Fate/strange fake Prototype -Another Player- 作:縦一乙
その宝具の名はその開発コードをそのままとって《ノア》と名付けられている。その名からも分かるように、元となったのは旧約聖書の創世記に登場するノアの方舟そのものである。
アララト山で発掘された断片は既にその機能を失いつつあり、キャスターの力量を以てしてもその断片が真価を再現するには至らなかった不遇の宝具である。だが、かの大洪水に耐えるべく作られたこの宝具は現代においてなおその機能を所有者不在のままに効果を発揮する。
その効果は、
「局所的時間停止――いや、時間遅延ってところかな」
そんな結論を、ランサーは罠にはまる前から気づけてはいた。
ギルガメッシュ叙事詩にも登場する方舟である。実を言えば生前にその作り方を耳にしていた。確か当時の触れ込みは時間遮断の域にあった筈だが、皮肉にもどうやら長い年月で劣化しきってしまったらしい。
とはいえ、別段懐かしさからランサーはこの《方舟断片(ノア)》に取り込まれたわけではない。通常のサーヴァントであればこの結界から脱出するのさえ困難であろうが、ランサーに限っていえば例外である。いつでも脱出できるのだから、いっそのこと敵陣深くに侵入しようという魂胆であった。
最初は、であるが。
「しかし、困ったことになりました」
《方舟断片(ノア)》の結界は時間遮断ではなく時間遅延である。それ故に時間の影響を受けてはいるが、周囲の光や音といったものも当然出入りしている。こうしたランサーの呟きも外に筒抜けなのだが、ただの人間にこれを聞き取ることは不可能だろう。《方舟断片(ノア)》の内側と外側での時間差はおよそ一〇〇から二〇〇倍で一定すらしていない。それは結界内側にいるランサーにもいえることであったが、人ではないランサーにとって何倍速で話されようと言葉を理解するのは然程難しいことではなかった。
だがこうして情報収集している間にきな臭い話になってきた。
時間としてはランサーが捕獲されてから約半日後のこと。詳細は不明であるが、どうやら親友の手によってスノーフィールドの街は大惨事になっているようである。実際に見ていないので何ともいえないが、街がゴーストタウンと化したという話はあちこちから聞こえてきた。だが、それだけならランサーにとっては些事に過ぎない。
問題は、その直後にこの結界に囚われた者がランサーだけではなくなった、という話を耳にしたからである。しかもそれが一人どころではなく、全員が知己ともあれば尚更である。いや、まだ知古程度であればまだランサーも悩まずに済んだともいえよう。
召喚されてから、ランサーが助ける義理を持ってしまったの者がいる。己がマスターを保護し助けたティーネ・チェルク、フラット・エスカルドス、繰丘椿の三名だ。他のマスターや親友を除くサーヴァントならば容赦なく見捨てるつもりであった。
だが、捕まったマスターは事もあろうに無視するわけにはいかぬ者ばかり。
ティーネ・チェルク。
フラット・エスカルドス。
そして――マイマスター。
さすがのランサーもどうしようと悩まざるを得なかった。これは何かの試練だろうかと思わなくはないが、単純に敵がこちらの予想よりも数枚上手であっただけだろう。
ランサーが銀狼と長時間離れて行動していたのは単純にその方が見つかる可能性が高くなるからだ。森の中でランサーがいればどうしたって目立つし、どんなに素早く動けようと視線という網の目を全てかいくぐるのは不可能に近い。街中に出てこない限り銀狼は単体で行動していた方がよっぽど安全な筈であった。
マスターの状況を完全把握しているわけではないが、ランサーは然程心配してはいなかった。銀狼も銀狼で怪我が治ったばかりの体力不足もあって、よほどのことがない限り銀狼はあの場から動くことはしない。むしろ、何か動かざるを得ないような事態があればパスを通してその感覚は結界の内外を問わずに共有できる筈。
だというのにそれすら、ない。
外界での時間はわずか一日足らず。その間に銀狼の位置を特定し気付かれる間もなく捕獲してみせるその手際は鮮やかを通り越して異常過ぎる。これはもはや練度がどうとかの域ではない。
すぐさま結界を壊し、マスターをはじめ他二人を助け出さなかった理由はそうした不可解な状況を早急に打破すべく、情報収集が必要と感じたからだ。
幸いにも結界に囚われた、ということでその身の安全は保証されているともいえる。
しばらくは、であるが。
「……やれやれ」
状況把握に努めようと耳を欹てても入ってくる情報は真偽も分からず、どれもこれも断片的な上に暗雲立ちこめるものばかり。やはり場所柄、入ってくる情報にも限界があった。大袈裟にため息をつきたくなるところだが、そこは一応自重しておく。
ランサーが封印されているのはスノーフィールド中央地下にある格納庫内の片隅である。普通こういった捕虜を幽閉するのは狭い独房と相場が決まっているが、諸事情によりそうもいかなかったらしい。情報源たる見張りの愚痴によるとランサーを捕らえた一辺十メートルの立方体《方舟断片(ノア)》は比較的大型のものらしく、基地内でもこの場所ぐらいしか置いておくことができなかったようである。
だがそのおかげで《方舟断片(ノア)》を壊す真似をせずにランサーは情報を集めることができた。
格納庫に出入りする人通りは激しい。ランサーが封印されているとはいえこの地下格納庫は当然のように大型重機や魔力の香り漂う航空機が鎮座していたりする。出入りしているのはそうした機器の整備兵なのだろう。中には封印されたランサーに危機感すら抱いていない者も多く、中には写真を撮る者まで出る始末。程度は低くとも雑談だけでも情報には事欠かない。
その雑談から他三人の状況を推測するに、ランサーよりもかなり小型の《方舟断片(ノア)》がいつでも移動できるようトラックの荷台で管理されているらしい。結界を解いて殺していないところから、彼らの役割は人質なのだろう。
サーヴァントであるランサーはこうして封印するだけで意味はあるが、捕まえたマスターについては他のサーヴァントを釣る餌とする必要がある。特にティーネと銀狼が捕まったとなれば親友が動かぬ筈もない。
そう予測できるだけに敵の作戦は明白。狙いはアーチャーただ一人。親友をおびき寄せ罠に嵌め、自らの優位を持って殲滅する。いくら単独行動スキルがあるとはいえ、見え見えの罠であろうとこの挑発に親友は乗らざるを得ないだろう。
作戦の詳細までは掴めなかったが、決行日時と場所は掴んだ。そしてひっきりなしに格納庫で人が駆け回り、運搬用トラックが何台も出て行っているところからかなりの数の実働部隊がこの作戦に参加するらしい。
慌ただしいことだと思いながら、ランサーはその時を待つ。
