Fate/strange fake Prototype -Another Player-   作:縦一乙

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ここまで読んでくださった皆様、ありがとうございます。
これを書き始めた当時はまさかこのエイプリルフールネタを本家がもう一度書くなんて思いもしませんでした。
書き始めて書き終わるまで約四年もかかっただけに(実際に書いたのは半年ほどですが)この作品の思いは一入です。惜しむらくは多くのエピソードを削らざるを得ないところでしょうか。日の目を見ない彼等にも可能なら追記したいと思います。
ここを読んで頂けた、ということは恐らく本作を読んで頂けたのだと思います。色々とツッコミ所の多い作品かと思いますが、そこはスルーしてくださると助かります。
最後に、これを読んだ後に本家を読んで欲しいと思います。読み比べられると自分の酷さが目立つことと思いますが、本家の凄さが引き立つのであれば幸いです。


エピローグ

 ラスベガスの路地裏を走る影がいる。

 通りを一本挟んでもまだ夜とは思えぬBGMとネオンの光、さすが遊興の街。そして路地裏だというのにどうしてこうも人が多いのか。一人二人を簡単に誘惑し誘える環境は魅力的だが、ここは些か出歯亀が多すぎる。

 しかしそれでも、彼女はその走りを止めない。人目は嫌いだが、飢えと退屈そして太陽よりも憎々しい者に対してそんな些事は関係なかった。

 今夜の彼女は慈悲深い。声をかける者、歩みを阻もうとする者は容赦なく即座に殺すが、無視を決め込む者を相手にはしなかった。

 おかげで苛立つ彼女が外出しながら、今夜の被害はわずか八人ですんでいた。

 血塗れになった手をその赤い舌で舐め取りながら、ジェスターはバーサーカーを袋小路へと追い詰める。

「一日ぶりだな、殺人鬼」

「一日ぶりです、吸血鬼」

 互いに鬼の名を冠しておきながらその強弱は明かだった。

 戦争の最中ですらバーサーカーはジェスターに負けている。正体が看破され大幅に弱体化した今なら尚更だ。戦闘になれば一秒だって相手できないし、こうして逃げ隠れするのが精一杯。それも一日が限度だった。

 昨日は初手から切り札を出しまくって何とか逃げ切ったが、それが二度通じる相手でもなかった。

 ジェスターは可憐な少女の身体のまま。その掴めば折れそうなほど脆く華奢な繊手であるが、バーサーカーがいくら頑張ろうとも小指の先だって動かすことはできない。ろくな抵抗もできずに首を掴まれれば、この身長差であってもバーサーカーの足が浮く。そのまま背後の壁に罅が入るほど叩きつけられた。

 いかに治安が悪くともここまで騒ぎが大きくなれば警察がほどなく駆けつけることだろう。結界も張らずにろくに変装すらしていないのもそうだが、ジェスターはもはや形振り構っていなかった。

「さて、バーサーカー。二人はどこだ?」

 ジェスターの影が、朱く染まる。影は足元だけでなく、ネオンの光に逆らうように壁を這いずり舐め回す。逆らえばこうなると言いたいのか、壁を張っていたトカゲが一瞬にして干からび地に落ちた。

「何度も言ったと思うが、私は知らない」

「知らないわけはあるまいよ。正規契約のマスターとサーヴァントなら地球の裏側だって通じ合える。優秀なマスターであれば尚更だ」

「だったら自分でアサシンを探せばよいではないかな」

「それをできぬようにしたのが貴様のマスターだろう。もう一度聞こう、二人はどこだ?」

「知らな――ッ!」

 ボキリ、と鈍い音がする。赤い影は器用にも肉を啜らず骨だけを折る。折った上で、その骨を啜った。霊体のくせに海月のようになったバーサーカーの左手は使い物にならない。回復するにもこれは時間がかかる。

「次は、右手だ」

 冷酷にジェスターは赤い影をバーサーカーの右手に這わせた。宣告しておきながら、バーサーカーが何か口にする前に小指の骨に罅が入りつつあった。そのことにバーサーカーはむしろ安堵した。この調子ならバーサーカーが消滅するその瞬間まで、あと五分はかかる。

 自然と、バーサーカーは笑みを漏らしていた。それがジェスターの癪に障ったのか、右手は捻じ切られるように潰された。これはまずい。五分といったが、これで一分は無駄にしてしまった。

 しかしバーサーカーの心配は杞憂に終わった。

 五分とバーサーカーは目算したが、実際には三〇秒も必要なかった。

 ジェスターの背後、数メートル後方にその長髪の男は不機嫌そうな顔でゆっくりとした足取りで現れた。

「すまないが、その者を離してやってくれないか?」

「…………」

 ジェスターのただでさえ真っ赤な眼球が、さらに血走る。ようやく気付いたのだろう。真っ当に相手にできないと分かっているのだ。こうしてジェスターを罠に誘導するぐらいしかバーサーカーにはできはしない。

「私は忙しい。こいつが口を割るか死ぬまで、待っていて貰えるかな?」

「それは奇遇だな。私も忙しい身でね。フラット・エスカルドスの行方については私も知りたかったところし、御相伴に預かっても良いだろう?」

 葉巻の煙と同時に長髪の口から出たフラットの名に、ジェスターは反応する。どうやら関係者と分かったことで殺意が湧いたらしかった。

 バーサーカーの首を掴んでいた腕の一本を、ジェスターは長髪に向ける。そこにそれほど意味などないが、しかし赤い影は腕に指揮されたかのように一斉に長髪へと突き進む。ジェスターの赤い影はこうした入り組んだ路地裏などにおいてこそ、その真価を発揮しやすい。

