Fate/strange fake Prototype -Another Player- 作:縦一乙
基地付属の避難シェルターは割と地表付近に存在している。爆撃などを考えれば全くの無意味であるが、シェルター使用想定が竜巻などの自然災害なので無理からぬこと。一時利用であればこれくらいで十分であると判断されたらしい。予算の都合という現実的な問題が立ち塞がったのも理由の一つかも知れない。
収容人数はシェルターひとつあたり数千人。しかし人間のライフスタイルをまったく考慮せず、通勤ラッシュの電車内の如く鮨詰めに収納すれば、八〇万市民全員を収容することも不可能ではない。
数日間飲まず食わずで立ちっぱなし。空調こそ機能はしていたが、トイレにもいけない状態で衛生面が保たれている筈もなかった。過酷な状況であるが、《笛吹き男(ハーメルン)》に操られた彼等が抗議することはない。誰かがこの状況を打破するべく動かねば、彼等はこのまま静かに朽ち果てるだけだ。
目の前をゆっくりと虚ろな目をしたまま前進していく市民を前に、繰丘椿は複雑な心境にあった。
『何を考えているのですか?』
椿の心境を敏感に感じ取ったライダーが声をかける。複雑に入り交じった思考はライダーに筒抜けであったが、それでも尋ねずにはいられなかった。
椿自身がいつか向き合うべき問題。ここで黙って見過ごすのは簡単だが、次が巡ってきた時に理解者が傍にいるかは限らない。
「……私はね、ライダー。この戦争が始まって、楽しかったんだ」
『はい』
肯定ではなく相槌として、ライダーは応じた。
孤独であった椿をライダーが最初に癒やした。ティーネが、フラットが、銀狼が、椿の心の支えとなった。アサシンに窮地を救われ、南部砂漠地帯で《二十八人の怪物(クラン・カラティン)》を救出し自らの意義を見いだすこともできた。
この数日間は間違いなく椿にとって充実した日々だった。幸せだと思ってしまった。こんな戦争でもいつまでも続けていたいと心のどこかで願ってしまっていた。
「けど、それは間違いなんだなって、思ったの」
椿の目の前で倒れる椿と同年代の子供がいた。何事もないようにすぐに起き上がるが、傍らで子供の転倒に巻き込まれた老人はそのまま蠢くだけで起き上がることはできなかった。
体力のない者はとうの昔に限界を迎えている。残念だが、そうした者を一人一人救出していく余裕はない。せめて踏まれぬよう通路の横に運んでやりたかったが、それすらも許されることではなかった。
時間は有限だ。目の前にいる助かる見込みのない命より、すぐ傍らにいる助かる可能性の高い命を優先するのは、仕方のないことだった。幼い椿が直視するには辛すぎる現実だった。
この戦争で椿はまだ人が死ぬ様を直接見たことはない。無自覚に人を殺しかけたこともあるし自覚して人を傷つけたこともあるが、それはこの戦争参加者として仕方ないと割り切って考えていた。
けれどもその考えは余りに自分本位だった。この人達は違うのだ。椿と同じように巻き込まれながらも、抗う術を持つことは許されなかった。
身体が動かぬ苦しみを椿は知っている。
時間を奪われた哀しみを椿は知っている。
自らの意志がない不条理を椿は知っている。
そんな自分が無自覚にもこの状況を作り出し片棒を担いでいたのだ。
椿が楽しんでいた影に、無関係であった筈の彼等に犠牲を強いていたのだ。
ライダーを効率よく扱い、戦争を終結させるべくもっと積極的に動いていたのなら、この惨状を引き起こすことはなかったのかもしれない。
それがたまらなく椿の心を苛んでいる。
『……椿はよくやっています。椿がいなければ、犠牲者はもっと増えていた筈です』
空々しいと思いながらもライダーは椿を慰める。
当初ヘタイロイが立てた脱出計画では市民の移動に時間と手間がかかることからせいぜい数千人の脱出が限度である。しかし椿がこの場に駆けつけたことで、市民の脱出スピードは飛躍的に向上していた。
収容されている市民にライダーを“感染”させ、その脳内に脱出のためのプログラムをインストールする。《笛吹き男(ハーメルン)》の影響もあって夢遊病のように歩く市民は不気味なことこの上ないが、驚くほど効率的に脱出作業ははかどっていた。