本来ならもっと時間がかかると踏んでいただけに計算違いではある。何でも、スノーフィールド市内における重要拠点が奪われたとかで作戦が前倒しになったせいらしい。敵さんも計算違いのようであれば、つけ込む隙はそこになるだろう。
罠に飛び込むのが親友たるアーチャーなのは確定だ。後はバーサーカーとアサシンが乗り込む可能性が高い程度。けれども罠の中央にいる筈のマスター達に辿り着いてもこの《方舟断片(ノア)》から解放する手段がそうあるとも思えない。
だからこそ、ランサーは作戦開始丁度一〇分前に無造作に槍を振るった。
元来、《方舟断片(ノア)》における時間遮断は種の保存という神の指示に因ったものである。しかし宝具内部の空間容量には自ずと限度がある。恐らく個々にばらけたことでその機能と容量限界がかなり落ちたのだろう。その証拠にランサー一体を内包するだけで内部の時間経過にもムラができ、本来の機能に遠く及ばない性能にまで劣化してしまっている。
「「――――!!」」
二人の見張りは異変には気付いたが、それ以上のことには気付けなかった。声を出すことすらもできず、その首は床へと無慈悲に落ちていった。当然だ。あの時間の檻の中にあって通常通りに動くことなど予測できる筈もない。
彼らにとって不幸だったのは時間遅延という機能上《方舟断片(ノア)》についての十分な限界値を調べられなかったことにある。キャスターでさえ、方舟の断片を強力な時間遅延結界としてしか認識できていなかったのだから当然であろう。
ランサーが突いたのは《方舟断片(ノア)》の欠点。種の保存を使命とする宝具は結界内部の生体数が増すにつれて脆くなる性質を併せ持つ。通常であればサーヴァントであろうとどうにかなるものでもないが、ランサーが振るうのは生命の記憶そのものともいえる創生鎗ティアマト。例えオリジナルの方舟がもつ時間停止の結界であっても、許容量を遙かに超える種を蓄えるその槍には効果がない。例えオリジナルであろうともこの槍を内包することは難しいだろう。
だからこそ、ランサーにとってこの結界は“例外”なのである。
振るう一撃で《方舟断片(ノア)》と見張り二名を無力化。そして、再度振るった二撃目で格納庫内の悉くを上下に分割してみせる。人も、重機も、そして格納庫の柱そのものさえも。
「……さて、残り一〇分で作戦開始。なら急がないとね」
この場が地下にあることは把握済み。可能ならこのまま地下深くに降下して“偽りの聖杯”をどうにかしたいところである。したいところではあるが、その前にマスターである銀狼を殺されランサーが消滅してしまう可能性の方が高かった。
この地下格納庫を壊したのは脱出路を作るというだけでなく、時間稼ぎの意味もある。どれだけ時間が稼げるかは不明だが、作戦開始一〇分前という時間も狙ったのもそのためだ。そして横合いからイレギュラーが飛び出す頃合いとしても丁度良い。
作戦開始は正午きっかり。それまでにランサーは崩れゆく地下格納庫から脱出し、罠が張られたスノーフィールド南部砂漠地帯を強襲せねばならなかった。
落ちてくる天井の鉄骨を眺め見ながら、ランサーは天井を貫き、南へと駆けだした。
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ランサーが《方舟断片(ノア)》を破壊し脱出する半日前、日付が変わろうとする深夜、北部丘陵地帯に構える原住民達の要塞にある一室に三つの影があった。
その内の一つはスノーフィールド原住民を現在統括する三人の相談役の内の一人、そして後の二つはキャスターのマスターである署長と、ライダーをその身に宿した繰丘椿である。
相談役は明らかに歴戦の勇者にして現賢者といった壮観な顔つきであり、それに負けず劣らずの気迫のある署長に挟まれ、椿はただ一人恐縮をしていた。ライダーが必死になってそんな椿を慰めようと左手で携帯電話を操作するが、それもどれだけ役に立っているかは分からない。
「ふむ。どうやら、あの情報は本当だったようだ」
そんな椿を相談役は一瞥して情報の真偽を確認した。夢の中での戦闘は《ロバの竪琴聴き(オノスリューリラ)》によって原住民にも伝わっているが、それ以降については何も知らない筈。だというのに、ライダーが未だ健在でしかも椿の中に存在していることに驚きもしなかった。
端から見れば重圧に耐えきれず携帯ゲームに興じる少女にしか見えないが、その所作は所々に不自然。それでいて椿の筋肉をほぐしているのか身体の随所に魔力が巡っている痕跡がある。怪しむことはできようが事前に情報を仕入れておかねば解答に辿り着くことはできないだろう。
「なかなかに耳聡いですな」
「なに、お主より多少知っているに過ぎん」
ブラフかとも思い探りを入れようとする署長に対し、ティーネの叔父を名乗った相談役は軽い挑発をもって返してきた。
敵同士ということもあり、両者の間に火花が散る……なんてことはない。末端はともかくとして仮にも互いにトップに近い者同士、私怨をもって軽率な行動をするような恥ずかしい真似はできようもない。せいぜい外交として右手で握手しながら左手で殴りあうくらいのものである。
情勢が動いたとはいえ互いに敵である立場には違いがない。本来であればこの場に両者が面と向かっているのもあり得ない光景なのである。そしてそんな光景を可能としたのも、誰であろう両者の間で縮こまっている少女の存在に他ならない。
「そんな携帯電話では会話に不自由するだろう。これを使いたまえ、ライダー」
署長の存在など無視するかのように相談役は懐から無造作に片手サイズの機器を取り出す。拳銃といった火器を署長は持ってきてはいないが、ボディチェックも受けてはいない。急に懐に手を入れ何かを取り出す所作をすれば、大抵の人間は警戒する。敵同士であれば尚更だろう。署長が拳銃を持っていれば、大事になりかねないことを、相談役は平然と行って見せた。
「………」
だがそれもすべて相手の行動から心の内を推測する手段に過ぎない。署長は相談役の所作に指先一つ動かしはしなかった。その様子を相談役は視界の端でしっかりと観察している。
「えっと、これは何ですか?」
そんな心理戦があったことなど露知らず、椿は受け取った機械を警戒することもなく受け取り、相談役の助けを得て装着してみる。
左手首をバンドで固定すれば左手の指がその機械のボタンやスイッチにフィットする形となる。少し不便ではあるが、常に携帯電話を持ち続けるより自由度は大幅に増している。
「意思伝達装置とは珍しい。そんなものまで用意していたのか?」
「その気になれば心臓移植もこの要塞内で可能だ。ライダー、悪いが操作をレクチャーする気はない。勝手に試して覚えてくれ」
署長の言葉に気軽に応える相談役だが、その実要塞内の充実ぶりを誇示しているに過ぎない。でなければこんな稀少かつ必要性の低い機械が用意されている筈がないのだ。
