GAMERA-ガメラ-/シンフォギアの守護者~The Guardian of Symphogear~   作:フォレス・ノースウッド

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奏がいたころの可愛い翼も書きたい。
でも防人語あっての翼だし、本人にそのつもりはないのに出ちゃうシリアスな笑いも出す、真面目天然な翼も書きたい。
奈々さん譲りの弄られ属性な翼も書きたいし、漫画版の凛々しい成分多めな彼女も書きたい。
色んな欲が働いて、こうなった。


#19 - 魔性

 二年前、私と奏の――ツヴァイウイングのライブの最中、起きてしまった〝大規模特異災害〟。

 観客、ライブの関係者を含めて、あの会場にいた約十万人の内、死者と行方不明者は、およそ一万二八七四人にも登ったと言う。

 勿論、奏もその人数の中に入っている。

 非情な見方をすれば、生き残れた人間の数の方が遥かに多く見えてしまうだろう。

 

 だけど………私にとって……奏含めた〝一万二八七四人〟を死なせてしまった事実は、朱音が表した〝感情なき剣〟と〝修羅めいた生き方〟への固執から脱することができた今でも、重くのしかかる。

 

 あの日、私は、私たちは、何も知らずに来てくれたファンである人たちを……〝ネフシュタンの鎧〟を起動させるフォニックゲインを生み出す為に、利用したのだ。

 さらに皮肉なことに、あの時、あれ程の数ノイズが現れなかったら………直前に起きた鎧の暴走による爆発事故で、ライブを開催した私たち、企画者ら関係者はマスメディアを中心に批判の的にされただろうし、実験を進めた二課にも、政府関係者からの中傷は避けられなかった、

 奴らの猛威によって、私たちの〝罪〟は結果的に巧妙に蓋をされ………私は………パートナーを失った〝悲劇のヒロイン〟として、生き残ってしまった。

 

 それどころか………生き延びた人々にまで。

 

 沈痛な面持ちで、麗しい翡翠の瞳にも憂いが差す朱音が、スマートウォッチの立体モニターで私に見せたのは、その生き延びた人たちに降りかかった〝地獄〟だった。

 

 あのライブが、完全聖遺物の起動実験の場でもあり、私たちがシンフォギアの装者でもあったが為に、あの日の特異災害は特に情報統制が厳しく、徹底的に為された。

 奏の死も、表向きは観客の避難誘導に尽力していた際、ノイズによって殺されたことになっている………ただシンフォギアと絶唱のことを除けば、ほとんど事実ではある。

 

 それらの情報統制が、生存者が受けた地獄を生む源となるなんて。

 

 立体モニターに表示されているのは、その源より地獄へと繋がる〝発端″そのものだ。

 

 始まりは、昭和の中期の時代から現在まで刊行されている週刊誌に掲載された記事。

 内容は――ツヴァイウイングライブ中に起きた大規模特異災害による死者、行方不明者の内、ノイズの被災で亡くなったのは全体の三分の一、残りは避難中のパニックによる将棋倒しや、避難経路の確保を巡って争ったことによる傷害致死、つまり三分の二は同じ人間によって死に至った―――と言うものだった。

 この記事を掲載した週刊誌の出版社の取材は正確で、内容も偏りを出さぬように留意され、あくまで〝真実〟を伝える誠意あるジャーナリズムの姿勢で公表したのは分かる……分かるけど。

 

「…………」

 

 見るからに顔色が悪くなっていたらしく、あの子の〝歪さ〟の根源の前置きを説明していた朱音は自分の心境を案じてモニターのブラウザを閉じようとしたけど、私は閉じようとする朱音の手を掴んで、それを制した。 

 

「頼む……続けてくれ」

 

〝だったら翼は………弱虫で泣き虫だ〟

 

 最後に奏からそう言われた通りの私だけど、事実から目を逸らす〝臆病者〟のままで、いたくない、甘んじたくない。

 

「分かりました………でも、辛いと思ったら正直言って下さい」

「ああ……」

 