 哀れ突如現れた長髪は、自らに何が起こったのかも分からずに死ぬこととなる。

 だから、

「――え?」

 外見相応の可愛らしい声で、ジェスターは驚いた。

 この長髪が何の対策もしていないことは分かっていた。脅威となるような魔術は欠片も感じ取れないし、その肉体を駆使するようなタイプにも見えない。こんな男がバーサーカーの援軍かと侮りもするが、手加減するような真似はしない。

 ジェスターが確認したのは、長髪の直前まで赤い影が伸びたところまでだった。

 何が起こったのか分からなかったのは、長髪の方ではなくジェスターだった。

 視界が急速にブレ、何故か地面が迫っていた。

 いや、違う。これは、首を斬られている。

 長い年月に様々な殺され方をされたジェスターだからこそ、そのことにはすぐに気がついた。血液が本体であるジェスターに斬首など通用しないが、それよりも身体が酷く重たくなっている事実に遅ればせながら気がついた。

 ゴロゴロと首が転がり、路地裏から切り取られた空を見る。そこからジェスターを見下ろす視線があった。

「なっ……あっ……!」

 それは、この戦争でついに見ることのできなかった勢力だった。

 神秘の秘匿を第一義とする異端狩りの筆頭。それでありながら、ついにこの“偽りの聖杯戦争”で活躍の場を設けられなかった大間抜け達。

「聖堂、教会――」

「悪いが、そういうことだ。ジェスター・カルトゥーレ」

 ジェスターを哀れむように長髪は語る。

 偽りの聖杯戦争は終結した。となれば、後は戦後処理について色々話し合わねばならず、その場に聖堂教会の席も「一応」用意されていた。

 世界最大の組織としてその場に出席しない選択肢はない。しかし肝心な時に何も出来なかった聖堂教会がでかい顔などできよう筈もない。彼等の面目はこれ以上になく潰れているのである。

 だからこそ、ここでいらぬ恨みを買わぬよう協会は体裁を取り繕う必要があった。

 折良く、この場には都合の良い生け贄がある。

 数百年を生き延び続け、数十万人もの生き血を啜ってきた死徒。おまけに“偽りの聖杯戦争”に深く関与しながら生き延びてすらいる。これだけで、この死徒の評価は鰻登りである。

 手土産としては、最適だった。

「ここまで――ここまで読んでいたというのか!?」

 ジェスターの叫びに、代行者が屋根から飛び降りてくる。

 ほんの数秒。

 かの吸血鬼の実力を考えれば実にあっけなく、決着はついた。戦争終結直後にあって、魔力が尽き欠けていたのが運の尽き。アサシンなどに執着せずにいれば、まだ逃げおおせた可能性もあったであろう。

 その横を、スタスタと危機感を抱くことなく地面に崩れたバーサーカーに長髪は近付いて行く。

「初めましてだ、バーサーカー。馬鹿弟子が世話になった」

「こちらこそ、私のマスターが迷惑をかけた」

 ジェスターから解放されたバーサーカーがそのまま冷たい路地裏に腰を下ろして挨拶をする。

「話したいことは山ほどある。できればお茶でも誘いたいところだが、時間はあまりないようだな?」

 すでに、バーサーカーの身体は傷ついたところから消えかかっている。

 最初から不自然であったのだ。戦争が終結しているのだから、用がなければさっさと消えるのが筋だろう。いかに低級であろうとサーヴァントはサーヴァント。自前の魔力で現界し続けるには無理がある。

「こうして役目を果たしたのでね。フラットには無理を言って令呪を使って貰った。でなければとうの昔に消えさっていただろうさ」

「説得には手間取ったようだな」

「ジェスターを相手取るより難敵だった」

 互いにハハ、と笑うがその声は乾いている。

 聖杯戦争中、ついに使う機会のなかった令呪である。相当渋られたが、最終的に令呪がなければ消滅すると騙すように脅して何とか使わせることに成功した。実際にはフラットの魔力供給があれば弱体化したバーサーカーなど半永久的に縛り付けることもできる。それをしなかったのは、色々と区切りが必要だと判断したからだ。

「私が彼にできることは、もうこれくらいしかないのでね」

 よくよく考えてみれば、バーサーカーがフラットと共にしたのは初戦の武蔵戦だけだ。聖杯戦争に参加しておきながら彼のサーヴァントとして直接役立ったことなどほとんどない。だからジェスターという今後の憂いを取り払うことだけが、彼のサーヴァントとしてバーサーカーができる最後の仕事だった。

 まさか連絡を取った彼の師匠が直接出向いてくるとは思わなかったが、これも何かの縁なのかも知れない。

「それでは、彼のことをよろしく頼みます……ああ、しかし例の件については、彼を止めることのできなかった私にも非がある。彼を責めないでやって欲しい。情状酌量の余地は……きっとあるはずだ。多分」

「……後のことは全て私に任せてください」

 今際のきわにその台詞はどうなのだろうと思いながら、ロード・エルメロイⅡ世は消え逝くサーヴァントを見送った。

 ロード・エルメロイⅡ世はこれから協会代表の一人として交渉の席に着くことになっている。個人的には絶対に行きたくはなかったのだが、協会上層部は全会一致で彼をスノーフィールドに派遣することを決定した。そこで取り上げられるであろう“絶対領域マジシャン先生の弟子”なる人物について最大限援護するのに適任であると判断されたからだ。

 この戦争の最大の功労者として、フラット・エスカルドスの名は魔術史に刻まれることになる。それを穢すような真似は許されそうになかった。

 最後にそのフラットのサーヴァントに直々に頼まれては無碍にするわけにはいかない。ひとまず協会の意向通り動くより他はなかった。彼を殴るのはかなり先のことになりそうである。

 どこにいるのか知らぬ弟子を思い、ロード・エルメロイⅡ世は大袈裟に溜息をついてその場を後にした。

 

