正義を目指す竜殺し《完結》   作:山中 一

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第十九話

 目を瞑り、思い返すのはかつての過ち。

 弱き者を、諦観と共に見殺しにしようとしたあの時のことは今でも明確に思い起こすことができる。

 “黒”のライダーに叱咤されなければ、第二の生でも生前と同じことを繰り返すだけだっただろう。後悔とは違うだろうが、その生き方に無念を覚えたからこそ召喚に応じたというのに――――。

 この世界で、再び機会を得た。自分の夢を貫く機会だ。ジークフリートは幸運にも、未来を夢見て歩を進めることができている。あのホムンクルスは果たしてどうなったのだろうか。彼の心臓を得たことで延命はできただろうが、サーヴァントの心臓を取り込んでただのホムンクルスのままで生涯を終えることは難しいだろう。もしかしたら、茨の道を行くことになったかもしれない。

 考えても意味のないこと。

 あの世界を離れた今、どうあっても彼の行く末を知ることはできないのだから、彼に恥じない生き方をしなければならないとは思うのだ。

 目を開ける。

 砂漠に吹き渡る風が熱と共に砂粒を運んでいる。流れる風紋の先に、うっすらと小高い岩山が見えた。

「なるほど、あれが夜の迷宮か」

 遠目に見ても、頑強な要塞だということが分かる。魔法がかけられているのだろうか。あの岩山だけは風に削られることなく、二千年もの月日を耐え抜いているのだという。砂漠の真ん中にあるというのに、岩山の上には緑も見えた。内部と外部で環境が異なっている証であろう。

「二千年前に要塞化されたっていう古代の魔法都市の成れの果てさ」

 とコリンが言った。

「世界史の教科書にちらっと名前だけ出てきますね。危険度の高さから観光地にもならないのですが、歴史的には重要な戦いの舞台になってたりもしました」

 アレクシアが説明してくれる。知名度はそこそこ高いらしい。

「その防衛機構は今も生きています。岩山全体を覆う結界と固い城壁。そして、内部は入り組んだ迷路のようになっていて、強力な魔獣が巣食っています」

「完全なる世界のヤツも、あそこにいるのかな」

 ブレンダが呟く。

「いる、かも」

 ベティが答える。

 いるかいないか、行ってみなければ分からない。

 いなければ良し、いるのならば戦うだけだ。

「外周を守る結界はジークフリートの剣で斬れるはずです。後は、姫様がどこにいらっしゃるか」

「こっちで派手に暴れて、アクションを待つとかは?」

「それでは姫様に危害が及ぶかもしれないでしょ」

 と、コリンの意見をアレクシアが跳ね除ける。

「とりあえず、中に入ろう。ここで議論しててもどうしようもないし」

 ブレンダの言葉はあまりにも短絡的ではあったが、本質を突いてはいた。

 何せこちらには装備らしい装備もない。

 話し合ったところで、結局できることには限りがあるのだ。

「そうですね。中に入るほかないわけですから――――」

 と、アレクシアが言ったまさにその時、遙か上空――――薄雲を貫いて巨大な物体が落下してきた。

 爆風が四方に駆け抜ける。

 砂が吹き上がり、車が宙を舞う。

「うわわわわああああああああ!?」

 運転手のコリンが必死にハンドルを切る。

 そもそも宙を走る車のため、車体制御さえ怠らなければ、バランスさえ取れていればまだ走れる。

「ぶわ、熱、目に……」

 吹き上がった砂が顔に勢いよく当たった。

 一瞬にしてフロントガラスは大破、ルーフは吹き飛び、車内は砂漠の熱と砂を思いっきり被った。

「何、敵!?」

「ジークは!?」

「後ろ!」

 畳み掛けるように声が飛ぶ。

 車が砂の上を弾み、外に投げ出されそうになりながら状況を確認しようとすると一人いないことに気がつく。

 ジークフリートだ。

 上から落ちてきた敵に対して、ジークフリートが屋根を内側から突き破って迎撃したのだ。車が跳ね飛んだのは、ジークフリートが車から飛び出す際の衝撃によるものだった。

 濛々と立ち上る砂煙が、一瞬にして消える。遅れて爆音が響き渡った。

「なんだ、ありゃ」

 コリンが車を停めて、背後を振り返って言った。

 翼ある石像と言うべきだろうか。

 体長二十メートルになる、巨大なゴーレムだった。

 

 

 