「それは、ライダーがやったことだよ。私じゃないよ」
『椿がそう思わなければ、私が動くことはありません』
突き放すような椿にありきたりな言葉しか吐けぬ自分をライダーは嫌になる。
その気になればライダーは椿を眠らせるだけでこの身体の操作権は簡単に奪える。セロトニンを分泌させ、少し眠りを促すだけであっさりと事は成就するだろう。それは戦闘中に椿が起きぬよう昨夜の襲撃を凌いだことで実証されてしまっている。痕跡はできる限り消しておいたが、椿ははっきりと違和感を覚えてしまっている。
椿は、周囲が思う以上に聡い子供である。
魔術師として実践的な教育は為されていないが、その素養はあったのだろう。その歳でありながら周囲を把握し適した行動を決断でき、頭の回転も速い。メンタル構造も特殊で、一年もの孤独にも耐える強靭さと、信念を貫く気概を併せ持っている。
それでも、人は彼女を“聡い子供”としか見ないだろう。
彼女の体躯を見れば誰も彼女を子供としか見ないし、肉体年齢も相当かそれ以下でしかない。
では、その精神はどうだろう。
ライダーは、ここに至って後悔をする。
人間の一生の中で最も成長する時期は、幼年期である。人間以外であってもその傾向はあるが、特に顕著なのが椿ぐらいの年頃である。乾いたスポンジの如く知識や技術を吸収し蓄えてみせる。人間が最も変わる時期と言い換えても良いだろう。特に、戦争という特殊なイベントに遭遇していれば尚更だ。
……それで納得できるほどライダーは幸せな性格をしていない。
出逢ったばかりの幼く何も知らない繰丘椿。
今現在の自責の念に陥り泣いている繰丘椿。
どちらの同じ存在でありながら、前者は停滞を、後者は行動を選んでいる。一体この差を生んだ原因は何なのか。
ライダーはその原因となる解析結果を一読する。
三〇万と一〇の七乗ミリ秒――年に換算すれば、およそ一〇〇年。無限の時を生きるライダーであるならそれは瞬き程度の時間。それでも、人間が生きて死ぬには十分な時間だ。それだけの影響があるのなら、人が変わるのも納得であろう。
《感染接続(ワン・フォー・オール オール・フォー・ワン)》、マスター繰丘椿の無意識領域への全アクセス記録の分析データ。ライダーがこの固有宝具を手に入れ、今に至るまで椿が受信した時間である。
中には勉強もある。仕事もある。遊びもある。犯罪もある。食事もある。睡眠もある。セックスもある。出会いがある。別れがある。後悔がある。歓喜がある。信仰がある。裏切りがある。信頼がある。
人間が経験できるほとんど全ての経験を繰丘椿の脳は受信している。
ライダーはマスターである繰丘椿に“寄生”するサーヴァントだ。ライダー単独ではなんの力も持っていないため、椿というフィルターを通さねばライダーは力を行使することができない。
畢竟、ライダーが力を行使すれば、フィルターである椿に必ず影響が出る。
気付くのが、遅すぎた。
ライダーの《感染接続(ワン・フォー・オール オール・フォー・ワン)》は“感染”という性質上、ライダーの意志で出力調整はできても完全シャットダウンができない。《感染接続(ワン・フォー・オール オール・フォー・ワン)》の起点となっている椿の無意識領域には、常に“感染”した人々の“経験”が浸食していたのだ。
椿本人に自覚はない。だがその経験は椿の精神年齢を加速度的に上げ、更には彼女の知る由もない知識を与えている。
その最たる例がつい一時間前のキャスターとの将棋勝負にある。
キャスターの悪手があったとはいえ、顕然としたルールの中でただの子供が偶然や抑止力程度で勝てるわけがない。ただの遊びとして知っているだけで、椿は将棋に精通しているわけでもないのだ。数手先を読むのも難しければ、ルールを完全把握していることすら怪しい。だというのに、彼女は常時十手以上先を読み続け、更には“打ち歩詰め”というルール違反にも気がついていた。
椿が勝つためには、キャスターのミスにつけ込み、その勢いのまま押し切るしか無かった。二度目はないし、何より時間が惜しい。“打ち歩詰め”のルール違反を承知した上でキャスターがそのルールを知らないことに賭けたのだ。