 真っ当なジャーナリズムで明かされた事実は、思いもよらぬ連鎖を起こす。

 生き残った九割分の被災者たちへの、バッシングが始まったのだ。

 市民感情を煽らぬよう留意し、表現も慎重で公平さを損なわぬよう努力の痕が見えた記事でさえ、それを目にした人々の中から、その事実を極端に解釈して、極度に歪め、それらがネットから発信され、論争を巻き起こし、多くのマスメディアにその流れに乗って煽りに煽り、現実にまで波及………被災者当人はおろか、その家族にまで、中傷の牙が向けられた。

 しかも、特異災害で被災した人々には、政府からの補償金を受けられる制度が設けられていたのだが、人を助ける為に作られたその法は、逆に人が人を貶める行為の助長まで。

 生存者たちへの袋叩きは、日に日に、ウイルスのパンデミック並みの域で、狂熱的に、爆発的に日本中に広がっていった。

 付和雷同と言う単語を用いるのに、あれ程相応しく最悪な〝喩え〟はそうないだろう。

 過熱し、暴走するその流れに、反対意見を述べて立ち向かう者もいたそうだが………沈静化の傾向に向かうまでは圧倒的物量で、ともすれば融合体のノイズの容姿より醜く肥大化した〝濁流〟を前に、呆気なく打ち負かされたと言う。

 

「当時のSNSの書き込みを載せているサイトを見つけたのですが……」

 

 モニターには、どうも冷静にかつ知的にかのバッシングに対する問題を提起しているらしいブログのサイトへアクセスされ、社会問題にまで膨れ上がった〝悪意〟の一部が露わとなる。

 

〝人殺し、ひ~とごろし!〟

〝同じ人間を見殺しにしといて、よくぬけぬけと生きてられるよな〟

〝人間しか襲わないノイズよりも人間の方がたくさん殺してるなんて、ある意味笑える〟

〝あんな奴らに、俺たちが払っている税金が渡っていると思うと、吐き気がするわ〟

 

 胸の中が圧される感覚に見舞われるほど、心ないにも程がある〝言葉でできた凶器〟が、次々と押し寄せ………読んでみるこちらまで、吐き気を………。

 こんな中傷を全世界に発信した人たちは分かっているのか?

 これでは、今までの人類の歴史で繰り返されてきた〝虐殺〟も同然ではないか!

 

 

 

 この人々の悪意が生み出した〝生き地獄〟から、示されるもの。

 

「つまり……あの子は………」

「はい………響もこの中傷の地獄を受けてきたんです、卒業して、律唱(ここ)に越してくるまで………これは、藤尭さんに調べてもらったのですが、死者の中には、響の通っていたのと同じ中学の学生で、将来プロ入りも確実と言われていたサッカー部のキャプテンの子がいたのですが……」

 

 ガングニールの欠片で負った傷もどうにか癒え、リハビリも負えて復学した直後の彼女に、その男子学生のファンだった女子が、糾弾したと言う。

 その女子とサッカー部のキャプテンを、自分と奏に置き換えて想像すると。

 

〝なんであんたみたいな奴が、生き残ってんのよ〟

 

 恐らくは、こんなヒステリックに叫んで、攻め立てて。

 なんて理不尽だ……あの子がその学生を死に至らしめたことなど、何一つしていないと言うのに、片や召され、片や生きているだけで。

 不条理な叫びが切っ掛けとなり………生存者への中傷と言う〝洗礼〟が、あの子にまで及ぶことになった。

 学校に行けば、毎日毎日、バッシングの嵐に流され悪意に染まり切ったクラスメイトや同級生から、陰湿に、粘着質に、陰口を叩かれ、なじられ、貶され………あの子自身の人格は、否定に否定を、重ねられ続けてきた。ほぼ全校生徒にまで広がっていたのなら、その学校の教師たちはほとんど無力だっただろう。

 さらに……他の多く被災者同様、あの子の家族にも、〝厄難〟が、連なる形で………。

 

