Fate/strange fake Prototype -Another Player-   作:縦一乙

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 スノーフィールドの北部、渓谷地帯には数多の洞窟が存在している。

 蟻の巣の如く張り巡らされた穴は人間の手が入ったことで開拓時代の炭鉱のような印象をもたらすが、これらは全て大昔、神代の時代に何者かによって掘られた人工の洞窟である。いずこの者が一体どのようにして掘ったのか、その回答は長い年月によって失われている。ただ内部は迷宮同然の複雑さで、深さは合計すれば優に数十キロ以上あり、最深部には直径一〇〇メートルを超える大広間まである。

 ティーネ・チェルク率いるスノーフィールドの原住民は住処を追われて以来七〇年に渡ってこの洞窟を拠点として活動を続けていた。崩落せぬよう内部の空間を補強し、水と空気を流れさせ、常時数百人が生活する様は街そのもの。だが、ここに武器弾薬が持ち込まれ、屈強な若者が巡回し、外周に罠が設置されるようになるとこれは街というより要塞のそれに近い。

 ティーネがその報告を受けたのは、そんな要塞の深部にして中心部、族長である彼女の執務室とでもいうべき豪奢な部屋である。

「全滅……!?」

 部下から上がってきた報告にティーネは絶句した。

 これは珍しいことだ。普段であれば、彼女は親兄弟が唐突に死んだとしても冷静に対処することができる。それは十分予想の範囲であり、そのための対処を彼女は決して怠らないためだ。前族長であった父の亡き後、他の兄弟姉妹を差し置いて幼い彼女が族長に選ばれ何の文句も出なかったのは、その身に溢れる力以外にそういった点が評価されてのことである。

 しかしなまじ優れているだけに計算外のことには、殊の外弱い。計算はできても、経験は圧倒的に足りていないのだ。

 そんな彼女の珍しい所作に、愉悦の視線を向ける者がいた。

 燃え立つ黄金の髪に紅玉の如き双眸。彼女をマスターとするサーヴァント、アーチャー、英雄王ギルガメッシュである。

 笑い声こそ上げぬものの、アーチャーの口は喜悦に歪んでいた。期待せぬ晩餐の余興で愉しみでも見つけたようである。

「少しは幼童らしい態度をとれるではないか」

「……失礼を致しました」

 顔を赤らめることなく、彼女はまた元の彼女へと戻っていった。

 ティーネは部族再興のために幼少時から指導者たらんと英才教育を受けている。それは彼女以外の族長候補も同じではあったが、特にティーネはその才覚が目覚ましかった。目的のため親兄弟、そして自らも歯車の一つとして使い潰される覚悟を彼女は最初から持っていた。その覚悟は彼女を機械の如く成長させたが、完成には至っていない。自らが自由に出せるほど残ってはないが、捨てきれていない感情はひょんなところで出てくるのである。

「よい。……しかし、面白そうな話をしたな。申せ」

 アーチャーは部屋の中央に置かれたソファーに寝そべりながらこの地の酒を味わっていた。アーチャーのために用意させた最高級のものであるが、英雄王の前では安酒も同然――ともなれば、王が肴を求めるのも道理である。

 探し求める肴に全滅の二文字はいかにも丁度良い。ティーネが多少なりとも動揺してみせた案件であれば尚更である。

 ティーネはしばし話すかどうか迷ったが、アーチャーの機嫌を損ねるとそれはそれで困る。

「先ほど、私の指示で街中に配置してあった戦士達が全滅いたしました」

「ほう。そんなものがいたか」

 アーチャーには初期の段階で彼らの紹介をしていたのだが、憶えていないようである。だが直接指揮しているティーネにとっても彼らは便利な駒であれこそすれ、そこまで重要な存在ではない。サーヴァント相手の戦いで多少腕が立つ程度の実力では逆に足手まといですらある。血気に逸って暴走する可能性を考慮し、仕方なく直接指揮していたに過ぎない。

 そんな彼等にティーネが与えた任務は、他のサーヴァント陣営及び潜伏中の魔術師達について、スノーフィールド市街で情報収集を行うこと。スノーフィールド内での情報網は確立しているが、いかんせんそれは非武装地帯に限っての話。そのため彼らの主な任務先は銃弾が飛び交い、魔術が牙を剥く危険地帯への潜入調査にある。今回も、街中で暴れるサーヴァント、そしてそれを狙う魔術師や他のサーヴァント勢の情報を掴もうと戦場に乗り込んでいき――

 全滅となった。

「同時に、街中に潜伏していた他勢力の魔術師共も多くの犠牲が出たとの報が届いております。これにより事実上サーヴァントを擁する陣営だけが残った模様です」

 投入していた戦士を失ったとはいえ、他にもまだ優秀な戦士はいるし、情報網への損害も皆無である。むしろ余計な情報源が淘汰されてやりやすくなったともいえよう。これで更に自軍の有利が決定的になったことになる。

「我が手を下す必要がなくなったのは結構なことだ。どこの暇人かは知らぬが、褒めてやるのも吝かではない」

 この偽りの聖杯戦争において英雄王が最も嫌ったのが街中に蔓延る魔術師達である。

 対魔能力があるサーヴァントに並の魔術師が相手になる筈もないが、高位の魔術師においてはその限りではない。サーヴァント相手にマスターを守るだけならまだしも、有象無象の魔術師を蹴散らすのはただひたすら面倒なだけだ。

 単独行動スキルを持つとはいえ、マスターを失うのもアーチャーとしても面白くない。かといって狙われるマスターを守るのも彼の主義ではない。

 もしここに事の発端である武蔵が現れたのなら、案外本当にこの英雄王は褒めていたのかも知れない。

「…………」

 それっきり押し黙るティーネを横に、アーチャーは酒を口内で転がしてみる。

 ただの安酒と最初は馬鹿にしていたが、こうしてみると中々に趣のある味である。古今東西酒を注がせるのは美女と相場と決まっているが、肴にするにはティーネのような者が丁度いい。酒にはそれぞれ相応しい飲み方というものがある。

 アーチャーが手にしている酒は濁っている。中に例え異物が混入されていたとしても、これでは気づくまい。だが、例え見た目には分からずとも口に含んでしまえば味を誤魔化すことなどできはしない。

 ふと、アーチャーは惜しいと思う。ティーネが成人していれば閨で彼女を辱めるのも一興だっただろう。

 泣き叫ぶ姿を見たくないといったら嘘になる。

「賢しい真似はよせ。それだけではなかろう……?」

 核心を突かれ、ティーネは己の血が逆流するのを感じ取った。黙っていたのが不味かったのか、臣下が王の顔色を窺うように、王が臣下の顔色を読むのも当然だ。

「臣下の奸計は巧妙になればなるほどその様を我に愉しませてくれる。お前のような小娘如きが我を謀ろうとするのも見物だが、興を削ぐ真似を許すほど我は寛容ではないぞ……?」

