正義を目指す竜殺し《完結》   作:山中 一

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第二十二話

 アルビレオとアリカがアリアドネーを口説いているのと時を同じくして、ヘラス帝国で活動している『黒の翼』にも進展が見られた。

 ジークフリートとテオドラが出会った最初の事件。

 飛行艇の撃墜と大量の召喚魔による襲撃事件を主導したと思しき組織の特定と襲撃に成功したのである。

 大量の悪魔を召喚するには、それだけ大きな儀式の行使が必要不可欠である。その痕跡は、非常に巧妙に隠されていたものの、消しきれるものではなく、ブランの人脈と騎士としての実戦経験から見事に当たりを引き当てることに成功した。

 相手は、長年ヘラス帝国内で活動していたマフィアの一つ。討伐を幾度も行っていたものの、壊滅に至らなかったやっかいな組織である。そのアジトの一つが、テオドラの襲撃を企て、実行に移していた。

 その明確な証拠を押さえたジークフリートたちの行動は早かった。

 敵地への強襲から占拠まで一時間とかからない。構成員全二十八名は、一人残らず捕縛され、魔法によって拘束されている。

 必要な資料を掻き集めた後は、地元警察組織に引き渡す。これまでに幾度か繰り返してきたことを、ここでもするだけだが、今回は本当の意味での当たりであった。

「ああ、やったぜ。隊長! すっげえのありましたぜ!」

 資料を漁っていたコリンが、偶然にも発見した巻物を振って、アレクシアにアピールした。

 ダンボールに使えそうな資料を詰め込んだアレクシアは、

「なんですか、それは」

 と、後にして欲しそうに適等な反応を示したが、コリンが広げた巻物から再生された3D映像記録を見て、言葉を失った。

「ちょ、な、この人……侍従長!?」

 映し出されている初老を迎えたばかりの人間の女性を、アレクシアは知っていた。仲間の誰もが知っているだろう。ジークフリートですら、彼女と言葉を交わしたことくらいはある。

 テオドラに仕える侍従長――――メイリンであった。

 それが、マフィアの頭目と笑みを浮かべて話をしているのである。さらに、共に机を囲んでいる相手には大臣や一部門を預かる長官の一人までいるではないか。

「まさか、ここまで。いや、覚悟はしていましたが……」

「こいつらがいつまで経っても潰れなかったのも、当然だな。何せお上と繋がってれば、トカゲの尻尾きりにしかならねえだろうから」

 吐き捨てるように、コリンが言った。

 魔法で縛り上げられたマフィアの構成員たち。この組織が長く帝国に存在していたのも、総ては政府との間に表沙汰にできない取引をしていたからであった。

 メイリンもその仲間であり、そして完全なる世界のシンパでもあるのだろう。

「どでかい証拠だな。スキャンダルとしては、特大の……」

「一先ずは、外に出ましょう。それ、絶対に落とさないでくださいね」

 アレクシアは、コリンにそう命じ、撤収を指示する。

 『黒の翼』の活動は、噂レベルでしか広まっていない。迂闊に表に出てしまうと、敵ではない人々まで相手にしなければならなくなるからである。だが、それもここまでだ。証拠は押さえた。機を見て一気呵成に叩き込むことができれば、それで情勢は変わる。

「ジークフリート。撤退です!」

「この者たちはいつも通りにか?」

「はい。じきに警察も来るでしょう」

 もちろん、警察もまた信用はできない。完全なる世界の手が入っているのは、マフィアの末端から政治の上層部までだ。司法や警察組織は真っ先に敵の手に落ちただろう。その証拠に、ジークフリートたち『黒の翼』は、テオドラ誘拐事件の後ですぐに指名手配されてしまった。状況証拠であれば、彼らが犯人である可能性など無きに等しいにも関わらずだ。

 だが、それもこれで終わる。

 明確な物証を持ち帰ることに成功したジークフリートたちは、拠点に戻ると証拠品の整理を始める。その大半が、はずれではあったが、金銭の流れや契約書の類はマフィアと官僚の癒着を示す材料として有効に利用できるものであった。

