テオドラとアリカの救出に成功した『黒の翼』と『紅き翼』の面々は、今後の方針を決定しなければならなかった。
幽閉された姫の救出だけならば、取り立てて苦労することでもなかった。迫る敵を打ち倒し、六千キロの道のりを踏破するのは、多大な労力が必要ではあったものの終わってみれば、それほど大きな艱難があったわけでもない。問題なのはこれからだ。魔法世界全土を巻き込む大戦争を裏から操り、その影で世界崩壊の時を着々と呼び寄せている完全なる世界に抗するには、この場に集った面々ではあまりにも兵が足りない。畢竟、敵の存在を暴きたて、両国の和解と対完全なる世界の共同戦線を実現しなければならない。
「問題があるとすれば、各国の首脳陣やメディアの中にシンパが紛れていることでしょう。こちらが徒に正論を並べてももみ消されるのが目に見えていますからね」
アルビレオが涼やかな表情で重いことを口にする。
オリンポス山にある『紅き翼』の拠点でのことだ。
「政治的に影響力のある味方を作る必要があるわけですね。その点なら、テオドラ様が適任ではありますが」
アレクシアはテオドラに視線を向けるとテオドラも胸を張って頷いた。
「任せておれ。妾はこう見えても第三皇女。そこらの政治家どもよりも発言力はあるぞ」
「といいましても、それを信じてくれる者がどれだけいるか」
アルビレオの言葉に、帝国側の面々がムッとする。
「帝国の内部の事情に詳しいわけではありませんが、それでも確固たる証拠がなければならないでしょう。それを、上手く相手に伝えることができるかどうか」
「んー、確かにそれはそうなんじゃが、証拠集めと言ってものぅ……」
最大の問題はそこだ。
テオドラが言葉を尽くしたとしても、戦時にあって敵と和解するのは困難を伴う。それに、裏から糸を引いている何者かの正体を暴きたて、白日の下に曝すというのは輪を掛けて難しい。
「幸いにして、我々は今の執政官が敵に加担してテロに出資している証拠がありますので、これを心ある人物に渡せば……とは思っていますけどね」
「むぅ、帝国でどうかというと確かに……」
完全なる世界については、ほとんど情報がない。誰が内通しているのかも定かではないので、どうにも説得力を持たせることができないのである。
「じゃあ、連合を説得するとして、まず誰から当たるの?」
尋ねたのはブレンダだ。
椅子に座って、足をぶらつかせている。脱力した猫のような姿である。
「さて、それが問題です。こちらが迂闊に近付けば完全なる世界に気取られる可能性があります。そうなれば、接触対象の身に危険が及ぶかもしれません。それなりの立場にいて、個人の実力も高く、それでいて信頼の置ける人物となると一握りです――――まあ、幸いなことに心当たりがないわけでもありません。その辺りは何とかなるでしょう」
未だに敵の足元に潜伏して活動するタカミチやガトウといった仲間も『紅き翼』にはいる。彼らを介して上層部の信頼できると判断した者と接触することができるのである。すでに、連合の内部にも完全なる世界のことを知り、『赤き翼』と歩調を合わせようとしてくれている者もいるのだから、帝国よりも状況はいい。
「まあ、帝国は姫さんの親父が皇帝なんだからどうとでもなるんじゃねーの?」
「ジャックの言うとおりだ。帝国は議会制とはいえ皇帝の発言力も強い。テオドラ殿下の存在はこちらにとってもジョーカーとなるのは間違いない」
詠春が指摘するように、皇族というのは心強い。ただそれだけで発言力を得ることができるのだから。それでいて、テオドラは民間でも愛らしい外見と聡明さから人気がある。
「このまま帝国に戻れば、テオドラ様の身に危険が及ぶ可能性も否定できません。今回は身柄を押さえるだけでしたが、次は命を奪おうとするかもしれませんし……」
