Fate/strange fake Prototype -Another Player-   作:縦一乙

12 / 36
12

 その知らせは一般回線からもたらされた。

「一般回線からの緊急です!」

「5番に回せ」

 ようやく本部へと戻り仮眠を取っていた署長は秘書官の緊迫した声にすぐさま応じた。眠気を叩き潰しながら受話器を取り上げる。急な事態ではあったが、幸いにも寝付いたばかりで頭に霞がかかることはない。

 身体の疲れは一向に取れてはいない。しかし若い頃に培った体力は落ちたとはいえまだまだ現役を維持できるだけは残っていた。

 時刻を見る。まだ日付が変わる前だ。最後に署長が確認した九時の時点では特におかしな報告は見当たらなかった。

 そして一般回線からの連絡。街の警邏は撤退させたし、要所に配置してある部隊には専用回線が用意されている。まず敵の罠を疑うが、確認した秘書官の様子からしてその可能性は低いのだろう。

「私だ」

『ま、ますっ……いえ、失礼、しましたっ! クラブ、キング、ゼロ、ファイブ、ゼロ、スリー!』

 一般回線ではその秘匿性に疑問が残る。秘書官に視線を配るが、まだ回線の安全性は確保できていない。他の陣営に対してもそうだが、できることなら“上”にこちらの動きを知らせるような真似はしたくない。

 相当慌てているようだが、「マスター」と完全に呼ばなかっただけまだマシだろう。認識番号を名乗ったのもあまり褒められたことではないが、それだけ焦っている証左ともいえる。

 《二十八人の怪物(クラン・カラティン)》五番隊の三番……確か、市街地の調査へと向かわせた隊員である。優先順位はかなり下位、というより署長の勘で動かした人材なので装備と呼べる装備を持たせてはいない。

「何があった」

『緊急です。スノーフィールド……市街地で人が……次々と、倒――――す!』

 途中、言葉の間にノイズリレーが入る。回線の安全が確保されたということだ。同時に逆探知でかけてきた電話ボックスも判明する。スノーフィールド中心部十四番地付近――病院の近くだ。

「もう何を喋っても大丈夫だ。正確に報告してくれ」

『はっ、分かりました』

 少し安心したかのように晴れた声ではあるが、その息遣いはやけに荒い。

『スノーフィールド……中央病院、付近で……人々が倒れて、います。……私の周囲だけでも数十人。……共に動いていた仲間も、倒れました』

「至急、スノーフィールド中央病院付近のカメラを確認しろ! “上”のことはどうでもいい。緊急コードの使用も許可する!」

 秘書官への指示に一気に辺りが騒がしくなる。同じく仮眠を取っていた数人も緊迫した空気に反応して目を覚まし、指示を受け取り自らの仕事に駆け足で移動する。

『私の周囲だけでも数十人……時間にして、わずか一分足らず、です。……急な脱力感に抗えませんでしたが、魔力回路に魔力を流せば、多少……抵抗はできるようです』

「わかった。すぐに救出に向かわせ」

『ダメです!』

 署長の言葉を遮るように、受話器の向こうから強い否定の言葉が出てきた。同時に何かを吐瀉する音も聞こえてきた。

 知らず、受話器を掴む手が強ばっていた。

『恐らく、これは繰丘夫妻にみられた呪術と同じです。……この裏にはサーヴァントがいます……そして、この呪術は感染します』

「……装備を整えるまでもうしばらく待て」

 苦し紛れの言葉であることも隊員は理解していることだろう。

 《二十八人の怪物(クラン・カラティン)》が常備している装備の中に対BC兵器用の防護服は確かにある。いや、あったと言うべきだろう。対繰丘邸用に用意していた装備は完全に使い捨てであり、予備として確保していたものも本部ではなく繰丘邸付近に設置してあったベースキャンプに保管してある。このような事態を想定していなかった署長のミスともいえるが、ないものは仕方がない。

 他に外界をシャットアウトする防護宝具こそあるものの、数が少ない上にこういう事態においそれと出していいものでもないし調査にも不向き。

 防護服を繰丘邸付近のベースキャンプに取りにいくにも、別個に用意するのにも最低でも一時間はかかることだろう。

『空気感染か、接触感染かは……わかりません。けれど私の感染は恐らく病院……私で感染しているなら、病院内で……感染していない者は……いないでしょう」

 その言葉に脳内で感染者数を計算する。隊員は周囲に十数名倒れたと言っていた。その言葉を考え病院周囲数百メートルは感染済みと想定、感染速度も考えると予想被害は最悪数万人に及ぶ。

 ふと、事前に入ってきた情報の中に北部丘陵地帯の原住民が籠城の構えを見せているというものがあった。しかも妙なことに籠城にしては外部と内部の接触を極端に断っているとも。

「奴らは最初から知っていたのか……!」

 《二十八人の怪物(クラン・カラティン)》の情報網は他勢力よりも断然優れていると思っていたが、こうなってしまえばアーチャー率いる原住民勢力は圧倒的なアドバンテージを持つ。迂闊に接触を断ってしまったのは早計であったかもしれない。