結果は御覧の通りである。
以前の椿であれば、愚直にルールを守り、そのまま敗北していたことだろう。真に抑止力というものが働いていたとしたら、それは椿の無意識下に受信していた“経験”の中にある。
『椿、一度止まってください』
「そんな暇はないよ。私の一秒でどれだけの人が救えるのか分からないライダーじゃないでしょ」
ライダーの進言にも椿は止まらない。
将棋勝負であれば椿の成長は喜ばしいといえただろう。しかし今の状況は椿の成長が完全に徒となっている。彼女本来の性格と能力が相反し、事実を深刻に受け止め過ぎている。端的に言えば、責任を感じすぎていた。
まずい兆候である。
責任はライダーにあると言ってしまうのは簡単だ。実際に署長と原住民相談役の前で語ってもいる。だがあれが方便であることは椿が一番よく知っている。優先すべきは椿であり、他はついでに過ぎない。あのティーネですらライダーは見捨てる決断を一度してしまっている。
ここで何を言っても椿は聞き入れることはしないだろう。なまじ能力があるだけに負け戦だと分かっていても喜んで自らを犠牲にしかねない。
そんなライダーの心配をよそに、椿は基地周辺のシェルターを駆け巡る。ライダーは空気を介して“感染”もできるがその効力は些か弱い。集団感染を引き起こすにはなるべく距離を縮める必要があった。
現在まで脱出プログラムをインストールし実行できるまで強く感染しているのが約二〇万人。感染具合がまだ弱くプログラムが実行できないのが約一〇万人。感染だけなら然程難しくはないが、このままだと残りの五〇万人については命令を発することもできず、その殆どが見捨てられることになる。
『椿、この短時間で五〇万人に命令を下すことは不可能です』
「けど私にできることはこれくらいなの」
ライダーの“感染”は魔術でも宝具でもスキルですらない、ただの特性だ。そこに魔力は必要としないが、脱出プログラムのインストールとなると、情報発信と情報書き換えのために少ないながらも魔力を消費する。感染者から魔力は回収できるとはいえ、そのためのフィルターとなる椿の身体には確実にダメージが蓄積される。
水滴だって長い年月をかければ岩を穿つのだ。水滴が集まり滝となれば、もっと簡単に岩は耐えきれなくなる。
分かりきった結論に、ライダーは椿を説得しながら考え続ける。天秤は、まだ傾き始めたばかり。完全にダメになる前に、手は打たねばならない。
ここで椿を眠らせることはできる。しかしこの状況下で眠らせることには不確定要素も多く、何より今後の両者の信頼関係にも影響が出る――。
ふと、今後という発想が自然と出たことにライダーは苦笑した。今日を乗り越えられる保証もないというのに、後のことを考えるなど愚かなことだ。死ぬ可能性の方が高いし、“偽りの聖杯”がなくなればライダーも消滅する可能性も高い。
椿の生存を第一とするならば、今後のことなどどうでもいいではないか。
『――椿』
「…………」
ライダーの呼びかけに椿は何も答えない。
わずか十数分で四つのシェルターを巡った椿の魔術回路は限界に近付きつつあった。破格の性能を持つ椿の魔力回路であるが、この短時間での酷使に回路の形成を助けていた脳内細菌が死にかけていた。本人に負担がないため自覚症状は出ていないが、自覚できた頃にはもう手遅れとなる。そうでなくとも、今後の椿の成長過程に悪影響が出るのは間違いない。
ここが分水嶺とライダーは決める。
最後に一言、別れの挨拶をしようとライダーは意思伝達装置を操作する。
椿のために自己を犠牲とするライダーの思考も結局椿と同類であるが、そのことにライダーは気付かなかった。もしかして気付けたのかも知れないが、その機会をライダーは逸してしまった。あるいは、ライダーが選択を迫られたこのタイミングを読まれていたのかも知れない。
周囲を椿と同速で奔る銀の鎖が、視界に入った。
椿が駆けていたのはシェルター間を繋ぐ通路のひとつである。
