Fate/strange fake Prototype -Another Player-   作:縦一乙

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 長く、銀狼はその場に伏せていた。

 野生の獣というのは自らの怪我に対して自覚的だ。痛みに呻くことはあっても傷口をいたわらない動きは絶対にしない。安易に薬に頼ろうとする人間よりも彼等は自らのホメオスタシスを最大限に活かすことを考える。そういった本能は例え合成獣であろうとも変わらないものであるらしい。

 枯れた木の洞で療養すること数日、結果として銀狼の傷は無理をすれば動けるまでに回復していた。銃弾で風穴を空けられながら数日で回復することは脅威の一言に尽きるが、これが無茶でないわけもない。ランサーによる治癒も多少後押ししているが、持ち前の異常な数の魔術回路を治癒のために全力活動させたことが最大要因である。代償として短くない寿命を消費しているが、死ぬこととの天秤を考えれば安い買い物。この数日飲まず食わずで体力は限界に近付きつつあるが、これもまた野生の獣と同様に空腹に対する忍耐も銀狼は持ち合わせている。限界に近付いても限界値を超えてはいないのだ。

 しかし、狼とは群れる獣でもある。一匹狼とさも孤高の存在の如く扱われることもあるが、犬科の動物は一匹だけで生きてはいけない。それは狩りの成功確率にも影響する故の、これも本能だ。

 そして現在、彼が群れとして意識しているのは一人の――否、一体の人形。ランサーのサーヴァントたるエルキドゥただ一体。そして彼は、この場にはいない。

 銀狼の感覚からしてかなり前にこの洞を出て行ったきり、彼の姿を見ていない。何やら色々と語りかけられたような気もするが、怪我で朦朧とする意識と元より言語を解せぬ脳構造ではいかんともし難い。

 つまるところ、銀狼は何の理解もしていなかった。

 銀狼にとってランサーはサーヴァントではなく自らの主人であり、そして聖杯戦争や魔術、己の置かれた位置についても、何の疑問も持ち合わせていない。全ては「生存のため」の一言に尽きてしまう。

 故に、ではあるが。

(主、大丈夫ですか?)

 脳裏に響く言葉にすら、銀狼はあまり興味を示さなかった。

 最初こそ周囲を見渡し、ランサーの姿を探したが、耳ではなく脳内に響くものと認識した段階でそうした行為を取りやめた。銀狼だって夢を見る。なまじ知能が高かっただけに現実の不在と脳内の言葉を同一のものとして認めることはなかったのだ。

(すぐにでも馳せ参じたいところですが、そうもいかぬ事情ができました)

 マスターとサーヴァントの間にあるパスは魔力だけを通すパスではない。生存の有無や記憶の共有、相手の位置といったものも分かるが、銀狼とランサーは人ではないためかかなり詳細な意思疎通までも可能とする。

 一種のテレパシーではあるが、銀狼に分かるのはランサーが気遣う感情のみ。それを承知の上で、ランサーは話しかけることはやめようとはしない。銀狼としての認識は全くの逆ではあるが、銀狼はランサーのマスターである。無駄と分かりつつもやらねばならぬこともある。

(僕にかけられた呪いは二種類――強制的な実体化、そしてマーキング……特に後者はやっかいです。僕とマスターが接触すれば、奴らにマスターの位置が露見してしまう)

 焦りの感情だけが伝わるが、銀狼は何の反応も返さなかった。ただランサーの感情からこの場に帰れないとだけ理解する。それすらも、現実と夢との境界で曖昧模糊とした記憶として処理されてしまう。

(僕はマスターから数キロほど離れた森林地帯で奴らを待ち受けています。この風向きなら僕の匂いは届くことと思います)

 ひくり、と脳裏の言葉に銀狼は鼻をあげる。確かに微かではあるがランサーの匂いが風の中に交じっている。雨と霧に洗われた樹々との香り、森の中にあって尚自己主張する原初の森――この匂いを銀狼が過つことはない。匂いは薄れ一足で駆け抜けることのできぬ距離であれど、不確かな脳裏の言葉よりも遙かに銀狼の心に刻み込まされる。

 主人が遠くではあるが、その意志は近くに居る。ただそれだけで、傷の回復を促進させるべく、自らの魔術回路を無意識のうちに全力稼働させる。その行為自体は体力を過剰に消耗するものであまり意味はない。だが効率を優先しうる気力の充実がそこにはある。