「かといって何もしなければ敵の思うままじゃろう。証拠を押さえるまでは動けんというが、動くべきときにはしっかりと動くのが皇族の務めじゃ。何かあれば、アレクシアたちが何とかしてくれるじゃろ」
「それはもちろんです。以前のようにはいきません」
同じ轍は踏まない。
テオドラを攫われてからこれまでの逃避行はアレクシアを初めとする『黒の翼』の面々に大きな変化をもたらしていた。実力もそうだが、精神的にも強くなったと思えた。
「この広大な魔法世界に根付いた犯罪組織です。一朝一夕には解決しないでしょう。帝国と連合だけでは、どうにも手詰まり感があります。であれば、第三国にも出てきてもらうしかありません」
「ウェスペルタティアか?」
テオドラが真っ先に思い浮かべたのは、アリカのウェスペルタティアであった。連合と帝国の間に挟まれ、二度に亘って帝国からの侵攻を受けたために連合よりとなっている小国である。帝国も、オスティア攻略作戦で『紅き翼』に煮え湯を飲まされた経験があり、両陣営にとって記憶に残る戦いの舞台となった国であった。もっとも、帝国側の被害者数は敗戦にも関わらず多くはない。『紅き翼』が戦闘不能程度に手加減したことが大きく、この一戦によってナギは赤毛の悪魔として帝国側に恐怖の対象として語られるようになったのである。
小国ながら魔法世界にとっては重要な歴史を持つ国家。帝国は侵略した経緯があるので、協力を仰ぐのは難しいのではないか。
アルビレオはテオドラの疑問に首を振って答える。
「ウェスペルタティアは、恐らく完全なる世界の中核を為していますので協力は求められないでしょうね。そこで、私としてはアリアドネーを味方につけたいと思っています」
「アリアドネーか。なるほど、確かに……て、待て待てアルビレオ・イマ! お主、今かなり重要なことを口走らなかったか!?」
テオドラが飛び上がらんばかりの勢いで立ち上がった。ガタンと机が揺れて、コップが倒れそうになる。
「ウェスペルタティアが敵の中核とはどういうことじゃ!?」
「ガトウ捜査官の調査の結果、オスティアの上層部が最も黒いそうです。これは、厳然たる事実なので、受け止めるしかありませんね」
「な……」
テオドラは愕然としてアリカを見た。
その話が事実であれば、アリカの故郷はすでに敵の巣窟であり彼女自身もまた国に裏切られていたということになる。
「アリカ……」
「構わぬ。いずれにしても外堀を埋めていけば自ずと分かることではあるからの」
泰然とした様子のアリカに動揺は見られない。けれど、その心中は穏やかではいられないだろう。涼しい顔をしてはいるが、彼女はもともと感情を表に出すタイプではないのだ。
「今はまずアリアドネを味方につけるところからじゃが、そちらはわたしがやろう。テオドラたちは帝国での活動に力を入れてもらわねばならん」
「む、それは、まあ、そうじゃが……」
帝国での活動といってもどうしたらいいものか。完全なる世界と関わりなく、味方になってくれそうな人物となるとかなり難しいではないか。
高位高官に昇りつめた者でも、メガロメセンブリアのように執政官が敵に繋がっているような事例があるのだから迂闊に信用できない。かといって誰も信じずにいれば敵の思う壺である。だからこそ、『紅き翼』のように確たる証拠を押さえる必要があるのだ。
「手っ取り早く黒そうな連中から潰していって、芋づる式につり出すか」
テオドラが唸るように言った。黒い噂のある政治家は帝国にもいるのだ。また、マフィアや武器商人といった末端も、多少は情報を持っていることだろう。完全なる世界は世界的に勢力を伸ばした秘密結社ではあるが、末端まで支配が浸透しているかというとそうではない。手を広げすぎた結果、粗悪な部下もかなり増えてしまっているらしいのだ。そこから、なんとか帝国の内部に入り込んでいる者を特定して、完全なる世界の存在を大々的に公表していく。それくらいしか今の時点では打つ手がない。アリアドネの説得が上手くいけば、事態も多少は好転するはずなのだが。
