黒竜の討伐が成功してから半月ばかり。
黒竜が暴れたことで被害を受けた街並は着々と復興し始めていた。
やはり、魔法というのは便利だ。
重い石材を難なく運び、簡単に成型してしまえるのだから科学技術の粋を集めた旧世界の重機による建築をはるかに上回る速度で建物を建てることができる。
魔法で強度を上げることができるため、魔法を抜きにした強度は怪しいところも多かったりするが、魔法もまた技術の一つだ。
二年に亘って観光名所を占領していた黒竜が滅びたことで街には活気が戻りつつあった。
戦時中ということもあって、人手は不足する一方。観光業が復活するのは当分先になるのは誰の目から見ても明らかだったが、それでも未来に希望の火を灯すことには成功した。
いつの日か戦争が終わり、平和な日々が訪れたのなら、取り戻した聖なる泉に多くの観光客を呼び寄せて、在りし日の人でごったがえす観光地を蘇らせるのだ、と。
人は希望があれば生きていける。
希望を見せるのが英雄ならば、ジークフリートは十分に職責を果たしたと言えるのではないだろうか。
黒竜の皮や角、牙は高く売れる。マジックアイテムの材料に高値で取引されているのだ。そのため、巨大な黒竜の死骸は腐敗しないように魔法がかけられていて、街の端に今も横たわっている。
身体の三分の一が切り取られ、無残な姿を曝す黒竜。
これも自然の定めとはいえ、殺めた者としては多少の気まずさを感じざるを得ない。
「くっそ、固てえ!」
「死んでんのに、こんなかよ!」
筋肉質な男が二人、黒竜の表皮に鋸を当てて悪戦苦闘している。
ガリガリと音がするが、刃が通る様子はなく、むしろ鋸のほうが刃毀れしているようにも見える。魔力で強化された鋸ではあるが、そんなもので傷つくのなら黒竜退治に苦労はしない。
「おーい、ジーク。見てねえで手伝ってくれ!」
「おう、あんたの剣ならコイツを輪切りにできんじゃねえか?」
手と鋸を大きく振って、男たちはジークフリートに呼びかける。
ジークフリートは特に断わる理由もないため、二つ返事でその申し出を受け入れる。
「この竜の尾を断てばいいのか?」
「ああ。根元からバサッとやってくれ」
「根元からだな」
巨大な竜の尾は、大の大人が抱きついても後ろまで手が回らないほどの太さだ。直径にして五メートルはあるだろうか。死して魔力を失ったものの、単純な皮膚の硬度だけでも鉄剣を弾き返すほどに固い。
「それを借りてもいいか?」
ジークフリートは鋸を持っている青年に手を差し出した。
「え、ああ、いいぜ。けど、コイツじゃ傷も付かないぞ」
「問題ない。使い方次第ではどうとでもなるものだ」
受け取った鋸の柄を握りこんだジークフリートは、魔力を刃に注ぎ込んで一閃する。
一般的な規格の鋸は、この瞬間高位のアーティファクトに匹敵する切れ味を見せた。存在が別物になったというわけではなく、ジークフリートが刃の真価を引き出しただけのことである。ジークフリートの莫大極まりない高純度の魔力による強化がそれに拍車をかけ、鋸は一瞬にして竜の表皮を容易く斬り裂く名剣と化したのだ。
「少しばかり切り口が雑だったか」
鋸は使い慣れていない。使い方としても下の下ではあったが、一つの刃として使うことで両断に成功した。
どすん、と音を立てて太い尾が落ちる。
断面が目に見える形で現れて、改めてその大木のような太さに驚かされる。
「いやいやいや、今のどうやって斬ったんだよ。太さに見合わないだろ!?」
「そこは経験と勘だ」
「鋸が鋸じゃなくなってたじゃないかよ!?」
ジークフリートは鋸を引くのではなく、剣のように振るうことで竜の尾を切断した。それ自体がそもそもありえない現象なのだ。無論、剣を振るう動作の中に引き切るという部分は存在するが、それにしてもこれはおかしい。そもそも、鋸の刃渡りが竜の尾の直径よりも短いのだ。常識的に考えれば一撃で斬り落とせるとは思えないだろう。
とはいえ、常識を踏破してこそ英雄だ。