 もはや情報戦で出し抜かれたことには違いない。

 どこの誰かは知らぬが、先日電話を掛けてきた主の言葉を思い出す。

「今なら、まだ間に合うか……」

 すでに電話の向こう側の声は聞き取れない。何とか聞き取れた「愛してる」「すまない」といった言葉を最後にうめき声もやがてなくなる。

 状況は最悪だ。

 情報から考えるに撤退するべきだろうが、市内中枢に入念に用意したこの本部はおいそれと撤退を可能とする場所にないし、何より死守すべきものが多すぎる。

 必然的に選べる道は亀のように殻に引きこもるしかない。だが逃げ場をなくせばそれはただの棺桶と相違ない。

 せっかくの好機だというのに、ここで手を誤れば《二十八人の怪物(クラン・カラティン)》が壊滅しかねない。

 少なくとも外にいる《二十八人の怪物(クラン・カラティン)》だけでも安全地帯にまで逃がす必要がある。主戦力が外にいるのを幸運とみるべきか否か。

「簡易の防護服とガスマスクの数を早急に確認しろ」

 できれば本格装備といきたいところだが、今はこれが精一杯か。

「空調を確認。窓に目張りをしてできる限り外の空気を中に入れるな。体調の変化に気付いた者は随時報告」

「結界の展開は三重に可能です」

「ダメだ。現状を維持。感染の恐れがあってもそれはできん」

 そうした迂闊な行動こそ、アーチャーは狙っている筈だ。

 この状況で安易に結界を張り巡らせばこの場所をみすみす教えるようなもの。《二十八人の怪物(クラン・カラティン)》の本部場所が分からねば、あの英雄王も手が出せない。

 署長が今最も危惧すべきは部下の暴走。あまり考えたくはないが、命惜しさに結界を張る者がいれば速やかに葬り去ってしまわなければならない。

 遅滞処置ではあるが、電話での報告通り魔術回路に魔力を巡らせておけば時間は稼げるのだ。病院との距離と感染力からしておそらく六時間は時間を稼ぐことはできよう。それまでに何らかの状況変化がなければこの本部の人間は全滅だ。

「運を天に任せることになるとはな」

 この突然の感染がサーヴァントによるものなのは間違いない。だがさすがにこれは唐突すぎる。となれば、それを必要とするだけの理由ができた、ということにもなる。

「誰と誰が戦っているかは分からないが、それまでに決着が付けば、まだ我々にも勝機がある」

 署長の眸にはまだ諦め絶望する暗闇など、一片もなかった。

 

 

-----------------------------------------------------------------------

 

 

 時間はほんの数分だけ遡る。

 署長の祈るような想いが通じたかどうかは別として、この時ティーネと椿の両方の命を助けたのは誰であろう、銀狼であった。

 ベッドで眠る椿の真下で毛繕いをしていた彼は、女医の出現にいち早く警戒状態となっていた。それはティーネとフラットが来てからも変わらず、銀狼はその本能から筋肉を縮ませ爆発する瞬間を今か今かと伺っていた。

 椿の尋常ならざる気配とライダーの咆哮は、銀狼にとって準備万端のランナーに送る合図に他ならなかった。

 ベッドの上に素早く乗り込み、椿を強く抱きしめるティーネの服を咥えて大きくジャンプする。結果としてライダーは紙一重で椿との接触に失敗した。だがライダーに躊躇はない。一度で駄目なら二度、二度で駄目なら三度、達成されるまで永劫に繰り返せばそれで事足りる。

 一撃目は避けられた。が、二撃目は避けられない。宙へと逃げた銀狼だが、ライダーの追撃を回避するには少女二人分の体重は重すぎた。それに逃げ場のない空中では思うように身体も動かせず盾になることも適わない。わずかにティーネが椿を強く抱きしめることで精一杯。

 だがその二撃目も椿には届かない。間に入ったフラットが壁となり銀狼が地に足を付けるまでの時間を稼ぐ。

「フラット!」

「だっ! 大丈夫!」

 強い衝撃を与えられたように後方へ吹っ飛ぶフラットにティーネが叫ぶが、予想に反してフラットの力強い声がすぐに返ってきた。

 ティーネは自らの足が床に着くと同時に病室の扉を開放する。スライド式のドアは人の手でなければ開けることはできない。まず椿を咥えた銀狼が扉を潜り抜けさせ、何とか立ち上がったフラットの手を取ってティーネは病室の外へと脱出する。

「!? 追ってこない?」

 ドアを閉めてはおいたがあのライダーにそんなものが通じるわけもない。すぐに追いすがるとティーネは予想したが、未だあの黒い霧が病室から現れない。銀狼は既に階段にまで到着している。このまま外へ逃げてしまえば逃げ切ることもできる。

 銀狼もそれが分かっているのか椿の身体に気を遣いながら階段を下りようとし――その口を離し椿をその場において階下へとその身を投じた。同時に聞こえる、落下音。銀狼単体のものにしてはやけに大きい。

「ああ、なんかこういう展開覚えがあるなぁ!」

 もはや無理矢理活を入れようとしているのか、フラットは先のダメージに顔をしかめながら愉しげに笑ってみせる。しかし覚えのある展開では初期になんらかの銃火器を入手できるし相手は分かり易いゾンビである筈なのだが、ここで武器になりそうなのは消化器ぐらいだし、敵はゾンビチックではあるが生身の人間である。

 階段に辿り着いてみれば、一階へと下りる間にある踊り場には看護師の女が一人倒れている。そして点滴のキャスター付きスタンドを武器に銀狼に襲いかかっている細身の患者が一人。

 膂力において明らかに人間を凌駕する銀狼だというのに、銀狼は点滴のスタンドを噛んで明らかにひ弱そうな患者の動きを抑えることに精一杯だ。急いでティーネも踊り場に飛び降り、小柄な体躯を活かして懐に飛び込み心臓の上から全力の一撃を打ち込んでみせる。男は踊り場から更に一階へと落ちていくが、その最後を見届けている暇はない。

「下は駄目だ、囲まれてる!」

 力の抜けた椿の身体を負ぶさり、フラットは階段を上へと駆け上がる。

 フラットの言うとおり、窓の外を見れば暗い夜道をこちらへと向かう人の姿が何人も見受けられる。まだその人数は少ないが、遠くを見れば更にその数倍もの人数が闇の中に蠢いている。外に出て逃げ切るという選択肢はこの段階でなくなった。残った脱出路は上階のみ。しかしそれは籠城というあまりに救いのない選択だ。

「ふっ!」

 戦闘力は奪ったがまだ動こうとする看護師をティーネは躊躇なく蹴り飛ばし、先の患者同様に階下へと落としておく。少しでも障害物を下にすることで進行速度を遅くすることが狙いだが、果たしてどれくらいの時間を稼げることか。

