GAMERA-ガメラ-/シンフォギアの守護者~The Guardian of Symphogear~   作:フォレス・ノースウッド

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今回の話のイメージBGM&ED「カヴァレリア・ルスティカーナ 第8景 交響的間奏曲」


#11 - 追奏曲Ⅱ/落涙

 土曜日の休日もすっかり夕刻になり、律唱市の空も暁の色に染まり、暮れようとしている太陽に照らされ、夜の訪れを街に告げ、市内に流れる河川の水面は夕焼けの光を絶えず模様の形状を変えながら反射していた。

 河川の川岸は、19世紀により派生したネオ・バロック風のレンガ道にて舗装され、局地的ながらヨーロピアンな光景を形成していた。

 そんなレンガ道を、学校帰りの朱音と響が歩いている。

 いつもなら、未来ら他の級友たちと一緒に横並びで下校していることが多いのだが、今日は朱音が先頭を歩き、その後ろを三メートル近い間をキープさせている響が歩を進ませている状態であった。

 

 

 

 制服の上着のポケットから、私はライターに似た形をしている物体を取り出し、供えられているボタンを押すと物体は展開され、スマートフォンらしい長方形型携帯端末に変形した。

 2010年代はなまじ色々機能を盛り込んだせいで大きくてかさむなんて不評も少なからず出してきたスマホも、今ではこうして折り畳みができ、いわゆるかつてのガラケーよりもコンパクトに持ち運べるようなっている。

 足を歩かせたまま、私はスマホでネットを繋ぎ、ニュースサイトにアクセスして検索を掛けた。他に通行人がそういないとは言え、このご時世でも問題である〝ながらスマホ〟なのだが、ここは目を瞑ってもらいたい。

 探していた記事が複数見つかり、私は端末に備わっているホログラム機能で、画面から3Dモニターを表出させた。

 立体画面に投影されている記事の数々を読み進める。

 見出しの記事名や記事文にはそれぞれ、このようなことが書かれていた。

 

《生死を分けたのは、避難民同士の争い》

《絶えぬ生存者への中傷》

《現代の魔女狩り》

《〝人殺しに血税を使うのか〟と非難殺到》

《ネットから現実へ肥大化する論争》

《生き残った中学生、校内の陰湿ないじめを苦に自殺》

《被害者の父、家族を残して失踪》

 

〝お前がどんだけ血まみれになってまで戦っても、奴らは同族同士の無様でバカバカしくて惨めな争いで血まみれになるのを繰り返すだけだぞ〟

 

 もしかの核の落とし子たる〝怪獣の王〟が言葉を発せられたのなら、こんな〝皮肉〟を私に言い放ってくるのは間違いない。

 実際私も、人間(わたしたち)にはそういう〝面〟がどうしようもなく存在している事実からは目を逸らす気はないし、認めている。

 何しろ……私(ガメラ)とギャオスどもとの戦いは、怪獣同士の戦いの〝皮〟を被った人間たちのイデオロギーのぶつけ合いな〝代理戦争〟でしかなかったのだから。

 

「朱音ちゃん……」

 

 マスメディアを通じて、タガの外れた人間たちの残酷さを直視していた私は、丁度市内の主要交通機関たるモノレールの高架橋とその影を通り過ぎた辺りにて、後ろにいた響の声が聞こえた。

 この子の声を耳にするのは、かれこれ数十分振りである。リディアンの校舎を出て以来、ずっと一言も発しない状態が続いていたからだ。

 私もどう声を掛けるべきか、上手く言葉として纏められずにいて今に至っている。

 

「なに?」

 

 3Dモニターを切り、スマホを折りたたみ直してポケットに入れながら、何事もないように振る舞いつつ、振り向いた。

 夕焼けの光でできた高架橋の〝影〟の中に、佇んでいる恰好な響。 

 太陽に負けない笑顔を見せてくれる筈のあどけない顔には、高架橋のよりも濃い〝影〟が………差し込まれていた。

 

「私のせい……だよね?」

「っ…………」

 

 声を震わせて投げかけられた問いに、どう答えていいか分からず、困惑する。

 

「いや………決して君の――」

「私のせいだよッ!」

「響………」

「私があの時早く逃げなかったから………奏さんと、翼さんは……」

 

