正義を目指す竜殺し《完結》   作:山中 一

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ジークの着る服は後ろがでっかく裂けているのだ。


第十六話

 ヘラス帝国は魔法世界の南部に位置する大帝国であり、その広大な領土と温暖な気候故に幅広い植生が有する広大な森林に恵まれている。

 『黒の翼』が輸送船を飛ばした北方の国境付近は戦火を避けるために空っぽとなった多くの集落や放棄された軍の施設が点在している。

 背の高い木々が生い茂る熱帯雨林の中を、アレクシアたちは走っている。

 幸いなことに熱帯雨林の特徴で足元の下草は少なく動きやすい。落ちた地域がジャングルでなかったことに感謝しよう。だが、それは翻せば身を隠す場所が少なく、敵も足で追いかけやすいということである。森に生きる魔法生物の危険もあり、人の手が入っていない原始の森を行くのは専門の装備と経験を必要とする難行である。騎士として修練を積んだアレクシアはまだしも他三名はサバイバルの経験はほとんどない。

 愛用の船は数十分前に落ちた。

 撃ち落されたのではなく、燃料切れを起こしたのである。

 精霊エンジンを全開にして、秘密警察の追っ手からここまで逃れてきた。ジークフリートの安否は分からず、ただ新たな追っ手が近づいているという事実だけは確認している。船に残り、彼との合流を待つという手は使えない。

「ひぃ、アイツラ、しつこい……!」

「無駄口を叩いていると体力を消耗するだけよ。周囲に気を配りながら黙々と走りなさい」

 囁くアレクシアはここまで走り続けでありながらもほとんど息を上げていない。

 向かう先には集落がある。数ヶ月前まで普通に人が住んでいた辺境の村であり、軍の駐屯地としてそこそこの賑わいがあった場所でもある。そこで、何かしらの乗り物を得ることができれば、追跡者を振り切ることも不可能ではない。

 帝国が放った追っ手――――秘密警察は着々とアレクシアたちとの距離を詰めているだろう。彼らは生粋の猟犬であり、獲物を追い詰めるために存在している。

 樹木の合間を縫って走るアレクシアは右手の奥で光を見た。

「頭を低く!」

 叫ぶ。

 従った仲間たちの頭上を魔法の矢が過ぎ去っていく。風の矢。捕縛に特化した魔法の矢だ。

「追いつかれた」

「ブレンダ、罠を!」

「どこまで通じるか分かんないよ!」 

 言いながら、ブレンダは四方八方に障壁魔法をばら撒いた。攻撃的な障壁だ。触れた者を拘束し、その場に縫い止める足止め用の障壁。

 それもブレンダが言うように通じるかどうか。気休めにしかなるまい。もとより罠は敵を追い詰めるためのものだ。綿密な作戦を立てた上で設置し、敵をそこに誘い込んで初めて効果を発揮する。追っ手側が仕掛けるべきものであって、逃亡者が罠を仕掛けても然したる意味はないだろう。ましてや、今まさに追われている状況では。

 それでも、僅かに敵の足を止めたり、迂回させたりといった手間をかけさせることはできる。進んで罠に突っ込む輩はいるまい。

 アレクシアもまた魔法の矢で応戦する。走りながら敵を狙うのは、至難の業でとても狙いなど定められるものではない。牽制になれば御の字だろう。

 滑りやすく倒木も多いこの環境で、足元を気にしながら魔法戦闘を行う。狩猟に特化した秘密警察の独擅場といっても過言でもなく、どこまで追われる立場のアレクシアたちは不利を強要される。

「う、わ……」

 コリンのローブが木の枝に引っかかる。

 慌てて脱ぎ捨て、転がるように走った。

「走って! 止まらないで!」

 叫ぶアレクシア。それは、自分に言い聞かせているかのようで、悲痛の音色を多分に含んでいる。

流水の縛り手(ウインクトウス・アクアーリウス)

魔法の射手・戒めの風矢(サギタ・マギカ・アエール・カプトゥーラエ)

 左右からの挟撃。

 地を這うように立ち上がる水の蛇と散弾の如く広がる三十一の風の矢が襲い掛かってくる。

氷爆(ニウィス・カースス)!」

 ベティが流水の縛り手に向けて凍気の爆風を放つ。氷結の爆風が襲い来る水を散らし、凍結させる。

 飛来する魔法の矢は、ブレンダの障壁魔法が楯となって遮る。誘導性能があるために、木の陰に隠れても回り込まれる可能性がある。結局は、魔法障壁で防ぐか迎撃するのが一番だ。