 それは騙すならもっと上手く騙せというアーチャーなりのダメ出しであったが、ティーネからすると下手な言いわけをするなら首を刎ねるという意味合いにもとれた。死ぬことに対する恐怖はないが、死ぬことで目的が達成できぬ未練はある。

「……申しわけございません。王の耳に入れるまでもないと判断致しましたので」

「言いわけなどどうでもよい。事実などもどうでもよい。お前は、何を思って言葉を隠さんと企んだ?」

 アーチャーの興味は、情報よりもティーネにあった。

 かつてのアーチャーのマスター、遠坂時臣はアーチャーの無聊を慰めるような男ではなかった。それは彼が生まれながらの魔術師であり、王たるギルガメッシュの興味の外に心血を注いでいたからに他ならない。自らの目的に邁進していく点ではティーネも同じではあるが、理知的に目的に突き進む魔術師として完成された時臣と違い、ティーネには幼さ故に時臣にはない迷い悩む余地がある。鍍の仮面を剥がし落とす様も見物であろう。

 若さ故の苦悩は凡作の歌劇に秀でるものだ。

 特に、身近で観察するには都合がいい。

「では、事の経緯を説明させていただきます」

 そんなアーチャーの考えを知ってか知らずか、ティーネは一礼し事の経緯を説明し始める。

 実を言えば、ティーネ達スノーフィールドの原住民は《二十八人の怪物(クラン・カラティン)》よりも先にスノーフィールドに入った東洋人の姿を捉えていた。だが発見した者が非戦闘員だったために接触せず指示を待っていたことで、《二十八人の怪物(クラン・カラティン)》に先を譲る形となった。だが時間をかけただけにサーヴァント召還後についてはほぼ万全の装備で情報収集に挑むことができていた。

 肝心の武蔵本人に接触することは適わなかったが、武蔵に襲われ撤退中の魔術師チームを捕縛することによって情報を得ることに成功している。捕縛の際に負傷者が出たものの、誰一人欠けることなく任務を達成できたので上首尾といえよう。

 だが問題はこの後に起こる。

 彼らは一人を伝令役に放たれた後、彼等は周囲の魔術師達の情報を集めてから撤収することにした。欲が出たのかどうかは分からないが、それだけその戦場での情報収集が魅力的であったことは確かだ。

 そして――誰も帰ってこなかった。

 遺体は見つかっていない。だが約束された時間になっても帰っておらず、その足取りもようとして掴めない。単純に脱走した可能性もあるが、彼らにそのような兆候はなく、金も家族もそのままに残っていた。

 状況証拠から、彼らが何らかの事件に遭遇したことは明らかだ。

 念のためにと他の魔術師グループも調査してみれば、ほとんどがその行方を追うことができない。同時刻に警察が麻薬グループとの交戦をしたという情報も入っているが、その麻薬グループが魔術師だったとしても、ティーネ達が把握している人数とではかなりの差がある。

「何故失踪と全滅を結びつける?」

「他の魔術師に対しては推測でしか話せませんが、我らスノーフィールドの民であれば、この地にいる限りその生死を追うことができます。昨夜確認された人数と、先ほど確認した人数。その差は失踪した戦士達の数と一致します」

 強力な結界内であれば例え生きていても捕捉することはできないが、そこに期待するわけにはいくまい。彼らが生きてる可能性は限りなく低く、聖杯戦争の最中にあっておいそれと大規模捜査するわけにもいくまい。

「これは別件ではありますが、スノーフィールド市内だけでなく東部湖沼地帯の別荘に居を構えていた魔術師ジェスター・カルトゥーレも弟子もろともに失踪していたことが確認されています」

「何者だ?」

「確認はとれていませんが、マスターの疑いのある強力な魔術師です。しかしジェスターはともかく弟子まで姿が追えないとなると、何者かによって消されたと考えるのが妥当です」

 ジェスターの行方を探すに当たって、ティーネは場合によっては別荘に直接乗り込んででもジェスターと弟子の姿を確認するよう指示していた。魔術師の工房に乗り込むなど本来ならば愚挙ともいえたが、それに見合った対価を得ることができた。

 無茶を承知で別荘の中を確認してみたところ、人のいる気配がまるでない。更に中へと踏み込んでみれば、そこは儀式にでも使ったのか白骨化した死体が十体ほどあっただけ。しかし現場の形跡からここを立ち去ったのはせいぜい一人か二人。金銭や装備の類もなくなってる様子がなく、バイクや自動車といった移動手段についても鍵ごとそっくりそのまま残されていたという。

 ジェスターについてはアサシンが全ての元凶であるのだがそんなことをティーネが知る由もない。弟子の死体をジェスターが骨だけ残して綺麗に始末してしまったことで、ティーネは一連の失踪と関連づけてしまっていた。血の一滴でも残っていれば話は別だったのだろうが、まさか白骨化した死体が弟子だったとは考慮の外だ。

 スノーフィールドに入っている魔術師の中で五指に入る使い手と目されていただけに、彼の失踪はティーネを次の結論へと持って行く。

「サーヴァントの中に、王を殺せる者がおります」

 ティーネが真に動揺したのはこの結論。自らも駒の一つと言い切れるティーネにあって、たかが一部隊の全滅など予想外でも何でもない。彼女が真に動揺したのは、英雄王の寝首を欠ける存在がいるという一点のみ。

 ティーネが出した結論に、アーチャーは特に憤ることなく、黙って視線をティーネに返した。続けろということらしい。

 一抹の安堵を覚えながら、あくまで可能性だと告げてから、ティーネは話を続ける。

「先のジェスターの件と、此度の戦士達の失踪。一連の出来事の規模を考えますと、これはサーヴァントの仕業と考えるのが妥当です」

 一人や二人だけならまだしも、現時点でかなりの人数がいなくなっている。闇雲に魔術師を狩っているというよりは、ソウルイーターとして魔力を集めていると考えるべきだ。

「それも、あれだけの数の魔術師を誰に気づかれることなく屠り吸収したとするなら、それは隠密活動を得意とするアサシンに他なりませんが――」

 勿論、ジェスターがマスターであることを確認できていないティーネに誰がアサシンを召還したのかわかる筈もない。

 が、ここにティーネにとって誤解して無理からぬ判断材料があった。

 サーヴァント・宮本武蔵の存在である。

 武蔵の情報をティーネは伝令役の戦士から手に入れている。武蔵の戦法や能力はあの戦場を脱した多くの魔術師が把握しており、この段階で手に入れずともそう遅くないうちに手に入れていたことだろう。

 正体を知れば、その逸話から能力値を逆算し、それに合わせたクラスを推測するのは当然だ。相手のクラスを特定できれば必然的に他のサーヴァントのクラスを絞り込むことができる。