人を超えた存在であるジークフリートを以てすれば、この程度の作業に苦慮することはないのだ。
「この巨大な尾、どうするのだ?」
「ああ、そりゃ売るに決まってる。こいつは武器に加工できるってんで、戦時下の今は需要が高まってんだよ。黒竜なんてそうそう手に入らない素材だしな」
「これを武器に加工か。想像もつかんな」
ジークフリートが眺める竜の死骸は、以後も余すところなく人間に利用されるらしい。哀れと言えば哀れか。己が意思ではなく周囲の意思によってその命を使われるのは英雄も似たようなものか。栄光と挫折は表裏一体。しかし、竜が墜ちて、ジークフリートが生き残ったという事実以上のものはない。
どうにも自分は竜を特別視しすぎているようだ。
自分が竜殺しの代表格ということもあるし、元の世界では竜種こそが最強の幻想種だったこともある。この世界の通常の生態系の中にいる竜種とは根本的に別種であると考えなければならないのだ。
尾が台車に乗せられて運ばれていく。
解体すら人力と小さな魔導機で行うこの村では細かい加工ができない。単価が下がるが、原材料という形での出荷になるだろう。
売れたとして、どれほどの収入になるだろうか。
村人で分ければ、一人当たり一週間くらいは遊べる程度だろうか。壊された家屋の復旧などに当てれば、ちょっとしたボーナス程度しか残らないと思われる。
それでも、財源を補填できるのはいいことだ。
竜がいなくなったことで、主要産業の見通しもよくなった。
「しかし、あんたほどの猛者が、なんでこんなところにいるんだ? いや、助かったけどよ」
「そういえば、そうだな。旅のもんてわけでもねえみてえだし」
興味津々といった様子で男たちがジークフリートに話しかける。
しかし、そうは言われてもジークフリート自身が自分のことをよく分かっていない。記憶喪失というわけではないが、ここに来るまでのことはまったく覚えていないのだ。
サーヴァントとして死んだ後、気がつけばこの近くの森の中にいた。召喚されたのか、あるいは放逐されたのか。新たな使命を与えられたのか、その辺りはまったく分かっていない。
ジークフリートに理解できたのは、この身が霊体ではなくなっているということ――――受肉を果たし、肉体のポテンシャルが生前と同等のスペックにまで引き上げられたということだけであった。
「……すまない。その問いに答えることは、俺にはできない」
「ああ? どういうこった?」
「俺自身にも自分の身の上が分からないということだ。気がつけばここにいたからな」
包み隠さず、ジークフリートは真実を語る。
どの道、誤魔化す意味もなければ、その方法もない。
ジークフリートにとってここは未知の世界であり、誤魔化せるのか否か分からないからだ。魔法の限界が見えない以上、ジークフリートが嘘をついていることが見抜けないという保証もない。
「気がつけば? 誘拐でもされたってか」
「俺を攫える者がいるのなら、是非手合わせを願いたいところだな」
「ああ、まあ、そうだな。じゃあ、転移魔法の事故にでも巻き込まれたか、そんなんか」
「かもしれん。俺は前後の記憶が曖昧でな。どこに帰ればいいのかも分からないのだ。家に置いてくれているアルフ翁の好意には頭が下がる思いだ」
真摯な口調は崩さず、時折冗談を交える。
固い印象のジークフリートは、話せば話すほどに真面目さが際立つが、それでも頭でっかちな固さではない。
話せば気軽に言葉を交わし、友好関係を築く。それくらいはお手の物だ。
あんたのおかげだ、と集落の人々は口々に誉めそやしてくれる。
それは、民草に請われ、その願いを叶えるためだけに力を振るったかつてと同じ。虚無的で作業になってしまった戦闘や心躍るもののない灰色の日々を思う。
虚栄心や下心で自分に近付くものが多かったあの日々に比べれば、ここに広がっているのは純粋無垢な笑顔だけだ。
ジークフリートという存在を利用しようなどとは露ほども考えていない。