 攻撃性能の高い炎や雷の魔法を迂闊に使えば、周囲に引火して大惨事となる可能性もある。追っ手のほうもアレクシアたちを捕縛したいだろうから、極力殺傷性の高い攻撃はしないはずだ。主として風や水、氷による捕縛を狙ってくるはず。敵の攻撃が制限されているというのは、アレクシアたち逃亡者にとっては、不幸中の幸いだ。もしも、敵の中に彼女たちの生死を問わず、この森のことも気にしない者がいたとしたら、千の雷や燃える天空のような広範囲殲滅魔法で焼け野原にされていたことだろう。

「敵の目的はあくまでも捕縛……なら、逃げ切れる可能性はあるはず!」

 それが一縷の望みであった。

 考える。 

 如何にしてこの危機を乗り越えるか。

 正確な敵の数は不明で、実力も謎。ただ、自分と同等か、それ以上の者がいるということだけは確かであり、その戦術は多対少に特化したものだ。ならば、何とか一対一に持ち込めれば、或いは希望があるかもしれない。

「が――――」

 アレクシアは右肩に鈍痛を感じてつんのめる。

 そのまま転がって巨木に身体を強かに打ちつけた。

「か、は――――!」

 遅れてやって来る激痛が、脳を痺れさせる。

 右肩に背後から突き刺さった氷の塊が、衣服に赤い染みを広げている。

 なるほど、とアレクシアは薄く笑った。

 確かに捕縛するとはいっても、五体満足である必要はないか。

「隊長!」

 追い抜いていったコリンが、慌てて振り返る。ブレンダとベティも足を止め、駆け寄ろうとする。

「来ないで!」

 アレクシアが叫び、三人を制した。

「コリン。二人を連れて先に行きなさい!」

 大剣を召喚したアレクシアは、立ち上がり、背後に向かって構える。降り注ぐ氷の矢を、雷で強化した大剣で打ち払う。爆音と雷撃が迸り、氷の雨を退ける。

「止まるな!」

「ッ……」

 コリンは唇を噛み、ベティとブレンダを抱きかかえて走り出した。

「あ、ちょっと! 止まりなさいよ、隊長は!?」

「操縦士! おい、何してる!」

「うるせえ! 分かってんだよ、だけどな、これは隊長命令だ!」

 怒鳴る。 

 己に言い聞かせるように。

 コリンだってあの場に残ってどうにかできるのならば残りたい。だが、それは不可能だった。手傷を追ったアレクシアを助けに戻ったところで、勢いを失った一行は一網打尽になるだけだ。彼女は残るつもりだった。手傷を追ったことで覚悟を決めたのだ。ジークフリートと同じように足止めに徹し、全滅を避けることでテオドラの救出に望みを繋げようとしている。

「テオドラ様を助けるために、一つでも多くの希望を残さなけりゃいけねえんだ。俺はともかく、お前たちはこんなとこで脱落させるわけにはいかないっての」

 コリンは一番の年長者でしかも男だ。筋を通すのならば、敵を相手に一騎当千の活躍をして、窮地をひっくり返すくらいはしてみたい。するのが正しいのだろう。だが、その力はない。無念で情けなくて仕方がないが、こういう場面では逃げるしかないのが、コリンの現実だ。であれば、せめて二人の少女くらいは安全な場所まで連れていかなければなるまい。

 ――――ぼさぼさしてないでさっさと戻って来いよ、ジーク!

 心の中で戦友に呼びかけ、コリンは森をひた走った。

 

 

 コリンがブレンダとベティを連れて離脱した。

 上手く逃げてくれと願う。

 アレクシア自身が怪我をしなくとも、どこかでこうなっていたことだろう。コリンに戦闘能力はなく、他の二人は年下だ。敵を足止めできるのはアレクシアだけなのだから、アレクシアが残る以外に道はない。それに、操縦士であるコリンがいなければ、せっかく村まで逃れて乗り物を見つけても扱えない。彼は「足」を動かす上で欠かすことのできない人材なのだ。

 氷の矢で貫かれた右手は感覚がなく、だらりと垂れ下がっている。

 魔法障壁と強化魔法を物ともせずに貫いたことから、防御無視の魔法が付与された高度な一撃だったことが分かる。殺す気ではないだろうが、死んでも構わないくらいには思っているのかもしれない。

 左手一本で扱うには重い剣だが、魔法のおかげで重量は関係なく振るうことができる。ただ、片手しかないという状況での戦闘を想定したことがなく、バランスが悪いという欠点はあるが、幅広の剣は楯にもなる。