 自宅には、塀に、外壁に、窓に、中傷の張り紙が幾つも貼られ。

 時に石が投げ込まれて、ガラスが割れることもあったらしい。

 学校どころか………半ば故郷(ふるさと)の街全体から、迫害されたと言ってもいい。

 

「今………あの子の家族は?」

「母と祖母は、今でもその街に暮らしているそうです」

「なら………父親は? 母子家庭ってわけでは、ないのだろう?」

 

 私の口から、父親の単語が出ると、朱音は一度口を固く噛みしめながらも、答えた。

 

「蒸発、したらしくて……」

 

 曰く、サラリーマンであったあの子の父は、当初は娘が生還した喜びを勤めていた会社中に触れ回っていたとのこと。

 だがそれを耳にした取引相手の企業は一方的に契約を打ち切った………その企業の社長令嬢も、私たちのライブに来ていて、命を落としていたからが、理由らしい。

 この一件で、あの子の父は社の大きなプロジェクトのメンバーから外され、社内での居場所も無くしていったと言う。

 私の家は、一般家庭とは程遠い環境なゆえ、上手く想像はできないが………同じ痛みを受けている家族に、〝八つ当たり〟をしてしまったと、どうにか窺える。

 その果てに……家族を残して、失踪、情報処理のエキスパートである藤尭さんでも、その後の足取りは、現状未だ掴めず………。

 

 ライブの惨劇から、一年が経つ頃には、バッシングの勢いと熱は、急速に衰えて沈静化していき………加害者たちにも〝後ろめたさ〟があったのか、腫れ物を触るが如く現実でも電子の中でも、話題に上がらなくなった。

 あの子と、あの子の家族への迫害も同じ時期に息を潜めたと思われるけど………〝周りもそうしてるから〟と流れて加虐の輪に入った学友たちが、よりを戻そうと踏み出すわけがない。

 中学を卒業して、リディアンに入学して、朱音ら新たな学友を得るまで、あの子の生活は………さぞ〝虚無〟が充満していたに違いない。

 母と祖父母は、血を分けた子であり孫である彼女を案じ、支えようとしただろうけど、その心はそう簡単に晴れなかったであろう。

 

「…………」

 

 胸の中の、圧し、締め付けられる感覚が強くなり、手で抑えた。

 声が出ない………そのまま呼吸も止まってしまいそうだ。

 朱音から、生存者が受けたバッシングのことを切り出された時点では………あの子が、立花響が、ああも躊躇わずガングニールを纏って戦おうとするのは、生き残ってしまったことへの罪悪感、私もつい先日まで蝕まれていた、いわゆる〝サバイバーズギルト〟だと、考えていた。

 でもその二年間の境遇を、朱音から一通り聞いた後では………〝罪悪感〟の方がまだ良いと思えさした。

 

 あの日の、荒廃した会場での戦いを思い返す。

 あの時、敵の物量に物を言わせた攻撃で分断されていた私は、奏と立花響との間に、何があったのか………詳細は知らない。

 

〝諦めるな!〟

 

 ただ………奏のその叫び声は、私の耳にも届いていた。

 きっと奏のその想いは、あの子に〝生きる力〟を齎した……筈なのに。

 

「ガングニールを纏っている姿を見るまで、私は………少し人助けとお節介が過ぎて、おっちょこちょいで食いしん坊だけど、お天道さまみたいに明るい子だと、思ってました」

 

 確かに私も、最初に会った時点では……あの日あの会場にいたことを知った時でさえ、奏とガングニールのことで一杯一杯だったにせよ、そんな〝影〟を抱えていると、考えもしなかった。

 

「響も………生きようと、必死に頑張ってきた筈なんです………でもその一生懸命を、響自身ごと一方的に残酷に否定され続けて………家族もバラバラになってしまった………普段は見えないだけで、今の響の心は―――強い〝自己否定〟の念が染みついているんです…………それはあの子の〝優しさ〟まで、歪ませた」