 巨大な石の人形と斬り結ぶのは初めてだが、非常によくできていると感服する。

 その左腕はジークフリートとの最初の打ち合いで砕け散ってはいたが、人工生命だからか、あるいは意思そのものを有さないからか怯む様子は皆無だった。

 牛の頭と蝙蝠の翼。そして、上半身が人間で下半身が馬という合成獣(キメラ)を模したゴーレムだ。悪魔崇拝と関係があるのだろうかとも思いながら、ゴーレムが右手で振り上げた剣を幻想大剣で払う。

 攻撃をいなされたゴーレムは追撃を行わんと、ジークフリートに挑みかかり、為す術なく胴体を横薙ぎに両断された。

 地響きを上げて崩れ落ちるゴーレムに視線を向けることなく、ジークフリートは車に向かう。

「走れそうか?」

「ああ、ダメになったのは生活空間だけだな」

 コリンが白い歯を剥いて笑う。

 ドアを開けて砂を掃き出す。風の魔法を使えば、大まかな掃除は楽にできる。何せ、外に砂を出せばいいだけだ。

「今ので気付かれたな」

「ああ。ちっと、まずそうだ」

 おそらく、今のゴーレムは夜の迷宮の防衛システムの一つなのだろう。

 ザワザワと音が聞こえてくる。

 夜の迷宮から、黒いゴーレムの群れが飛び立つのが見える。

「ど、どうしますか、あれ」

「隠れてやり過ごすのは無理そうだ」

「突っ込むしかねえってか……笑えねえっす!」

 言いながら、ジークフリートを乗せた車は一路直進する。

 アクセルを全開にして、黒き群れを目掛けて走る。

「衝撃に注意しろ」

 静かにジークフリートが注意した。

 即座に、ブレンダが障壁魔法を展開する。攻撃を防ぐものではなく、衝撃を緩和して車体と乗員を守るためのものだ。

 数えるのも億劫になるほどのゴーレム。

 姿容から大きさまで様々で、唯一共通しているのは黒い身体をしているということだけだ。恐ろしい形相で、爪と牙を剥き、五人に向かって殺到する。

「退け」

 ジークフリートの聖剣が、数に潰された道に穴を開ける。

 輝ける黄昏の光に飲まれたゴーレムが跡形もなく消える。砂粒一つ残さない。対軍宝具の真名解放が、ゴーレムの群れを一掃した。

「ぐぅぅぅうう!」

 車体が大きく振動する。

 強大な幻想大剣の解放による衝撃を受け止めるブレンダの障壁は、直撃を受けたわけでもないのに軋み上がり、砕けそうになる。

 精霊エンジンが悲鳴を上げ、爆発しそうになる。

 猛烈な輝きの中を、それでも一行を乗せた車は駆け抜けた。

「は、――――はは、こりゃ後で誉めてやんねえと、な!」

 砂丘を越え、一息に夜の迷宮の下にまで辿り着く。幻想大剣の影響で、岩山を包む結界が解れていたので、ブレンダが素早く魔法をかけて穴を開けることに成功したのだ。突入は、容易かったと言えよう。

 車を停めて、車外に出る。

 岩山を見上げて、ため息が出た。

「これは、山そのものが人工物なのか」

 明らかに周囲にある砂と質が異なっている。古代から残る要塞は、どこかから持ってきたものなのだろうか。それとも、この場で魔法を駆使して建造されたのだろうか。

「階段があります。そこから、上に行きましょう」

「俺が先頭を行こう。皆は周囲に気を配りながらついてきてくれ」

 ジークフリートは率先して前に出た。

 移動要塞も同然の防御力を持つジークフリートならば、罠や魔獣の不意打ちにも難なく対応できるだろう。

 外付け階段を駆け上がり、トンネルのような入口から夜の迷宮の内部に入る。

「大理石、ですね」

 アレクシアの声が反響する。

 そこは聖堂のように見える。岩山の中腹に建てられた、地下神殿であろうか。全面が大理石に覆われ、天井までの高さは三十メートルはあるだろう。アーチ型の空間の奥に、小さな聖母像がある。

 人がやって来ると、自動的に松明に火が灯るようになっているらしい。おかげで、魔法を使わなくても視界は確保できた。

「どちらに進む?」

 ジークフリートが尋ねる。

 聖母像のあるほうか、それとも反対側か。ここは、廊下の真ん中に当たるようだから左右のどちらに進むかで道も変わるだろう。

「聖母像の反対側に出入り口があると考えたほうがいいのではないですか?」

「まあ、それが妥当だろうな」

 アレクシアとコリンが立て続けに言った。

 教会の作りであれば、奥まったところに重要な象を配置するだろう。ならば、出入り口はその逆になるはずだ。

 警戒しながら、先に進む。

 ほんの少しの足音も、この石で囲まれた神殿の中ではよく響く。耳のよい魔獣がいれば、彼らの侵入に気付いていることだろう。――――そう了解していたから、突然の襲撃にも驚くことはなかった。