 樹木に背中を預けて呼吸を整える。

 全身に裂傷と凍傷が多数ある。魔力も限界に近い。貧乏くじを引いてばかりだと自嘲する。

「何でわたしがこんな目に」

 地に伏せると、隠れていた大木が丸く削り取られて倒れた。

 風の弾丸が駆け抜けて、粉塵を撒き散らす。

 飛び出したアレクシアに殺到する魔法の数々。氷と水に紛れた風の矢が最大の脅威だ。身動きを封じられたところに攻勢魔法を放たれれば、さすがに死を意識せざるを得ない。

「う、あああああああああああああ!」

 アレクシアは障壁を全開にして、最も攻撃の薄い場所に自ら身を投げた。

風花・風障壁(フランス・パリエース・アエリアーリス)!」

 十トントラックの衝突すらも防ぎきる見えざる障壁を全面に展開する。風の障壁に突き立つ魔法の数々にアレクシアは総身を振るわせた。

「ぷはッ」

 思わず息を止めていた。

 魔法の雨霰を乗り切った先に、安住の地があるわけでもない。視線を走らせるアレクシアは前方に黒いローブの魔法使いを三人確認した。

「三人だけ――――いや……」

 黒ローブは囮だ。

 あれも見事な魔法の使い手なのは確かだが、それだけではない。わざと目立つ服を着ることで意識を引き付けている。探査魔法を発動、さらに視力を強化して全方位の策敵を開始――――頭上から落下物アリ。

「ッ」

 横っ飛びで避けたアレクシアのいた場所に、三人の緑色のローブを着た男が落ちてきた。

 魔法による迷彩ではなく、森の緑を利用した光学迷彩だ。

「セイッ」

 起き上がり様に大剣を振るう。

 戦闘のローブの裾を掠めるように振るわれた剣の切先から、障壁破りの魔法を放つ。斬撃を警戒した敵はまんまと引っかかり、魔法障壁を失った。

「白き雷――――!」

 至近距離から放たれた雷光に貫かれたローブは閃電に弾かれるようにして木に叩きつけられて動かなくなる。これで、残り二人。

「オオウッ」

 前に進み出た者のローブが肌蹴る。全身に白銀の体毛を生やした狼人間であった。肉体は二倍近くまで膨らみ、アレクシアを見下ろす真っ赤な眼光が薄暗い森の中で怪しく光る。

「ッ……!」

 アレクシアが真横に跳ぶと同時に、不可視の砲撃が地面を抉り取る。これは、狼の咆哮だ。魔力を練り込んだ空気を喉を通して砲弾として撃ち放ったのである。

 アレクシアは無詠唱で風の矢を五本跳ばした。狙いは白銀の狼人間。取り囲むようにして逃げ場を消し、あたかも鳥かごであるかの如くその身を拘束する。

 狼人間の姿が消える。

 風の五矢が絡め取ったのは、狼人間が羽織っていたローブだけだ。

「う、あ……!」

 咄嗟に剣を楯にするアレクシアを、丸太で殴りつけたような衝撃が襲う。小柄な身体が宙を舞い、巨木に背中を叩き付けられた。肺腑の底から空気が抜けて、そのまま枯葉の海にうつ伏せになる。

 トドメとばかりに、狼人間がアレクシアに走りよる。

 どれだけ逃げても無駄なわけだ。

 臭いで追跡してくるようなメンバー構成では、空を行く以外に逃げる術がなかったのだ。が、ここで彼を抑えれば、コリンたちを逃がす時間は稼げる。

 狼人間が三メートルのところにまで近づいたとき、アレクシアは枯葉の下に隠れた魔法陣を起動させる。

 ブレンダが仕掛けた拘束魔法が淡く輝き、狼人間を束縛する。

「く……ぬぅ!」

 地面から現れた十三の鎖は屈強な狼人間の身体に絡みついて完全にその動きを縫い止めた。

「油断したな」

「面目ない」

「構わん。いずれにしても捕らえれば務めも終わりだ」

 残り一人。

 アレクシアは跳ね起きて、剣を振るった。閃電が地面を駆けて、最後の一人に迫る。

「フン」

 地面を踏みつけた男の足元から放射状に気が広がる。それは三百六十度に行き渡り、地を走る電撃を吹き消してしまう。

 防がれることは承知の上だ。

 アレクシアは一息で敵の懐に飛び込んだ。相手は今、アレクシアの魔法に対処したばかりで防御の姿勢は取れていない。

 突進の勢いをそのままに、アレクシアは敵に向けて剣を振り下ろした。

 こともあろうに、ローブの男はアレクシアの剣を右前腕で受け止めた。強化魔法を施した大剣の攻撃力は岩をも砕くというのに。それを平然と受け止めて、尚且つ蹴りで反撃までしてくる。アレクシアはバックステップで交わしつつ、剣の切先を向けて牽制した。