 

 それが、〝人を助けられる〟なら迷いなく、恐れさえ塗りつぶして、戦場(いくさば)に飛び込めてしまう〝歪さ〟の根源。

 

「幼なじみの未来からも〝度を越してる〟と言われるくらい人助けに励むのも、散々周りから悪意に見舞われて、家族まで巻き込ませ、傷つけてしまった自分は、〝人の善意を証明し続けなければならない〟、〝常に自分以外の誰かの為に、頑張らなければならない〟と、強迫観念に駆られ、無意識に自分を縛っているんです…………本人から聞いたわけじゃないから、多分……なんですが」

 

 クラスメイトとして、装者同士としての付き合いを元にした自分の〝推測〟でしかないと、〝多分〟と付け加えて苦笑した朱音。

 確認しようにも、本人に直接聞くわけにもいかない。〝二年間〟の傷が、癒えていないどころか、瘡蓋にさえなっていないとしたら、とても聞けたものじゃない………それこそズケズケと他人の内に土足で踏み込む行為。

 一方で私は………朱音曰く〝多分〟な彼女の立花響に対する人物評は、ほとんど当たっていると、確信していた。

 速さと機動性――天ノ羽々斬の特性を無視した戦い方から、奏の穴を埋めようとする余り無意識に〝奏〟になろうとしていた自分の〝心〟と〝強迫観念〟を看破した彼女の洞察力、人を見る目の鋭敏さが根拠の一つでにあるし。

 

〝私たちと一緒に、戦って下さい!〟

 

 何より、戦場に割って入ってきた時の、立花響のあの戦場に不釣り合いなきらきらとした瞳と〝笑顔〟が、物語っている。

 あれは、憧憬抱く相手――私と朱音と〝同じ場〟に立てることへの喜びだけではない。

 生きる為――自分の為の〝一生懸命〟で他者を、家族をも傷つけた………〝大っ嫌い〟で、〝誰かの為、他人の為にしか生きてちゃいけない〟自分でも、人助けできる――誰かの役に立てるのだと、本人でさえ自覚し切れていない、と言うよりむしろ、自分でも気づかずに自覚しないようにしている己の欲求――エゴの表れだ。

 どんなお題目でも大義でも、結局は自分のエゴでしかないと、自身の選択に嘆く存在がいるのだと、他者の命と引き換えに救われた己が命を賭けることであると、理解し、向き合った上で、己の〝心〟に従い、装者として、再び〝災いの影〟から生命を守る戦士として、ガメラの力を宿したシンフォギアで戦うことを選んだ朱音とは、正に対極的で真逆。

 

 人間と言う種そのものの〝誰かの為に一生懸命になれる善意〟を証明し続ける為に〝人を助け〟、そんな自分であり続ける為なら、生き残ったことで他者を傷つけてしまった自身の命を、投げ出す勢いで葛藤を飛ばし―――〝賭けられてしまう〟。

 それでは、まるで―――

 

「血を吐きながら続ける………悲しいマラソンじゃないか………」

 

 私は………そんな立花響の〝前向きな自殺衝動〟とも言える目を瞑って全力疾走するあり方を、そう表現した。

 

 

 

 

 

 身体の至るところで、強い震えに見舞われて、止まらない。

 特に、膝の上の両手は最も酷く、爪が掌に食い込んで血が流れそうなくらい、強く握られる。

 同様に唇も、口の中を切ってしまいそうな程、上下の歯を噛み込ませていた。

 握り拳の甲に、小さな水の玉が、したたり落ちる。

 

「せん……ぱい」

「す、すまない………でも、止まらないんだ」

 

 口の中が、すすられる。

 一体どこに残っていたのか?

 つい今しがた……顔中を濡らし尽すほどに、泣き崩れていたにも拘わらず、まだ微かに瞼に腫れの残る両の目から、また……涙が零れてきた。

 莫迦だ、なんて………大莫迦だ………私は………あの子に………立花響に、なんてことをしてきたのか?