 今の響が、ここまで自分を攻め立てる理由、それは今日、二年前のかのツヴァイウイングのコンサートライブ中に起きた〝惨劇〟の真相を、弦さんたちから知らされた――からだった。

 

 

 

 

 

 その日、響は一人、ライブコンサート会場にいた。

 元々コンサートのチケットを手にしたのも、響を誘ったのも未来であり、本当は二人で来る予定であったのだが、当日盛岡にいる彼女の家の親戚が怪我をして、お見舞いの為に急に遠出しなければならない家庭事情で来られなくなったからだ。

 

 そして実はこのコンサート、ツヴァイウイングがファンの為、かつノイズが蔓延る世界でも〝希望〟の灯を絶やさない為に開かれただけではなかった。

 

〝ネフシュタンの鎧〟

 

 旧約聖書の民数記、第二十一章に登場する古代イスラエルの指導者モーゼが作り出した青銅の蛇の英名――〝Nehushtan〟 の名を冠した鎧。

 櫻井博士が〝希少〟と表していた、現代にでもほぼ完全な形で残されていた〝完全聖遺物〟の一つを、人間の奏でる〝歌声〟に宿っており、聖遺物を目覚めさせる鍵となるエネルギー――フォニックゲインで起動させる実験の準備が、あのコンサートの裏で進行していたのである。

 経年劣化で破損した聖遺物の一部から作られ、担い手が限られるシンフォギアと違い、一度起動すれば誰の手にも使える(ただし、使いこなすにはやはり相応の鍛錬は必要となる)一方、眠りから覚醒させるには大量のフォニックゲインが必要となる。

 その為に二課は、ツヴァイウイングの二人と、コンサートに駆け付けた十万人近い多数のファンによる、ライブの興奮と熱気と一体感より生じたフォニックゲインで、ネフシュタンの鎧を目覚めさせようとしたのだ。

 目的は対ノイズ戦用戦力の増強もあったのだが、まだまだ謎の多い古代のテクノロジーの産物たる聖遺物の解明と、ノイズ対抗手段をより上段に駆け上がらせるのが実験を行う理由であったと言う。

 しかしまあ………よくこんな大勢の民間人が目と鼻の先にいる実験を、広木防衛大臣ら政府の面々から許可を出してもらえたな……と最初聞かされた時は思ったものだ。

 実際、実験の詳細を記した計画書を読み通した広木大臣は、シンフォギアシステム等の聖遺物の有用性に理解を示した上で、二課からの申請を却下、後日計画書を練り直して提出する旨を伝えたらしい。

 皮肉にも、プレゼンテーションが行われていた基地施設にノイズどもがいきなり押し入り、それを翼と奏の二人が掃討すると言う〝百聞は一見にしかず〟によって、その日の内にネフシュタンの鎧の起動実験――《Project:N》は受理された。

 

 ただ弦さんたちを弁護すると、あの日のコンサート自体は実験ありきに開かれたわけではない。

 

〝歌で人々を勇気づけ、希望を与える〟

 

 天羽奏が翼とともに装者としての戦いの日々で見出した〝信念〟によって生まれたツヴァイウイングとしての列記としたアーティスト活動の一環だったのである。

 

 だがさらに皮肉にも、その日、希望を齎す筈のコンサートは、逆に会場に駆け付けた人々絶望を与える阿鼻叫喚の地獄絵図となってしまった。

 

 

 

 

 最初はコンサートも、その際に生まれるフォニックゲインを燃料に同時進行するネフシュタンの鎧の起動実験も順調であった。

 

〝測定器は正常稼働中、フォニックゲインも想定内の伸び率を示しています〟

 

 ライブの幕開けから〝逆光のフリューゲル〟と言う大盤振る舞いで盛り上がる会場の別室で設けられた実験室内の安全弁の中で、ネフシュタンの鎧は少しずつ眠りから目覚め。

 

〝成功みたいね、みんなお疲れさま~~♪〟

 

 弦さんに櫻井博士も含め、その場にいた全員が成功を確信した矢先、響く警告音(アラート)と、点滅する警告灯。

 

〝どうした!?〟

〝安全弁(セーフティ)内部のエネルギー圧が急上昇―――このままでは起動、いえ……暴走します〟

 

 完全に〝想定外〟であったネフシュタンの鎧から発せられる高出力高密度のエネルギーは、安全弁の檻をいとも容易く破り、暴発した。

 

 

 

 