 この隔離病棟は五階建てでその性質上ここに常駐する人間の数は少なく、また侵入経路が階段と非常階段の二択しかないことが救いとなっている。あらん限りの動かせるものを階段へ放り込み、ついでに防火壁を作動させ即席のバリケードを展開させる。

 四階にライダーに操られていると思わしき看護師が一人いたが、これはなんとか窓から外に投げ飛ばして事なきを得る。

「とはいえ、これでは二時間程度が限度です」

 同じように三階四階の階段を封鎖して時間を作り、最上階である五階の一病室で今後の作戦会議をする。現状を考える限りではティーネの判断に間違いはない。確かに即席のバリケードとしては割と良くできていたが、あの人数相手には焼け石に水。下手をすれば一時間もせずにここへ到着するかもしれない。

 時間が余りに足りなさすぎる。

 椿は両親を失ったショックからベッドで眠っている。銀狼は落ち着かないのか疲れているであろうにこのフロアを警戒してうろうろしている。そして自らの筋力を強化してバリケードを築いたフラットは魔力的にも体力的にも大きく消耗している筈だ。同じく疲れてはいるが、この中で最も余裕があるのはティーネなのは違いない。

「いや、多分その倍以上の時間はかかるじゃないかな」

「? それは随分と楽観的ですが、根拠はなんですか?」

「ライダーだよ。ライダーが操る人間には無駄が多すぎるんだ。人数を絞って効率よくバリケードを撤去すればいいんだろうけど、次から次へと人が集まって撤去どころじゃなくなっている」

 廊下側の窓から外を見るフラットは逆側を見てみなよと指で向かいの窓を指さしてみる。

 ティーネが病室側から窓の外を見れば、そこはもう完全に人、人、人。壁を伝って中に入ろうとする者もいるが、とっかかりのない壁ではそれも難しい。それでも、少しずつバリケードの材料が外へと持ち出され始めている。

 確かに、ここに辿り着くまでに相当な時間を要することだろう。

 一息入れる程度には、余裕ができた。

「……状況を整理しましょう。椿は令呪を使用しましたね。あの時、何と言ったか覚えていますか?」

「こんな世界なくなっちゃえばいい、とか言ってたね」

 それはつまり、この世界そのものの否定。

 ティーネとフラットが最後まで選択しないと誓った選択肢。

「ライダーはマスターたる椿を殺すつもりでしょう」

「都合良く解釈すれば椿ちゃんの脳内にある魔術回路だけを健全に修繕する、ということもありえるけど……」

 そうであれば一番良いのだが、あの単純な命令しか聞けないライダーがそんな精細極まりないことをするとは到底思えない。椿を殺すだけなら、実に簡単にこの世界をなくすことができる。

 令呪の命令に幅があるのだけが救いだが、これでこの世界から全員で脱出する当初のプランは一気に難易度が跳ね上がる。

「もっと調べたかったのですが、もうこの辺りが潮時ですね」

 結局入り口は見つからなかったが、この病院の地下が怪しいことは判明した。現実に戻れば部下の数で群を抜いているアーチャー陣営が有利である。人海戦術を使えばすぐに手がかりを掴めることだろう。繰丘に手紙を送った市議の自宅を抑えることができればほぼ確実だ。力さえ戻れば、ティーネ一人だって可能だろう。

「椿を任せても大丈夫ですね?」

「うん。資料は全て頭に入れたし、あとは現実で俺が施術できれば椿ちゃんは日常生活に戻すことができるよ」

 儀式場の構築や特別な薬品も必要はない。椿の魔術回路の形と特徴を把握した以上、フラットは椿の頭を切開することなく適切な形に戻すことができる。後は椿の令呪が二画あれば全ての問題はクリアされる。

「となると問題はここをどう乗り切るか、というところですね。やはり英雄王に頼む方が確実でしょう」

「いや、召喚するならまず俺のジャックで様子を見よう。何も知らないままじゃ火力に任せて台なしになる可能性も高いんでしょ?」

 それは以前にも話した内容だ。アーチャーの性格が相当面倒なのは確かであり、ただ召喚するだけでは焼き尽くされて終わりになってしまう。

「では今すぐにでも?」

「いや、ライダーは今までにないほど莫大な魔力を消費している筈なんだ。こうして時間を稼げば稼ぐほど、ライダーの魔力は弱まっていく。最後の最後まで粘った上で召喚すればそれだけ成功率は上がる筈だよ」

 フラットの提案に、仕方ないとティーネも同意する。成功率が上がると言ってもせいぜい数パーセント程度に違いない。けれども、全員が助かる可能性を高めることができるのならば、それに命をかけると二人は迷わなかった。

「じゃあ、時間もあることだし、僕はバリケードの強化をすることにするよ。ここのベッドを横にすれば――」

「フラット」

 立ち上がり疲れている筈なのに無理して動こうとするフラットに、ティーネは声を掛けずにはいられなかった。

 気付かぬふりはしてきた。しかし、さすがにこの場で逃げようとするフラットをこれ以上そのままにさせるわけにはいかない。

 二人の距離は、話し合いにしては余りに遠かった。そしてフラットはそれを意識してティーネを遠ざけている。

「私に、何を隠しているんですか?」

「…………」

 ティーネの問いにフラットは長い沈黙の末に目を逸らした。そういえば以前に英雄王と似たようなことがあったことを思い出す。隠している事実を知られたくない、そんな顔をフラットはしていた。あの時と立場は真逆となっているが、なるほど、英雄王の気持ちも分かるというものだ。

「まだ私には疑問があります。自発的に喋って頂けると私としても助かります」

 魔術の使えぬ今のティーネでは魔術の使えるフラットには勝てない。しかし、今のティーネでもこの疲れ切ったフラットであれば十分に勝てる自信はある。フラットが答えねば無理矢理にでもティーネは吐かせるつもりで脅しをかける。

