身を守ることくらいしかない。

 何故、秘密警察が動いたのか。

 ――――思い当たる節がないわけでないのが辛い。

 秘密結社完全なる世界(コズモ・エンテレケイア)は連合と帝国の上層部に食い込んでいるという。そして、その組織の構成員がテオドラとアリカを連れ去ったのだ。ならば、この場に『黒の翼』がいることも筒抜けで、ジークフリートが負傷していることも知られているだろう。

 外にいる秘密警察が構成員かどうかは関係ない。

 彼らに指示を出した何者か、あるいはその周辺に完全ある世界のシンパが潜んでいるのは確実だろう。

「やられたかなこれは……」

 無機質な天を仰ぐ。

 秘密結社は存在が秘匿されているからこそ意味がある。ならば、その存在を知る『黒の翼』を見逃すはずもないのだ。都合よく敵は帝国の組織を利用できる立場にあり、『黒の翼』のパトロンであり後ろ盾でもあったテオドラがいないとなれば、動くのは簡単だったろう。

 戦えぬ以上は篭城するしかない。抵抗するだけ無駄なのだ。ならば、抵抗できる仲間にどうにかしてもらいたい。そう考えて、コリンはアレクシアに念話を入れた。

 

 

 

 ■

 

 

 

 黒が一瞬にして赤に塗り潰される。

 視界が明滅し、肌は絶望的な殺意に総毛だっている。赤熱した岩がどろりと融解し、大気は焼け爛れていて息をするだけで肺腑が侵されてしまいそうだ。

 炎が消えた後にも静けさは戻らない。

 劫火の後には魔物の息遣いが響く。

 貪るモノ。

 我欲の化身。

 財宝を守る怪物にして、近くの村々を苦しめる悪逆の竜。

 恐るべき姿だ。それは、あらゆる生物の頂点に君臨する竜種の中でもとりわけ強い神秘性を帯びた個体であって、まともに勝負を挑めば即死を賜ることになるというのがありありと分かってしまう。人間とは比較にならぬ、生物というカタチを突き詰めた存在であった。

 ファフニールと呼ばれる悪竜は、他の追随を許さぬ暴威で以て剣士を圧倒した。斬り付けても傷つかず、その攻撃は須らく致命となるべき威力を具備していて、勝機すら掴ませてくれない。

 挑んでからどれくらいの時間が経っただろう。

 どれほどに剣を振るってきたのだろう。

 戦いにすらならぬ一方的な蹂躙劇を、ギリギリのところで躱しながら絶望に陥りそうな心を必死に叱咤して、ただひたすらにその時を待つ――――。

 

 

 目を開けると、真っ白な天井が広がっていた。

 室内に満ちるのは消毒液の匂いだ。

「目が覚めましたか、ジークフリート」

 透き通った声がする。

 近くにアレクシアが座っていた。

「かなりの怪我をしていたように見えたのだが、大丈夫なのか?」

「開口一番にそれですか。らしいといえばらしいのですが……わたしの怪我はご覧の通りです。治癒魔法のおかげで、跡も残さず消えましたよ」

 骨折や筋肉の断裂、全身の打撲と内蔵の一部にまで達する刺傷――――そういった重傷も、専門の機関で治療すればすぐに治ってしまう。治癒魔術の存在はジークフリートの世界にも存在していたが、その便利さには舌を巻く。

「ここは病院か」

「そうです。あの戦いの後、あなたもわたしもここに担ぎこまれたの」

「テオドラ姫は」

「……まだ捜索中です」

 苦々しい表情を浮かべるアレクシアは、ぎゅっと膝の上で握り拳を作った。

 捜索と言っても、どこまで信じていいのか分からない。敵の存在が帝国内部に食い込んでいる以上、信じられるものは少なく、警察や軍も疑わねばならない状況だ。疑心暗鬼に囚われている。何が正しくて、何が誤っているのか、精査して判断しなければならないのに自分の判断にすら自信を持てない。