 

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「ど、どうしよう……」

 ガタガタと生まれたての子鹿のようにブルブル震えるフラットを隣に、アサシンは呆れながらこれを見ていた。

 事の発端は彼に送られた二通の手紙だった。

 一つは、魔術協会からヘタイロイの統率者として送られたものだ。

 この“偽りの聖杯戦争”でのフラットとヘタイロイの功績を称えると共に、戦後処理について協会の人間として交渉のテーブルについて欲しいという要望書。フラットが結界の隙間をすり抜けて届けた情報のおかげで協会は非常に有利な立場を築けたらしい。明言こそ避けられているが、ヘタイロイとは別にフラットに相応の報酬を用意する旨が匂わされている。

 それはいい。

 問題は、二通目の手紙にある。

 見た目には何の変哲もない手紙だ。だというのにその手紙を見た瞬間、アサシンは何故かおどろおどろしい何かを感じとった。怨念と称するべきか、呪いとでも言うべきか。勿論、魔力など感じ取れるものではないが、どうしてだろうか、その手紙の中にカミソリが入っていても驚かない自信があった。

 一通目には困った顔をしながらくねくね身体を揺らせて喜んでいただけにアサシンもさほど気にはとめていなかった。そのテンションのままで差出人すら確認せずに手紙を読んだフラットは喜色で赤くなった顔を一気に死人のような青さへと変えていった。古代の魔導書でも読んで何か知ってはならないおぞましい事実を知ったようにガタガタと震え出し――

 そのまま夜逃げ同然に逃げ出した。

「そんな、先生がなんで、喜ぶと思って……ッ!」

 始終、そんな調子である。

 一通目についてはフラットがアサシンに読み聞かせるように話していたので内容を知っているが、二通目についてはどうにも要領を得ない。言葉の端々から察するに、どうやらフラットは何かとても大きな――それも取り返しの付かないようなミスをしでかしたらしい。それこそ、一通目の内容を忘れるほどに彼は何かを怖れていた。

 戦争中であっても常にマイペースであった彼が取り乱すとは、一体何があったのだろうか?

 序盤で別れてしまったバーサーカー以上にアサシンはフラットと交流がない。ただでさえ雲を掴むような性格のフラットを理解できていようはずもない。フラットが学生であるということを知ったのですら、つい最近。どういう師の元で何をどのように学び、どういった経緯でこの戦争に参加したのかアサシンはまるで知らない。

 彼の功績を考えれば怖れるものなど何もないとアサシンは思うのだが、残念なことにフラットの功績が大きければ大きいほど、彼が公的文書に刻みつけた師の二つ名が凄まじい勢いで拡がってしまうのである。

 手紙の内容は簡潔に言えば首を洗って待ってろ、というものだが、そこにフラットは明確な殺意を感じ取っていた。聖杯戦争ですら緊張感を持てなかったフラットである。そのフラットがこうして怯えているのだからやはりエルメロイⅡ世は教育者に向いているのだろう。

 そんなこんなで、今、フラットとアサシンは飛行機の中にいる。

 まさかこの逃避行がジェスターにフラットに対する誤解を更に与え、結果的に破滅に追い込むことになるとは今の彼女が知る由もない。パスを通じて追跡される可能性を怖れたフラットによってジェスターとアサシンとのパスは切られている。彼女がジェスターの死を知るのはまだ先のことである。

 わざわざフラットに同行する義理もアサシンにはなかったのだが、現界するためには魔力供給が必要だし、今更そこらの人間を襲ってソウルイーターの真似事などできよう筈もない。それに何より、今のフラットを放置するのは危なっかしい。

 心的外傷ストレスなんて言葉が自然と思い浮かぶ。戦争帰りの帰還兵にもよく見られるというが、フラットをその範疇に含めていいかは悩むところであろう。

 窓の外に拡がる雲海を誰ともなくアサシンは頬杖を付いて眺める。

 かつてはこんな光景を見ても心一つ動くことはなかったであろうが、今のアサシンは確かに何かを感じ取っている。単純にいれば、胸が躍っていた。見るもの全てが新鮮に感じられてならないのである。

 自然と、彼女の口角は上がっていた。

 それは彼女にとって、幼少時以来忘れていた笑顔というものだった。

 世界を見て回ろう、と恐怖でガクガク震えるフラットの隣でアサシンは一人静かにそう思った。

 

 

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 カウベルを鳴らして喫茶店に男が入ってきたのは、客の入りが少なくなる午後のひとときのことであった。

 ヘルメットを深く被り、サングラスとマスクを装備。復旧工事の作業員といった風情ではあるが、右手が不自由なのかやや庇っているように見える。事前に知らされていなければ警察に一報を入れるところである。多少驚きはしたものの、「待ち合わせている」との一言でウェイトレスはにこやかにこの男を奥の席へと案内した。

 広い店内にはポツリポツリと孤島のように数卓が埋まっているだけ。案内された場所はそんな孤島からも離れた場所にあり、覗き込まない限り誰がそこにいるのか分からぬよう配慮されたスペースである。

 コーヒー一杯を注文して案内してくれたウェイトレスを追っ払う。向かいの席に座って待っていた人物はバケツほどもあるパフェを攻略中だった。一心不乱に食べてはいるが、さすがに男の存在には気がついている。

「……なんですか、その珍妙な格好は」

「変装だ。一応立場が立場なんでな」

 もきゅもきゅと口の中一杯にアイスを放り込みながらティーネ・チェルクは署長の格好に呆れながら文句を言う。誰かに見咎められたらそれはそれで要らぬ噂の種になる。要らぬ口止めに労力を費やされるのは勘弁して欲しいところである。