 あの時の私には、目ざわりで、苛々とさせ、忌々しく映ったあの子の〝笑顔〟。

 その笑みの裏にある心には、一生〝笑顔〟が失われたままだったかもしれない……傷痕にも、古傷にもならず、またいつ疼き、血が出て苦しめさせるか分からない〝傷口〟があった。

 奏がいなくなった喪失感と言う傷口にずっと引きずられて、身も心も手が一杯だったかもしれない………が、今の私には言い訳にすらならなかった。

 

 あの子の心を、あんなにも歪ませたのは………あの日、あの場所で、裏で大勢のファンの声援をも利用して〝猛獣〟を目覚めさせようと企てライブを開いた………〝私たち〟でもあるのに。

 

 なのに理由はどうあれ、私はあの子を虐げてきた者たちと同じ、一方的になじり、ヒステリックに攻め立て、人を守る為にある剣の刃を突き立てた挙句………存在そのものを〝無視〟し続けてきたんだ。

 

「本当、泣き虫で………情けない先輩だ………私は……」

 

 どうしたら……いい?

 あの二年で植え付けられた〝前向きな自殺衝動〟は、容易に取り払えるものじゃない………たとえどんなに〝戦うな〟と言われても、ノイズが現れ、多くの人の命が奪われようとしている様を目にしたら、躊躇せず飛び込み、ガングニールは彼女の意志に応じてあの子を〝装者〟とさせるだろう。

 それが痛いほど、嘆きたくなるほど承知しているから、朱音も、叔父様も、あの子を厳しく鍛え上げている。

 戦場で死なせない為に、いつでも日常に身を置く、普通の少女に戻れるように。

 だがきっと、〝人を助けられる力〟を得てしまったあの子は、時に衝動のままに………奏の忘れ形見でもあるその命を瀬戸際のギリギリまで、自ら追い込ませてしまうかもしれない。

 もし、その時が訪れたら………私は―――

 

 今度は、一人の少女に伸し掛かった〝十字架〟の存在に対する悲観の涙が止まらず、暮れていた私に、温もりのある感触が、手と背中と肩に。

 

「あ……朱音?」

 

 朱音は、点滴が注入されている右手で、私の膝の上の両手にそっと置き、左腕で私の背中を回して、抱き寄せていた。

 鍛えているのは明白なのに柔らかな彼女の身体が、私の身体に。

 肩に、人並み外れた美貌を乗せて………吐息も聞こえるくらい、間近だ。

 患者な身だから、おめかしなんてできるわけもなく……大気を伝って、朱音自身のふんわりとしたいい匂いが、鼻孔に触れる。

 

「あっ……」

 

 半ば、彼女の齢と乖離した妖艶な肢体が持つ感触と、血の通った〝熱〟に包まれている事態に、

相手は怪我人ゆえ私は引き離すことも、かと言ってこのまま享受していては体温はどんどん上がっていくばかりで、背筋は固く伸びて強張っていた。

 もし今、「リラックスして」などと言われても、無理だ。

 だってこの状況………恥ずかしいにも程がある。

 相手は同じ女子、ここには私と朱音以外人は誰もいないし、それに奏が生きていた頃は……彼女からしょっちゅうスキンシップはされて、今朱音からされているのに負けじとぎょっと抱きしめられたこともあったたのに。

 胸を手を当てずとも、心臓の鼓動が速まっている………こんな経験、最後のライブの本番直前以来だ。

 口が半開きのまま動きが一定しない、目も右往左往しているし、夏が近いのに寒気を覚えていた全身の体熱が、羞恥のせいか逆に熱くなってきている。

 頬も然り……また泣きだしているのに、赤くなってもいる顔を見られたら………こんな近くでは無駄に終わるのに、私は顔を背けた。

 一方で私は、恥ずかしくはあるのだけれど………決して嫌とは思っていなかった………むしろ心地よく、涙で波紋が起き揺れていた胸の内が、穏やかになってさえいる。

 その上、なぜだろう?