「正直に言えば、これほど酷いとは思いませんでした」

「金銭で安全を買うのは、いつの時代も変わらない。それを否定はしないが、それで無辜の民を犠牲にしてよいはずがない」

 静かにジークフリートが呟く。言葉の中に憤りの念を滲ませて、拳を握る。はっきりとした形の掴めなかった悪が、すぐそこにいるのである。

「ああ、しかしこれは驚いたな。まさか、メイリンのお嬢ちゃんがこんなことしてるとはな」

 ブランが沈鬱そうな顔で、巻物から再生される映像を眺めている。彼は、テオドラの護衛を勤めていた下騎士団員である。侍従長として長く王宮に仕えていたメイリンとも顔見知りだったのであろう。

「これだけの証拠があっても、法を相手が抑えているのであれば正攻法は使えません。最後はごり押しするしかないというのが、辛いところですが」

「だけど、ここまでくれば後はどこで仕掛ければいいかって話じゃないの?」

 アレクシアの言葉に反応したのはブレンダだ。その隣に座るベティも同感とばかりに頷いている。ごり押しもなにも、今まで敵を力任せに叩いてきたのだから、気にしても仕方がない。

「いや、まあ、そうですが」

「テオドラ姫が王宮に戻るのに合わせればいいのではないか。張本人を前にして弾劾するというのも、一つの手だろう」

 ジークフリートの言は、少なからぬ危険を伴うものではある。だが、効果的なのも事実であった。行方不明のはずのテオドラが無事戻り、犯罪の証拠を押さえて証言すればこれまでの不利が一気に覆る。問題は、テオドラを偽物扱いしようとするなど、相手側が反攻してきたときであるが、それについては身分証すら役に立たない水掛け論にしかならない。魔法をかけられていないことで以て証拠とするほかない。

 とはいえ、それはテオドラが親しい間柄にあった人物を直接弾劾するということである。精神的な負担は計り知れない。

「ん、妾ならば大丈夫だぞ」

 しかし、テオドラはしっかりとした声でそう言った。

「テオドラ様」

 アレクシアが心配そうな声で、テオドラの様子を窺う。

「部下が巨悪に加担するのであれば、しっかりと正してやるのも主人の仕事じゃ。心配する必要はないぞ」

 小さな身体に似合わぬ覚悟を以て、テオドラは毅然とした態度で言い切った。

 直接王宮に乗り込んで、証拠を突きつけて弾劾する。叶う限り大勢の前で。テオドラという隠しようのない証人を引き連れて。賭けではある。失敗すれば、総てが水の泡だ。それでも、やってみる価値はあるのではないだろうか。

 と、その時、声を上げたのはコリンだった。

「おい、皆これを見てくれ!」

 話し合いの最中に上げた声は、事の外よく響いた。

 コリンが触っていたのはテレビのリモコンで、音量を下げるために操作していたところだったのだ。

 ヘラス帝国の民間放送局が流す情報番組の中で、緊急速報が流れていた。映像が切り替わり、記者会見が行われている映像が映し出された。

 そこに映し出されたのは、ウェスペルタティアの姫であるアリカとアリアドネーの総長コルドゥラであった。

 

 

 

 流れが変わったと、如実に理解できた。

 完全なる世界が如何に強大かつ広範に勢力を広げていようとも、公共の情報番組のライブ映像にまで手を加えることは不可能だ。たとえ、テレビ局内にシンパがいたとしても、多くの国民の目の前で情報統制を強硬するなどありえなかった。

 中立を謳うアリアドネーの総長が自ら矢面に立って世界の現状を説明し、メセンブリーナ連合とヘラス帝国の名のある高官たちの悪行を詳らかに説明する。証拠の品として、映像資料まで提示し、自分に迫った暗殺未遂事件を絡めて声高に非難声明を発した。戦争を道具とし、人命を損なう茶番劇を即時に止めるべしと。

「これ、行けるんじゃないっすか? ねえ、隊長」

 コリンが息を荒げて言う。

「ええ、むしろ今を除いてチャンスはない」

 アレクシアは大きく頷いた。

 アリアドネー総長の暗殺未遂は、学問の自由と主権を侵害する行為であり、その仲間を絶対に許しはしないとの強い意思をテレビ中継で示した。そして、その仲間が連合と帝国の双方の政治家であるということは、少なからず世間の動揺を誘うだろう。