 フラットの元へ足を踏み出そうとするティーネに、ついにフラットも根負けした。

「……誤魔化せない、かなぁ」

 後頭部を掻きながらフラットは困った顔で自らのシャツを捲って腹部をさらけ出す。一瞬ティーネにはそれが汚れかと思ったが、よくよく見ればそれは黒い斑点。黒い斑点が、フラットの体内から浮き上がっていた。

 その正体は分からない。だが、その部位についてはティーネには心当たりがあった。ライダーは当初、直接的な攻撃を仕掛けてきた。一撃目は銀狼によって避けられ、二撃目はフラットが自らを盾に阻止してみせた。

「私達を、庇った時の痕ですか」

「……いや、違うよ。庇った時の痕じゃない。これは庇った後の痕なんだよ」

 やや怪訝な顔でティーネはその意味を反芻する。事実へ辿り着くには、そう時間がかかることではなかった。

 フラットの黒い斑点は内出血などではない。この斑点はフラットの内側から出てきた異常である。

「ライダーの正体がようやく掴めたよ。最初は赤死病の王子プロスペローや疫病王ジャニベク・ハンとかを想像していたけど、ライダーの正体はそんな小さなものじゃない。

 あれは黒死病やスペイン風邪といった病気が形となった英霊なんだ。ヨハネ黙示録における第四の騎士“ペイルライダー”――いや、これは英雄王どころではない反則級の英霊だね」

 これはあくまでフラットの推測ではあったが、ティーネもそこに異論はなかった。ライダーが行った行為が“病気の感染”だとすると、免疫力の低い病人が多いのも頷けるし、女医の話とも符合する。

「……治療は、可能ですか?」

 フラットが言わんとしていることを察してティーネはそれ以上近付かない。

 ライダーの正体が病気だとするならば、感染する危険がある。そしてそれが一定値を超えるとライダーの傀儡と化す。フラットがティーネと距離をとっていたのは接触して感染するリスクを少しでも減らすため。そして自分が動ける内にできるだけのことをしようと思っていたのだろう。ギリギリまで時間を稼ぎ、最後の瞬間に令呪を使ってサーヴァントを召喚し、自らは窓から身を投げるつもりなのだろう。

「大丈夫。多分ライダーを倒せば元に戻るよ」

「そんな保証、どこにあるんですか!」

 ティーネの心配に対していつも通りの笑顔で答えるフラットに、ティーネは珍しく怒鳴りつけた。そして、一度は立ち止まったその足を、再度動かし――フラットの至近距離まで近付き、フラットへと抱きついた。

「あ、えっと、ちょっと」

「よく見せてください。まだ手があるかもしれません。どうせあと数時間しかないんです。数分か一時間の差であればそんなの誤差の範囲内です」

 声こそいつも通りの平坦であったが、今のティーネは自らの顔を偽れる自信はなかった。フラットの心配りにもっと早くに気付けなかったと後悔が湧く。こんな至近距離で大胆な行動をとったのもフラットから顔を隠すために他ならない。

 だがそのおかげで、ティーネはある疑問に辿り着く。

「……感染から約半時間が経過してる筈……しかしそれにしてはこの程度で何故済んでいるんでしょう?」

 間近で見るフラットの腹筋は意外に筋肉質だと思いながらも、黒い斑点をまじまじと見ているといつも通りの冷静な自分が戻ってくるのを感じ取れる。試しに触れてみるのはさすがに駄目だろうが、それにしてもライダーが令呪の命令をもって本気で殺そうとしてこの程度の結果とは余りにおかしい。

「ああ、それは僕が魔術回路を励起状態にしていたからじゃないかな」

 あの時、フラットは暗示のために魔術回路を励起させ体内には魔力が満ちていた。実際、ライダーの攻撃を防いだ際にも魔力を奪われた感覚があったものの、衝撃は相当に和らいでいたのだ。

「なるほど、だから、ライダーは自らが追いかけることをせず、傀儡に私達を追いかけさせているワケですか」

 ライダーのあのアンバランスなパラメーターを思い出す。

 恐らくあの攻撃はライダーにとって最大級の攻撃だったのだろう。ライダー自身に直接的な攻撃能力はほとんどなく、もっぱら感染による間接的な攻撃能力しかないに違いない。フラットへの攻撃が想定を遙かに下回った結果であったことからライダーは勝手にそれを無意味な行為と判断し、別の策をたてたのだろう。

 ここにきて、ようやくライダーへの対処策を見つけたわけだが、これは保険程度の意味でしかない。フラット、椿、銀狼は魔術回路を励起させて対処の幅を広げることはできるが、ティーネは自らで魔力をあまり供給できないので魔術回路を起動することさえできない。

 とすると、今のティーネの行動は軽率以外の何物でもない。触った瞬間即感染即傀儡となれば計画どころの話ではない。

「感染……してないといいんですが」

 現状では大丈夫だろう。しかし、それは時間の問題でもある。感染経路には恐らく空気も含まれており、周囲を囲まれたこの状態では時間経過と共にその濃度は濃くなる筈だ。

 今ティーネが健全である理由は体内の免疫力が一定レベルを維持しているからだ。それを下回れば、多少の時間差はあるがライダーに支配されるのも遠い話ではない。それこそ、フラットよりも早くその時が来る可能性の方が遙かに高い。

 早急に免疫力を高めるか、魔術回路を起動できるだけの魔力を集める必要がある。

 しかし、病院とはいえ少し点滴するぐらいではあまり意味はないし、魔力の供給こそ、無理――

「……じゃない?」

 自らがいまだにフラットに抱きついていることを思い出し、ある事実に気がつく。

 ここにいる二人は魔術師であり、そしてティーネは女性で、フラットは男性だ。

 魔術師同士の波長を合わせる方法なんて、それこそ一つか二つくらいしかない。

 思いつくと同時に、何となくではあるが同じ結論をフラットも思いついたのだとティーネは確証もなく思った。

「ティーネちゃん」

「は、はい!」

 思わずティーネはどもるものの、頭の回転は速かった。これからどうすれば自らの魔術回路が起動できるのか、瞬時にしてその方法を思いつく。超えるべき技術的ハードルは皆無に等しく、メリットはデメリットより遙かに大きい。