とはいえ、学術都市であるアリアドネは、中立を貫き通してきた巨大都市国家である。この大戦に於いてもその主義主張は変わることがなく、独立を維持するに足るだけの軍事力を有している。手を出せば痛い目を見るぞ、と彼らは永世中立国という肩書の維持のために少なからぬ軍事費を費やしており、帝国も連合も手出しをしていないのである。そのアリアドネが果たして味方についてくれるだろうか。それについては、テオドラたちではどうにもならない問題であって、アルビレオやアリカに妙案があるのであれば、それに任せる他ない。まずは自国のことをどうにかしなければ、世界そのものがなくなってしまうのだから。
■
かくして水面下で完全なる世界に対する反攻作戦が始まった。
味方を作るのもそう容易いことではない。明らかな悪を打ち倒すことから市民の理解を得ることにした。戦争が長期化する中で、マフィアや武装勢力の問題が行政を苦しめ始めていた。中には役人がこれらと結託して資金を稼いでいるなどの汚職が蔓延し、地方ほどその影響が大きく出ていた。そこを『黒の翼』が強襲した。勧善懲悪と言葉にすれば簡単であるが、それを為すのは並大抵の努力では不可能だ。悪事の根拠となる証拠を衆目に曝さなければ、徒に騒乱を巻き起こしただけで終わるのだから。
それについては、テオドラの伝手が大いに活躍してくれた。
テオドラが最も頼れる人物として挙げたのは、ブラムという白髪の老人だった。幼い頃にテオドラの身辺の護衛を勤めてくれたかの人物は、定年を境に身を引いて、静かな暮らしを送っていた。そこにテオドラが声をかけたのだ。
「敵に攫われたと聞いたときには、背筋が凍ったものだったが」
ブラムは、すでに百五十年を生きる老兵でもある。
卓越した戦闘技巧と鍛え抜かれた肉体は、引退した今でも衰えてはいない。コーヒーを注いだカップを片手に、確かな歩みでジークフリートの前までやってきて、ソファに座った。
「結局のところ、疑わしきは帝国の上層部というわけだ」
ブラムが暮らす辺境の街は隠居当初は治安のよい地方都市として名が通っていたものの戦争の半ばから行政の圧迫が強まり、マフィアが巣食うようになってしまったのである。犯罪組織と地方行政が繋がっていることは、明白であったが、戦争に集中するために、どうしても放置せざるを得なかった。
「上の悪さの証拠は押さえたが、あんた方が言うような完全なる世界だったかに関わるものは出なかったぞ」
「そうか」
「がっくりしたか」
「いや」
ジークフリートは静かに言った。
「まだ、始まったばかりだ。貴公の協力があれば、他の都市でも味方を増やせるという。悪い話よりも良い話のほうが収穫としては大きい」
「ふん、そうかい」
ふてぶてしく背凭れに身体を預けたブランがじろりとジークフリートを見る。テオドラを見るときは、最愛の孫を見守る祖父の如き慈愛の色を帯びる視線も今は歴戦の猛者を思わせる猛禽の視線だ。
「何か?」
無論、そのような視線を向けられて動じるジークフリートではないが、かといって黙っている理由もない。至近距離でかような視線を向けるとなれば、相応の理由があるだろう。
「いや、わしも昔はいっぱしの騎士をやってたからな。あんたの非常識な戦闘能力の噂を聞いてどんなものだと思っていたんだ。まあ、これは、この国の大半の連中が思っていることだろうがな」
どこかに誇張があるのではないか。さすがに、発表されているほどの活躍ができるだろうか。ジークフリートに懸賞金がかけられた今、かつてほどその活躍は受け入れられてはいない。悪質なデマも出ているくらいだ。
「だが、こうして見るとやはりあんたは強い。到底わしじゃあ勝てん、話にならん。それは気に喰わんというのは男として当然の反応だろう。わしが後五十年若ければ、なにくそと思って鍛錬を積んだかもしれんがね」
