Fate/strange fake Prototype -Another Player- 作:縦一乙
ランサーが現実へと戻れば、そこはスノーフィールド中央病院隔離病棟の五階だった。
ここはランサーが傷ついたフラットと銀狼を介抱していた場所である。元より人数の少ない病棟であったために幸いにも突如としてこの場に現れた瞬間を見られることはなかった。
だがそれよりも現実に戻ったというのにフラットと銀狼の存在はどこにもいない。ランサーと違って本体ではなく精神体を夢に取り込まれたのだから戻る先は精神体がいた場所ではなく自分の身体がある場所なのも当然だ。
「となると、我がマスターは森の中、か」
傷はもう完全に癒えている状態。数日の間食事を取っていないのが気にかかる。流れ込むマスターからの魔力で無事であるようだが、やはり距離があるせいか詳細が分からない。
せめてその気配を感じ取れるところまで戻ろうとランサーはその場から足を数歩動かすが、
「……呪いが、消えている?」
あれほどランサーを悩ませた位置情報を発信する呪いがどこにも見当たらない。そういえば、ジャックがもうすぐ呪いが解けると確かに言っていた。
それと同時にジャックの不戦協定も思い出す。やむなくライダーと戦ってしまったが、あの“偽りの聖杯”を見てしまった以上、夢物語と笑った同盟には参加せざるを得なくなった。
それだけだというのに、戦況は大きく動いた。親友との対決はまた遠のきそうだが、それよりも前にサーヴァントとして、そしてそれ以上に英霊として、成さねばならぬことができてしまった。
窓の外を見れば、東の空に陽が昇りつつあった。
そして何気なく視線を逸らせば――決して無視することのできぬ建物を見つけた。ライダーとの戦闘にあっては周囲をじっくり観察する暇などないが、こんな近くにあるとは思いもしなかった。
ランサーは現状を確認する。
宝具を使ったせいでランサーの魔力は消耗してはいるが、ダメージとしては然程でもない。もう一度ライダーと正面から戦うには厳しいが、逆に言えばそれくらいのサーヴァントが相手でなければ軽くあしらえるだけの余力はある。
マスターも現実に戻ってはいるが恐らくあの周辺は念入りに監視されており、今戻ってもマスターの体調を確認することは得策ではない。
そして呪いが解除されたことで今ランサーの位置情報は敵に知られていない。むしろ、今までいた筈の森から突然にいなくなったことで大いに混乱している筈である。
都合の良いことに今は早朝であり、場所的にも討ち入る場所にほど近い。
奇襲するには今しかない、最高の好機であった。人目を忍ぶというサーヴァントの大原則には反しているが、それはランサーにとって大した問題ではなかった。
考えたのは一瞬に過ぎない。
ランサーは窓ガラスを開け放ち、窓枠に足を掛けて、力を込める。
ここから目標の建物までわずかに一〇〇メートル足らず。これなら一足で跳べる距離である。
時間的に民間人は少なく、そして標的がいる可能性は非常に高い。だとしたら、と考えてやや突入場所を変更する。
ボスがいるとするならそれは入り口付近ではなく、建物の上部に決まっている。
自らの勝手な推測を疑うことなく決断するランサー。最短距離を駆け抜けるべくランサーは飛び出していく。
ランサーの脚力に耐えられず窓枠が爆散する音が辺りに響いた。その音に駆けつけた看護師が悲鳴を上げたが、それをランサーが知るよしもない。
「緊急連絡! 襲撃想定施設Aにて襲撃者あり!」
「あにぃっ?」
ドアを開け放ち大声で報告する部下に、目の下に隈を作った署長は窓に貼ったガムテープを部下と共に剥がしながら珍奇な声を発した。
病院周辺の近隣住民らが倒れ始め、そして突如回復しようやく事態が収まったのを確認したのがほんの数分前。本来であれば安全を期して今少し警戒待機しておきたいところだが現状装備での対処も限界であり、念のため他の部隊員との接触を禁止することで警戒態勢を解いた直後の話だった。
「襲撃想定施設A……といえば、スノーフィールド警察署か」
スノーフィールド市内の事件を一手に扱う巨大組織。となれば当然警察署の規模はでかくなり、有事の際の立てこもり避難場所としても機能するよう公然と半要塞化している市内有数の建物である。そのため戦争中盤に襲撃が想定される施設として最初にナンバリングされた施設でもある。
《二十八人の怪物(クラン・カラティン)》の存在は戦争中盤以降において確実視されている。いかに秘密裏に動こうとも組織だって動けば露見するリスクは飛躍的に高まるだろうし、いつまでもサーヴァントの目を欺けるなどとも思ってなどいない。
だからこそ《二十八人の怪物(クラン・カラティン)》は途中から敢えてその気配を消すことをしていない。むしろわざと情報を流すことで敵を誘導するべく動く予定ですらあった。彼らのマスターが内外構わず公然と「署長」と呼んでいるのもそうした理由があるからだ。
「ちっ、この忙しい時に」
舌打ちをしながら署長は現状を鑑みる。
忙しいとは言いながらも既に山は越えている。休息が取れないのは痛手であるが、その程度。むしろ緊張感が続いているだけ良かったとも言える。それにあそこなら、わざわざ《二十八人の怪物(クラン・カラティン)》を慌てて動かす必要はない。よほど手を誤らない限り襲撃者を仕留めるのは簡単だった。
提出されたたった数枚の資料を奪うようにして中身を確かめる。打刻されたタイムスタンプを見てみればつい今し方。そして添付されている襲撃者の画像を見れば、見覚えのある顔立ち。
「これはなんだ!」
画像を見たとたんに怒鳴りつける署長ではあるが、担当部署の違う報告者は一体何を署長が怒っているのか分からない。
「何故、ランサーが警察署にいる!」
その一言にランサーの監視作業を担っていたスタッフが慌てて状況を室内のメインモニターへ映し出す。
「ランサー、森に健在です!」
映し出されたモニターには今も立ったまま朝日を浴びるランサーの姿が映し出されている。最大望遠で映し出されるランサーの姿は観察し始めてからまったく変化はなく、時折鳥が肩に乗り野生動物が周囲に集まるだけ。その姿は仏涅槃図を彷彿とさせる神々しさすら感じる。
「……いや、まて。光量が少しおかしくないか?」
スタッフの一人が言った言葉に、署長の視線が目張りを外され開放された窓の外へと向けられる。今日は――曇り空だ。対してモニター内の森は場所が多少離れているとしてもやや明るいように感じられた。
「現場の観測班は!?」
「観測機材をそのままに退避中です。現地まで一〇分はかかります」
「昨夜の緊急措置が仇となったか……念のため《二十八人の怪物(クラン・カラティン)》突撃班を三種装備で現場に急行、包囲させろ! 通信網は大丈夫だな、分析官! 警察署の動画データをこっちに寄越して解析しろ!」
「解析、もうしてます! ……出ました! 襲撃者がランサーである確率は、人相や体格から……37パーセント!」