 犬の魔獣。

 涎を垂らし、唸り声を上げている。

 T字路の突き当たりにまでやってきた一行の右側で、待ち構えるようにして立っていた。

「二頭を持つのは、オルトロスと言ったか」

 ジークフリートは珍しげにそれを眺めた。

 二つの頭を持ち、蛇の鬣を持つ巨大な怪物。

 ネメアの獅子やスフィンクスの父にしてカリュドンの猪の祖父でもある神話の魔物である。

 竜種が一般的な生態系に取り入れられている魔法世界に於いても極めて珍しい魔獣とされ、発見例は少ない。

 オルトロスの意味は「速い」。

 その名を冠すに相応しい速度で、ジークフリートに襲い掛かる。

 まさにジェット機を思わせる突進が、ジークフリートを攫った。風と音が遅れて吹き抜ける。

 ジークフリートの鋼鉄の肉体は、オルトロスの突進を完全に封殺していた。僅かのダメージもなく、それどころかこの魔獣の動きを完全に見切ってすらいた。

 向かってくる魔獣に対して、逃げることなく、むしろその背中に飛び移るという曲芸染みたことまでしたのだ。

 獲物を見失ったオルトロスが速度を緩めた時にはすでに、ジークフリートは剣を抜き放ち、双頭の付け根に切先を向けていた。力強く、深々とその首に突き入れる。

 延髄を的確に破壊したジークフリートは体勢を崩したオルトロスの背中を滑り降りて、床に着地する。一連の動作に無駄な点はなく、流れるように決着を付けた。

「神話の魔物が普通に跋扈する迷宮か……」

 倒れ伏して動かないオルトロスを見て、ジークフリートはなんともいえぬ感慨を覚えた。

「おーい、ジーク。怪我はねえかー?」

 コリンが呼びかけてくるので、問題ないと答えてすぐに合流する。今後も、このような出会いが多々あるだろう。叶う限り手早く始末して、先に進みたいところである。

「しかし、あのデカ物をあっさり仕留めるとはね。今更だけど、目の前でされると驚くわ」

「怪物退治は得意分野だ。あのくらいならば、大したことではない」

 竜に比べれば、赤子のようなものである。倒すのに労力らしい労力も必要なかった。ヘラクレスと戦ったという神代のオルトロスはこの程度ではないのだろう。

 松明の明かりに誘われるように進んでいく。大理石は次第に姿を消し、黒曜石に置き換わる。黒い廊下はさながら墓の内部のようだ。

「薄気味悪い」

 ベティが呟く。

 物音一つなく、ひんやりとした空気が流れている。

 ただ一人でこのような場所に放置されたら、あっという間に正気を失ってしまいそうなくらいの静寂の海を直進む。

 暗く、静かで、どこから敵や罠が襲ってくるか分からないという状況は精神に多大な負荷をかける。さすがは、夜の迷宮といったところか。魔法の糸でもない限り抜け出せない大迷宮でもあるまいに。

 徐々に言葉数は減っていく。歩くだけの単調作業に、時折罠や魔獣の襲撃があって、それを乗り越えていく毎に、出口が本当にこちらであっているのかという不安が強くなっていく。かといって引き返すわけにもいかない。この先に本当の出口がある可能性も否定できないのだから。

「ここは……」

 今までになく、声が響いた。

 ジークフリートは小さく呟いただけだったのに、反響が幾重にも重なっている。

 広大な空間に出た。

 五十メートル四方の大部屋で、ジークフリートたちがやって来た道以外にも二方向に道がある。天井はかなり高い。帝都の高層ビルの、二十階には達するのではないかという高さだ。そして、正面には半壊した扉があって、そこから陽光が差し込んでいる。