工場のように発電施設や空調施設の間を縫うようにして簡易に設置されており、通路というより足場と称した方が近い。その不安定さと周囲の危険性からこの施設内に市民は収納されていない。網目状に拡がるパイプや遮蔽物もあり、それだけに待ち構える場所としては都合が良かった。
油断した、と思う間もなく反射的にライダーは椿の身体を強化し防御を固める。しかし警戒していた鎖は椿とは異なる場所に巻き付いていた。
「――? あれは?」
ライダーに遅れて椿がその鎖に気がつく。鎖は椿の進行方向に大きく×印を作りその場を通行止めにしる。これではさすがの椿も止まらざるを得ない。
敵意がないのは一目瞭然。それでいて、高い魔力の篭もったこの鎖は宝具と見迷うこともない。巻き付いた鎖を辿って後ろを振り返れば、鎖に引っ張られるように高速移動する見慣れた装備の男がいた。
「伝令です! お二人とも待ってください!」
男の口から発せられたのは慌てたような高い声。立ち止まった椿にライダーは交代を要請するが、椿はその必要性をまだ認めなかった。
背後から現れたのは、見覚えのある顔。南部砂漠地帯で最初に遭遇した若い《二十八人の怪物(クラン・カラティン)》。ライダーの寸頸で受けて倒したことも記憶に新しい。確か、今はティーネと共に地下へと潜っていったのではなかったか。
砂漠地帯でも行われていた電子欺瞞(ジャミング)は基地全体で仕掛けられている。そのため、情報伝達はこうした古典的手段に頼らざるを得ない。先んじて動いていたヘタイロイが上手く統率されていないのも当然だった。
「何かあったんですか?」
「はい、移動を中止して大至急この周辺エリアの警戒にあたってください」
かつて倒されたことがありながらも律儀に敬礼しつつ、若い《二十八人の怪物(クラン・カラティン)》は状況が悪化しつつあることを告げてきた。椿の割り当ては市民の脱出支援の筈だが、それを放棄して警戒しろという。それこそ、ライダーが告げたように、残り五〇万もの市民を犠牲にする必要があるというのだ。
「基地内メインシャフトから地上に向けて移動震源が確認されました。状況から考えて敵の反攻作戦に間違いありません」
「メインシャフトは封鎖されてたんじゃないんですか?」
「はい。ですから、奴ら充填剤注入してまで築いた強固な壁を内側から崩してきているんです」
実に思い切った策であろう。短時間で突破できぬ壁と分かっていればそこを警戒することはない。他の場所にこちらが兵力を回したところで、封鎖されたルートを強引に突破できれば、簡単に地上へ戦力を送ることができる。そうなると基地に浸透しているこちらの戦力を上と下から挟撃できることになる。
電子欺瞞(ジャミング)され連絡が取れぬ今、部隊として動く敵にこちらが迅速に対応できるわけもない。
それに、硬化した充填剤を短時間で突破するなど常識的には考えられない。土竜爪をはじめとして《二十八人の怪物(クラン・カラティン)》本部には掘削に秀でた宝具も多々あった筈。これらを使用されると、この周辺でまともに戦えるのはライダーくらいだ。
『椿。事態が事態です。急ぎ確認する必要があります』
「……分かってるよ、ライダー」
五〇万人の市民を助けようと思うのなら、先にその敵を確認し排除しなくてはならない。リスクヘッジに甘く、可能性があればその最善を求めるが、現実問題として立ち塞がれば、椿はその順番を間違えない。
椿の思考は、ライダーには筒抜けだ。二人の会話も、口内での呟きと骨伝導によって行われている。目の前の男には、全く聞こえていなかった。
二人の意見は一致していた。
「じゃあ、ライダー。お願いするね」
椿の命令と同時に、左手の指に変化があった。
タイミングはライダーに一任してあり、どういったことをするのかも椿は感知していない。威力や精度は二の次。求めるべきは早さであり、ライダーがしたことはそうした奇襲だった。
薄く鋭い爪は、音もなく床に突き刺さった。
完璧な一撃。視覚外から予備動作なしに足先を攻撃されて回避できるわけがない。一つの身体に二つの意志を宿す椿とライダーならではの連携である。
しかして、その結果は。
「――参ったな。いつから気がついていたのかな?」