分析官の言葉に周囲を含めて疑問符が浮かぶ。写真を見ただけですぐに分かるほど明確な正体だというのに、37パーセントという数字はいかにも低すぎる。だがそう問いかける前に分析官は先読みしてみせる。
「人相だけなら96パーセント一致していますが、体格に著しい誤差が生じています。以前遭遇した時より明らかに小さくなっています」
「つまり偽物か……あるいは、本人が敢えてそう見せている可能性もありますね」
「現状では何とも言えん。機械の目は誤魔化せるかもしれんが、人の目で誤魔化せなければその行為に意味はない。……《捲き憑く緋弦(アリアドネ)》の反応は?」
分析官と秘書官の言葉に耳を傾けながら、署長は肝心の情報を聞いてみる。《捲き憑く緋弦(アリアドネ)》は常に情報発信し続けるとそのパターンから分析され対処、解呪される可能性がある。そのため必要な時にこちらからの暗号処理した呼びかけに応じさせて位置情報を発信させ居場所を特定するという面倒な制約があった。
「……反応、来ました。位置情報、やはり昨夜と変わりありません」
「となると、やはり偽物の可能性が高いか」
ふむ、と細かな情報にまで目を通すが、行動パターンは事前情報と似通っているように思える。署長の勘は本人だと告げていたが、しかし分析すればするほど本人でない可能性が高まってくる。第一、これまでの行動パターンからランサーが警察署を襲撃する意図が分からない。敢えて情報を流していたとはいえ、当のランサーはずっと森の中にいたのだから情報を入手しようもない。
「仕方ない。なるべくではあるが、一般職員を逃がしつつ、目標を逃がすな。逃げるそぶりを見せたら、仕掛けを使ってしまってかまわん」
それでも万が一の事態を署長は考え、《二十八人の怪物(クラン・カラティン)》の突入は断念する。
こうした事態を踏まえて襲撃予想の高い警察署には予め繰丘邸以上の極悪な魔術トラップを用意してある。逃げ遅れた職員や牢獄の犯罪者には申しわけないが、貴い犠牲になってもらうより仕方ない。
「ふん、しかしそうすると、五月蠅いのが一人いたな」
署長がそうして嘆息すると同時に、普段使っている電話とは別の専用回線が鳴り響く。噂をすれば影というが、これはいくらなんでも早すぎだろと署長は再度嘆息した。トラップを発動させればつまらない結果になるのは目に見えている。抗議の電話は当然のことだろう。
『ちょ、なんで襲われてるってのに何もしてこねぇんだよ!』
「なんだ、キャスター。もう知っていたのか」
相変わらず耳が早いと一応胃薬を飲む。水がなかったのでコーヒーで飲んでみたが、これは薬的に大丈夫だろうか。
『知らないわけないだろうが!』
「想定内の事態だ。慌てるな。今一般職員の脱出を待っているところだ』
『一般職員の脱出!?』
つんざくようなキャスターの悲鳴に思わず受話器から耳を離す。今の会話に何か驚くことを言ったであろうか。
「何か問題でもあるのか?」
『問題大ありだろ! 何だってそんな悠長なことをしてんだよ!』
「時間はまだある。襲撃者をなるべく奥深くに侵入させればそれだけ時間が稼げる。被害は最小限だ」
『被害!? 最小限!?』
またも怒鳴り散らすキャスターにいい加減電話を切りたくなるが、武蔵の時の借りもあるのでそこは堪える。その代わり署長は順次入ってくる報告書に目を通しながらキャスターの声を聞き流した。
状況に変化なし。襲撃者は屋上から侵入したらしく時間帯も相まって署内に残っていた職員の人数は夜間勤務についていた数人程度。これなら被害はかなり少なくて済む。
『俺がこないだ嘘ついたことを気にしてるのか!?』
「今更お前が嘘をいくつついたところで気にしないが」
そこを気にしていてはキャスターと付き合っていくことはできない。特にマスターとサーヴァントの関係であるならば避けては通れぬ道である。気にしないのがこの場合唯一にして最良の選択肢だ。
「とりあえず、落ち着け。何を焦ってるか知らないが、こんなこともあろうかと宝具は既に回収済みだ」
『てめぇ! 道理で最近宝具のチェックが回ってこないと思ったらそういうことか! お前なんてもう兄弟でもなんでもねぇぞ!』
「最初から私に兄弟などいないと言っているだろう」
などといいつつ、これは眠気に負けて口を滑らしたかと内心署長は焦る。キャスターによる昇華作業はほとんど終了し、新たな宝具を作る必要は殆どなかった。どちらかというと宝具の性能確認を優先し、つい先日も《スノーホワイト》のチェックをお願いしたばかりだ。だがそれはキャスターの視線を逸らすための作業であり、実際には昇華を終えた他の宝具を隠すことが目的だった。
理由は多々あるが、少なくともキャスターは自ら手がけた宝具が別の者の手によって更に改良されることを良しとはしないだろう。
『いや、すまねぇ。俺が悪かったよ兄弟! けどよ、もっと退避するには重要な誰かがいると思うんだよ! 勤労誠実清廉潔白滅私奉公の権化ともいえる掛け替えのない人物がさっ!』
「お前は一体何を言っているんだ?」
巫山戯たサーヴァントには違いないが、精神汚染の兆候はなかった筈だ。しかし署長が気付かなかっただけで実は知らないうちに汚染されていたのかもしれない。
そういえば、キャスターは召喚されてから暇さえあればジャパニメーションを見ている。むしろ昇華作業そっちのけで見ていたことすらあった。昨今の日本のマスコミはそうした“ヲタク”を犯罪者予備軍と称す傾向にあるとかないとか。根も葉もない噂だと思っていたが、しかしキャスターの狂乱ぶりをみるとそんな噂も馬鹿にできないのかも知れない。
と、そこで新たな資料が渡される。思ったよりも素早い対応と内心感心せざるを得ない。
「いい報告だキャスター。《二十八人の怪物(クラン・カラティン)》が現場に到着した。決着は時間の問題だろう」
『そうか! なら早く突入して駆逐してくれ!』
「いや、ただ包囲するだけだ。あとは施設に仕掛けられたトラップで片を付ける」
『なぬっ!? いや、サーヴァントが自陣に飛び込んできてるんだから地の利を活かして殲滅すればいいだけだろうがっ!?」
――その言葉に、署長は違和感を覚える。
襲撃者は、確かにランサーの姿をしている。それ故にサーヴァントの可能性が高いと踏んではいるが、そのことを署長はキャスターに話していない。それを差し引いてどこからか情報をキャスターが得ていたとしても、サーヴァントである確証は《二十八人の怪物(クラン・カラティン)》を含めどこも得ていない筈の情報だ。
それに、キャスターは襲撃者が襲った場所を自陣と言った。
だが残念ながら、《二十八人の怪物(クラン・カラティン)》はスノーフィールド警察署が自陣であるという認識はない。
「まて、キャスター。お前は一体何の話をしている?」
『だから! 今襲撃されている最中だと言ってるだろうが! 俺がいなくてもいいかもしれないが、色々とまだ利用価値はあるだろうが!』
そして受話器の向こう側から何やらとてつもなく重い音がする。
『ああ、もう時間がねえよ! この防護壁って対物理対魔術障壁として本当に機能してるんだよな!? なんかへし折れつつあるんだが!?』
「……な、んだと?」