(今しばらくお休みください。時が来れば、お迎えに上がります)

 限界に近付きながら、銀狼の身体は更なる酷使を開始する。欠損した傷跡をピンクの肉が覆い、肉体を駆け巡る血の量が明らかに増えつつある。肉体にかかるダメージは苦痛となって全身を襲っている筈だが、それに耐えるだけの精神力を、銀狼は遠くに感じる微かなランサーの気配で補っていた。

 銀狼がその場で抱いた感情は「安心」。その感情は、例えその意志がなく言語としても成り立っていなくとも、確かにランサーの元へと伝わっていた。

(わかりました。安心してお休みください)

 脳裏のメッセージに無自覚な安堵を覚え、銀狼は再度深い眠りの途についた。

 

 

 

 次に目が覚めたのは夜遅く、満天の星空の元だった。

 確かに木の洞で寝ていた筈だと銀狼は軽く混乱するが、周囲を見渡せばここはランサーに連れられて傷を癒やした河原である。となれば、近くにランサーがいる可能性は高いだろうとこの場で目覚めた理由をあっさりと放棄して銀狼は周囲を見回し己がサーヴァントの姿を探し始める。

 身体が軽いことに違和感は覚えない。傷などまるでなかったかのように銀狼の身体は自由に、そして羽毛の如く軽く動かすことができた。周囲を小一時間も駆けてみるが、はて、おかしい。ランサーの匂いもどこにもなければ、それ以外の動植物をはじめとしたありとあらゆる匂いも感じ取れない。確かに河原の近くというのは匂いが流されやすいものではあるが、これだけ探して何もないということもあり得ない。

 銀狼は自らの鼓動がやけに大きく聞こえることに気付く。当然だ。周囲には臭いと同様に音を発する存在がないのだから。

 ほとんど本能的に下された結論に従って、仕方なく河原から離れ、森林地帯を移動し始める。銀狼が潜んでいた洞は覚えている。ランサーの匂いがした時の風向きも。その時のわずかな記憶を頼りに銀狼は森林の中を風のように駆け抜ける。

 幸運にも、銀狼のこの行動は彼の命を救うこととなる。洞の位置とランサーがいたと思われる位置の直線上にはスノーフィールドの街があり、それ以外の地域で彼が助かる見込みは誇張なくゼロであった。

 疲れ知らずの肉体を走らせること小一時間。既にスノーフィールド森林地帯を抜けて、いつの間にか銀狼は足をアスファルトの上へと乗せていた。

 アスファルトについての知識を銀狼は持ち得ない。だがこれが道であり、そしてその先に何かがあるというのはすぐに理解できた。道の先にはスノーフィールドの街があり――何かが蠢いている。

 これが野生の獣であれば、警戒心というものを持ち得ただろうが、あいにくと彼は人工的に作り上げられた合成獣であり、そして生まれたばかりでもある。知識として知っている他の生命体は創造主たる魔術師とサーヴァントたるランサーのみ。痛みによる恐怖は心に刻み込まれているが、ランサーによる癒やしと安堵は銀狼に「好奇心」を植え付けていた。

 だから最初にそれを見つけた時も、その異常性に銀狼がすぐさま気がつくことはなかった。

 銀狼が見つけたもの。それは人間だ。

 それは地元の農夫らしき人であり、農作物だかが詰まっているであろう布袋をいくつも必死でボロいトラックの荷台へと乗せていた。また若いビジネスマン風の男が携帯を片手に公園の周囲を歩いていた。公園内ではまだ年端もいかない男の子がよたよたと慣れぬ手つきで自転車の練習をしていた。

 そのいずれも、銀狼に何の興味も抱いていなかった。

 若いビジネスマンは銀狼にぶつかり転けたが、何事もなく立ち上がりそのまま立ち去った。自転車の練習中の男の子に至っては進路上に銀狼がいたにも拘わらずまるで避けようともしない。

 銀狼の観察眼ではそれだけであるが、これが人間の観察眼であればもっと別の面も見ることができたであろう。

 農夫は荷台に布袋を積み込み、そして次の瞬間には地面に下ろし始める。ビジネスマンは公園の周囲をひたすら歩き続け、男の子は延々と公園で自転車の練習をし続ける。これは明らかに異常であろう。ましてや、こんな真夜中にそんなことをするなど。