 完全なる世界についても、コルドゥラは触れている。

 秘密結社の存在が、明るみに出た瞬間である。

 ならば、これをもみ消されないうちに帝国側でもアクションを起こす必要がある。

 テオドラを旗頭として、王宮に凱旋し、完全なる世界のシンパである証拠を集めることに成功した人物たちの弾劾を行う。その機会は今以外にありはしない。

「ブランさんは、どう思われますか?」

 アレクシアはさらに経験豊富なブランに意見を求めた。

「賛成だな。テオドラ様が王宮に戻られるのも、可能な限り人目に付く形にするべきだろう。テオドラ様の無事を報せるには、いい機会だ」

 ブランは勢いよく立ち上がった。

「乗りかかった船だ。帝都まで案内してやる!」

 喜悦を表情に浮かべて、ブランは胸を叩いた。

 仲間たちの視線が交差する。

 潜伏の時はここに終わり、攻勢に出る時が来たのだと言葉にしなくともその事実を共有していた。誰一人として反対はしなかった。証拠の品を掻き集め、帝都に向かう。

 

 

 

 同時刻、メガロメセンブリアでも、動きがあった。

 アリアドネーから発信された暴露情報は、メガロメセンブリアでも中継されている。

 次々と、別のチャンネルでも同じ放送を始めていた。

 主として完全なる世界の陰謀の暴露とそれに加担する政治家たちを国籍を問わず名指しで批判するという内容だ。そのための証拠も、惜しげもなく提示している。今、映し出されているのは、メガロメセンブリアの執政官(コンスル)が爆破テロを指示している映像データだった。

「お、俺が見つけてきたヤツじゃねえか」

 高層ビルの大型モニターに映し出されるニュースを、道行く人々が食い入るように見つめている。

 フードで身を隠したナギもまた、その一人だ。違うのは、当事者か否か。

「帝国のほうはどうなるかな」

「いずれにしても、戦争の当事者が図って戦局を動かしていたとなれば、戦争どころではない。まずは、世の人たちにも分かるように、大本を叩かなくてはならんぞ」

 ナギの呟きを拾った詠春が言う。

 その二人の下に、白いスーツを来た男がやって来る。

「詠春の言う通り。これだけでは世論は変わらない。証拠を示し、暴露したところで、上が認めなければ流れてしまうものだからな」

 タバコを吸う初老の男。

 ナギたちの仲間で、非常に優秀な捜査官でもあったガトウ・カグラ・ヴァンデンバーグである。

 彼がいなければ、ここまで証拠を取り揃えることはできなかったであろう。

「で、どうすんだよ、この次は?」

「もちろん、乗り込むさ。準備はできている」

 ガトウが視線を向ける先にはメガロ湾がある。その上を鯨に似た形の船が飛んでいる。サーチライトでメガロ湾を照らし、幾人もの人影が海に飛び込んでいく。

「なんだ、あれ? なんで、超弩級戦艦がこんなとこに来てんだよ」

「リカード艦長様々だ。話をしたら、進んで一枚噛んでくれた。今はメガロ湾に沈められたマクギル元老院議員のご遺体を捜索している」

 マクギル元老院議員は、『紅き翼』の行動に理解を示し、戦争終結のために行動していた反戦派の議員である。以前、執政官がテロに関与しているという情報をナギたちから受け取った際に、完全なる世界によって殺害されメガロ湾に沈められていた。

 その後マクギル元老院議員には、完全なる世界の誰かが変装していたようだが、一月ほど前から失踪という扱いに変わった。遺体が見つかれば、『紅き翼』の追放以前に殺害されていたことが明らかになるだろう。そうなれば、彼らへの疑いは晴れたも同然となる。