「外だ!」

 ブレンダが叫んだ。

 ほっと一息ついた。

 迷宮に迷い込んで、半日が経過したところであった。

 駆け出そうとしたブレンダとベティをジークフリートが掴んで引き戻す。

「ぐ……?」

「ぐへ……?」

 頭に?を浮かべて、ブレンダとベティは尻餅をついた。

 その眼前を、弓矢が通り抜けていく。

「ひ……」

 ベティが小さく息を呑んだ。

 ぞろぞろと、湧いて出るように奇怪な生き物が現れたからだ。

 一つとして同じ姿のものはいなかった。

 馬の胴体に人の上半身――――ケンタウロスにも似た外観の魔獣や獅子の頭を持つ山羊、蝙蝠の翼を持つ虎、その他多種多様な生物の部品を出鱈目につなぎ合わせた魔獣たちが群れを成してやってきたのである。

「いかんな」

 数が多い。

 ざっと五十体はいるのではないだろうか。

 迷宮に潜む、キマイラたち。

「古代の生物兵器なのかもしれませんね」

 アレクシアが剣を召喚し、臨戦態勢を整えた。

「く、来るなら来なさい」

「ん」

 ブレンダとベティが杖を出して、四方に構えた。

「俺は、こういうのホント苦手なんだよ、勘弁してくれっての……」

 この旅でずいぶんと肝が据わってきたコリンもまた杖を構えた。相手の魔法障壁を突破するほどの魔法すらも使えない彼だが、それでもやらないよりはましだろう。

 そして、ジークフリートは思案する。

 この空間で宝具の真名解放は使えない。

 神殿そのものを崩壊させてしまえば、こちらが生き埋めになる可能性があり、また、この建物の上部にテオドラがいないとも限らないからだ。

 ならば、斬撃で対処する他ない。

「一息に走り抜けましょう。邪魔するヤツだけ攻撃していけばいいです」

「それだな。数が多すぎて真面目に相手してられないもんな」

 冷や汗を流しながらアレクシアとコリンが言った。

 問題は、五十メートル先の外界にたどり着くことができるのかということだ。すでに包囲網は完成されつつある。

「大魔法で、道を作ります。仕損じたのはジークフリートにお任せしていいですか?」

「承知した」

「詠唱までの時間はこっちで稼ぐよ」

 ブレンダとベティが言う。

「お願いします」

 方針が決まる。

 敵のほうも戦う準備ができたと見えて、ばらばらではあるが襲い掛かってきた。一匹が動けば他も雪崩を打って襲い掛かってくる。

 それに対して、まずはブレンダが障壁魔法を重ねがけして全方位に展開する。敵の第一波をこれで堰き止める。

「く……」

 少女が単独で張る障壁にしては非常に固い。頑強で、複数からなるそれは古の城壁にも匹敵するだろう。ただし、維持には相応の魔力が必要だ。

 キマイラの爪や牙、剣や弓矢、そして炎や雷が障壁を削る。

「来たれ雷精、風の精。雷を纏いて吹きすさべ南洋の風――――」

 風がアレクシアを中心に渦を巻く。

 魔力が迸り、閃電が眩く光る。

 敵を近づけまいと、ジークフリートが剣を振るい、殴り飛ばして距離を開く。側面からの攻撃は、障壁と剣で完全に無力化する。

 そうして稼いだ僅かの時間に、アレクシアの呪文は完成する。

雷の暴風(ヨウィス・テンペスタース・フルグリエンス)!!」

 直線を薙ぎ払う雷の暴風が、扉に向けて解放される。

 全面にいた魔獣の群れが薙ぎ払われて、扉が貫かれた。

「走って!」

 アレクシアが叫ぶと同時に、全身で出口(ゴール)を目指す。

 身体強化魔法を駆使して所要時間は四秒弱。最も足の遅いコリンに合わせるとこうなってしまうが、その間にも反応した個体が攻撃を仕掛けてくる。

 その相手はジークフリートだ。

 最も手近なキマイラから首や手足を切断し、殴り飛ばす。命を奪うのに固執する時間はない。仲間を守る必要がないのならば、この場の総てを殲滅することも容易ではあったが、一撃で戦闘能力をそぎ落とすことに集中する。