「ジーク、目が覚めた?」

「あら、ほんと。寝坊しすぎー」

 ベティとブレンダがノックもなく病室を開けて入ってきた。

「寝坊?」

 ジークフリートはその言葉に違和感を覚え、尋ねた。

「待て、あれから何日経った?」

「三日。わたしはもともと動けたし、ブレンダも軽症だったから色々と連絡が大変だった」

「そうよ。誉めることを許してあげる」

 ベティの静かな口調に反してブレンダは胸を張って大いに自慢した。

「三日だと……」

 ジークフリートは言葉を失くす。鋼鉄の肉体を手に入れてからこれまで、寝込むような怪我をしたことはない。文字通り彼は不死身であり、竜の血は肉体のあらゆる異常を回復させてきたからだ。

「てか、ジーク。あなたって人間じゃなかったの?」

「どういう意味だ?」

 ジークフリートは聞き返した。

 元は英霊であるという意味では人間ではない。すでに死した身で、身体そのものは神秘の結晶である。肉を持つといっても、その神秘性まで薄らぐことはないが、英霊の概念がこの世界にあるかどうかは未知数である。よって、英霊というジャンルを除くのであればジークフリートは人間であるということになろう。人の腹より生まれ、魔にも神にも属さず生き抜いたのだ。ジークフリートは英霊であり、神格化もされたが、それでも神の座にすえられた(ためし)はない。

 しかしブレンダはジークフリートの頭の辺りを指差して言う。

「だって、角が生えてるじゃないの」

 何、とジークフリートは驚いて頭に触れた。確かに、固い得体の知れないものがくっ付いている。右側だけだが、これは角と形容するに相応しいものだろう。

「気付いてなかったのですか?」

 アレクシアが尋ねる。

 ジークフリートは首を傾げつつ頷いた。

「ああ、まったく。俺は人間で、このような角が生えた経験もなかったのだがな……」

 ベッドから出て鏡の前に立つと、見覚えのある角だった。どこか懐かしく、それでいて思い出したくもない角の縮小版だ。

「なるほど、見事なものだな」

「いや、そんなことを言っている場合ですか。獣人の方々ならば、確かに獣化することでその血筋の獣の特性を肉体に反映できますけど、あなたはそうではないのでしょう?」

「少なくとも、俺の血筋に人ならざる者がいたと聞いたことはないな」

 獣人の類はこの世界では珍しくもない。

 とりわけヘラス帝国は亜人間を中心に構成された国家なので、街を歩けば様々な外見の人がいる。角や翼が生えている人もいれば、まさしく獣が二足歩行をしているような外観の者もいた。