ただ、ジークフリートに救われたという事実だけを正しく認識し、それについて感謝している。それだけの人々。彼が真に救いたかったモノの正体が、ここにあった。
力があるのなら、力のないもののために使うべきだ。
そう自分の存在を規定していながら、いつの間にか忘却してしまった原初の衝動を今再び思い出す。
――――何よりもライダーには感謝すべきだな。
か弱くも芯の通った一人の英雄を思い返し、ジークフリートは小さく笑みを浮かべる。
自分は“黒”の陣営には何一つ恩恵を残すこともできず、黄金の甲冑に身を包んだ槍兵との再戦の誓いを果たすことすらできなかったサーヴァントのおちこぼれだ。今更、聖杯大戦の結末を気にかける資格すらないかもしれないが、それでも思わずにはいられない。
願わくばあのホムンクルスと小さな英雄に幸福な結末になっているようにと。
■
ジークフリートはバックパックを背負って田舎道をひた歩く。
この世界にやってきて、二ヵ月半。
竜退治など様々あったが、遂に集落を出て己が足で旅に出る日がやって来た。
黒竜を討伐したときの収入の一部はジークフリートにも入ってきた。おそらくは取り分は集落の中で最も多かっただろう。功労者だからと、押し付けられた。復興や行楽には、残りの金で十分だからと、村人たちが挙って言うのだ。
その好意を無碍にはできず、恐縮しながらジークフリートは受け取ったのである。
そして、その金を元手にして旅に出た。
あのまま小さな集落にいても、自分は何もできないだろう。
肉体を得たからか、霊体だったころに比べて欲求が強くなっている。
成長できる身体を手に入れたこと。
これが、さらなる高みを目指す武芸者としてのジークフリートに火をつけた。
目を瞑れば“赤”のランサーの冴え渡る武技が瞼の裏に浮かんでくる。
総合的には負けていない。だが、技量ではランサーに軍配が上がっていただろう。それは素直に認めなければならないところだ。
とはいえ、負けたままでいるのは悔しい。
せっかく成長の機会を手に入れたのであれば、さらなる成長を目指して励むのみだ。
そのために見聞の旅に出た。
所謂バックパッカーというものだ。旧世界では旅という概念は廃れつつあるようだが、この世界では土地によって移動技術の差があることもあり、辺境の地が未だ前世紀的な環境にあるところもあるので徒歩での旅は普通にあるようだ。
「技術の差か……」
それは貧富の差にも繋がってくるのだろう。
この世界の戦争は、空を駆ける戦艦や人造の巨大兵器を用いた殲滅戦に近いものだとも聞く。ジークフリートが生きた時代のような軍団を統率しての白兵戦というのは、一部の一騎当千の魔法使いしか行わないものであった。
サーヴァントだったときに聖杯から与えられた知識にも、そういう戦争のことはあった。
第一次世界大戦と第二次世界大戦。
二つの大戦を経て、人類の戦争は様変わりした。
少なくとも殺し方という点ではより効率よく、大量の命を奪えるようになったのだ。
文明は発展し、人の生活圏は広がった。
知識は深まり、技術は進歩し、より多くの人が繋がる世界となったにも関わらず、人類は相変わらず戦争を繰り広げているのだ。
世界すら超えても、本質は変わらないのだろうか。人間が人間である限り、闘争から逃れることは不可能なのだろうか。
胸の内で問いを投げかけても、答えはない。
当然だ。
己で問い、己で見つけるべき答えだ。
夢を思い出した。
しかし、そこに至る道は険しく、そもそもどこを通っていけばいいかも分からない。
正しいあり方、正しい道。それが分かれば誰も苦労はしないのだ。
普通の人間ならば、後悔を残して消え去る定め。やり直しの機会など与えられない。それを思えば、ジークフリートは幸運だ。何の因果か、こうして再び地に足をつけて生を謳歌できるのだから。
失ったはずの心臓はリズミカルに鼓動を刻んでいる。