 街中を巡り歩き、そうした人間を数百人も見た頃合いになると、そんな光景にも銀狼は慣れつつあった。好奇心もどこかへと消え、銀狼は本来の目的を思い出したように脇目もふらず街中を横断する。

 そんな最中に、銀狼はその身体を急に止めて、進路上の傍に建つ大きな建物へと首を向けてみた。

 相変わらず匂いはない。だが嗅覚が効かないことで研ぎ澄まされる感覚というものもある。そんな感覚に引きずられるように、銀狼はその建物の敷地内へと侵入した。

 スノーフィールド中心部にある一際大きな建造物。周囲の建物と異なり敷地面積は隣接するビルの倍以上で、植えられている木々の数も多く、それでいて開けた空間があちらこちらに見受けられる。十字のマークがあることから人はそれを病院と判断することができるが、そんな知識を銀狼は持ち得ない。

 心なしか人の数が他の場所よりも多いと思いながら銀狼はやや躊躇しながらも病院の中へと足を進めていった。

 銀狼が病院へと入った理由――それはランサーに似た気配を感じ取ったからだ。

 匂いを感じぬこの世界。人間でいえば目隠しをされたに等しい制約を銀狼は受けているが、ただの人でもただの狼でもない彼には特異すぎる魔術回路が存在する。暗闇を見通す視力、周囲数キロの物音を聞き逃さぬ聴力、その毛並みは周囲の空気を余さずに読み取る。それだけのことを無意識に行いながら、銀狼は更にそこから魔力の波を感じ取る。

 ランサーの優しげな魔力とは違う、ただそこにあるというだけの無色とは異なる無味乾燥とした魔力。

 それはサーヴァントという特殊な存在のみが放つ魔力であるが、その違いは分かってもその違いが何を意味するのか銀狼は分からない。

 病院の敷地内に入れば、その気配はいよいよ濃くなっていく。

 ここでようやく銀狼の本能が警戒を促した。

 人口密度は街中の比ではない。結構な広さの敷地があるというのに、その敷地全体で誰かが何かを常に行っている。病院着を着た患者が無表情にバレーボールを打ち上げ、皺だらけの老人が車椅子でゴーカートに興じ、敷地の片隅では物静かにギャンブルが行われ、そうした隙間を子供が走り回っている。

 いかに無害と認識しようとも、ここの人口密度は街中の比ではない。仮に今ここで全員が銀狼に襲いかかれば、これを回避する術はない。そうでなくとも、何かがあればすぐさま逃げられるような場所ではない。

 銀狼に爪と牙はあるが、生まれてこの方それを利用したことは一度としてない。襲われたとしても、この爪牙を有効利用できる自信が銀狼にはなかった。

 それを弱さと受け取るか、優しさと受け取るかは意見の分かれるところであろうが、その境界が、銀狼の生死を分けることとなった。

 銀狼が足を止めた時には既に遅かった。敷地半ばにあって気配は濃厚。どこに逃げようとも必ず人の傍を通ることとなるし、そして何よりどこに逃げればいいのか銀狼には判断がつかなかった。

 これが経験を積んだ獣であれば警戒感からそもそも中に入らないし、逃げ場を確保しながら移動する。そして何より、敷地のど真ん中で立ち止まる愚は犯さない。

 故に――。

 魔の手は、あっさりと銀狼の背に伸びていた。

 一瞬の黒い影。いかに生まれたての銀狼といえど本能が身体の全てを支配しているわけではない。ありとあらゆる情報が銀狼の全身を錯綜し、緊張が全身を覆い尽くす。尻尾は後ろ足の間に隠れ、己の牙も、爪も、一ミリだって動かすことはできなかった。

 そして魔の手は、銀狼の背へとよじ登り――

「ワンちゃんだー!」

 歓声を上げた。

 ゆっくりと、銀狼は背後に目線を上げる。背にかかった重さは人の子供ぐらいであり、大きさも同じ程度。腕力は非力であり、跨がる足も覚束ない。人の顔など判別できぬ銀狼はあるが、これはそれほど悩まなかった。