 ジークフリートの世界にも獣人は存在しているが、ここまでおおっぴらに出てくることはなかった。彼らは人目を避け、世界の影にひっそりと息づいている者たちだった。

 または、魔物や神、精霊との間に生まれるハーフもいるにはいるが、ジークフリートはそういった血筋の生まれではない。

 純粋に人間の家系に生まれた存在だ。生まれついて肉体的、霊的に恵まれた素質は人並み外れたものであったが、それでも種族は人間の枠の中にあった。

「まあ、心当たりはある」

「ああ、あるのですか」

「血筋というわけではないが、俺も竜には縁が深いからな」

 多くは語らない。語ったところで信じられるはずもなく、過去の出来事誇りではあるものの自慢するようなことはないからだ。

 ただ、事実としてこの身体には竜の血が流れている。

 その影響が身体に出たのだろう。

 生前にはなかったことだが、それを言えば病院に担ぎ込まれるほどの手傷を負うのもこれが初めてだ。ならば、このような初体験があっても不思議ではないだろう。

 問題があるとすれば、この角がなぜ現れたのかということだろう。

 疲労や怪我が原因ならば分かりやすいが、そうでないのならば身体に悪影響を与える懸念が無きにしも非ずだ。力の源泉は竜の血だ。根本からして人の身には馴染まない。

 始めにジークフリートが気づき、それからアレクシアが勘付いた。

 視線を交わし意思疎通を図る。

 隣の病室のベランダに二人と扉の外に二人いる。気配を消す訓練を受けているのだろう。ここまで接近されるまで気付かなかった。

 扉がノックされ、返事も待たずに開かれた。

 黒いローブの男が二人、室内に入ってくる。

 胸に帝国の紋章が入った漆黒のローブに、アレクシアは目を見開く。

「秘密警察が、何のようですか?」

 警戒心を抱きながら、アレクシアは尋ねた。

 彼らは警察と軍の間に位置する特殊機関の者たちだ。おそらくはベランダにいる二人も同じ秘密警察の職員であろう。国家に対する重罪や軍部の汚職などを捜査し、摘発するのが彼らの主な仕事である。それが、この場に現れる理由が分からない。

 秘密警察の一人が指を虚空に走らせると、一枚の巻物が現れた。男はそれを広げて読み上げる。

「アレクシア・アビントン、ジークフリート、ベティ・アンダーソン、ブレンダ・アンダーソン。お前たちを国家反逆罪で逮捕する」

 彼の言葉に誰もが絶句した。何を言っているのか、まったく分からない。同じ言葉を話しているはずなのに、その意味が頭に入ってこないのだ。

「国家反逆罪……わたしたちが?」

 頭を鈍器で殴られたかのような衝撃であった。

 帝国に仕える騎士としての責務を全うせんと幼い頃より修練を積み上げてきたアレクシアはもとより、ベティやブレンダのような魔法学校を卒業したばかりの少女にすらそのような大罪を適用しようとは。ましてや、これまで帝国の民のために身を粉にして働いてきた者たちである。ジークフリートに至っては英雄とまで持て囃されている。それを、ここであらぬ罪を着せて潰す気か。

「み、身に覚えがありません! 何故、わたしたちが国家反逆罪で掴まらなければならないのですか!?」

「お前たちには、テオドラ第三皇女を謀り敵国に引き渡した容疑がかかっている。テオドラ様のお気に入りの騎士と警備隊長ならば、さぞ簡単に事を成せたであろう」

「君たちはすでに囲まれている。大人しく縄につけば、悪いようにはしない」

 冗談ではない。

 国家反逆罪は帝国の中でも最大級の重罪だ。未遂でも長期に渡る投獄、場合によっては極刑すらもあり得る。

「無実です。わたしたちはそのようなことはしていません! 確かに、テオドラ様をお守り申し上げることはできませんでしたが、決して二心を抱いたりはしません!」

「そ、そうだ! どうしてわたしたちがそんな罪を着せられなければならないんだ!」

「おかしい」

 口々に抗議するアレクシアたちに、ローブの男は黙して語らない。

 もはや、語るだけ無駄なのだ。

 彼らは彼らの仕事があり、そのためにここに来ている。

 アレクシアらを捕らえよと、命令してきたのは上のほうだろう。ならば、彼らの上層部が決定を覆さない限り、この汚名は雪げない。そして、それはこの場でどれだけ反論を積み上げたところで実現できるものではなかった。

 二人のローブの男が、呪文を詠唱し始める。

 極めて強力な捕縛魔法だ。囚われれば、アレクシアとて脱出は困難を極めるだろう。

「く……」

 判断に迷う。

 自らの無実を証明するのであれば、大人しく捕まり、公の場で証言すべきである。ここで抵抗するのは、自分の否を認めるようなものであろう。だが、その一方でこの件には間違いなく完全なる世界が関わっている。テオドラが攫われたと判断するに足る証拠はあっても、その原因を『黒の翼』に帰す要素はないはずだった。それどころか、テロリストと激闘を繰り広げたのはアレクシアたち――――主としてジークフリートであった。その事実は、崩れたホテルに残された映像記録でも漁れば出てくるだろう。それにも関わらずこれほど早期に動いたということは、間違いなく敵の手が回っているということではないか。