後半の相談役の言葉にライダーは主人と反比例するように警戒しながら魔力を用いて機械の中を走査。安全を確認すると内部のプログラムを器用に読み取りながらものの数秒で操作方法をマスターする。
『ありがとうございます、ミスター』
「礼には及ばんよ」
ライダーが操作しているのは本来であれば筋萎縮などで意思疎通が困難な者のために作られた音声発生装置だ。時にミリ単位の操作も必要となるが、慣れればリアルタイムで話すことも難しくない。
『これで椿ともお話ができます』
音声システムは旧式なのか、ややたどたどしい言葉が発せられる。
「良かったね、ライダー。おじさんもありがとう!」
単純にライダーとの会話に喜ぶ椿ではあるが、署長としては素直に喜べぬところである。これでライダーは意思疎通のために声を出さねばならぬデメリットを得てしまった。携帯電話がなくなった以上、文面でこっそりと会話することができなくなったのだ。プレゼントと称して内緒話を封じられたのは拙かったのかも知れない。
「夢の中での共闘は私の耳にも入っている。族長が守ろうとした御仁だ。丁重におもてなしをするのも当然であろう」
好々爺然とした態度で椿に接してはいるが、これは明らかに署長はその範囲外であるということだろう。
「それで――一体何用かな、キャスターのマスター殿? いや、この際だからスノーヴェルク市警署長様とでも言った方がいいかな?」
その言葉はもはや部下と令呪を失ったという皮肉と共に、署長の奸計の一端を的確に表していた。
わざわざ部下に対しても署長という役職で呼ばせていた理由がこれだ。
スノーフィールドにはスノーフィールド市とスノーヴェルク市の二つの市がある。それぞれの街にはそれぞれの警察署があり、その管轄も分かれている。とはいえ、その規模には大きな開きがあり、連携して動くことも多いため、事実上スノーヴェルク市警はスノーフィールド市警の下部組織と見なされることが多かった。だから、そこを署長は利用したのだ。
スノーフィールドの警察署長には違いない。しかし、スノーフィールド市の警察署長ではない。種を明かせば大した事実ではないが、情報を錯綜させる手段というのは偽るだけではないのである。事実、そうした誤解を招く言い方によってバーサーカーは結果的にランサーを《方舟断片(ノア)》の罠へと嵌めてしまっている。
「その肩書きは――」
守るべき市民がいなくなった今、果たして自分が署長と呼ばれる意味があるのかと署長は逡巡した。
もはや《二十八人の怪物(クラン・カラティン)》の隊長でもなく、令呪を失った今となってはキャスターのマスターとも面と向かって名乗れはしない。かといって、今更数ある偽名の一つに過ぎない名前を名乗るのもどうだろう。
そして一巡巡り、やはり署長は自らの立場を表す記号は一つしかないことを確認した。
「――いや、そのまま署長と呼んで欲しい」
もはやこの戦争における署長という肩書きの意味は決定づけられている。確かに《二十八人の怪物(クラン・カラティン)》の隊長やキャスターのマスターという立場は不明であるが、スノーヴェルク市警察署長という立場は辞令が下りたわけではないので顕在である。
それに、こうして市民を救おうと右往左往しているのだ。警察官としてこれ以上にない正しい行動だろう。
「ふん」
その言い方が面白くないのか、相談役はわざとらしく鼻を鳴らす。雰囲気を悪くするような行動であるが、それもまた交渉術の一つである。署長としても、それは承知している。
承知していないのは、椿だった。
「てぃ、ティーネお姉ちゃんを助けたいんです!」
悪くなった雰囲気をかき消そうと、椿は何の前振りもなく、突如としていきなり本題を切り出してきた。
祖父と孫ほどに年の離れた者に頼みごとをするなど椿にとってはかなりの勇気を必要としたが、それだけに必死さだけは相談役にも伝わってきた。交渉を有利にするべく署長を挑発し続けた身としては、椿のその勇気は些か眩しすぎる。
相談役が署長から椿に視線を移し、眼を細めた。
椿にとってティーネは間違いなく大切な人だ。過ごした時間こそわずかであるものの、椿の孤独を救い、癒やし、家族として迎え入れんとしたのは他ならぬティーネ。そして、椿はまだあの時の答えをティーネに伝えてはいないのだ。
ティーネに会いたい。そのためなら、椿は何だってしてみせるだろう。
「……ま、それ以外に用件はないわなぁ」
そして二度、相談役は無造作に懐に手を入れた。ただし今度出してきたのは先のような立体的なものではなく、一枚の紙切れ。それについては椿も署長も見覚えはある。陽が落ちようとする一時間ほど前に、古典的ながら風船を使って市内全域にバラ撒かれた紙切れ。ご丁寧に魔力を介さねば中身は読めないようになっている。
内容は実にシンプル。アーチャー、ランサー、アサシンのマスターを明日正午、南部砂漠地帯にて処刑する、とだけ書かれている。交換条件すら書かれていないこの紙は執行通告書に他ならない。
小細工無用、助けたければこの場に来い。そうした挑発が透けてみるかのよう。それだけに、無視することなどできはしない。
「私としても、このマスター達を助けたい」
相談役の顔色を窺い、そうした共通認識を持っていることを確認してから署長は頭を下げた。椿も慌てて同じように頭を下げるが、この場での違和感に気付いた様子はなかった。純真無垢、椿のそうした態度を署長は最大限に利用する。
椿は理屈ではなく、心で動いている。その様子に相談役は苦笑した。
「中々面白いことを言うではないか。処刑されるのは我らが族長。頭を下げるのはむしろ我々ではないか」
先に頭を下げ交渉の矢面に立つ署長に言っているようではあるが、相談役の言葉は椿へと投げかけられたものだった。
そう、処刑されるのはいずれも署長には直接面識のない者ばかり。むしろ敵として殺し殺されるのが普通の間柄。それをわざわざ敵陣に乗り込んでまで助力を請うのはおかしな話なのではある。
勿論署長には署長の目論見がある。そのためにはここの原住民の協力は必要不可欠であり、当初は諦めざるを得なかった。繰丘椿、というカードを得る前までは。
ティーネと椿の関係性は既に周知の事実だ。椿がティーネを助けたがるのも自然なことであり、椿と同盟を結ぶということで署長は原住民との協力の切っ掛けを得ることに成功した。これが署長だけなら話を聞くこともなく殺されていたことだろう。未だもって綱渡りに違いないが、署長からすれば大きな前進である。
「だが、残念ながらそれはできぬ相談での。我々は既に当の族長から無駄に兵を消費することを禁じられておる」
そして案の定、相談役は椿と署長との協力要請を拒否してきた。
理由としてはもっともであり、そして実際にそうした命令をしたという情報も漏れている。命令直前に急進派の相談役を粛正したということもあり、こうなることは予想通りである。