宝具や魔術を使うことなく、その脚力のみで、目の前の男は十数メートルもの距離を一息で取って、ライダーの奇襲を避けていた。
確認は終えた。
この《二十八人の怪物(クラン・カラティン)》は、偽物だ。
「最初からです」
男の高い声に椿は即答する。
「この広い基地内で、勝手に動く人物を簡単に見つけられる筈がありません」
「言われてみれば、それもそうだね」
椿の指摘に男は子供のようなあどけない顔で納得してみせる。
それ以外にもこの男のミスを指摘すれば数多い。本物の《二十八人の怪物(クラン・カラティン)》が使っていた宝具はナイフであるし、仮に予備の宝具だったとしても練度が高すぎる。咄嗟の決断ができぬからライダーに一瞬で倒されたというのに、敏捷性や決断力も高すぎる。会話らしい会話をしたことはないが、この年代の男にしては声も高すぎた。実際、ライダーが記憶している声とは異なっている。
そして何より、この基地に侵入している《二十八人の怪物(クラン・カラティン)》は全員がライダーによって一度は傷つけられている。感染していない《二十八人の怪物(クラン・カラティン)》などいるわけがない。
ライダーが指摘するまでもなく椿ですら気づけたのだ。役者としては三流だろう。
「慣れないことをするもんじゃないね。説得するより騙した方が早いと思ってさ」
悪びれもせず偽《二十八人の怪物(クラン・カラティン)》は手元に鎖を回収した。それは戦闘のための準備にも見えなくはなかったが、相変わらず敵意を感じることはできない。
「ユーハブコントロール」
『アイハブコントロール』
目の前の男は、敵意すらもなく敵を屠る意志と実力がある。これ以上は対処できないと椿は判断した。最近こうした状況判断ばかり異様に鋭くなりつつある椿である。数日前まで無垢だった少女は一体どこに行ったのだろうかとすっかり保護者面となったライダーは嘆きながら交代する。
傍目からは何の変化もない筈だが、これを男は見逃さなかった。状況判断が鋭いのも椿だけではないらしい。
「待ってくれよライダー。ボクは戦うつもりなんてないんだ」
「ならばあなたは何者ですか」
ライダーの質問はもっともだ。
男が持つ鎖の宝具はいささかランクが高すぎる。訓練を受けた《二十八人の怪物(クラン・カラティン)》でさえそこまで高ランクの宝具を自由自在に使えるわけではない。となれば、この男がただの人間であるわけがない。
油断なくライダーは椿の爪を大きく伸ばし、構える。ライダーといえどその鎖を相手に何の対処もせずに生身で向き合い続けるには危険すぎた。
「この場で身元証明をするのは難しいな。フラットがここにいれば味方だと保証して貰えるんだろうけど、彼は今下にいるしねえ」
フラットの一言に奥に引っ込んだ椿がぴくりと反応する。交代していなければ致命的な隙を作っていたかもしれなかった。
「バーサーカーを気取るつもりですか?」
「いや、ボクはバーサーカーじゃないよ。ボクのこれはせいぜい変装止まり、認めるのは業腹だけど、彼の変身には遠く及ばないのはよく知ってるさ」
まるで以前に戦ったような言い方をするが、ライダーはそれに取り合うつもりはない。今この場でこの男の言葉を確認する術などないのだ。最初に騙そうとした段階で信用するつもりなど皆無である。
「騙そうとしたことは謝るよ。ただ、ボクが伝えたことに嘘はないよ。君達には敵勢力を排除して貰いたい」
「あなたがそれをすれば済む話では?」
「残念ながらボクには別にやることがあってね。本当ならこうして問答している余裕もないくらいなんだ。時間を惜しんでなければ騙そうだなんてするわけがないさ」
「ならここに全てを解決する手段があります。手間もかからず、私から確実な信用を得ることのできる、唯一無二の手段が」
ゆっくりと、ライダーはその爪を男に向ける。
ライダーに感染さえしてしまえば、操り本音を喋らせることなど簡単である。こうして時間をかけて空気感染も続けているが、騙していることが発覚してからこの男は周囲の空気をほとんど吸っていない。ライダーに対抗するだけの免疫能力も人間とは明らかに異なっている。