 となれば、囚われればそれで終わりだ。抗弁する機会を与えられるかどうかも怪しい。そして何よりもテオドラを探し出して救出することができなくなる。

 結論は一つだけだ。

 アレクシアが抵抗の火を瞳に灯らせたまさにその瞬間、彼女の真横を過ぎ去る黒き旋風がローブの男をなぎ倒す。

「あ……」

 アレクシアは緊張の糸が切れて吐息を漏らした。

 風と見紛うほどに速く、迅速に秘密警察を蹴散らしたのはジークフリートであった。

「やるぅ、ジーク!」

 ブレンダは飛び上がって喜びながら、窓に手を向ける。半透明な障壁が、窓ガラスを砕いて襲い掛かる火炎を弾き返した。

 さらに突入しようとした二人組をベティが撃ち落す。

「隊長、どうするの?」

「ああ、もう! 逃げます! 輸送船まで、全力疾走! ここまで来て捕まるもんですか!」

 着の身着のままで四人は窓から飛び出す。発動した罠が即座に全面に襲い掛かってくるものの、ジークフリートの斬撃に耐えることなど不可能だ。高度に練り上げられた魔法檻は、なかったかの如く粉砕される。

 ベティはジークフリートの小脇に抱えられ、ブレンダは肩に乗っかっている。自分で走るより、ジークフリートに運んでもらうほうがずっと速く安全だ。

「うわぁぁ! なんでわたしが罪人扱いなんですかもー!」

 アレクシアは髪を振り乱して叫ぶ。叫びながら走る。こうなったら、テオドラをなんとしてでも救出し、無実を証明するよりほかにない。そうでなければ命を奪われるのみならず、末代まで大罪人として扱われるだろう。

 もともとテオドラを救出するのは最優先課題だった。やるべきことに変わりはない。ただ、それが命のみならず名誉まで賭けたものになったというだけのことだ。

「後ろから来る」

 ジークフリートに抱えられたベティが言う。

 肩に乗っかるブレンダは、後ろに頭を向けている。だから、後方から来る敵を迎撃するには都合がよかった。迸る可能な限りの障壁をトラップとして仕掛けた。逃走経路は立ち並ぶ住宅の屋根の上。一般人を巻き込む心配はなかった。罠に引っかかった追っ手が怒声を放つ。

「アレクシア」

 ジークフリートが言う。

「何ですか?」

「俺たちの船の場所は、彼らも知っているはずだ。そちらにも手が回っているのと考えたほうがいい」

「確かに……」

 姿を隠すつもりのなかったジークフリートたちは普通に街中に輸送船を停めている。探し出すのは容易だろう。

 激しい騒音が鳴り響く。空を行く輸送船(マンタ)の列を乱し、飛び上がった見覚えのあるシルエットに視線を釘付けになる。

「あれは……」

「わたしたちの船!」

 急上昇する金魚型輸送船から数人の男たちが落下する。秘密警察のローブを着込んだ男たちだ。輸送船の急発進についていけず、振り落とされたのであろう。修練を積んだ魔法使いならば、数百メートルの高さから落下したとしても怪我はしないだろう。

 すぐに、コリンとの念話が繋がった。

「コリン、あなた、無事なの?」

『おう、やっと繋がった、AA隊長。操縦士コリン何とか無事っす――――そっちは?』

「事情はあなたと同じよ。今、屋根の上」

 アレクシアが空に炎熱魔法を打ち上げる。小さな爆発は、その直下にいる四人の居場所をコリンに伝えた。

『見っけました。すぐに拾います……うわッ』

 コリンが声を上げる。

 輸送船の外壁が爆発したのだ。

 地上から放たれた魔法が輸送船に直撃している。連続で放たれるそれは、魔法障壁によって食い止められてはいるものの、決して無視できないダメージを与えている。

「跳ぶぞ」

 言ったのはジークフリートであった。

 輸送船が高度を下げている今、中に入れずともその背中に乗ることはできよう。向かってくる鉄の塊に飛び移る危険性は極めて高い。ジークフリートと彼に運ばれている二人はまだしも、アレクシアは生身で何とかしなければならないのだ。魔法で身体を強化して、あそこまで跳べるか否か。