「強い」

 小さく呟く。

 先行してきた三名の魔法使いの中で、この男が最も厄介だと直感した。

 動かぬ片手というハンデを抱えて、戦える相手ではないと。

 男の右袖が裂けて腕が露になる。鍛え抜かれた太い腕だ。前腕の太さは、アレクシアのそれの二倍を越える。当然のことながら、身体強化魔法の技術が同等であった場合、術者の強化後の身体能力は素の身体能力に左右される。相手が屈強な男であり、かつ身体強化の魔法に長けていた場合、アレクシアは筋力ではまず勝ち目がない。

「女性を相手に、ずいぶんと物騒ですね」

 などと、声をかけてみる。

 相手は特に反応を返さなかった。生粋の仕事人。これから捕まえる犯罪者といちいち会話を交わすつもりはないということか。

 これでは、交渉の余地はなく、会話による時間稼ぎもできないだろう。

 敵の姿勢が低く沈む。

 次の瞬間、バネ仕掛けの玩具のように爆発的加速で以てアレクシアとの距離を縮めた敵の瞬動に、思わず身を固くする。

 ――――しまった!

 思うよりも前に身体を動かす。

 剣を手放して転がるように後ろに下がる。大剣の間合いに入られた以上、持っていても荷物になるだけだからだ。身軽になって、腕を自由にしなければならない。眼前に迫る黒い棒状の武器をアレクシアは強化した左手で払う。直接受け止めれば、骨を砕かれそうだから、まともに防御はできない。

 払い、首を捻り、身を低くして掻い潜る。

 男が振るう棒が空気を切る音が断続的に続き、掠めた木々が表皮を砕かれる。

 それが、トンファーと呼ばれる武器であるなどと、魔法世界人たるアレクシアには知る由もないが、剣の間合いよりも深く敵の懐に入り込んだ状態での打撃戦に於いて無類の強さを発揮する武器の一つである。

 アレクシアが腰から抜いたナイフとトンファーが火花を散らす。

 形勢は傍から見てもアレクシアが不利だった。敵の猛攻を必死になって受け流すだけの作業が続く。

 後ろに下がりながら武器を打ち合わせる中で、アレクシアは遂に露出した岩に足を取られてバランスを崩した。そこを狙って打ち込まれたトンファーがナイフを弾き、二撃目でアレクシアの顎を掠めた。絶妙な角度で入った一撃によって、脳が揺さぶられて膝から力が抜けた。

「か、あ……」

 膝をつき、前のめりになって倒れ込む。

「ぐ……!」

 辛うじて意識を保ちながらも、視界が揺れてまったく手足が動かない。

 脳震盪を起こしているのだと理解するのに、十秒近くを要した。それだけの時間を無防備にしていれば、当然のように囲まれる。

 緑のローブのみならず、魔法攻撃を仕掛けてきていた黒ローブまで出てきて、アレクシアの周りに合計で八名もの魔法使いが現れた。

「確保しろ」

 緑のローブが言う。

 動けないアレクシアにさらに魔法の拘束がかけられていく。声も出せず身体も動かせず、魔力すらも封じられていく。思考が朧になり、やがて闇が押し寄せる。

 眠りに落ちる寸前のアレクシアの頬を、柔らかい風が撫でた。

 ふわり、と宙に浮く感覚。

 魔法拘束が崩れ、身体の自由が戻ってくる。

 ショートしかけた意識が急速に浮上していく。

 ああ、――――来るだろうとは思っていた。タイミングを見計らっていたかのような絶妙な頃合。物語としては映えるだろう。しかし、アレクシアからすれば恨み言の一つくらいは言いたいものだ。

「ありがとうございます。ですが、少し遅いと思います」

 アレクシアは安堵の笑みを浮かべて言った。

 

 

 コリンたちと合流するべく森を走り抜けたジークフリートの眼前に広がっていたのは、砂の大地であった。一キロほど先には青々とした緑が広がっているのが見える。

 南北五キロ、東西一キロに渡って不毛の大地がむき出しになっていたのである。ところどころに炭化した木が転がっている。ここはかつて戦場だったのだ。大魔法か艦載砲か、あるいは単に炎が延焼しただけなのか。熱帯雨林を構成していた木々は燃え墜ち、以降草木一つ生えない状態が続いている。