「俺と霊脈を繋げば時間稼ぎができる」

「けれど、それはフラット自身の時間を削ることを意味します」

 ティーネが危惧する通り、フラットの魔力をティーネに分ければその分フラットの魔力は減り、体内での浸食スピードが速くなる。浸食具合からすればフラットだってそう長く保つわけではない。

「それこそ、さっき君が言った言葉じゃないか。数分か一時間の差であればそんなの誤差の範囲内、だよ」

 フラットの言うとおり、実際フラットの魔力量であればそこまで大した問題ではない。確実に短くはなるだろうが、フラットにとって一番の問題なのは既に感染しているという事実のみ。フラットに必要とされるのは肉体そのものの堅強さであり、魔力の問題は二の次でしかない。

 フラットが申し出た策は、この場の全員が最も長く現状を維持できる最善の方法だった。

「あ、……う、……」

 だというのに、ティーネは即答できなかった。

 頭では分かってる。しかも、心で反対しているわけでもない。問題は、心でもいやがっていない、という事実だった。

 抱きついたまま、数秒が経ち、一分が経ち、更に数分が過ぎ去る。一度だけ銀狼が部屋に近寄ったが、空気を読んだのかそのまま通り過ぎていった。しかも何も気付かなかったように露骨に視線を逸らしながら。

「その……私は、先日初潮がきました」

 長い沈黙の後の告白にフラットが唾を飲み込んだのがわかった。耳元に当てるフラットの体内は、終始心音が激しく聞こえる。ティーネの鼓動も同様だった。

 こころなし、フラットの身体にはびっしり汗をかいているようにも思える。緊張しているのか、それとも何か慌てているようにも感じられる。

「そんなわけで、経験も、まだ、ありません」

 そういえば、と自らの白いドレスを顧みる。あちこち駆けずり回り、バリケードを作るのにも相当な無茶をした。そして何より銀狼が服を咥えてライダーから回避したので、胸元が大胆に広がりかなり扇情的な格好になっていた。

 顔が赤いのが自覚できる。しかし、こういう時こそティーネ・チェルクという存在は冷静に冷酷に、常に客観視点で動くべきと思う。

 意を決し、フラットの顔を見ないよう、俯いたまま椿の寝ているベッドのカーテンを閉める。病院というのはこうした個々のベッドのカーテンを閉めればある程度のプライベートが守られる。

 そして、同室の対岸側も同様にカーテンを閉じ、ティーネはフラットの手を取り中に入った。これからのことを考えれば別室に行きたかったが、椿が目覚めたときにすぐ対応できるように動く必要もある。結果としての折衷案ではあったが、カーテンを閉じればそこにあるのはベッドのみ。どこにでもある個人用の白いベッドの筈なのに、ティーネにはやけに大きく見えて仕方がない。

 やり方だけなら、書物から知っているし、教育係から生々しく教わったこともある。そして大婆からはそうした秘術も伝授された。しかしどうしてだろう、それら全ての知識がどうしても思い出せない。思い出したのは又従姉妹が話していたそういった場合のマナーだけ。

 曰く、裸になって男に任せろ。

「よ、よろしくお願いします!」

 普段のティーネからは到底考えられぬ顔と態度。頬を赤らめ視線を彷徨わせながら「優しく、お願いします」と小さな声で呟いた。粘膜感染の危険性については頭から完全に抜け落ちていた。

 ドレスを脱ぎ下着となったティーネはベッドに横たわり、未だ繋がれたままのフラットの手を強く握り締めた。

 

 

-----------------------------------------------------------------------

 

 

 ライダーという存在に本来人格などある筈がない。

 疫病そのものと言っても過言ではないライダーの正体は物体や霊体ですらないただの自然現象でしかなく、それ以上の超自然現象でもそれ以下の形而上的事象ですらない。だというのに人格を持っている理由は「ペイルライダー」という象徴によって形を無理矢理与えられ現代知識をインストールされたからに過ぎない。

 人工知能においていかに人間らしく振る舞えるかというテストにチューリングテストというものがある。この世界に召喚されたばかりのライダーは実を言えばそれに合格することすらできぬ初期段階のプログラムでしかなかった。兎角元となったペイルライダーそのものにしても死を撒き散らす無慈悲かつ機械的な存在。元来規定されるべき性格からして最初からなかったのである。

 ただ、生まれたての赤ん坊同然のライダーにとって幸いであったのは、育ての親たるマスターが善悪の判断もろくにできぬ子供であったことだろう。無邪気であり無垢な彼女の手によって結果的に繰丘夫妻の末路は悲惨としかいいようのないものになったが、それでもライダーは椿に忠実この上ないサーヴァントへと成長した。

 例え椿がライダーを信用せずともライダーに裏切るという概念は存在せず、令呪を使わずとも死ねと言われれば躊躇なく消滅することだろう。

 滅私奉公のサーヴァント。おおよそ元になったペイルライダーらしからぬ成長を遂げたライダーではあったが、それ故に今まさに彼は当惑していた。

 どうして良いか分からず判断に「困った」ことは多々あれど、「当惑」という意味では今回が初めてのことである。

 何故なら自分が一体何をしているのか全く分からないからだ。

 自らの行動そのものは全て彼の意識によって彼の末端は動いている。人間で例えるなら、ライダーは自らの意志で手足を動かし、そして同じ意識レベルで心臓を動かしているということだ。

 しかし今回に関してはそれは違う。

 ライダーは確かに椿の要望を聞いたが、あのような行動をとるつもりは欠片もなかった。いや、そもそもライダーは椿の要望を理解することができず「困った」ので、何のアクションもするつもりはなかった。