 これは、子供だ。

 銀狼はとりたてて大きくはないものの、子供からしてみれば十二分な巨体である。子供がまたがるには都合が良く、それでいて銀狼の毛並みは掴むのに丁度良い。

 振り落とすには簡単だ。二度三度と揺らせば、子供はバランスを崩し転倒することだろう。もしくは銀狼が横に自ら転倒すれば子供は為す術もない。首をねじり、その口と牙でもって子供を突き落とすことだって可能だ。

 一瞬で思いつくいくつもの選択肢。しかしその一つだって銀狼は実行することはできない。現状を把握したにもかかわらず、相変わらず銀狼は一ミリも動けないし、尻尾は後ろ足に挟んだまま。恐怖という名の魔の手は今も銀狼の身体を掴んで離さない。

「ライダー! ワンちゃん動かないよ!」

 子供の声に、ようやく銀狼は身体が動くことを自覚する。呼吸すら忘れていたのを思い出し、ゆっくりと肺の中に酸素を取り込んでみる。心の臓は早鐘のように動いており、銀狼の身体はあらゆる束縛から解き放たれている。

 だが、銀狼には分かる。今逃げれば、自分は殺される。そして、銀狼がライダーと似た気配と思った存在は、この子供の傍らに確かに存在している。

 おそるおそる銀狼は足を動かしてみる。バランスが上手く取れなかったのか子供の手が銀狼の毛皮を掴み痛むが、そんなものは全て無視した。

 どこに行けばいいのかわからず、まずはひたすら前へ前へと歩み始める。同時に幽鬼の如く纏わり付く気配を振り切ろうなどとは思わない。ほんのわずかな接触ではあるが、あの存在は明らかに銀狼よりも素早く動き、束縛することが可能であろう。

 ようやく分かった元凶。この周囲一帯にいる人間は全員この正体不明の何者かに支配されている。その証拠に、銀狼の歩む先々で、遊びに興じる大人達が道を開けてみせるではないか。

「ねー、ワンちゃんはお名前なんていうのー?」

 間延びした子供の質問に人間の言葉をそもそも解さない銀狼は当然答えられない。それでも話しかけられたことを理解した銀狼は首を後ろに向けて子供の顔を仰ぎ見た。

「私はねー、繰丘椿っていうの。ツバキ、わかる?」

 繰り返される名前に、恐怖と戦いながらも銀狼はそれが子供の名前であると認識する。生き残るために最大限働く銀狼の脳細胞は、ここでの一言一句を漏らさず記憶し糧とする。ここで恐怖が限界となっていれば、その前足に宿った令呪が反応していただろうが、幸運にもそこに至るまでには猶予があった。

「それでねー、」

 と、椿は銀狼の右耳を引っ張り上げる。右に行けばいいのかと銀狼はその足を右へと向けた。その先にあるのは……病院の入り口。そこにもスリッパで卓球をするナースや、赤ん坊のごとく背に少女を縛って何かを捜している青年の姿があった。

 そして……銀狼はその青年と目が合った。

 今まで出遭ってきた全ての人間にはなかった理性の灯火がそこにある。背後に背負う椿のような不確かな存在は連れていない。それなのにその顔つきから銀狼のような恐怖に支配されているようにも見えない。

「あのお兄ちゃんが、フラットお兄ちゃんだよ」

「ああいたいた。おや、椿ちゃんも友達を見つけたんだねー」

 実にフランクに話しかけてくるフラットと呼ばれた男が、遠慮も何もなく近付いて徐に銀狼の前足を掴んでくる。人間で言うところの握手であるが、銀狼にとってそれは不可解な行動でしかない。不快感もあったが、それを我慢しされるがままにその身を任せる。

「あれ? お兄ちゃんも?」

「そうそう。ほら、僕の背にいる女の子」

 言って、腰を屈め背中を椿に見せる青年の背には、確かに少女の姿があった。一体何があったのか、その身体に意識はなく力なく腕が垂れ下がっている。

「うん? あれ?」

「どうしたのお兄ちゃん?」

「この犬なんだけどさ、ほら、ここ」

 フラットが銀狼の前足を掴み、それを見ようと椿が身を乗り出した。バランスをとるのに窮屈ではあったが、恐怖心から銀狼は椿を守らんとする意志を持ちつつある。

「あ、なんか変な痣がある」

 椿の言葉に、フラットが同意する。銀狼はそれが何なのか理解できないながらも、遅まきながら、青年の手にも何かを感じる痣があることに気付く。そして身を乗り出した椿の手にも、同種の痣が刻まれていた。