我ながら間抜けな声だと思いながら漏れ出す声を止めることはできなかった。
ここでようやく、署長はキャスターとの間に交わされた会話の齟齬に気がついた。
襲撃を受けているのは、一つだけでは、ない。
メインモニターには、スノーフィールド警察署の襲撃者と森の中のランサーの姿。そして電話口からはキャスターを閉じ込めている牢獄の情報が漏れ出ている。これらが全て繋がった。
襲撃は、警察署だけではない。
キャスターの牢獄にも、そしてここの本部システムにも何者かが仕掛けている。
「傾聴! 警戒直を発令する! 情報班は直ちに現作業を止めシステムチェックを開始! その他の者はただちに隊伍を編制!」
署長のいきなりの命令に動揺を示す者も多かったが、この場にいる誰もがそのことに意見するようなことはしなかった。
軍隊において上官は絶対であり、それでいて署長は彼等の導師ですらある。そこに動揺はあっても疑問を問いかける余地はない。
「第二種警戒配置! 本部編成表に従って位置に付け! 戦闘第一守備班、第二守備班は、本部正面を定点防御。非戦闘員は情報資料を焼却! 第三種守備班、遊撃隊として本部の警邏につけ! 以上、履行せよ!」
『おいおいおいおいおいぃぃっ! なんか物騒な命令がこっちにも聞こえているんだが、何をしてるんだマスターっ!』
本部の誰もが文句なく行動している最中、唯一受話器から放たれた文句は殊の外大きく聞こえた。
「現状が最悪であることを認識しただけだ。そして聞いておくが、今お前がいる場所はいつもの地下施設だな?」
『ああそうだよ! お前らが“籠の鳥”って呼んでる施設にいるよ! だから脱出もできねぇよ!』
キャスターは“昇華”という破格のスキルがあったために工房作成スキルを有していない。それ故に代替施設を用意したわけだが人間が作る工房ではどうしても安全面と使用面で問題が出てくる。そのために出口は厳重に、そして中で何があっても外に被害は漏れぬよう細心の注意が払われている。
もちろん、キャスター自身を閉じ込める、という意味もないわけではない。
「それで、後何分持ちそうだ?」
『今すぐ《二十八人の怪物(クラン・カラティン)》を投入してなんとか間に合うレベルじゃねぇかな!?』
キャスターのヒステリックな叫びの背後で再度響き渡る重低音。その中にミシリというかなり嫌な音も聞こえてくる。骨子となる柱にヒビが入る音だ。
当然だが、今から《二十八人の怪物(クラン・カラティン)》がキャスターのいる牢獄に急行しても間に合わない。キャスターが言う通りに今すぐ投入してもとても間に合うとは思えない。そうするとキャスターは殺されるか、もしくは連れ去られる。残念ながらキャスター本人が襲撃者を撃退するという可能性は皆無だ。
となると、取るべき方針は二種類。
このまま座して経過を見守るか、それとも、
「令呪を使うか、か」
署長の手にある令呪は三画全て残っている。必要性を感じなかったので使わなかっただけだが、ここでこれを使用するのも悪い選択肢ではない。
キャスターの利用価値はほとんど終わっているため見殺しにしても戦略上問題はないが、捕獲され情報が漏れることは何としても回避しなくてはならない。となれば当然口封じは必要である。
この段階で令呪を使うのは確定的だったが、問題はその中身だ。
『ちょ、何悩んでるんですかね! こっちはもうギリギリなんですけど!』
「なるべくギリギリに令呪は使いたいからな。もう少し我慢してくれ」
適当なことを言って誤魔化してはいるが、署長は慎重に命令する内容を吟味する。
令呪が絶対命令権とは言え、キャスターは自害に失敗した逸話を持つ英霊。機密保持のために死ねというのは簡単であるが、ここでこのキャスターの逸話がどう影響するかは未知数であり、絶対命令でありながら不安を残さざるを得ない。
となれば、もはや命令は一つだけになってしまう。
欲を言うなれば、マスターを失ったはぐれサーヴァントがいた時のためにあまり令呪を使いたくなかったが、キャスターに恩を売れるともなればそう悪いことばかりでもないだろう。
様々な思惑はあったが、署長はタイミングを図るべく受話器を耳に当てる。実況はキャスターがしてくれるので何の問題もない。だが本部システムに不安要素がある以上、最低限キャスターには襲撃者の姿をちゃんと見てもらいたい。どうせ使うのなら最大限に利用するべきだろう。
「キャスター、敵サーヴァントの姿を確認したらすぐに言え。令呪で飛ばしてやる」
『もっと安全とかにも気を配ろうぜ兄弟! あの防護壁が吹っ飛んだら姿を見る以前に俺がぺちゃんこじゃねぇか!』
それはそれで好都合だとは言わなかった。死ねば令呪は消えてなくなる。確認の手間も省けるというものだ。
「なるべく壁から離れて物陰に潜んでおけ。それでリスクはかなり減る」
『リスクのない行動をしろって言ってんだろうが! あとでぜってー殴るからなこんちくしょう!』
その場合はクロスカウンターで逆に殴り返そうと思いながらもキャスターの背後の音へと集中する。二度、三度、四度。そして、五度目にようやく何度も聞こえていた打撃による重低音が、破壊音へと変化した。
扉が貫通した。それ以上の音がしないことから、キャスターが危惧した防護壁が吹っ飛ぶほどの威力はなかったらしい。しかし同時に追撃音がしないところから、どうやら敵はキャスターを殺さず生け捕る可能性が高い。
猶予があることは嬉しい限りだが、これはキャスターと真っ向から対峙するだけの自信が相当あるらしい。キャスターの戦闘能力は極秘にしているので敵方に漏れている心配はないが、できれば実力を計られる前に全てを終わらせたい。
「キャスター、襲撃者を見たな?」
『あ、ああっ! 確かに、見たぜ!』
そのキャスターの声と同時に署長は自らの令呪を行使する。
「キャスターよ! その場を離れここに来い! 今すぐに!」
署長の言葉に反応し、手の内にあった一画の令呪が莫大な魔力を行使して消えていく。同時に目の前に出現する、空間のうねり。
空間跳躍は令呪の命令と殆ど同時だ。例えそのことに気付いたとしても襲撃者が何かを仕掛ける隙はない。そして即座に署長の目の前に出現するキャスター。その姿はどう考えても無様といえたが、このキャスターに対し格好良さを求めるのは酷だろう。
「はっ、はぁはぁ……た、助かったぜ、兄弟」
「無事で何よりだキャスター」
召喚して以来数えるほどしか面と向かって会っていなかったが、ここまで焦燥しているキャスターは初めてだった。命の危機を感じていたのだから当たり前ではあるが、もっと剛胆な性格ではないかと署長は勝手に判断していた。
「それで、申しわけないが、襲撃者の顔や体格を教えてくれ」
「そいつは了解したが、しかしなんでこんなにスタッフが少ないんだ。あ、あと水を先にくれ」
「今は第二種警戒配置だ。念のため定点防御に徹している。水はくれてやるが、さっさと――」
似顔絵なりなんなりで情報を寄越せ、と署長は言おうと思った。だがその前にキャスターの言葉に疑惑を感じる。
何故、キャスターは最初にここのスタッフの状態を確認した?