〝こっから五時間、付いてこられるかぁぁぁッーーーー!!〟

〝Oh――――ッ!!〟

〝それじゃ一緒に、もっと盛り上がって行こうッ!〟

 

 同時刻、一曲目を歌い終え、二曲目で逆光のフリューゲルと並ぶツヴァイウイングの代表曲――《ORBITAL BEAT》の前奏に入った会場の中央の円形ステージから爆発が巻き起こる。

 アクシデントか? ライブの演出か? その区別がつかず観客たちの混乱の感情が渦巻きだした会場に舞う無数の炭の粒子たち。

 特異災害が起きる……前兆(まえぶれ)。

 

 ここからは、私も地球の記憶で見た光景だ。

 

〝ノイズが……来るッ〟

 

 爆心地を突き破る形で、体長およそ二十メートル以上の四足歩行のワーム型が二体出現、続く形で一緒に大量の蛙型と人型がステージ上に現れ、異形の群体は我先に逃げ惑う観客に襲い掛かった。

 逃げ遅れ、ノイズに触れられ、または捕まった観客は生きたまま、悲鳴を上げたまま生体組織は炭素分解されていった。

 

〝行くぞ翼ッ!〟

〝待ってッ!〟

 

 ノイズどものが描く虐殺絵図の生き地獄に飛び込もうとする奏の腕を、翼は両手でつかみ上げ、引き止めた。

 

〝ダメだよ……今ガングニールを纏ったら……〟

 

 今にも涙を零しそうな悲痛な表情で、相棒に眼差しを向ける翼。

 

〝翼………〟

 

 眼差しを受ける奏は、少し困った様子を見せながらも、翼の手を強く握り返し。

 

〝付き合ってくれ―――アタシの我がままに〟

 

 決意を秘めた真っ直ぐな眼差しを、笑顔と一緒に翼に向けた。

 複雑な心情を顔に浮かばせながらも、翼は静かに頷き。

 

〝Croitzal ronzell Gungnir zizzl(人と死しても、戦士と生きる )〟

〝Imyuteus amenohabakiri tron(羽撃きは鋭く、風切る如く ) 〟

 

 二人は同時に聖詠を奏でながら、ガングニールと天ノ羽々斬りを掲げ――〝変身〟。

 ノイズと言う名の〝カタストロフ〟へ、立ち向かっていく。

 

〝――――♪〟

 

〝覚悟〟と……どこか〝儚さ〟を帯びた奏の熱く滾る歌声で、会場にいるノイズたちは位相差障壁を無効化され、この世界の物理法則に置かれる。

 スピードに秀でた天ノ羽々斬を纏った翼が、右手の刀(アームドギア)で切り抜けながら撹乱し。

 奏がその隙を突き、両腕の籠手(ガントレット)を合体、変形させた大振りの、白い刃と赤い発光体を中心に携えた形状の槍を振るい、投擲した槍から多数の分身を生成させて流星雨の如く降らせたり、槍の穂先を高速で自転したことで生じた竜巻を叩き付けるなどと言った大技でノイズたちを狩っていった。

 

 しかし、最初こそ数の差をものともせず攻め立てていた二人、今までの戦いとは比べものにならない物量を前に、次第に押されていく。

 数の利はこちらにあると、ノイズたちはその物量で二人を引き離し、連携を崩した。

 

〝ガングニールが……〟

 

 さらに追い打ちとして、奏のアームドギアの発光体の輝きが弱まり、ギアの出力が低下。

 

〝インチキ適合者じゃここまでかよ!〟

 

 敵の攻撃を回避しながら毒づく。

 Linkerを体内に投与することで、後天的適合者となった奏ではあったが、文字通り血反吐に塗れながらも得た力であるシンフォギアを纏える時間には〝制限〟があり、奏はそんな自分を〝時限式〟、または〝インチキ適合者〟と揶揄していたと言う。

 加えて、ネフシュタンの鎧の起動実験の関係上、ここ数日はLinkerの服用を控えており、いつもよりシビアな時間制限の中戦わざるを得ず、既に体はギアとの適合に限界が迫っていたのである。

 アームドギアはおろか、アンチノイズプロテクターすら実体化を維持できず霧散するのは時間の問題、しかし合理的思考では撤退が適していたとしても、未だ会場に蔓延するノイズと相棒を置いて逃げるほど、天羽奏は非情ではなく、適合率の低下で重くなっていく体に鞭打って敵を迎え撃っている中………少女の悲鳴が奏の耳に入った。