「リカード艦長には海と空を封鎖してもらっている。時間はないが、今なら彼を後ろ盾に乗りこめる」

「へ、そういうことかよ」

 ガトウの思惑が成功したことが分かり、ナギとラカンは不敵に笑った。一人が一個大体に値する怪物である。執政官の私兵程度では話にならない。

「早々に片付けてしまおう。逃げられると、厄介だぞ」

「当然だぜ、詠春。いつかの借り、ノシつけて返してやるぜ」

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 

 結局、世論とは世の中の流れで形成される。

 世界的な流れの中にあって、それに抵抗できる人間は多くない。畳み掛けるように表に出てくる「真実」に、メディアはこぞって飛びついた。

 アリアドネー総長の世界各国に向けた犯罪の暴露と、それに呼応したメガロメセンブリア執政官の逮捕は、暴露の正当性を補強する格好のネタとなった。

 芋づる式でメセンブリーナ連合側の高官らが逮捕されていく中で、注目を集めるのは、やはりヘラス帝国はどうなのか、という点であろう。

 もちろん、ヘラス側にも告発されている者はいる。

 連合側で実際に執政官が逮捕されたことを受けて、ヘラス帝国でも厳しい世論が巻き起こるのは、時間の問題であろう。

 現在、アリアドネー側が発表した名簿に載っているのは三名。

 その中には法務官や大臣の名前が入っている。

 両者共に戦争を継続するべきとの立場を示していただけに、この流れのままであれば反戦運動の後押しにもなるだろう。

 そんな夜の流れではあるが、帝都の中は常と変わらず穏やかな時間が流れていた。

 ピリピリとした空気は感じる。気を張っていて、明日をも知れぬという状態なのはここでも同じか。戦火が近づいている上に、報道では上層部が敵と繋がっている可能性もあるという。そのような状態で、誰を信じていいのか分からないのである。しかし、感情的になって暴動を起こそうという者はいないようだ。まだ、情報が出てきてから時間が経っていない。民衆に実感として浸透していないのだ。

「昔馴染みが教えてくれたぞ。どうやら、王宮の中でもこの問題はかなり大きな話題になっているらしい。名指しされた法務官と大臣は、とりあえず謹慎状態にあるとか」

 かつて、王宮で働いていたブランが、以前の伝手を頼りに王宮内のことを伝えてくれた。

 指名手配をされている『黒の翼』のメンバーではないから、こうした点でも情報を集めやすい。老いて引退したとはいえ、その人柄を信頼する者は多く、いまだに王宮の中に詰めるものとのやり取りは続いている。

 状況は十分ジークフリートたちに味方をしている。

「だが、ここでどうにかできるのはあくまでも不正に関わってた政治家たちだけだ。本当の敵はその奥にいるんだろう?」

「うむ。だが、それでも意味はある。地に足つけて、完全なる世界に立ち向かうためにな」

 テオドラが、ブランの言葉に頷いて答える。

 ローブで身を隠した一行は、大通りを歩いていく。

 王宮に続く大通り。以前は馬車で通った道を、テオドラは徒歩で行くのだ。皇族の中で、この道を実際に歩いた者はいないのではないか。なんだかんだで、乗り物を利用する。こうして、市井の中に身を投じる経験を、他の姉妹兄弟は経験していないだろうと思う。

「さて、ここからじゃぞ、ジーク」

「ああ。テオドラ姫も気を抜かないようにしてくれ」

「無論じゃ。ああ、しかし実家に戻るというのにどうしてこう、気を回さねばならんのかのう」

 嘆かわしいとばかりに盛大にテオドラはため息をつく。

 王宮の門の前には、当然のことながら多数の衛兵がいる。それが、ローブを身に纏った一団を見れば、警戒するのも当然であろう。

 魔法使いの基本的な衣服とはいえ、顔まですっぽりと覆っているのは警戒してくれと言うようなものである。

「止まれ」

 槍を持った衛兵が言った。

 一般人に威圧感を与えないようにとの配慮から、軽装を旨とする門前の衛兵たちが、強張った表情でジークフリートたちの前に立ちはだかる。

「王宮に何用か。顔を見せ、名と身分を明かせ」

 静かに問う衛兵に、思わず笑い声を漏らしたのはテオドラだった。

 子どもと同じくらいの背丈とはいえ、油断はできない。長命種であれば、外見が実年齢にそぐわないものも多いからだ。

 だが、そんな警戒心は彼女の一声で雲散霧消した。

「くくく、相変わらず真面目なヤツじゃな、ユーリ殿」

 名を呼ばれたことよりも、その声に動転した。目を見開いて、信じられないとばかりに唖然とする。

「な、その、声はまさか」

「あまりにそっけないから、妾のことを忘れてしもうたかと思ったぞ」

 そして、テオドラはフードを取った。

 認識阻害の効果が消えて、テオドラの顔が露になった。

「ッ、て、テオドラ様!?」

「如何にも、テオドラじゃ。ユーリ殿。今日は確か、そなたの娘の誕生日であったろう。早めに帰って、家族サービスをするとよい――――ジークたちももうフードを取っていいじゃろ」