呼吸のたびに、無尽蔵の魔力が体内を駆け巡っているのが分かる。
竜の心臓と生来の肉体的資質が共に蘇っている。サーヴァントの時に比べても、身体が軽いのはそのためだろう。
「しかし、こんな気分で旅に出たのは久しぶりだ」
迷いはある。
先は見えず、右往左往してばかり。
だというのに、どうしてか心地よい。
道は見えずとも、目指す場所は確かに在るのだ。ならば、もがく他あるまい。それがすでにして生き甲斐ではないか。
胸に宿る高揚感は、未来への希望に他ならないのだから。
ひたすらに真っ直ぐ歩いていると、地平線の彼方に黒雲が現れた。
奇妙な雲だ。
青空の中にポカンと浮かんでいる。
どうにも胸がざわつく。
ジークフリートの視力を以てしてもぼやけるほどなので、その距離はかなり離れている。が、心を落ち着けて眼筋を魔力で強化することで視力を増強すると、不鮮明だった映像が明確になる。
雲に見えていたのは異形の群れだった。
翼の生えた人型の魔物や竜に近い形態の魔獣が大小合わせて数百。それが、鯨にも見える巨大飛行艇を取り囲んでいるのである。
この二ヵ月半の生活の中でその飛行艇が、ヘラス帝国が正式採用しているモデルであることは知っている。テレビでの式典映像に幾度となく映っていた量産型だからだ。
問題は、その飛行艇を魔獣や悪魔が取り囲んでいることだ。
輸送機としても使用される巨大飛行艇が、まさか無人機などということはあるまい。
わざわざ確認するまでもないことだ。
例え数百をの異形の群れに飛び込むことになったとしても、躊躇はしない。そこに、救いを求める声があるのならば、ジークフリートがするべきことは明確だ。
故に、彼が抱く焦燥は己の命が絶える可能性への恐怖ではなく、偏に目の前の無垢な命が消え去ってしまうのではないかという危機感から来るものであった。
「間に合え……!」
一言。
ただそれだけを口にすると、彼は颯と化して大地を駆ける。
背後に過ぎ去っていく風景には目もくれず、黒きもやに囲まれた飛行艇にのみ集中する。
循環する魔力が筋力を底上げし、驚異的な速度を発揮させる。
ジークフリートの目の前で、空飛ぶ鯨の胴体部分から炎が上がった。
その衝撃で鯨はバランスを崩し、左方向に傾いていく。姿勢制御システムだろうか。左側面に魔法陣が展開されてはいるが出力不足なのか徐々に傾きは大きくなり、高度も下がっていく。
飛行機械に疎いジークフリートでも、飛行艇が航行能力を失い墜落しようとしていることは分かる。
ジークフリートは虚空より愛剣を召喚する。
もはや自分と一体となった聖剣の柄を握り締めると、即座にその真名を解放する。
「
竜を屠ったA+ランク対軍宝具が、その猛威を具現する。
黄昏の津波が湧き上がり、斬撃の軌跡に沿って世界を染め上げる。
半円状の広範囲攻撃が、大気を押し退けて異形の集団に迫り、その上半分を押し流した。遠く雷にも似た音が駆け巡る。
まだ有効射程の外側だったためか、敵に与えた被害は微少。
しかし、その威力と桁外れの魔力が魔物たちに危機感を植え付けた。これで、あの群れの一部でもジークフリートに向かってきてくれれば御の字だ。
そうしている間にも、ジークフリートは距離を三分の一にまで縮めている。
莫大な魔力を推進力とし、ジェット戦闘機もさながらの速度域で走っているのだ。目的地に辿り着くのもそう遠い話ではなく、僅かでも墜落を不時着に変えるだけの時間が稼げればそれでいいのだ。
威力をセーブし、飛行艇に影響がないように注意を払って、宝具の第二撃を放つ。
黄昏の波動が浮き足立った異形の者たちに牙を剥き、押し流す。
そうこうしている間に、敵も動き始めた。
ジークフリートに対する反撃とばかりに、魔法による遠距離攻撃を仕掛けてきたのである。
数十体の悪魔や魔獣からなる多種多様な魔法攻撃が色鮮やかに花開き、ジークフリートの視界を埋め尽くす。
「この程度」
脅威とも感じない。