 今日だって無理を言ってこの場を借りたのだ。内々にしたかったこともあって原住民内部でもティーネがここで密会していると知っている者は少ない。

「ここは全国展開してる大手外食チェーンだろう? ここまで族長の権力が及ぶとは思わなかった」

「単純にこの店に発電機と燃料を無償提供しているだけです。店主の好意に甘えてこの場を貸して貰っているに過ぎません」

 ティーネは暗にここは中立地帯であると告げておく。原住民の力が直接的にここへ及んでいるわけではない。もっとも、先のウェイトレスをはじめこの場にいる数人には予め息をかけている。署長だって何の準備もしていないことはないだろう。

 共同戦線を張ったとはいえ、互いに敵であることに違いはない。妙な連帯感こそあるが、警戒して当然である。

「……そっちは大変忙しいようね」

「それはお互い様だろう。話はあちこちから聞いている。色々とこれを機会に取り入っているんだってな」

「人聞きが悪いことを言わないで欲しいものです。困っている隣人がいれば、手をさしのべるのは人としての義務ですよ」

 この店に提供されている発電機を含め、原住民は全力で街の復興に力を貸している。籠城のために備蓄していた物資をほぼ全て放出し、政府からの援助が来るまでは炊き出しも行い、住み処を失った者達に仮の宿も提供している。原住民から恩恵を預かっている者は戦争前より格段に多くなっている。

「それよりもどんなシナリオができたのか見せて貰えますか? お互い忙しい身なのですから」

「違いない。ひとまずこれが表向きに用意された資料だ。確認してくれ」

 カバンの中から取り出された一冊の資料を渡される。中身を軽く見れば概ね予想通りの内容であった。

 スノーフィールドは、表向き大災害に巻き込まれたことになっている。

 街を襲ったのは強大な竜巻であり、そのせいでインフラ各種は寸断。街の地下にあるシェルターに避難したものの、シェルターは構造的欠陥もあって崩壊、原住民の助力もあってからくも助かった、ということになっている。

 八〇万もの人間を誤魔化すのは大変な作業であるが、シェルターに避難したことなどは別に嘘ではない。事前にこうしたことも想定されていたこともあって無理のない範囲で辻褄合わせが行われているとのことだった。人を騙すのに必要なのは魔術などではなく、認識をすり替える技術だとか何とか。

「それで、大統領はいつこちらに来る予定かしら?」

 原住民の貢献を記した資料を入念に確認しながら、ティーネは核心を問うてくる。

 戦争は終結した。しかしその爪痕と米国政府がやらかしてしまったことを無視することはできやしない。それ故に魔術協会、聖堂教会、スノーフィールド原住民、そして米国政府が一堂に会して話し合いをする場が設けられることになっている。

 魔術協会にわざわざ宣戦布告してしまった米国政府である。相応の責任者がこの場に出るとは予想はしていても、まさか現職大統領が席に着くとは誰も思っていなかった。おかげでどの陣営も上から下への大騒ぎになりつつある。協会はここで恩を売るべきか厳しく糾弾するかで揉め、教会は大統領と政治的なパイプがあることを最大限利用するべく仲介者として裏工作に乗り出していると聞く。

 勿論原住民の長としてティーネのところにも事前交渉に訪れる者は多い。

「復興視察の名目で明日の正午には到着予定だ。そういや、お前、スノーフィールド被災者の代表として大統領と会うんだってな?」

「耳が早いのね」

「被災地を案内する名目で大統領と行動を共にすることになっている」

 名目上の役割とはいえ、やっかいなことに署長は現職の警察官である。表向きの仕事もきっちりこなす必要がある。

「そう。ならついでに言っておくけど、その時の写真が各新聞のトップに掲載されるよう手配もされているわ」

 一緒に写るかもしれないから身なりには気をつけなさい、とティーネは変装している署長をからかうが、当の本人はそんなことよりも新たな火種の存在に渋い顔をした。

 一般人から見れば、ただ被災地の少女が花束を渡して大統領と握手しているだけの写真である。しかしティーネの立場を知る者がこれを見れば一体どう見るだろうか。受け手がどう捉えるかは別として、何かがあると思われても仕方がない。

 今回の“偽りの聖杯戦争”を企み実行したのが米国政府であることは秘匿されることが事前調整により決まっている。秘密は秘密のまま闇へ葬りたい教会と協会には多少睨まれることだろう。当のティーネとしては会談前の手付け金としてこれくらいは大目に見て欲しいところだ。

「大統領にピエロを演じさせるとは、少し欲ばり過ぎじゃないのか?」

「聖人なのね。あなたを殺そうとした者の肩を持つの?」

「公務員なんでな。死ぬことも込みで給料を貰っている」

 やけくそ気味にぼやく署長をティーネは楽しげに見つめる。

 それで納得できることでもないが、署長も署長でそれなりの対価を得てはいる。個人的には甘酸っぱい匂いの放つ本皮張りの椅子など捨て置きたいところだが、部下のためにもこの立場を維持し利用する必要があった。死んでいった部下もいれば、生き残った部下もいるのだ。彼等を見捨てられるほど署長は人間を捨てることなどできなかったし、魔術師でもなかったということだ。

「……ひとまず、本件はファルデウスの暴走で片を付ける腹積もりらしい。これ程の事態を管理不行き届きで済ませようとはなんとも剛胆だとは思うが」

「それは先日来た役人から聞いたわ。無茶苦茶だとは思ったけれど、それに協力すれば、相応の権利を得られるとか」

「自治権は現実的に無理だろうが、原住民への待遇改善と復興費用と称した賠償金を支払う用意はあるらしい。協会にも有耶無耶だったスノーフィールドの管理者(セカンド・オーナー)として原住民が正式に認められるよう後押しもする」