「行きます!」

 悩んでいる場合ではないし、跳ぶしかないだろう。まず跳んだのはジークフリートだ。二人を抱えていながら実に軽々と金魚の背中に飛び移った。飛び交う魔法も彼の肉体とブレンダの障壁魔法を駆使して弾き返す。次いで、ブレンダが障壁を広範囲に展開し、対空砲の如く撃ち放たれる魔法を防ぐ。輸送船は体勢を立て直し、アレクシアが落ち着いて飛び移る余裕を生み出した。

 輸送船の中に入るや、精霊エンジンの出力を最大にまで上げて全力で街を脱出する。(デコイ)をばら撒いて、一目散に逃げ出したのだ。

 アレクシアは輸送船の中に入ると、真っ直ぐに操縦席を目指した。

「隊長、まずどこに行きます?」

 アレクシアが何か言う前にコリンが尋ねてきた。目で見て確認できる程度のことに問答の時間を割く余裕はない。今決めるべきは、どこに退避するのかということであった。

「北に行きましょう。連合の進軍で放棄された軍の施設がいくらかあるはずです」

「なるほど。まあ、そこなら燃料の補給もできるかもしれないっすね」

 コリンは頷き、操縦桿を操作する。

 目的地はある程度定まったとはいえ、ここを乗り切らねば意味がない。

 追手は軍の正規装備で、その追いかけてくる警備艇の速度もかなりのものだ。魔改造したこの金魚でも、到底振り切れない。

 攻撃魔法が次々と背後から襲い掛かってくる。

 魔法障壁が削られて、機内が激しく動揺する。

 警報が鳴り響き、金魚の形がゆがんでいく。強力な魔法障壁の内側にすら浸透するほどの猛攻であった。

「あいつら、完全に殺す気じゃないの!?」

 ブレンダが叫んだ。彼女自身も、障壁魔法を必死に張って輸送船を補強している。

「ま、戦時中の裏切り者扱いだからなぁ」

「何をのんきなことを言ってるんですか!?」

 コリンが言うように今のアレクシアたちは超危険人物だ。捕縛が難しければ、殺すことも辞さないという態度にも納得がいくし、秘密警察とはそういうことを司る組織である。それに、ジャック・ラカンが裏切ってからは、裏切り者に対する対応も苛烈さを増しているという。いずれにしても、逃げ切れなければ戦うよりほかになく、そうなれば国家反逆罪を肯定するようなものであった。自国の兵に手を挙げるなどあってはならない暴挙である。真の敵にますます弱みを握らせることになってしまう。

「幻想大剣なら落とせるだろうが……」

 そうなれば死傷者が出る。

 『黒の翼』が無実なのは当然として、追ってくる秘密警察もまた敵に踊らされている善良なる人間が過半数であろう。そこに必殺の宝具を打ち込むのは気が咎める。そのようなことを言っている場合ではないのだろうが、秘密警察の警備艇を粉砕し、街中に瓦礫をばら撒いたとなっては、無垢な市民を徒に傷付けることになる。

「先に行け。俺が残り、足を止める」

 対軍宝具を使えないのであれば、近接戦闘でどうにかするしかない。

「しかし……!」

「他に手がない。この速度では遠からず追い付かれるだろう」

「く……!」

 アレクシアは唇を噛む。

 確かにジークフリートの言うとおりだ。秘密警察の警備艇程度であれば、ジークフリートの戦闘能力でどうとでもなる。しかし、彼は本調子ではない。謎の肉体の変化もある。決して、楽観視はできない状況なのだ。