 宮本武蔵――サーヴァントとしての格は高くない。魔力もかなり低く、技術はともかくとして宝具らしい宝具も持ち合わせているようには見えない。

 頭上からの奇襲、卓越した剣技、多数を相手取る心得、そのいずれも高い評価をせざるを得ないが、サーヴァントとして見ればどれも決め手に欠ける。状況から考えるにスキルとしては気配探知、気配遮断、戦術眼といったところか。いずれも正面から正々堂々戦うタイプではない。

 投擲術も得意としているようだがアーチャーのクラスはギルガメッシュによって埋められている。ランサーのクラスも英雄王の口からエルキドゥとも聞いているのでこれも違う。バーサーカーのクラスにもそぐわない。五輪の書を著したことからキャスターのクラスは考えられるが、ああも直接戦闘に及んでおきながらその可能性は低かろう。背中にマスターを背負っていたと情報はあったが、ライダーという風にも見えない。

 第五次聖杯戦争に召還された佐々木小次郎の好敵手ということを併せて考慮すれば、もはや答えはひとつしか出てこない。

「そのアサシンにそのような能力がないことは確認できています。それにああも派手に動きながら現場から逃走した様子がないことから、アサシンは脱落していると思われます。となれば現状、アサシン並の隠密性を有したサーヴァントがこの街に潜んでいることになります」

 そう、彼女はこの偽りの聖杯戦争で正規の召喚システムに則らないマスターの存在を知らないのである。

 それも無理からぬ話。正当な聖杯戦争でないことはティーネも理解していたが、このシステムを把握しているわけではない。そもそもこの“偽りの聖杯戦争”には複数の思惑が深く複雑に絡み合っている。そのため全体像を把握している者など黒幕も含めてどこにもいやしないのだから、無理からぬ誤解である。

 だが反面、的を射た推察もある。

 もし英雄王と相対するならば、付け込むべきはその油断と慢心に他ならない。

 例えばの話ではあるが、「虚数」と「吸収」を掛け合わせた「影」といったものがあれば、状況次第で英雄王を数瞬で倒してしまうのも十分に可能だと彼女は判断した。

 そのために彼女はまず驚異となる可能性がないことを確認すべく調査をしたわけだが……。

 この事件、最悪の想定である「影」がいる可能性が飛躍的に高まる結果となった。

「なるほど」

 と、英雄王は口にした。

「我に斯様なサーヴァントがいるから気をつけろ、と? いつ何時どこからやってくるかも分からぬ影に対し注意警戒せよ、と言うわけだな?」

「……御身を大事にすることが現状で最良の方策と心得ます」

 英雄王の意地の悪い言い方にティーネは言葉を選ぶ。

 ティーネとしてはまだ何も分からぬ「影」の如き存在について、詳細な情報を手に入れたい。正面切って戦う限り、この黄金のサーヴァントに敵う者などそういるわけがないが、正面切って戦わない者に対してはその限りではない。

 対処策を練るのはマスターたるティーネの仕事だ。しかし、そのためにはこの暴君と名高いギルガメッシュには大人しくしてもらう必要がある。奇襲を受けるような場所には行って欲しくないし、街中に混乱を起こす真似も遠慮願いたい。唯我独尊を地でいくサーヴァントがこちらの都合をどこまで慮ってくれることか。

 が、そんなティーネの思惑を余所にアーチャーは軽く応える。

「ふん。まあよい。気をつけることにしよう」

「………………」

 意外な返答に、ティーネは次の言葉を出すことができずにいた。

 あくまで可能性の話だ。ティーネ自身も全部当たっているなどとは考えておらず、英雄王と正面から互角に戦えるサーヴァントがいる可能性は現状で一割。仮定に仮定を重ねた「影」の存在については可能性が高まったところでコンマ一パーセント以下。

 話せば激昂する、少なくとも機嫌は悪くなるだろうと踏んでいただけに拍子抜けである。

「俄然面白くなってきたではないか。確かに、我の身体こそがこの世で最も大事にすべきものだ。あいつと出会うまでは万に一つもあってはならんことだ」

 言って、すっくとアーチャーは立ち上がった。

 自然な動作である。まだ短いつきあいではあるが、普段から英雄王の行動そのひとつひとつに注意を払っているティーネから見ても、特に何ら変わったこともない。あくまで自然体であるが――その所作に、ティーネは果てしなく嫌な予感を感じ取った。

「何を呆けている。出かけるぞ」

「――は?」

 間抜けな声だ、とティーネは自分でも思う。だがそれより何より理解しがたい言葉が告げられたように思える。

 言葉の意味を咀嚼するのに時間が欲しいティーネを余所に、アーチャーはティーネを待つような真似はせず、正に王者の貫禄を持って外へ通ずる道を行く。王の出陣とでも名付けたい様相ではあるが、ティーネの目にはその後ろ姿が仕事終わりの労働者のように見えている。戦というより歓楽街へ赴くかのよう。

「一体どちらへ行かれるおつもりですか?」

「決まっておろう。その不可解なサーヴァントとやらを退治しにいく」

「………っ!?」

 当然とばかりに応えた英雄王の言葉に、今度もまた彼女は絶句する。

 たった今、このサーヴァントは気をつけると言ったばかりだというのに!

 ティーネの心の叫びがアーチャーに届く筈もない。届いたところでアーチャーが頓着する筈もない。

「サーヴァントでなく魔術師を喰らうというなら、まだ幼い小物に過ぎん。でかくなった化け物相手をするのも一興だが、それを待つのは性に合わん」

 言われてみれば、そうかもしれないが。

「ま、待ってください! せめて! せめて私を共に――」

「当然だ。貴様には街を案内して貰わねばならん」

 先行する英雄王に慌ててティーネはついて行く。本来、サーヴァントに一番気をつけるべきはアーチャーではなく、マスターである彼女自身だ。サーヴァント不在のところを狙われてはいくら気をつけていたとしても対処のしようがない。特に、誰に気づかれることなく痕跡もなく魔術師を浚っていく者なら、尚更。

 ちなみに、彼女を共に付けることがアーチャーにとっての「気をつける」にあたるのであるが、彼女がそれに気づくにはまだ少し時間がかかるようである。

 

 