 それを合図にジークフリートたちは一斉に姿を曝した。

 その姿を知らぬ者など一人もいない。

 テオドラを誘拐したとして指名手配をされていたから、ではない。

 衛兵たちも帝国の兵士として戦場を駆けた者たちだ。当然ながら、ジークフリートの活躍は知っているし、中には同じ戦場に出ていた者もいる。

 連合を相手にたったの一人で孤軍奮闘する姿を知るが故に、確保しようなどという動きは一切なく、ただその場に立ち尽くすだけだった。

「門を開けてくれんか? 実家の前で立ち往生する皇女など、前代未聞だぞ?」

「あ、いや、しかし……ジークフリート、らは現在指名手配中でして……」

「頭が固い、判断が遅い。よいか、報道された内容が総てじゃ。今、世界は未曾有の危機を迎えておる。ジークたちはそれに立ち向かわんとしているのじゃぞ。それとも、お主、敵に通じている法務長官が出した触れに正当性があると申すか?」

「ぬ、そ、れは……」

 ジークフリートたちを捕らえるというのは、法で定められたことではある。が、その法の運用自体が敵に通じたものであれば、法を守ることが敵を利することとなる。帝国の騎士としては、帝国に害を為すわけにはいかないが、かといって帝国の法を破るわけにもいかない。その葛藤を、理解できないテオドラではない。

「法務長官が敵と通じている証拠も持参した。その他報道されていない者たちについても、取り調べるべきじゃぞ。『黒の翼』の指名手配決定プロセスそのものの再検証も必要じゃ……まあ、それはともかく、門を開けてくれ。でなければ、押し通るぞ」

「む、う」

 ユーリは判断に迷いながらも、十秒ほどの思考の末に開門を命じた。

 ジークフリートたちだけならばいざ知らず、テオドラまで一緒となればいよいよ報道の真実性が強くなる。つまり、ジークフリートたちは無実であり、法務長官ら上層部にこそ悪が潜んでいるという事実。

「よい判断じゃ。よし、乗り込むぞ、ジーク!」

 

 

 

 ■

 

 

 

 

 テオドラの「帰宅」は大きな喜びと動揺を以て迎えられた。あまりにも突然のことに、声を上げて喜ぶ者や、唖然としてテオドラたちを見つめるものもいたが、皆一様にどのように彼女に接すればよいのか分からず右往左往するばかり。そんな周囲に気を遣うこともなく、テオドラは真っ直ぐに広間に向けて足を進める。

 両脇をジークフリートとブランという歴戦の猛者に守られたテオドラは、誰に邪魔されることもなく父たる皇帝が座す大広間に到着した。

「父上! 今帰ったぞ!」

 ドアを押し開けて、テオドラは中に入る。

 大広間には百人近くの衛兵が詰めていて、重装備に身を包んでいる。荘厳な雰囲気のある、シャンデリアが照らす中、テオドラの声は残響を残して部屋の中に溶け込んだ。

「て、テオドラ!?」

 玉座に腰を下ろしてた皇帝は、ペンを取り落として立ち上がった。

 筋骨隆々の巨漢であった。ヘラジカを思わせる巨大な角が、小さく見えるほどだ。

 テオドラの登場は、大広間に集まった豪奢なローブに身を包む老若男女にも影響を与える。ざわめきが広がり、その声が大きくなる間にテオドラは人々を掻き分けて父の元に走った。

「父上!」

「テオドラ!」

 テオドラは父の胸に飛び込み、皇帝は父として娘を抱きしめた。何が起こったのかということは後回しにして、父として娘の無事を喜ぶ。

 威厳溢れる為政者であり、慈愛溢れる父であるヘラス帝国の皇帝は、テオドラの頭を撫でながらジークフリートたちに向き合った。

「ジーク、フリートとその仲間か。それに、ブランまでいるとはな」

「お久しぶりでございます、陛下」

 真っ先に腰を低くしたのはブランだった。皇帝とも直接的な面識のある彼は、畏まりすぎず、決して礼を失しない作法を心得ている。

「父上。アリアドネーの報道は見たか?」

「ああ。だが、半信半疑であった。さすがに、法務長官や大臣までもが関わっているなどというのはな」

 皇帝は消沈したように言った。

 アリアドネーでのことに端を発したこの騒動は、ヘラス帝国の内部にも大きな影響を与えている。今、この場に多くの人員が集っているのも、この問題に対処するためであった。

 そこに、テオドラが飛び込んだのである。

「中立を謳うアリアドネーの言葉ゆえに無視もできぬ。彼らは、今自宅謹慎の最中であるが……」

「あの者たちだけでない。メイリンも通じておる。それに、ほかにも何人も」

「何? どういうことだ、テオドラ」

 皇帝がテオドラに問いかける。その問いに対して、テオドラはアレクシアに視線を投げかけることで答えとする。

「失礼致します、陛下。わたくしには発言をお許しください」

「そなた、確か『黒の翼』の……」

「は……アレクシア・アビントンと申します」

「よかろう。発言を許す」

 アレクシアは一礼してから、ローブの袖から巻物を取り出した。

 皇帝が眉根を寄せ、周囲の衛兵が警戒心を露にする。巻物はただの書物ではない。魔法がかけられたそれはテロにすら使用できる。爆弾の変わりに使うことも容易な危険物ともなりうるのである。それは皇帝の目の前に取り出すというのは、少々問題のある行為ではある。