 今までにない強烈な揺れが輸送船を襲った。

「障壁の出力が五十パー切っちまったぞ!」

 コリンが叫んだ。

 大きな砲撃が来れば耐え切れずに瓦解する。

「……頼みます、ジークフリート」

「承知した」

 言うやジークフリートは身を翻す。

 蹴り破るほどの勢いで外に躍り出たジークフリートは、己が宝剣を抜いて空に黄昏の波動を打ち放つ。何ものをも巻き込まない代わりに、その注意を完全にそちらに惹き付けた。

 向かってくる警備艇の数は、十機だった。すべてが機動力を重視した小型機である。

戦いの歌(カントゥス・ベラークス)

 ジークフリートの全身を淡い魔力の光が包み込む。肉体強化の基本魔法。この世界の魔法は言葉に宿る力だけでも低位の魔法なら発動させることができるという利便性があり、訓練を積めば誰でもそこそこの魔法使いになることができる。竜の心臓の影響で莫大な魔力を持つジークフリートであっても、この程度の魔法ならば慣れれば使用できるのである。

 普段は使う必要がないほど、彼の地力は高い。

 しかし、今は緊急の時。 

 アレクシアが不安視したように、ジークフリートは未だ本調子ではない。

 チカリ、と警備艇が煌いた。

 ジークフリートは無心になって剣を振るう。強烈な警備艇の砲を、ジークフリートの圧倒的な神秘が斬り裂いた。

「行けるか」

 行かねばなるまい。

 警備艇との距離はおよそ五十メートルと少しにまで近付いている。

 これならば――――一歩で届く。

 魔力で鎧を生成し、飛び出したジークフリートに、警備艇の操縦士はまったく対応できなかった。もちろん、砲撃手もだ。この速度域で向かってくる人間に反応すること自体が不可能なのだ。

 空中で剣を振り上げたジークフリートがやすやすとその右翼を斬り落とすに至って初めて攻撃を受けたことに気がついたくらいであった。

 翼と精霊エンジンを片方失った警備艇など落ちるしかない鉄くずだ。慣性のままに墜落していく。緊急展開された魔法障壁が船体の崩壊を未然に食い止め、落下速度を緩めているのがせめてもの救いであり、これがあるからジークフリートも船を落とすことができる。

「――――次を」

 瞬く間に敵を落としていく。

 心臓が強く脈打っている。

 恐ろしく強力な魔力が全身を駆け巡り、脳を熱くしていく。

「く……!」

 やはり、妙だ。

 鼓動が痛い。手足には異様なまでに力が篭っている。魔力が充溢している代わりに制御が利いていない。そんな気がしてならない。その異常は身体の痛みにまで繋がっていて、戦い始めて僅かの間に額に汗が滲むほどであった。

 最後の一機を落とした後で、大きく跳躍して身を隠す。幸いにして、ここは街の外に広がる広大な森の中であった。身を隠す場所は有り余っている。

「ぐ、ぐ……」

 ぞわり、と全身に怖気が走る。

 大木に身を預けて座り込み、呼吸をする。魔力を生成し、全身に回せば如何なる傷をもたちどころに修復するだろう。それが、完成された生命力を有する竜の心臓を持つ者の特権だ。生前はそもそも傷つくことがなかったので、この強大なる生命力に頼るという状況自体が発生し得なかったのだから、これは貴重な経験とも言えるだろう。

 魔力で生成した籠手を消す。防具というのは鉄壁の肉体を持つジークフリートにとっては、飾りでしかないが、それでも見た目というのは戦の上で重要なのだ。それも、敵対する者がいなければ外して構うまい。何よりも手に違和感を覚えている。

 自らの手を見て、しばし唖然とする。

「なるほど、これは良くないな」

 ジークフリートの手の甲が浅黒く変色している。竜の血を浴びて以降、肌が褐色に染まりはしたが、それにしても手の甲に現れた浅黒さはジークフリートの元々の肌の色とかけ離れていた。