 熱帯雨林の特徴の一つである。

 豊かな植生に反して土壌そのものは決して豊かとは言えず、何らかの理由で木々が一度に失われると急速に砂漠化してしまう。

 魔法世界のみならず、旧世界でも同様の理由から砂漠が広がっている土地もある。

 だが、一見して不毛の大地となったこの地にも、根を張る命は存在する。

 先に逃れた三人の仲間の姿は六百メートルほど先にあり、その北側の砂地が盛り上がって一匹の巨大なミミズのような生き物が姿を現す。

「砂蟲……!」

 アレクシアは息を呑んだ。

 全長は三十メートルには達するだろうか。皺だらけの表皮は分厚く、先端からイソギンチャクのように無数の触手を生やした姿は生理的嫌悪の対象となる。恐るべき巨体は、砂漠に生きる様々な命を食い荒らし、我が物顔で砂の海を泳ぐ。

 成体ともなれば魔法使いすら捕食する。

 まさに、砂漠の王。

 砂漠を渡る上で、出会ってはいけない魔獣の一種であった。

「ジークフリート!」

「ああ」

 ジークフリートは砂の大地に足を取られることもなく、一息で走りより、今まさにコリンに襲い掛かろうとしていた魔獣のどてっぱらを剣で両断する。

 ただの一振りで、巨体は二つの肉片となり血飛沫を上げて崩れ落ちる。

「ジ、ジークぅぅ! どこ行ってたんだよ、寂しかったじゃねえか!」

 コリンはジークフリートに縋りつくようにして言う。

「何を情けないことを」

 ため息をつくアレクシアは、ジークフリートに抱えられたままで身じろぎする。肩に重傷を負っているのだ。話すことすらもの億劫であるはずだ。血も大分流している。治癒術も簡易的なものしかかけていないので、早急に身を休ませ、本格的な治療が必要であった。

「追手は倒したはずだが、次が来るかもしれない。まずは目的の施設まで行こう」

「あ、ああ。……そうだ、ブレンダ。お前治癒得意だろ」

 コリンがブレンダに言う。

 アレクシアの治療を道中で進めていくのだ。感染症などの危険もある。可能な限り早く処置しておきたい。防御に秀でるブレンダは、その影響か治癒についても才がある。

「分かってる。歩きながらってのは、さすがに初めてだけど、大丈夫」

 頷く少女はアレクシアの怪我の具合を見て取って、持ちうる中で最適な術式を脳裏に浮かべて呪文を詠唱する。

 すぐに塞がる傷ではない。止血をきちんとして殺菌消毒。少しずつ内側から修復していく。

 小さな砂漠地帯から再び森に入る。

 目的地までは徒歩で一日ほどの距離ではあるが、熱帯雨林を抜けるということもあって三日は見たほうがいいだろう。

「なあ、ジーク」

 枝葉を払いながら、コリンが語りかける。

「どうした」

「施設に行くのはいいとして、それからどうするかってこと。テオドラ様を助けるにしたって情報がまったくないじゃないか」

 テオドラを助けるという目的は明確だが、そのための道筋が見えない。

 まず、どこに幽閉されているのか。無事なのか。そういったことがまったく分からないのだから動きようがない。

 情報を収集するにしても、お尋ね者となった自分たちにできることはほとんどないのではないか。

「一つだけ、情報はある」

「何だって?」

「俺を助けてくれたダーナという魔法使いが――――情報通だった。完全なる世界のこともテオドラのことも知っていた」

「何の冗談だ、それ。森の賢者か何かかよ」

「賢者というよりも、あれは文字通りの魔女だな。極力関わり合いにならないほうがいいのだろうな」

 見るからに怪しい雰囲気を醸し出す、巨体の女魔法使い。伝説や童話に出てくる魔女も同然の風貌と、規格外の智慧と実力は、世界の裏側に住まう別次元の生き物であるということの証左でもあった。

 彼女は抑止力を知っていた。

 ジークフリートが抑止の環からやって来たとなれば、身の破滅を避けるべく彼に多少の協力をしてもおかしくはない。如何なダーナと雖も世界を相手にして切り抜けることは不可能なのだから。

 もっとも、ダーナ曰くジークフリートですらおまけに過ぎないのだとも。

 ジークフリートという英雄の存在を、この世界に即した英雄を育てるための指針の一つとしているのではないかと、彼女は解釈していたようだ。

「詳しくは後で話そう。その後で、テオドラ姫の救出に向けた方針を決めるべきだ」

 

 

 

  


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