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 長く、彼女はその痛みに耐えてきた。

 身体が傷ついていたわけではない。

 病魔に冒されていたわけでもない。

 この痛みは――存在するための証。

 生きる、ということはそれだけで茨の道を歩むことだ。

 喜びがあり、苦しみがある。それこそが生きるということ。

 だが、果たして彼女の生に喜びがあったのかどうか。

 彼女の人生は全て神のためにあった。

 その過程における悦楽は圧倒的に少なく、神に捧げられるものではない。

 その過程における苦痛は圧倒的に多いが、神に捧げていいものではない。

 神のためと叫びながらも、その実彼女は神へ何も捧げてはいない。

 狂信者と呼ばれながらも、その実彼女は神へ己を捧げてはいない。

 ただひたすらに、必要とされるその日のためだけに、彼女は邁進していただけ。

 結論として、彼女が神に求められることはついぞ来なかった。

 彼女がいじめ抜いてきた体は、全て無駄に終わった。

 彼女が得てきた十八の秘技は、全て徒労に終わった。

 彼女が長年培ってきた信仰は、何の意味ももたらさなかった。

 それでいい、と彼女は死の間際に思った。

 自身が必要とされる状況でない、そのことに満足した。

 彼女の存在を恐れた長老達は、彼女を封じ込めることにした。

 暗殺者と育てながら一切の仕事を与えなかった。

 血脈を絶つため生涯男と交わらせなかった。

 後継者すら残さぬようその秘技を次代へ継がせることすらも禁じた。

 後世の記録の中にすら――彼女の存在はどこにも記されていない。

 自身の生きた証をついぞ残すことなく、彼女は誰に看取られることもなく旅立った。

 もう二度と目覚めることはない。

 そう思えば、自身の生涯としては、そこまで悪いものではなかった、と思いながら。

 

 

 ……音が聞こえていた。

 耳慣れない異国の言葉と靴音と楽しげな笑い声。規則正しく刻まれる時計の音に、時折交わる鳥の囀り。

 ぼんやりと、耳だけを覚醒させていた。まだ頭には霞がかかっている。手足は未だ覚醒に至っておらず、呼吸ひとつに激しい疲労感すら覚える。意識がそのまま沈んでしまうのも、時間の問題かと思えた。

 だと言うのに、彼女の目覚めを認識させた声が、間近で聞こえてきた。

「ああっよかった! 気がついたみたいだね!」

 一体どこから判断したのか。外観的には何の変化もなかった筈。覚醒にはまだしばしの時間が必要だと判じこのまま無視を決め込むも、声の主はそれらをまとめて無視してみせた。

「っ、――――――」

 口元に、水が運ばれた。

 渇いた喉に確かに水は心地よく、不覚にも幾ばくか口へ含んでしまう。決して多くはないそれは体に乾きを自覚させ、それ故に彼女の意識を急速に表層へと押し出すことに成功していた。

「――ぁ」

 遠慮なしに含まされた水を嚥下し、二度と目覚めぬと思っていた瞼をうっすら開けてみれば、そこには見知らぬ天井が存在した。

 気温は温かく、日差しは既に高い。カーテンすらない窓から空気が流れ込み、彼女の頬を撫で伝う。

 彼女が寝ていたのは、固いスプリングながら確かにベッドと呼ばれる寝具の上だった。汚れてはいるがこの部屋唯一の布生地の存在を自らの上に感じながら、彼女はゆっくりと確実に意識をその身体に浸透させていく。

「大丈夫? 長い間目を覚まさないから心配したんだよ!」

 傍らで騒いでいたのは、水差しをもった青年。再度水差しを口元に持ってこられるがそれを彼女は首をふって断った。まだ体は水分を欲していたが、満たされることには抵抗がある。

「――あなた、は?」

 聞いて、彼女は青年を観察すると――記憶が徐々に甦り始めた。記憶を辿り、心当たりであるところの、彼の手に浮かび上がった刻印に注目する。

 莫大な魔力が秘められた、三画の独特な模様。

「僕の名前はフラット。フラット・エスカルドス。この聖杯戦争でバーサーカーのマスターをしているよ」

 実にあっけらかんと、フラットは彼女――アサシンに自身の正体を明かして見せた。

 そういえば、とアサシンははっきりと思い出す。

 確か、マスターを二人浚ってきたのだったか。

 その内の一人が、この男。

「――っ、あ……?」

 身体が反射的に動こうとしていた。しかしその刹那に、胸元で激しい痛みが我が身を蝕んだ。

 ベッドから簡単に起き上がれない。その事実から自身の胸元を覗き見れば、引きつるような痛みの上から回復呪詛を描かれた包帯が幾重も巻かれている。

 二人を浚う直前に、あのサムライサーヴァントの爆発に巻き込まれた影響だ。あの爆発で武蔵の短鎗の破片が胸元に食い込んだのだ。

 実を言えばあの時、アサシンは武蔵の傍で霊体化して気配を殺して隠れ潜んでいた。爆発のあった瞬間も敢えて防御することもなく気配遮断を続行し、そのおかげであのベストなタイミングで二人を浚うことができたのだ。

 が、こうして時間が経ってみると予想よりも遙かにそのダメージはでかい。収穫はあったが、その後二人を拘束することもできず倒れたことも考えるとまぬけとしかいいようがない。

 アサシンは自身の身体を急いで調査してみる。

 服を着ていないのは些細な問題だ。身体のあちこちにダメージがあるが、そこまで問題ではない。問題となるのは胸元にうけた傷だ。これだけで彼女の能力を三割近く低下させている。完全回復にはまだ数日ほど必要とするだろう。そして一番の問題である魔力については……

「ごめんね、手当するにも服を脱がさなくちゃならなくて……」

 フラットは顔を赤らめながら、手当てしたことではなく服を脱がしたことを詫びていた。何かずれている印象を受けたが、この事態に比べてみれば些事に過ぎない。

 彼女はフラットを鋭く睨み付けながら、詰問する。

「それについてはかまいません。それよりも……これは一体、どういうことですか?」

「これって?」

 アサシンが言わんとするところに心当たりがないのか、フラットは首を傾げる。

 彼がしたことといえば、この場に連れて来られるのと同時に倒れた彼女を介抱しただけだ。サーヴァントだから親しくなりたかったし、傷を癒やす術を持っていたから治療した。彼にとって、それは何ら問題のない行為といえる。

「誤魔化さないでください。何故、私の魔力が全快になっているのですか……!?」

 アサシンの言葉通り、現在の彼女の魔力量は召還された時と同じ、いや、それ以上の魔力を体内に留めていた。

 思い出してみれば、彼女がそもそも倒れてしまったのは蓄積されたダメージと胸元の一撃、そして召還後から幾度となく使用してきた宝具による極度の魔力低下が原因である。ここまで深刻な魔力不足になれば例えマスターから魔力が供給されていたとしても一朝一夕に回復するわけがない。

「――ああ。うん」

 そんなアサシンの疑問に、フラットはまたも軽く、事実を告げる。

「怪我の治療に必要だったから、君と僕とでパスを繋げたんだよ」

 ごめんね、とフラットは舌を出してちょっとした悪戯程度の謝罪を彼女に告げた。

 無論、この行為がいかに出鱈目なことか、この聖杯戦争の全てを壊そうとした彼女であっても理解できる。

 この男は、あろうことか令呪による束縛なしで、サーヴァントと契約したのである。

 これには、二つの偶然が重なっていた。

 一つは、彼女とそのマスターであるジェスターが完全な契約を交わしていなかったことだ。不完全な契約によってパスが安定せず、第三者が介入できる余地を残してしまっていた。