「署長! システムチェック終了しました! やはりシステムに異常あり、各通信網が意図的に切り替えられています! 現在サブシステムに切り替えて対応中!」
「今観測班が現場に到着しました。やはりランサーの姿は確認できません! モニターに流された画像は昨日のものです!」
「《捲き憑く緋弦(アリアドネ)》、再アクセスしましたが、ランサー反応ロスト! 宝具は既に自壊しています! データ改竄の痕跡も発見しました!」
同時に次々と暴露される事実。
そしてキャスターにはつい昨日システムの根幹である《スノーホワイト》の確認をしてもらったばかり。こうした仕掛けをしようと思えばできなくはないだろう。
状況証拠からして怪しいのは間違いない。あの堅牢な地下にある“籠の鳥”からこうして今まで明かしてもいなかった本部へも来られたわけだし、今キャスターの元へは新情報が次々と入ってきている。
反面、キャスターがそんなことをする可能性は低いのも確か。手にある令呪はまだ二画あり、反旗を翻すにはあまりにリスクが高すぎる。
「《捲き憑く緋弦(アリアドネ)》? もしかして位置情報を知らせるアレのことか?」
コップの水を飲み干しながら、幾分の余裕を――いや、はっきりとした余裕を見せながらキャスターは署長の前へと歩み寄る。
まるで、もう注意すべき山は越えたとばかりに。
「お前らそんな名前をあの宝具につけていたのか? 確かにそういう機能はあるが、その一面だけを見すぎじゃねえか。もっと側面もよく見ようぜ?」
《捲き憑く緋弦(アリアドネ)》とはミノタウロス退治に出たテセウスをダイダロス迷宮から救い出すために用いられた麻糸から昇華された宝具――と聞いている。その糸の呪縛にかかった者の位置を常に把握するための宝具である。キャスターに宝具を命名する意志がなかったため《二十八人の怪物(クラン・カラティン)》で勝手につけられたモノも多い。
「――何を言っている?」
「あの宝具の名前は《路上の残飯(ブレッドクラム)》って言うんだぜ?」
《路上の残飯(ブレッドクラム)》――それは童話『ヘンゼルとグレーテル』にて森で迷子にならぬよう通り道にパンくずを置いていったというエピソード。位置を知るという意味では同じだが、《捲き憑く緋弦(アリアドネ)》と明確に違うことはただ一つ。
《路上の残飯(ブレッドクラム)》は時間経過と共に位置情報機能を失わせていく。
呆然と、署長はコーヒーカップを片手にキャスターの告白を受け止めていた。
間抜け面といわれても仕方がない。だが、署長が混乱するのも仕方がない。現場指揮官として数々の戦場を走り抜けたことのある署長であっても、敵本部のど真ん中で「裏切り」を宣言する者に出遭ったことはなかった。ここでの多くの者がする対応とは「疲れているんだろう。しっかり休め」という思いやり溢れた哀れみの視線を向けることであるのだろうが、あいにく署長は違った。
キャスターは本気である、と署長は直感した。
迷ったのは一瞬。なまじ選択肢があっただけに即決即断できなかったのが署長の敗因だった。その一瞬によって、コーヒーカップを持っていたその手に衝撃が走った。
その感触には覚えがある。と、いうよりもこの感触は、つい数十秒前に感じ取ったもの。
令呪の、喪失。
「そんな、――馬鹿な!」
署長の叫びも虚しく、令呪の一画は署長が命令をしたわけでもないのに先ほどと全く同じように莫大な魔力を行使して消えていく。
そして同時に目の前に現れる空間のうねり。
【……追想偽典……】
キャスターの時と全く同じような現象に署長は機敏に反応した。目前に顕現したのは黒いローブを纏った美しい女性。マスターである署長だからこそ、この女がサーヴァントであることは一目で分かった。
対象が行使した魔術や奇跡を再度強制させる宝具――瞬間的に走馬灯めいた思考の加速が署長にもたらされる。コーヒーカップを投げつけるモーションをしながらもう片手では引き出しから拳銃を取り出そうとしている。足は床を蹴りつけ椅子に座ったまま後方45度へとジャンプしようとしていた。
しかしながら、それがどれだけ高速で行われたとしても、既に遅い。
「紹介しようじゃねえか。これが俺を襲った襲撃者の姿だ」
あまりに突然のことに周囲のスタッフはこの事態に気付いていない者も多い。よしんば気付いていたとしてもあまりに堂々としているので違和感を覚えてもそこまで。まさかこの本部にいきなり敵が出現するなど想定するわけもない。
「総員! て――」
署長が叫べたのはそこまで。「残念、遅い」とキャスターは呟き、アサシンの肩を掴む。あとは、アサシンが力ある言葉を放つだけ。
【……回想回廊……】
連続して行使される奇跡。
派手さに欠ける微風だけが辺りに撒き散らされる。
たった今目の前にいた筈の署長が突如現れた黒服の女性に触られたとたんにいなくなる。そんな光景を目にした秘書官は手にした資料を床に撒き散らし、抜けた腰を床に強かにぶつけながら何の声も発することができなかった。
署長の最後の声を聞いたスタッフが現状を正しく理解する数分間、本部は上を下への大騒ぎの様相を呈することとなった。
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遠くで何か建物が崩れ去る音を聞き、無意識にアーチャーはその方向へと視線を向けた。鬱蒼と茂る森の中とはいえど、英霊たるアーチャーが音のした方向を間違える筈もない。
反響する音をなんとなく計算すれば、音がしたのはスノーフィールドの中央付近。スノーフィールド中央部のビルはどれも高いものだ。あいにくとアーチャーの位置からどのビルが倒れたのかは判断は付かなかったが、それなりの大騒ぎになるであろうことは予想するのに難しくない。頭の中の地図を思い返せば病院と警察署があった筈。となれば街中の不審な気配が何かをしたのかも知れない。
だが英雄王たる彼はそれについてすぐに興味を失った。誰かが何かをしたのだろうが、そんなことは彼の知ったことではない。
彼の興味は、目前の老人にある。
「ふん。無様な格好ではないか」
「これは、英雄……王。このような……醜態を晒して……申しわけありません」