 朱音の抱擁が持つ、この温もり、何だか……とても懐かしい気がする。

 奏に抱かれた時のと似ているけど………もっと、昔の、子ども自分の頃ことのような。

 

「先輩」

 

 近くでささやかれる、同性でも意識をとろけさせてしまいそうな吐息混じりの、朱音のささやき声が、耳に。

 あ……何だ? この妙な感覚……。

 普段の時は、しっとりとせせらぐ水の音の如く透明で、対して戦場に身を置いている時は、荒々しく激しく、迫力に溢れる。

 比喩すれば〝水〟だと断言できるくらい、元より変幻自在な声質の持ち主である朱音の声だけど、今のは………同じ朱音の発した声なのに、どこか異なる感じに見舞われた。

 

「はっ……」

 

 気になって振り向くと、本当に目と鼻の先な、朱音の顔と翡翠の瞳が間近に。

 不味い……元より熱くなっていた顔の熱がさらに上がっているのがまざまざと感じる上に、頭にまで回ってきた。

 沸騰したやかんよろしく、煙が頭から昇ってしまいそうな気にさらされてしまう。

 

「恥じることは、ありません」

 

 動揺されっぱなしの私をよそに、朱音は――

 

「誰かを想う〝涙〟に、間違いなんて、ないのですから」

 

 泣き虫と自ら嘲った私に、抱擁の温もりと違わず、慈しみに満ち溢れた笑顔で、そう言った。

 奏を失って以来、流さぬと決めながら、不要だと切り捨てようとしながら、その意固地さに反して、何度も流されてきて、今も瞼と頬にこびりついている〝涙〟。

 朱音は、その涙と、奏や立花響と言った他者(だれか)の為に涙を流せる心は、間違いじゃないと――肯定したのだ。

 少し前の私なら、それこそ〝感情なき剣〟に縋りつく私であったなら、絶対理解できなかった。

 なら今は?―――と問われれば、こう答えよう。

 泣ける心、つまりは〝感情〟があるからこそ――〝歌〟は在ると。

 彼女の歌が、教えてくれた、思い出させてくれたことだ。

 

「あ……ありがとう」

 

 それにしても、朱音から引き起こされるこの懐かしい〝感覚〟って………もしかすると………外道な我が祖父の悪しき〝欲〟の落とし子な私にもあった………遠く、おぼろげにしかない記憶の―――

 

「何だか今の朱音………〝母親〟………みたい、だな」

 

 これが正体なのかは、まだはっきりしないが、泣き虫な私を抱きしめた朱音に対する印象――〝母性〟を、正直に、でも恥ずかしくもあるので視線を逸らしながら打ち明けてみた。

 すると、いきなり朱音からの抱擁が解かれてしまう。

 いかん………温もりが離れた瞬間、昔抱いてきた奏の手が離れた時と同じく、少し、寂しさを覚えてしまった。

 しかし、いきなりどうしたのかと気にもなり、もう一度朱音の方へ向けると――

 

「えぇ!?」

 

 ――そこには、私に背を向ける形で、ベンチの上にて小山座り、一般的に馴染みある表現で体育座りをして、明らかに落ち込んでいる朱音がいた。

 目の錯覚か?

 彼女の艶に恵まれた黒髪が生える頭の周りには、どんよりとした紫がかったオーラが見えるのだが………。

 

「あ、朱音? 一体、何が?」 

「母親を貶す気は毛頭ないですよ………けど、私………これでもまだ………十五歳です…………まだ十代を半分残している女子高生なんです、青春真っ盛りなんです………でも、無理ないですよね………だって、全然高校生に見えないんですもの、この体(みため)」

 

 母性が溢れんばかりの笑みから一転、暗い声色な朱音は自分自身を嘲笑う。

 し、しまった………私、いわゆる〝地雷〟を踏んでしまったのだ。

 いくら前世の記憶があるからって、戦場では勇ましい戦士だからって………彼女もまだ十代の、〝年頃〟の女の子、そんな身からすれば、他の同年代の子たちらより、年相応より成長してしまった〝外見〟にコンプレックスを抱いていても、なんらおかしいことではない。

 休日に級友たちと街を出歩けば、一人先輩が混じっていると勘違いされる機会もそれなりにあったと推察できるし、と言うか現にこうして落ち込んでいるではないか!