 もう一つは、フラットがこのマキリが完成させた令呪の契約システムを少なからず把握していたことがあげられる。第四次聖杯戦争にマスターとして参加したフラットの師の師であるケイネス・アーチボルトはこの契約システムを解析し、その魔力供給パスと令呪の命令パスを分割することに成功していた。その時の資料をフラットは時計塔で読んでいたのである。ケイネスの孫弟子である彼だからこそ、このような偶然が生まれたともいえる。

 とはいえ、状況的・技術的に可能であるとしても、敵サーヴァントを助けるフラットの思考は常識的に考えて理解しがたいものなのは間違いない。

 令呪による命令パスを同時に繋げるならともかく、魔力供給パスだけを繋げることに意味はない。サーヴァントは令呪があるからこそマスターに従うのだ。命令権のないマスターは、殺されないとしても死なない程度に眼を抉り耳を潰し喉を斬り四肢を潰され拘束されたとしても文句は言えまい。

「正気ですか、あなたは……」

「だって怪我してたしさ」

「この程度の傷ならばまだ幾ばくか猶予があります」

 アサシンの言葉ももっともだ。確かに無視していいダメージではないが、今すぐ消滅するほどのものではない。消滅までに猶予があれば、手段を選ばなければいくらでも対処ができる。ましてやフラットはすでにバーサーカーのマスターである。バーサーカーに加えてアサシンにまで魔力供給をしようとすれば、負担は単純に二倍――どう考えても数日中に自滅するのがオチである。

 けれども、そんなアサシンの言葉にフラットは首を横に振った。

「関係ないよ。他人が傷ついていて、自分には治す術がある。なら、僕は治してあげようって思うんだ。

 だって、痛いのってイヤじゃない?」

 そんな的外れな意見ではあったが、フラットの言葉に嘘偽りはなかった。そこに自身が殺される可能性を欠片も考慮していない。純粋なる善意だけで、彼はアサシンを救うことに決めたのだ。

 馬鹿げた行為と人は笑うだろう。だが、そんな愛すべき愚か者を彼女は幾人も見てきたのだ。

 自身のことを顧みず、ただ純粋に人のために尽くす者達。彼らの多くはアサシンとは異なる教えと異なる神を持っていたが、その行為そのものを間違っているとは思わない。憎むべきは異教と異端、そしてそれを扇動する者であり、その信徒本人ではないのだ。

 この青年を殺したくはない。

 聖杯戦争を破壊することがアサシンの目的であり、その意味では目の前にいるフラットは破壊目標の一つではある。とはいえ、この愚かなまでの善意を見せつけられては例え異教徒であろうと無闇に殺すのはアサシンの意に反している。

「……もし、生きてこの戦争を脱することができたなら、改宗することを薦めます」

「? よく分からないけど、考えておくよ」

 アサシンの薦めにフラットは軽く頷いてみる。宗教に関して特段興味はないが、それでも神と名のつく者に敬意を示す程度のことはできる。

 フラットの答えにアサシンは安堵した。

 これで心置きなく、

 

 彼を排除することができる。

 

「どうし――」

 アサシンの異変を感じたのか、フラットがわずかにアサシンの側へ身体を傾け、アサシンが伸ばした手を何の疑いもなく握りしめた。異変を攻撃と思わないことに一抹の裏切りを覚えながら、彼女は力在る言葉を発した。

 

【……構想神殿……】

 

 一瞬、周囲に風が発生した。それは彼女が漏れ出た魔力の余波だ。そよ風程度ではあるが、風は部屋の隅々をわずかに洗い、そして静かに消えていった。

 後には、一人残ったアサシンがいるばかり。

 フラットの姿は、どこにもない。

 現象としては、先に二人を浚った回想回廊とまったく同じだ。唐突に人が消えていなくなる。ただ違う点と言えば、回想回廊は「どこかに出る」のに対し、構想神殿は「どこにも出ない」。

 この業は発動してしまえば他者に抗う術がないのが利点である。強力な対魔能力があろうとも、問答無用で他者を影も形もその場から消し去ってしまう。零距離でなければ使用できないのが欠点だが――このスノーフィールドに集まってきた魔術師程度ならば、何の問題もない。ティーネ率いるスノーフィールドの戦士程度の実力であれば、誰に気づかれることなく、まとめて痕跡すら残らず消し去ることが可能だ。

 惜しむらくは、使用したアサシン自身が痕跡がないという痕跡を残していることに気付いていないことか。この静かなる蛮行が巡り巡ってティーネに疑念を抱かせアーチャーを動かしたなどと彼女が知るのはかなり先の話である。

「……願わくば、彼に幸いを……」

 わずかな時間、彼女はフラットのことを思い祈りを捧げた。

 フラットを消し去る必要はなかったかもしれない。しかし聖杯戦争に関わる以上放っておくわけにもいかなかった。可愛そうではあるが、他のサーヴァントに出会う前にこうしてやることが、最善ともいえよう。盤上の駒を排除する方法が慈悲に溢れたものとは限らない。

 祈り終われば、あとは身体に鞭打ちベッドの上で軽く動いて調子を確かめる。痛みを無視すれば戦闘行為も不可能ではない。一番の問題であった魔力の供給が解決されてしまえば、身体の不調など些末なことだ。

 ふと、彼女はこの建物内に侵入者がいることに気がついた。多少周囲を警戒し足音を殺そうとしている感はあるが、訓練を受けた者の足取りではない。その足音とその間隔から歩幅を割り出し、身長を計算すれば、心当たりは一人しか残らない。

 二人浚って一人消してしまえば、これはもはや推理ではなく算数だ。

「……あのサムライのマスター、か」

 確認するように呟いて、どうするべきか検討する。

 フラットを消したのは、彼が未だ健在であるバーサーカーのマスターであったからだ。サーヴァントを失ったマスターである東洋人とは立場が違う。二人が一緒にいたので両方浚ってきたが、彼女が交渉したかったのは東洋人の方である。

 交渉のことを考えると、フラットを消してしまったのはまずかったかもしれない。いささか性急に事を進めてしまったことを反省するが、いずれにせよフラットはどのみち消していたし、東洋人の辿るべき運命も決まっている。

 穏便に済ますためには、一芝居打つ必要があるだろう。

 手っ取り早く事を進めるのなら洗脳という手段もある。

 どちらもあまり得意ではなかったため、彼女は件のマスターが部屋に辿り着くまでのわずかな間、悩むことになった。

 

 

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 ようやく一息ついたのは時計の短針が三周半過ぎ去った頃だった。