原住民が積極的に動くことはない。それは族長の命令に逆らうことでもあり、アーチャーの籠城策に異を唱えることにもなる。確かに族長たるティーネの処刑は原住民にとって大変なことではあるが、原住民とて軽々に動くわけにはいかないのである。
そして、アーチャーとティーネのそれぞれの指示は決して間違いではない。
「そんな! ティーネお姉ちゃんを見捨てるって言うんですか!」
椿の悲痛な言葉に相談役も無碍にはできず返す言葉は優しかった。
「ワシらとて救いたい気持ちに変わりはない。だが、これは戦争なんじゃ。迂闊に動くことはできず、必要ならば涙を呑んで姫様を犠牲にせねばならぬ時がある。今が、そうなんじゃ」
見捨てることで、原住民にも得るモノがある。それは時間だ。
新たに《二十八人の怪物(クラン・カラティン)》を率いることになったファルデウスが何故にこうも性急な作戦を決行したのか、それは短期決戦を望み、数日以内に戦争終結を目指すことにある。
スノーフィールドの異常性はもはやどうやっても隠しきれるものではない。このような事態になった以上、外からの介入と同時に戦争は無理矢理にでも終結させられる。教会と協会はどんな犠牲を払ってでもこの“偽りの聖杯戦争”をなかったことにするに違いない。
傍観していただけの原住民にもペナルティがあるだろうが、このスノーフィールドの霊脈を管理する観点から排除される心配はない。結果的に他勢力は全て取り除かれることになれば、それは原住民にとって十分戦果に値するものだ。
「それに、南部砂漠地帯に戦力を派遣するだけでもワシらには無理じゃろう」
相談役の諦めた声色もまた事実。
この原住民が現スノーフィールド最大派閥であることは間違いない。だが、これは純粋な数としての話。女子供も数多く、戦える者はあまく見積もって四〇〇人。前線で戦える者はその半分にも満たない。この要塞の防備を崩し部隊を編成したとしても、太刀打ちできるだけの戦力を用意することはできない。
それに、この要塞はスノーフィールドの北部。南部にある砂漠へと行くには長く行進せねばならず、いくら街の中央拠点が失われたとしても決して安全に行き来できる場所ではない。
彼らができることは最初からひとつだけ。
英雄王の裁きが下されるのを座して見るのみ。
祈ることさえ、そこにはない。
「……いいのですか、それで?」
端的な署長の言葉に相談役は黙らざるを得なかった。
彼らの行動は臆病者の誹りを受けても仕方ないものだ。そこに戦略論を振りかざして行動を正当化したとしても、後々あの英雄王と良好な関係が築けるかといわれると疑問でしかない。
「アーチャーは勝手気ままに独自行動をとっています。そしてこの地を拠点とすることもしない。原住民はアーチャー陣営とは名ばかりの完全に盤外の集団と成り果てますが――それでもよろしいのですか?」
意地の悪い言い方を署長はする。
実際、アーチャーは聖杯戦争四日目からこの要塞へ帰っておらず、連絡もとれてはいない。この状況で原住民が傍観に徹し、ティーネが処刑されることがあればアーチャーと原住民との関わりは完全になくなることになる。
「“蛮勇”ならば、族長が自ら示しておられる」
それで代償となるとは本人も思っていないだろう。相談役の一人で英雄王の信頼に応えるべく散っていった者もいる。彼を見習うのは簡単だろう。身内の一人として、その生き様に胸を打たれぬわけがない。
だが、自己犠牲を強いるにはこの原住民の組織は大きくなりすぎていた。守るべき家族を持ち、まとまることで精一杯な手足があり、そして最小の犠牲で目標へ至れる道標が目先にちらついていた。
これは安易な妥協ではない。
考え抜いた末の、苦渋の決断なのである。
英雄王が彼らのそうした言いわけを聞くとは思えない。だが、理解はしてくれるだろう。相手にする価値はないとして今後の関係悪化は免れまいが、視界に入らぬ小物にわざわざその手を下そうとする性格ではない。
『……ならば何故、我々に会って下さったのですか』
そこにためらうように質問してきたのはライダーだった。
既に椿を超えた知性を持った彼である。この相談役が何を思って椿だけでなく署長同伴でこの場で会ったのか、ライダーはその解答を得ている。得ていながら、敢えてライダーは言葉に出した。それがこの場での役割だと、ライダーは自覚していた。
実をいえば、この場での会合は交渉などではない。椿も署長も、共にサーヴァントを失ってはいないが令呪を失った状態。表向きには聖杯戦争に敗退したマスターを保護する、という名目を持って行われている。
勿論、一陣営に対してそんな応対をする義務はない。会う必要などどこにもない。
だから、署長は賭けたのだ。義務はなくとも、椿に対しての義理があると信じて。
『我々だけでは、助けられません』
「あなた達だけでも、助けられない」
ライダーの言葉に署長も続く。そして、椿もその言葉に続いた。
「協力すれば、お姉ちゃん達は助けられます!」
三者の畳みかけは些か演技が過ぎた。別に狙ったわけではないが、署長はこうなるだろうと予想はしていた。そして、相談役もこの展開になるだろうと思っていた。
生き残った三人の相談役はいずれもティーネを慕う者である。彼らとて、内心としては族長を助けたいが、立場がそれを許さない。
署長とキャスター、そしてアサシンというティーネと縁のない者がこの救出のためにその命全てをベットしたとしても、彼らは信用しようとはせずに傍観し続ける。だからこそ、椿という存在が両者の鎹となる。
「嬢ちゃん」
「は、はい!」
しばし沈思した後の相談役の声に、椿は緊張しながらも応えた。
椿の覚悟は本物だ。例えそれが子供の覚悟だとしても、椿は単独でも砂漠に乗り込むつもりだし、それでどのような目に遭おうとも後悔はしないと決めている。ここでティーネ達を見捨てれば、椿は生涯後悔することになるだろう。
だからこそ、相談役は椿を試す。
ティーネと椿の信頼関係ではなく、署長と椿の関係を。
「そこの男が、嬢ちゃんの両親を殺したことは、知っているかな?」
無造作に相談役が指さす先に、署長の姿がある。
《ロバの竪琴聴き(オノスリューリラ)》によって漏れ出た情報は数あれど、その恩恵を受けぬ者もいる。それは単独行動をとっているアーチャーであったり、封印中のランサーであり、休息で意識不明のフラットであり、そして情報収集の術を知らぬ椿である。実際、椿は流出した情報について何一つ自分で調べてはいない。
指摘された事実に、署長は何のアクションもしなかった。口を開くことはなく、態度もそのまま。視線すら動かさない。
短くない時間が三人の間で過ぎていく。
今日という日は椿にとって決して短くない。様々なことがあり、あっという間に過ぎ去りはしたが、その密度は非常に濃い。疲労の蓄積はライダーの補助があったとしても、なかったことにはできはしない。日付が変わろうとするこの深夜であって既に彼女の体力は限界であり、精神力だけが頼りだった。