口から血の泡を吐き出しながらそれでもなお礼節を重んじ笑みを浮かべているのはティーネの相談役と称していた老人だった。
老人は深い傷を負っている。英雄王の蔵には薬もあるが――それでももう遅い。延命こそ可能だろうが、この傷でその選択肢は酷でしかない。それにもとより使うつもりもない。
「この周囲の者は、お前の部下か?」
「いえいえ……私と同じく族長に忠誠を誓うだけの……者達です」
そんなことを言いつつも、この周囲に散らばる肉の塊の中でなんとか原型を留め死にかけとはいえまだ生きている老人を見れば上下関係は一目瞭然だろう。
森の中は死で満ちている。木の枝に男の頭部が突き刺さり、木の幹に武器を持った手だけがそのまま食い込んでいる。腹から上下に別たれ壮絶な死に顔をした者もいる。むしろそうした者は救いがある方で、死に顔すら満足に見られない者の方が多い。
だがこの状況は敵が卑怯卑劣で残忍な手を用いてこうなったわけではなく、この老人達が全力を賭して挑んだ結果としてこうなっただけだ。
こんな刑場の如き様相を示してはいるが、だが最後に老人が一人生き残ったということは一矢報いたということだろう。
老人が先日も持っていた長年使われてきた棒はその半ばが向かいの木にそのままめり込んでいる。釘の様に鋭いわけでもないのにこうしたことができるのは老人の確かな技量の賜だった。
そして生涯最後にして最強最大の一撃だったに違いない。
「よくやったではないか」
「お褒めの言葉……ありがたく頂戴しますが……その言葉、できれば皆に……かけてはいただけぬでしょうか」
滅多に褒めぬ英雄王の言葉に、老人はその言葉を死んでいった者にかけて欲しいと願った。
「……最期まで図々しい奴よ」
先日の件といい、一々忠告してくる者というのは何とも鬱陶しい。その上でこれが末期の言葉と思えばますます無視するわけにもいかなくなった。
物言わぬ骸となった老人の目を閉じさせる。労りがあったわけではないが、今にも目線が合えば五月蠅く口を開きそうだと思ったからに過ぎない。
血で汚れることを厭わず、森の中へと入る。未だ乾くことなく滴り落ちる血が頬を汚すが、それにも構わずアーチャーは周囲を探索する。敵の手がかりとなりそうなものを探すが、それらしきものはない。ただ、血の匂いを嗅ぎつけたのか周囲に獣の気配がする。死骸をさっそく見つけ卵を産み付けようとする蠅が周囲を飛び交うが、それにすら英雄王は頓着しない。一人一人の死骸を英雄王自らが丹念に調べ、早計一〇名の死体を見聞し終わった頃には太陽が真上に昇っていた。
状況は推測できた。どうやら彼ら一〇名は何者かを追い、ここで全滅となった。ただ、この様子を見る限り全滅には違いないが返り討ちにあったわけではないようである。先の老人を除いた九名は、明らかに死ぬことを前提に動いた死兵。自らの犠牲を厭うことなく敵の注意を逸らし、疲労を誘い、隙ができる一瞬を作り出す。
ここまで実力差があるということは、相手はサーヴァント。となれば、彼らは生身の人間でサーヴァントを討ち果たすという偉業を成し遂げたということになる。一般兵一〇名とサーヴァント一体を比べるならそれはもう大戦果というべきものだろう。だが残念ながら他のサーヴァントならいざ知らず、このアーチャーにあってはその評価はほとんどゼロに等しい。
バラバラになっていながらも全員を確認したが、どいつもこいつも皺だらけの爺共である。犠牲になるのは老兵で十分とでも言いたかったのだろうかと勘ぐってしまう。その気になれば若い者の中にもティーネに忠誠を誓う強く精強な戦士を少ないながらも用意できただろうに。
「無駄なことを」
そう、呟かずにはいられない。
結論として、アーチャーは肝心の敵の手がかりを得ることはできなかった。
ここにいた敵はマスターとサーヴァント一組のみ。そしてサーヴァントが時間を稼いでいる隙にマスターは逃げたのだろう。その気になれば逃げたマスターを追うことも可能だが、残念ながらそういったスキルをアーチャーは持ち得ず、そして時間がかかりすぎる。空を見上げれば遠くには曇り空がある。まだ数時間は保つだろうが、雨が降り始めたらもう追跡は不可能だ。
「ちっ」
舌打ちをして、散々血で汚れたジャケットを脱ぎ捨てる。同時に蔵を開いて薬品を一つ取り出し周囲へと中の液体を撒き散らす。
彼らの死は英雄王にとってそう意味のあることではなかった。だがけしかけたのがアーチャーである以上、彼らの死の責の一端は英雄王にある。
砦を閉ざした以上、彼らの死骸を原住民が回収することはできない。ここでただ腐らせるのはあまりに見苦しく、そして無責任過ぎる。
「手間をかけさせる」
末期の言葉ですら族長を頼むと言わなかった名も知らぬ老人にビンに残った最後の薬を振りかける。この老人なら最期にそう言うだろうと予想したが外れてしまった。それがこの老人の英雄王への信頼だというのが尚のこと腹立たしい。
程なくして燃え上がる死骸はものの数分で骨まで塵とすることだろう。
「雨が降る前にもうしばらく見回るか……?」
こうした雑兵の仕事は英雄王らしくはないが、英雄王には他の誰にも邪魔されたくない理由がある。
朋友との再会。
それは誰にも邪魔されることなく静かに行いたいものだ。
決着を付けるのは別として、今一度話はせねばなるまい。それが友誼であるし、決着を付けるべきライバルとしての礼儀でもある。
この辺りで人形めいた男を見たと原住民の情報部隊員らしき男が漏らしたのを聞いたわけだが、少し立ち寄っただけであの老人達の戦闘の痕跡があった。ここに誰がいるのかは知らないが、誰かがいたことは確からしい。
さすがに倒されたサーヴァントが朋友だとは思わないが、朋友を狙ったサーヴァントである可能性は高い。だとすると、戦力は高くとも戦闘を忌避しかねないあの朋友なら逃走も十分にあり得る。
数分も歩いてみたが、それらしきものはなにも見当たらない。アーチャーのクラスらしく雑に見渡しているようでその細部も実にハッキリ認識できている。
「……ん?」