「あ、この子にも同じ痣があるよ」

 椿もフラットが背負う少女の腕に痣を見つけてみる。銀狼はその毛並みから見つけにくいが、他の三人は隠すこともないので見つけるのは容易い。

「こんな偶然って、あるんだねぇ」

「まったくだね!」

 二人で笑いあう様を銀狼は内心冷めた目で見つめていた。

 銀狼が感じていたのは、椿という少女の背後にいる存在。そして、指し示されれば理解できる、銀狼と同様の魔力を持つ奇妙な痣。獣としての第六感がこれは異常であるとこれまで以上に警告している。

 今すぐにでも逃げ出したい銀狼をよそに、事態はまた一歩前進した。

 ここに――

 聖杯戦争参加者の過半数以上を占めるマスターが四人も集合したこととなる。

 そもそも聖杯戦争を知るよしもないライダーのマスターである繰丘椿。

 そもそも聖杯戦争が何なのかすら知らないランサーのマスターである銀狼。

 そもそも聖杯戦争の根本を理解できていないバーサーカーのマスターであるフラット・エスカルドス 。

 唯一聖杯戦争を理解していながら気絶しているアーチャーのマスターであるティーネ・チェルク。

 前代未聞にして空前絶後になるであろうこの四者の会合は、ティーネが目覚める三時間後に、開始されることになる。

 

 

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 スノーフィールドの夜は思いの外冷える。渓谷地帯ともなればそれは顕著で、吹き上げる風の中小一時間も外にいれば芯まで凍えることとなる。高所であるが故に周辺警戒の重要性は増すが、厳しい環境での見張りを好んで行う者などいるわけがない。

 そういったわけでこうした見張りに出されるのは決まって立場の弱い若者と相場が決まっており、賭け事の代価として数ヶ月前からローテーションが組まれていることも多々ある。

 そして残念ながら、そのローテーションがそのまま実行されることはない。予定表に書かれた名前は先の戦闘で行方不明となり、その名は赤く二重線で消され、そしてそのままとなってしまっている。

 管理者の融通が利かなかったのだろう。空いてしまった穴を直前の担当者の時間延長で穴埋めをした結果、かなり無茶なスケジュールとなってしまっている。それを見かねた老人が仕方なく、空いた代理として見張りに志願したのがおよそ十分前。何やら後ろで悶着があったようだが、思った以上にあっさりと老人の希望は聞き届けられた。

 担当となっている見張り台は要塞上部の一番見晴らしの良い場所だった。最も寒い場所であることには違いないが、老人にとってそこまで苦痛ではない。こうして見張りに立つ機会など数十年ぶりだ。当時を思い返せば懐かしさすらある。

 そんなことを思いながら老人が見張り台へと上がってみれば、連絡を受けていたのか、礼どころか挨拶もそこそこにまだ若い戦士が逃げるようにして老人の傍らを去って行く。先達への敬意と謝意を表さないことを咎めはしないものの多少の疑問を覚えながら老人は見張り台へと立ってみる。そうすればなるほど、急ぎこの場を去った理由に合点もいく筈だった。

「これは英雄王。このような場所で何をなさっておられるのですか?」

 老人の目線の先には一体いつから居たのか、豪奢なコートを纏ったアーチャーの姿がある。悶着がありながらやけにあっさりと受理されたと思ったらこういうことかと老人は納得する。場慣れした老人ならいざ知らず、青二才の若造にこの空気は耐えられまい。

 決して広いとは言えぬ見張り台は岩場の出っ張りに作られている。簡易の柵は作られているが、先端に至っては何も作られていない。アーチャーが腕を組みスノーフィールドの街を睥睨しているのは、そんな危険極まりない先端部分である。

「……何者だ貴様は」

 本来の見張り位置よりわずかに離れて立ち止まった老人を、目線だけでアーチャーは射貫いた。ただの誰何、というわけではない。明らかな威圧に老人は怯えた様子もなく礼をしてその場に座った。