ここで椿と署長との関係に亀裂が入るようであれば、話はそこまでだ。椿は保護の名目で幽閉され、署長は殺されることになる。原住民は動くことなく、状況は流れるままに任される。
「わっ……私は」
「私は?」
促すように繰り返す相談役に、椿は俯きながらもはっきりと応えた。
「知って……いました。お父さんとお母さんを、殺したのは……この人だって」
下を向いていた椿の視線が、ゆっくりと署長へと向く。涙など流さない。それは椿自身、予想していたことなのだから。
「正確には……多分、そうじゃないかと、思ってました」
「……ああ、そうだ。私が指示を出し、殺した」
椿の言葉に署長は否定することなく、自らの責任であることを肯定した。
ある意味、こうして指摘されることは想定した事態であるが、敢えて署長は椿にそのことを伝えてはいなかった。
魔術師として当たり前の感覚を椿は持っていない。いくら署長が言いつくろったとしても、椿が署長の指示に完全に納得することはない。事前に言い含めることもできただろうが、それをしなかったのは署長もまた椿を確かめたかったからである。今後のことを考えれえれば、これで敵討ちを言い出すようなら論外だし、怨恨が残るようならその程度ということ。
椿はこの場で署長の行為を許す必要があるのだ。棚上げや、条件付きの許しなど中途半端な真似は許されない。でなければ背中を預けることなどできず、ティーネを助けることなど最初からできはしない。
……もちろん、それだけ、というわけでもない。
「親の仇と肩を並べ、命を預け、恩人を助ける。話としては美談だが、それが嬢ちゃんにできるのかい?」
幼い少女の双肩に、このスノーフィールドの運命がかかっていた。魔術師の両親を持ち、そのための教育こそ受けてはいたが、所詮はそれだけ。そんな彼女に、重すぎる決断を相談役は強いてくる。
大人の世界は汚いものだ。甘い話を持ちかけつつも、都合の悪いものには蓋をする。特にこの地は戦争の最中にある。騙し騙される日常において、騙される方が悪い。巻き込まれたとはいえ、大人の世界に無防備に入り込んだ椿こそが、悪かったのだ。
椿は、ティーネを助けたいと署長に頼んだ。署長はその言葉に、「君次第だ」と答えた。覚悟があれば願いは叶う、とも。そしてそのまま、この場へと連れて来られた。
騙そうと思えば、いくらでも騙せた筈。利用するだけ利用して、捨てることは簡単だ。だからこそ、署長は騙すことはしなかった。黙して語らなかったのが、署長の精一杯の誠意だったのかも知れなかった。もしくはそれも計算の内なのか。
……そんな椿の考えを、ライダーはリアルタイムで感じ取っていた。
ライダーは知っている。椿は死者と生者の秤を間違えてはいない。葛藤はあれど、その答えはもう出ている。あと数秒もすれば、ことは上手く運ぶことになるだろう。このいたいけな少女の心に傷を残しながら、状況は一歩前進する。
形の上ではウィンウィンの関係だ。そこに異論が出てくることはない。
それが、ライダーには我慢ならなかった。
『お二方は、何を勘違いしているのですか』
椿が息を吸う。そして言葉を発しようとする直前に、ライダーは意を決して話に割り込んだ。
ティーネを助けるために椿は署長への恨みを持ってはならない。だが歪んでいたとはいえ、両親の愛を奪った者を簡単に許すことなどできはしない。納得などできる筈もない。どんな事情があろうとも、その事実を忘れ去ることなどできはしない。
そんな無理難題を表向きにでも解決することを周囲の大人は望んでいる。椿には酷であろうが、ライダーも必要なことだとは思う。
同時に、必要なのはそこまでだとも思う。
これ以上椿に覚悟を強いるのは、些か虫が良すぎる。
ライダーは、自分が二人に向けるものが殺意であることを認識する。
同時に、それが自分自身にも向けられていることにも、気付いていた。
『椿の両親を、殺したのは、私です』
「ライダー! それは違うよ!」
ライダーの突然の言葉に椿は慌てて否定する。ライダーが全ての切っ掛けであることには間違いない。だが何も知らず何も分からぬライダーが両親を救うことなどできはしない。
悪いのはこの聖杯戦争だ、などと言うつもりはない。
責任はいつだって人間にある。両親を殺したのは、ライダーを御し得ずマスターとしての役割を果たさなかった、愚かな少女一人でなければいけなかった。
『いいえ。違いません。椿の両親を殺したのは、私です。その責任は私のものです。私だけのものです。他の誰にも渡しはしません。
……だから椿、マイマスター。あなたが恨める者は、私だけなのです』
子供を諭す大人のようなライダーの口ぶりに、相談役と署長は言葉を失い、椿は呆然となった。
サーヴァントはマスターあってこその存在だ。分類上は使い魔の一種であり、強力な武器のひとつでしかない。拳銃で人を殺すとき、拳銃そのものに罪はない。ナイフで人を刺すとき、ナイフが悪いわけではない。
「意外だな、ライダー。君は自らの存在定義を否定しようというのか」
ただのサーヴァントならまだ分かる。しかし、こともあろうにその発言をするのは災厄の権化たるペイルライダー。原初の時代よりライダーが奪ってきた命の数は誇張無く“京”の位に達している。これは人のみならず動植物、果てや神や幻想種と呼ばれる存在にまで平等に死を振り下ろしたが故の数である。
そんな彼が、責任を主張するなど自己否定も甚だしい。
『私がこの人格を持ち、己の意志で操った結果の死です。だからこそ、私は令呪を持たぬ椿を守っているのです』
それがライダーの責任であり、償い方だと主張する。両親の死の責任というのは牽強付会ではないかと思わなくもないが、筋は通っていた。
「ならば、君と関わり死んだ者の責も、ライダーにあるというつもりかね?」
『当然です』
相談役の意地の悪い言い方にも、ライダーは即答する。
ライダーは既に数万もの感染者を出している。その中の一人でも死ねば、それはライダーの責任となる。
この場だけの話ならライダーのその言葉で凌げるだろう。過去についての精算はライダーが一手に引き受けることで決着を付けることができる。
「自分の言っていることの意味を分かっているのか、ライダー。君は過去のみならず、未来に渡って感染者の身の安全を保証しなければならないのだぞ」
『承知しています』
署長の確認に、ライダーはその意見を変えることはない。
「話が変わってきたな」
署長の言葉に、相談役も困った顔をして頷いた。
ライダーという保証人がいる以上、椿と署長の協力関係は強固なものとなった。相談役としては土壇場での椿の覚悟まで見据えて試したかったのだが、これ以上の揺さぶりは強大な戦力であるライダーの機嫌を損ねることに繋がる。
ここでのライダーの宣言は、彼の守護対象が椿だけに限定されないことを意味している。夢の中で同盟関係を結んだティーネは無論、感染した者全てを守るための守護者としてライダーは全力で動くことを宣誓しているのだ。