 なんて、迂闊ぅ………。

 

「あ………ち、違うのだ朱音!」

 

 私の不始末な発言で落ち込む朱音と正面になる位置へ急ぎ移動し、慌てて弁明する。

 

「何だか懐かしい感じを覚えてだな、それで記憶を探ってみたらたまたま………偶然に先の言葉が出てきただけであって、朱音が、とても高校生のものとは思えぬ包容力の持ち主だなとか、見た目と齢が一致していないだ、だとか、友人と一緒にいても同い年と見られないなだと言うつもなどこれっ――い、いぃぃいや、そそっそう言うわけじゃなくてだな! だっだっ……だから――」

 

 あ~~~もう何を言っているのだ私ッ!?

〝地雷〟を避けようと表現に気を遣いつつフォローしようと試みたら、逆により大きな地雷を踏んでしまった気がするではないか! いや絶対踏んでしまっているではないか!

 先程とは違う意味合いで、また泣きたくなってきた………口下手な己が恨めしい。

 

「ふふ……」

 

 ますますドツボに嵌っていくばかりで、どう収拾つけていいかさっぱり分からず、秒単位で混乱が強まっていき頭を抱えさせられる中、不意に、朱音のささやかな笑い声が聞こえた。

 見れば………また一転、小山座りの体勢のまま、右手を口の前に添えて、気品すらある含み笑いを浮かべる彼女がいた。

 私は安堵するも………しかしまた、なぜいきなり笑い出したのか?

 ここまでの流れで、どう笑いのツボ(この言葉は奏から教えてもらった)を刺激されたのか?

 

「何が………そんなにおかしい?」

「うふっ……ごめなさい先輩」

 

 訊いてみると、天候が見計らったとしか思えないタイミングで、私からは左手側の横合いから来た風に吹かれて舞った髪を右手でかき上げ、湯船に足を入れるような仕草でベンチに置いていた左足を下ろし。

 

「あなたって、おもしろい」

「何故そこで〝おもしろい〟ッ!?」

 

 十代の少女離れした艶めかしい流し目で魅惑的な微笑を見せての発言に、私は仰天の極みに襲われた。

 全く、彼女の言葉の意図が分からない。

 そもそも私、しょっちゅう奏から〝真面目が過ぎるぞ〟と言われ、自他ともにお固く融通の利かぬ類の人種であり、ユーモアとは最も真逆でほど遠い場所にいる人間だ。

 こんな私を、どうして朱音は〝おもしろい〟などと言ったのか?

 

「忘れて下さい、特に意味はございませんので、ふふっ」

 

 そう付け加えた本人は、まだベンチに乗る右脚を両手で包み、傾けた顔の片頬を膝頭に乗せて、魅力的で可愛らしくて情深くも、どこか妖しさも含んだ声と微笑みを私に向けていた。

 その高校生と言う年代に似つかわしくない、しかし草凪朱音と言う少女にこの上なく似つかわしい仕草を前に、私は――

 

 朱音、なんと―――おそろしい子!