「我々は我々を邪魔する全ての者を排除するために参戦したのだけれど?」

「私を脅してもしょうがないだろう。どうせ“偽りの聖杯”はもうないんだ。意地を張るよりも適当に妥協して恩を売るのも悪くないと思うがな」

 そんなことを言ってみるものの、我ながら空々しいと署長は思わざるを得ない。

 現実的に考えればこの辺りで手を打つのが打倒かもしれないが、だからといって米国政府の口車に乗ることはこれらの諸問題の片棒を担ぐことにもなる。同じく全てを知っている協会と組んで糾弾するという選択肢はあって然るべきだろう。

「まあ、良いわ。その条件で原住民は了承する予定よ」

「……自分で言っておいてなんだが、それでいいのか?」

「欲ばらずに恩を売れ、と言ったのはあなたよ? それにあの大統領、おそらく“偽りの聖杯戦争”の魔術儀式に関しては協会に全て委譲するんじゃないかしら」

 だとすれば協会も踏み込んで糾弾するより迎合して安全に成果を接収することに重きを置くだろう。どうせ現地調査の名目でスノーフィールドに乗り込んでくるのだ。下手に抵抗して長く居座られれば、今度は原住民と協会との間でいらぬ争いが起こりかねない。

 良くも悪くもあの大統領には欲がない。

 米国は保有する切り札を悉く失いはしたが、この戦争で得られた技術や情報だけで採算は十二分に取れている。欲張らず堅実な道を歩むことで逆に手出ししにくい状況を作り出そうとしている。

 実にやりづらい。

「……さて。ではそろそろお暇するわ。この資料は貰っていくわよ」

「そいつは一応重要機密なんだが」

 カラン、と空になったバケツにスプーンを捨ててティーネは立ち上がる。暗にここで読んでいけと告げる署長であるが、ティーネは聞く耳を持たない。

「これからデートなの」

「……そいつは野暮だったな」

 デートと言われては仕方がない。署長もあっさりと身を引いた。諦めたとも言う。

「本人にその気があるなら、いつでも移植の準備はできていると伝えておいてくれ」

「伝えるだけは伝えておいてあげる。けど、無駄になるでしょうね」

 魔術師としての署長の言葉を、ティーネは軽く否定した。それが祖先に対する裏切りだと理解はしているが、ティーネがいる限りそんな道を歩ませるつもりはない。そしてティーネはどこに行くつもりもない。

 そんな決意を胸に、ティーネは「また明日」と署長に告げて店の外へと出た。

 土埃の混じった空気と熱気が辺りに満ちていた。太陽は中天に差し掛かっている。戦争がスノーフィールド市街に与えた爪痕は大きいが、復興に向けて動き出す街は活気づいていた。

 

 

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 銀狼の身体は考えた末に、繰丘邸跡地の隅に葬ることに決めた。

 本当はもう少し森の奥深くで眠らせてあげたいところだったが、椿の矮躯で銀狼の大きな身体を道もない場所へ運ぶことは難しい。汗だくになりながらこの場に穴を掘ることで精一杯だった。

 銀狼は、戦争終結を見届けるのを待っていたかのように、静かに息を引き取った。

 良く保った方であろう。夢の中でのこととはいえ、そこであったことは肉体と完全に無関係ではない。死んだと錯覚するような攻撃を受ければ実際に死ぬし、激しい戦闘を行えばそれだけ脳を酷使する。ましてやサーヴァントと再契約をすればその身にかかる負担は莫大なものになる。

 それが分かっていながら、椿は銀狼を夢の世界へと連れて行った。

 言葉が分からずとも、その眼を見れば銀狼が何を訴えようとしているのかは分かる。すでに呼吸すら覚束ぬ身体でありながら、銀狼は椿に懇願した。生きたいと願いランサーを召喚しながら、彼はそんなランサーを助けるために己の命を消し飛ばそうとしていた。それを断ることなどできよう筈もなかった。

 結局朝から作業を始め、墓標代わりに大きな石を苦労して運んだ頃には、もう太陽が真上に来る頃合いだった。

 昼過ぎにはティーネがここにやって来る予定。

 できればそれまでにシャワーを浴びて身なりを整えておきたいところだが、いやしかし、この勇気ある戦友にまだ伝えていないことがあった。

「私、ティーネお姉ちゃんの妹になりました」

 墓前で手を合わせながら、椿は照れくさそうに笑いながら報告する。

 原住民族長の妹ともなればティーネ独断でおいそれと承認されるものではないが、幸いにも砂漠地帯でのティーネ救出の功もあって比較的すんなりと話は進んでいる。正式にはまだ先の話であるが、事実上原住民からはそのように扱われている。しかし重要なのは周囲ではなく、椿とティーネの認識だ。

 戦争が終わった今になって二人が家族になる意味などもはやどこにもないが、天涯孤独となり繰丘の家名の加護もない椿が生きるためにはこうするより他に道はなかった。

 もう、椿は魔道を歩むつもりはなかった。

「……考え直すつもりはありませんか?」

 ふいに、椿の口から言葉が漏れ出た。椿が喋っているわけではない。椿の中にいるライダーである。

「ライダー、起きてたの?」

「肉体を酷使しすぎです。あまり魔力に頼る身体の使い方は控えてください」

 ため息をつくようにライダーは椿の身体を労る。労っていたということは、ずっと椿の気付かぬところでライダーは身体をフォローしていたのだろう。今朝方からずっと話しかけていたというのに全く反応がなかったのでてっきり眠っているものと椿は思い込んでいた。

 銀狼の墓に背を向け、椿は崩壊した繰丘邸内で唯一無事であった山荘風の小屋へと入る。長い間放置され続けてきた施設である。水道は何とか通っていたが、長年使われなかったことで少々錆臭い。それでも汗を流してバスタオルで軽く身体を拭いたそのままの姿で椿はぺたぺたとその建物を歩き回る。