 スノーフィールド中央病院はこの地域で一番大きな総合病院だ。それだけに設備も最高のものであるし、スタッフも一流の人間が二四時間三六五日常時一〇〇人近い体制で働いている。

 職員専用の休憩室で眠気覚ましのコーヒーを炒れている女医も、その一人だ。まだ若く実績には乏しいが、年齢に似合わぬ知識と技術を評価されこの病院で数年ほど勤務している。

 そんな彼女ではあるが、この二日間は経験のしたことのない忙しさであった。

 原因は先日起こった麻薬グループと警察との攻防だ。一連の事件の経緯について彼女は何も知らないが、かなりの大事件であることは推測が付いていた。

 運ばれてきた急患の数は彼女が把握しているだけで両手の指では足りないほど。彼女が執刀した手術も大小合わせて五件、その内一件は半日がかりの大手術である。他の勤務医も似たようなことを言っていたのだから最終的な死傷者数はかなりのものだろう。

 幸いにも既に山は越えて彼女の出番は必要とされていない。例え必要とされていたとしても今の彼女は使い物にならないほどに消耗している。今はもう自分が寝ているのか起きているのか自信がないくらいである。

「……けど、あの子の様子くらいは見ておかないとね」

 自身を奮い立たせるために気を抜くと落ちそうになる瞼に活を入れてみる。頭は霞がかかったようであるが、肉体は自身の思い通りに動いていた。

 女医があの子と呼ぶのは意識不明の少女のことだ。名前は繰丘椿。女医がそこそこ腕を上げ、このスノーフィールドにも慣れた頃に運ばれてきた患者で、彼女が初めて正式に担当した患者でもある。本来であれば腕が良いとはいえ彼女の手に余る患者ではあるのだが、『経過観察』程度であれば彼女でも十分であると病院上層部は判断したらしい。つまるところ厄介毎を押しつけるのに丁度良かったのであろう。

 女医にできるのは、ただ脳波のチェックと簡単な身体検査のみ。その他のことについては治療も含めて上の許可が必要だ。

 それだけに、何もできぬ自分を不甲斐なく思う。

 眠気覚ましのコーヒーを胃に入れて女医は彼女が眠る除菌室へと赴くべく立ち上がる。もう眠たすぎてコーヒーの味すら感じることはできなかったが、彼女を診察しなければ安心して眠ることもできない。

 少女の診察は日に三度行われる。この二日間においてもそれは同様に行われたが、行ったのは看護師や研修医であって担当である女医ではない。やはり些細な兆候を探し当てるのは自分の役割なのである。

 女医が普段使用している診察室から彼女が眠る除菌室は結構な距離がある。院内感染を防ぐ名目で感染患者は別病棟に隔離してあるためだ。当然ながら人通りは一般病棟に比べて制限も厳しく、極端に少ない。例え親族といえども病棟内に入るためにはそれなりの手続きが必要としている筈なのだが――

「あら?」

 除菌室の手前にあるロビーの長椅子に、一人の少女が俯いたまま座っていた。

 辺りは電灯が切れているのか薄暗く、柱の陰となった場所には何やら黒い霧が佇んでいるようにも感じられた。まるで、黒い霧が少女を見守っているかのよう。

 女医は不審に思いしばしその足が止まった。この病棟は見舞客を放置するようなことはしない。必ず入り口から出口まで看護師が傍らに付き添い、念入りな消毒は無論、看護師と同じスモックを着せられるのが普通である。幼い少女が普段着のまま一人で放置される状況など有り得ないのである。

 通り過ぎることは簡単だっただろう。女医は早く帰って眠りたかったし、仮に話しかけずとも看護師に一言言えば済むことだ。だがマスクもしていない少女の俯いた横顔を見れば、女医としては無視することもできなかった。

「――椿ちゃんの、妹さんとかしら?」

 女医がそう判断したのも無理からぬこと。少女の容姿は女医がよく知る繰丘椿と酷似しており、またすぐ側にはその当の椿の病室があるのだ。関係者であろうことは想像に難くない。あの子に妹がいたかしら、と思考を巡らせるがどうにも疲れた頭では思い出せそうもなかった。結局思い出せはしなかったが、妹でなければ親戚か何かであろう。

「え? あっ――」

 女医の声に慌てて頭を上げた少女は驚いた声を上げた。まるで話しかけられたことが意外であったかのような反応。そんなことを疑問に思うが、少女の瞳に溜め込まれた涙を見れば問いただす気も失せる。

 子供のカウンセリングは専門外であるが、経験がないわけではない。

「はじめまして。私、椿ちゃんの担当のお医者さんなのよ」

 女医はにっこりと椿とよく似た少女に笑いかける。だが、女医の言葉に少女は身体を硬くした。何か、核心に触れる言葉を聞いたかのように。

「あの、えっと」

「あら、別にいいのよ。慌てなくて。――それとも、英語分からないかな?」

 何か言葉にしようと慌てる少女をなだめるように女医は少女の前で腰を落として視線の高さを合わせる。後ろで黒い霧が少女を見守るように揺れ動いたことには気付かない。

 こうしてまじまじと少女の顔を見れば、椿と双子と言っても過言ではないほどに似通っていた。ただ、入院中に髪が伸びてしまった椿と違って少女の髪は首回りまでしかないし、血色だっていい。体つきも少しばかし小さいようにも感じられる。入院してきたばかりの――いや、入院する前の元気だった頃の繰丘椿を想像するなら、こんな感じだろうと女医は思った。

「いえ、英語は、少し分かります」

 ネイティブとはほど遠い舌足らずな話し方で少女は答える。しかし英語に慣れていないという風ではなかった。慣れていないのは誰かと喋ることだ。

「それは良かったわ。あなた、お名前は? お父さんかお母さんはどこ?」

 なるべく問いただすような真似はせず、子供が答えやすいよう声は穏やかに。質問内容も教科書に載っているような定型文で答えやすいものを。それは子供とのカウンセリングの常套手段であるのだが、

「……答えにくければ、答えなくてもいいのよ?」

 少女の顔を見れば質問の回答を諦めるより他はない。少女は女医の質問に答えようと口を開けはするのだが、何か考えがあるのかわずかに幾度か息が漏れるだけで何も発することもできはしない。

 少々困ったことになってしまったが、そこまで問題ではない。元より本格的なカウンセリングをしたかったわけではなく、浮かぬ顔の少女を放っておけなかっただけの話。どちらにしろ一人でいる少女を病棟の外に連れ出すことに違いはない。

「えっとね、この場所は大人の人と一緒でないと入っちゃいけないの。私と一緒に外に行きましょう?」

 少女の手を取って促してみるが、少女の顔に変化はない。無理強いはあまりしたくないため周囲に看護師の姿を探してみるが、誰もいない。そもそも、女医はここに辿り着くまで誰ともすれ違っていないことに気付いていなかった。常時人がいてしかるべきナースセンターにすら、誰の姿もない。