 

 心中で、こんなことを口走っていた。

 かつてCD冬の時代に老若男女問わず魅了して一世を風靡し、私が尊敬し、幼少の頃から二〇〇〇万枚のミリオンヒットを飛ばした名曲〝恋の桶狭間〟を何度も熱唱し、この曲のPVの振り付けは今でも全部記憶し、歌女としての私の根源とも言える演歌歌手――織田光子。

 その織田女史のディスコグラフィの中に、〝魔性〟と言う題名な歌がある。

 少女にして女性。

 あどけなくも大人びて。

 キュートにしてビューティ。

 泰然にして情操豊か。

 したたかにしてお茶目。

 清楚にして妖艶。

 繊細にして強靭。

 天使にして悪魔。

 本来は相対して相容れない〝面〟を同時に持ち、独特の魅力を振りまく謎めいた〝魔性の女〟に、翻弄されつつも惹かれずにはいられない男性の目線で歌われた歌謡曲だった。

 そして朱音は、その〝魔性〟で描かれた女性像を体現しているとしか思えない。

 まだ十五歳と言う若輩の年頃で、その魔性さが板に付いてしまうなど、何という境地に至っているのか、朱音は……。

 

「本当に……意味はないのか?」

「はい♪」

 

 捉えどころのないミステリアスな魅力を持ち合わせた彼女に、もう一度訊いて見るも、やはりはぐらかされた。

 絶対に、私を〝おもしろい〟と言い放った意図を明かす気はないらしい。

 自然と頬がむくれた。

 

「朱音も……奏と同じくらい、いじわるだ」

 

 せめてもの反撃。

 

「ええ、意地悪です♪」

 

 も、あっさりいなされた。

 

 でも実を言えば、私が奏相手によく言っていた〝いじわる〟の一言を使うのは、それだけ相手に確かな好意があると言う、証拠でもあった。

 

 

 

―――――

 

 

 

 朱音が翼の天性の〝コミカル〟さをすっぱ抜いた直後、庭園内でぐう~~と鈍い音が響いた。

 

「「………」」

 

 片やむくれ、片や微笑んでいた二人の少女は、自身の腹部に手を触れた。

 音の正体は、空腹を知らせるかの〝腹の虫〟。

 しかも、狂いもズレもなく、見事に腹の虫の鳴き声は重なって合唱していた。

 それが二人の〝笑いのツボ〟を押したようで、ほぼ同時に朱音も翼もその場で、仲睦まじい様子で笑い合い始めた。

 

 それは翼にとって、奏を失ったあの日以来、久方振りに心から笑えた瞬間でもあった。

 

「腹(ここ)が催促してるので、お昼にしましょう、空腹のまま考えごとをしてると、碌でもないことばかり考えてしまうそうですし」

「な、何なのそれ?」

「行きつけの鉄板焼き屋の女主人の格言です」

「その主人、ただものでは……なさそうね」

 

 二人は雑談を交わしながら、昼食を取るべく食堂に向かう。

 

「あ、あのさ朱音」

「はい?」

「その………二人きりの時は、私のことは………翼で………いいよ」

「せんぱ……翼がそう望むなら構いませんが、なぜ二人きり?」

「は………恥ずかしいだもん………特に櫻井女史にでも知られたら、絶対からかわれる……」

「あはは、確かにノリノリと嬉々としてネタにしそうですね、あの博士」

 

 翼本人も気づかぬ内に、朱音に対する口調は、時代がかった武士風から、年相応の少女のものへとなっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 余談だが響の在り方を表した翼の比喩を聞いた朱音は、内心驚かされていた。

 ある特撮ヒーローの主人公も、少々ニュアンスが違えど、同じ言葉を使っていたからである。

 

つづく。

 




前回の話でやっちまったこと。
それは翼に朱音のことを朱音とファーストネーム呼ばせてしまったこと。
ファンなら知っての通り、クリスちゃんには「名前くらい呼んでもらいたいものだな」と言っておいて自分も一部の例外除けば苗字呼びが基本な翼。
あるキャラが他のキャラをどう呼ぶのか、それもキャラを構成する大事な要素だし、原作が○○ならそれも尊重せんと。
ならばやっちまった以上、翼が名前呼びするそれらしい〝理屈〟を用意せんと、と考えた結果。
翼が名前呼びする相手は、彼女の『引っ張るより引っ張られたい』潜在意識のお眼鏡に叶う相手、つまり『おかん、またはお姉さん属性持ち系』だと言うことにしました。

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