「考え直すつもりはないよ。私は、魔術は学ばない」

 この建物は一般住居と較べても相当な広さを持っている。それだけに、部屋の数も多いし、子供部屋の大きさも相応のものだった。複数人の子供が駆け回る広さや、シーソーなど一人では遊べない遊具もそこにはある。まるで、幼稚園のようだ、と行ったことすらないのに椿は思った。

 服を探しに洋服ダンスを開けてみれば、そこには少ないけれども子供服の種類だけは沢山ある。それも、一定年齢以上になると椿に合わせた服だけとなる。小さな頃は、男の子のような服を着せられることが多かったのが不満だった。

 少々きついが服も入手し、いよいよ彼女は崩壊した繰丘邸内を歩き回る。

 崩壊し瓦礫の山となった工房へ足を踏み入れる。ここで数日おきに注射を打たれていた。この程度の痛みは最初から我慢するほどでもなく、体内で虫が這いずる感覚すらも、不快感は覚えながらも泣き喚いたことはなかったはずだった。それなのに泣き喚く声が耳に残っている。

 記憶を頼りに瓦礫を押しのければ、地下シェルターへの入り口を見つけるのは難しくなかった。全ての研究棟に繋がっている通路兼倉庫の地下に潜れば、そこはちょっとした迷路になっている。迷路の原因はガラス瓶だ。ガラス瓶に刻まれているラベルにはまるで墓標のように誕生日と命日が刻まれており、そして大量の付箋が貼り付けられている。その多くの単語こそ読み取れなかったが、「Failure」の意味だけは理解できた。夢の世界では覗き見ることができなかったガラス瓶の中身も、この現実であれば確認できる。直視するには、辛すぎる光景だった。

 繰丘邸を、一通り回ってみた。大半が崩壊しているので全体の一割程度でしかなかったが、それでも懐かしさを感じる。

「終わりましたか?」

「うん。もういいかな」

 懐かしさと同時に、自らが忘れていたことも、はっきりと思い出す。今まで、実に多くの犠牲の上に、繰丘椿という存在が成り立っていたことを、実感する。

 それだけに、椿は自分で自分を許せない。

 自分という存在を繰り返してしまう魔術の道を志すことはできない。

 この繰丘邸は即日解体することを依頼している。まだ無事な研究結果や貴重な資料もあろうが、その全てを椿は廃棄する。椿が受け取るべき遺産は、塵と化す。

 繰丘の魔術は、ここで断絶する。

「だから、ライダー。ごめんね」

「いいえ。最後まで悩んだ上での道なら、これ以上私が止める理由もありません」

 椿の決断に、ライダーはもう何も言うまいと決めた。

 繰丘椿は、魔術によって生かされている存在である。

 脳内の虫は今でこそどうにか沈静化しているが、いつ暴走するのか誰にも分からない。肉体を動かすにもライダーの補助なしで彼女は自力で歩くこともままならない。魔術に頼らず普通の生活を送るためには、数年はかかることだろう。半身不随のまま一生を過ごす可能性もある。そうでなくとも、長生きはできまい。

「……できる限りのことは施しています。余計なこととは思いましたが、脳内に圧縮プログラムを幾つか用意しておきました。視覚情報から発火に連動しているので何かあった場合にはオートでスイッチが入ります」

「ずっと黙ってたのはそれを作っていたから?」

「はい。私がいなくても椿が自分を守れるように」

 子を見守る親の気分で、ライダーは最後の贈り物を椿へ渡す。

 ライダーは燃費の悪いサーヴァントだ。マスター一人でこれを支えようとすれば三日もすれば限界を迎えてしまう。これを何とかするために他者から魔力を補ってきたが、それももう行っていない。

 椿の魔術回路をライダーは閉じた。今まで行ってきた魔術による補助がなくなり、椿はゆっくりとその場に仰向けに倒れる。

 青い空が見える。

 ここは、もう夢の世界ではない。

「バイバイ、ライダー」

「はい。椿もお元気で」

 夢の中で出逢った友人のことを、椿は忘れない。

 椿の孤独が癒やされ、自らの道を選び取ったことを確認し、ライダーは椿の中から消えていなくなった。

 

 

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 気がつけば、どこか異質な空間の中にカルキは存在していた。

 はて、とカルキは人間風に言うなれば首を傾げる。自分は確かに消失したはず。だというのに何故こう考えることができるのだろうか。

 アーカイブによればカルキは肉体消滅後、“座”に保存される筈だが、こんな窮屈なところが“座”である筈がない。座標を確認しようとするも返ってくるのはエラーばかり。英雄神話のための免責条項に該当したのかと照会もするが、それも違う。

 状況に悩むカルキであるが、しかしそれも長い時間ではなかった。

 カルキの目の前に、東洋人が居た。

 こんな近くにいながら気付かないなど普段であれば有り得ない筈だが、事実としてカルキは今の今まで気付けなかった。

 すぐさま取得できる身体情報から“世界”に保存されている無限ともいえる人体情報と照合させるが、該当する人物はいない。この目の前にいる人物は正規手続きに則って作られた存在ではないと判断した。人ではなく物として検索すれば、該当データは現時点で約五〇億件。いずれもアインツベルン製ホムンクルス――小聖杯と呼ばれる器の一つ。

 正体が分かれば、ここがどこかというのも理解できる。

 ここは小聖杯の中。

 カルキは消滅と同時に“座”へと戻ろうとする途中でこの小聖杯に絡め取られたらしい。

 肉体を失ったがためにカルキの認識は曖昧なままにある。ここにある身体はそんなカルキの認識に基づいて投影される幻みたいなものなので、当然この身体で小聖杯に何か影響を与えることはできはしない。