「ただの老いぼれにございます。が、族長の相談役の末席を汚しておりますので、見覚えがあってもおかしくはないかと存じます」

「フン。ただの老いぼれにしてはできるようだな」

 名乗りもしない老人に機嫌を損ねることなく、それでもアーチャーの視線は老人から離れない。老人のなりはそこいらの見張りと何ら変わることはないが、唯一手にした武装だけが他と違って英雄王に注視させる。その視線に気付き、老人は己が獲物を前に出してみせる。

「昔取った杵柄でございますが、今はもう腐りかけの技にございます」

 笑う老人が手に取った棍棒は別段珍しいものではない。だが年季の入ったそれは、いくつもの傷が刻み込まれている。長年通じた武器は使用者の手足となるという話があるが、この老人の棍棒はまさにそれだった。魔術のなんたるかを理解せずとも、老人が手に取り軽く気を通すだけで、霊体にも効果のある魔具へと棍棒は昇華されていく。老人が丹念に練り込んだ気を以て全力で放てばサーヴァントを一撃で仕留めることも可能だろう。

 だがそれだけならアーチャーは何の反応も示すことはない。アーチャーが興味を抱いたのはその距離だ。いざ戦闘になっても邪魔にはならず、背中を守れる位置にいる。それでいて一挙動で襲えるほどに近い距離ではない。

 この聖杯戦争に召喚されてから数々の戦士を見てきたが、礼節と武芸、共に優れた者はまだ見てはいなかった。これで相談役だというのだから、知略においても優れているのだろう。

「ティーネはどうした。まだ寝ているか」

「英雄王より頂戴した秘薬が効いているようであります」

 アーチャーによるヒュドラ退治から三日が経過していた。

 ほとんど瞬殺であったとはいえ、一瞬だけでも現界したヒュドラはただそれだけで猛毒の塊だ。ティーネがいかに強力な魔力を身に帯びていようとも、そんなヒュドラに一片とはいえ触れてしまえば身体が毒に蝕まれるのも当然であった。その日の内にティーネの体調は思わしくなくなり、高熱に魘されながら今も意識が戻らない。

 幸いにも英雄王の蔵にはヒュドラの毒に効く薬はある。ただ強い薬は量を誤れば毒にもなるので現在は薬を希釈し、慎重に効果を見定めながら経過観察をしているところである。幸いにしてティーネの体調は快方に向かい、この調子であるならば数日中に回復する見込みである。

「……このスノーフィールドを見ていた」

「スノーフィールドを、ですか」

 長い沈黙の後、急に口を開いた英雄王に思わず鸚鵡返しをするが、そういえばこの場に来た早々に老人は何をしているのか問うていたのを思い出した。

 あれはただの挨拶のようなものであったが、何が気に入ったのか英雄王はこの老体と話す気になったらしい。

「この景観、英雄王の眼鏡にかないましたかな?」

 確かにここからの眺めはスノーフィールド全体を一望でき、左に湖沼地帯、右に森林地帯、そして中央にバベルの塔が如く立ち並ぶビル群はそのアンバランスさをもって絶景となっている。

「どこにでもある風景だ。この我にとっては何の価値もない」

「そうでしょうな」

 さも面白くなさげに応える英雄王に老人も素直に同意した。

 老人自体、この風景は見慣れたものであり、そして見飽きたものでもある。スノーフィールドの名所となりうる場所ではあるが、絶景と言うなればもっと良いところはいくらでもある。

「では、何故ご覧になられているのでしょう?」

「……あそこには我の朋友がいる」

 若干の沈黙にそれは嘘だと老人は確信する。

 エルキドゥの話はティーネから聞かされてはいるが、あの英雄王の性格からしてここで思索にふけるわけもない。少なくとも街中にあのサーヴァントが現れることはあるまい。

「では、我が族長に成り代わりまして、私めを供に散策でもいたしますか?」

「……必要ない」

 老人の稚気に溢れた提案に、今度の沈黙には多少の怒気が込められていた。答えの分かりきった質問をしたことには気付かれたらしい。

「これは失礼を。

 ……しかし、英雄王も我らが族長をあまりからかわないで頂きたい。此度の毒はあの娘の不用心なれど、あなた様ならばあの場で制することもできたのではありませぬか?」

 余りに直截な老人の不服に、さすがの英雄王も先に流した怒気を呼気一つで露と消す。

 ティーネの毒は確かに大したものではない。だが一歩間違えれば死んでいたとしても決しておかしくはない危険極まりない毒である。アーチャーにとっては大したことのないマスターであっても、老人にとって掛け替えのない一族の長。相手が相手だけにアーチャーに意見する者はいなかったが、老人は機会があれば話すつもりではあった。その機会が思いの外早かったのは想定外だが、やるべきことに違いはない。