「――先生」

「あら。何かしら?」

 少女の口から質問の答えに代わって声が出る。拒絶されているわけでないことに安堵しながら、女医は応じる。

「あの……あそこの病室、繰丘椿って書いてあるけど」

 少女が指さしたのは繰丘椿が眠る除菌室。入り口横のネームプレートには『TSUBAKI KURUOKA』の文字がある。

「なんで、その子はここにいるの?」

 少女の声は震えている。何か知ることを怖がっているようにも見える。

 答えるべきか否か、女医は逡巡した。この病棟のことは病院のパンフレットにも載っている。別段答えて困ることでもないが、さすがにいくら似ているとは言え身元の分からない人間に病状を説明するのは好ましくない。

「……ちょっと、身体の具合が悪いようなの」

 女医は言葉を選びながら説明する。

「この建物は目に見えないほど小さな生き物が原因で病気になってる人が休んでる場所なの。椿ちゃんも一年前に倒れて、ずっとここで眠っているの」

「……一年、も」

「ええ。身体に異常はないから目覚めればすぐに良くなると思うけどね」

 少女の顔を見ながら女医は最後に希望的観測を述べてはみたが、……少女の顔は驚愕というより絶望といった色がある。例えるなら、死んだことに気付かぬ幽霊が死んでいることに気付いたような、そんな顔。

「……大丈夫?」

 女医のどの言葉が地雷であったのか、女医自身に判別はつかない。だが話さないというのも酷ではある。この程度の話であれば、別段自分が話さずとも噂好きの看護師に聞けばそこそこ口を濁しながらも話してくれるだろう。それこそ、植物状態から経過観察の経緯、未発見細菌に対するモルモットであるところまで。無責任に。

「私……もう、帰ります」

 女医に対する応えなのか、少女はのろのろと長椅子から立ち上がった。それは女医としても望ましい行動であるのだが、いかんせん一人でこの病棟から出すわけにはいかない。慌てて逃げるように立ち去ろうとする少女の腕を掴もうとして、

「……タトゥー?」

 その紋様に気がついた。

「いやっ! 離してっ!」

 タトゥーに触れられて多少痛むのか、少女の声は湿り気を帯びていた。泣かれると厄介だと思いながらも、この手を離してしまうわけにもいかない。

 女医の脳裏に走ったのはこのタトゥーの原因。細菌感染の病気に限らないが、罹患することによって身体にタトゥーのような痣ができることがままにある。もしタトゥーの原因が病気によるものなら急いで処置する必要がある。何せ繰丘椿が感染している細菌は未知の代物。何が起こるか分からないことだらけなのだ。

 だが、女医が少女にタトゥーを問いただすようなことはしなかった。何故なら女医の後ろでは黒い霧が女医に覆い被さるように蠢いていたからである。

 

 

 

「――先生、大丈夫ですか! 先生!?」

 身体を揺すられ呼びかけられた声に、女医ははっと顔を上げた。傍らには見慣れた看護師の姿があり、テーブルの上にはコーヒーの水たまりができていた。

「あれ? 私、一体……?」

 朦朧とする意識を覚醒させながら、女医は看護師を振り返る。

「もう、疲れていてもこんなところで寝ていちゃだめですよ」

「寝てた? 私が?」

「コーヒーが零れてて先生が机の上でぴくりとも動かないから心配しましたよ」

「コーヒー……飲んでなかったっけ……?」

 女医が起きたことを確認してか、看護師はティッシュを取り出してテーブルの上にぶちまけられたコーヒーを手際よく処理していく。その分量から女医がコーヒーを飲んでいないのは確実だろう。そういえば、飲んだ記憶はあってもコーヒーの苦みを味わった記憶はない。

「……あれが、夢?」

 時刻はコーヒーを煎れた頃合いに確認している。あれからわずかに十分ほど。記憶に残る内容に要した時間とほぼ一緒である。

 試しに頬をつねってみれば、確かに痛かった。あれほどリアルであったにも関わらず、現実を鑑みれば夢であったと判断するより他はない。

「じゃあ、まだ椿ちゃんのところへ行ってないんだ……」

 そういえば夢の中でもどちらにしろ診察は行っていない。

「先生、椿ちゃんのチェックなら私がしますから仮眠室で横になってはいかがですか? すごく顔色が悪いですよ?」

「そう?」

「そうですよ、ほら熱も……すごくあるじゃないですか!」

 看護師が女医の額に手を当てると、そこは確かに普段よりも明らかに熱くなっていた。試しに常備している体温計で測って見れば、医者でなくとも横になることを薦める体温である。

「さっきまで大丈夫だったんだけどな……」

 先ほどまでは眠くはあっても決して体調が悪いわけではなかった筈だ。けれども現実に身体は悲鳴を上げているようで、これでは除菌室の中にいる椿の元へ診察しに行くわけにもいくまい。

 急激な体調悪化に頭を傾げるも、女医は自ら薬を処方して大人しく仮眠室へ向かうことにした。

 自己診断では疲労によるただの風邪であり、まさかこの体調悪化がサーヴァントと呼ばれる存在によって引き起こされた症状であることなど、ただの一般人である彼女に分かる筈もなかった。

 

 

 ライダーは困っていた。

 黒い霧の形は右へ左へと揺れ動き、マスターたる繰丘椿の周囲を漂い続けている。

 人間の感情を理解することのないライダーが「困る」ということはない。しかし、現状を第三者から見れば、確かにライダーは困っていた。システマチックに行動する彼はマスターが是とする行動を取ろうとしても、それを解決する手段が明確でなければ何をして良いのかわからないからである。

 繰丘椿は、ライダーの前でただひたすらに膝を抱えて泣いていた。

 感情を理解せずとも椿の活力が著しく落ちているのはライダーにも理解できる。それが椿にとって良いことでないことも理解できる。だが、それをどうすればいいのかライダーはわからない。

 女医がこの夢の世界に来たのはライダーが原因だ。しかしそれはライダーが意図した結果でなく、「病」というライダーの性質から椿の一番近くにいた人間が“感染”しただけのこと。そして感染したとしてもすぐに夢の世界へ来るというわけではなく、感染した人間の抵抗力が落ちた時にだけこの夢の世界へ来ることになる。

 つまりライダーに“感染”した人間が風邪でもひけば、この夢の世界へ来るのである。先ほどの女医の場合、長時間労働による過労がそのトリガーとなったわけである。

 ただ“感染”はライダーの意志で強めることも弱めることもできるので、ライダーの意志ひとつで夢の世界から追い出すことも可能である。

 椿が苦しんだ、とライダーは判断した。女医が椿の腕を掴み、椿はそれを忌避した。故に苦しみの原因となったであろう女医を夢の世界から追い出したわけだが、何故か状況は好転しなかった。