 仕方なく、カルキはなにもしないことを選択する。

 この英雄の身体を絡め取ったことは賞賛に値する魔術なのだろうが、残念だがそれまでだ。所詮虫取り網で捕まえられるのは蝉程度。小魚だって捕まえられるだろうが、巨大な鯨を相手にどうにかできるわけもない。

 そうこうしている内に、この異質な空間に亀裂が走る。今すぐというわけではないが、あと数分もすれば限界に近づき壊れることは確定していた。

 確定していたのだが。

「………?」

 空間の走った亀裂は、しかして誰が行ったのか。

 最初はカルキが自身の重みに小聖杯が堪えきれずに裂けたのだと思っていた。今も確実に小聖杯を圧迫し続けているカルキであるが、しかし、そうではない。目の前にいる東洋人が、何かをしたのだ。その手に輝く魔力の一画で、何かを喚び出そうとしているのだ。

 亀裂は、より大きく裂ける。そんな中から現れ出でる者が居た。

 即座に検索――該当件数、一。

 この“偽りの聖杯戦争”に参戦したキャスター。それもカルキが解放された世界に投影された個体と同一個体である。

「これが小聖杯の中か! うちの兎小屋よりも狭いな!」

 ずるりと蛞蝓の如く空間を割いて小聖杯に入り込もうとするフランス人はお世辞にも優雅さとはほど遠いところにあった。それを気にするキャスターではないが、土足で踏み入る泥棒だってもう少し礼節を弁えていることだろう。

 一頻りキャスターは周囲を見渡し勝手な感想を述べてから、

「さて。何をしに来たって感じの顔をしてるな、最終英雄? いや、もう英霊か」

 ポケットに手を入れ気取った表情でキャスターは語る。

「俺の目的はこの聖杯戦争の行方を見届けることだ。なら、俺がここに居たとしてもおかしくはないだろう?」

 いや、おかしい。

 普通はこんなところに令呪を使ってまで入ってこない。

 ここは小聖杯。世界の路より逸れた閉じた世界だ。入ることは令呪を使えば不可能ではないのだろうが、入った時のままの状態でここから去ることはできない。この小聖杯が堪えきれず崩壊した時には、中身は綺麗に消化され純粋な魔力と化して意識すら留めることはないだろう。

 魂の許容量に差があるカルキならまだしも、キャスター程度ではその術に抗えることはない。入ったら確実に消滅する。それが分かっていてどうしてこの場に来ようというのか。

「消滅、か。それも大いに結構だ。随分愉しませて貰ったし、何より舞台を最後まで特等席で見られたからな。こんな命が代金なら安いもんだろう。むしろ安すぎるくらいだと思ってしまった。

 だから俺はここに居る」

 キャスターの言葉をカルキは理解できない。まるでキャスターは、代金を返すためにここにいるような言い草ではないか。

「おいカルキ。お前は何故こんなところにいる? 何故お前は負けた? 何故、己の使命を全うしなかった?」

 キャスターの問いに、カルキは答えられない。

 カルキはシステムだ。全てを合理的に考え、自らにできるその時々の最善の道を選び、実行する。最善の選択が必ずしも最良の結果に繋がらないがために、カルキは今ここにいる。そこに疑問が入る余地などない。

 そんなカルキの思考を理解したかのように、キャスターは論う。

「わかってねえなぁ。

 世界が唯一でないことぐらい、お前も分かっているだろう? この東洋人を見れば俺にだって分かる。苦労して八億回繰り返し、ついに辿り着いたのが最終英雄の打倒だ。これは最初の一回目だ。そして一回あれば、あとは何度だって負け続けるだろうさ。繰り返される挑戦に、お前は何度も膝を屈するのさ」

 キャスターの言うことは、正しい。世界は唯一なのではない。数多ある分岐の先には無限の未来が存在する。本来であれば、その中にカルキの敗北はないとされている筈であったが、こうしてその可能性が生まれてきた。であれば、他にも敗北の可能性は次々と生まれてくるはずだった。

 カルキを失った世界には大きな齟齬が生じてくる。

 救世主となるべき存在がいなくなったのだ。強大であるが故に、そのために生じた歪みは大きい。世界が修正できる許容量を超えてしまっているのだ。一分後か、一年後か、一万年後か知らないが、この小聖杯のように、崩壊は不可避の存在となる。

「だがな。この敗北はお前のせいじゃない」

 そんなカルキを慰めるように――いや、自らを自慢するように、キャスターは告げた。

「お前は確かに最終英雄だ。お前の前には全てがあり、お前の後には何もない。そんなお前に勝てる存在はいやしねえよ。お前の敗因は、単純な設定ミスだ。

 お前が大人しく四〇万年を眠っていれば何の問題もなかった。途中で起こされるような柔な寝床が悪いのさ。

 まあ、代金が安いってのもあるが、気にくわない脚本を修正しときたかったってのもある」

 ふと、カルキはこのアインツベルンの小聖杯が他と少し違うことに気がついた。

 基本となる器の製造法に大した違いはない。基本を同じくしながら少しずつ設定値を異にしているだけだ。しかし、この個体だけはその設定値が出鱈目だ。これでは小聖杯として東洋人が役立つことはない。

 アインツベルンの設定ミスか。そんな偶然があろう筈がない。

 何故なら、送られる場所と時間は、カルキが用意された時期と同一のもの。

 あろうことかキャスターは、創造主に対して脚本のだめ出しをしようというのだ。

 “偽りの聖杯戦争”、その元凶たるカルキを起こさぬために。これから起こりうる全ての可能性を否定するために。世界から救済が損なわれることのないように。

 キャスターは、ここに居た。

「今度からは、気をつけるんだな」

 ニヤリと笑いながら、キャスター自己満足に漬りながら小聖杯の中に溶けて消えて逝く。その姿を見ながら、カルキはようやく納得した。

 キャスターがここに居た意味。

 それは単に、終わりを告げる英雄に、終わりを告げたかっただけなのだ。現実世界のエピローグを捨ててまで、そんなくだらないことのためだけに、彼はこの場に現れ、消滅していった。