苦笑する。
先ほどまでの険しい表情とは異なる柔和な笑み。
「にしてもジークフリートとは、あんたの親もらしい名前をつけたもんだ」
「らしい、か」
「
などと、笑って言う。
冗談めかして。
しかし、英雄と崇められたものの名前に因むのは昔からのお約束だ。天使か或いは英雄か聖人の名前。それが、名付けの参考にされる。ジークフリートが英雄として知られるようになれば、必然的にその名に因んだ名付けが流行するだろう。
旧世界のとの繋がりの薄い帝国ではあるが、北部のメガロメセンブリアなどは旧世界出身者も多く、ジークフリートという名前を持つものも、いるにはいる。旧世界ドイツならば、その数はさらに増えるだろう。
ジークフリートを神話の英雄の再来と持て囃すのは、それなりに教養のある知識人が主流だったが、今後、『ニーベルンゲンの歌』が広まれば、そのフレーズは帝国各地に広まるかもしれない。といっても、それは汚名を雪いだ後の話ではあるし、自分の名誉以上にテオドラの名誉のほうが重要だ。今は一介の騎士として、彼女の身の安全を守り、皇女としての役目を全うさせねばならない。
「貴公の助力は今後も必要になる。今更、俺が言うようなことではないかもしれんが」
「ああ、あんたに言われなくとも、テオドラ様のためならば火の中水の中だ。老いぼれても騎士は騎士。祖国に仇為す輩は捨て置けんからな。そういう気概を持ったヤツは、存外多いぞ。嬉しいことにな」
今は戦争に気を取られている者が大半だが、市井の中に紛れる有志の徒にもブランは広く顔を売っている。帝国騎士時代に築いた人脈は、広範な地域に根を張っているのだ。テオドラもそれを知っていたからこそ、ブランに頼る道を選んだ。
「一刻も早くテオドラ様をお戻ししなければならない。が、今の時点では暗殺の危険が付きまとうからな。だが、テオドラ様の身近な人間の中に裏切り者がいるのは間違いないことだ。以前の襲撃もそうだし、今回の極秘会談の情報が漏れていたこともそうだ」
コーヒーをすすって、情報を纏めるかのようにブランは言葉を紡ぐ。ジークフリートに語りかけるようで、自分に語っているようにも思える。
「貴公は王宮にも伝手が多いと聞く。探りを入れることはできないか?」
「できるだろうが、どこまで調べられるかは分からんな。ただ、テオドラ様が攫われたあの日に、警備に当たってた連中の大半は監視されて生活しているようだな。お前さんたちが接触する可能性を考慮してのことだろう」
「身辺に危険があるというわけではないか」
「今のところはな。だが、テオドラ様が解放されたことを、完全なる世界とやらは知っているだろうから、おびき出すために彼らを使う可能性は捨てられない」
そうなれば、きっとテオドラは彼ら彼女らを救いに行くだろう。ジークフリートもまたその行動を止めはしないはずだ。そうなる前に、何かしらの悪事の証拠を押さえるか、或いは戦争そのもののちゃぶ台をひっくり返してしまうしかない。現段階でできるのは、着々と犯罪組織を潰すことであり、そこと繋がりのある政治家をあぶりだすことである。その中に完全なる世界と繋がりのある者が含まれていると信じてやる他ない。
それに情報源は帝国国内だけではない。
すでに、完全なる世界に対して内偵を進め、核心に近いところまで踏み込んでいる『紅き翼』の仲間もいる。彼らと情報共有をしていけば、怪しい人物のリストを作成することも不可能ではないはずだ。
生きていると座に登録されないとは言うけれど、英霊って人の想念もありではなかったかな。本物のマーリンはダメでも、物語の中のマーリンはアリとかってならないのかな?
平行世界では死んだので登録されてますとかって場合はありえない?
それとも、召喚される世界に準拠するのだろうか。その辺りどうなんだろうか。