 よく見ればそれは竜鱗であった。

 見覚えのある竜鱗だ。

 そう、彼の手に現れたのは邪竜ファヴニールの鱗と酷似したものであった。角の件といい、これはまさしく、疑いようもなく、ジークフリートの肉体が竜に近付いているということの証左であった。となれば、この苦しみは呼吸による魔力生成で強まることはあっても治まることはまずあるまい。肉体の変容の根本原因が竜の心臓である以上、竜の心臓を用いた治癒は肉体の変容を加速するだけだ。

 さて、どうするか。

 ジークフリートには、この異常を解決するだけの智慧がない。

 魔術師ならぬジークフリートは、ただ剣を振るうことしかできない。まして、この世界は元の世界とは根本を異にしている異世界であり、ジークフリートの身に流れる竜の血に対応できるはずがない。

 このまま何事もなく生きていけるのか、それとも竜の血に飲まれて死ぬのか。あるいは、第二のファヴニールと化してしまうのか。千里眼でも持っていれば、先のことを知ることができたかもしれないのに。だが、それは遙か神代に於いて理を究めた魔術師のみが至ることのできる至高の技法であって、魔術師ならぬジークフリートは今をどうにかすることで未来の理想を引き当てる努力をする他ない。

「なんだい、なんだい、本物がいるっていうから来てみたらずいぶんと情けないことになってるじゃないか」

 誰もいないはずの森の中に唐突に響く声がジークフリートの意識を外に向けさせた。

 暫し後、ジークフリートがわずかな気配を察して右側に視線を向けると、ねじれた空間から豊満な身体の女が現れた。転移魔法の類か。

「貴女は?」

「ダーナ・アナンガ・ジャガンナーダ。狭間の魔女と人は呼ぶ。最も気高く、最も美しい不死の怪物さ」

 怖気の走る笑みを浮かべてダーナはジークフリートを見る。

「帝国の者というわけではないようだな」

「人間の争いごとに興味はないよ。特に次元を支配するこのわたしにとっては、一つの時代の戦争なんぞにいちいち干渉しちゃいられないさ。ただ、そこに本物の英霊が出てくるとなると、そうは言ってられないからね」

「……何を知っている」

「座と英霊の概念程度。平行世界にまでは関われないから、知識としてあるだけだけど、それでもこうして言葉を交わせる機会があるってのは感慨深いね」

 ダーナから発せられる気配は、これまでに出会ってきたあらゆる猛者とは次元の異なるものであった。ジークフリートをして警戒せねばならぬ人外の気配を感じる。

 真っ当な体調ならばまだしも、今は到底全力で戦えない状態だ。

 戦闘は避けるに越したことはないが、果たして彼女の目的な何なのか。

 この世界には英霊の概念はないものと思っていたが、それはただ知られていないだけで実際には座に至る者もいるということだったというのは驚きで、それを知っている彼女は明らかにこの世界において最高峰の魔法使いでもあるのだろう。

「何が目的だ?」

「御伽噺の英雄が出てきてるってんだから一目会ってみたいと思うのはおかしいかね? まあ、ちっと残念だけどね。曲りなりにも不死を謳われた英雄が、弱点以外の理由で弱ってんのはさ」

 ジークフリートの本能が警鐘を鳴らした。

 彼女の全身から異様な魔力を感じる。何かしらの強大な魔法を使うつもりでいるに違いない。

 ジークフリートは立ち上がって幻想大剣を構える。

「く……」

 幻想大剣に魔力を注ごうとしたとき、やはり身体に痛みが走った。

「ふん、自分の力に喰われそうになってるんじゃないの。無理が祟ったね。せっかくだから、研究も兼ねて我が屋敷に招待してあげるよ」

 ジークフリートの隙を見逃さず、狭間の魔女は即座に魔法を発動した。呪文など、この規模の魔法使いにしてみればあってないようなものだ。ジークフリートを夜の帳に飲み込んで、共に世界から姿を消した。

 


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