 到底、システムに則って動くだけのカルキには納得できても理解はできぬ行動だ。

 最後にひとつだけそんな不合理をカルキは考えながら、カルキは小聖杯を破壊して“座”へと戻っていく。

 ここに約八億回続いたとされる“偽りの聖杯戦争”は幕を閉じる。

 もう次に“偽りの聖杯戦争”が開かれる可能性はなくなった。

 

 

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 スノーフィールド、南部砂漠地帯に二人の足跡があった。

 ひとりはアーチャー。

 ひとりはランサー。

 二人の足跡はつかず離れず。

 まるで互いに語り合うかのように点々と続いている。

 ただ、そんな彼等の行方を知る者はいない。

 二人が共に立ち去る姿を見た者はいても、その立ち去った後の姿を見た者はいない。

 その結末を知る手がかりとなる足跡も、砂塵は徐々に、そして確実に消していった。

 “偽りの聖杯戦争”、その最後の戦いがあったかどうか、定かではない。

 

 

 FIN




ジェスター。
教会について本作ではほとんど触れられなかったので、帳尻を合わせるために彼女には犠牲になって貰った。真っ当に考えれば順当な結果だったと思う。

バーサーカー。
便利キャラとして活躍させた結果、途中から殺人鬼ではなく策士になっていた。これでいいのかは疑問だが、ホームズと対決させたことで著者的には満足である。最期の言葉があれなのが残念かもしれない。

ロード・エルメロイⅡ世。
絶対領域マジシャン先生。相当に怒っているという設定なのだが、あの様子だと少しは冷静になった模様。ロード・エルメロイⅡ世の事件簿は未読なので、今度読もうと思う。

フラット。
恐怖に震える生徒。散々功績を称えられながらその全てを投げ捨ててアサシンと逃避行することになる。傍目からみれば駆け落ちなのだが、本人にその自覚がないのでつくづく色気とは縁遠いキャラである。この作品が18禁にならなかったのはフラットがヘタレだからである。

アサシン。
色々と吹っ切れた女。召喚当時の彼女が今の彼女を見れば絶望するだろうが、当然ながら絶望することはない。

署長。
一番の苦労人。ある意味一番犠牲を強いられた人。本当はもっとクラン・カラティンを率いている姿を描きたかったのだが、そうした機会に恵まれなかった。

ティーネ。
以前フラットから「アメ車みたい」という評価を得ていたので、この機会に燃費が悪いという設定を回収しておいた。
力を失ったとはいえ族長ではあるので今後は政治的に暗躍する予定。しかしフラットに手を出されなかったとはいえ、椿に走るとは当初は思いもしなかった。

銀狼。
本作で一番著者を困らせたキャラ。寿命が短かったり、怪我をしてたり、そもそもどういう思考をしていたのか分からなかったので活躍のさせ方に苦労した。結局夢世界でしか活躍させレなかったが、まあそういうこともあるだろう。

椿。
本作で一番著者に愛された少女(友人談)。色んなハンデがあったので銀狼と同じく活躍させるのは難しかったのだが、ライダーという便利キャラを使うことによって一気に大活躍させることができた。予想の斜め上をいくことを心掛けてはいたが、まさかここまで化けるなどとは思わなかった。まさに予想の斜め上である。
最期に繰丘邸を探検させる意味はあまりないのだが、不幸な過去との決別し、幸福な未来が待っていることはちゃんと書いておきたかった。

ライダー。
変化が最も激しかったキャラ。初期のあのキャラからこうなるなんて絶対誰も思わないだろう。ほとんどオリキャラなので好みの分かれるところだろうが、著者としては、全キャラで一番好きである。
ライダーラスボスのルートも構想しており、コンピューターウイルスとなってスノーホワイトを乗っ取り、三銃士や近代兵装でアーチャーを迎え撃つことも考えていた。いやあ、書けなくて残念。
このままアサシンよろしく現界させても良かったのだが、ここは綺麗に去って貰うことにした。

東洋人。
多くの人に絶対忘れられていたであろうキャラナンバーワン。キャラ、というかプレイやーであるが、ミダス戦以外なんもしてないので影が薄い。fakeは元々プレイヤーの物語なので、その結末は彼に飾って貰うしかない、ということでこういった運びになった。

キャスター。
作中で一番喜んだ人。事実上キャスターはこの聖杯戦争のドラマの一部始終を見ることになっている(一部例外はあるが)。その願いを叶えるために、東洋人に最後の令呪をつかって召喚してもらった。
唯一気になるのが、アーチャーから蔵を盗んでおきながら特にこれといった仕返しをうけなかったことか。

ランサー。
作中一番翻弄された人。ライダー戦までは格好良かったような気がするのだが、後は行動の悉くが裏目になっていた。途中から意識的にそういう役割にしてたのだが、逆に言えば途中までは意識せずに酷い目に会い続けていたということになる。
ギルガメッシュ叙事詩などを読む限り結構冷徹なリアリストというイメージがあるが、とてもではないが本作でそんな風には見えない。

アーチャー。
ほとんどのキャラが初見の中、他の作品にでまくっているこの人はある意味一番動かしづらかった。というのも、「アーチャーってこんなんだっけ?」という認識が強いので、意識的にあまり出さないようにすらしていた。
そんなわけでアーチャーとランサーは意識的に会わせないようにして、最後の二人の戦いは描かないことに決めていた。
終わり方としてはこれくらいが丁度良いと思うのだが、いかがだろうか?





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