なるほど、確かに広範囲に広がる無数の魔法攻撃はただの人間を相手には十分すぎる威力があるだろう。地面はひび割れ、命は跡形もなく蒸発するはずだ。
しかし、それは相手がただの人間であったのならばという話であって、ここにいるのは竜殺しの英雄ジークフリートである。
ジークフリートは回避行動も取らずに魔法の輝きの中に身を投じる。
爆炎が吹き上がり、地響きを立てる。
その中を、ジークフリートは五体満足で駆け抜けた。
当たらなかったわけではない。
現に、その衣服は引き裂かれ、焼け焦げている。
しかしながら、衣服の下に露出する鍛え抜かれた肉体には傷一つなく、完成された肉体美を惜しげもなく見せ付けるのみだ。
『ニーベルンゲンの歌』に見えるジークフリートは確かに竜を殺した英雄として世界的に有名だったが、もう一つ、彼の代名詞たる能力がある。
――――悪竜の血を浴びたことによって変質した、甲羅のように固くなった肉体である。
これによって、生前のジークフリートは弱点となる背中を除くあらゆる部位に刃が突き立つことがなく、文字通りの不死身さで戦争すらも流れ作業で行えるほどの強さを手に入れた。
伝説は今に再現される。
視界を覆う魔法も、矢も――――そして、悪魔や魔獣の牙や爪もジークフリートに傷をつけることは叶わない。
勢い勇んで飛び掛ってくる敵の尖兵を殴り倒し、剣を振るって、上半身を斬り飛ばす。
打ち倒された悪魔は塵のように消え去り、魔獣は血を流して失墜した。
草原の真っ只中に不時着した飛行艇に向けて、ジークフリートは一気に跳躍した。
弾丸の如き大ジャンプは、ジークフリートと飛行艇の間に横たわる一キロばかりの距離を瞬く間に零にする。
進路を塞いでいた魔物どもは体当たりのみで蹴散らした。
鋼鉄の肉体はそれだけで凶器であり、音速を置き去りにする疾走と豪腕から繰り出される聖剣の斬撃。これだけで、一軍を屠る威力となる。
土煙を巻き上げてブレーキをかけると、拉げかけた機体の傍で身体を止める。
素早く飛行艇の状態を確認すると、表面を覆う魔法障壁がまだ生きていることが分かった。これにより、この異形の群れの攻撃を受け止め続けていたのだ。
火を吹いた場所は未だに煙を上げているものの、火災そのものは沈静化している。窓から何人か外の様子を脅えた瞳で窺っているのが見える。
「あ、あんたは!?」
機体に開いた亀裂から声をかけられた。男の声だった。
「通りすがりだ。それより、中の様子はどうなっている? 怪我人はいるか?」
ジークフリートは剣を構えたまま油断なく敵を視線で牽制しつつ、機体を背にして立つ。
「魔法障壁のおかげで何とか。だが、搭載されている武装が完全に止まってしまっている。姫様を護衛していた連中が裏切ったんだ!」
ガン、と壁を殴る音がする。
「姫? すると、帝国の姫か」
「ああ、そうだ。姫様だけでも、無事首都に送り届けなければならないというのに、これでは……」
ヘラス帝国の姫がこの飛行艇には乗っているらしい。
おまけに単なる事故でもなく、内部からの裏切りがこの問題の背景にありそうだ。身内の中での権力争いか、あるいは敵対国の陰謀か。王族や皇族には常に付き纏う危険であり、ジークフリートにも身に覚えがあるものだった。赤の他人であり、そもそもこの国の人間でもないジークフリートが高度に政治的な問題に関わるのはあまり得策とはいえないが、かといって見捨てることもできない。
初めから、彼の選択は決まっている。
「そうか。大体の現状は把握した。貴方たちは決して船外に出ず、身を守っていてくれればいい」
「だ、だが……」
「外に出れば守り難くなる」
轟、と聖剣を振るったジークフリート。その剣圧は、遂に堰を切ったように襲い掛かってきた魔物の群れの最前列を圧し戻し、後続を団子状にした。
四方八方の敵に対処するには、飛行艇を背負った状態では不可能。となれば、飛行艇の上に乗るほうがいいだろう。
ジークフリートは飛行艇の上に飛び上がり、改めて四方の敵を睨み付ける。