と、そろそろ諦めようとしたときに、目の前から何やら歩いてくるモノがいる。何しろ森の中なので雑草もありそこそこ身長がなければ見通しは利かない。逆に言えば、見通しが利かないところを通るモノは獣の証である。
だが、その獣はまっすぐにこちらに迷いなく歩いてくる。この近辺の動物は人間を忌避し向こうから回避するのが普通であるが、どう見ても獣の目標はアーチャーである。そしてその上で獣は気配を隠そうともせず、獲物としてアーチャーを狩ろうという殺気すらもない。
そしてアーチャーから数メートルほど離れた草木も生えていない場所で、獣は姿を現した。その外見は狼に酷似しているが、その銀色の毛並みをはじめどこか違うようにも見える。銀狼はそのまま腰を落としてアーチャーと視線を絡ませ合う。
肉食獣からその高貴さ、気高さ、崇高さを感じる者は多い。かくいうアーチャーもその一人であるが、しかし目前の銀狼にはそれとはまた別の何かを感じさせてならない。
「何者だ?」
問うてはみるものの、もちろん銀狼は何も応えない。わずかに感じる魔力の反応に使い魔の可能性を考えるが、それにしても堂々としすぎている。
さすがに訝しむアーチャーではあるが、すぐにその銀狼の前足にあるモノに気がつく。
その前足には、傍目にはただの傷にしか見えぬ魔力の塊が刻まれている。その数は一画だけではあるが、その塊は確かに令呪と呼ばれるものだった。
「貴様、マスターか」
言葉が通じるとは到底思えないが、それでも問わずにはいられない。
ここにランサーがいるという噂。老人達の戦闘。サーヴァントを傍に侍らせぬ獣のマスター。全てを総合して考えれば、この銀狼がランサーのマスターか。
となると、あの老人達の行動も明かだ。目的はアーチャーと同じ。だが先んじて動いていた敵と遭遇し相打ちということになる。結果的に、彼らはこのランサーのマスターを助けたことになる。
「この英雄王に貸しを作るとはなかなかできることではないぞ?」
逝ってしまった老人共の顔を思い出そうとするが、もう思い出せそうにない。となれば、貸しを返す先は一つしかなさそうである。
銀狼と見つめ合うこと数秒。そこで銀狼は腰を上げ、来た方向とは直角に移動する。数歩歩けば、再度アーチャーを見つめてくる。
「ふん、この我を案内するということか?」
優雅さとはかけ離れたこの作業に嫌気がさしてきたところだが、こうしたイベントに出くわした以上、無視するわけにもいくまい。動物に好かれていた朋友である。これが迎えの使者ということもありえるだろう。
だがアーチャーの期待に反して、案内されたのは人ではなく場所であった。
「川……だと?」
思わず意図が分からず銀狼を見やる。銀狼は川にある大岩の一つに大人しく座っている。
川の水は冷たく、実体化し続けてわずかに汗ばんだ身体に水浴みはさぞ気持ちのいいことだろう。
アーチャーが近付いても、銀狼はその場から動こうとはしなかった。その柔らかな毛並みに触ってみても、嫌がりもしない。令呪に触れても、何の反応もなかった。
「まさか、我に水浴みをさせようと案内しただけか?」
「わふん」
その通りですとばかりに銀狼は初めて声を出す。
銀狼はランサーがこの場にいないことを知っている。そしてランサーの記憶を垣間見ていた銀狼は目前のアーチャーがランサーの朋友であることを知っていた。
だから、というわけではないが、いずれこの場に帰って来るであろうランサーのために、ここで接待するのは自分の役目だと銀狼は獣らしからぬ思考でアーチャーをこの場へと連れてきていた。
「成る程。お前の“主人(マスター)”は不在か」
アーチャーの言に銀狼は返事をすることなく周囲を見渡した。まるで、水浴びの最中での周辺警戒は任せろと言わんばかりである。
マスターを放置してあの朋友が一人で行動する理由は思いつかなかったが、いつまでもマスターを放置する朋友でもない。
「ふん、本気でお前は我がここで水浴びをするとでも思っているのか?」
常人であれば、ここで水浴びなどするまい。むしろ、罠と考え逆に周辺警戒を密にするべきところだ。これがランサーのマスターでなければアーチャーは即座にこの畜生を串刺しにしているところである。
だがここにいるのは万夫不当の英雄王ギルガメッシュ。常人の対極の対極の対極に位置する英霊の中の英霊、他の追随を許さぬ希有な価値観の持ち主である。
「丁度我の脚絆も血に汚れて気持ち悪かったところだ。奴のマスターだけあってなかなかに気が利くではないか」
呵々と笑いながら躊躇もなく全裸になると川の中へ足を入れるアーチャー。
これがアーチャー、英雄王ギルガメッシュと、ランサーのマスター、銀狼との馴れ初めである。
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目が覚めたのはもう昼も過ぎた頃合いだった。
筋肉が久しく機能しなかったことで身体中が軋んでいる。天蓋付きの見慣れた族長専用のベッドであるが、こうしてまじまじとみると想像以上にでかいように思える。もしくは、自分が小さくなったのかと錯覚する。
腕の中で必死に抱いていた椿の身体は、どこにもない。その温もりが残っているようにも思うが、それは気のせいなのだろう。
ティーネ・チェルクは現実へと帰還していた。半ば推測だらけの方法ではあったが、上手くことは運んだらしい。
「姫様、お目覚めになられたのですか」
ティーネの目覚めにすぐに気がついたのか、長年連れ添った乳母がすっかり窶れた顔で目に涙を浮かべて目覚めたティーネに寄り添ってくる。場合によっては無礼極まりないことではあるが、大きすぎるベッドに小さなティーネが横になるとこうでもしないと顔も見られない。
いずれ時がきたら小さなベッドを用意しようと頭の隅で考えておく。代々の部族長が寝所として利用してきたここは成人男性が複数人の女を連れ込んでいた寝所である。未だ成長途中の女子が寝るには不便極まりない。
「その呼び方はもう止めてください。私は族長です」
「私にとってはいつまで経っても姫様は姫様ですよ」
涙ながらに語りながら乳母は温かいスープを差し出してきた。いつ目覚めるかも分からないというのに温かいということは、冷める度にスープを用意させていたのだろう。子供扱いされることに多少抵抗はあるが、母親以上に献身的な乳母の行為は素直にありがたかった。