 嵐のようなジークフリートの剣戟に時折ベティの炎やコリンの目晦ましが混じり、一行は太陽の下に帰還を果たした。

「でた、でたよぉおぉぉおおおお!」

 コリンが絶叫する。

 太陽に目を焼かれ涙を流しながら、情けない声を出す。

「馬鹿、止まるな! 後ろから来るでしょ!」

「ぐ、おおおおおお」

 アレクシアがそんなコリンを叱りつけ、襟を掴んで引き摺った。

 太陽の下に出たからといって、キマイラの群れが襲ってこないとは限らないのだ。外の様子も分かっていない。下手な動きはできない。

「いや、追ってこないようだ」

 ジークフリートは慎重に扉の中を確認し、キマイラたちが追跡を諦めたのを確認した。

 仲間の死体を貪り食っていたり、広間から去っていったりしている。

「太陽の光が苦手なのか、それともここから出られないのか」

「生物兵器として作られたからでしょう。もしかしたら、迷宮の中から出ないように設定されているのかもしれません。……もちろん、夜行性というだけかもしれませんが」

 前者であれば、楽でいい。この迷宮に入らなければ、二度と相手にする必要はないのだから。後者であれば、今夜にでも外に出てくることだろう。

「ああ、だが、夜までには目的を達成できそうだ」

 ジークフリートは珍しく、表情を柔らかくして上を見ていた。

 石階段の先にある小高い丘。その頂上に、教会のような建物が建っている。

 その塔の窓に、捜し求めていた少女の姿を見て取った。

「テオドラ様……」

 アレクシアが目を見開いて唇を震わせた。

 辿り着いた。

 彼女の姿を見た途端に、脱力感にも似た安堵の気持ちが湧き上がった。

 

 

「遅いわ!」

 教会を守っていた敵を蹴散らして内部に潜入、そして難なくテオドラとアリカの監禁されている部屋に辿り着いたジークフリートにテオドラが飛び掛った。

「すまない。大分、待たせてしまった」

 見たところ、テオドラにもアリカにも怪我はない。乱暴された様子もないので安心した。栄養状態も悪くはない。どうやら、移動の自由を制限されていた程度で、衣食住はきちんとしたものであったらしい。

「申し訳ありません、テオドラ様。我々がついていながら、このようなことに」

 しゅんとした様子でアレクシアが言った。

 もともとテオドラの護衛を任される立場にあったアレクシアは、彼女を危険な目に合わせてしまった事実に深く恥じ入っている。それこそ、どれほどの罵倒を浴びせられようが反論せず、粛々と受け入れるくらいの覚悟はしてきた。

 そんなアレクシアをテオドラは常と変わらず天真爛漫な笑顔で出迎えた。

「ところで、アレクシアたちは指名手配されてしまったと聞いたぞ。よく、ここまで辿り着けたな」

「大方の危険はジークフリートが排除してくれましたし、足もコリンが用意してくれましたので何とかなりました」

「そうか。後で褒美を出さないとだな」

 腰に手を当てて胸をそらしたテオドラが、自慢げに言った。

 それを聞いて、コリンが思わず顔を綻ばせ、期待感を浮かべた。

「アリカ。賭けはこっちの勝ちじゃな」

「そのようじゃ。鳥頭はとりあえず、平手じゃな」

 などといいつつ、アリカは窓の外に目を向けた。

 そのとき、教会全体が大きく揺れた。

「な、なんじゃ?」

 目を白黒させたテオドラをアレクシアが抱きかかえる。

「魔獣どもに囲まれているようじゃ。何体かはすでに侵入してきているな」

 アリカの言葉にテオドラが震える。この中で最も戦闘能力が低いテオドラは、高位の魔獣がひしめく夜の迷宮では生きていけない。もちろん、今教会を取り囲み、侵入せんとする魔獣たちにかかっては、ただの食料となるだけだろう。

「この脆い教会では凌げぬじゃろう。打って出るよりほかにないと思うが?」

「アリカ様の仰るとおりですが、こうなっては身を潜める場所もありません。一息に車まで走り抜けることになりますが……」

「わたしは構わぬ。こう見えて運動は得意じゃぞ?」

 言いながら、アリカは魔力を込めた拳で壁を殴りつける。石壁が砕けて、青空が視界一杯に広がった。

 魔力で守られているわけでもない教会の壁ならば、強化魔法を施した身体であれば、誰であっても突破は可能だったのだ。夜の迷宮からの脱出手段がなかっただけで、教会から抜け出すことは容易だった。アリカは、深窓の令嬢というだけではない。

「わ、分かりました。では、先導しますので後についてきてください」

 意表を突かれたアレクシアがどもりながら言った。

「まず、下に溜まっている魔獣たちを駆逐しよう」

 ジークフリートは幻想大剣の柄を握り、外に飛び出す。地上まで十二メートルあるが、苦にならない。落下のエネルギーを乗せた斬撃で、虎型の魔獣を両断する。

 地面が爆ぜて、周囲の魔獣たちを巻き込んだ。斬撃の直撃を受けた魔獣は原型を止めずに吹き飛ばされる。

 柄頭の青き宝石が煌く。

 僅かな魔力を瞬時に極大にまで増幅する増幅器。神代のエーテルは黄昏色に染まり、周囲一帯を覆い尽くす。

幻想大剣・天魔失墜(バルムンク)