感染させるためには直接接触するのが最も確実だろう。
「……やっぱり、ボクは君が嫌いだなぁ。汚い、気色が悪い。吐き気すら覚えるよ」
その言葉は本心だったのだろう。微かではあるが、確かにその男は言葉だけでなく心の奥底から嫌悪感を露わにした。ライダーの提案は男の奴隷化を意味する。嫌悪して然るべき手段ではあるが、ただそれだけという風には見えない。
この男はライダーという存在を憎むでも蔑むでもなく、ただ単純に嫌っていた。
元より“病”という災厄の権化であるのだ。理解に苦しむことでもない。
「交渉決裂、ということで宜しいでしょうか?」
「はは、これは交渉ではなく恫喝って言うんだよ。せめて説得と呼べるくらいには努力して貰いたいね」
「詐欺師相手に譲歩しているつもりです。あなたはご自分が何をしているのか自覚していますか?」
「ボク? ボクが行っているのは――」
両者の間でその瞬間、火花が飛んだ。
仕掛けたのはライダー。それも魔力弾などによるものではない。魔力弾は数を出さねば防がれるのがオチだし、そんな数の魔力弾を練っている時間はない。故にライダーが行ったのは一挙動で繰り出す一〇本の矢。
あの《茨姫(スリーピングビューティー)》で散々実験してきたのだ。爪の厚さや長さ、曲がり具合の操作も会得した。その過程で編み出したのが、伸ばした爪の根元を腐食させ、腕の振りで放つ投擲術である。
爪は指に繋がっているものという思い込みを逆手に取った奇策。爪の成長過程でその形状と重心は微細に修正され、手首のスナップもあって一〇本全てが異なる軌道を辿り、速度さえ変えて標的へと襲いかかる。その内の一本でも掠れば、感染の糸口となってライダーの勝利は確定する。
だがそんなライダーを見て、男は不適な笑みを浮かべていた。
一〇本の内、四本は避ける。三本は鎖を真横に薙いで弾き飛ばす。二本はプロテクターを掠めただけ。残りの一本は、行儀悪くもその白い歯で噛んで受け止めていた。
あっさりと攻撃を凌がれたことに驚くなど無駄なことをライダーはしない。投擲した瞬間に疾走を開始し、あと五歩もすれば懐に入り一撃を加えられる。後ろに跳躍し距離を取ろうとするが、ライダーの突進の方が速い。頼みの鎖は真横に放たれたままで、今更回収しても間に合わない。
勝利を確信するライダーであるが、男は噛んで受け止めた爪を吐き捨てると、遮られた台詞の続きを静かに口にしてみせた。
この男が行っているのは、
「――ただの時間稼ぎだよ」
残り一歩の距離にまで近付きながら、ライダーは両足を全力で強化してまで急制動をかける。急激なGに中で椿が悲鳴を上げるが、それに対応している暇はない。
ライダーが周辺警戒に放っていた粒子に反応があった。
急制動によって膝に蓄積されたエネルギーを利用して上方へと跳躍する。同時に真横から聞こえてくる破壊音と、一瞬遅れてライダーがいた場所に顕現する破壊の嵐。
「言っただろ、この周辺を警戒してくれって。それって、敵が現れる可能性が高いってことだよね」
男が報告していた内容に嘘はなかった。
基地のメインシャフトとこの施設は直接繋がっているわけではない。ただ、硬化した充填剤を突破するよりも、薄い壁を介して間接的に繋がっているこの施設を中継した方が地上への出口は近かった。
信用に値しない、ただそれだけでライダーは男の言葉を斟酌するのを怠っていた。感染という安易な手段を選択したのは早計だったのかもしれない。
先に投げられた鎖の先端は、その薄い壁に穴を穿ち、壁を引き抜くことで更なる大穴を空けていた。その壁の向こうに見えるのは、人型の機械――重装甲パワードスーツの一団だった。その両肩と両腕には馬鹿みたいにでかい多連装チェーンガンが装備され、こちらへとその照準を合わせている。
「ここで彼等の侵攻を食い止めなければ、犠牲者は増えることになるよ?」
その言葉はライダーではなく、奥に引っ込んだ椿へと向けられていた。
男の思惑通りに動かされることは気にくわないが、かといって無視することなどできよう筈もない。椿がどう判断をするのか、ライダーは聞かずとも分かっている。