「私が眠って、何日が経ちましたか?」
「三日と半日といった頃合いでしょうか……本当に良かった。薬が効いているはずなのに起きる様子がないのですから!」
乳母の言葉は夢の中での経過時間とほとんど変わりない。だとすれば夢の中で聞いた女医の言葉を信じるなら聖杯戦争に大きな変化はない筈。だが、三日という日数は組織として変質を促すには十分に足る時間である。
面倒ではあるが、これは色々と確認する必要がある。
「何か他にお持ちしましょうか?」
「いいえ、結構。その代わり現状報告を聞きたいわ。内密に相談役を呼んでください。他の者には気取られぬよう、そして迅速に」
ティーネの言葉に乳母はやや曇った顔になるが、「わかりました」とすぐに部屋を出て行った。それだけでティーネの予想は半ば当たっているのだと理解する。名残惜しそうに部屋を出て行く乳母を見送り、ティーネは意識を切り替える。この要塞内にいるとはいえ相談役全員を集めるのにもやや時間は必要だろう。その間にできることは早い内にしておくべきだ。
申し訳ないと思いながらも飲みかけのスープを台座へと戻し、軽く呼吸を整え意を決して身体を確認してみる。今着ているのは寝間着代わりのローブで、下着は穿いていない。三日間寝たきりだったというのに汚れないということは乳母が処理してくれていたのだろう。
だが、確認したいのはそんなことではない。
今ティーネの身体を駆け巡る魔力は夢の中とは違い圧倒的である。スノーフィールドの地そのものから供給される魔力はアーチャーに供給する魔力を差し引いても余りある量で、その手にある三画の令呪にも問題はない。やや慎重に調べてはみるも、そこに澱みはない。そのことに安堵と不安を感じながら、避けては通れぬ道と、ティーネは思い切って自らの丹田に己の魔力を巡らせてみる。
「――っ」
結果はすぐさま表れた。浮かび上がったのは胸から下腹部にかけて描かれた紅い魔法陣。簡素に見えて実に複雑な術式を織り込まれたそれはティーネに適切な形で魔力を送り込む変換器である。
乙女が自らを捧げようという一世一代の決意に対し、これを描いた本人は「ごめん、なんか勘違いさせちゃった」とか「十二歳を抱くのは無理」とか「他にも方法はたくさげはぁ!」とか言っていた。ちなみに最後のはティーネが無礼者の顎を殴り飛ばした時の台詞である。
とはいえ、魔法陣はフラットの血液を用いた歴とした魔術の塊である。性行為こそしなかったもののティーネの未発達な胸や将来を感じさせる臍周り、特に子宮のある下半身をこれ以上ないほど弄り倒した(正確には魔法陣を描いた)フラットの魔術は今現在も彼女の身体に魔力を供給している。
他者からの魔力提供は子宮に射精されるのと似た快楽とも聞く。欲求不満めいた感覚に自慰の誘惑にかられるがそれはおいておく。
「こんなことであの夢が現実だったと証明されるのもどうかとは思いますが……」
最悪、眠っていたあのできごと全てがティーネの夢である可能性もあった。他のマスターとの同盟、ライダーとランサーの戦い、“偽りの聖杯”、全て荒唐無稽といえばその通り。だが、夢の中でフラットにかけられた魔術は現実にティーネに影響を及ぼし続けている。これがあの夢が現実であったという何よりの証である。
もう必要ないのでさっさとこの魔法陣を消したいのだが、これは一体どうやったら消えるのだろうか?
そんなことを思いつつ時間を考え身だしなみを簡素ながら整えていると、扉をノックする音がする。集まるにしては早すぎる。大した準備もできていないが、今は時間が惜しい。入れとティーネが命令すれば、乳母が相談役を引き連れて入室し、そのまま何も言わずに退室していった。
ここにいるティーネと相談役はいわばこの原住民の実質的頭脳である。末端やその縁者、支持者を含めれば数千人まで膨れあがる人数を考えるとトップにはそれ相応の権限が必要とされる。そして、そのためにティーネと相談役以外の者はこの場に立ち会うことが許されない。
「お目覚めになって何よりです」
「申しわけないけれど、そんなことよりも時間が惜しい。現状の報告をして欲しい……が、あなた達は今何をしていたのかを先に聴いておきたい」
口々に挨拶をしようとする相談役にストップをかけ、ティーネの視線が先と打って変わって厳しいものへと変化する。
当然だ。相談役というのは原住民のトップであるのは周知の事実。そして、そのトップの中のトップであるティーネが一時的とはいえ倒れた以上、話し合う内容は自ずと知れてくる。話の詳細こそ分かるわけもないが、相談役が中途半端なこんな時間にこうも早くこの場に招集できたのがその証拠であろう。
ティーネの視線に慌てた者が一人。そして目線を逸らした者も一人。いずれもテロを容認する相談役の中でも割と比較的若手の過激な急進派。どちらかといえば保守派に属するティーネが強大な権限を持って彼らを排斥していないのは建前だけでも組織を一枚岩としておきたかったからである。
この聖杯戦争の最中である以上、一致団結する必要があるのに、これでは足を引っ張り合うばかり――
「……待ちなさい。何故、一人いないのですか」
九名の相談役を呼んだというのに、ここに座すのは八名のみ。あえて名前を呼ばず相談役の人数で判断したかのようにティーネは振る舞うが、その実、最も頼りにしていた者の姿がここにはない。
「ああ、そのことですか」「祖父殿でしたら先日から」「我々もそのことで話し合っていたのですよ!」「気の毒なことでした」「何せ急なことでして」「新たな相談役が必要であると」「ここは一致団結し」「推薦したい者が」「英雄王の差配にも困ったもの」「責任をとられたのでは?」「そんなことより訴えたいことが」
次々と勝手なことを言い始めた相談役だが、その全ての言葉をティーネは違えることなく耳に入れた。彼らは他者の言うことなど端から聞いておらず、自分勝手なことを恥知らずにも平気で口にしてみせる。
まだ族長の地位に着いたばかりの頃、政治についてろくに分からぬ部分もあって、そのために重要な案件については相談役にそのまま任せていたことがある。そうして一度でも頼られたという実績が彼らの強みとなり、結果的にこうした暗愚な者をこの場に招き入れることとなってしまった。