 

 その少女こそ………響だった。

 

 爆発、ノイズの大量出現、追われ逃げ惑う観客、戦場で〝歌いながら〟迎え撃つツヴァイウイング。

 

 次々と押し寄せる非日常な濁流を前に、この時の彼女は逃げることもできず、ツヴァイウイングの勇姿を目の当たりにし、足場たる観客席の崩落で会場に放り込まれて、やっと我に返った。

 

〝大丈夫か!?〟

 

 脚を挫いてしまい、碌に走れなくなった響に、奏は駆け寄る。

 

〝あ……危ない!〟

 

 二人ごと殺そうと、人型ノイズが一斉に突進を仕掛け、響からの警告が功を奏して振り向きざまに奏はアームドギアを盾にして受け止めた。

 だが、ノイズの猛攻とともに、ギアとの適合率の低下は容赦なく奏を攻め立てる。

 口から呻き声が零れていく。

 アームドギアはとうに、攻撃を阻めるだけの強度を残しておらず、受ける度に亀裂が入り、入っては砕けていき、鳥の羽毛めいた髪と同じオレンジ色を主色とした身に纏うプロテクターにも、アーマーを中心にボロボロになっていった。

 

〝奏ッ!〟

 

 引き離された翼は、ノイズに取り囲まれていた上に、この時は今と比べて対複数用の技を身につけておらず、助太刀しようにも危機に陥る相棒の下へ駆けつけられずにいた。

 

〝くぅぅ……〟

 

 人型の攻撃が続き防戦一方な中、二体のワーム型のノイズの口から鈍い色合いの溶解液が吐き出された。

 

〝走れッ!〟

 

 発破をかけられた響は、挫いて思うように動けない片足も懸命に踏ん張りを入れて走り出した。

 奏は槍の柄を回転させてそれを食い止め、どうにか響が逃げ切るまでの時間を稼ごうとするも、損傷の激しいアームドギアは………ほんの数秒は受け止められたものの、押し寄せる水圧に耐えきれなくなり、刃の一部が砕け………弾丸並の速さで飛び散った破片が、響の胸に、突き刺さった。

 

〝んなろぉぉぉぉぉぉぉーーーーーー!!!〟

 

 自身のシンフォギアの一部で少女が血を流した瞬間を目にした奏は、息を呑みながらも螺旋の槍となって突撃してきた飛行型をなけなしの――渾身の――拳打で打ち砕き。

 

〝おい!しっかりしろ!〟

 

 破片からの衝撃で観客席だった筈の岩塊に叩き付けられた響の下へ駆け寄り。

 

〝お願いだ………目を開けてくれ! こんなところで死ぬんじゃねえ!〟

 

 必死に、胸部を中心に血まみれとなり、瀕死の状態な響を呼びかける。

 

〝諦めるなッ!〟

 

 奏の叫びが届いたのか………閉ざされていた響の瞼が微かに開かれ、虚ろながらも自分を呼びかけた彼女を見上げた。

 まだ………生きている。

 その事実に奏は瞳を輝かせ、笑顔と言う形で心から喜び………華奢な響の体を抱きしめる。

 これ以上響を傷つけぬよう、そっと腕から離した奏は、〝決意〟で固めた眼差しをノイズの群れへと向け、立ち上がった。

 

〝今日はこんなにたくさんの連中が聴いてくれてんだ………なら、出し惜しみはしない………私の〝とっておき〟を、くれてやる―――〟

 

 傷だらけのアームドギアを手に、奏がゆっくりと歩を進め。

 

〝―――絶唱ッ〟

 

 今の自分にとって………死に直結している行為であると覚悟の上で、奏は禁忌の詩――〝絶唱〟を奏で始めた。

 

〝――――♪〟

 

 オペラ調の旋律で、荒廃したライブ会場に響く――歌声。

 

〝いけない奏ッ! 歌ってはダメぇぇぇぇぇーーーーーーー!〟

 

 相棒からの制止の叫びに、奏は頬に流した一筋の〝涙〟で詫び入れながらも、歌うことを止めない。

 

〝――――♪〟

 