 だが、皇帝も魔法使いとしては一流だ。その巻物が、攻撃的なものではなく映像記録用の巻物であると一目で見抜いていた。

「我々はテオドラ様を救出した後、機を窺って各地に潜伏いたしました。そして、その際に追っ手やマフィアと交戦することもありました。こちらは、戦いの中で手に入れた、不正の証拠でございます」

 アレクシアは、巻物を再生する。

 浮かび上がる3D映像は、ヘラス帝国の高官ら――――法務長官や大臣、そしてテオドラの傍に仕えている侍従長などが、マフィアとテロの計画を話し合っている場面を明確に映し出した。

「元は取引相手のマフィアがこの方たちに裏切られないようにと隠し撮りしていた映像です。度重なるテオドラ様に対するテロも、最も傍にいる者が主導したからこそ引き起こされたものと思われます」

「ぬぅ……」

 映像を見るや皇帝は顔色を変えて歯噛みした。

 国家の大事であり、恥である。

 戦争を道具にして、私腹を肥やしていた者たちである。多額の税金と国民の命を消費して、金を集める亡者たち。

「おのれ、国賊めが……! 今すぐに、こやつ等を捕らえて引っ立てよ! 決して逃がしてはならんぞ!」

 皇帝は強い口調で命令した。

 慌しく騎士たちが動き始める。

「テオドラ。よく報せてくれた。『黒の翼』諸君も――――」

 皇帝がそう言おうとしたそのとき、大広間の中央で莫大な魔力が溢れ出た。

 青い光を放つ魔力風が、竜巻の如く唸りを上げて四方八方に容赦なく力を叩き付ける。

「何だ!?」

 間違いなく攻撃である。

 発生源は中央にいた一人の魔法使い。銀髪の男である。これが、魔法を用い、大広間を荒らしている。周囲にいた者たちは軒並み跳ね飛ばされ、大広間の中央は男の独擅場と化した。気絶した要人たちをあざ笑うように風の暴力を振るい続ける男の掌が皇帝に向けられた。

「陛下!」

 誰かが叫んだ。

 近衛騎士か、それとも政治家たちの誰かが。いずれにしても言葉で命は救えない。すでに、圧縮された青い風は解き放たれている。

 攻撃範囲こそ極小に絞られているものの、だからこそ点の標的に対して絶大な破壊力を発揮し得る。

「伏せろ」

 前に出たジークフリートが剣を引き抜いた。

 迸る幻想の輝きが、青い風を消し飛ばす。

「何ッ……」

 男が、後ずさりする。

 大魔法の一歩手前程度の威力はあっただろう。それを、ただの剣術で弾かれたのだから動揺もするだろう。相手がたとえジークフリートで、その実力のほどを知っていたとしても初見では驚くものだからだ。

「貴様、アーダルベルト。何のつもりだ!」

「く……」

 激高する皇帝に対して、アーダルベルトと呼ばれた男は無数の風の刃で返礼とする。

 幻想大剣を振るうには、場所が狭すぎる。もっとも、宝具を使うに足る相手ではない。そこそこの実力はあるようだが、所詮はジークフリートの敵にはならない。

 風という風をジークフリートは斬り払う。人間技とは思えぬ神速の剣捌きで容赦なく風の刃を叩き伏せると、瞬時にアーダルベルトとの距離を零にする。

「ご……!」

 ジークフリートは握り拳をアーダルベルトの腹部にめり込ませた。

 魔法障壁を加味しても殺しきれぬ衝撃に、彼は身体をくの字にして倒れこんだ。

 




一酸化炭素「へっへっへ大人しくしな。可愛がってやるよぉ」
ヘモグロビン「いやあ、私には酸素さんがいるのに。ああ、ダメ、結合しちゃうぅぅ」
酸素「ヘモグロビン! 畜生、一酸化炭素、許さんぞーーーーーー!」

という夢を見た。

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