 けれども、実際にライダーは椿を攻撃しようとした。一度は銀狼によって回避され、二度目は男に邪魔された。

 この反省を踏まえ、ライダーは魔力による干渉手段を止めて、もっと物理的な手段を用いるべく身近な人間を操り追い詰めるという行為まで行っている。

 ここで再度ライダーは自らの行為に当惑する。

 ライダーは自らを自らの意志でコントロールしている。しかしその発想は実に機械的であり、試行錯誤とは縁遠い代物である。だというのに人間を大人数コントロールするという発想は本来ならライダーの中にはなかったもの。椿からの入力によって対象の脳内物質を多少操り人をそう仕向けることは覚えたが、これはそれよりも遙かに高度な内容である。

 これが令呪が持つサーヴァントへの絶対強制力である事実にライダーは気がつかない。辞書の引き方を知らなければ辞書は無用の長物となる。自らにインストールされている膨大な知識を検索し参照することを知らぬライダーは、ただただ当惑するばかり。

 そしてもっと酷いことに、その当惑は時間が経てば経つほど増えていく。

 最初は、攻撃の手段。次に、人を操るという戦法。更に次は操る人数を増やす人海戦術。そしてここで自らの魔力供給に問題が生じ、ライダーは“魔力を補う”ために感染者を増やすという兵站の確立という戦略までしてしまった。

 意図して拡散したわけではないが、既にライダーによって感染させられた人間は約八万人。実にスノーフィールド全体の一割にあたる人口を魔力源としてライダーはこの手にしていた。そこから更に感染者を増やし、順次吸い上げる魔力をもって操る人間を増やしていく。

 もうここまでくると、ライダーも薄々感づいてくる。

「ワタシハシンカシテイル」

 元々疫病の発生は細菌やウイルスの突然変異によるところが多い。たった一画の令呪によってライダーは以前の数十倍の知能と応用力を数時間で身につけていた。そして自覚し声に出すことでますますそのスピードは上がっていく。

 人間の中に魔力を注ぎ込むのに適した者と適していない者がいる。ならばその者に見合った量の魔力を込める。更に突き詰めると適していない者からは魔力を与えず、適した者に魔力を与えた方が良い結果を得られることを突き止める。漫然と数で押すのではなく、動きやすさを考慮した数を選択する。役割を分担し、個々の能力に合わせた利用をすることで効率化を図る――

「シコウサクゴ。テキザイテキショ。コウリョ。ヤクワリ。コウリツカ」

 それは一体なんだとライダーは思う。

 ライダーは、ただ椿から呼びかけられ、それに応じただけの存在だ。それに目的などはなく、自らが悪魔か天使かも分からぬまま、ただ用意されていた契約を内容も確認せぬままに契約した。後は己の存在を打ち付ける契約の楔に付き添っていたに過ぎない。

 椿に付きまとい要望を聞いていたのはただそれだけの理由であり、感覚としては雛鳥が最初に見た者を親と認識するのと何ら変わりない。

「ツバキ。ワガマスターヨ」

 私は、こんなことをしたくはない。

 それはおそらく、召喚されて初めてライダーが抱いた「想い」なのだろう。

 けれどもこの身体は、もはやライダーの思い通りにはならない。

 スノーフィールド中央病院の中庭からライダーは隔離病棟の五階を見上げる。この黒い影がライダーの本体というわけではなかったが、視界を得るためにはある程度の魔力を集中させる必要があった。それが結果として黒い影となって顕現している。

 パリ、とライダーの黒い影に魔力の紫電が一瞬表れる。肉体を持たぬライダーにそれは痛みとして認識しえぬものだが、ライダーの身体の中にコントロールできぬ部位が一瞬だけ表れる。少しでも無意味な行動をとってみただけでこれだった。全力で抗えば抗った分だけライダーは自らのコントロールを失うことになる。

 

 ――もう嫌だ! こんな世界、なくなっちゃえばいいんだ!

 

 あの時の椿の言葉をライダーは思い返す。

 あの椿の言葉がこの事態の発端であることに疑いはなかった。そしてライダーは、その言葉によって自らの力が強制されていることにも気付けるようになっていた。そしてそれが一体何を意味するのかも。

 見上げた視線の先で青年と少女と銀狼が多勢に無勢で懸命に抵抗をしている。もはや障害となるべきバリケードはなく、波状に攻撃を仕掛けることによって彼等の疲労は限界に近付きつつある。

 もう、どうしようもない程椿達は追い込まれている。あと十分もすれば、彼等も現実へと帰り、ライダーの糧となる。最後に残った椿にはもはや何もできることはない。最後になった椿を――

「……ワタシハ、コレカラツバキニナニヲスルノダ?」

 今までは理解できない問題は全てスルーしてきた。しかし、ここに至って進化はライダーに疑問を解消するための思慮を身につけさせようとしていた。

 先ほどからライダーは己の行動が椿の確保、もしくは椿の元への到達にあることを認識していた。そのためにライダーは彼等の行動を読み取り効率的効果的排除方法を繰り返し計算し続けている。しかし計算し続けた結果、彼に残されたのは疑問のみ。

 彼等を排除し椿を追い詰めた先に、一体何があるのか。一体何を、させようというのか。

 死をふりまくことが存在意義であるが故にライダーには人を殺すということが一体どういう行為であり、どんな意味を持つのかは理解できない。殺すことへの拒否感を仮に人間と同様にライダーが持てば、それは自らの存在を否定することに繋がる。故にいくら進化しようともライダーは人を殺すことへの拒否感を抱くことは絶対にあり得ない。

 そして根本的にライダーと人との間には埋めがたい認識の差異がある。脳死状態の人間の生死を人は討論するが、ライダーはそんな討論をするまでもなく“生きている”と判断を下す。何故なら彼の判断基準は細胞の活動状態に左右されるからだ。例え繰丘夫妻のように細切れ状態になったとしても、彼は細胞の一部だけでもまだ活動していることから繰丘夫妻はまだ“生きている”という認識を持っていた。