 その歌が自分たちのにとって本会を遂げられず〝破滅〟を齎すものだと感づいていたのか、ノイズたちは各々攻撃を再開するも、奏の歌声に呼応してギアから放出されるエネルギーフィールドが、奴らの攻めを頑なに阻ませた。

 

〝アタシの歌は、アタシの生きた証、たとえ燃え尽きる運命(さだめ)でも、覚えていてくれる人がいるなら、怖くない―――〟

 

 禁忌の詩を奏で終えた奏は、命を繋ぎ止めている響へ振り返り。

 

〝―――ありがとう………生きてくれて〟

 

 青空のような………晴れやかで澄み切った〝微笑み〟で、そう呟いた。

 

 直後、奏の全身から発せられた膨大なエネルギーフィールドはドーム状に広がり、その荒波を受けたノイズたちは全て、炭となって砕け散り、吹き飛ばされていった。

 

 絶唱――シンフォギアシステムの最大の攻撃にして、諸刃の剣。

 

 特定の詩の歌唱で極限まで高められたエネルギーを、アームドギアを介して一気に放出させる技。

 その威力は折り紙付きである一方、装者に掛かる負担(ダメージ)も甚大。

 特に………後天的適合者である上に、とうにギアとの適合に限界が来ていた奏にとって………自らの命を〝燃やす〟歌であった。

 

 夕暮れの空の下、ライブ会場を地獄絵図に塗り替えたノイズの群れを全て駆逐した奏は、その場で力なく倒れる。

 アンチノイズプロテクターはボロボロで破けていない箇所はなく、彼女自身も………その身に受けた絶唱のエネルギーで、全身のありとあらゆる細胞はほとんど壊死してしまっており、その身に宿る命は………〝風前の灯〟であった。

 

〝奏ッ!〟

 

 翼は大粒の涙を流して、奏の体をそっと抱き上げる。

 

〝どこだ………翼………もう、真っ暗でお前の顔も見えやしない……〟

 

〝ここだよ………私はここにいるよ!〟

 

 奏の五感は、聴覚を残してほとんどが壊れており、翼の泣き顔すら、今の彼女の目は捉えることができずにいた………自分の体が翼に抱きしめている皮膚感覚すら全くなく、彼女の泣き叫ぶ声で、やっと翼に抱かれているのだと気づいた。

 

〝悪いな………もう一緒には歌えないみたいだ………〟

 

〝どうして……どうしてそんなこと言うの? これからも二人で歌いたいって………二人でみんなを勇気づけようって、言ってくれたじゃない! 奏の嘘つき! 奏の………意地悪……〟

 

〝だったら翼は……弱虫で……泣き虫だ……〟

 

〝それでも構わない! だから………ずっとずっと一緒に歌ってほしい!〟

 

〝嬉しいよ、そう言ってくれて………でも、いいんだ………ここでアタシが消えても………アタシの歌は―――〟

 

 最後まで、翼に言葉を伝えきれぬまま………奏の全身は崩れ去り、まるで鳥の羽の如く飛び、散っていった。

 

〝かなでぇぇぇぇぇぇぇーーーーーーーーーー!!!〟

 

 嗚咽で崩れ落ちる翼と、命を死の瀬戸際で繋ぎ止めている響を残して。

 

 その日以来、風鳴翼からは〝笑顔〟が消えた。

 

 ファンら人間たちを相手に歌っている時でさえ、影が付きまとい。

 

〝自分が弱かったから奏は死んだ………なら、自分が奏にならなければ………それが生き残ってしまった自分への罰なのだ〟

 

 

 とばかりに、頑なまでに一人で鍛え、一人で戦場の中、ノイズを相手に歌い……戦い続けてきたのであった。

 

 

 

 

 

 地球から送られた〝あの日〟の夕焼けと、今日の夕焼けは、とてもよく似て鮮やかな色合いだった。

 心なしか……その夕陽の光に照らされてできたモノレールの高架橋の影は、いつも夕方に見る陽の影より、黒味が濃く見える。

 

「だって私……あの時あそこにいて、逃げもせず見てたんだよ………〝歌〟を聞いてた筈なんだよ………」

 

 だけど、影の中にいる響の姿を、目にすることができていた………夕焼けの光の恩恵を受ける、周囲の風景よりも、くっきりと。

 

「私がぼっーとしてなかったら…………奏さん………あんな無茶をして、死なずにすんだかもしれないのに……」

 