これを失策というのは早計だろう。万能なる人間などどこにもおらず、また真に無能なる人間もいやしない。最善手が最良の結果となるとも限らず、また最悪手が最良の結果を招くこともある。
一言で言ってしまえば「仕方がない」。
「――よく、分かりました」
五分近くも好き勝手に話した相談役にティーネは静かに告げてみせた。
さすがに族長の言葉を遮ることもできずまだ喋り足りない様子ではあったが、部屋の中には沈黙が落ちる。相談役全員が、次に発するティーネの言葉を待っていた。そして都合のいいことに、口を開いていた相談役は己の訴えが通るとばかり思い愚かにも自然頬が上がっていた。
「( )」
言葉は、そこにあったのかもしれない。
意志も、思惑も、そして感情も全てを乗せて、ティーネは己が魔力を解放した。久方ぶりに使用した魔力は思ったよりも出力が強かった。
元より族長の条件の一つがこのスノーフィールドの地に愛されていること。それは即ちティーネが魔術使いとして最も優れている証左でもある。
ただの一撃で、相談役八人の内五人が抵抗する間もなく消し炭となる。残った三人は、始終一言も発しなかったティーネが心から信頼している腹心である。
「……一応、苦言を呈しておきますが、急進派連中は黙ってはいないでしょう」
「私のサーヴァントは暴君です。ならば、そのマスターも暴君になってもおかしくはないでしょう」
ある程度予想はしていたのだろう。確認をするように問うてくる腹心にティーネは静かな覚悟を持って答えた。
怒りがそこにあったのは確かであろう。だが、怒りだけで組織の頭を半分殺すことなどしはしない。もはや必要ではない、そう判断したからこそティーネは彼らに裁きを与えた。早まったわけではない。むしろ遅すぎたくらいだ。
聖杯戦争を目前に控え組織を纏めるのに妥協し足並みを揃えようとしたのが拙かった。一人旅立たせてしまった祖父に詫びる言葉もない。
「まぁ、彼らのおかげで大方のことは理解しました。英雄王が籠城を命じたのですね?」
「はい。我々相談役で話し合い、現在物資の調達を急遽行っております」
実際に話された内容から籠城とは少々ニュアンスが違うようであるが、夢の中であれだけの感染者と戦ったティーネだ。アーチャーがどういう意図で命じたのかは分からぬが、疫病であるライダーの存在を感じ取っていたのかも知れない。
だがそれだけというには腑に落ちぬところもある。
これは、直接話を聞く必要があるだろう。
そして、こちらからも話をする必要がある。
――いや、その前に“偽りの聖杯”を確認するのが先か。
「私はこれから外へと出ます。護衛は不要。後のことはあなた達三人に任せますが、我々一族の安寧を第一に動いてください。穏便に進められるならそれが一番ですが、必要とあらば粛清を行っても構いません」
一応内密に喚び出したのだから、まだティーネが目覚めたこと知る者は少ない。この場でいきなり相談役を殺されたなど予想する者もいまい。うまくすれば一日くらい相談役不在でも誤魔化せる。そこから先は、相談役の頑張り次第。
ベッドから降りて服を着替える。ここにいる生き残った相談役はティーネが幼い頃より心を寄せていた身内である。今更恥ずかしがる関係にはない。いつも通り白いドレスを身に纏ったティーネは下を向く三人に最後になるかもしれない命令を下す。
「私が倒れた場合、敵を討とうなどとは絶対に思ってはなりません。次の族長はあなた方三人で選んでください。汚名は全て私に被せ、原住民が生き残ることを第一に。誰一人として命を粗末にはさせないでください」
ここで五人もの相談役の命を奪ったティーネだ。暴走したティーネが全て悪いとすれば、これでティーネが死んだとしても組織そのものはその死を最大限に利用することができる。
「……姫様も、命を粗末になさらないでください」
「その呼び方はもう止めてと言った筈よ叔父様」
その忠告には答えず、幼い頃の呼び方で相談役に別れを告げてティーネは部屋を後にする。あの最強無比のアーチャーがティーネの補佐を必要とする筈もない。マスターであるティーネはこのまま関することなく籠城をした方が絶対良いに決まっている。
だが、そんな簡単な選択肢を前にしてもティーネはその命を賭して要塞の外に出なくてはならない。
今、ティーネの前には二つの選択肢がある。
一つは、マスターとしてアーチャーと協力し“偽りの聖杯戦争”を戦い抜く道。
そしてもう一つは、スノーフィールド原住民の族長として、サーヴァントの力を必要とせずに“偽りの聖杯戦争”を終わらせる道。
単身、彼女は要塞の外へと歩み始めた。
彼女の選択肢は無限にあるが、その足先は既に決まっていた。
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《捲き憑く緋弦(アリアドネ)》。
プレイヤーはペルセルスを召喚できるので原住民要塞を攻略する時に使おうと思っていたのだが、同じ宝具名が二つあるとややこしいのでやめておいた。まさかこのせいでペルセウスの出番がなくなったとは思うまい。
相談役の老人。
個人的な縛りとして、同じ脇役を二度登場させない、というものを課していたのだが、なんか人気だったので再登場。もちろん今後はない。
アーチャーの捜査。
アーチャーらしからぬ行動が多いが、それはまあ本気になっている、ということで許して欲しい。しかしアーチャーが本気を出せばすぐに会えると思うのだが(原作ではすぐ会って戦ってるし)、ランサーは謎の集団に襲われるしマスターは動けないし、かと思えば令呪で飛ばされたりしてるので会えずじまい。今回はニアピンもしてるのだが、その穴埋めのために銀狼は接待していたりする。
フラットからティーネへの魔力供給。
あの状況と話の流れでまさかの正論が繰り出されるとは誰も予想できはしまい。
粛清。
反乱フラグを折るための行動。本当はフラットが裏帳簿を見つけ、資金の流れから相談役を怪しく思い、ティーネが糾弾する、という流れだったのだが、全部削除。