「それじゃ、後は頼みますね。せいぜい死なないよう持ち堪えてくださいよ」
言葉だけを残して男は最後まで名乗ることもせずライダーの目の前でその姿を徐々に消していく。
変装による透明化とはシステムが明らかに違う。光を遮断し歪曲させるエアカーテンによる光学迷彩に加え、臭気・温度といったものも周囲と同化していく。ライダーの感覚をもっても男を捉えることができない。
鎖・変装・透明化の宝具を男は三つも持っている。フラットの居場所を知っている。生き残った《二十八人の怪物(クラン・カラティン)》の顔も知っていた。男は椿を呼び止めるのに「二人」とライダーを数に入れている。移動する敵の動きさえも把握していた。
正体不明でありながら、各陣営の内情を知りすぎている。
それでいて、状況を考えるにこうして最悪を防ぐべく敵の増援をライダーにぶつけるよう仕向けたのはこの男。結果的に、ライダーの負担は大きいものの現時点で被害は最も少なく済んでいる。
「あなたは一体何者ですか?」
疑問を口にしてみるも返ってくる言葉はない。透明化できぬライダーを囮に本人はさっさとこの場から立ち去ったらしかった。
撒き散らされる銃弾をその機動性と遮蔽物を駆使してなんとかライダーは回避し続ける。回避しながら周囲の違和感からあの男を探し出そうとするが、もはやその残滓も感じられない。その間にも、傷つけた動脈から吹き出す血のように、破壊された壁から人型機械が溢れ出てきた。このまま放置していけば、程なく周囲には死が訪れるだろう。
生命体を始めとする有機物に対して圧倒的優位であるライダーではあるが、機械などの無機物に対しては相性が悪すぎた。ライダーの感染は非生物には通じにくいし、そもそも戦闘をするための直接的な宝具をライダーは持っていない。ライダーが“騎乗”している椿からして貧弱な少女でしかないのである。
冷静に考えて、そこに勝機があるわけもない。
既に先手を取られ劣勢となっている。挽回するのは難しく、撤退し体勢の立て直しを図るべきだが、ここで退けば地上ルートを確保される上、脱出した市民にまで被害が出る。それだけは、何としてでも阻止しなくてはならない。
波のように押し寄せる敵を前に、ライダーはその覚悟を決める。
守るべきは椿、ではない。
守るべきは椿が帰るべき場所だった。
こうして、最初に椿とライダーが無自覚に抱えていた自己犠牲愛は、“救う”から“守る”ことへとすり替えられることによって当面の解決を見る。全てを見通した上で、あの男がこれを仕掛けたことに、二人が気付くことはなかった。
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数日間飲まず食わずで立ちっぱなし。
とりあえず現時点で衰弱死している人は少ない。動けない人は多いが。
常時十手以上先を読み続ける。
正確には、棋士のように経験や勘を元に先を読んでいるわけではない。ライダーの力を利用してコンピュータのように全討ち筋を網羅しているだけ。なので最善手がどれかを選ぶのに椿は苦労している。目次のない分厚い攻略本を読みながらゲームをプレイしているようなものである。
椿の成長。
なんだかんだと説明してはいるが、子供が聖杯戦争に関わると面倒なだけ。いっそのこと椿の精神をライダーが乗っ取るというものも考え、そのルートも考えもした。が、やはり葛藤のあるライダーでないと面白くない、ということで椿には少し(かなり)成長してもらうことにした。
打ち歩詰め。
将棋の超マイナールール。普通しらねえよ。
歩兵が王を討ってはだめ、というルールにはあまり納得出来ていない。
土竜爪。
土を操る宝具。色々と考えてはいたが、結局使うことは無かった。
役者としては三流。
今のところこの謎の男とジェスターとライダーが下手な演技で敵を騙して芝居をしている。実はあと一人演技してたりするのだが、お気づきだろうか?
周囲の空気をほとんど吸っていない。
一応、可能。まあこんな長時間無呼吸で会話している時点で人間ではない。
単純に嫌っていた。
一応、その根拠となる台詞はある。この男が誰なのかまだ言えないので詳しくはいえないのだが。