 二つの握りこぶしを中心に、秒刻みで自分より一回り以上小さな身体の震えが、強まっていく。 

 

「なのに私………軽々しく一緒に戦いたいとか………〝奏さんの代わり〟になりたいだなんて…………酷いこと………翼さんに……」

 

 ぐすっと呑まれる……水気の入った息。

 丸みのある双眸は閉じているのに、そこからは流れる大粒の涙は……すっかり響のまだ幼さが残る顔を、濡らし尽していた。

 レンガが組み合わさってできた歩道に、響の涙の一部はぽたぽたと零れ落ち、斑紋が幾つもできていった。

 

〝奏さんの代わりになる〟

 

 もし、昨夜の翼に言おうものなら、心を鬼にして平手打ちを与えていた〝言葉〟。

 やっぱりあの時の響は、軽率にもその言葉を発しかけていたのだ。

 もし、実際に口にしてしまえば、最も過敏な逆鱗に触れられた翼が、軽率にも触れてしまった響に怒りをぶつけ………あの時点で二人の間に生まれていた〝溝〟は、和解が絶望的になるまでにより広がり、深くなっていたことは避けられなかった。

 私も翼なら、安易に……一番踏み込んでほしくない部屋(こころ)に押し入った少女を、とても許すことはできなかったと断言できる。

 たとえ……友達になってくれた女の子でも、弦さんからの〝協力要請〟を即断で了承してからのあの子の行動、言動の数々は、浅はかとしか言い様がない。

 でも………怒り任せに響を糾弾しようなんて気は、起きるわけがない………そんなのは血も涙もない非道な輩がやることだ。

 響はちゃんと、自分の〝過ち〟を認めている………いやそれどころか、昨夜の翼への行為に対する過失だけでなく、あの日奏を死に追いやり、翼の心を荒ませてしまったのは自分のせいだと、自身を過剰なまでに攻め立ててしまっていた。

 

〝罪悪感〟

 

 良心や慈しみと言ったものが育まれていればいるほどに、己を傷つけていく感情(こころ)の一つ。

 

 私も、人並み以上の優しさを持っているが為にすすり泣く響の姿に、身も心も裂かれてしまいそうな思いだった。

 たとえ〝人を助けたい〟想いが本物であり、自分もその想いがどれ程尊く眩いものか分かっているがゆえの〝戦わせたくない気持ち〟は………さらに膨れ上がってくる。

 戦場(あのせかい)は、今この子が味わっている苦しみよりも、もっと遥かに酷薄で残虐な〝地獄〟を見せようと待ち受けているから。

 

 でも、きっと………響は止められない………どれ程私が身を以て阻んだとしても、たとえ未来が止めようとしたとしても、彼女は踏み越えてしまうだろう。

 

 今日、改めて思い知った。

 もう既にこの子の人生は………あの日の〝災厄〟と、生き延びた先に待っていた〝人災〟で、狂わされてしまったのだと。

 

 なら………せめて………私の体は意識するまでもなく、動き出し―――

 

 

 

 

 

 優しさと、かつて味わった〝経験〟で生まれてしまった〝内罰性〟で自分を責め、瞳から止まらず零れ落ち続け、高架橋の影の内で涙に暮れている響は、とうとう立っていることすらできず………レンガ道に崩れ落ちようとしていた。

 そして膝が折れ、前かがみに倒れかけたその時、小柄の部類に入る響の身体は抱き止められた。

 体に伝った感触に、涙で閉ざされていた響の目が開かれ、自分を受け止めたのは朱音だと、悟った。

 

 朱音は何も言わず………そっと両腕を包み込むように、響の小さな背中に回して、抱き寄せる。

 

 言葉にせずとも、雄弁に語る………朱音の抱擁から伝わってくる柔らかで芯まで伝ってくる温もり。

 

 それを感じ取った響の瞼が再び潤いが溜まっていったかと思うと………幼い子どものように、朱音の腕の中で、彼女に縋る形で、激しく泣き叫んだ。

 

 いつの間にか沈み続ける夕陽で、高架橋の影は二人を通り過ぎ、鮮やかな陽の輝きが二人を照らす。

 

 響の涙はそれから暫く、完全に日が暮れるまで続いたが、それまで朱音はずっと抱きしめたまま、友の感情(こころ)の奔流を、慈しみを以て受け止め続けるのだった。

 

つづく。

 


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