口約束の空手形とはいえ、大言壮語に過ぎる。いかに規格外のライダーといえど、とても信じられるものではない。第一、既にライダーが感染した者の殆ど全てが敵の手の中にあるだ。この事実を無視することなど出来よう筈もない。
「……分かってるよ、ライダー。私はライダーのマスターだから、ライダーは私を利用して。私も、ライダーを利用する。
だからまず、ティーネお姉ちゃんを助けるために、力を貸して、ライダー」
ライダーの言葉の意味を真に理解しているとは思えずとも、相談役が要求した以上の椿の答えに異を唱えるわけにもいかない。
「プレゼントをしたのは、失策であったかな」
静かに笑う相談役も、これで腹は決まった。
ここで警戒するべきは、署長ではなかった。この場で最も目的に忠実で、覚悟があったのはライダーに他ならない。だとしたら、ライダーがこの場において何もしていないわけがない。
この近距離だ。いかに抵抗しようともライダーがその気になれば“感染”を防ぐことはできない。そのリスクを恐れ、相談役は一人だけでこの場に臨んだ。いざというときを考えこの部屋を自分ごと滅菌処理する手段も整えていたが、この様子ではそのための対処もしていることだろう。
「協力を、していただけますね?」
相談役の心を読んだかのように、署長は何をするでもなく、ことの成り行きだけで成果を掴んでみせた。結果としてではあるが、想像以上の成果である。
「策士だのう」
「そうですよ。あなた以上の策士でなければこんな真似はしません」
最初の挨拶の意趣返しとばかりに、署長はうっすらと笑ってみせる。対して相談役は静かな笑いから徐々に口角を上げ、最終的には呵々と大笑してみせた。
双方にとって、これは非常に旨みのある話だ。実質損をしているのは椿とライダーだけであり、椿にとってもそれは最初から覚悟の内。あとはどれだけリターンを多く取り、リスクを減らすかが焦点となる。
「いいだろう。我々原住民もこの救出作戦に乗ることにしてやる――いや、乗らせて欲しい」
そう言って署長と椿に深々と頭を下げる相談役。
この場で原住民を代表して確約できるものではないが、残った三人の相談役の権限は大きい。残り二人の相談役に反対されることだろうが、無理に動かせる戦士の数は決して少なくはない。
となれば、善は急げ。南部砂漠地帯に向かうには移動手段も含め準備するなら早い方が良い。
だがそんな相談役のテンションに水を差したのは、誰であろう協力を申し出た筈の署長本人であった。
「それは及びません。今回の南部砂漠地帯に原住民の方々は不要です」
「……ふむ?」
署長の言葉に頭を上げた相談役の眉根に皺が寄る。
歳を取りはしたが、相談役も一線級の戦士。周りが押しとどめようとも戦場で指揮官として出向くつもりですらあった。
「どういうことかな?」
「原住民の方々には別の作戦があるということです」
相談役として、一度協力すると申し出た以上、戦力提供は譲れぬところ。物資提供などと生温いことなどするつもりはない。
「では、一体誰が我らが族長を助けに行くと?」
アーチャーが出ることには間違いないだろうが、それでは敵の思惑通り。それを打ち破るためにはそれ相応の戦力が必要である。それがないからこそ、署長達は原住民に協力を申し出たのではなかったか。
だが、相談役が思い描いていた戦力と署長が思い描く戦力では、その意味はまるで違う。
戦略と戦術ではその意味が違うのだ。戦術としてティーネを助けるだけの戦力ならば、現状で事足りるのである。
「救出作戦にはこのライダーと、」
署長は椿を見ながら、その手で二本の指を立ててみせる。
「キャスターだけで十分です」
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署長がキャスターの名を自信を持って告げた丁度その頃。
その当のキャスターは、今まさに消滅しかけていた。
戦争。まさに戦争だ。
偽りの聖杯戦争、そのわずか一端に過ぎぬ戦いであるが、その経緯を語るにはあまりに密度が濃すぎた。
北部丘陵地帯で行われた原住民、その穏健派との会談を“表”とするならば、キャスターが担当したのは“裏”である。つまり、原住民急進派残党との調整である。
同時刻に同陣営の反対派閥に接触するのはあくまで“表”が失敗した時の保険であるが、ただそれだけではない。署長達が勝ち残る――生き残る為に敵対するファルデウス陣営以外の協力が必要不可欠であり、手駒は多ければ多いほど良い。加えて同陣営ながら反目しあう間柄なので、意見調整ができるのであればそれに越したことはない。
ここに、策略と陰謀と電撃戦と包囲戦と攻城戦と撤退戦と外交戦と内応と休戦と開戦と決戦の準備のための休戦と開戦の予備行動としての和平交渉が行われた。その場に至までに行われた戦争は数知れず。そして生まれた疑念と疑惑、誤解と行き違いも数知れず。本来では決して辿り着けぬであろうそのドラマに、全米は涙した。
そして。
その結末が訪れようとしていた。
御存知の通り、この聖杯戦争で最も戦闘能力が欠如しているサーヴァントは間違いなくキャスターである。
彼自身に従軍経験もあるが、キャスターの時代の軍隊と現代の軍隊ではその練度は比べものにならない。白兵戦をさせるなど論外であり、そもそも魔術師としてではなく劇作家として召喚されたキャスターは魔術を解することはできても習得はしていない。戦力などと呼べるサーヴァントではないのだ。
だからこそ、キャスターが構えるのは拳ではなく舌。戦力比を試算すればでキャスターと原住民急進派は最低でも一対一〇〇以上。これを原住民急進派リーダーと一対一の決闘にまで持ち込んだのはキャスターならではの手腕と言えた。
一対一で殴り合い、勝者が敗者の全てを奪うルール。そんな都合の良い条件にまで持ち込みながら、キャスターは、足元をふらつかせ、背後の壁に背中を預けるように崩れ落ちる。
その姿はボロボロで、あと一撃でも喰らえば今にも消滅するまで消耗仕切っている。対して、キャスターと一対一で殴り合った急進派リーダーは無傷である。
先だって急進派の中核がティーネ・チェルクに粛清されたため、急遽その後釜に座ったのがこのリーダーである。まだ若く血気盛んであるが、当然そこに知識と経験があるわけもない。一対一の決闘を承諾したのも舌より拳の方が得意だからに違いなかった。
勝敗は決した。
リーダーはこれ以上にない程完璧にキャスターに勝利し、キャスターはこれ以上にない程完璧にリーダーに敗北した。
元からの戦力に差があったことは、認めよう。相手の得意なバトルフィールドも承知していた。リーダーに慣れたルールであったことも知っていた。