 仕方ない、とライダーが思ったかどうかは定かではない。ありとあらゆる手段をライダーは模索するも、なかなか最善の方法は見つからない。ならば、このまま何もせぬよりも次善策として経験上有効であると判定した手段をとろうとライダーは判断した。

 次善策はすぐに椿の目の前で行われた。

 現れたのは、一組の夫婦。椿をこの世に生み出し、実験台として取り扱った二人の魔術師。椿がこの世で一番愛し、愛されたかった人物。ならば、椿が最初に望んだ通りに椿を愛する二人を出せば、この状況を打開できるだろう、とライダーは判断したのだ。

 しかし、

「つ……ばき……」

「だ……じょ……ぶ……?」

 椿の前に現れた繰丘夫妻は、とても椿を愛せる状況にはなかった。

 頬は痩け、目は虚ろ。とても健康的とは言い難い顔色で、二人は立つこともできず床でわずかに蠢動するだけ。壊れかけのレコードの如く同じ言葉を何度も何度も、血反吐と共に吐き続ける。

 両親のそんな姿を見せつけられれば椿もライダーを無視続けるわけにはいかない。両親に抱きつきながら、椿はライダーに懇願する。

「お願い! もうパパとママを休ませてあげて!」

 椿の悲痛なその願いに、ライダーは満足したかのように身体を揺らめかせて夫妻を女医と同じように消しさってみせる。同時に、この方法は有効であるという間違った認識を再確認していた。

 椿がそもそも病院へとやってきたのは、この両親の変容が原因である。

 ライダーが召還された当初、椿は彼女の理想の両親に囲まれて一時の楽しい時間を過ごしていた。長い間夢の世界で過ごしてきた彼女が両親に触れ合うのは実に一年ぶりのことであり、ある意味ライダーは聖杯に代わって椿の願いを叶えたと言っても過言ではなかった。

 しかし、万能ならぬサーヴァントの能力には限界もあれば制限もある。

 そもそもライダーは“病”という災厄そのものであり、“感染”することで身体の生理的機能や精神の働きを部分的に阻害した結果、操っているように見えるというだけの話。当然、阻害し続ければ弊害も出る。

 結果、肉体は時間と共に衰弱していき、糸の切れかけた操り人形の状態となる。特に繰丘夫妻は魔術師ということもあってライダーは強めに“感染”させている。夢の中ですらあの状態であるのだから、今頃現実の世界では家の中で倒れ伏していることだろう。早い内に介抱しなければ近いうちに糸が切れてしまうことになる。

 そんな状態の両親を見せつければ、椿が病院へとやってきたのも当然であろう。魔術師としての知識も、ライダーが一体どういった存在なのかも知らぬ椿は、とりあえず薬を手にせんと病院へと訪れ――自らの正体を知ることになる。

 少女の精神は限界に近かった。

 この広い夢の世界で、女医と出会えたことは果たして幸運だったのか否か。女医という第三者の存在は彼女に正しい認識を導き出させてくれた。

 自分が本当は意識不明であり、愛してくれた理想の両親も今は慰めることもできぬ有様。見守り続けるライダーは椿の意には沿ってくれるものの、空気を読んでいる様子ではない。

 まだ十歳の少女にこの状況を打破すべく動け、というのも無理な話。彼女は何もせず、何もできない。ライダーから逃げることも、責めることすらしない。ただひたすらにしくしくと泣き続け、時折ライダーによって現れる両親の姿に心を痛めるだけ。

 そんないたちごっこを何回したことだろうか。気がつけば、椿は一人泣き疲れて眠っていた。椿が眠っている間は、ライダーは何もしない。彼女の意に沿うということは、彼女が何も望まない状況であれば何もしない、ということだ。

 だが、しかし。

 運命は思わぬ方向に突き進む。

 自分が意識不明だと言うこと、そして女医という両親以外の他者に出会ってしまったという事実。真に両親から愛されたわけでもなかった十年。誰にも触れ合うことのできなかった一年。偽りであっても幸福だった数日。そのことが、椿にとってどれだけ大きな衝撃であったのか。人間ならぬライダーは無論、彼女自身であってもそれを推し量ることは難しい。

 彼女の願いは今まで表層に現れ出でることはなかった。無意識の奥底に、深く澱のように降り積もるだけ。両親に愛されたいという願いは、一年前にあったもの。今の彼女の願いは、もっと単純にして身近である筈のもの。

 他者と触れ合いたい。

 椿をマスターと呼ぶライダーと出会った。椿を愛してくれる両親に出会い、そして別れようとしている。自分の担当医だという女医と出会い、そして別れた。

 知らなければ知ることのなかった幸せ。

 知ってしまったが故の不幸せ。

 繰丘椿が夢の中で夢見た望み。

 夢の中で眠る椿は無意識のうちに、こんな言葉を口にしてしまった。

「……もう、一人はいやだよ……」

 その言葉の意味にはありとあらゆる意味が込められている。両親と別れたくない。友達と遊びたい。周囲から認められたい。いろんなことを学びたい。孤独は嫌いだ。現状に不満がある。

 ――両親がいなくなった時の代わりが欲しい。

 そんなわずかな眠りの中の呟きを、ライダーは聞き逃さなかった。

 サーヴァントはマスターからの命令を受諾した。

 受諾してしまった。

 大きく頷くように彼は黒い霧の形を震わせ、霧散させる。それはまるで風に乗って種子がばらまかれる様に似ていた。現実にはない夢の世界で、彼の姿は北へ南へ、野へ山へと広がってゆく。

 それがいかなる結果を生み出すのか。

 ライダーのマスターが結果を知るにはまだしばらく時間がかかる。

 

 

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北部原住民要塞。
当初は色々と要塞戦を考えていたのだけれど、結局ボツに。けど設定練り直すのも面倒だったのでそのままに。ここで一番気を遣ったのはアーチャーの性格。こんな感じでよかったのかとフェイトゼロを無茶苦茶読み返した。

アーチャーを倒せる影。
ティーネが危惧するもの。実際にSNではこの影相手にギル様は瞬殺されていた。残念ながら、この作品でそんなビックリエネミーの出る予定はない…予定。

アサシンの性格。
個人的な思い込みでアサシンは凄く優秀なポンコツということにしてます。というか、過去を設定したら自然とこんな感じになっていた。本当はもっとフラットとエロエロさせるつもりだったが、御覧の通り裸だというのに全く色気がなくて残念。

ライダー能力。
とりあえず物語を動かすのに誰か暴走させよう。そうだ、ライダーが丁度良い! みたいな勢いでライダーの能力を設定し、暴走開始させてみる。この時点でまさかライダーがあんな感じに進化するなんて思いもしてなかった。
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