「なかなか言うではないか」

 今すぐ首をはねられてもおかしくない状況で、老人は黙って首を垂れる。老人にとっては攻撃しにくい距離であるが、アーチャーにとっては攻撃しやすい距離である。その首を刎ねるのに苦労はない。

「あれは必要不可欠な試練だ。如何に優秀なマスターであろうと我が朋友と決着をつけるまではどうあっても生きていてもらわねばならん」

「そのための、我々でもあります」

 族長が犯すべきリスクは我らが負う、と老人は語る。

 王として、こうして直訴してきた者の言葉を軽く見るつもりはない。老人は本気であり、そのためなら何だってするだろう。

「信じられんな」

 だがそんな老人の言葉をアーチャーは一蹴した。

「我ら、と言ったな。それは一体、誰のことだ?」

「それは……」

 言葉に詰まる老人に全ての答えは集約していた。

 この見張りひとつ満足にこなすことのできぬ組織で、一体どれほどのことができるというのか。どれほどの者が、ティーネのために死ぬことを選ぶのか。甚だ、疑問でしかない。

 ティーネが倒れたことで水面下で蠢く不平不満が、鎌首をもたげている。組織は大きくなればなるほどその地盤が問われるものであるが、思った以上に弱かったようである。敵対工作が行われたのは確かであろうが、綻びをこの聖杯戦争までに排除しきれなかったのはティーネの落ち度だ。

 アーチャーは為政者である。その組織の有り様を見抜けぬわけもなかった。

「何故、あの娘が族長なのだ?」

「……あの娘が、一番この地と結びついているからに御座います」

 質問を変えて老人に聞いてみれば、苦渋に満ちた答えが返ってくる。

 スノーフィールドの原住民は、スノーフィールドによって力を与えられた者達である。必然的に族長ともなればその中で最も力を与えられた者でなくてはならない。確かにその意味ではティーネは適合しているのだろうが、それ以外についていえば甚だ疑問でしかない。

 王制にあっては幼い子供を神輿にするのは理解できるが、この地の奪還を目指す原住民に必要なのは強力な指導者だ。血筋や能力に申し分なく最も強力な魔力を秘めるティーネであっても、実績がなければ下の者はその指示に従おうとはしないだろう。命を懸けるのであれば、尚更だ。

 まがりなりにも原住民がティーネを中心にして組織としてまとまっていられる理由は、彼女を支える周囲の者にある。その周囲の者に認められているからこそ、彼女は族長であり続けることができる。

「成る程。貴様のような側近であればある程に忠誠心が高いというわけか」

「否定は、できません」

 それは同時に組織の末端にいる者のティーネへの忠誠心は薄いと言ってるのと同義だ。彼らは族長たるティーネに忠誠を誓っているのか、原住民の血に誓っているのか、あるいは巨大なコミュニティとしての組織に誓っているのか、それは全く分からない。

 フン、と英雄王は鼻で笑う。その顔は老人からは決して見えないが、その顔は、確かに笑みといえるものだった。

「貴様、この景色の変化には気付いているか?」

 英雄王の質問に老人は沈黙した。

 これはただの質問ではない。老人に対するテストであり、真に族長たるティーネに忠誠を誓う者として英雄王の期待に耐えられるかのテストだ。外せば英雄王からの信はなくなり、ティーネはただの道具として英雄王に使い潰される。反面、正解すれば英雄王のパートナーとしてわずかではあるが、対等な関係へと近付くことができる。

 ハイリスクローリターン。だが、こうしたチャンスは英雄王との信頼関係の構築には必要不可欠な通過儀礼だ。

 深い呼吸を五回、老人は行った。

 暗闇の中、見渡す景色は先とは何も変わりない。当然だ。ほんの数分で変化するわけもない。

「……明かりが、減っておるように見えます」

 実を言えば既に出ていた答えを、老人は時間を掛けてひねり出すように答えた。

「此度の戦争、今日で初戦から五日が経とうとしています。その間大きな事件事故はありましたが、それにしても明かりの数が減りすぎたように見受けられます」

 実に愉しげに、英雄王は老人の言葉を聞いた。

 アーチャーは召喚された当初からこの北部の要塞部とスノーフィールド都市部を歩き回っている。今日この場にアーチャーがいたのも何も今回が初めてというわけではない。確かに伊達や酔狂で動くのがこの英雄王ではあるが、市井を見て回ることは決して無駄なことなどではない。