 横薙ぎに振るわれた聖剣から莫大なる魔力が解き放たれる。

 居住者を失い、魔獣の蠢く魔都と化した夜の迷宮を対軍宝具の輝きが嘗め尽くす。無論、巻き込まれた魔獣は一匹残らず焼き払われるだけだ。そして、それは魔獣に留まらない。黄昏の光が通り抜けた場所は文字通り不毛の地と変わる。建物すらも、跡形もなく消え去っている。

「相変わらず、凄まじい威力だの、ジーク」

 呆れたと言わんばかりにテオドラが言った。地上の魔獣を一撃で駆逐したために、どこか余裕を漂わせている。

「安全が確認されてから出てください、姫様」

 と、慌てたアレクシアが嗜める。

 ブレンダが咄嗟に周囲に障壁を張り巡らせた。魔獣の不意打ちにいつでも対応できるようにだ。

「そうだな。それに、地下の獣たちまで倒したわけではない。湧いてくるぞ」

 ジークフリートの言葉にテオドラが再び固まった。

 彼の指摘の通り、地上の敵は焼き払ったが、迷宮の内部に住まうものまで倒したわけではないのだ。穴という穴、建物の内部から地下に向かう道は軒並み死地である。冥界から溢れ出るように、大小様々な魔獣が次々と溢れ出てくる。際限というものがない。

 幻想大剣があれば、数に圧されることはまずない。が、テオドラやアリカの安全に気を払うとなれば、全包囲に対軍宝具を打ち続けるのも難しい。攻撃範囲や威力を調整しながら、着実に進むしかない。同時に相手取るとなると、多少手間だ。四方を囲む敵を視線で制しながら、どこに宝具を放つべきか考えていたとき、あらぬ方向から絶大なる魔力が立ち上り、ジークフリートの周囲に降り注いだ。

 それは、無数の雷だった。

 熱と衝撃で、魔物たちが蒸発していく。

「一足遅かったようじゃな、鳥頭」

「誰が鳥頭だ、誰が。助けに来てやったってのによ」

 アリカの非難するような言葉に、答える者がいた。

 聞き覚えのある声がした。

 三階建ての建物の屋根に、燃えるような赤毛の魔法使いが腕を組んで立っていた。

「ナギ・スプリングフィールドか」

「ナギでいいぜ、ジークフリート。フルネームは長ったらしいだろ」

 以前会ってから数ヶ月。

 成長期だからか、身長が伸びているようだ。

「お久しぶりです、ジークフリート。このような形で再会するとは思っていませんでした」

 転移魔法でジークフリートの隣に現れたアルビレオが、涼やかな笑みを浮かべて話しかけてきた。瓦礫から飛び出る小悪魔を重力魔法で押し潰すのを忘れない。無詠唱ながら地面にクレーターを作り出すほどの威力であった。

「おい、アル。ぼさっと喋ってないで出るぞ。ジークフリートのほうもさっさと姫さんたちを連れてけ。遅れた分、ここで働いてやるからよ!」

 跳んだナギは、建物を砕いて現れた巨大なオーク鬼の頭を雷撃の斧で吹き飛ばした。

「『紅き翼』であれば、魔獣どもに遅れは取らんじゃろう。味方になれば心強いものじゃな」

 などとテオドラは目を輝かせる。

 ナギは雷を降り注がせ、アルビレオが重力魔法で魔獣を押し潰す。どこかからは破壊音が聞こえてくるので、そちらではラカンや詠春が暴れているのだろう。夜の迷宮に巣食う魔獣たちを駆逐し尽くすつもりであろうか。

 ジークフリートはアレクシアと視線を交える。隊のリーダーは彼女だ。

「お任せします」

 アレクシアはこの場を『紅き翼』に任せて前進することを決めた。

 『紅き翼』が四方に散って魔獣を蹴散らしているおかげで、ジークフリートたちにはほとんど魔獣が寄ってこない。来たとしても斬り伏せるだけ。思わぬ出会いがあったが、そのおかげで難なく夜の迷宮を脱出することができた。

 

 




未来はあやふやだから無敵
     ↓
確定すると死期ができる
     ↓
未来確定攻撃は外れる

なんだ、設定どおりじゃないですか

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