 これから一体椿に何をするのか。世界を消滅させたいというのなら今世界を構築している椿の脳をいじるのだろうか、それとも脳を壊すのだろうか。あるいは、マスターがこの世界を維持できぬまで魔力を吸い取ればいいのか、マスターそのものを取り込んでしまえばいいのか。

 その手段の殆どが人として椿を殺す手段ではあるが、マスターたる椿にそもそも何らかの干渉をしてしまうことにライダーは否定的であり、恐れていると言い換えることもできる。その理由は……

「ワタシハ、ワタシガワカラナイ」

 何故かと問い続けながらも、答えがでる気がまったくしない。

 それがいわゆる“心”に近いものである以上、ライダーが気付くのはまだまだ時間を要するだろう。それは効率とか理屈とか最適化とか、そんな四則演算で理解などできる筈がない領域だ。

 けれども。

 遅まきながらもライダーは自ら予測したあらゆる結果を確かにイヤだと感じた。なんとかしたいと思った。また椿と共に歩みたいと願った。

 ライダーの“心”の萌芽は奇跡と呼べる事態であるが、全体に対して与えた結果はもはや変えようもない段階に来ていた。定められた方針によって動き、最短最速の手段を選びそれがもうすぐ成就するともなれば、令呪の強制力に逆らうことなく平和的かつ安全な方法を選ぶことなどできる筈がない。

 ただ希うことだけが、彼にできる唯一のこと。

 だがそれもすぐに諦めへと変わる。

 先ほどから獅子奮迅の活躍をする少女の動きを大男が数人がかりで封じこめる。のらりくらりと一撃離脱を繰り返す青年の逃げ場を陣取りゲームのように徐々に奪い取る。こちらも少女同様に数人がかりで封じ込めるが、男達に供給する魔力は他の者の数倍。例え骨が砕け腕が千切れようとも、彼らはライダーの指示に従い少女と青年を絶対に離しはしない。残った獣は椿がこれを抱きしめ離さず、唸り声で威嚇はするが椿と共に何の抵抗もなく複数人の手によって押さえ込まれる。

 これで、ライダーにとって障害となるものは全てなくなった。

 ライダーの希望は、無残にも打ち砕かれた。

 それでも、ライダーはその歩みを停めることができない。ゆっくりと宙に浮かび五階まで上昇する。閉じられた窓があっても問題はない。物理的障害などライダーには無意味。

 そして、ライダーの登場を出迎えたのは、

「フラット!」

「ティーネちゃん!」

 数人の男達に覆い被され、もはや何の抵抗もできぬ二人の掛け声だった。

 その声を合図にしたかのように、拘束している男達に隠れるように身体を縮ませ眼を閉じ銀狼を抱きしめる椿の姿。ライダーと同じく言葉を解さぬ銀狼も何かが来る予感を感じ取り動けぬ中でも必死に椿を守りながら防御態勢を取ろうとしていた。

 そして。

「3、2、1!」

 叫ばれるカウントダウン。そして遅まきながら、ライダーは廊下に描かれた魔法陣の存在にようやく気付く。

 この世界は体外への魔術行使は不可能ではあるが、体内に対しては有効である。そして、体外に出した血で魔術行使ができるかは既に実験済み。フラットの血液によって描かれた簡易魔術によって実際にライダーはその一部を吹き飛ばされたこともある。

 だがライダーが今気付いた魔法陣はあの時とは全く異なるもの。その魔法陣は巨大で緻密であり、流れる魔力も臨界状態。更に言えばそれは床だけでなく天井や壁にすら掻かれた立体複合型連鎖術式。爆心地に威力を集中させ相乗効果で威力を何十倍にも跳ね上げる芸術品である。

 ゼロ、のカウントダウンはなかった。

 光り輝く魔法陣。こうなってしまえばもはや止めようもなく、そして避けようもない。

 そして爆心地に出現したライダーの体内から爆発が起こり――

「――そんなっ!」

 少女の悲痛な声が次の事実を物語った。

 この罠は非常に良くできていた。術式ひとつとっても実に見事であり、流れる魔力も淀みなく、逆流を防ぐためにバイパスも作られ芸術品としての完成度も高い。そして連鎖術式というところからもこの術式は術者が複数必要であり息の合ったタイミングがあって威力を相乗的に高めるものだ。

 タイミングは絶妙であり、サーヴァントといえど決して無視できぬ威力。唯一の難点を言わせれば、あまりに威力が高すぎて余波で術者を傷つける可能性が高いというところか。そのためにワザと覆い被さられ余波から逃れられるように二人は捕まったし、椿には銀狼を捕まえて対ショック防御をとるよう指示していた。

 それでもリスクは高いが、それ以上のリターンは得られるとティーネは踏んでいた。これでライダーを倒せるなどとは思えないが、最低限時間稼ぎはできるし魔力を消費させればその分勝率は高くなる。

 少なくとも、そのつもりではあった。

 想定よりも遙かに少ない砂埃の中から、ライダーは悠然と現れた。以前の魔法陣では一部が吹き飛んだというのに、そうした気配もない。むしろ、ライダーはこの攻撃を最大限に受け止めてすらいた。その証拠に余波による衝撃がどこにも発生していない。

「あれで……無傷!」

「椿ちゃんを余波から守ることも想定してたけどねぇ」

 ほとんど全魔力を消費したフラットが青い顔で暢気な感想を述べる。

 決して少なく見積もったつもりはなくとも、それでも想定外と言わざるを得ない化け物へとライダーは至っていた。

 ライダーの保有する魔力の密度は過去に実験したときと比べ三〇〇〇倍近くに跳ね上がっている。ここまでくるとライダー相手に魔術で傷つけることは事実上不可能であり、物理攻撃が意味を成さぬライダーは無敵に近い防御力を有していることになる。