「なかなかの慧眼ではないか」

「恐れ入ります」

 満点、とは言いがたいが、おおよそアーチャーの答えと同じ解答である。

 アーチャーが召喚当初に見た街の明かりを100とすれば、現在は95といったところ。誤差の範囲と言ってみれば済むところだが、ここ数日暗くなることはあっても明るくなることがない。恐らく明日には94か93になり、90を割り込めばそこからは一気にスノーフィールドの崩壊が進むことだろう。

 都市部で何が起こっているのか、アーチャーには分からない。だが何かが蠢く気配は遠く離れたここまではっきりと伝わってくる。それは何もサーヴァントだからという理由だけでもなさそうである。

「貴様、相談役、と言ったな?」

「はい」

「では、ここの備蓄はいかほどある?」

 アーチャーの言葉に老人は記憶の底から必要な知識を引っ張り出す。具体的な資料は見ていないが、倉庫の様子や搬入頻度から計算することはできる。

「ここにいる人間だけならば何もせずとも三ヶ月は保ちます。ここの内部でもある程度食料生産もできますので、節約をすれば更に伸びましょう」

「足らんな」

 本来であれば十分すぎるほどの備えだというのに、アーチャーの感想は真逆のものだった。

「水、食料、資材、燃料、ありったけを集めよ。それから内と外との区別を分けるように指示しておけ。この渓谷の入り口を監視し、中の者を外に出さず、外の者を中に入れるな」

 恐らく初めてとも言うべきアーチャーの具体的な指示に、老人はその言葉の意味を量りかねていた。

「……それは、一体何に対する対策でしょうか?」

 籠城の指示、という様相にも思えたが、それにしては内と外を区別するのは異常である。これはまるで疫病に対する免疫措置にしか思えない。

 わざわざそれを指示するまで事態が進行しているとでも言うのか。

 しかし英雄王はその言葉には応えない。

「数日以内。事態に何の変化もなければ、街を灼くことにする」

 軽く、ではあるが。

 英雄王は、スノーフィールドを、壊滅させると宣言した。

 否――これは英雄王の「決定」である。

 何人たりとも覆せぬ、王の裁き。

「なっ」

「ようやく驚く顔が見られたな。したり顔の老いぼれを驚かすのも中々に一興だ」

 老人が驚くのと同時に、アーチャーは霊体化してどこへなりとも姿を消した。

 あれが冗談――というわけではあるまい。

 あの英雄王がやるといったら、本当に目の前の都市は壊滅することとなる。

 アーチャーの話しぶりから灼く範囲の線引きにこの砦は含まれていないが、だからといって奪い返す地が焦土と化すのを良しとするわけにはいかない。座して待つのは簡単だが、先ほど族長への忠誠が試されたばかりである。動いて状況を変えるのが誰か、言うまでもない。

 見張り台には緊急警報を鳴らす装置が付けられている。猶予こそ明確にしていないが、数日あるからと言って、悠長に一分一秒を無駄にして良い場合ではない。

 しばらくして、要塞内部で緊急警報が鳴り響いたが、その後誤報であるとアナウンスがあった。

 ただし、その後の要塞深部で行われた原住民相談役の極秘会議は長く続くこととなる。

 

 

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銀狼。
銀狼主体で書かれた唯一のシーン。銀狼主体だと動かしにくいことを実感した。

四者会合。
会談ではなく会合。フェイトゼロの冒頭で五体のサーヴァントが一堂に会すシーンを思い浮かべてかいたのだが、思いの外迫力がない。このメンツなら当たり前か。前章で署長も夢世界に入らせることも考えたが、さすがに現実世界での動きがなくなってしまうので止めておいた。

相談役の老人。
何故か友人に好評だった老人。ちょい役だったのに。
前の章で原住民の反乱をカードに署長は動いているが、その影響がこうしたところに出ているというのを書きたかった。そのせいで微妙に原住民が役立たず集団になりつつある。
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