「さあ、かかって来い。まさか、たった一人を相手に臆したなどということはないだろう?」
鬼面の怪物。
牛頭の怪物。
狼顔の怪物。
およそあらゆる神話体系から無秩序に召喚されたかのような歪な形態の魔物たち。人は彼らを悪魔や魔族、魔獣などと呼び恐れてきた。
けれど、竜殺しに恐怖はない。
かつて、世界の破滅にも似た
明瞭なまでの数の差、暴威をその身体を剣は苦もなく押し返す。
音速を優に超える戦闘速度は敵対者の知覚を上回り、閃く黄昏が一群を纏めて薙ぎ払う。
一撃が広範囲殲滅魔法に匹敵する威力のそれを、ほぼ一瞬で発動する。驚嘆すべきはその魔力量と発動速度だ。仮に一般的な魔法使いが大規模魔法を個人で発動させれば、魔力の大半を持っていかれるだろうし、二発目を打とうとすれば呪文詠唱の時間を取られる。しかし、ジークフリートにそのような隙はない。ただ剣を振るうだけで、圧倒的な猛威をばら撒ける。魔力が枯渇する様子もなく、爆撃でもしているかのような轟音と閃光が連続する。
魔法使いたちにとってそれは信じ難い光景であり、敵対者にとっては死そのものであった。
「ぎぃ、ああああああああ!」
最後に飛び掛ってきた悪魔の心臓を一突きして決着が付いた。
空は晴れ渡り、黒き雲は取り払われた。
地に伏した悪魔たちは塵に還り、魔獣は屍を曝している。動くモノは皆無で、死屍累々たる有様であった。戦いの規模に比べて屍が少ないのは、悪魔のように実体を残さないものもいたことや、宝具の真名解放によって跡形もなく消し飛ばされたものが多かったからだ。
ジークフリートは周囲の状況をざっと確認して、敵がいないことを確かめると不時着した飛行艇に歩み寄った。
声をかける前に、拉げたドアが吹き飛んだ。
む、と警戒するジークフリートだったが、中から飛び出てきたのが小さな子どもだったために逆に困惑することとなった。
「強いな! 強いな、剣士殿!」
飛び出てきた少女がジークフリートに真っ直ぐ向かってくる。
「姫様! 危険です! どうか中にお戻りを! 姫様ーーーー!」
そして、その後ろからぞろぞろと人が転び出てくる。その発言を聞けば、この少女がヘラス帝国の姫であり、彼らがその従者であることは明白である。
「剣士殿、礼を言うぞ。そなたのおかげで命拾いした! これから――――」
矢継ぎ早に言葉を紡ぐ少女を、家臣たちが抱きかかえて後ろに連れて行く。
「こ、ら。何をする! 今大事な話をしていたところだろう!」
「話の続きはわたくしどもで致します。どこの誰とも分からぬ御仁に、無防備に近付いてはなりません」
「何だと!? 恩人は恩人だろう!」
ジタバタと暴れる姫を、侍女が三人がかりで押さえている。
「騒がしくて申し訳ありません」
どうしたものかと思っていると、一人の老紳士がジークフリートの下にやってきた。
執事を突き詰めたかのような風貌の男であった。
「あの年頃であれば、自然なことだろう。危機を脱した直後でハイになっているのかもしれないが」
「ご理解くださいまして、ありがとうございます。自己紹介が遅れましたが、私はヘラス帝国第三皇女付き執事アルバートにございます」
「ジークフリートだ。特に肩書きらしいものはない」
「ジークフリート様ですね。お名前に違わぬお力に我々一同驚嘆するばかりでございました」
「自分にできることをしたまでだ。ところで、第三皇女付きの執事と言ったが……」
「はい。お察しの通り、あちらにお座すお方こそヘラス帝国第三皇女テオドラ姫でございます」
「そうか。彼女がテオドラ姫か」
新聞やテレビが主要な情報源であることは田舎も都会も変わりない。そして、その情報を頼りにすればテオドラ姫は年齢にそぐわない落ち着いた姫君であったはずだ。しかし、実物はずいぶんとじゃじゃ馬らしい。そこは、親や周囲の教育の賜物なのだろうか。
期せずしてジークフリートはヘラス帝国の要人と顔を繋いでしまったのであった。