 フラットとティーネがライダーの背後で視線を合わせる。そのことをライダーは知らないし、仮に目撃したとしてその意味を考えることもしないだろう。背後の二人の手に込められようとしている魔力の高まりにすら、ライダーは気づきながらも気にしない。

 椿に触れるその一瞬前に、二人は己のサーヴァントを召喚する。

 一瞬一秒でも長く時間を稼ぐ。余波で覆い被さった人間を吹き飛ばせなかったのは誤算だったが、肝心要の令呪による召喚には何の不自由もない。

 ライダーはゆっくりとその身体を動かした。パリパリと小さな紫電がライダーに起こる。椿を傷つけたくないというのは何もフラットとティーネに限った話ではない。ライダーもまた、令呪に逆らわぬ範囲で時間稼ぎをして己と戦っていた。

 そんな時間にしてわずか数秒程度の小さな努力が、また一つの時間稼ぎを産み落とした。

 椿が抱いていた銀狼、である。

 元より椿に拘束されていたこともあり、銀狼そのものの拘束は緩い。椿を傷つけることを恐れて拘束よりも逃がさぬことに重点を置いたのも裏目に出た。それに加えて銀狼の筋力はそこいらの人間の力を上回っている。彼もまた、自らが飛び出す機を窺っていたのだ。

 ライダーが椿へ触れようとする直前に、銀狼は椿の腕の中から飛び出していた。物理攻撃は効かぬ彼ではあったが、魔力を身体に巡らせた体当たりには多少ではあるが効果はあった。

 その一瞬でライダーの疫病に感染する銀狼ではあるが、ライダーが伸ばした腕は宙へと霧散する。再度元に戻る腕にも返す身体で飛びかかり、またもライダーの身体は霧散し、再度復元するまでの数秒の時間を稼いでみせる。

 その気になればライダーは一瞬で銀狼を退治することができる。それをしないのは、銀狼の攻撃があまりにライダーにとって効果がないことと、ライダー自身が時間稼ぎを是としていたに他ならない。

 銀狼の体当たりは続く。

 三度、四度と飛びかかり、二桁に達する頃には着地すらままならず、壁に強かにぶつかりながらも諦めることなくライダーに飛びかかってゆく。

 全力で動いていただけに魔力は底を尽きかけ、病魔に蝕まれた身体は自由が徐々に奪われていく。それでなくとも全身の骨にはヒビが入り、牙の一本は折れてしまった。

 時間稼ぎは数分に及んでいる。ここにきて、ようやくライダーは――令呪は銀狼を障害と判断する。操っている人間の中からまだ無傷である者を一人選び、銀狼が着地した瞬間を狙い鉄パイプでその前足を容赦なく殴打した。

 鈍い音のしたその一撃にも、銀狼は欠片もひるまない。これで足は確実に折れ、飛びかかることはもうできないというのに椿の前で唸り鬼気を撒き散らすことでライダーの足を止めようとする。その様は義経を死守せんと仁王立ちする武蔵坊を彷彿とさせる荘厳さがあった。

 フラットもティーネも、この瞬間まで銀狼の存在を誤解していた。銀狼はただなんとなく付いてきたわけでも、この場にいたわけでもない。同盟を組んだティーネですら銀狼を仲間としてちゃんと数えたかといわれればそうではない。人間ではない獣として人間三人は銀狼を見ていたことは否定しようがない。

 けれども、銀狼は違った。

 銀狼は、ティーネを、フラットを、椿を、彼のサーヴァントであるランサーと同じく群れの仲間として扱っていた。ほんのわずかな時間を共にしただけではあるが、銀狼にとって彼らは命を懸けて守るに値する存在だと断言できていた。

 限界を超えた銀狼を止めたのは、その背後にいた椿だった。椿を捕まえていた人間は椿の胴を掴みはしていたものの両手の自由は許していた。だからこその椿は銀狼を捕まえることができた。これ以上自分のために銀狼が傷つくことを防ぐことができた。

 椿は既に両親の死のパニックから脱している。少なからず放心状態であることには違いなかったが、懸命に慰めようとする銀狼と自らを守ろうとするフラットとティーネによって絶望に突き動かされることはなかった。

 そして、銀狼の動きは椿の心を、そして身体を動かす力を与えた。戦闘に参加せず、ただ罠に対して怯え防御するだけの心の弱いだけの少女はここにはいなかった。

 ここに、銀狼と椿の間に心が通った。

 椿は銀狼を守りたいと思い、銀狼は椿を守りたいと思った。

 ライダーはその様を見ながらも、黒い霧を網のように上部に発生させる。腕という線ではなく、網という面によって確実に椿を捉えるつもりである。

「ツ、バ、キ」

「ライ、ダー?」

 ライダーの網は完成していた。あとはそれを振り下ろすだけでことは終わる。だというのに、ライダーの身体は一向にそれ以上動こうとしない。それどころか、椿と会話を試みようとすらしている。

 ライダーの身体にあちこち紫電が走り続ける。それは令呪の強制力にライダーが逆らっている証拠だ。だから、残った時間はせいぜい一言。

 

「ワタシハ、ダレモ、キズツケタク、ナイ」

 

 それはライダーが出した結論。

 理屈などを超越し、計算では導き見つけ出すことのできない“心”そのもの。

「うん、わかったよ、ライダー」

 大粒の涙をポロポロ零し応える椿。その涙を受け止め、もはやあれほど強烈に放っていた鬼気を銀狼はその身に収め、ライダーをただただ見据えていた。

 その数秒が、ライダーには限界だった。

 無慈悲に振り下ろされた黒い霧の網を、椿と銀狼は目を逸らすことなく見続けていた。

 

 

---------------------------------------------------------------------------

 




緊急連絡。
イメージはハガレンのヒューム中佐殺害シーン。こうしたシーンを持つために署長は現実に居て貰った。

フラットからティーネへの魔力供給。
このシーンをもう少し書こうと思ったのだが、くどすぎたのでやめた。この時の様子はティーネの回想で明らかになるのでお楽しみに。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。