だからといって、弱いとはいえ曲がりなりにも英霊と称される存在が、緻密かつ確実に下ごしらえをし、卑怯にも大人げなく宝具を隠して持ち込みながらこんな状況になるなど、一体誰が想定するというのか。当のキャスター自身でさえ、こんな消滅ギリギリのボロボロになるなどと想定してはいなかったのである。
「俺の……負けだ」
そして、とうとうその言葉が紡がれた。
ついに一度としてキャスターの拳はリーダーへと届くことはなく、一度としてリーダーの拳をキャスターが避けることはできなかった。この一方的な決闘に二〇分もかかったことを考えれば、健闘したともいえよう。
キャスターの勝利が確定した瞬間である。
「俺達の完敗だ、キャスター。俺達は、お前についていく――いや、ついていかせてくれ。いかせてください。俺達を――導いてください!」
声が、急進派リーダーの口から響き始める。
開いた瞳からは光が溢れ、かつて宿していた狂気に満ちた怒りを焼き尽くしてゆく。滂沱と涙を流し、己の不明を恥じて、自然とリーダーの身体は地に伏せていた。
「土下座とは大袈裟だぜ。ここはいつから日本になった?」
「いや、ただ頭を下げるだけなんてできやしねぇ! あんたの気が収まらないなら、このまま俺を殺して欲しいくらいだ。俺は、さっきまでの無知蒙昧な猿山の大将であった過去の俺を心の底から殺したい!」
ここに銃なりナイフなりがあれば自害しかねないリーダーを見て、ちょっとやり過ぎたかなー、とキャスターは思わなくもない。
「命を大事にするんだな。俺が何の為にお前に殴られたのか分からねえじゃないか」
「ああ、そうだな。こんな屑な俺のためにわざわざ身体を張ってくれたんだ。これを無為にしちゃ俺達原住民の名折れだぜ」
身体を張るも何も、実力でキャスターがリーダーに負けた事実には違いないのだが、そこは黙っておく。
「まずは立ち上がれ。まかりなりにも急進派の頭目が皆が見ている前ですることじゃねえよ」
キャスターが視線だけで周囲を確認すれば、この光景に目に涙を浮かべ感動している取り巻き連中がいた。アウェーで戦うスポーツ選手さながらの敵意を向けられたというのに、決闘前と後とでその態度が四八〇度ぐらい違う。一周以上するのはいろんな意味で凄いと思う。
「みんな、聞いたか! 俺達がしでかした数々の非礼よりも前に、この御方は俺を慮ってくれる! 俺は今猛烈に感動している! こんなすがすがしい気分は生まれて初めてだ。ありがとう、キャスター!」
「サン・テグジュペリだ。たとえおまえが世界中の全ての人間を敵に回したとしても、俺はおまえを支持する。俺の名前を胸に刻め」
「大切なものは、目に見えない――この俺の矮小さに気付かされるばかりだ。兄貴、と呼ばせてくれ――!」
――なんてことが、あったりなかったりして。
「茶番ですね。反吐が出ます」
と感想を述べながらどこからともなくアサシンはキャスターの傍に出現する。念のため拠点を出た時からアサシンには姿を隠して秘密裏に動いて貰っていた。別段驚くべき事ではない。
「……」
そんなアサシンを地面に倒れたままキャスターは視線だけを返す。スカート姿のアサシンである。上首尾に運べばその中身を見られるかもとか欠片も思っていない。なのに何故かアサシンはキャスターに近寄ることなく絶対零度の視線を向けるのみ。仲間が床に倒れているのに助け起こさないとはどういうことだろうか。
「……」
「……」
「…………」
「…………」
「………………」
「………………」
沈黙合戦が続く。
キャスターが「俺は良いからお前達は自分のやるべきことをやれ」と言ったので急進派はもうここにはいない。キャスターに肩を貸そうと動く者もいたが、アサシンに言いたいこともあったので丁重に辞しておいた。これを深読みしたリーダーが「絶対に肩を貸すな。戻ってくることも禁止!」などと言っていたのでここに第三者が介入する可能性は低い。
本来ならそれが一番正しいのだが、この気まずい空気を前にキャスターはリーダーのその判断を恨みたくなってくる。
口から先に生まれ出てきたような男である。こうした不要な沈黙には慣れていないし、嫌いである。そして方やあのアサシンだ。寡黙とか沈黙が得意とかそういうレベルではなく、母親のお腹の中にコミュニケーション能力を忘れてきたような女である。アサシンにとって、この状況は日常の空気となんら変わるところではない。
土台、最初から沈黙合戦で勝てるわけがなかったのだ。会話の糸口となるべきツッコミどころもアサシンにとっては気にするようなものでもない。「お前がサン・テグジュペリってツラかよ、同じなのは性別と国籍くらいだっつーの!」などとアサシンが口にするわけもない。
幸いにして一番重要な点をアサシンは理解している。理解していなければ、キャスターの傍らに付きそうような真似をせず、仕事は済んだとさっさとどこかへ行くに決まっていた。
はあ、と肺の中の空気をキャスターは思いっきり吐き出した。喋ると口の中に鉄の味が広がるが、確認しないわけにもいくまい。
「……さて。アサシン。この状況をどう見る?」
「計画通り。何の問題もない」
仕方なく切り出したキャスターの言葉に、アサシンは用意していた台詞を完全無欠の棒読みで、小指を立てて耳をほじりながら応えてみせた。
「ほう? これが計画通り、だと?」
「あなたが陽動。私が本命。結果、原住民急進派は無傷のまま穏健派と合流。何か問題がある?」
「この俺の怪我を見ても同じ言葉がいえるかなお嬢さん?」
「何か問題がある?」
臆面もなくアサシンは同じ言葉を繰り返す。
表向き、この会談の成り行きはドラマチックである。山あり谷あり。時折獣にも遭遇し、反目し、敵対し、運命の悪戯があり、助け合い、打ち解け合い、倫理規定と放送禁止コードにひっかかり、そして最後に驚きの展開が待ち受けている。この場にたまたま居合わせた数十人の急進派は後世までこの幻想的な光景を語り継いでくれることだろう。
それが本当に幻想であることも知らずに。
「計画なら、俺とリーダーが戦う前に決着はついていた筈だぜ? おまえの《狂想楽園》ならこの程度なら朝飯前とか豪語してなかったか?」
「実際、朝飯前。あと六時間もすれば朝よ」
「そいつぁ傑作だな! 死ね!」
とうとう回りくどい言い方をやめて直截な物言いになってきたが、それでアサシンが反省するわけもなかった。
キャスターがここに来て声を荒げる理由も当然である。
既に崖っぷちに追い込まれている自陣である。この期に及んでお上品な選択肢が取れるほど余裕はないし、そもそもそんなことに頓着するプライドなど最初から持っていない。
計画ではキャスターが急進派の耳目を集め、その隙にアサシンが狂想楽園で洗脳する手筈であった。ローリスクハイリターンの作戦だったというのに、なぜ自分はこんなところで床の味を知らねばならなかったのか。
「……効果が、薄かった」
「だよなぁ! あいつらの目の中のグルグルが一個多くなるのに結構時間かかってたようだしなぁ!」
目線をキャスターから逸らし自らの手を見つめるアサシン。その手は汗と見紛う液体に濡れていた。
暗殺教団を組織した初代“山の翁”、その業である狂想楽園は対象者を忠実な狂信者へと変える業――と、伝え聞いた内容と少しだけその中身は違う。
狂想楽園の正体は術者の体内で薬物を作り出すラボラトリー能力である。
人間が当たり前に備えているホメオスタシスを強引に操作することで、痛覚遮断や神経加速といったことは勿論、体内で毒を作り出すことも可能。汗腺から毒を出し爪で軽くひっかくだけで対象は中毒にかかり術者から離れられなくなるという。
……どこかで聞いたような能力だが、人間が行うにはこれくらいが限度であろう。直接接触ではなく空気感染、しかも数万人の行動すら制御できるサーヴァントの方が例外で異常で規格外なのである。
「時間がなかったとはいえ、こんなことなら実験くらいしておけばよかったぜ。伝説より効果が弱すぎだろ」
「違う。毒そのものはもっと強力にすることは可能だった」
「じゃあなんで強力にしなかったんだよ」
「私の身体が作り出した毒に耐えられなかっただけ」
尚悪い。
河豚が自分の毒に当たって死ぬようなものだ。過去の業を習得するのは結構だが、実用に耐えられる下地も習得しておいて欲しかった。
この事実をアサシンはもう少し自覚するべきだ。
一歩間違えただけでこの計画は水泡に帰していたかもしれない。水泡どころか怒った急進派によって反乱が起こっていた可能性だってある。ティーネの粛清によって急進派は大幅に弱体化したとはいえ、その反乱は署長の“予定”にもあったものだ。上手く事が運んだから良かったものの、薄氷を踏んでいた事実に薄ら寒くなる。
特に、真っ先に怒りの対象になるのはキャスターだろう。宝具で守られながらこの様だ。とても生きて帰れるとは思えない。
「関係ない。いざとなれば、全員殺せば済む」
青ざめるキャスターの顔色に、アサシンは事も無げに応じる。
「それくらいなら、毒を作るより簡単」
「それをされたくないからこんな回りくどいことをしてんだろうが!」
怒鳴るキャスターにもどこ吹く風。とりあえず、これで報告の義務は果たしたとばかりにアサシンはそれっきりどこかに消えていく。微風も起こってないところから回想回廊とかいう業ではなく、以前に渡した“石ころ帽子”を使用したのだろう。その事実にキャスターは苦々しく思う。
あの“石ころ帽子”にここまで完璧なステルス能力はない。あれはただ気配を薄め周囲に気付かれにくくするだけの宝具で、実際に透明化できているわけでもない。霊体化もできぬのに目の前で完璧に消えられると、同じ条件で無様に姿を晒し動いているこちらの立つ瀬がない。
今回の一件でキャスターが驚愕したのは、実はそこである。
アサシンの気配遮断スキルが凄まじいのは知っている。同じく宝具の助けがあったのもまた事実。それでいて、急進派の注目はキャスターが一身に集めていた。お膳立ては整っているが、それだけでしかない。
この広い空間に、数十人もの急進派が集まっていたのだ。その全員がそれなりの戦闘スキルを有した戦士である。その誰に気付かれることもなく、アサシンは狂想楽園を使用してみせた。
キャスターの記憶では、気配遮断スキルというのは攻撃モーションに移れば極端にそのランクを落とす筈だった。だというのに、注意深く周囲の様子を伺っていたキャスターにさえ、アサシンは攻撃の瞬間を悟らせることができなかった。毒が回り時間差で様子がおかしくなったのを見て、ようやく気付けたくらいである。
まさに天才――いや、化け物か。
狂信者の看板すら生温すぎる。
過去の業すらも彼女の本質にとっておまけでしかない。
「こりゃ、見誤っていたかもしれねぇな」
ここでようやく、キャスターはアサシンのマスターであるジェスターが彼女に執着する理由に合点がいった。彼女の生き様は、彼女の能力に見合っていない。マスターとして彼女の記憶を垣間見ることのできたジェスターだ。その可能性は十分にある。
久々に、劇作家としての血が疼く瞬間だった。無性にペンと紙が欲しくなる。
「アサシンのマスターは確か、砂漠地帯にいる筈か」
アサシンをこっそりキャスターの護衛に付けて砂漠地帯へ赴く手筈だったが、ジェスターとアサシンが出逢うとシナリオが大きく狂う展開になりかねない。これは配置換えの必要があるだろう。
「……いや、これはいっそのこと欲張ってみるのも手の一つか」
キャスターの頭の中で全ての作戦が練り直される。幸いにも、血気盛んな急進派をまるまる抱き込めたばかりだ。彼らには貴い犠牲になって貰うこととしよう。
先程まで兄貴と呼ばれ慕われていたというのに、キャスターはそんな彼らの心情を踏みにじることを決定した。盛大な嘘をついて扇動もしたのだ。それで心を痛めるくらいなら劇作家など名乗ることなどできやしない。
「やはり、これくらいやらないと面白くねえよな……」
本音を吐露しながら、キャスターはニタリと笑った。
しかし、目下のところ一番の問題点は放置されたままである。
明日の作戦は、全員参加が前提条件である。一人で立ち上がることすらままならぬキャスターが果たして作戦に挑めるのか、当のキャスターにも分からない。
まさか作戦立案や事前準備、戦闘以外で地味に大ピンチに陥っていようとは、敵味方含めて誰も想像すらしていないことだろう。
「いてぇな、チクショウ」
作戦開始まで、残り一〇時間を切っていた。
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三者会談
椿以外(ライダーも含めて)各人己の目的は別々である。呉越同舟というわけではないが、一致団結して戦わせるために同盟を組ませる必要があった。一応ライダーが正義を語ることで場を収めているが、残念なことにライダーは椿一筋でいざとなれば約束を反故にするつもりである。
署長の正体。
原作を読んだ時にそんなオチでは? と思ったのだが、スノーヴェルク市が誤植と判明したのでそのオチはなくなった。ここでそのことを指摘するのも蛇足かと思ったのだが、せっかくなので入れさせて貰った。
ライダーの犠牲者
人類が誕生して今に至るまでの総人口を計算すると約一千億人らしい。けれどそれだとなんだかハッタリがきかないような気がしたので無理矢理動植物なんかをカウントしたことにした。それで「京」の位に達するかどうかはわからないが、カウントする定義が曖昧なんだから大目に見て欲しい。
キャスターの大活躍。
言葉に出来ないほど凄いことをやり遂げたらしい。言葉に出来ないので書くことができないのが残念。
アサシンの実力。
なんだか優秀なポンコツという設定に毒舌まで装備するようになっているが、意図したわけではない。
ここでアサシンのポンコツ具合を見せると同時に、キャスターがアサシンの実力に気付かせるようなことをしたかった。